旦那様と僕

三冬月マヨ

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やがて

【一】旦那様は困惑する

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 今、雪緒ゆきおは何と言った?
 謎の言葉を残して雪緒は沈黙した。
 その雪緒は、今、健やかな寝息を立てている。

「あ~。安心して眠くなっちゃったんだね~」

 相楽さがらが、そんな雪緒を見て肩を竦めてから、ベッドの脇にあるテーブルに、持っていた握り飯の皿を置いた。

 そして、相楽は何と言った?

「…さ、がら…今…」

 自分でも解るぐらいの、何とも情けない声が出た。

「ん~。雪緒君をベッドに寝かせてからね~。よいしょっと~」

 そんな俺の疑問より先に相楽は空いているベッドの布団を捲ってから、雪緒の脇の下に両手を差し込んで、ずるずると引き摺って行く。

「うんしょっ、と~」

 相楽が草履を脱いでベッドへと上がり、そこから雪緒を引っ張り上げた。

「うん、軽いと思ったんだけど~、ゆかり君ぐらい力が無いときついね~」

 いや…お前が無さ過ぎるだけだろう。

「さて。先ずは状況確認から行こうか~? 今は、昨日、紫君が倒れてから一日経った朝だね。と言っても、十時になるけど。君は長くここに居るつもりは無いだろうから、僕が担当医になったからね。通うなら、自宅に近い方が良いよね~? 破傷風とか、感染症の心配は無さそうだから安心して良いよ。腕は…よくまあ、食われなかったね?」

 先程まで雪緒が座っていた椅子に腰掛けて、相楽が口を開く。起き上がろうとしたら、そのままで、と止められた。

「…ああ…。松明でまなこを炙ってやったら、口を離してくれたからな。それに…噛み付いて、俺の様子を伺っている感じがした。嬲っているつもりだったのかもな…」

 その時の様子を思い出しながら口を開けば、相楽が僅かに目を見開いた。

「…へえ? 直ぐに食べる訳じゃないんだ?」

「それなら、喰らい付いた瞬間に俺の腕の肉を持っていっただろう」

 喰らい付いて肉を貪るのかと思えば、それはせずに、俺の反応を楽しんでいるかの様だった。そんな感情があやかしにある等とは知らなかった。或いは、それも個体差なのかも知れんが。

「ふうん…。謎だらけだね、妖って…」

 そう呟いた後、相楽は俺の状態の説明を始めた。
 背中は何針縫ったとか、腕はやはり骨まで行っていて、粉砕骨折の様になっていたとか、最低でも二ヶ月は大人しくしていろと言われた。
 石膏で固められた右腕を見て、長いな、と思った。それが顔に出ていたのか、相楽に眉を顰められた。

「ああ、それと。紫君の家は母に見に行って貰ったけど、何とも無かったから安心して良いよ。火事場泥棒が入った形跡も無かったって」

「そうか。ありがとう」

 そっと息を吐いて礼を言う。
 帰れる場所があるのは、有り難い。
 俺がこんな状態では、家が荒らされていたとしたら、片付けにどれぐらい掛かるのか。雪緒だけに任せる訳には行かないからな。

「ん~。で、雪緒君のおちんちん発言だけどお~」

「ごほっ!!」

 いきなりの話題転換に、俺は咽てしまった。
 せめて、間に何かを挟んで欲しい。

「以前に言ったと思うけど~。好きな人や、気になる人の手に…そう言ったら、照れたって話したよね~?」

「あ、ああ…」

 雪緒が相楽に指南を乞いに行ったと聞かされたあの日は、本当に頭を抱えたものだった。

「…あの日は話さなかったけどね~。雪緒君、君の夢を見て夢精をしたんだって~。それも、何度もあるって言ってたよ~」

 そして、続く相楽の言葉に、俺はまた頭を抱えたくなった。

「ごほっ、ほっ!! んなっ、あ、あいつ、それをお前にも話したのか!?」

 って、幾度も!?

「ん~? 何だ、紫君知ってたの~?」

 相楽が脚を組み、その上に両手を組んで置いて、軽く首を傾げて来た。

「…お前が…雪緒がどんな夢を見たのか気になると言うから…つい……」

 …そうだ…。つい、気になって聞けば、そんな答えが返って来たのだ。
 まさか、と。
 そんな筈が無いと。
 違う夢と混同したのだと、自分を納得させたのだが…。…だが…幾度もとなると…それは…。

「そっかあ~。まあ、それで…流石に、紫君も解ったよね~?」

「…あ、ああ…まあ…」

 …雪緒が、本当にそうだとするのなら。
 それならば『父とは呼びたくない』、『親も子も嫌だ』と、言ったのも納得が行く。行くが…。

「…十六も離れているのに…?」

「年齢なんて関係ないでしょ~?」

 僅かに眉を寄せて言えば、相楽が片手を振って笑う。

「…男なんだが…」

 やはり、どうしても信じ難い気持ちが強い。
 そんな、まさか、と。
 一回り以上も歳が離れている上に、同性だ。
 こんな俺が、雪緒に取ってその対象になりうるのかと。
 それに何より、俺はそんな風に雪緒に接していたか?
 ごく普通に、親らしく在ろうと、そうしていただけの筈だ。その筈だ。
 雪緒の当たり前の幸せを願っているのに、俺がその障害になるのか?

「…だから~、何で紫君がそれを言うのかな~? そりゃあ、子は国の宝だしい~? 後ろ指差される関係よりは、大手振って居られる関係の方が良いだろうけど、そんなの出来る者がやれば良いだけだよ~。異国では、同性同士の婚姻が認められている処もあるよ~。この国も、いずれはそうなる。雪緒君の学友が開けっぴろげなのが、その証拠じゃないのかな~? 大体、紫君と雪緒君は、もう、籍を入れているでしょ~?」

「ぶふっ!!」

 養子縁組の事か!?
 確かに俺の様な人間は、表立った婚姻が出来ないから、養子縁組をする事で、婚姻としたりするが…!

「そ、それは…っ…、そう云う意味では無く…っ…!! だ、大体雪緒は未だ子供…っ…!!」

 そう、まだ子供だ。
 だから、俺が導いてやらなければならない。
 雪緒が間違わない様に。
 そうなりそうならば、正してやらなければならない。

「この年頃の子なんて、直ぐに大人になるよ~? 本当、あっと云う間に、ね。ねえ? もう一度聞くよ? 紫君は、雪緒君の事を、どう思っているの?」

「…雪緒は、俺の息子だ。それ以上でも以下でも無い」

「紫君」

 俺の言葉に相楽は短く名を呼び、真意を探る様に俺を見た。

「………俺が、あの場所から連れ出した。俺には雪緒を幸せにする責任がある。あいつを一人前にして、送り出す。人並みの幸せを掴める様になるまでは俺が…」

 そうだ。
 あんな場所に居てはいけない。
 あんな場所に雪緒を置いたままで、去るだなんて選択肢は無かった。
 掴んだその手を離す事等出来なかった。

「…それを、雪緒君は望んでいるの? 望まない幸せなんて、不幸でしかないよ? ねえ? その幸せは紫君が居なくて成り立つ物なの? 紫君は、それで幸せなの?」

 相楽の声には、若干の苛立ちが含まれている様に思えた。
 だが、それには気付かない振りをして、俺は言葉を綴る。

「…俺の事はどうでも良い。俺は雪緒を幸せにする事だけを考えてやれば良い。今の雪緒の気持ちだって、一時的な物で、もっと雪緒の世界が広がれ…」

「紫君。馬鹿だね」

 世界が広がれば、考え方も変わる。物の見方も変わる。そうすれば、新たな道が開ける。新しい出会いもある。そうなれば、俺に固執する事も無くなる。まだまだ、先は長い。そう、口にしようとしたら、呆れた様な相楽の声に遮られた。

「は?」

「僕だって、雪緒君には幸せになって貰いたい。けどね? それは、紫君にも言える事。紫君が不幸になって、雪緒君が喜ぶと思う? とにかく、この機会によお~く、考えて。それ、おにぎり。雪緒君が起きたら食べさせてあげて。昨日から、何も食べていないから。今、寝てるのだって、昨日から一睡もしていないせいだからね。その事で、雪緒君を怒ったりしないでね。僕、他の患者を見て来るから。ああ、君には後で専用の、まっずいご飯を持って来るから。じゃあね」

「あ…ああ…」

 眼鏡の奥の目を光らせて、冷たく言い放った相楽の言葉に、俺はただ頷く事しか出来なかった。
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