107 / 125
番外編
いつか、また【四】※
しおりを挟む
そして、その時が来た。
予め決められた範囲の索敵をしている中で。
雨が降り頻る林の中で、雨合羽の擦れる音と下草を踏む音。闇の中、カンテラの灯りを頼りに進む中で、それは突然やって来た。
ぞわっと、瑞樹の肌が粟立った。
「天野副隊長!」
瑞樹が覚えのある感覚に声を上げれば、天野の肩にある無線機から星の声が聞こえて来た。
『たける! そっち行ったぞ!!』
星は高梨に指示された通りに、瑞樹と天野の近くに居た様だ。そして、星の声は、珍しくも獲物を、妖を取り逃がした事を指していた。
「橘! どっちだ!? どの方角から来る!?」
「東ですっ! 右!」
天野の声に、瑞樹はその気配のする方向へと灯りを向けた。
瑞樹のこれは、幼い頃の悲劇の名残だ。危険な妖が来れば、身体が竦み、動けなくなる。以前と比べれば、比較にならない程に瑞樹は動けている。そして、それは高梨や天野の言葉があったからだ。
『その感覚は残しておけ』
そう、瑞樹は言われたのだ。
恐怖で竦んで動けなくなるのに?
そう問う瑞樹に、二人は不敵に笑った。
『姿を消す妖にはもってこいの特技だ』
それは、正に目から鱗が落ちる様な物だった。自分の一番の弱点だと思っていたそれを、そんな風に言われるとは思ってもみなかったのだ。
自分の弱さを恐れなくて良い。
それは、特技で、しかも、生存する確率をぐんと上げる物だと言われて、瑞樹は暫し呆然として、そして、涙を流した。何故、泣いてしまったのか。多分、恐らく、そのままで良いのだと。ありのままの自分を受け入れてくれて、それを長所として受け止めてくれたのが、きっと嬉しかったのだと思う。無理に、恐怖を押し込める事は無いのだ。怖い物は怖いと。臆病者が長生きをすると言ったのは、高梨だったか?
ともかく、高梨班に戻ってからは、その長所を伸ばす様にと言われた。そして、それは様々な場面で役に立って来た。
今も、同じ様に。
「せあっ!!」
天野が刀を持つ腕を揮えば『ア"ッ"!』と、何も無い場所から叫び声と、赤暗い液体が飛び散るのが見えた。
「ちっ! まだ姿を消しやがるか!」
痛みで姿を表すかと思えば、妖はまだ姿を消したままで、天野は舌打ちをした。
姿が見えなければ、妖の弱点である眼を貫けない。妖を屠るには、眼を突くのが一番の早道であり、鉄則だ。でなければ、時間さえあれば、奴等は負わされた傷を回復してしまうのだから。
「左後ろ!!」
『たける! もう一匹行ったぞ!』
叫ぶ瑞樹の声に、無線から流れて来た星の元気な声が被った。
「はあっ!?」
これには天野も驚いたらしく、目を剥いて声を上げた。
「え!? あ、上っ!?」
瑞樹も驚きながらも、急速に近付いて来た気配に、相手の位置を叫び、援護しようとカンテラを地面へと投げ、刀を抜いた。雨で柄が滑る。手にぴったりと張り付く白手袋が気持ち悪いが、そんな事は言っていられない。雨で濡れて重い草を踏んで駆け出す。
「せいっ!」
「はあっ!!」
天野の背後へと周り、先程手傷を負わせた妖を瑞樹が斬る。天野は足を開いて腰を落とし、頭上へと刀を真横にして掲げた。
『ア"ア"ア"ア"ア"ッ"!!』
『ガア"ッ"!!』
それぞれに肉を斬る手応えがあり、バッと勢い良く赤黒い血が飛び出て、それぞれの身体を汚すが、強い雨に、それは流れて行った。
「天野副隊長!」
「おおっ!!」
瑞樹が斬り付けた妖が姿を表し、天野がそれの眼を貫く。瑞樹は、後からやって来て、やはり姿を消したままの妖の気配を追う。日中ならば、カンテラを投げなければ、傷痕から流れる血を見る事が出来たかも知れないが、それは地面へと落ち、その周辺だけを照らしていた。また、雨が降ってなければ、血の匂いを追う事も出来たのかも知れない。
『もう一匹!! ん! 二匹!! おいらも、そっち行く!!』
「何だってぇ!? 回し過ぎだ星っ!!」
「ええっ!?」
雨のせいなのかは解らない。
今夜の妖は数が多過ぎる。
それも、姿を消す厄介な輩が。
他の者達は大丈夫なのだろうか? 優士は?
そう気にして、瑞樹は頭を振った。
他の事に気を取られる訳には行かない。
今は、残った一匹と、新たに来る二匹に意識を集中しなければ、待つのは死のみだ。
しかし、その頭を振る僅かな時間さえも、命取りとなる。
「橘!」
直ぐ傍で肌が粟立つ感覚がして、そちらへと意識を向ければ、ドンッと背中を押され、瑞樹は顔から地面へと倒れた。
そして。
「ぐあっ!!」
バキッともゴシャッとも取れる音が辺りに響いた。
聞いた事のある音に、瑞樹は固まってしまった。
幼い夏の日の事が脳裏を過ぎり、濡れて重く垂れ下がった草を、瑞樹はただ掴んだ。縋る様に。
「おああああああっ!!」
天野の苦しそうな声が聞こえるが、瑞樹は顔を上げられない。
動かなければ。
そう思うが、身体が動かない。
身体の上に、重しを乗せられた様な、重い何かが乗っている様な感じがする。
気にするなと。
これは、過去の幻影だと。
あの日の様に、母が瑞樹を庇っている訳では、無い。
だが、身体が動かない。
そうこうしている内に、天野の声は小さくなり、そして、ビチャビチャとした音が耳に響いて来た。それは、雨音なのか? それとも?
『オ"ア"エ"ア"ア"ア"ッ"!!』
「たける! みずき!!」
重い草を踏み付ける音が聞こえ、妖の絶叫が響き渡り、星の声が聞こえた。
しかし。
天野の声は、聞こえる事が無かった。
予め決められた範囲の索敵をしている中で。
雨が降り頻る林の中で、雨合羽の擦れる音と下草を踏む音。闇の中、カンテラの灯りを頼りに進む中で、それは突然やって来た。
ぞわっと、瑞樹の肌が粟立った。
「天野副隊長!」
瑞樹が覚えのある感覚に声を上げれば、天野の肩にある無線機から星の声が聞こえて来た。
『たける! そっち行ったぞ!!』
星は高梨に指示された通りに、瑞樹と天野の近くに居た様だ。そして、星の声は、珍しくも獲物を、妖を取り逃がした事を指していた。
「橘! どっちだ!? どの方角から来る!?」
「東ですっ! 右!」
天野の声に、瑞樹はその気配のする方向へと灯りを向けた。
瑞樹のこれは、幼い頃の悲劇の名残だ。危険な妖が来れば、身体が竦み、動けなくなる。以前と比べれば、比較にならない程に瑞樹は動けている。そして、それは高梨や天野の言葉があったからだ。
『その感覚は残しておけ』
そう、瑞樹は言われたのだ。
恐怖で竦んで動けなくなるのに?
そう問う瑞樹に、二人は不敵に笑った。
『姿を消す妖にはもってこいの特技だ』
それは、正に目から鱗が落ちる様な物だった。自分の一番の弱点だと思っていたそれを、そんな風に言われるとは思ってもみなかったのだ。
自分の弱さを恐れなくて良い。
それは、特技で、しかも、生存する確率をぐんと上げる物だと言われて、瑞樹は暫し呆然として、そして、涙を流した。何故、泣いてしまったのか。多分、恐らく、そのままで良いのだと。ありのままの自分を受け入れてくれて、それを長所として受け止めてくれたのが、きっと嬉しかったのだと思う。無理に、恐怖を押し込める事は無いのだ。怖い物は怖いと。臆病者が長生きをすると言ったのは、高梨だったか?
ともかく、高梨班に戻ってからは、その長所を伸ばす様にと言われた。そして、それは様々な場面で役に立って来た。
今も、同じ様に。
「せあっ!!」
天野が刀を持つ腕を揮えば『ア"ッ"!』と、何も無い場所から叫び声と、赤暗い液体が飛び散るのが見えた。
「ちっ! まだ姿を消しやがるか!」
痛みで姿を表すかと思えば、妖はまだ姿を消したままで、天野は舌打ちをした。
姿が見えなければ、妖の弱点である眼を貫けない。妖を屠るには、眼を突くのが一番の早道であり、鉄則だ。でなければ、時間さえあれば、奴等は負わされた傷を回復してしまうのだから。
「左後ろ!!」
『たける! もう一匹行ったぞ!』
叫ぶ瑞樹の声に、無線から流れて来た星の元気な声が被った。
「はあっ!?」
これには天野も驚いたらしく、目を剥いて声を上げた。
「え!? あ、上っ!?」
瑞樹も驚きながらも、急速に近付いて来た気配に、相手の位置を叫び、援護しようとカンテラを地面へと投げ、刀を抜いた。雨で柄が滑る。手にぴったりと張り付く白手袋が気持ち悪いが、そんな事は言っていられない。雨で濡れて重い草を踏んで駆け出す。
「せいっ!」
「はあっ!!」
天野の背後へと周り、先程手傷を負わせた妖を瑞樹が斬る。天野は足を開いて腰を落とし、頭上へと刀を真横にして掲げた。
『ア"ア"ア"ア"ア"ッ"!!』
『ガア"ッ"!!』
それぞれに肉を斬る手応えがあり、バッと勢い良く赤黒い血が飛び出て、それぞれの身体を汚すが、強い雨に、それは流れて行った。
「天野副隊長!」
「おおっ!!」
瑞樹が斬り付けた妖が姿を表し、天野がそれの眼を貫く。瑞樹は、後からやって来て、やはり姿を消したままの妖の気配を追う。日中ならば、カンテラを投げなければ、傷痕から流れる血を見る事が出来たかも知れないが、それは地面へと落ち、その周辺だけを照らしていた。また、雨が降ってなければ、血の匂いを追う事も出来たのかも知れない。
『もう一匹!! ん! 二匹!! おいらも、そっち行く!!』
「何だってぇ!? 回し過ぎだ星っ!!」
「ええっ!?」
雨のせいなのかは解らない。
今夜の妖は数が多過ぎる。
それも、姿を消す厄介な輩が。
他の者達は大丈夫なのだろうか? 優士は?
そう気にして、瑞樹は頭を振った。
他の事に気を取られる訳には行かない。
今は、残った一匹と、新たに来る二匹に意識を集中しなければ、待つのは死のみだ。
しかし、その頭を振る僅かな時間さえも、命取りとなる。
「橘!」
直ぐ傍で肌が粟立つ感覚がして、そちらへと意識を向ければ、ドンッと背中を押され、瑞樹は顔から地面へと倒れた。
そして。
「ぐあっ!!」
バキッともゴシャッとも取れる音が辺りに響いた。
聞いた事のある音に、瑞樹は固まってしまった。
幼い夏の日の事が脳裏を過ぎり、濡れて重く垂れ下がった草を、瑞樹はただ掴んだ。縋る様に。
「おああああああっ!!」
天野の苦しそうな声が聞こえるが、瑞樹は顔を上げられない。
動かなければ。
そう思うが、身体が動かない。
身体の上に、重しを乗せられた様な、重い何かが乗っている様な感じがする。
気にするなと。
これは、過去の幻影だと。
あの日の様に、母が瑞樹を庇っている訳では、無い。
だが、身体が動かない。
そうこうしている内に、天野の声は小さくなり、そして、ビチャビチャとした音が耳に響いて来た。それは、雨音なのか? それとも?
『オ"ア"エ"ア"ア"ア"ッ"!!』
「たける! みずき!!」
重い草を踏み付ける音が聞こえ、妖の絶叫が響き渡り、星の声が聞こえた。
しかし。
天野の声は、聞こえる事が無かった。
0
お気に入りに追加
43
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜
長月京子
恋愛
学院には立ち入りを禁じられた場所があり、鬼が棲んでいるという噂がある。
朱里(あかり)はクラスメートと共に、禁じられた場所へ向かった。
禁じられた場所へ向かう途中、朱里は端正な容姿の男と出会う。
――君が望むのなら、私は全身全霊をかけて護る。
不思議な言葉を残して立ち去った男。
その日を境に、朱里の周りで、説明のつかない不思議な出来事が起こり始める。
※本文中のルビは読み方ではなく、意味合いの場合があります。
若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!
古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。
そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は?
*カクヨム様で先行掲載しております
黒の執愛~黒い弁護士に気を付けろ~
ひなた翠
BL
小野寺真弥31歳。
転職して三か月。恋人と同じ職場で中途採用の新人枠で働くことに……。
朝から晩まで必死に働く自分と、真逆に事務所のトップ2として悠々自適に仕事をこなす恋人の小林豊28歳。
生活のリズムも合わず……年下ワンコ攻め小林に毎晩のように求められてーー。
どうしたらいいのかと迷走する真弥をよそに、熱すぎる想いをぶつけてくる小林を拒めなくて……。
忙しい大人の甘いオフィスラブ。
フジョッシーさんの、オフィスラブのコンテスト参加作品です。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる