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【三】

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 然程長くも無い、塊羅かいらの髪が乾いた頃、黄色と紫の色を持つ二人の男が、それぞれに膳を持ちやって来て、塊羅が居る布団から少し離れた場所にそれを向かい合わせで置き、ふっくらとした座布団をそれぞれの膳の前に置いた。
 灰色を持つ男が髪を梳く手を止めて、膝の上に置いていた塊羅の右手を取って、立ち上がる様に促した。

「あ、ああ…」

(…飯を食えって事か?)

 しかし、ここに男は四人。膳は二つしかない。
 迷う塊羅だったが、灰色を持つ男にそっと背中を押され、そこへと導かれてしまえば、大人しくそこへと座るしかなかった。

(…正直、腹も減ってるし…。…みのりは飯を食べたのだろうか…あれから、ちゃんと家へと帰ったのだろうか…ああ、車の駐車料金はどうなるのだろう…レッカーされるのだろうか…? うわ、幾ら掛かるんだ…)

 そんな事を思う塊羅の耳に、静かに障子の開く音が聞こえ、続けて低い男の声が聞こえた。

『待たせたか? わりぃな』

 その声が聞こえるか聞こえないかの内に、髪に一房だけ色を持つ男達は、足を揃えて座り、畳に額を軽くあてていた。

(え、あれ? もしかして、俺も土下座した方が良いのか? 風呂場では頭を下げただけだった気がするけど…)

『阿呆が。お前は、そんな事をする必要は無い。お前は俺の花嫁なんだから、堂々としていろ』

 敷かれた座布団の上から下りて、畳に手を付こうとした処で、男に腕を取られた塊羅は姿勢を崩して、男の胸へと飛び込む形になった。
 そんな塊羅の頭を、背中をゆっくりと撫でながら男が言う。
 言葉は相変わらず解らないが、男は塊羅が土下座をしようとしたのを止めた事は解った。恐らく、その必要性が無い事も。

(…客…として、扱われているって事で良い…のか…?)

 言葉が解らないが、塊羅は小さく頷き、座らされていた座布団へと改めて座り直して、せめてもの礼儀をと、背筋をぴんと伸ばして見せた。
 そんな塊羅を見た男は、やはり肩を震わせて笑い、塊羅の正面に置いてある膳へと移動をして、そこにある座布団へと腰を下ろして胡坐を掻いた。

『楽にしろ。…しかし、言葉が通じないのは不便だな。今、調べさせているから、暫くは辛抱してくれ』

 前髪に片手を差し込んでガリガリと頭を掻いて、何処か申し訳無さそうに語る男の声に、塊羅は首を傾げる事しか出来ない。

(…もしかして…謝っているのだろうか…? それなら、この不可思議な現象は、この男が仕出かした事なのだろうか…)

 塊羅がみのりから借りた書物での異世界転移の話は、基本的に元の世界へ戻る事は出来ないと云う物が大半だった。そのお詫びに、こちらでの衣食住は不便の無い様、手を尽くす…そんな物が多かった気がする。

(…こんな事…信じたくは無いが…信じるしか無いのかもな…)

 それとも、あの光を見た時から夢を見ている…とか? 少し、汗ばむ陽気だった。もしかしたら、気付かない内に熱中症になっていて、自分は倒れたのかも知れない。今、自分は病院のベッドに居て、眠っているのかも知れない。その横には、当然、心配そうに見守るみのりが居る筈だ。

(…ああ、きっとそうだ…)

 突拍子も無い異世界転移より、突拍子も無い熱中症で倒れて、今、自分は夢を見ているのだ。
 そう考えた方が、納得出来るし、スッキリもする。みのりに心配を掛けさせてしまい、心苦しいが仕方が無い。
 海老のしんじょらしき物を口に運びながら、塊羅は静かに笑った。

 ◇

 しかし、朝が来て、昼が来て、また夜が来れば、そんな物はただの希望的観測でしかないと、塊羅は悟った。
 朝はしっとりとした粥を食べた。
 食べた後、男に庭へと連れ出され、新緑の匂いで肺を一杯にした。
 昼は男は現れず、一人で、一房だけ色を持つ男達に見守られながら、もそもそと昼飯を食べて、昼寝をした。
 夕暮れが近くなると、手を引かれ、風呂場へと連れて行かれ、また丹念に磨かれた。
 そして、髪が乾く頃に、また食事が運ばれて、男と向かい合って食べた。

(…これって…本当の、本当に…?)

 と、この屋敷に来て二度目の夜、布団の中で塊羅は頭を抱えたのだった。
 だが、頭を抱えた処で、事態が変わる筈も無い。

(本当に、異世界転移をしたとして、自分に何が出来る? 何かが出来るとは思えない。間違いなく、巻き込まれたとか、そう云うアレだ)

 言葉等解らない、この世界の右も左も解らない。
 自分に出来るのは、ただ食べて、男の話を聞いて寝るだけ。それだけだ。

(…あ、れ…?)

 そこまで考えて、塊羅はふと思った。

(…別に悪くはない…?)

 と。
 この詫びが何時まで続くのかは、解らない。
 解らないが、続く限りは甘えても良いんじゃないのか? と。
 自分をこちらへと導いたのはそちらなのだから、最後まで面倒を見ても良いんじゃないの? と。
 元の世界へと戻れば、職場では気を遣い、神経をすり減らすだけの日々だ。
 こちらでは、言葉が解らない不便はあるものの、とても丁重に扱われている。
 これは、とてもラッキーな事だと塊羅は思った。
 元の世界に。
 恋人に。
 未練が無い訳では、無い。
 だが、ここは言葉を除けば、とても穏やかで優しくて。
 こんな、ゆったりとした時間がとても新鮮で、何処か懐かしくて。
 塊羅は懐古厨と云う訳では無いが、何故だかこの時間が愛おしいと思う様になっていた。

 だが、塊羅は知らなかった。
 巻き添えでも何でも無く、塊羅には喚ばれるべき理由があって、ここへ招かれたのだと云う事を。
 この時の塊羅は、未だ知る由も無かった。
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