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第1話 プロローグ
しおりを挟むブルルルルル
ガタガタ、ザーザー。
リアナは目を閉じたまま、聞こえてくる音を不思議に感じていた。
なぜか、頭が重く、腰や肩、手首が締め付けられるような痛みを感じる。
少しだけ体を動かそうとするが、動かない。
ザーザー、ゴロゴロゴロ。
雷の音が聞こえてくる。
明日はリアナの婚約式がある。
リアナの優秀な姉が8年前婚約者を捨てて失踪した。その後リアナの生家は没落した。元々父の会社への大型投資を含めた婚約だった。婚約と共に投資が無くなり、劣化した工場を新築する計画が無くなってしまった。当時学生だったリアナにはどうする事も出来なかった。
リアナは22歳になり、父の会社の優秀な社員と婚約する事が決まった。婿養子を取り、会社の後継者問題解決と、企業イメージ改善の為の婚約だった。
だから、明日は晴れてほしい。
大事な婚約式だ。
ザーザーザーブーーーー、ブルルルル。
エンジン音が体をわずかに震わせる。車の走行音と激しい雨の音に包み込まれる。
ティコティコティン。
スマホの電子音でリアナは、目をうっすらと開けた。
リアナは車の助手席にいた。
目の前のフロントガラスに激しい雨が叩きつけられ、ワイパーが何度も雨を拭っている。
「もしもし。今向かっている所だ。」
リアナは、聞き覚えのない男性の声に驚く。
ゆっくりと隣の運転席を見ると、そこにはワイヤレスイヤホンをつけて会話をする20代の男性がいた。
筋肉質で茶髪の男性はリアナが見た事のない人物だった。
運転しながら、彼は誰かと話をしている。
相手の声は聞こえないが、男はかなり親しい人物と会話している事が伝わってくる。
「ああ、順調だ。峠にたどり着けば、崖から落として終わりさ。雨が激しくて嫌になるが、雨が痕跡も消してくれる。ついているよ。」
男は口を歪めながら、笑って話をしていた。
嫌な予感がし、リアナは男から目を背けた。
リアナの両手は縄で縛られ、シートベルトで助手席に固定されていた。
捨てるとはリアナの事だ。
男と電話の相手はリアナを殺そうとしている。
緊張と不安でリアナの頭は混乱していた。
どうしてこんな事になったのか必死に思い出そうとする。
昨夜は、父に言われて会社に書類を取りに行った。
あの時、父はとても難しい表情をしていた。直ぐに書類が必要だとリアナに伝えてきた。
会社についた直後、リアナの婚約者と会った。
彼は、リアナに、もうすぐ仕事が終わるから送っていくと言っていた気がする。
社長室の鍵を開けて中に入った後が、どうしても思い出せない。
ザーーザーーーザーーーザーーー
山道をリアナが乗った車が走っている。
時折、車体がグラグラと揺れる。
道路がかなり劣化しており、凹凸が激しい様子だ。
車はかなりのスピードが出ている。
ライトに照らされた雨がキラキラと輝きながら降り注ぎ、地面に落ちた大きな雨は水たまりに無数のドームを作り出しては消えている。
道路の斜面は激しい雨で浅い川を作り出し、車のタイヤが水を跳ね飛ばしながら進んで行く。
鬱蒼した木々の間の道路は見晴らしが悪い。リアナは直線の向こうの急カーブを見つけて、目を見開いた。
かなりスピードが出ている。隣の男は電話でのやり取りに気を取られている。ブレーキを早くかけないと。
「ああ、上手くやるよ。可哀想にな。婚約式の前日に行方不明とは。まだ、よく寝ているから問題ないさ。」
その時、男がリアナを見た。
「まさか。起きているのか!ううわあ。」
男はやっとカーブに気が付いたらしくブレーキを強く踏む。
道路に溢れる水で滑り、車のスピードが落ちない。
「くそ!」
男は大きく左にハンドルを切った。
その時、車が大きく浮かび上がり、助手席を下にして傾いていく。
ドーン、ザザザザザ、ゴロゴロゴロ。
リアナは体を固くして、両足を突っ張り、目を見開いて前を見ていた。
ゆっくりと傾く車体。
リアナの隣の窓がアスファルトにぶつかり、大きな音を立てる。
ギギギギギギ。
そして、車は道路から離れ、木々の中へ落ちて行った。
バキバキギギギギ。
木々を押し倒し、車が斜面を下っていく。
折れた木がフロントガラスを突き刺さる。
(もうダメだ。)
ドーーン
リアナが死を覚悟した時、大きな音と共にフロントガラスが砕け散った。
鋭い木がリアナに迫ってくる。
リアナは、目を見開き鋭い木を凝視した。
バギバキドーン。
リアナの胸の前10㎝の所に鋭い木が突き出していた。
車の窓ガラスは全て粉々に砕かれ、運転席は潰されていた。
さっきの大きな音は、大樹に運転席の天井がぶつかった音だったらしい。運転席にいた男は、押しつぶされて頭と顔が血だらけになり、腕はだらりと垂れ下がっている。
はあ、はあ、はあ。
ふうー。
リアナは、呼吸を整えて、大きくため息をついた。
両手の縄を必死に目の前の尖った木の枝にこすりつける。
ブチ、ブチ。
縄がちぎれ、両手が解放された。
車から脱出しなければならない。
雨はいつの間にか小雨になっている。
グラグラ、ドシ。
リアナの上方で動かなくなっていた男が、崩れ落ちてきた。
体をひねり、リアナは、男を踏み台にして、運転席側の窓枠へ手を伸ばした。
男はまだ生きているかもしれない。
でも、確認する気にはなれなかった。
早く逃げないと、脱出しないと。
手がこわばり、小刻みに震える。
両手を窓枠にかけて、動かなくなった男を踏み、両腕の力で体を持ち上げた。
潰された車の上に登ったリアナは、斜面の上の道路を見上げる。
かなり長い時間斜面を滑り落ちたと思ったが、2m程登れば道路へ辿り着きそうだった。
車から降り、少し離れた場所の木の幹を手で握りしめた。
ぬかるんだ地面。木の幹を掴むと手がヒリヒリとする。
必死に足を持ち上げ、木を伝いながら登っていく。
今は、あそこまで登って‥‥‥
道路のアスファルトへ手が届いた。
この固い無機質がこんなに安心するなんて。
リアナは、斜面に足をかけて、倒れこむように道路へ身を乗り出した。
ゴゴゴゴゴゴッゴ
大きな音がして、リアナの隣のアスファルトが崩れ落ちる。
慌ててリアナは、崩れるアスファルトの反対側へ向かった。
音が落ち着き、振り返ると、一部の道路が崩れていた。
暗くて良く見えないが、山の斜面が大きく崩れたみたいだった。
さっきまでリアナがいた車の場所に空間が広がっている。
リアナは、呆然とその場に座り込んだ。
どのくらい時間が経ったのだろう。
空が明るくなってきた。
「今日は、大事な婚約式なのに。」
そう、大事な婚約式だ。
父の会社の存続をかけた婚約。だけど、戻りたくない。誰かが私を殺そうとしている。土砂と共に崩れ落ちたあの男は、誰かと電話をしていた。リアナの事を知っている誰かと。
どうしても分からない。
誰がリアナを殺そうとしているのかが。
電話の先にいた人物が諦めたとは思えない。
車が落下した事でリアナも一緒に落ちたと思われたはずだ。
帰ったら殺される。そんなに恨まれるような事をしてきたとは思えない。
帰りたくない。
朝日がリアナを照らした。
濡れた木々が、太陽の光を反射し無数の光がリアナに降り注ぐ。
生きている。
殺されそうになったけど、事故に遭ったけど、一人きりで山奥に残されたけど、生きている。
朝日の中に希望を感じ、リアナは前へ足を踏み出した。
リアナは山から一人降りて行った。
何時間歩いただろう。山道を降りると、県道にたどり着いた。古ぼけたバス停がある。
リアナは黒のパンツスーツを着ていた。撥水加工のスーツと黒の通勤靴の泥をポケットのハンカチで拭い、リアナはバス停のベンチに座った。まだ胸がドキドキと高鳴っている。体が異様に軽く感じる。
どうすればいいのか。
あの男は誰なのか?なぜリアナを殺そうとしていたのか?
答えの無い問いが頭の中を駆け巡る。
ブルブルブルー。プシュー。
考えているとバスが来てリアナの前に止まり、ドアが開いた。
リアナはバスに導かれるように乗りこんだ。
ボンヤリと考え事をしていたリアナにバスの行先は分からない。バスはどんどん進んで行く。
バスは定期的に止まり、周囲に山が多い田舎道なのに、沢山の女性や男性が乗ってきている。
リアナの隣にも一人の女性が座った。
隣の女性は、大きなカバンからいろんな物を出している。
化粧をして、書類を確認しているようだ。スマホが鳴り、女性は電話に出た。
「本当?うれしいわ。」
女性は涙目で口に手を当てて電話先の相手と話をしている。
電話を持ったまま、女性は慌てて次の停留所で降りていった。
その時、数枚の用紙が落ちる。リアナはとっさに拾い女性に声を掛けようとするが、既に女性はバスから降りた後だった。
その紙は身分証明書のコピーと履歴書の用紙だった。
名前の欄には、九条リアナと書かれていた。
自分と同じ名前だとリアナは不思議な偶然に気をよくする。
バスは、森の中を進み、厳重な門の中に入って行った。
たどり着いた屋敷で、乗客が皆立ち上がり降りていく。
用紙を持ったままだったリアナに声をかけてくる者がいた。
「やっとついたわ。あら貴方もハウスメイド希望なのね。私と一緒だわ。」
茶髪で、そばかすの女性は、リアナの持っている書類を見て朗らかに笑った。
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