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僕から君へ
贈り物【一】
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「えやっ!」
『ア"ア"ア"ア"ア"ア"ッ"!!』
暗い林の中で、銀色の光が疾走った。
「お前…えぇと、橘っ!!」
名前を呼ばれて、妖の腕を斬り付けた瑞樹がその場を退けば、入れ替わる様に瑞樹の名を呼んだ男、討伐隊に身を置く小嶋が、手にしていた刀で、腕を斬られて怯んだ妖の赤い眼を貫いた。
後に残るのは、黒い砂の様な小さな山だけ。それも、やがて風に吹かれて飛ばされて消えてしまうのだろう。
「助かった、礼を言う」
と、小嶋が額に僅かに浮いた汗を拭いながら、後方へと下がった瑞樹を振り返れば。
「おぅう"ぇ"~~~~~~~~~っ!」
瑞樹は、少し離れた場所で、軽く膝を曲げて下を向いて胃の中の物を吐き出していた。
「ええぇっ!?」
慌てる小嶋に向かって瑞樹は、白衣に通した右腕で口元を拭い、左の掌を向けて眉間に皺を寄せながらではあるが、笑顔を見せる。
「すみません、大丈夫です。怪我人が居ますから先を急ぎましょう」
今日は新月。
妖の活動が活発になる日だ。
瑞樹は治療隊の一人として、遠征に来ていた。
今回は、第三番部隊と動いている。
討伐隊の無線に『妖を倒したが足をやられて動けない。治療を頼む。火を熾して待機する』との連絡が入り、一緒に来ていた長渕が住民に捕まり動けなかった(家の娘を嫁にどうかと迫られていた)ので、瑞樹が現場へと向かう事になったのだ。
――――――――あれから。
優士と距離を置きたいと話してから、二年が過ぎて居た。
二人は変わらず、週一回の食事交換を続けていた。
そう、まだ、それは続いているのだ。
そんな訳だから、二人の関係はあの瑞樹からの、強引な吸引呼吸止まりのままで、何の進展も無い。
理由は、まだ、瑞樹が強くなれたと思っていないからだ。
母が守ってくれた宝を、母が、父が、胸を張って自分達の宝だと言える様にしてやりたい。そんな自分になりたいと思う様になった。
そう思う様になってからは、不思議と妖を前にしても身体が重くなったりはしなかったが、それでも先の様に不意に遭遇してしまうと、少しだけ身体は強張り、胃が気持ち悪くなり、吐き気を催してしまう。
(まだまだだな)
と、瑞樹は苦さの混じった笑みを浮かべる。
それでも。
前へと一歩。
亀の歩みかも知れないが、目指す物へと、目指す処へと、歩いて行けていると云う実感があった。
自分の弱さを、自分の情けなさを、自分の愚かさを認める事は怖かったけれど、今は、この一歩を失う事の方が怖い。歩みを止める事になる、生を失う事の方が何よりも怖い。
だから、瑞樹は歩き続ける。
苦しくても、辛くても、痛くても、それは生きていると云う事だから。
生きていなければ、それを感じる事は出来ないのだから。
◇
「えっと…」
十月のとある日曜日の午後。
休暇が日曜日と重なった瑞樹は、百貨店へと来ていた。
今月は優士の誕生日がある。その贈り物を選びに来たのだ。
滅多に訪れない百貨店だが『贈り物なら品数のある百貨店ですよ』と、津山に言われてやって来たのだ。
一昨年は、優士の入院の際に渡した枕が誕生日の贈り物となった。
週一回の料理交換の日に、誕生日に何が欲しいかと聞いたら『枕を貰ったから、それで良い』と、僅かに目尻を下げて言うものだから、瑞樹は頭の中で奇声を発しながら、胸を掻き毟っていた。
去年は、新月の日に、天気が良かったから布団を干して出たら、夜遅くから降り出した雨に布団がやられてしまったと言うので、布団を贈った。優士は『客用の布団を使う』と言っていたが、それは瑞樹が嫌だった。穂澄が使って以来、誰も使った事の無い布団だが、いつ何時、誰かが使うかも知れないのだ。優士が使った、その客用の布団を。だから、瑞樹は強引に布団を買って来て、優士に押し付けた。そうしたら『まず先に瑞樹が使ってから、僕に渡してくれ』と、僅かに目元を赤くして言うものだから、瑞樹はまたも頭の中で奇声を発しながら、胸を掻き毟り、ついでに頭も掻き毟った。
はっきり言おう。
優士が可愛過ぎると。
基本的に塩な優士なのだが、僅かに見せるその塩が溶けた瞬間が堪らなく可愛いのだと。
そんな優士に、今年は何を贈ろうか。
出来るのであれば、毎日使える物が良い。
そうだ。風が冷たくなって来たから、襟巻きでも贈ろうかと思い付いて、ぱんと軽く両手を合わせた時、背後から穏やかな声が聞こえた。
「橘様?」
と。
自分をこう呼ぶのは一人しか居ない。
「あ、久しぶりです、雪緒さん」
「ええ。橘様こそ」
背後を振り返れば、そこには風呂敷包みを携えて穏やかに微笑む雪緒が立っていた。その中身は恐らくは重箱で。曜日と時間からして、高梨との昼食を終えた帰りなのだろう。
「奇遇ですね。この様な場所でお会いするなんて」
雪緒も瑞樹と同じく、滅多には百貨店には来ないのだ。そんな二人が、出会う確率はどれぐらいの物なのだろうか?
「ですね。俺は…その…優士の誕生日に贈る物を…」
何処か気恥ずかしくて、もごもごと視線を泳がせながら言えば、雪緒はふわりと『それは、素敵ですね』と微笑んだ。
「僕も、先日発売された物を買いに来ました」
ふわふわと、何故だか心が暖かくなる様な微笑みを浮かべたまま話す雪緒に、瑞樹も笑顔になりながら尋ねた。
「へえ。何を買いに来たんですか?」
新発売の物に飛び付くだなんて、意外だなあと思って、何気なく聞いたのだが。
「はい。おむつを買いに来ました」
ぽかぽかとした微笑みを浮かべながら言った雪緒の言葉に、瑞樹の時間が止まった。
『ア"ア"ア"ア"ア"ア"ッ"!!』
暗い林の中で、銀色の光が疾走った。
「お前…えぇと、橘っ!!」
名前を呼ばれて、妖の腕を斬り付けた瑞樹がその場を退けば、入れ替わる様に瑞樹の名を呼んだ男、討伐隊に身を置く小嶋が、手にしていた刀で、腕を斬られて怯んだ妖の赤い眼を貫いた。
後に残るのは、黒い砂の様な小さな山だけ。それも、やがて風に吹かれて飛ばされて消えてしまうのだろう。
「助かった、礼を言う」
と、小嶋が額に僅かに浮いた汗を拭いながら、後方へと下がった瑞樹を振り返れば。
「おぅう"ぇ"~~~~~~~~~っ!」
瑞樹は、少し離れた場所で、軽く膝を曲げて下を向いて胃の中の物を吐き出していた。
「ええぇっ!?」
慌てる小嶋に向かって瑞樹は、白衣に通した右腕で口元を拭い、左の掌を向けて眉間に皺を寄せながらではあるが、笑顔を見せる。
「すみません、大丈夫です。怪我人が居ますから先を急ぎましょう」
今日は新月。
妖の活動が活発になる日だ。
瑞樹は治療隊の一人として、遠征に来ていた。
今回は、第三番部隊と動いている。
討伐隊の無線に『妖を倒したが足をやられて動けない。治療を頼む。火を熾して待機する』との連絡が入り、一緒に来ていた長渕が住民に捕まり動けなかった(家の娘を嫁にどうかと迫られていた)ので、瑞樹が現場へと向かう事になったのだ。
――――――――あれから。
優士と距離を置きたいと話してから、二年が過ぎて居た。
二人は変わらず、週一回の食事交換を続けていた。
そう、まだ、それは続いているのだ。
そんな訳だから、二人の関係はあの瑞樹からの、強引な吸引呼吸止まりのままで、何の進展も無い。
理由は、まだ、瑞樹が強くなれたと思っていないからだ。
母が守ってくれた宝を、母が、父が、胸を張って自分達の宝だと言える様にしてやりたい。そんな自分になりたいと思う様になった。
そう思う様になってからは、不思議と妖を前にしても身体が重くなったりはしなかったが、それでも先の様に不意に遭遇してしまうと、少しだけ身体は強張り、胃が気持ち悪くなり、吐き気を催してしまう。
(まだまだだな)
と、瑞樹は苦さの混じった笑みを浮かべる。
それでも。
前へと一歩。
亀の歩みかも知れないが、目指す物へと、目指す処へと、歩いて行けていると云う実感があった。
自分の弱さを、自分の情けなさを、自分の愚かさを認める事は怖かったけれど、今は、この一歩を失う事の方が怖い。歩みを止める事になる、生を失う事の方が何よりも怖い。
だから、瑞樹は歩き続ける。
苦しくても、辛くても、痛くても、それは生きていると云う事だから。
生きていなければ、それを感じる事は出来ないのだから。
◇
「えっと…」
十月のとある日曜日の午後。
休暇が日曜日と重なった瑞樹は、百貨店へと来ていた。
今月は優士の誕生日がある。その贈り物を選びに来たのだ。
滅多に訪れない百貨店だが『贈り物なら品数のある百貨店ですよ』と、津山に言われてやって来たのだ。
一昨年は、優士の入院の際に渡した枕が誕生日の贈り物となった。
週一回の料理交換の日に、誕生日に何が欲しいかと聞いたら『枕を貰ったから、それで良い』と、僅かに目尻を下げて言うものだから、瑞樹は頭の中で奇声を発しながら、胸を掻き毟っていた。
去年は、新月の日に、天気が良かったから布団を干して出たら、夜遅くから降り出した雨に布団がやられてしまったと言うので、布団を贈った。優士は『客用の布団を使う』と言っていたが、それは瑞樹が嫌だった。穂澄が使って以来、誰も使った事の無い布団だが、いつ何時、誰かが使うかも知れないのだ。優士が使った、その客用の布団を。だから、瑞樹は強引に布団を買って来て、優士に押し付けた。そうしたら『まず先に瑞樹が使ってから、僕に渡してくれ』と、僅かに目元を赤くして言うものだから、瑞樹はまたも頭の中で奇声を発しながら、胸を掻き毟り、ついでに頭も掻き毟った。
はっきり言おう。
優士が可愛過ぎると。
基本的に塩な優士なのだが、僅かに見せるその塩が溶けた瞬間が堪らなく可愛いのだと。
そんな優士に、今年は何を贈ろうか。
出来るのであれば、毎日使える物が良い。
そうだ。風が冷たくなって来たから、襟巻きでも贈ろうかと思い付いて、ぱんと軽く両手を合わせた時、背後から穏やかな声が聞こえた。
「橘様?」
と。
自分をこう呼ぶのは一人しか居ない。
「あ、久しぶりです、雪緒さん」
「ええ。橘様こそ」
背後を振り返れば、そこには風呂敷包みを携えて穏やかに微笑む雪緒が立っていた。その中身は恐らくは重箱で。曜日と時間からして、高梨との昼食を終えた帰りなのだろう。
「奇遇ですね。この様な場所でお会いするなんて」
雪緒も瑞樹と同じく、滅多には百貨店には来ないのだ。そんな二人が、出会う確率はどれぐらいの物なのだろうか?
「ですね。俺は…その…優士の誕生日に贈る物を…」
何処か気恥ずかしくて、もごもごと視線を泳がせながら言えば、雪緒はふわりと『それは、素敵ですね』と微笑んだ。
「僕も、先日発売された物を買いに来ました」
ふわふわと、何故だか心が暖かくなる様な微笑みを浮かべたまま話す雪緒に、瑞樹も笑顔になりながら尋ねた。
「へえ。何を買いに来たんですか?」
新発売の物に飛び付くだなんて、意外だなあと思って、何気なく聞いたのだが。
「はい。おむつを買いに来ました」
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