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番外編
いつか、また【四】※
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そして、その時が来た。
予め決められた範囲の索敵をしている中で。
雨が降り頻る林の中で、雨合羽の擦れる音と下草を踏む音。闇の中、カンテラの灯りを頼りに進む中で、それは突然やって来た。
ぞわっと、瑞樹の肌が粟立った。
「天野副隊長!」
瑞樹が覚えのある感覚に声を上げれば、天野の肩にある無線機から星の声が聞こえて来た。
『たける! そっち行ったぞ!!』
星は高梨に指示された通りに、瑞樹と天野の近くに居た様だ。そして、星の声は、珍しくも獲物を、妖を取り逃がした事を指していた。
「橘! どっちだ!? どの方角から来る!?」
「東ですっ! 右!」
天野の声に、瑞樹はその気配のする方向へと灯りを向けた。
瑞樹のこれは、幼い頃の悲劇の名残だ。危険な妖が来れば、身体が竦み、動けなくなる。以前と比べれば、比較にならない程に瑞樹は動けている。そして、それは高梨や天野の言葉があったからだ。
『その感覚は残しておけ』
そう、瑞樹は言われたのだ。
恐怖で竦んで動けなくなるのに?
そう問う瑞樹に、二人は不敵に笑った。
『姿を消す妖にはもってこいの特技だ』
それは、正に目から鱗が落ちる様な物だった。自分の一番の弱点だと思っていたそれを、そんな風に言われるとは思ってもみなかったのだ。
自分の弱さを恐れなくて良い。
それは、特技で、しかも、生存する確率をぐんと上げる物だと言われて、瑞樹は暫し呆然として、そして、涙を流した。何故、泣いてしまったのか。多分、恐らく、そのままで良いのだと。ありのままの自分を受け入れてくれて、それを長所として受け止めてくれたのが、きっと嬉しかったのだと思う。無理に、恐怖を押し込める事は無いのだ。怖い物は怖いと。臆病者が長生きをすると言ったのは、高梨だったか?
ともかく、高梨班に戻ってからは、その長所を伸ばす様にと言われた。そして、それは様々な場面で役に立って来た。
今も、同じ様に。
「せあっ!!」
天野が刀を持つ腕を揮えば『ア"ッ"!』と、何も無い場所から叫び声と、赤暗い液体が飛び散るのが見えた。
「ちっ! まだ姿を消しやがるか!」
痛みで姿を表すかと思えば、妖はまだ姿を消したままで、天野は舌打ちをした。
姿が見えなければ、妖の弱点である眼を貫けない。妖を屠るには、眼を突くのが一番の早道であり、鉄則だ。でなければ、時間さえあれば、奴等は負わされた傷を回復してしまうのだから。
「左後ろ!!」
『たける! もう一匹行ったぞ!』
叫ぶ瑞樹の声に、無線から流れて来た星の元気な声が被った。
「はあっ!?」
これには天野も驚いたらしく、目を剥いて声を上げた。
「え!? あ、上っ!?」
瑞樹も驚きながらも、急速に近付いて来た気配に、相手の位置を叫び、援護しようとカンテラを地面へと投げ、刀を抜いた。雨で柄が滑る。手にぴったりと張り付く白手袋が気持ち悪いが、そんな事は言っていられない。雨で濡れて重い草を踏んで駆け出す。
「せいっ!」
「はあっ!!」
天野の背後へと周り、先程手傷を負わせた妖を瑞樹が斬る。天野は足を開いて腰を落とし、頭上へと刀を真横にして掲げた。
『ア"ア"ア"ア"ア"ッ"!!』
『ガア"ッ"!!』
それぞれに肉を斬る手応えがあり、バッと勢い良く赤黒い血が飛び出て、それぞれの身体を汚すが、強い雨に、それは流れて行った。
「天野副隊長!」
「おおっ!!」
瑞樹が斬り付けた妖が姿を表し、天野がそれの眼を貫く。瑞樹は、後からやって来て、やはり姿を消したままの妖の気配を追う。日中ならば、カンテラを投げなければ、傷痕から流れる血を見る事が出来たかも知れないが、それは地面へと落ち、その周辺だけを照らしていた。また、雨が降ってなければ、血の匂いを追う事も出来たのかも知れない。
『もう一匹!! ん! 二匹!! おいらも、そっち行く!!』
「何だってぇ!? 回し過ぎだ星っ!!」
「ええっ!?」
雨のせいなのかは解らない。
今夜の妖は数が多過ぎる。
それも、姿を消す厄介な輩が。
他の者達は大丈夫なのだろうか? 優士は?
そう気にして、瑞樹は頭を振った。
他の事に気を取られる訳には行かない。
今は、残った一匹と、新たに来る二匹に意識を集中しなければ、待つのは死のみだ。
しかし、その頭を振る僅かな時間さえも、命取りとなる。
「橘!」
直ぐ傍で肌が粟立つ感覚がして、そちらへと意識を向ければ、ドンッと背中を押され、瑞樹は顔から地面へと倒れた。
そして。
「ぐあっ!!」
バキッともゴシャッとも取れる音が辺りに響いた。
聞いた事のある音に、瑞樹は固まってしまった。
幼い夏の日の事が脳裏を過ぎり、濡れて重く垂れ下がった草を、瑞樹はただ掴んだ。縋る様に。
「おああああああっ!!」
天野の苦しそうな声が聞こえるが、瑞樹は顔を上げられない。
動かなければ。
そう思うが、身体が動かない。
身体の上に、重しを乗せられた様な、重い何かが乗っている様な感じがする。
気にするなと。
これは、過去の幻影だと。
あの日の様に、母が瑞樹を庇っている訳では、無い。
だが、身体が動かない。
そうこうしている内に、天野の声は小さくなり、そして、ビチャビチャとした音が耳に響いて来た。それは、雨音なのか? それとも?
『オ"ア"エ"ア"ア"ア"ッ"!!』
「たける! みずき!!」
重い草を踏み付ける音が聞こえ、妖の絶叫が響き渡り、星の声が聞こえた。
しかし。
天野の声は、聞こえる事が無かった。
予め決められた範囲の索敵をしている中で。
雨が降り頻る林の中で、雨合羽の擦れる音と下草を踏む音。闇の中、カンテラの灯りを頼りに進む中で、それは突然やって来た。
ぞわっと、瑞樹の肌が粟立った。
「天野副隊長!」
瑞樹が覚えのある感覚に声を上げれば、天野の肩にある無線機から星の声が聞こえて来た。
『たける! そっち行ったぞ!!』
星は高梨に指示された通りに、瑞樹と天野の近くに居た様だ。そして、星の声は、珍しくも獲物を、妖を取り逃がした事を指していた。
「橘! どっちだ!? どの方角から来る!?」
「東ですっ! 右!」
天野の声に、瑞樹はその気配のする方向へと灯りを向けた。
瑞樹のこれは、幼い頃の悲劇の名残だ。危険な妖が来れば、身体が竦み、動けなくなる。以前と比べれば、比較にならない程に瑞樹は動けている。そして、それは高梨や天野の言葉があったからだ。
『その感覚は残しておけ』
そう、瑞樹は言われたのだ。
恐怖で竦んで動けなくなるのに?
そう問う瑞樹に、二人は不敵に笑った。
『姿を消す妖にはもってこいの特技だ』
それは、正に目から鱗が落ちる様な物だった。自分の一番の弱点だと思っていたそれを、そんな風に言われるとは思ってもみなかったのだ。
自分の弱さを恐れなくて良い。
それは、特技で、しかも、生存する確率をぐんと上げる物だと言われて、瑞樹は暫し呆然として、そして、涙を流した。何故、泣いてしまったのか。多分、恐らく、そのままで良いのだと。ありのままの自分を受け入れてくれて、それを長所として受け止めてくれたのが、きっと嬉しかったのだと思う。無理に、恐怖を押し込める事は無いのだ。怖い物は怖いと。臆病者が長生きをすると言ったのは、高梨だったか?
ともかく、高梨班に戻ってからは、その長所を伸ばす様にと言われた。そして、それは様々な場面で役に立って来た。
今も、同じ様に。
「せあっ!!」
天野が刀を持つ腕を揮えば『ア"ッ"!』と、何も無い場所から叫び声と、赤暗い液体が飛び散るのが見えた。
「ちっ! まだ姿を消しやがるか!」
痛みで姿を表すかと思えば、妖はまだ姿を消したままで、天野は舌打ちをした。
姿が見えなければ、妖の弱点である眼を貫けない。妖を屠るには、眼を突くのが一番の早道であり、鉄則だ。でなければ、時間さえあれば、奴等は負わされた傷を回復してしまうのだから。
「左後ろ!!」
『たける! もう一匹行ったぞ!』
叫ぶ瑞樹の声に、無線から流れて来た星の元気な声が被った。
「はあっ!?」
これには天野も驚いたらしく、目を剥いて声を上げた。
「え!? あ、上っ!?」
瑞樹も驚きながらも、急速に近付いて来た気配に、相手の位置を叫び、援護しようとカンテラを地面へと投げ、刀を抜いた。雨で柄が滑る。手にぴったりと張り付く白手袋が気持ち悪いが、そんな事は言っていられない。雨で濡れて重い草を踏んで駆け出す。
「せいっ!」
「はあっ!!」
天野の背後へと周り、先程手傷を負わせた妖を瑞樹が斬る。天野は足を開いて腰を落とし、頭上へと刀を真横にして掲げた。
『ア"ア"ア"ア"ア"ッ"!!』
『ガア"ッ"!!』
それぞれに肉を斬る手応えがあり、バッと勢い良く赤黒い血が飛び出て、それぞれの身体を汚すが、強い雨に、それは流れて行った。
「天野副隊長!」
「おおっ!!」
瑞樹が斬り付けた妖が姿を表し、天野がそれの眼を貫く。瑞樹は、後からやって来て、やはり姿を消したままの妖の気配を追う。日中ならば、カンテラを投げなければ、傷痕から流れる血を見る事が出来たかも知れないが、それは地面へと落ち、その周辺だけを照らしていた。また、雨が降ってなければ、血の匂いを追う事も出来たのかも知れない。
『もう一匹!! ん! 二匹!! おいらも、そっち行く!!』
「何だってぇ!? 回し過ぎだ星っ!!」
「ええっ!?」
雨のせいなのかは解らない。
今夜の妖は数が多過ぎる。
それも、姿を消す厄介な輩が。
他の者達は大丈夫なのだろうか? 優士は?
そう気にして、瑞樹は頭を振った。
他の事に気を取られる訳には行かない。
今は、残った一匹と、新たに来る二匹に意識を集中しなければ、待つのは死のみだ。
しかし、その頭を振る僅かな時間さえも、命取りとなる。
「橘!」
直ぐ傍で肌が粟立つ感覚がして、そちらへと意識を向ければ、ドンッと背中を押され、瑞樹は顔から地面へと倒れた。
そして。
「ぐあっ!!」
バキッともゴシャッとも取れる音が辺りに響いた。
聞いた事のある音に、瑞樹は固まってしまった。
幼い夏の日の事が脳裏を過ぎり、濡れて重く垂れ下がった草を、瑞樹はただ掴んだ。縋る様に。
「おああああああっ!!」
天野の苦しそうな声が聞こえるが、瑞樹は顔を上げられない。
動かなければ。
そう思うが、身体が動かない。
身体の上に、重しを乗せられた様な、重い何かが乗っている様な感じがする。
気にするなと。
これは、過去の幻影だと。
あの日の様に、母が瑞樹を庇っている訳では、無い。
だが、身体が動かない。
そうこうしている内に、天野の声は小さくなり、そして、ビチャビチャとした音が耳に響いて来た。それは、雨音なのか? それとも?
『オ"ア"エ"ア"ア"ア"ッ"!!』
「たける! みずき!!」
重い草を踏み付ける音が聞こえ、妖の絶叫が響き渡り、星の声が聞こえた。
しかし。
天野の声は、聞こえる事が無かった。
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