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第2話 海底

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ミライザはゆっくりと沈んでいった。

海流がミライザを翻弄し、分厚いメガネが流され、結い上げた黒髪が解ける。
 
ミライザの長い黒髪は、実母譲りで艶があり、緩やかにカーブしている。

ゆっくりと沈むミライザを長い黒髪が包み込み、ミライザの視界は、無数の黒線と澄んだ青に覆われた。

両親の不仲の原因は自分のせいだとミライザはずっと思い込んでいた。実母が生きていた時、時折夜中に両親が言い争う声が聞こえていた。

マージャス侯爵家の証の水色の髪。

ミライザの黒髪は、マージャス侯爵家に相応しく無い。父は、母を疑い、ミライザの血筋を疑っているようだった。

父と言い争った後の母は、いつも酷く憔悴していた。

ある日、母が言っていた。

どうして、あの人は私の事をそんなに疑うのだろうと。

母は疲れ切っていた。

疑われ続け、ミライザを実子だと認めない父。信頼されない日々。

母だけだったのに。

ミライザを愛してくれるのは、母だけだったのに。

今でもミライザは後悔する。

もっと早くマージャス侯爵家から出ていけば良かった。出来るなら、母が生きている時に戻りたい。そうしたら母と一緒に出ていくのだ。あんな父親も家も捨てて。






ミライザの身体は、ゆっくりと海底についた。体が海底についた瞬間、細かい粒子が海を舞う。キラキラと虹色に輝いているように見える粒子は珊瑚のカケラのようだった。

遥か頭上の船影はもう見えない。

自殺した出来損ないの侯爵令嬢の事など忘れパーティを続けているのかもしれない。

ミライザが帝国学院から侯爵家に帰った時、既に縁談が纏まりかけていた。ミライザにとって突然の婚約話は、父が熱心に推し進めたらしい。マージャス侯爵家の婿養子に選ばれたギンガス伯爵家三男との縁談だった。もちろんミライザは直ぐに断った。相手にも丁寧にお詫びの手紙を書いた。

その直後、不出来で根暗なマージャス侯爵令嬢が派手に振られたと噂が立った。バカバカしい噂だ。確かに父の侯爵が薦めた縁談を、ミライザの一存で破棄したのは、まずかったかもしれない。ギンガス伯爵家としても、息子が行き遅れのミライザに断られた事が納得出来なかったのかもしれない。

中には、ミライザが酷く落ち込んでいるという噂や、ショックで精神に異常をきたしたという噂も含まれていた。

あまりにも酷い噂に、憤りを感じたが、ミライザは放っておいた。どうせ、侯爵令嬢としての人生も、結婚も、とうの昔に諦めている。

大型船の完成披露パーティさえ終われば、帝国学院へ帰るのだ。

また、研究尽くしの日々が始まる。

そう思っていた。






遠く離れているはずなのに、澄んだ海は太陽の光を通してミライザを照らしている。

無数の小さな気泡が舞い上がる幻想的な光景をミライザは海底に横たわりながら、ただ見ていた。

何かがおかしい。

確かに短剣で胸を刺されたはずだ。

だけど、身体は胸を中心に暖かい。

眼鏡が無いにも関わらず、視界は澄み渡り、遠くの魚影がよく見えるような気がする。

そんな筈があるわけ無い。

ミライザは、眼鏡が無ければ、読書さえできないくらいの近眼だ。

義母がマージャス侯爵家に来て直ぐに、ミライザは、北側の小さな物置へ部屋を変えられた。
それまで使っていた日当たりがいい南側の子供部屋は義妹の部屋になり、屋敷内や庭を歩いているだけで叱られる。

ミライザにできる事は、本を読む事だけだった。マージャス侯爵家は、代々海運業を生業にしてきた。造船技術、航海術、自然科学、生命学等あらゆる専門書が書庫に集められていた。ミライザは薄暗い部屋で、本を読み漁った。

マージャス侯爵家の長女であるミライザが正式な跡取りだと認められる筈だと。父に優秀な娘だと認められたい。そう思っていた。

ミライザの眼はすぐに悪くなった。年々分厚くなる眼鏡。どんどん悪くなるミライザの評判。新しい義母は、社交界でミライザの事を悪く言っているみたいだった。根暗で冴えない黒髪の醜い娘ミライザ。

亡くなった実母は、ミライザはとても可愛いと言っていた。将来は美人になると、微笑んでいた記憶がある。

だけど、分厚い眼鏡を外して鏡を見てみると、そこにはボヤけた顔のミライザしか映っていない。

マージャス侯爵家の長女は根暗で醜い。

いつの間にか、屋敷の使用人達まで噂をしてミライザを雑に扱う。

10歳を過ぎる頃にはマージャス侯爵家にミライザの居場所は無くなっていた。

どんどん亡き母の言葉が薄れていく。義母の言葉が真実で、ミライザは酷く醜い顔をしているのかもしれない。そう感じるようになっていた。









暖かい。






透き通った海がミライザを撫でる。


どこまでも優しく穏やかな海。ミライザは母を思い出した。


(お母様。会いたい。)




目の前を漂う長い黒。


繊細で優しい母をミライザは思い出していた。














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