色褪せない幸福を

三冬月マヨ

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【四】

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 …どうしましょう?
 瑞樹みずき様も、優士ゆうじ様も、俯いてしまいました。その、お二人の肩が小さくぷるぷると震えています。卓袱台にぽたぽたと落ちる雫は汗…な訳がありませんよね。
 ああ、心お優しいお二人に聞かせるお話では無かったですね。
 これは、流れを変えなければいけませんね。
 とは、言いましても、僕は面白可笑しいお話なんて持ち合わせてはいませんし…えぇと…。

「…最近、一日が長くてですね…」

 …間違えました。

「は?」

「え?」

 しかし、それを聞き流すお二人ではありません。
 涙の跡を残した目で、不思議そうに僕を見て来ます。いえ、瑞樹様の目からは、まだ涙が零れていますね。申し訳ないです。

「ああっと、いえ、一日は長く感じるのですが、日は過ぎるのは、あっと云う間と言いますか、明日等来なければ良いと思っています僕に…あああっ、忘れて下さいっ!!」

 …更に、間違えましたね。
 人間、慌てると碌な事がないと言いますものね。

「無理です」

雪緒ゆきおさん」

 …ああ、本当に。
 僕には、気の利いた話題転換等無理でした。ひたりと僕を見詰める四つの瞳が痛いくらいです。

「一日が長く感じられるのは、これまでが忙しかったからだと思いますが…」

「明日が来なければ良いって、何でですか?」

 ああ、もう、阿吽の呼吸とはこの事でしょうか?
 優士様から瑞樹様への、この流れる様な連携は何なのでしょうか?
 流石ですと、お褒めすべきなのでしょうか?

「…今から…酷い事を言いますので、耳を塞いでいて下さいね…」

 と、申しますれば、お二人共、ぴんと背筋を伸ばし、正座した脚の上に拳にした手を置いてしまいました。
 絶対に、一言一句聞き逃さないと云う意志をひたひたと感じます。
 …申し訳ございません…奥様、お妙さん、えみちゃん様、菅原先生…。皆様も、大切な方々でした。…それでも、それ以上に、僕は旦那様との別離わかれが、やはり辛かったのです…。

「…明日が来なければ良いと…旦那様が逝きましてから…そう思う様になりました…。明日が来ましたら…旦那様が居た時間が、昨日になってしまいます…昨日のこの時間には居ましたのに、と…」

 僕の言葉に、ぐっとお二人が息を飲みます。
 申し訳ございません。
 酷いですよね?
 情けないですよね?
 それでも、僕は、そう思ってしまうのです。
 そう思ってしまうのを止められないのです。
 僕は、弱い人間なのです。

「…一日が終わらなければ良いと…時間が止まってしまえば良いのに…とも、思います…。その様な事等、ある筈もありませんのにね…。どれ程願っても、時間は進みます。戻る事はありません。明日が来ましたら、今日は昨日になります。また日が変われば、それは一昨日に…やがて、一週間、一ヶ月、半年…去年へと…去年の今日は隣に居ましたのに…と、思う日が来ます…」

 僕は、静かにまた視線を右隣へと移します。
 
「そうして、また一年が過ぎまして…去年の今日には…もう、居なかったのだと思う日が来るのです…」

 …ここに、旦那様の温もりが無い…。それを、当たり前の様に受け止める事は、僕には未だ出来そうにありません。

「………」

「…雪緒さん…」

 軽く目を閉じてから、顔を正面へと戻しましたら、そこには、心配そうに僕を見詰める優士様、同じく僕を気遣う瑞樹様のお姿があります。

「みっともなく、弱く情けない僕で申し訳ございません。…僕の人生の大半…いえ、それ以上に僕は、旦那様と共にありました…。旦那様が居て下さったから、今の僕が在るのです…。あの日、おにぎりを差し出した僕の手を取っ…」

 …ああ…駄目ですね…。
 笑おうとしましたのに、何故か目から水が零れてしまいました。
 ぽたりぽたりと、それが落ちて膝の上に置いた手を濡らして行きます。
 それでも、僕は語ります。
 酷いお話でも、聞いて下さろうとしているお二人の為に。

「…そこから…僕の時間が…再び…動いたのです…」

 あの日、天野様が気付いて下さらなかったら、僕はあのままあやかしに食べられていた事でしょう。
 あの日、旦那様が手を取って下さらなかったら、やはり、僕は儚くなっていたとも思います。
 あの日、洗い物を続けていなくても、恐らくは…。
 本当に、偶然に偶然が重なって、その結果、僕はこうして、ここに居ます。
 僕を僕として。
 在るがままの僕を受け入れて、見守って下さった。
 大切な方々に守られ、育まれて…そうして、今の僕が居るのです。
 何が欠けても、誰が欠けても、今の僕は存在しなかったと思います。
 そうは思いますのに…やはり、旦那様の存在は大きくて…それは、掛け替えがなくて…。
 旦那様が居たから、僕は僕として在る事が出来たのです…。

「…旦那様と僕が居た時間が、遠くなってゆくのが…怖いですね…」

 …何時か…旦那様のお声も、仕草も、足音、息遣い…それらを忘れてしまう日が来るかも知れません…。
 只今と玄関を開けて、その先に旦那様が待っている…或いは迎えに出て来て下さる…その様な想像すらもしない日が来るのかも知れません…。
 …それは…とても…怖いです…。
 僕の中から、旦那様が居なくなってしまう時が来る事が、とても怖いのです。

「…ああ…だから…夢を見るのですね…」

 …旦那様の支えが無くなりましたから…。
 怖いと…それから目を背けていますから…。

「え?」

「夢?」

 瑞樹様と優士様の不思議そうなお声に、僕ははっとしました。

「ああ、いえ…」

 突然過ぎましたね。
 僕は、何を口走ってしまったのでしょうか?
 お二人の気遣いに甘えてしまいました。反省しなければなりませんね。
 しかし、です。

「話して下さい」

「雪緒さんの気持ちが楽になるなら、幾らでも!」

 お二人は、ぐいっと前のめりになりまして、僕に話をさせようとして来ます。
 とても真剣な表情です。
 私服で良かったです。これが、黒い隊服のままでしたら、僕は平伏していたかも知れません。

「ええと…幼い頃の夢なので…決して楽しいお話では…」

 …ですが…これは…お話しても良いのでしょうか…?

「なら、尚更話して下さい」

「辛い事なら、余計に話して欲しいです」

 …ああ…本当に、何てお強いお二人なのでしょう? 何時かの旦那様のお言葉が蘇ります。

『俺に何かあった時の為に、友を作れと言っているんだ!』

 ふふ…と小さく笑いまして、僕は右手の二本の指を使い、軽く自分の鼻を摘んでみます。

「…本当に…楽しいお話では、ないのですよ? お二人にとりましては、特に…」

 その言葉の意味が、お二人に明確に伝わったのでしょう。びくりと云う音が聞こえそうな程に、その身体が強張りました。
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