寝癖と塩と金平糖

三冬月マヨ

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番外編・祭

特別任務【十二】

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 パチッと、篝火の薪が爆ぜる。僅かに吹く風が、ゆらゆらと、橙色の灯火を揺らし、それが雪緒ゆきおの目の端に映り込んでいる。
 湯の中にある指を動かせば、ちゃぷりと音を立てて、小さな波紋が広がって行った。

「…髪…を…洗って戴く事を…すっかりと失念していました…」

 やがて、沈黙に耐え切れなくなったのか、雪緒が白い息と共にぽつりと零した。
 本来であれば、これだけ周りに人が居る状況で、雪緒がそれを口にする事は無いだろう。だが、高梨に髪を洗って貰うのが夢の一つである雪緒に取って、それはとても重要な事なのだ。
 何故、忘れていたのだろうと、雪緒は自分を責める。自分の不甲斐なさをただ、ひたすらに。共に入浴した機会は幾度もあったのに。と。
 何故も何も。
 雪緒が自身の事を責めるのは間違いなのであるが。
 そもそもの原因は高梨なのだから。
 例えば。
 かつて世話になったたえに会いに行き、その流れで温泉宿へと泊まった事があった。
 雪に染まる露天風呂に目を輝かせる雪緒の肩を抱きながら、高梨が『共に入ろう』と耳元で息を吹き掛ける様に囁けば、雪緒は『ひゃいっ!!』とガチガチに緊張で固くなり、とてもではないが『髪を洗って欲しい』等と云うおねだりは出来なくなってしまったのだ。それからも、そう云う機会はあったのだが、気が付けばそれを口にする前よりも早くに、雪緒は高梨に理性を飛ばされてしまっていた。よって、総ては高梨が悪いのだが。そうはならないのが、雪緒が雪緒たる所以なのだろう。

「そっか、残念だったな。んじゃ、おいらが洗ってやるからな!」

 何でそうなるっ!!

 と、暢気なせいの声に雪緒以外の誰もが心の中で突っ込んだ。
 しかし、雪緒はそうでは無い。
 悪いのは自分なのだと。
 このままでは高梨が悪く言われてしまうのではないかと、湯の中で手を握り締めて、顔を更に赤らめて口を開く。

「あ、ですが、その…身体は洗って戴きまして…その…」

 雪緒の言葉を遮る様に、男湯の方からバシャバシャとした音が鳴り響いて来る。それに、みくが軽く舌打ちをしてから、壁の向こうへと声を掛けた。

「全く、男共は風情ってモンが無いねえ! せっかく雪緒君が可愛い話をしてくれてるのにさッ!」

 どの口がそれを言うのか。
 と、みくに突っ込む者はここには居ない。

「悪い、みくちゃんっ!!」

「こっちは気にしねえで続けてくれっ!!」

 バシャバシャとした音に混じって、長渕やら横山やらの申し訳無さそうな、それでいて何処か切羽詰まった様な声が聞こえて来た。
 それもそうだろう。彼等は暴れる高梨を必死で押さえ付けているのだから。
 高梨はとにかく後悔していた。
 雪緒の肌を、この荒くれ共に見せたくなくて、何かを言いたそうな雪緒を混浴の方へとやったのだ。己も共に入れば、からかわれるだろうと。そうなったら雪緒が困るだろうと、高梨は男湯へと来た。しかし、それは見事に裏目に出たらしい。どう考えても雪緒が暴走する未来しか見えなくなっている。傍に居れば、その口を塞ぐ事が出来るのに、と、塞がれた己の口を呪いながら高梨は唸っていた。

「おー、そっかそっか。じゃ、背中も洗ってやるからな!」

 違う、そうじゃない。

「あの…ゆかりおじさまは、どの様にして雪兄様のお身体を…? ボクも…同じ様に星兄様の身体を洗いたいです。ですので…教えて欲しいです」

(よっしゃ、良く言った!!)

 場の空気を読まない星に代わり、月兎つきとが甘えた様な声を出し、僅かに顔を俯かせて上目遣いで雪緒を覗き見た。その聞こえて来た甘える様な声に、男湯では若干名を除いて、皆、心の中でそう叫び、ガッツポーズを取っていた。
 あの朴念仁の高梨の。
 あの真面目で大人しい雪緒の。
 そんな二人の、またとない色のありそうな話である。
 何時も二人には砂を吐かされているのだ。
 そんな二人の欲に纏わる話である。
 これを聞かずして死ねようか。
 そんな気迫が場には満ち満ちていた。

「えと…それは…その…とても優しく…包み込む様に丁寧に…」

 真っ直ぐに何の邪気も無い目を月兎から向けられた雪緒は、月兎の為になるのならと照れながらぽつりぽつりと言葉を紡いで行く。
 しかし、雪緒は知らない。無邪気そうに見える月兎の内面が真っ黒な事等。また、壁の向こう側では、べとりとおっさん達がそこに張り付いている事等。その反対の女湯の方では、瑠璃子るりこが亜矢を連れてそそくさと浴場を後にした事等。
 
 顔どころか全身を赤く染め上げて、俯きながらぽつりぽつりと言葉を紡ぐ雪緒を見ながら瑞樹みずきは思った。
 自分も優士ゆうじと二人で風呂に入りたいな、と。
 そして、雪緒が語る様に、優士を思い切り優しく丁寧に甘やかしてやりたいと。
 しかし、そうするには宿舎の風呂場は狭過ぎる。
 そこは独身者向けの物なのだから、それは仕方が無いのだが。

(あ、そうか。何時か優士が言ってた…。家を借りて二人で住めば良いんだ…)

 我ながら名案だと頬を緩ませる瑞樹の隣では、優士も塩のままの表情で同じ事を考えていた。
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