103 / 125
番外編・祭
特別任務【完】
しおりを挟む
「…泣くな…」
優士は頬にぽたりと落ちて来た雫を追い、首に回していた腕を動かして、瑞樹の濡れた頬を拭う。
「…だ…、俺…っ…情けな…っ…!」
一人では嫌だと優士は言った。
瑞樹も、優士と共に。と、そう思った。
が。
「…別に…早くはないと思うが…」
「うっ…!」
そう。
優士と共に高みへと上り詰める筈だったのだが、瑞樹のそれは、今、力無く項垂れていた。
「…ほぼほぼ…初めての様な物だし…うっ!?」
頬に流れる涙を拭う手とは違う手を背中に回して、慰める様にゆっくりと撫でれば、優士の脇に置かれていた瑞樹の腕から力が抜けて、その身体の重みが伸し掛かって来た。
「…焦る物でも無いし…慣れて行けば…きっと」
「…うう…」
塩の抜けきった声で囁き、背中を撫でれば瑞樹は泣きながらも、優士の胸の上で頷いた。
「…それに…僕はそのままの瑞樹が良い…」
(可愛いって、それはお前だろう…)
背中を撫でる手とは別の手で、柔らかな黒髪を梳けば、ぴょこんと跳ねているそれに指があたった。
(この寝癖だって、ずっと直さないでいて欲しい)
これを注意して直すのは自分だけで居たい。
他の誰にも、それを渡したくはない。
変わらずにだなんて、無理な話かも知れない。
これから先も色々な事があるだろう。
それによって変わって行くもの、変わらずにいるもの。
それでも、自分は変わらずに瑞樹の傍にいるだろう。
どれだけ仲の良い家族でも、兄弟姉妹でも、離れて行くものはある。
生まれた時から傍に居て、今もこうして傍に居られるのは、どれ程の奇跡なのだろう?
瑞樹が虚ろだった時に、友人に言われた言葉を切っ掛けに、現へと戻って来た。
それが優士がそう言われるのが嫌だったと聞かされた時、どれだけ舞い上がった事か、きっと瑞樹は知らない。
知らなくて良い。
流石に恥ずかし過ぎる。
「…ずっと…一緒に居よう…死ぬまで…。好きだ」
「…死んでも、だ。…俺も…好きだぞ…」
ぴょんと飛び跳ねた寝癖を弄りながら、優士が甘い金平糖を投げ付ければ、瑞樹は腕に力を入れて身体を起こして、眉を下げて続ける。
「…死んでもなんて…嫌か…?」
そんな事を思うくらいなら、多分、虚ろだった頃に離れていただろう。
「そう簡単に死ぬつもりは無いが、言った言葉、後悔するなよ?」
「うっ…! …するかも知れないけど…今はしたくない…」
益々眉を下げる瑞樹に、優士は軽く噴き出してしまう。
本当に、良くもまあ、人の事を可愛いと言えた物だと思いながら、優士は髪や背中を撫でていた手に力を入れて、瑞樹の身体を引き寄せる。
「…そうだな、今は野暮と云う物だ…」
それは、どちらが先に逝く事になっても、互いを縛る言葉だ。
後悔する時が来るかも知れない。
言わなければ良かったと。
自由にしてあげれば良かったと。
そう思う時が来るだろう、何れは。
けれど。
今は。
今は、何時か来るかも知れない先の事に憂いていても意味が無い。
ただ、手にした幸せを。
ただ、手にした満ち足りた想いを。
それを噛み締める事にしよう。
近付いて来る熱い吐息に、優士は静かに目を伏せた。
◇
「…成程…やはり管理する者が居ないと厳しいですか」
休暇を終えて、皆に書かせた報告書を纏めた高梨は、それを五十嵐へと渡していた。
「はい。粗方討伐はしたと思いますが、奴らは次から次へと湧いて来ます。一般へと開放するのなら、常駐する者が必要です。常の訓練も必要ですから、別に家事等をする者も必要だと思われます」
「うん、まあ予想通りです。ご苦労様でした。…これなら、先輩の計画通りに進めても問題ないかな。外にある厠への安全な動線と…」
報告書を見ながら、顎に指をあてて呟く様に言った五十嵐の言葉に、高梨は軽く眉を顰めた。
「…先輩…?」
五十嵐が親しみを籠めて『先輩』と呼ぶ人物を高梨は一人だけ知っている。と云うか、その人物しか知らない。更に、何やら『その人物の計画』とか言葉が続かなかったか? その人物は親馬鹿であるし、祭り事も好きであるから、特に同行する事に疑問も持たなかったし、そもそも『家族の同伴』と言い出したのは五十嵐だ。
「あっ…!!」
高梨から放たれる剣呑な気配に、五十嵐は肩を跳ね上げ『しまった』と云う表情をした。
「ああ、いや、ほら、うん。先輩のね、里に居る妖から人になった者達をね、外の色々な人に慣れさせようってね、いきなり人の多い処に連れて行っても、帰って来たりする者も居てね、で、保養所の管理はその者達にさせて、人に慣れさせようって…慣れて来たら村にして、ゆくゆくは近くにある町と合併して街へと…」
机の上に報告書を置き、胸のポケットからハンカチーフを取り出し汗を拭う五十嵐に、高梨はスッと目を細めた。
「…つまりは、私達はあの親父の掌で転がされていたと言う訳ですね?」
道理で、五十嵐があれ程に食い下がって来た筈だと、高梨は納得した。
自分達であれば、手間は無いと杜川が吹き込んだのだろう。可愛い息子も居るし。
「あ、いや…転がすだなんて、人聞きが悪いですよ…」
「…大事には至りませんでしたから、とやかく言うつもりはありませんが、今後はこの様な事が無い様に願います。では」
(…五十嵐司令を責めても仕方が無い。あの親父を締め上げれば良いだけだ。幸いと云うか、星達と年越しをすると言っていたからな)
本当に、掌で転がされていたと云う事実に、高梨はむすりとしたままで己の隊の部屋の扉を開けて、奥にある隊長室へと進んで行った。
「あ、高梨隊長。お聞きしたいのですが、隊長はこちらを使用されましたか?」
高梨が来るのを待っていたのだろう。隊長室の扉を開けたら、机の前に優士が一人で立って居た。
「…何…?」
優士が手に持つ薄い四角い物は、数日前に津山から渡された物と同じ物だ。
「先日の機会に使うのを忘れていまして。せっかくですから、使用感をお聞きしたいのですが」
首に巻いた白い襟巻きを弄りながら、そう問い掛ける優士の姿には甘さの欠片も無い。何時も通りの塩だ。
高梨はこめかみに青い筋を立てて叫んだ。
「出て行け――――――――っ!!」
その声は隊長室を抜け、部屋を抜け、廊下を抜け窓を抜け、冬の青い空へと吸い込まれて行った。
優士は頬にぽたりと落ちて来た雫を追い、首に回していた腕を動かして、瑞樹の濡れた頬を拭う。
「…だ…、俺…っ…情けな…っ…!」
一人では嫌だと優士は言った。
瑞樹も、優士と共に。と、そう思った。
が。
「…別に…早くはないと思うが…」
「うっ…!」
そう。
優士と共に高みへと上り詰める筈だったのだが、瑞樹のそれは、今、力無く項垂れていた。
「…ほぼほぼ…初めての様な物だし…うっ!?」
頬に流れる涙を拭う手とは違う手を背中に回して、慰める様にゆっくりと撫でれば、優士の脇に置かれていた瑞樹の腕から力が抜けて、その身体の重みが伸し掛かって来た。
「…焦る物でも無いし…慣れて行けば…きっと」
「…うう…」
塩の抜けきった声で囁き、背中を撫でれば瑞樹は泣きながらも、優士の胸の上で頷いた。
「…それに…僕はそのままの瑞樹が良い…」
(可愛いって、それはお前だろう…)
背中を撫でる手とは別の手で、柔らかな黒髪を梳けば、ぴょこんと跳ねているそれに指があたった。
(この寝癖だって、ずっと直さないでいて欲しい)
これを注意して直すのは自分だけで居たい。
他の誰にも、それを渡したくはない。
変わらずにだなんて、無理な話かも知れない。
これから先も色々な事があるだろう。
それによって変わって行くもの、変わらずにいるもの。
それでも、自分は変わらずに瑞樹の傍にいるだろう。
どれだけ仲の良い家族でも、兄弟姉妹でも、離れて行くものはある。
生まれた時から傍に居て、今もこうして傍に居られるのは、どれ程の奇跡なのだろう?
瑞樹が虚ろだった時に、友人に言われた言葉を切っ掛けに、現へと戻って来た。
それが優士がそう言われるのが嫌だったと聞かされた時、どれだけ舞い上がった事か、きっと瑞樹は知らない。
知らなくて良い。
流石に恥ずかし過ぎる。
「…ずっと…一緒に居よう…死ぬまで…。好きだ」
「…死んでも、だ。…俺も…好きだぞ…」
ぴょんと飛び跳ねた寝癖を弄りながら、優士が甘い金平糖を投げ付ければ、瑞樹は腕に力を入れて身体を起こして、眉を下げて続ける。
「…死んでもなんて…嫌か…?」
そんな事を思うくらいなら、多分、虚ろだった頃に離れていただろう。
「そう簡単に死ぬつもりは無いが、言った言葉、後悔するなよ?」
「うっ…! …するかも知れないけど…今はしたくない…」
益々眉を下げる瑞樹に、優士は軽く噴き出してしまう。
本当に、良くもまあ、人の事を可愛いと言えた物だと思いながら、優士は髪や背中を撫でていた手に力を入れて、瑞樹の身体を引き寄せる。
「…そうだな、今は野暮と云う物だ…」
それは、どちらが先に逝く事になっても、互いを縛る言葉だ。
後悔する時が来るかも知れない。
言わなければ良かったと。
自由にしてあげれば良かったと。
そう思う時が来るだろう、何れは。
けれど。
今は。
今は、何時か来るかも知れない先の事に憂いていても意味が無い。
ただ、手にした幸せを。
ただ、手にした満ち足りた想いを。
それを噛み締める事にしよう。
近付いて来る熱い吐息に、優士は静かに目を伏せた。
◇
「…成程…やはり管理する者が居ないと厳しいですか」
休暇を終えて、皆に書かせた報告書を纏めた高梨は、それを五十嵐へと渡していた。
「はい。粗方討伐はしたと思いますが、奴らは次から次へと湧いて来ます。一般へと開放するのなら、常駐する者が必要です。常の訓練も必要ですから、別に家事等をする者も必要だと思われます」
「うん、まあ予想通りです。ご苦労様でした。…これなら、先輩の計画通りに進めても問題ないかな。外にある厠への安全な動線と…」
報告書を見ながら、顎に指をあてて呟く様に言った五十嵐の言葉に、高梨は軽く眉を顰めた。
「…先輩…?」
五十嵐が親しみを籠めて『先輩』と呼ぶ人物を高梨は一人だけ知っている。と云うか、その人物しか知らない。更に、何やら『その人物の計画』とか言葉が続かなかったか? その人物は親馬鹿であるし、祭り事も好きであるから、特に同行する事に疑問も持たなかったし、そもそも『家族の同伴』と言い出したのは五十嵐だ。
「あっ…!!」
高梨から放たれる剣呑な気配に、五十嵐は肩を跳ね上げ『しまった』と云う表情をした。
「ああ、いや、ほら、うん。先輩のね、里に居る妖から人になった者達をね、外の色々な人に慣れさせようってね、いきなり人の多い処に連れて行っても、帰って来たりする者も居てね、で、保養所の管理はその者達にさせて、人に慣れさせようって…慣れて来たら村にして、ゆくゆくは近くにある町と合併して街へと…」
机の上に報告書を置き、胸のポケットからハンカチーフを取り出し汗を拭う五十嵐に、高梨はスッと目を細めた。
「…つまりは、私達はあの親父の掌で転がされていたと言う訳ですね?」
道理で、五十嵐があれ程に食い下がって来た筈だと、高梨は納得した。
自分達であれば、手間は無いと杜川が吹き込んだのだろう。可愛い息子も居るし。
「あ、いや…転がすだなんて、人聞きが悪いですよ…」
「…大事には至りませんでしたから、とやかく言うつもりはありませんが、今後はこの様な事が無い様に願います。では」
(…五十嵐司令を責めても仕方が無い。あの親父を締め上げれば良いだけだ。幸いと云うか、星達と年越しをすると言っていたからな)
本当に、掌で転がされていたと云う事実に、高梨はむすりとしたままで己の隊の部屋の扉を開けて、奥にある隊長室へと進んで行った。
「あ、高梨隊長。お聞きしたいのですが、隊長はこちらを使用されましたか?」
高梨が来るのを待っていたのだろう。隊長室の扉を開けたら、机の前に優士が一人で立って居た。
「…何…?」
優士が手に持つ薄い四角い物は、数日前に津山から渡された物と同じ物だ。
「先日の機会に使うのを忘れていまして。せっかくですから、使用感をお聞きしたいのですが」
首に巻いた白い襟巻きを弄りながら、そう問い掛ける優士の姿には甘さの欠片も無い。何時も通りの塩だ。
高梨はこめかみに青い筋を立てて叫んだ。
「出て行け――――――――っ!!」
その声は隊長室を抜け、部屋を抜け、廊下を抜け窓を抜け、冬の青い空へと吸い込まれて行った。
0
お気に入りに追加
43
あなたにおすすめの小説
王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜
・不定期
日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが
五右衛門
BL
月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。
しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる