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彩
【一】
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りぃんとした澄んだ音が、白い煙が漂う仏間に響きました。
閉じていた目を開けば、四本のお線香がゆらゆらと白い煙を吐き出しています。
奥様のお仏壇であり、また旦那様のお仏壇でもありますが、自叙伝を書き出しましてから、僕は亡き両親の分のお線香も焚く様になりました。
両親の位牌も遺影も、何もかもありませんが。
それでも、想いだけはあります。
「…祖父母宅には、あったと思うのですが…」
記憶を手繰り寄せても浮かぶのは、何枚かの着物に足袋に下着だけです。それだけが僕の持ち物でした。
処分されていたのでしたら悲し過ぎますが…時間が経ち過ぎてしまいましたからね。
よいしょと、僕は腰を上げて『ん~っ』と両腕を上げて背筋を伸ばします。
朝餉を戴きましたら、お掃除にお洗濯をしまして、昨日の続きを書きましょうね。
「ふふ…」
と、僕は小さく笑います。
書く事がこんなにも楽しい事だとは、夢にも思いませんでした。
一日が二十四時間しかないのが、惜しいくらいです。
けれど、それぐらいが丁度良いのかも知れませんね。
「思い出に耽るのは良いですが、そこに逃げては駄目ですからね」
呟いて、僕は軽く鼻を摘みます。
現実も、しっかりと見なければなりません。
今、僕の周りに居て下さる皆様の為に。
ゆらゆらと漂う煙に、軽く頭を下げて、僕は仏間を後にしました。
◇
時が止まるとは、この事を言うのでしょう。
僕を見下ろします高梨様と、その高梨様を見上げます僕は、まんじりとも動きませんでした。
『…は…?』
と、暫くの後に、高梨様が呆けた様なお声を出しました。
『だから、ほら、ゆかりん!』
『おいっ!?』
天野様が高梨様の前髪を背後から両手を伸ばして掻き上げました。
『あ』
と、僕は声を上げました。
前髪の下から現れましたのは、数刻前まで僕の隣にありました、あの細い目だったからです。
『しっ、失礼致しました』
僕は慌てて頭を下げます。
前髪一つで、こんなに人の印象が変わるとは思いもしませんでした。
『いや、良い。…しかし、こいつはともかく、他の奴等は俺の名を呼んでいたと思うのだがな…』
ああああ…確かに『高梨』とお呼びしていた気がします。しかし、言い訳をさせて下さい。僕は慣れない車の中で、かちかちに固まっていたのです。こちらの長椅子とは違いまして、車の椅子は固くて、お尻が痛かったですし。周りの方々のお話に耳を傾ける余裕等、無かったのです。
『まあまあ、良いだろ。ほら、鞠子ちゃんとお妙さんが待っているんだから、帰った帰った。俺もみくちゃんが待ってるしな!』
その様な事を思いながら高梨様を見上げていましたら、天野様が笑いながら、その背中をばしばしと叩きます。物凄い音がしますが、大丈夫なのでしょうか?
『背中を叩くな背中を! そら、帰るぞ』
帰る?
首を更に傾げます僕に『道々話す』と、高梨様が言いました。
ああ、そうです。と、僕は思いました。
何故、そうなったのかは解りませんが、僕の奉公先が変わったのですね?
この大きく広い建物は、僕には無理ですから、高梨様のお宅へと変更になったのでしょう。
成る程、納得です。
そうと決まりましたら、良い奉公人に成る為に気合いを入れないといけませんね。
気合いを入れて、高梨様の後に続きますが、ゆったりと歩いています様で、中々に足が早いです。
小走りをしていましたら、不意に高梨様が立ち止まりまして、お尻に顔を突っ込んでしまいました。
『すまん』
僕が謝るより早く、高梨様が振り返り、頭を下げます。
何故でしょう!?
奉公先で頭を下げるのは、何時も僕でした。
それですのに、何故、奉公先の主であります高梨様が頭を下げるのでしょうか?
『子供には早かったな。ゆっくり歩くから、転ばん様に気を付けろ』
ただでさえ混乱しています僕に、高梨樣は更に混乱を煽る様な事を口にします。
この様な時は『遅い、愚図、鈍間』との強い言葉が飛んで来るのですが?
もしかしましたら、高梨樣は、少々風変わりな方なのかも知れませんね。
その様な事を思いながら着いた先には、立派なお宅がありました。いえ、お屋敷です、こちらは。
屋根は薄い鉄の板ではなくて、とても重そうな瓦の屋根です。
お屋敷をぐるりと囲む垣根も、普段からお手入れがされているのでしょう。飛び出した部分等なく、均等に切り揃えられています。
門扉も、ただ柱があるだけではなくて、何と屋根と戸があるのです。
『ふえぇ~』
と、僕は心の中で情けない声を出してしまいました。
しかし、高梨樣はその白木でしょうか? そちらで組まれた戸を躊躇なく開けて、敷地内へと入って行きます。
『ふえぇ~』
僕はまた情けない声を上げながら、恐る恐るその戸に触れ、からからと音を立てながら閉めました。
感動しました。
だって、とても軽かったのです。
何処にも、何にも引っ掛かる事が無かったのですから。
本当に、昨夜から驚きの連続です。
本当の本当に、こちらで僕は立派におつとめを果たせるのでしょうか?
閉じていた目を開けば、四本のお線香がゆらゆらと白い煙を吐き出しています。
奥様のお仏壇であり、また旦那様のお仏壇でもありますが、自叙伝を書き出しましてから、僕は亡き両親の分のお線香も焚く様になりました。
両親の位牌も遺影も、何もかもありませんが。
それでも、想いだけはあります。
「…祖父母宅には、あったと思うのですが…」
記憶を手繰り寄せても浮かぶのは、何枚かの着物に足袋に下着だけです。それだけが僕の持ち物でした。
処分されていたのでしたら悲し過ぎますが…時間が経ち過ぎてしまいましたからね。
よいしょと、僕は腰を上げて『ん~っ』と両腕を上げて背筋を伸ばします。
朝餉を戴きましたら、お掃除にお洗濯をしまして、昨日の続きを書きましょうね。
「ふふ…」
と、僕は小さく笑います。
書く事がこんなにも楽しい事だとは、夢にも思いませんでした。
一日が二十四時間しかないのが、惜しいくらいです。
けれど、それぐらいが丁度良いのかも知れませんね。
「思い出に耽るのは良いですが、そこに逃げては駄目ですからね」
呟いて、僕は軽く鼻を摘みます。
現実も、しっかりと見なければなりません。
今、僕の周りに居て下さる皆様の為に。
ゆらゆらと漂う煙に、軽く頭を下げて、僕は仏間を後にしました。
◇
時が止まるとは、この事を言うのでしょう。
僕を見下ろします高梨様と、その高梨様を見上げます僕は、まんじりとも動きませんでした。
『…は…?』
と、暫くの後に、高梨様が呆けた様なお声を出しました。
『だから、ほら、ゆかりん!』
『おいっ!?』
天野様が高梨様の前髪を背後から両手を伸ばして掻き上げました。
『あ』
と、僕は声を上げました。
前髪の下から現れましたのは、数刻前まで僕の隣にありました、あの細い目だったからです。
『しっ、失礼致しました』
僕は慌てて頭を下げます。
前髪一つで、こんなに人の印象が変わるとは思いもしませんでした。
『いや、良い。…しかし、こいつはともかく、他の奴等は俺の名を呼んでいたと思うのだがな…』
ああああ…確かに『高梨』とお呼びしていた気がします。しかし、言い訳をさせて下さい。僕は慣れない車の中で、かちかちに固まっていたのです。こちらの長椅子とは違いまして、車の椅子は固くて、お尻が痛かったですし。周りの方々のお話に耳を傾ける余裕等、無かったのです。
『まあまあ、良いだろ。ほら、鞠子ちゃんとお妙さんが待っているんだから、帰った帰った。俺もみくちゃんが待ってるしな!』
その様な事を思いながら高梨様を見上げていましたら、天野様が笑いながら、その背中をばしばしと叩きます。物凄い音がしますが、大丈夫なのでしょうか?
『背中を叩くな背中を! そら、帰るぞ』
帰る?
首を更に傾げます僕に『道々話す』と、高梨様が言いました。
ああ、そうです。と、僕は思いました。
何故、そうなったのかは解りませんが、僕の奉公先が変わったのですね?
この大きく広い建物は、僕には無理ですから、高梨様のお宅へと変更になったのでしょう。
成る程、納得です。
そうと決まりましたら、良い奉公人に成る為に気合いを入れないといけませんね。
気合いを入れて、高梨様の後に続きますが、ゆったりと歩いています様で、中々に足が早いです。
小走りをしていましたら、不意に高梨様が立ち止まりまして、お尻に顔を突っ込んでしまいました。
『すまん』
僕が謝るより早く、高梨様が振り返り、頭を下げます。
何故でしょう!?
奉公先で頭を下げるのは、何時も僕でした。
それですのに、何故、奉公先の主であります高梨様が頭を下げるのでしょうか?
『子供には早かったな。ゆっくり歩くから、転ばん様に気を付けろ』
ただでさえ混乱しています僕に、高梨樣は更に混乱を煽る様な事を口にします。
この様な時は『遅い、愚図、鈍間』との強い言葉が飛んで来るのですが?
もしかしましたら、高梨樣は、少々風変わりな方なのかも知れませんね。
その様な事を思いながら着いた先には、立派なお宅がありました。いえ、お屋敷です、こちらは。
屋根は薄い鉄の板ではなくて、とても重そうな瓦の屋根です。
お屋敷をぐるりと囲む垣根も、普段からお手入れがされているのでしょう。飛び出した部分等なく、均等に切り揃えられています。
門扉も、ただ柱があるだけではなくて、何と屋根と戸があるのです。
『ふえぇ~』
と、僕は心の中で情けない声を出してしまいました。
しかし、高梨樣はその白木でしょうか? そちらで組まれた戸を躊躇なく開けて、敷地内へと入って行きます。
『ふえぇ~』
僕はまた情けない声を上げながら、恐る恐るその戸に触れ、からからと音を立てながら閉めました。
感動しました。
だって、とても軽かったのです。
何処にも、何にも引っ掛かる事が無かったのですから。
本当に、昨夜から驚きの連続です。
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