旦那様と僕・番外編

三冬月マヨ

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悪い虫

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 パタパタと、カサカサとした音が聞こえる。
 五月蠅くは無い、少し耳に擽ったい様な、そんな音だ。

「…失礼します。旦那様、起こしても宜しいでしょうか?」

 何だ、その問い掛けは。

「あ、起きていらしたのですか?」

 思わず噴き出してしまった俺の耳に、雪緒ゆきおの安堵した様な声が聞こえた。

「ああ、つい先程にな。昼か?」

 身体を起こして、布団の横に正座する雪緒を見れば、静かに頷く。

「はい。正午を回りました処です。昼餉に致しますか?」

 昨夜は新月の遠征だった。
 とは云え近場だったから、八時ぐらいに帰宅したのだが。
 寝過ぎて、逆に夜に眠れないとなると明日が辛いから、幸い学び舎…いや、今は学校か…が休みの雪緒に昼過ぎに起こしてくれと頼んだのだ。

「ああ、貰おう」

 こいつの事だから、俺が起きなかったとしても用意はしてあるのだろう。全く、生真面目な奴だ。

「はい。今日は良い日和ですので、お庭にご用意してあります。縁側からどうぞ」

 …庭…?
 何故、庭?
 確かに、昨夜から今朝に掛けての冷え込みは緩やかだったし、今も春先とは思えない暖かさだが。

 雪緒から着替えを渡されて、浴衣から着替えて、上掛けも渡されて縁側から庭を見れば。

「…ああ…今日は雛見ひなみか…」

 庭には藺草いぐさ茣蓙ござが敷かれていて、脇には蛤を乗せた七輪が置いてあり、茣蓙の上には数々の小皿が並んでいた。
 中でも目を引くのは、中央にある、花瓶に刺してある一枝の梅の花と、桃、緑、白の三食団子か。
 なる程、これが音の正体か。何度往復したのやら。

「お誕生日おめでとうございます、旦那様」

「ああ、ありがとう」

 一歩下がった後ろに立つ雪緒から祝いの言葉を贈られて、俺は目を細めて笑う。
 今日、三月三日は、俺の誕生日だ。
 両親がこの名を付けたのも、この日に生まれると予測していて、女児だと疑わなかったからだ。全く良い迷惑だ。だが、この名のお蔭で鞠子と出逢い、雪緒と出逢えたと言われたら、感謝するしかない。

「お酒をご用意していますが、冷にされますか? それとも…」

「熱燗で貰おうか」

「はい、ただいま」

 返事と共に縁側へと上がる雪緒に、手間を掛けさせて済まないと思いながら、その背中を見送って、俺は茣蓙の上へと腰を下ろして、そこにある梅の花を見る。
 
 雛見とは、三月三日に行われる行事の事で、女児の健康を祈る物だ。この日は女児を含めた女性だけで、山に咲く花を見に行く事が習わしになっている。時期的に梅か。何故、山なのかと思うが…天に…神に、より近い場所で祈る為だと聞いた気がする。

 家の庭にも梅の木はあるが、この花はそれよりも色が濃い。
 何処からか手折って来たのか? あの雪緒がか? 幾ら俺を喜ばす為とは云え、雪緒がそんな事をするとは思えんが…。

「そちら、せい様からの戴き物なのです」

 枝を手に取り、しげしげと見詰めていたら、盆に徳利と盃を乗せた雪緒がにこやかに言って来た。

「星が?」

「はい。旦那様がお休みになられた後に、星様が居らしたのです。『桃が咲いてたから、ゆきおにやる! 桃には悪い虫をはらう力があるって親父殿が言ってたぞ!!』って。余りにも鮮やかな桃色ですから、勘違いされたのでしょうね。梅だと言うべきか悩んでいる間に、星様はお帰りになられてしまいましたが…」

 差し出された盃を受け取り、そこに酒を注ぎながら雪緒が言う言葉に、俺の頬が僅かに痙攣するのが解った。

 …あの親父め…。

「桃にあるのは、邪を祓う力だと言われている。あの親父の言う事なぞ出鱈目も良い処だ」

 わざわざ星を使って釘を刺されんでも、誰が未成年の雪緒に手を出すか。
 ………口は出したが……。

「そうなのですか!?」

 素直に驚く雪緒が可笑しくて、俺はその鼻に手を伸ばす。

「…ああ。…まあ、は邪かも知れんから、あながち間違いでもないがな…」

「ふが…?」

 何故、鼻を摘ままれたのか、納得出来ないと云う風に首を傾げる雪緒に、俺は軽く肩を揺らせてしまう。
 が何なのか、理解していないのだろうな。
 だが、それで良い。
 今は、それで良い。
 未だ、お前は蕾のまま、花咲かなくて良い。

「…そら、俺は良いから、お前も食べろ」

「あ、はい」

 鼻から手を離して軽く頭を撫でて言えば、雪緒は仄かに顔を赤くして頷いた。

 何時か花咲く日まで、変わらずに居てくれと願うのは我儘か?
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