23 / 125
幼馴染み
【二十】怒りの塩
しおりを挟む
あの雷雨の日も。
それは瑞樹の心の傷の深さを知るだけでなく、一つの転機となった。
その人はまるで踊る様に。
その人はとても軽やかに。
時には笑みさえ浮かべて、それを屠って行った。
その人…星を見て、優士はそうなりたいと思った。
朱雀の黒い隊服に身を包み、重さを感じさせぬ様に動く星。
こんな土砂降りの雨の中なのに。
纏う衣は重く無いのだろうか?
その細く長いしなやかな指から、刀は滑り落ちて行かないのだろうか?
泥濘に足を取られる事なく、軽々と跳躍する星に、優士も瑞樹も見惚れていた。
そして、星の様になりたいと思ったのだ。
朱雀に入り、きちんと訓練を鍛錬を重ねれば、いつかはそう成れるのだろうと、思った。
だが、それは実際に訓練を受けて、違うと気付いたが。
星は、特別だったのだ。
星は、何もかもが掟破りだったのだ。
自分達は、星のようにはなれない。
あんな風には、到底動けない。
何もかもが違い過ぎるのだ。
それは、もう、天賦の才としか言えない物だった。
けれど、それでも。
憧れは憧れのままに、胸に残して置こう。
星を知っていたのなら、そうは思わなかったかも知れないが。
実際に、星のあの姿に勇気を貰ったのは間違いないのだから。
盾と天野は言った。
それは違うと、優士は首を横へと振る。
実際に盾になったのは、盾となってくれたのは、天野と高梨だ。そして、星も。
自分なんて、せいぜいが薄っぺらな衝立だと言った処か。
それでも。
そんな薄っぺらな衝立でも良い。
僅かな時間でも、瑞樹を守る事が出来るのなら。
その間に、瑞樹の命を守る誰かが来てくれるのなら。
それなら、喜んで薄っぺらな衝立になろう。
◇
ジジ…と、不意に蝉の鳴き声が止んだ。
寺の境内にある墓参りに訪れた者の為に休憩所として用意された四阿に、優士と瑞樹は居た。
少し湿った風が吹いて来た気がする。雷雨でも来るのだろうか?
「…そんで…治療隊に移ったらさ、もう、あそこには居られないだろ…? だから…もう、お前に飯を作れないな、って…。…お前、料理出来ないのに…。…それに…俺のせいで、お前の評価も下がってるんじゃないかって…」
そんな瑞樹の言葉に、優士は思考を戻した。いや、戻さざるを得なかった。
いや、待て、いきなり何を言い出した? と、優士は眉間に皺を寄せた。
四阿へ入り、二人向かい合う様にベンチに腰掛けた。案の定、瑞樹の口からは討伐部隊から外される事を高梨から告げられた旨と、治療隊への異動を勧められたと云う話が出た。
それの答えに迷っているとも。
そして、続けて放たれた言葉が、それだった。
「………何を小さな脳味噌で考えているのかと思えば…お前は、やっぱり馬鹿だな」
「はあっ!?」
ふん、と鼻を鳴らして言えば、瑞樹はあからさまに声を張り上げ、不満に目を見開いた。
「俺の評価がお前のせいで下がる? 馬鹿か。傲慢も甚だしい。また、討伐部隊だけが朱雀ではないだろ。治療部隊だって、立派な朱雀だし、事務方や食堂で働く者も朱雀だ。いいか、宿舎は朱雀に所属する者に与えられる物だ。だから、お前が出て行く必要はないし、お前が出て行くなら俺も出て行く。それから…」
「ん? え? は?」
二度も馬鹿だと言われ、畳み掛ける様に言われた言葉に瑞樹はただ目を白黒させた。
馬鹿かどうかは置いといて、宿舎の件に関しては確かにその通りかも知れないと納得した。したが、何故、優士も出て行くと云う話になっているのだと、瑞樹は首を捻った。
「…名誉の為に言っておくが、俺は料理が出来ないんじゃない、しないだけだ。この意味が解るか?」
「は? いや、だから料理が出来ないから、料理をしないんだろ?」
瞬きを一つしてから語る瑞樹に、優士は『…嘘だろ…。…いや、知ってた…』と、呟いて天を仰いだ。
「な、何だよ…言いたい事があるならはっきり言えよ」
居心地が悪そうに、もぞもぞと身体を動かし、背中を丸める瑞樹に、優士は一言。
「瑞樹が作った物を食べたいから、料理をしないだけだ」
「…は…?」
胸の前で腕を組み、ついでに足も組んでふんぞり返って、淡々とそれを告げた優士の言葉に瑞樹は丸めていた背中を伸ばした。
「解ったのなら、返事」
「は? あ、ど、どうも?」
顎をしゃくって返事を催促する優士に、瑞樹は軽く髪を掻いて小さく頭を下げた。
自分の作った物を褒められたのだと思うから、笑えば良いのだろうが、馬鹿だとか、出て行くとかそんな不穏な会話の流れで笑うのはどうかと躊躇われ、瑞樹はただ恐縮するしか無かった。それに、優士の顔には笑みの一つも浮かんではいない。何時も通りの塩だ。
「違う」
「は?」
「そこは『俺も優士に食べて貰えて嬉しい』だ」
しかし、優士は甘さの欠片も無い憮然とした表情で、甘さの欠片も無い憮然とした声で、それを告げた。
「はあっ!?」
どうしたんだ、と。こいつ、何か悪い物でも食べたのかと、瑞樹は心配になった。
優士が、こんな事を口にするのはおかしい。有り得ない。
いや、そりゃ、優士に食べて貰えるのは嬉しいけれど。けど、わざわざそれを口にする事は無かった。これまでも、これからも、それを口にする事は無いだろうと思っていた。
それなのに。
目の前で憮然とした顔で座る優士は、それを口にしろと言う。そんな恥ずかしい事を口に出来る筈もなく、瑞樹はただ黙り込んでしまう。
「まあ、期待はしていないけど」
そう言いながら優士は立ち上がり、瑞樹の座る前まで歩いて行く。
「けど、その理由が恥ずかしくて照れて居ると云う事なら、それで良い」
「は? え、なに、が?」
見下ろす優士を見上げながら瑞樹は首を傾げた。
優士の言っている言葉の意味が解らない。
何故、こんな会話になっているのか、訳が解らない。
「治療隊へ異動になっても、俺の飯は作ってくれるんだろ?」
それなのに、そんな瑞樹を置いて優士は更に追い討ちを掛ける。
「う、あ? 優士が食べるなら作る…けど…あの、俺、まだ行くなんて一言も…」
「行け。お前の治療も兼ねているそうだ。まあ、ショック療法だが。で、ずっと作ってくれるんだろ?」
天野はああ言ったが、瑞樹が戻って来る事を期待しているかどうかは解らない。
ただ、瑞樹がそれを克服出来れば、瑞樹が動けて危険から逃げる事が出来る様になれば、戦えなくてもそれで良いと思っているのかも知れない。そうすれば、言葉は悪いが、手間が省けるから。
「は? え? あ、まあ…お前が誰かと結こ」
結婚するなら話は変わるけど、と言うよりも前に、ガツッと瑞樹が座るベンチの角に優士が右足を乗せた。草履では無く、下駄だったせいで、その音はやけに大きく響いた。
ふしゅう~って音を立てながら、そこから白い煙が昇っている幻が瑞樹には見えた。
それは瑞樹の心の傷の深さを知るだけでなく、一つの転機となった。
その人はまるで踊る様に。
その人はとても軽やかに。
時には笑みさえ浮かべて、それを屠って行った。
その人…星を見て、優士はそうなりたいと思った。
朱雀の黒い隊服に身を包み、重さを感じさせぬ様に動く星。
こんな土砂降りの雨の中なのに。
纏う衣は重く無いのだろうか?
その細く長いしなやかな指から、刀は滑り落ちて行かないのだろうか?
泥濘に足を取られる事なく、軽々と跳躍する星に、優士も瑞樹も見惚れていた。
そして、星の様になりたいと思ったのだ。
朱雀に入り、きちんと訓練を鍛錬を重ねれば、いつかはそう成れるのだろうと、思った。
だが、それは実際に訓練を受けて、違うと気付いたが。
星は、特別だったのだ。
星は、何もかもが掟破りだったのだ。
自分達は、星のようにはなれない。
あんな風には、到底動けない。
何もかもが違い過ぎるのだ。
それは、もう、天賦の才としか言えない物だった。
けれど、それでも。
憧れは憧れのままに、胸に残して置こう。
星を知っていたのなら、そうは思わなかったかも知れないが。
実際に、星のあの姿に勇気を貰ったのは間違いないのだから。
盾と天野は言った。
それは違うと、優士は首を横へと振る。
実際に盾になったのは、盾となってくれたのは、天野と高梨だ。そして、星も。
自分なんて、せいぜいが薄っぺらな衝立だと言った処か。
それでも。
そんな薄っぺらな衝立でも良い。
僅かな時間でも、瑞樹を守る事が出来るのなら。
その間に、瑞樹の命を守る誰かが来てくれるのなら。
それなら、喜んで薄っぺらな衝立になろう。
◇
ジジ…と、不意に蝉の鳴き声が止んだ。
寺の境内にある墓参りに訪れた者の為に休憩所として用意された四阿に、優士と瑞樹は居た。
少し湿った風が吹いて来た気がする。雷雨でも来るのだろうか?
「…そんで…治療隊に移ったらさ、もう、あそこには居られないだろ…? だから…もう、お前に飯を作れないな、って…。…お前、料理出来ないのに…。…それに…俺のせいで、お前の評価も下がってるんじゃないかって…」
そんな瑞樹の言葉に、優士は思考を戻した。いや、戻さざるを得なかった。
いや、待て、いきなり何を言い出した? と、優士は眉間に皺を寄せた。
四阿へ入り、二人向かい合う様にベンチに腰掛けた。案の定、瑞樹の口からは討伐部隊から外される事を高梨から告げられた旨と、治療隊への異動を勧められたと云う話が出た。
それの答えに迷っているとも。
そして、続けて放たれた言葉が、それだった。
「………何を小さな脳味噌で考えているのかと思えば…お前は、やっぱり馬鹿だな」
「はあっ!?」
ふん、と鼻を鳴らして言えば、瑞樹はあからさまに声を張り上げ、不満に目を見開いた。
「俺の評価がお前のせいで下がる? 馬鹿か。傲慢も甚だしい。また、討伐部隊だけが朱雀ではないだろ。治療部隊だって、立派な朱雀だし、事務方や食堂で働く者も朱雀だ。いいか、宿舎は朱雀に所属する者に与えられる物だ。だから、お前が出て行く必要はないし、お前が出て行くなら俺も出て行く。それから…」
「ん? え? は?」
二度も馬鹿だと言われ、畳み掛ける様に言われた言葉に瑞樹はただ目を白黒させた。
馬鹿かどうかは置いといて、宿舎の件に関しては確かにその通りかも知れないと納得した。したが、何故、優士も出て行くと云う話になっているのだと、瑞樹は首を捻った。
「…名誉の為に言っておくが、俺は料理が出来ないんじゃない、しないだけだ。この意味が解るか?」
「は? いや、だから料理が出来ないから、料理をしないんだろ?」
瞬きを一つしてから語る瑞樹に、優士は『…嘘だろ…。…いや、知ってた…』と、呟いて天を仰いだ。
「な、何だよ…言いたい事があるならはっきり言えよ」
居心地が悪そうに、もぞもぞと身体を動かし、背中を丸める瑞樹に、優士は一言。
「瑞樹が作った物を食べたいから、料理をしないだけだ」
「…は…?」
胸の前で腕を組み、ついでに足も組んでふんぞり返って、淡々とそれを告げた優士の言葉に瑞樹は丸めていた背中を伸ばした。
「解ったのなら、返事」
「は? あ、ど、どうも?」
顎をしゃくって返事を催促する優士に、瑞樹は軽く髪を掻いて小さく頭を下げた。
自分の作った物を褒められたのだと思うから、笑えば良いのだろうが、馬鹿だとか、出て行くとかそんな不穏な会話の流れで笑うのはどうかと躊躇われ、瑞樹はただ恐縮するしか無かった。それに、優士の顔には笑みの一つも浮かんではいない。何時も通りの塩だ。
「違う」
「は?」
「そこは『俺も優士に食べて貰えて嬉しい』だ」
しかし、優士は甘さの欠片も無い憮然とした表情で、甘さの欠片も無い憮然とした声で、それを告げた。
「はあっ!?」
どうしたんだ、と。こいつ、何か悪い物でも食べたのかと、瑞樹は心配になった。
優士が、こんな事を口にするのはおかしい。有り得ない。
いや、そりゃ、優士に食べて貰えるのは嬉しいけれど。けど、わざわざそれを口にする事は無かった。これまでも、これからも、それを口にする事は無いだろうと思っていた。
それなのに。
目の前で憮然とした顔で座る優士は、それを口にしろと言う。そんな恥ずかしい事を口に出来る筈もなく、瑞樹はただ黙り込んでしまう。
「まあ、期待はしていないけど」
そう言いながら優士は立ち上がり、瑞樹の座る前まで歩いて行く。
「けど、その理由が恥ずかしくて照れて居ると云う事なら、それで良い」
「は? え、なに、が?」
見下ろす優士を見上げながら瑞樹は首を傾げた。
優士の言っている言葉の意味が解らない。
何故、こんな会話になっているのか、訳が解らない。
「治療隊へ異動になっても、俺の飯は作ってくれるんだろ?」
それなのに、そんな瑞樹を置いて優士は更に追い討ちを掛ける。
「う、あ? 優士が食べるなら作る…けど…あの、俺、まだ行くなんて一言も…」
「行け。お前の治療も兼ねているそうだ。まあ、ショック療法だが。で、ずっと作ってくれるんだろ?」
天野はああ言ったが、瑞樹が戻って来る事を期待しているかどうかは解らない。
ただ、瑞樹がそれを克服出来れば、瑞樹が動けて危険から逃げる事が出来る様になれば、戦えなくてもそれで良いと思っているのかも知れない。そうすれば、言葉は悪いが、手間が省けるから。
「は? え? あ、まあ…お前が誰かと結こ」
結婚するなら話は変わるけど、と言うよりも前に、ガツッと瑞樹が座るベンチの角に優士が右足を乗せた。草履では無く、下駄だったせいで、その音はやけに大きく響いた。
ふしゅう~って音を立てながら、そこから白い煙が昇っている幻が瑞樹には見えた。
0
お気に入りに追加
41
あなたにおすすめの小説
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
MAN OF THE FULL BLOOM
亜衣藍
BL
芸能事務所の社長をしている『御堂聖』は、同業者で友人の男『城嶋晁生』の誘いに乗り『クイーン・ダイアモンド』という豪華客船に乗り込むのだが。そこでは何やらよからぬ雰囲気が…?
ポケットのなかの空
三尾
BL
【ある朝、突然、目が見えなくなっていたらどうするだろう?】
大手電機メーカーに勤めるエンジニアの響野(ひびの)は、ある日、原因不明の失明状態で目を覚ました。
取るものも取りあえず向かった病院で、彼は中学時代に同級生だった水元(みずもと)と再会する。
十一年前、響野や友人たちに何も告げることなく転校していった水元は、複雑な家庭の事情を抱えていた。
目の不自由な響野を見かねてサポートを申し出てくれた水元とすごすうちに、友情だけではない感情を抱く響野だが、勇気を出して想いを伝えても「その感情は一時的なもの」と否定されてしまい……?
重い過去を持つ一途な攻め × 不幸に抗(あらが)う男前な受けのお話。
*-‥-‥-‥-‥-‥-‥-‥-*
・性描写のある回には「※」マークが付きます。
・水元視点の番外編もあり。
*-‥-‥-‥-‥-‥-‥-‥-*
※番外編はこちら
『光の部屋、花の下で。』https://www.alphapolis.co.jp/novel/728386436/614893182
美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜
飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。
でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。
しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。
秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。
美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。
秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる