寝癖と塩と金平糖

三冬月マヨ

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僕から君へ

贈り物【三】※

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「帰るぞっ!!」

「ふえっ!?」

 顔を赤くした高梨が、雪緒ゆきおの手を引いて病室から出て行ってから数刻の後。

「あ~。絶好の洗濯日和だったわ~。…あら、どうしたの、二人共? 初めてのお見合いみたいにカチカチになって?」

 と、朝から宿舎にて洗濯をしていた穂澄ほずみがやって来て、目を瞬かせていた。

 ◇

「………………………おむつ…………。…あ…だ、誰か知り合いに赤ちゃんが…?」

 余り聞き慣れない単語に、思わず過去に意識を飛ばした瑞樹みずきだったが、何とかその可能性に思い至った。

「ああ、違いますよ。大人用の紙おむつが新しく発売されたと聞きまして。それを購入しに来たのです。ゆかり様が尿瓶を嫌がりますので」

 しかし雪緒は軽く首を傾げた後に、笑顔でそれを否定した。

 待って、と。
 お願いだから、ちょっと待って欲しいと瑞樹は思った。
 朗らかな笑顔で、この人は何を言っているのだ、と。

 大人用紙おむつに、尿瓶?
 誰が使うんだ?
 まさか、高梨隊長?
 どう云う事だ?
 あの着物や、隊服の下にはおむつがあるのか?
 あの、むっすりとした顔でおむつを?
 自宅では尿瓶を愛用しているのか?
 いや、いや、あんなに機敏に動けるのに?
 いや、本当に待って?

 片手で額を押さえる瑞樹に雪緒は尚も続ける。

「本当に文明の発展とは目まぐるしい物ですね」

 いや、実際に今、目まぐるしい思いをしているのは、俺なんだけど。

「人も街も変わってゆきますものね」

 そうですね。
 今の雪緒さんからは、あんな過去があったとは、到底想像も付きません。

「それは、人の心も同じです。良い方向へ変わるものもあれば、良くない方向へ変わるものもあるのでしょう」

「え?」

 額を押さえ遠い目をしていた瑞樹は、先程迄の朗らかな声が消え、ただ静かに、優しく諭す様な雪緒の声に、戸惑いの混じった声を出した。

「…僕は…その心が、想いが、良い方向へ変わるものと信じています」

 穏やかに微笑む雪緒は、真っ直ぐと瑞樹を見詰めていて。
 それは、心の奥底を見透かす様で。
 雪緒は知っているのだろうか? 瑞樹が過去の出来事に囚われて居る事を。心の傷を。
 いや、知っている筈だ。でなければ、そんな言葉等出る筈も無い。
 瑞樹の予想通りに、雪緒は瑞樹の心の傷を知っていた。それは、瑞樹達の初の遠征の後に、悩む高梨が『お前には辛い話だろうが…』と、雪緒に話していたからだ。二年前の優士ゆうじの見舞いも。本当は瑞樹に会って話してみたいと云う気持ちがあったからだ。それは、烏滸がましいけれど。同じ、心に傷を負った者として、何か力になれたのなら、と。
 ただ、少々、その時に気になっていた事を、つい、口走ってしまったのだが。
 けれど、それはそれで良かったのかも知れない。
 あの日、病室で出会った瑞樹からは、何処か迷いを吹っ切った様な、そんな感じを受けたから。

「それでは、御機嫌よう」

 だから、雪緒は詳しくは語らない。
 今ので、何かが伝わってくれたら、それで良いのだ。
 ふわりと微笑んだ雪緒が深く頭を下げてから、広い店内を歩いて行く。その足取りには迷いが無く、しっかりとした信念の元に生きて、歩いている様に瑞樹には思えた。

「…本当に…ぽかぽかだ…」

 その背中を見送りながら、瑞樹はそっと胸を押さえた。
 心の奥が、ぽかぽかと暖かい。
 何故だか、くすぐったい様な気もする。
 けれど、それは悪い物ではない。
 心の中の悪い物も、醜い物も。
 そっと、柔らかな熱で包んで、くすぐって、そっと溶かして行く様な。そんな、優しさ。
 そんな雪緒だから。
 それは、きっと雪緒が元から持っていた物なのだろうが。
 それを失くす事無く育つ事が出来たのは、高梨やその亡き妻や、おたえさんと云う家政婦の女性、果ては周りの皆が、大きくて確かな愛情を持って、注いで、優しく、時に厳しく見守っていたから。
 そして、それを雪緒が戸惑いながらも、理解して受け止めていたから。
 だから、彼らを知る者は、皆、自然と彼らを受け入れていたのだろう。
 だって、彼らは本当に二人で居るのが自然だから。

「…理想高過ぎだろ…」

『俺も、優士も』と、呟いて後頭部を掻きながら、瑞樹は困った様に笑う。その指先には、やはりピンと寝癖が跳ねて触れていたけれど。
 幾年も、幾年もの歳月を積み重ねて出来た二人の絆に、そう易易と追い付ける物では無い。
 でも。と。
 追い付けなくとも。
 追い付かなくてはいけない物でも無い。
 二人が二人である様に。
 自分達も。
 自分達らしく、そうあれば良いだけだ。
 二人を指標に、自分達らしく在れば、きっと。

 ◇

 それから数日後。優士の誕生日の夜。

「誕生日おめでとう」

 と、優士の部屋の玄関先で瑞樹は購入した襟巻きを優士に渡していた。

「ありがとう。開けてみてもいいか?」

 僅かに眉を下げて目を細める優士に瑞樹も頬を緩めて頷く。
 白と水色の格子柄の紙の包みに巻かれた鮮やかな赤いリボンを、優士の細長い指が丁寧に解いて行く。
 その指の動きが綺麗だなと思いながら瑞樹は見ていた。
 あれから、雪緒と話してから。
 瑞樹の胸の奥にはずっとぽかぽかとした物があった。
 ぽかぽかと仄かにくすぐったくて、自然と笑みが零れてしまう様な。
 きっと、雪緒と話した者は皆、こうなってしまうのだろう。
 このぽかぽかを失くしたくないと思うのだろう。

「…襟巻きか…」

「風が冷たくなって来たろ? だから、いいかなって」

 後頭部にある寝癖を掻きながら、瑞樹は優士が手にした襟巻きを見る。

 解かれた包みの中から現れたのは、真っ白な襟巻きだった。
 汚れの目立たない物をと思ったが、それが目に入った途端、他の物は目に入らなくなった。
 触ってみたら、柔らかくて暖かくて…ぽかぽかとしたから。
 このぽかぽかが優士にも伝われば良いなと思った。

 頭をポリポリと掻く瑞樹の前で、優士は包み紙を靴箱の上に置き、取り出した襟巻きを首に巻いて行く。

「…ああ、柔らかいな。チクチクしないし、何より暖かい…」

 首に巻いた襟巻きをそっと指先で摘まみ、口元まで持って来て優士がそっと目を細める。
 塩が溶けた。
 ぽかぽかとした物が瑞樹の方へと流れて来る。
 瑞樹の心の奥へと。
 奥へ奥へと流れて来て、瑞樹の中にあるぽかぽかと混じった気がした。

「…優士…」

 瑞樹は頭を掻いていた右手を優士の方へと伸ばす。

「瑞樹?」

 襟巻きを摘まむ優士の手を取り、一段高い処に居る優士の身を屈めさせて、自分の足の裏をそっと草履から浮かす。
 それは一瞬。
 軽く触れるだけの口付けを優士へと瑞樹は贈った。

「…え…?」

 瞬きを一つする優士に、瑞樹は顔を赤くして言った。

「…っ…! したくなったから、した! じゃ、おやすみっ!!」

 バタンと音を立てて戸が閉まり、パタパタと瑞樹の足音が遠ざかって行く。

「…え…?」

 一人取り残された玄関で、優士はただ呆然と立ち尽くしていた。
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