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フクロムシ~俺がメス化した理由~
前編
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助けて…。
死にたくない…。
どうして、こうなった…?
ヒュー、ヒューと、空気が漏れる様な音が聞こえる。
身体に力が入らない。
指先さえも動かせない。
寒い。
寒い。
目も霞んで先が見えない。
音が遠ざかって行く。
「君、死ぬのか?」
なのに、その声ははっきりと聞こえた。
深く深く、耳に、頭に入って来る音。
「それなら、俺の実験に付き合ってくれないか?」
実験?
「成功すれば、君は生き延びる事が出来る。まあ、失敗すれば死ぬけど」
…助かる…?
「このまま何もしなければ、君は死ぬ。何もしないで死ぬよりは、何かをして死ぬ方が良いと思う。おまけで、生きられるかも知れないし」
…死にたくない…。
「君は、どうしたい?」
…俺は…。
「…あ…つ…ころ…た…」
「ああ、解った」
俺の声が届いたのかは解らない。
なのに、俺に話し掛けて来た男は、はっきりと頷いた。
◇
世界は呪われている。
遥か昔に悪魔と契約した者が居た。
契約の代償は契約した者の生命と、その者の娘だ。
美しい娘だったと云う話だ。
昔話だから、色々と盛られていると思うが。
男はそれを受け入れて契約した。
――――――――表面上は。
男はそれを覆した。
悪魔が望んだのは、清らかで無垢な処女だ。
しかし、悪魔の元へと差し出された娘は処女では無かった。
悪魔は怒り、世界に呪詛を撒き散らそうとした。
二度と世界が栄えぬ様、人間達から繁殖能力を奪おうと。
しかし、素直に娘を差し出す男ではない契約者が、そう易々と悪魔に力を揮わせる筈が無い。
望みを叶えた男は、悪魔を倒せる者を探し出していた。
そうして、悪魔は本来の能力を出し切れないままに、封印される事となった。
倒せはしなかったし、呪いも中途半端にばら撒かれたが、世界は…人間は滅ぶ事無く、世界を、命を今日も繋いでいた。受胎しにくくはなったものの、人は続いている。
…そんな昔話だった物を思い出すのは、これで何度目だろう。
辛うじて残っている壁に背中を預け、肩で息を切らしながら、俺はそう思った。
「…ああ…っ…! シスター、ありがとうございます!」
荒い息を吐く俺の目の前で、先程助けた男の声が掛かる。腰を抜かしたのか、尻もちをつく格好になっているが。
魔獣に襲われていた男だ。
それを俺が助けた。
「…感謝の言葉等…必要ありません…」
あんたの日頃の行いが良いから、俺が間に合っただけだ。
息を整えながらそう言えば、敬虔な信者と思われる男は、胸の前で手を組んで空を仰いだ。神に感謝でもしているのだろう。
俺達が居るここは、元教会だった場所だ。
今?
今は、魔獣…のせいで、壁は崩れ、青空が見える立派な廃墟になっているが。
魔獣…それは、悪魔が創り出した物だと言われている。
人間に害を成す物。
異様な能力を持っている人外の物。
理性のない獣。いや、獣に、元から理性などないか。
それらを纏めて魔獣と呼んでいる。
それらが現れる様になったのは、五年前だ。
五年前…俺が二十歳の時の事だ。
婚約者との結婚を目前に控えたその日、それが起こった。
村の祠に封印されていた悪魔が目覚めた。
そう、俺が住んでいた村には、昔話の悪魔が封印されていた。
だが、俺達は悪魔を封印した者の末裔では、ない。
喚び出した方の末裔だ。
悪魔の恨みを最も買う側の者だ。
喚び出されなければ、封印だなんて事態にならずに済んだのだから。
どんな理由で喚び出したのか、それは喚び出した本人にしか解らない。
そんな悪魔の目覚め等、俺達にしたら、とばっちりも良い処だ。
しかし、そんな物は怒り狂った悪魔には関係ない。
悪魔は、俺の目の前で処女だった婚約者を犯し、殺して喰った。魂ごと。
魂を悪魔に喰われた者は、生まれ変わる事が出来ないと聞く。
俺の婚約者は、悪魔が滅ぶまで囚われたままだ。
死んだのは婚約者だけじゃあ、ない。
悪魔が創り出した魔獣によって、村は全滅した。
俺も瀕死の重傷を負った。
右目も、左脚も右腕も魔獣に喰われ、腹も喰われた。
刻一刻と死の足音が近付いていた。
そんな時だ。
暢気な声を掛けられたのは。
『君、死ぬのか?』
今思えば、あれは立派な詐欺の手口だったのだろう。
だが、俺は死にたくなかった。
だから、奴の実験に付き合う事にした。
「…どうしても感謝をと言うのなら…私のお願いを…聞いて戴けますか…?」
そんな事を思い出しながら、お決まりとなった言葉を吐く。
「じ、自分に出来る事なら、なんでも! あ、もしかして怪我でもされましたか!? あ、身体を休める場所の提供とか!? 魔獣に破壊されてなければ家へ…」
そう。
大概の男達は、同じ事を言って来た。
「…いいえ…そのどれでもありません…お願いと言うのは…」
言いながら、俺は身に纏っている衣服…この男が先刻呼んだ様に、俺は黒いシスター服を身に纏っている。頭には白いレースのヴェールを被っていたが、魔獣との戦いで、床…土が見えているが…へと落ちていた。
だが、今はそんなのに構ってはいられない。あれは、目を隠す物で、今は、その必要は無い。
だから、俺はそれを無視して、右手でスカートの裾を掴み、捲り上げて行く。
「…は…え…?」
脚が、太腿が露わになるにつれ、男の声が上ずり、目が上下左右へと忙しなく動いて行く。
男の動きに、くっと喉を鳴らして、左手で首元まである襟のボタンを緩めて行く。
狼狽える男を尻目に…文字通り尻目、か。
俺はくるりと身体を翻し、壁に左手をついて、男へ背中を向け尻を突き出した。
「う、あ…」
腰まで捲り上げたスカートの下には、何も穿いてはいない。
青空の下に晒された生尻を、冷えた空気が掠めて行く。
しかし、それは、孔から甘い薫りを放ち、トロトロとした蜜を零す俺には、物足りない刺激だ。
もっと、強い刺激が欲しい。
こんな物じゃあ、この身体は満足しない。
「…貴方の性器をここへ…この中に…貴方の生命の子を…注いで下さい…」
スカートを捲っていた手を動かして、俺は尻を開いて見せる。
溢れた蜜が、指先を濡らす。
「…あ…あ…?」
信じられないと云う様な響きを持った声に、俺は苦笑するしかない。
普通、どんな事があっても、男は女みたく濡れたりはしない。
これは、実験のせいだ。
死と引き換えに付き合った実験の結果がこれだ。
実験のおかげで、生き永らえる事が出来た。
失った身体の部位も戻った。
しかし。
それと引き換えに、俺は男の尊厳を失った。
女を知るより先に男を知る事になるとは、あの時は思いもしなかった。
仕方が無い事だと、何度言い聞かされ、聞かせた事だろう。
『実験に失敗は付き物だから。失敗してこそ学べる事がある』
ヘラヘラ笑いながら言う、あいつの顔を殴ったのは何時の事だったか。
『強い力には代償が付く物。諦めて』
実験のおかげで、強い能力も手に入れた。
それのおかげで、魔獣を倒す事が出来る。
が。
「…能力を使った反動です…生命を…精子を…戴かないと…私は…死んでしまいます…」
尻を開く指に力を入れて、俺は懇願する。
本当に冗談じゃないと思う。
しかし、それを貰わないと、俺の身体に寄生してるそいつが死んでしまう。
そいつが死ねば、俺も死ぬ。一蓮托生だ、畜生。
「…どうか…情けがあるのなら…」
顔を後ろへ向けて俺は懇願する。
涙を浮かべれば、男の喉が大きく動くのが見えた。
実験…そいつに寄生されたせいで、俺の容姿は悉く変わってしまった。
黒かった髪は白銀へ。
それなりについていた筈の筋肉は、ごっそり落ちた。
瞳の色も、黒から薄い灰色へと。
声も。女にしては低い声だが、男にしては高過ぎる…そんな声に。
男物の衣服が似合わなくなった。
かと言って、女物のヒラヒラした服なんて着る趣味は無い。
妥協して、シンプルなシスター服になったと云う訳だ。
なんだかんだで、この服は都合が良い。
幸いと言って良いのかは謎だが、俺はそれなりに整った顔をしているらしい。
だから、こんな風に誘って断られた事は一度も無い。
「あ…」
ふらふらと男が立ち上がり歩き出し、俺の腰を掴もうと手を伸ばして来た瞬間…――――――――。
「…がっ…!?」
そんな声の後に、男はまた床へと沈んでしまった。
「………」
またか、と、俺は無言になる。
…断られた事は一度もないが、誘った相手に抱かれた事は一度も、ない。
「どうして、俺が来るまで待てないのか」
断られた事はないが、無為になった事は数えきれない程にある。
それは、こいつが。
しれっと平々凡々な男を床に沈め、その男の頭を踏み付ける、平々凡々ではない、こいつが。
俺に実験を持ち掛けた男が、毎度毎度邪魔するからだ。
どうしてだと?
いつ来るか解らない男より、目の前の男だろう。こちとら、くたばる気はないんだ。
そう言い返したいが、身体はもう限界だ。
頭痛はするし、何とか整えた呼吸も、また乱れて来た。
壁に置いていた手にも、もう力が入らず身体を支えていられない。ずりずりと、崩れかけた壁に背中を擦り付けながら、俺の視界は落ちて行く。
「…は…っ、なら…早くしろ…」
「言われなくても」
◇
フクロムシ。
それが、俺に寄生しているやつの名前だ。
いや、それを手本にしたと言うべきか。
魔獣でも何でもない、そこらの海に棲む生物だと云う。
山にある村に住んでいた俺は、海なんて見た事は無かったし、そんな生物の事も知らなかったが。
そいつは寄生した生き物の中で繁殖をして、宿主に産ませるそうだ。
寄生した生き物から、己と子が生きる為の養分を貰いながら。
そして、寄生した相手がオスならば、それをメス化させて、無理矢理にでも卵を産ませる様にすると。
話を聞いた時は眩暈がした。
繁殖の為に他の生き物に寄生するとか、性別を変えるとか、種の生存本能強過ぎ、逞し過ぎるだろうと思った。
ともかく、俺を実験体にした男は、フクロムシが持つメス化の能力に目を付けた。
悪魔が放った呪詛は、今も続いている物だ。
人間は滅んではいないが、このままでは先細りしていくだけだ。
だから、俺を実験体にした男…アグナは、男でも受胎出来る様にならないかと模索して、フクロムシへと辿り着いた。
フクロムシは、人間に寄生はしない。それを研究に研究を重ねて、人間に寄生出来るフクロムシをアグナは創り出した。それが、今の俺に寄生しているフクロムシだ。
アグナ曰く。
『メス化だけのつもりだった』
メス化だけさせて、受胎出産させるつもりだったのだが、そうは行かなかった。
この男は、フクロムシに寄生され、まだ意識が戻らない俺に、勝手に種付けしやがった。
『実験は失敗だ』
意識が戻った時に聞かされた言葉がそれだ。
頭の上に、巨大な疑問符が浮かんだのは言うまでもない。何せ俺は瀕死の状態だったのだ。生きているのだから、成功なのでは? と、思ったが、アグナから詳しい話を聞いた俺は、取り敢えず、一発、そのお綺麗な顔を殴った。勿論、拳でだ。
どんな方法で調べたのかは知らない。
とにかく、アグナが俺の中に放った精子は着床せずに、全部フクロムシに吸収されたそうだ。
『なるほど、精子が養分と云う事か。孕む事が大前提だから、一番のご馳走になった…と言う事か』
ベッドの上で、それを聞いていた俺は、またアグナの顔を殴った。
そこで漸く、失くした右腕がある事に気付いた。目も、脚も、喰われた腹も復活していた。
失敗どころか、大成功だろうと俺は喜んだ。
『君が死ねばフクロムシも死ぬからな。生きる為に、宿主の肉体を修復したのだろう。己を張り巡らせて』
…なんて?
『君の欠損した部位は、フクロムシが擬態して補っている』
……なんて?
『因みに、フクロムシが死ねば君も死ぬ。それが寄生するモノとされる者の宿命だ』
もう一度、俺はアグナを殴って、不貞寝した。
不貞寝しながら考えた。
童貞より先に処女を喪った事は、この際どうでも良い。何せ、記憶外の事なのだから。
考えたのは、どうやってこのフクロムシと付き合って行くか、だ。
精子が養分とか、たまたまだろう。
そうであって欲しい。
普通に食事を摂っていれば、栄養は行き渡る筈だ。
実際、療養している間はそれで良かった。
一ヶ月程アグナの家で療養し、これからの事を考えていた時だ。
寝ていて失った体力を取り戻す為に、森の中を散策していたら、狼に似た魔獣に襲われた。
流石に、今度こそ死ぬ。
せっかく生き延びたのに。
大体、この森で魔獣に出会した事なんてないのに、何故、今日に限って。
そう思う頭の中を数々の光景が巡って行く。
幼い日の思い出から、村が消える日まで。
時間にすれば、ほんの一瞬だったと思う。
しかし、それはそれより長く感じた。
走馬灯とは、きっとこれなんだと思った。
死ぬのかと覚悟を決めたくないが、決めた時。
グワッと右目が、目が内から蠢いた。
死にたくない…。
どうして、こうなった…?
ヒュー、ヒューと、空気が漏れる様な音が聞こえる。
身体に力が入らない。
指先さえも動かせない。
寒い。
寒い。
目も霞んで先が見えない。
音が遠ざかって行く。
「君、死ぬのか?」
なのに、その声ははっきりと聞こえた。
深く深く、耳に、頭に入って来る音。
「それなら、俺の実験に付き合ってくれないか?」
実験?
「成功すれば、君は生き延びる事が出来る。まあ、失敗すれば死ぬけど」
…助かる…?
「このまま何もしなければ、君は死ぬ。何もしないで死ぬよりは、何かをして死ぬ方が良いと思う。おまけで、生きられるかも知れないし」
…死にたくない…。
「君は、どうしたい?」
…俺は…。
「…あ…つ…ころ…た…」
「ああ、解った」
俺の声が届いたのかは解らない。
なのに、俺に話し掛けて来た男は、はっきりと頷いた。
◇
世界は呪われている。
遥か昔に悪魔と契約した者が居た。
契約の代償は契約した者の生命と、その者の娘だ。
美しい娘だったと云う話だ。
昔話だから、色々と盛られていると思うが。
男はそれを受け入れて契約した。
――――――――表面上は。
男はそれを覆した。
悪魔が望んだのは、清らかで無垢な処女だ。
しかし、悪魔の元へと差し出された娘は処女では無かった。
悪魔は怒り、世界に呪詛を撒き散らそうとした。
二度と世界が栄えぬ様、人間達から繁殖能力を奪おうと。
しかし、素直に娘を差し出す男ではない契約者が、そう易々と悪魔に力を揮わせる筈が無い。
望みを叶えた男は、悪魔を倒せる者を探し出していた。
そうして、悪魔は本来の能力を出し切れないままに、封印される事となった。
倒せはしなかったし、呪いも中途半端にばら撒かれたが、世界は…人間は滅ぶ事無く、世界を、命を今日も繋いでいた。受胎しにくくはなったものの、人は続いている。
…そんな昔話だった物を思い出すのは、これで何度目だろう。
辛うじて残っている壁に背中を預け、肩で息を切らしながら、俺はそう思った。
「…ああ…っ…! シスター、ありがとうございます!」
荒い息を吐く俺の目の前で、先程助けた男の声が掛かる。腰を抜かしたのか、尻もちをつく格好になっているが。
魔獣に襲われていた男だ。
それを俺が助けた。
「…感謝の言葉等…必要ありません…」
あんたの日頃の行いが良いから、俺が間に合っただけだ。
息を整えながらそう言えば、敬虔な信者と思われる男は、胸の前で手を組んで空を仰いだ。神に感謝でもしているのだろう。
俺達が居るここは、元教会だった場所だ。
今?
今は、魔獣…のせいで、壁は崩れ、青空が見える立派な廃墟になっているが。
魔獣…それは、悪魔が創り出した物だと言われている。
人間に害を成す物。
異様な能力を持っている人外の物。
理性のない獣。いや、獣に、元から理性などないか。
それらを纏めて魔獣と呼んでいる。
それらが現れる様になったのは、五年前だ。
五年前…俺が二十歳の時の事だ。
婚約者との結婚を目前に控えたその日、それが起こった。
村の祠に封印されていた悪魔が目覚めた。
そう、俺が住んでいた村には、昔話の悪魔が封印されていた。
だが、俺達は悪魔を封印した者の末裔では、ない。
喚び出した方の末裔だ。
悪魔の恨みを最も買う側の者だ。
喚び出されなければ、封印だなんて事態にならずに済んだのだから。
どんな理由で喚び出したのか、それは喚び出した本人にしか解らない。
そんな悪魔の目覚め等、俺達にしたら、とばっちりも良い処だ。
しかし、そんな物は怒り狂った悪魔には関係ない。
悪魔は、俺の目の前で処女だった婚約者を犯し、殺して喰った。魂ごと。
魂を悪魔に喰われた者は、生まれ変わる事が出来ないと聞く。
俺の婚約者は、悪魔が滅ぶまで囚われたままだ。
死んだのは婚約者だけじゃあ、ない。
悪魔が創り出した魔獣によって、村は全滅した。
俺も瀕死の重傷を負った。
右目も、左脚も右腕も魔獣に喰われ、腹も喰われた。
刻一刻と死の足音が近付いていた。
そんな時だ。
暢気な声を掛けられたのは。
『君、死ぬのか?』
今思えば、あれは立派な詐欺の手口だったのだろう。
だが、俺は死にたくなかった。
だから、奴の実験に付き合う事にした。
「…どうしても感謝をと言うのなら…私のお願いを…聞いて戴けますか…?」
そんな事を思い出しながら、お決まりとなった言葉を吐く。
「じ、自分に出来る事なら、なんでも! あ、もしかして怪我でもされましたか!? あ、身体を休める場所の提供とか!? 魔獣に破壊されてなければ家へ…」
そう。
大概の男達は、同じ事を言って来た。
「…いいえ…そのどれでもありません…お願いと言うのは…」
言いながら、俺は身に纏っている衣服…この男が先刻呼んだ様に、俺は黒いシスター服を身に纏っている。頭には白いレースのヴェールを被っていたが、魔獣との戦いで、床…土が見えているが…へと落ちていた。
だが、今はそんなのに構ってはいられない。あれは、目を隠す物で、今は、その必要は無い。
だから、俺はそれを無視して、右手でスカートの裾を掴み、捲り上げて行く。
「…は…え…?」
脚が、太腿が露わになるにつれ、男の声が上ずり、目が上下左右へと忙しなく動いて行く。
男の動きに、くっと喉を鳴らして、左手で首元まである襟のボタンを緩めて行く。
狼狽える男を尻目に…文字通り尻目、か。
俺はくるりと身体を翻し、壁に左手をついて、男へ背中を向け尻を突き出した。
「う、あ…」
腰まで捲り上げたスカートの下には、何も穿いてはいない。
青空の下に晒された生尻を、冷えた空気が掠めて行く。
しかし、それは、孔から甘い薫りを放ち、トロトロとした蜜を零す俺には、物足りない刺激だ。
もっと、強い刺激が欲しい。
こんな物じゃあ、この身体は満足しない。
「…貴方の性器をここへ…この中に…貴方の生命の子を…注いで下さい…」
スカートを捲っていた手を動かして、俺は尻を開いて見せる。
溢れた蜜が、指先を濡らす。
「…あ…あ…?」
信じられないと云う様な響きを持った声に、俺は苦笑するしかない。
普通、どんな事があっても、男は女みたく濡れたりはしない。
これは、実験のせいだ。
死と引き換えに付き合った実験の結果がこれだ。
実験のおかげで、生き永らえる事が出来た。
失った身体の部位も戻った。
しかし。
それと引き換えに、俺は男の尊厳を失った。
女を知るより先に男を知る事になるとは、あの時は思いもしなかった。
仕方が無い事だと、何度言い聞かされ、聞かせた事だろう。
『実験に失敗は付き物だから。失敗してこそ学べる事がある』
ヘラヘラ笑いながら言う、あいつの顔を殴ったのは何時の事だったか。
『強い力には代償が付く物。諦めて』
実験のおかげで、強い能力も手に入れた。
それのおかげで、魔獣を倒す事が出来る。
が。
「…能力を使った反動です…生命を…精子を…戴かないと…私は…死んでしまいます…」
尻を開く指に力を入れて、俺は懇願する。
本当に冗談じゃないと思う。
しかし、それを貰わないと、俺の身体に寄生してるそいつが死んでしまう。
そいつが死ねば、俺も死ぬ。一蓮托生だ、畜生。
「…どうか…情けがあるのなら…」
顔を後ろへ向けて俺は懇願する。
涙を浮かべれば、男の喉が大きく動くのが見えた。
実験…そいつに寄生されたせいで、俺の容姿は悉く変わってしまった。
黒かった髪は白銀へ。
それなりについていた筈の筋肉は、ごっそり落ちた。
瞳の色も、黒から薄い灰色へと。
声も。女にしては低い声だが、男にしては高過ぎる…そんな声に。
男物の衣服が似合わなくなった。
かと言って、女物のヒラヒラした服なんて着る趣味は無い。
妥協して、シンプルなシスター服になったと云う訳だ。
なんだかんだで、この服は都合が良い。
幸いと言って良いのかは謎だが、俺はそれなりに整った顔をしているらしい。
だから、こんな風に誘って断られた事は一度も無い。
「あ…」
ふらふらと男が立ち上がり歩き出し、俺の腰を掴もうと手を伸ばして来た瞬間…――――――――。
「…がっ…!?」
そんな声の後に、男はまた床へと沈んでしまった。
「………」
またか、と、俺は無言になる。
…断られた事は一度もないが、誘った相手に抱かれた事は一度も、ない。
「どうして、俺が来るまで待てないのか」
断られた事はないが、無為になった事は数えきれない程にある。
それは、こいつが。
しれっと平々凡々な男を床に沈め、その男の頭を踏み付ける、平々凡々ではない、こいつが。
俺に実験を持ち掛けた男が、毎度毎度邪魔するからだ。
どうしてだと?
いつ来るか解らない男より、目の前の男だろう。こちとら、くたばる気はないんだ。
そう言い返したいが、身体はもう限界だ。
頭痛はするし、何とか整えた呼吸も、また乱れて来た。
壁に置いていた手にも、もう力が入らず身体を支えていられない。ずりずりと、崩れかけた壁に背中を擦り付けながら、俺の視界は落ちて行く。
「…は…っ、なら…早くしろ…」
「言われなくても」
◇
フクロムシ。
それが、俺に寄生しているやつの名前だ。
いや、それを手本にしたと言うべきか。
魔獣でも何でもない、そこらの海に棲む生物だと云う。
山にある村に住んでいた俺は、海なんて見た事は無かったし、そんな生物の事も知らなかったが。
そいつは寄生した生き物の中で繁殖をして、宿主に産ませるそうだ。
寄生した生き物から、己と子が生きる為の養分を貰いながら。
そして、寄生した相手がオスならば、それをメス化させて、無理矢理にでも卵を産ませる様にすると。
話を聞いた時は眩暈がした。
繁殖の為に他の生き物に寄生するとか、性別を変えるとか、種の生存本能強過ぎ、逞し過ぎるだろうと思った。
ともかく、俺を実験体にした男は、フクロムシが持つメス化の能力に目を付けた。
悪魔が放った呪詛は、今も続いている物だ。
人間は滅んではいないが、このままでは先細りしていくだけだ。
だから、俺を実験体にした男…アグナは、男でも受胎出来る様にならないかと模索して、フクロムシへと辿り着いた。
フクロムシは、人間に寄生はしない。それを研究に研究を重ねて、人間に寄生出来るフクロムシをアグナは創り出した。それが、今の俺に寄生しているフクロムシだ。
アグナ曰く。
『メス化だけのつもりだった』
メス化だけさせて、受胎出産させるつもりだったのだが、そうは行かなかった。
この男は、フクロムシに寄生され、まだ意識が戻らない俺に、勝手に種付けしやがった。
『実験は失敗だ』
意識が戻った時に聞かされた言葉がそれだ。
頭の上に、巨大な疑問符が浮かんだのは言うまでもない。何せ俺は瀕死の状態だったのだ。生きているのだから、成功なのでは? と、思ったが、アグナから詳しい話を聞いた俺は、取り敢えず、一発、そのお綺麗な顔を殴った。勿論、拳でだ。
どんな方法で調べたのかは知らない。
とにかく、アグナが俺の中に放った精子は着床せずに、全部フクロムシに吸収されたそうだ。
『なるほど、精子が養分と云う事か。孕む事が大前提だから、一番のご馳走になった…と言う事か』
ベッドの上で、それを聞いていた俺は、またアグナの顔を殴った。
そこで漸く、失くした右腕がある事に気付いた。目も、脚も、喰われた腹も復活していた。
失敗どころか、大成功だろうと俺は喜んだ。
『君が死ねばフクロムシも死ぬからな。生きる為に、宿主の肉体を修復したのだろう。己を張り巡らせて』
…なんて?
『君の欠損した部位は、フクロムシが擬態して補っている』
……なんて?
『因みに、フクロムシが死ねば君も死ぬ。それが寄生するモノとされる者の宿命だ』
もう一度、俺はアグナを殴って、不貞寝した。
不貞寝しながら考えた。
童貞より先に処女を喪った事は、この際どうでも良い。何せ、記憶外の事なのだから。
考えたのは、どうやってこのフクロムシと付き合って行くか、だ。
精子が養分とか、たまたまだろう。
そうであって欲しい。
普通に食事を摂っていれば、栄養は行き渡る筈だ。
実際、療養している間はそれで良かった。
一ヶ月程アグナの家で療養し、これからの事を考えていた時だ。
寝ていて失った体力を取り戻す為に、森の中を散策していたら、狼に似た魔獣に襲われた。
流石に、今度こそ死ぬ。
せっかく生き延びたのに。
大体、この森で魔獣に出会した事なんてないのに、何故、今日に限って。
そう思う頭の中を数々の光景が巡って行く。
幼い日の思い出から、村が消える日まで。
時間にすれば、ほんの一瞬だったと思う。
しかし、それはそれより長く感じた。
走馬灯とは、きっとこれなんだと思った。
死ぬのかと覚悟を決めたくないが、決めた時。
グワッと右目が、目が内から蠢いた。
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性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
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