旦那様と僕

三冬月マヨ

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はじまって

【十三】旦那様と宝の箱

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「お待ちよ! この泥棒がッ!!」

「うわっ!!」

 帰りの途中で食材を買いまして、お屋敷まで後僅かと云う処で、そんな叫び声が聞こえて来ました。
 目を凝らしますと、お屋敷の垣根から、まだ若そうな男性の方と、みくちゃん様が飛び出して来まして、みくちゃん様の細い脚が、その男性の背中へと中り、中てられた男性は地面へと顔から倒れてしまいまして、その上にすかさずみくちゃん様が乗り上げました。

「アンタ、早くッ!!」

「おうっ!!」

 みくちゃん様の声に答えて、垣根を乗り越えて天野様がお姿を見せました。その手にはお縄があります。

「連絡したよ~。直ぐに来るんじゃないのかなあ~? あ~、お帰り、ゆかり君、雪緒ゆきお君~」

 門からお姿を見せました相楽さがら様が、呆ける僕達へとお声を掛けて下さいました。

「はッ!? ゆ、雪緒君ッ!?」

 その声に、みくちゃん様が天野様が縛り上げている男性の上から飛び退きまして、乱れた着物の合わせ目や裾を手早く直しまして、同じく乱れた長い御髪も手で整えましてから、女性の方にしては細い瞳を笑みの形にして、僕に笑い掛けて下さいました。

「久しぶりね、雪緒君。昨日の伊達巻はどうだった? 喜んで貰えたかな?」

「あ、はい! とても美味しかったです! 学び舎の皆様にもとても好評でした!」

 その言葉に、僕はお伝えしたかった事を笑顔で報告しました。

「はあん? 学び舎の皆あ?」

「みくちゃん様?」

 喜んで戴けるかと思いましたのに、何故かみくちゃん様は形の良い細い眉を上げました。心なしか、声も低くなった様な気がします。

「あ、ううん。何でもないの。そっかあ、雪緒君一人で食べないで、皆にも分けてあげたんだ。雪緒君は優しいね」

「いいえ! とても美味しいので、皆様にも食べて欲しかっただけです」

 ですが、それは気のせいだった様です。
 みくちゃん様は直ぐに笑顔になりまして、僕を褒めて下さいました。

「相楽、天野、どう云う事だ?」

 そんな会話をみくちゃん様と交わしている中で、旦那様が縛り上げた男性の傍に居る相楽様と天野様の元へと歩いて行きます。

「あの、何かがあったのですか?」

「あ、うん。ウチの人を迎えに来たら、あの男が雪緒君の家にコソコソと入って行くのが見え…」

「僕のではなくて、旦那様のお屋敷です。何か御用だったのでしょうか? ですが、天野様と相楽様が居て下さったのですよね?」

「いや、用ってか、あの男はね?」

「雪緒。天野と出掛けて来る。相楽、みく、雪緒を頼む」

 みくちゃん様に事の次第をお聞きしていましたら、僅かに硬さの滲むお声で旦那様がそう仰いました。

「え?」

 状況が解らずに、僕は疑問の声を上げましたが、旦那様と天野様は縛られた男性と共に、集まって来ていたご近所の方々に『騒がせた』とお声を掛けて歩いて行きました。

「ほら、雪緒君~? 中で話そうか~?」

 相楽様が朗らかな笑顔でそう促して来ましたので、僕達はお屋敷の中へと入りました。

 ◇

 あの縛られた男性は、最近噂の泥棒さんだったとの事でした。
 連絡を受けた警察の方が来て下さいましたが、それの対応は相楽様やみくちゃん様がして下さいました。
 僕は、ただ、呆然としていて、何も話せませんでした。
 ただ、目が熱くて、喉が痛くて、胸が痛くて。
 ただ、壊れた青い箱を胸に抱き締めていました。
 中に入れていたお金なんかはどうでも良いのです。
 ただ、この箱が壊れてしまった事が悲しくて、辛くて。
 ただ、申し訳ないけれど、一人にして下さいと、検分の終えた僕のお部屋に引き篭もりました。
 この箱は、ここへ来た時に初めて戴いた物です。
 とても綺麗な宝の箱でしたのに。
 蓋の部分はひしゃげて、貼ってありました青い紙が剥がれて破れています。
 箱の部分も同じ様に形が変わってしまいました。
 綺麗なお星様が、散ってしまいました。
 泥棒さんから奪い返す時に、そうなってしまいましたと、みくちゃん様が頭を下げられました。
 悪いのは泥棒さんで、みくちゃん様は悪くはありません。
 同じ物を買って下さると、みくちゃん様が仰って下さいましたが、僕はお断りしました。
 だって、それは確かに同じ物かも知れません。
 ですが、あの日戴いた物とは同じでは無いのです。
 あの日、初めて見て感動した綺麗な物とは違うのです。

「…あれ…?」

 何時の間にか眠ってしまっていた様です。
 ですが、僕は何時、どうやってお布団に潜り込んだのでしょう?
 お布団を敷いた覚えもありませんし。
 あ、相楽様かみくちゃん様でしょうか?
 ご心配をお掛けしてしまいました。お二人に謝らなければなりません。
 お部屋の中はすっかり真っ暗です。
 夜も、もう遅いのでしょう。
 旦那様はお戻りになられたのでしょうか?
 相楽様やみくちゃん様はどうされたのでしょうか?
 ともかく、夕餉の支度をしなければなりません。
 お風呂も用意してません。
 ああ、何て情けないのでしょう。
 幾ら悲しかったとは云え、やるべき事をやらずに放り出すだなんて。
 こんな僕では、見限られても文句は言えません。
 慌ててお布団から起き上がり、お部屋の明かりを点けます。
 眠った事で乱れた着物を正して、お部屋の中を見渡して、血の気が引きました。
 あの箱がありません。
 何時、眠ってしまったのかは覚えていませんが、僕は確かにあの箱を胸に抱いていました。
 相楽様か、みくちゃん様かは解りませんが、僕をお布団へと寝かせて下さった時に、箱を移動させたのでしょうか? でしたら、何故、お部屋に無いのでしょうか? お二人は、まだ居て下さるのでしょうか? それならば、茶の間に? 焦る気持ちを押さえて、僕は茶の間へと向かいました。

「ああ、起きたのか。もう、大丈夫なのか?」

 煌々とした灯りの中には、旦那様だけが居ました。
 卓袱台の前に座る旦那様の前に置かれていたのは、あの箱でした。
 そして卓袱台の上には、お空の青い折り紙と、お星様の黄色い折り紙があります。
 鋏と糊も見えます。

「…それ…」

 旦那様の問いに、お答えしなければなりませんのに、僕は、ただ箱だけを見て、それを口にしました。

「…旦那様が直して下ったのですか…?」

「ああ、相楽とみくから話を聞いてな。慌てて材料を買って来た。あ、不格好だって文句は言うなよ? ったく、こんな小さな星、どうやって切ったんだ。ほら、まだ未完成だが、こんな感じで良いか?」

 旦那様が苦笑しながら箱を差し出して来ましたので、僕はお傍へ寄り、座ってその箱を受け取りました。
 箱は少し歪な形になっていましたが、それでも、あの日に戴いたあの箱である事に変わりはありません。
 青い紙も少し歪んでますし、お星様はかなり大きくなっていますが。
 それでも。

「…ありがとうございます…」

 僕はその箱をそっと抱き締めて、旦那様にお礼を申し上げました。

「…この箱は、宝の箱なのです…。こちらに来て、初めて戴いた宝物なのです…」

 とても大切な、宝の箱なのです。
 あの日に戴いた暖かな想いが、この箱には詰まっているのです。

「…そうか…。そんなに大切にして貰えて、鞠子まりこも喜んでいるだろうよ。…ほら、顔を洗って来い。飯はみくが作って行ってくれた」

「はい? ふえ?」

 顔を洗ってとのお言葉に疑問を覚えまして、顔を上げましたら鼻を摘ままれました。

「泣き疲れて眠っちまうなんて、まだまだ子供だな?」

 僕の顔を覗き込む様にして、意地悪そうに旦那様が目を細めて笑います。

「ふわあああ!? 僕は泣いて…っ…!!」

「寝言は鏡を見てから言え。飯を用意する間に顔を洗って来い」

 旦那様はそう言うと立ち上がり、僕の頭を軽く撫でてから台所へと行ってしまわれました。
 もう、顔が熱いです。
 泣きながら眠ってしまった恥ずかしさとか、それならば、旦那様が僕をお布団に寝かせて下さったのかとか、子供だと言われてしまった事とか、何よりも、頭を撫でられた事が恥ずかしくて。
 そうなのです。
 先日、洗濯板を壊してしまった時に、初めて旦那様に頭を触られた時から、僕は何処かおかしいのです。
 そして。
 相楽様に『気になる人~』、『触られたい、触りたいと思う~』と、言われた時。
 倫太郎様に触られても良いのか、触りたいのかと、考えていた時。
 頭に浮かんだのは、旦那様の大きな手だったのです。
 僕の鼻を摘まむ時の様に。
 僕の頭を触った時の様に。
 優しく触れて欲しいと思ったのです。
 ですが、これは何故だかとても恥ずかしくて旦那様には言えません。
 本当に、僕はどうしてしまったのでしょうか?
 とにかく、顔が火照って仕方がありません。
 卓袱台の上に箱をそっと置いて、僕は顔を洗う為に茶の間を後にしました。
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