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離れてみたら
【五】隣の芝生は青く見える?
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ぴちゃぴちゃとした音が、静かな室内に響く。
そんな中で、丸い椅子に腰掛けて左腕のシャツの袖を捲っていた優士は、僅かに眉を寄せて傍で身を屈める瑞樹に不機嫌な声でぼそりと呟いた。
「…瑞樹、沁みる…」
「男だろ、我慢しろ」
「いや、橘くん、それ付け過ぎだから。楠くんは良く叫ばないな?」
慣れない手付きで消毒液を染み込ませた綿を手に、優士の傷の手当てをする瑞樹を見ながら、医務室に常駐している治療隊の一人の須藤が苦笑を零しながら、白い物の混じった頭を掻いた。彼はもう六十間近で現場へ出る事は無く、ここで定年を迎えると云う。
また、今は昼食に行っていてここには居ないが、須藤の他に二人の人間が居る。同じく治療隊の者で、そちらは五日で交代だ。瑞樹も異動になれば、この中に組み込まれる事だろう。
「これぐらいで声を上げていたら、討伐隊は務まらないですから」
「何処かの誰かに聞かせたい言葉だな」
須藤が腕を組んで思い浮かべるのは、どこぞの元気過ぎる馬の尻尾だ。
ちょくちょく掠り傷を作っては、高梨や天野に引き摺られて来る、星。
『こんぐらい舐めれば治るからっ!』
『これも仕事だ!』
との毎度の遣り取りの後に『ひぃんっ! しみるーっ!!』と、泣き喚く星を二人から三人がかりで抑え込んで、怪我の治療をするのだ。星の治療は毎回格闘技でもやっている様な物だ。
また、雷雨時にはベッドを占拠する厄介な相手でもある。
そうそうベッドを使う様な怪我人や病人は来ないが、万が一と云う事もあるのだ。
「おや。雪緒くんだ。本当に高梨くんは幸せ者だなあ」
そんな事を考えながら、今年は後何人被害者が来るのかと、窓の外にある訓練場に目を向けた須藤が、高梨と並んで歩く雪緒を見て目を細めて頬を緩めた。その訓練場では、二桁にも上る数の隊員達が地面に倒れていた。その傍らでは隊員達を指で突きながら『う~ん…新人達ならともかく、君達はもうちょっと頑張って欲しい処なんだがね?』と、杜川がぼやいていた。その隣では五十嵐が胃を押さえながら、天を仰いでいた。これは、杜川が退任してから毎年盆が開けた頃に行われる儀式みたいな物だ。
「山に引っ込んで大人しくしているかと思えば、これだもんよ。五十嵐くんも気の毒になあ」
元司令だと云う事もあるが、ここに居るのは杜川を慕う者ばかりだ。
退任の時に『たまに遊びに来るからね』と、にっこりと笑ったのは良いが、まさか道場破りみたいな事を仕出かすとは誰も想像しなかったに違いない。獲物となるのは、その年の新人達だ。新人達と一通り戯れた後に、古参の者達と遊ぶ。一週間程遊んだ後に『また来年来るからね』と、杜川は笑顔で去って行くのだ。夏の締め括りとも言えるこれは、書類上では『夏季特別訓練』となっている。
「さて、昼だ。午後からは橘くんはこっちに来てくれるんだよな?」
「あ、はい。宜しくお願いします」
須藤の問い掛けに、瑞樹は慌てて頭を下げる。
優士の手当てを終えていた瑞樹は、同じく窓の向こうに居る高梨と雪緒を見ていたのだった。幸せそうに微笑む雪緒を。そんな雪緒を見て、穏やかに目を細める高梨を瑞樹は見ていた。
それは、朝の内に高梨から言われていた事だ。
午後からはこちらの手伝いをしつつ、基本的な手当ての仕方を教えて貰えと高梨から指示をされていた。
失礼しますと声を掛け、瑞樹と優士は食堂へと向かう。
医務室の窓から見た二人は、本当に幸せそうで、瑞樹は何とも居た堪れない気持ちになっていた。
須藤が口にした様に、高梨は雪緒が隣に居る幸福を隠そうとはしない。
それは、悪い事では無いのだが。
だが…雪緒は高梨の過去を知っているのだろうか? と、考えてしまう。
余計なお世話だと思うのだが、知らなかったとして、もしもそれを知ったとしたら、あの穏やかに微笑む青年はどれ程の悲しみを覚えるのだろうかと、考えてしまうのだ。
他人の事だし、瑞樹が気にする事でもないのだが、二人を羨ましいと口にした優士の事を思うと、どうしても考えてしまう。二人に、その優士の気持ちを、想いを裏切って欲しくないと、羨ましいままで居て欲しいと、瑞樹は思うのだった。
そんな中で、丸い椅子に腰掛けて左腕のシャツの袖を捲っていた優士は、僅かに眉を寄せて傍で身を屈める瑞樹に不機嫌な声でぼそりと呟いた。
「…瑞樹、沁みる…」
「男だろ、我慢しろ」
「いや、橘くん、それ付け過ぎだから。楠くんは良く叫ばないな?」
慣れない手付きで消毒液を染み込ませた綿を手に、優士の傷の手当てをする瑞樹を見ながら、医務室に常駐している治療隊の一人の須藤が苦笑を零しながら、白い物の混じった頭を掻いた。彼はもう六十間近で現場へ出る事は無く、ここで定年を迎えると云う。
また、今は昼食に行っていてここには居ないが、須藤の他に二人の人間が居る。同じく治療隊の者で、そちらは五日で交代だ。瑞樹も異動になれば、この中に組み込まれる事だろう。
「これぐらいで声を上げていたら、討伐隊は務まらないですから」
「何処かの誰かに聞かせたい言葉だな」
須藤が腕を組んで思い浮かべるのは、どこぞの元気過ぎる馬の尻尾だ。
ちょくちょく掠り傷を作っては、高梨や天野に引き摺られて来る、星。
『こんぐらい舐めれば治るからっ!』
『これも仕事だ!』
との毎度の遣り取りの後に『ひぃんっ! しみるーっ!!』と、泣き喚く星を二人から三人がかりで抑え込んで、怪我の治療をするのだ。星の治療は毎回格闘技でもやっている様な物だ。
また、雷雨時にはベッドを占拠する厄介な相手でもある。
そうそうベッドを使う様な怪我人や病人は来ないが、万が一と云う事もあるのだ。
「おや。雪緒くんだ。本当に高梨くんは幸せ者だなあ」
そんな事を考えながら、今年は後何人被害者が来るのかと、窓の外にある訓練場に目を向けた須藤が、高梨と並んで歩く雪緒を見て目を細めて頬を緩めた。その訓練場では、二桁にも上る数の隊員達が地面に倒れていた。その傍らでは隊員達を指で突きながら『う~ん…新人達ならともかく、君達はもうちょっと頑張って欲しい処なんだがね?』と、杜川がぼやいていた。その隣では五十嵐が胃を押さえながら、天を仰いでいた。これは、杜川が退任してから毎年盆が開けた頃に行われる儀式みたいな物だ。
「山に引っ込んで大人しくしているかと思えば、これだもんよ。五十嵐くんも気の毒になあ」
元司令だと云う事もあるが、ここに居るのは杜川を慕う者ばかりだ。
退任の時に『たまに遊びに来るからね』と、にっこりと笑ったのは良いが、まさか道場破りみたいな事を仕出かすとは誰も想像しなかったに違いない。獲物となるのは、その年の新人達だ。新人達と一通り戯れた後に、古参の者達と遊ぶ。一週間程遊んだ後に『また来年来るからね』と、杜川は笑顔で去って行くのだ。夏の締め括りとも言えるこれは、書類上では『夏季特別訓練』となっている。
「さて、昼だ。午後からは橘くんはこっちに来てくれるんだよな?」
「あ、はい。宜しくお願いします」
須藤の問い掛けに、瑞樹は慌てて頭を下げる。
優士の手当てを終えていた瑞樹は、同じく窓の向こうに居る高梨と雪緒を見ていたのだった。幸せそうに微笑む雪緒を。そんな雪緒を見て、穏やかに目を細める高梨を瑞樹は見ていた。
それは、朝の内に高梨から言われていた事だ。
午後からはこちらの手伝いをしつつ、基本的な手当ての仕方を教えて貰えと高梨から指示をされていた。
失礼しますと声を掛け、瑞樹と優士は食堂へと向かう。
医務室の窓から見た二人は、本当に幸せそうで、瑞樹は何とも居た堪れない気持ちになっていた。
須藤が口にした様に、高梨は雪緒が隣に居る幸福を隠そうとはしない。
それは、悪い事では無いのだが。
だが…雪緒は高梨の過去を知っているのだろうか? と、考えてしまう。
余計なお世話だと思うのだが、知らなかったとして、もしもそれを知ったとしたら、あの穏やかに微笑む青年はどれ程の悲しみを覚えるのだろうかと、考えてしまうのだ。
他人の事だし、瑞樹が気にする事でもないのだが、二人を羨ましいと口にした優士の事を思うと、どうしても考えてしまう。二人に、その優士の気持ちを、想いを裏切って欲しくないと、羨ましいままで居て欲しいと、瑞樹は思うのだった。
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