61 / 136
伝説の紫
しおりを挟む
『で? どう落とし前付けてくれるつもりだ?』
スマホのライトだけが頼りの洞窟で、何故かボスに迫られるこの状況。横抱きにされた俺は胸の前で両手を出し、完全に降伏の意を示す。
『あのっ…俺はどうしたら…』
何故だ。
聞いている限り、八つ当たりされたのは完全に俺の方なのに傷付けられたと迫るボスに手も足も出ない。そんなやり取りが続くと少しムッとした表情で話していたボスが段々と口角を上げ始める。
『そうさなァ。先ずは帰ったら俺だけの為に弁当をこさえて来ることだな。なんたって夏休み、なんだろ?』
え。お弁当…? そんなことで良いのか。
『…出前取れば良いって言ったじゃないですか。それとこれとは別問題です』
今度ムッとして顔を背けるのは俺の方だった。なかったことになんかしない、と思いつつ相手がどんな反応になるか内心ビクビクしている。
『ああ。俺以外の奴等は出前でも取ってりゃ良い』
抱き直されて、さっきよりも密着するようにされてしまう。ただでさえ肌と肌がくっ付いて気が気じゃないのにそんな風にされては顔が茹ってしまう。
こ、こんな顔をしていたら俺の気持ちがバレる…!!
『お前は俺のことだけ考えて、俺の為だけに作れ。最優先事項だ。ちゃんと出来るな?』
『なっ、何言って…?! ぅ、…っ勝手ばかり言って…大体っ! こんなところまで来るなんてバカなんじゃないですか! この先が行き止まりで、後ろから水が迫って来たらどうするんです!
…俺と違って、貴方の替えは利かないんですよ…』
助けに来てくれて嬉しかったのに。それと同じくらい怖くなる。だって、一人なら諦められるけど…目の前にいたら失う恐怖が付き纏う。
貴方は知らないだろう。貴方を襲う何かが迫って来ないように五感をフルで稼働させる大変さも、怖さも。
『恨むなら何遍も俺を助けてきたお前自身を恨め』
何処からか、あたたかい風が吹いてきた。
『お前が俺を生かしたんだろォが。それで今度は俺がお前を助けて何が悪ィんだ』
洞窟の奥に明かりが見える。
思わず息を呑んだ俺の頬に何かが飛んで来て、張り付いた。取って確認するとそれは薄い…紫色の花弁でなんとも綺麗な色だった。先に向けて薄くなるグラデーションが美しい。
…え、紫色の花弁って…。
『命くらい、懸けるに決まってンだろ』
洞窟の先には様々な植物が垂れ下がって出口を覆い隠していたが、そのグリーンカーテンの隙間から太陽の光が惜しみなく降り注ぐ。
俺は出口にあった巨大な岩に座らされ、ボスが出口の草花を除去するのを見守っていた。
『…綺麗だ…』
洞窟の先には小さな理想郷があった。所狭しと咲き誇る紫色の美しい花。六枚の花弁を持つ花は、真夏の下でも凛と咲き、風が吹いては花弁を舞わせる。
…そういえば、とふと思い出す。
この国でバランサーとして正式に登録された時、固有の名前を貰ったのだった。その名前で呼ばれたことなんて皆無だから忘れていた。偉い人たちが何日も頭を捻って考え、贈られた名前。
なんだったか…確か紫は入ってた気がするんだけどな。意外とまんまじゃん、って思ったような…いや忘れたわ。ごめん。
『宋平』
名前を呼ばれて顔を上げると、目の前に紫色の花束が差し出される。ふわりと香る匂いは上品でとても良い香りだ。咄嗟に両手でそれを受け取ると貰っても良いものか今更反応に困る。
だってこれ…つまり幻の花なんじゃ…。
『ウチの土地のモンだ。問題ねェよ』
それなら、と再び花の香りを楽しんでいると一際強い風が吹いて花弁が舞う。花畑をバックに立つボスは花吹雪の効果もあってか神秘的な姿で目を奪われる。
きっと神様がいたら、こんな風なんだ…。
『…なるほどな。思わず囲いたくなるのもわかるってモンだ』
そうだね。めっちゃ綺麗な花だもん。
うんうん、と頷いていたら何故か心底残念そうな顔をしたボスが思いっきり目の前で溜め息を吐いた。
なに人の顔見て盛大な溜め息してるんだ! どーせアンタと違ってこっちは冴えない顔だよ、悪いか!
ふんだ。と花束で顔をガードしてそっぽを向いてやる。そんなに言うほど綺麗なんだから、一生目に焼き付けなよ。
『宋平』
…もう。さっきからその、やたら甘くて低い声で人の名前を呼ぶの止めてほしい…。
『ぇ?』
それでも呼ばれたら顔を向けてしまうのが性だ。だけど、それからすぐに顎に手を添えられて軽く上を向くようにされた瞬間、
ふに、と…唇に何かが重なった。
ただ、重なっただけ。唇と、唇が…。至近距離にいるボスの顔が綺麗で呼吸すら忘れてしまう。
え。
唇と、くちびるが…重なる?
『っ?!』
キスしてる…? ボスと?
な、なんで?! 夢かっ。俺もガスにやられてたのか?!
それだけではない。絶賛ウロウロ、ブルブル震えていた両手はボスによってギュウっと恋人繋ぎみたいにされて花束は膝に落ちてしまう。
思わず引いてしまいそうになった上体が、繋がれた手によって完全に逃げられなくされる。
『宋平』
唇が離れて名前を呼ばれても、もう顔を上げることなんて出来ない。自分がどんな顔をしているかわからなくて怖い。それなのに、意地悪なボスは俺を抱き上げて無理矢理その顔を拝む。
『~っ、見ないで!! 見ないで下さい!!』
紫色の花畑でボスの笑い声が響く。あまりにも笑うものだから両手でボスの目を隠すも、ちっとも効果がない。
『可哀想になァ。俺のとこに来たばっかりに奪われてばっかでよォ』
『ファーストキスか?! ファーストキスのことを言ってるんですか!!』
奪った自覚があるんですね法廷で会いましょう!!
兄ちゃんたちでさえ小さい頃から可愛い可愛い言いながらもキスはしませんでしたよ!!
『そもそもっ! 許嫁がいながら何てことするんですか?! 最低ですよ、このファーストキス泥棒!』
『許嫁の段階でギャーギャー言われる筋合いはねェな。なに。最低だ?
はっ。誰に言ってやがる。奴との契約書に許嫁の期間に他の人間にキスをしない、なんて一切記載してねェよ。ヤクザに最低なんざ、犬に散歩ってえのと同レベルの言葉だなァ』
揚げ足取りッ!!
なんだこの言い訳のプロみたいな台詞!
『…おい。ンなことより、こっちはまだ一度も問い掛けに答えてもらってねェんだがなァ?』
『こたえ?!』
『一緒に帰るってのにも、謝罪に対する返答も、弁当の件も全部有耶無耶にしやがって』
隠していたボスの目から手を少しだけ退かすと穴が開きそうなくらい真っ直ぐこちらを見るものだから再び隠す。再び名前を呼ばれるも黙っていたら急に俺を抱いている腕の力を緩めるものだから焦ってボスの首にしがみ付く。
『答えねェならもう一回してやろォか?』
何を? なんて、すっとぼける訳にはいかない。ズイ、と一瞬で距離を詰めるボスに俺は悲鳴を上げてなんとか逃れようと更に首にしがみ付いて顔を背ける。
『…もうしちゃダメです。っ心臓、壊れちゃう…』
さっきからずっと、胸が痛い。喜びが限界を突破して…でも。もっと欲しいという貪欲な自分が浅ましく思えて仕方ない。
これ以上っ、俺の心臓をうるさくさせないでくれ!
『ならどォしろって? 俺は一体全体、何をしたらお前にまた受け入れられるのかねェ』
受け身でいるくせに完全に面白がっているのが、声でわかる。
ボスの肩に頬を乗せながら…ずっと話せなかったことを語る。
『…なら。俺からも貴方への問い掛けを』
そっと肩に顔を埋める俺にボスの揶揄う声は消え去り、静かな風の音と僅かな波の音だけが残る。
『お弁当…渡せなくて、ごめんなさい。俺も…その、食事会が羨ましくて。俺だってまだ数回しか一緒に食べてないのに。もっといっぱい、皆も一緒にご飯食べたかったのにって…。
あの日だって。食事会じゃなくてお弁当で…、俺だって渡したかった。
…肉料理…、いっぱい研究して作れるように頑張ってたのに』
本で研究したり、スマホで新しいレシピを見たり、実際に頼んだり…次に備えて頑張って用意してたのに。
『かなしかった』
そうだ。あの日、感じたのは…どこか落胆した気持ちと努力の行き場。もしも。これからの料理やお弁当の役割を、彼に取られたらという焦りと、嫉妬。
『…だから生意気にも、言い返してしまいました…俺の方こそ、すみません』
だから刃斬の分しか用意しなかった。おかずだけでも渡すことは出来た。でも、それはしなかった。
『それでも俺を連れて帰るんですか』
こんな、仕事に支障をきたすような奴を手元に置くなんてどうかしてるよ。後どのくらい借金があるかはわからないが、こんなに振り回される人間ならいっそ捨て置くのが適切じゃないのか。
『…だからお前、出て来なかったのか…?』
返答はしなかった。だけどこの場合、無言がつまり肯定ということになる。花束を抱きしめながらボスの身体から離れようとしたのに、それを許さないとばかりに強く…強く、抱きしめられた。
『っお前なァ…』
答えを聞くのが怖くてビクリと震えた身体を、ボスが丁寧に触れてから何度も優しくさすってくれた。乾いた身体に触れる体温が温かい。此処は土地柄か偶に肌寒いくらいの風が吹くから。
『どォ考えても俺のせいじゃねェか…。あー…ったく、お前はそういう、堅気のくせにどうにも義理堅ェ性格しやがって。
ああ、よしよし。俺が悪かったから…泣くンじゃねェ。そんな可愛いこと言う奴を一人置いてく訳ねェだろ、…ん? な。迎えに来たから、俺と一緒に帰って弁当作ってくれ。
寂しい思いさせて悪かった』
カチリ、と何かが胸の中でピッタリとハマったような気がして思わず再び首に手を伸ばして今度はしっかりと抱き付いた。
『寂しかった…、ん。寂しかったです…』
『…わかった。教えてくれてありがとな、宋平』
ワーワー泣く俺をずっと抱きしめながらずっと岩の上に座ってあやすボス。気付けば周りは僅かに赤みが差してきたと気付いたら、上空から何かが降りて来て空中にて停止する。
【おー!! 見つけた見つけた、全員聞け~
儂らのボスと可愛い弟分がイチャコラしながら生きてるヨー】
…はい?
.
スマホのライトだけが頼りの洞窟で、何故かボスに迫られるこの状況。横抱きにされた俺は胸の前で両手を出し、完全に降伏の意を示す。
『あのっ…俺はどうしたら…』
何故だ。
聞いている限り、八つ当たりされたのは完全に俺の方なのに傷付けられたと迫るボスに手も足も出ない。そんなやり取りが続くと少しムッとした表情で話していたボスが段々と口角を上げ始める。
『そうさなァ。先ずは帰ったら俺だけの為に弁当をこさえて来ることだな。なんたって夏休み、なんだろ?』
え。お弁当…? そんなことで良いのか。
『…出前取れば良いって言ったじゃないですか。それとこれとは別問題です』
今度ムッとして顔を背けるのは俺の方だった。なかったことになんかしない、と思いつつ相手がどんな反応になるか内心ビクビクしている。
『ああ。俺以外の奴等は出前でも取ってりゃ良い』
抱き直されて、さっきよりも密着するようにされてしまう。ただでさえ肌と肌がくっ付いて気が気じゃないのにそんな風にされては顔が茹ってしまう。
こ、こんな顔をしていたら俺の気持ちがバレる…!!
『お前は俺のことだけ考えて、俺の為だけに作れ。最優先事項だ。ちゃんと出来るな?』
『なっ、何言って…?! ぅ、…っ勝手ばかり言って…大体っ! こんなところまで来るなんてバカなんじゃないですか! この先が行き止まりで、後ろから水が迫って来たらどうするんです!
…俺と違って、貴方の替えは利かないんですよ…』
助けに来てくれて嬉しかったのに。それと同じくらい怖くなる。だって、一人なら諦められるけど…目の前にいたら失う恐怖が付き纏う。
貴方は知らないだろう。貴方を襲う何かが迫って来ないように五感をフルで稼働させる大変さも、怖さも。
『恨むなら何遍も俺を助けてきたお前自身を恨め』
何処からか、あたたかい風が吹いてきた。
『お前が俺を生かしたんだろォが。それで今度は俺がお前を助けて何が悪ィんだ』
洞窟の奥に明かりが見える。
思わず息を呑んだ俺の頬に何かが飛んで来て、張り付いた。取って確認するとそれは薄い…紫色の花弁でなんとも綺麗な色だった。先に向けて薄くなるグラデーションが美しい。
…え、紫色の花弁って…。
『命くらい、懸けるに決まってンだろ』
洞窟の先には様々な植物が垂れ下がって出口を覆い隠していたが、そのグリーンカーテンの隙間から太陽の光が惜しみなく降り注ぐ。
俺は出口にあった巨大な岩に座らされ、ボスが出口の草花を除去するのを見守っていた。
『…綺麗だ…』
洞窟の先には小さな理想郷があった。所狭しと咲き誇る紫色の美しい花。六枚の花弁を持つ花は、真夏の下でも凛と咲き、風が吹いては花弁を舞わせる。
…そういえば、とふと思い出す。
この国でバランサーとして正式に登録された時、固有の名前を貰ったのだった。その名前で呼ばれたことなんて皆無だから忘れていた。偉い人たちが何日も頭を捻って考え、贈られた名前。
なんだったか…確か紫は入ってた気がするんだけどな。意外とまんまじゃん、って思ったような…いや忘れたわ。ごめん。
『宋平』
名前を呼ばれて顔を上げると、目の前に紫色の花束が差し出される。ふわりと香る匂いは上品でとても良い香りだ。咄嗟に両手でそれを受け取ると貰っても良いものか今更反応に困る。
だってこれ…つまり幻の花なんじゃ…。
『ウチの土地のモンだ。問題ねェよ』
それなら、と再び花の香りを楽しんでいると一際強い風が吹いて花弁が舞う。花畑をバックに立つボスは花吹雪の効果もあってか神秘的な姿で目を奪われる。
きっと神様がいたら、こんな風なんだ…。
『…なるほどな。思わず囲いたくなるのもわかるってモンだ』
そうだね。めっちゃ綺麗な花だもん。
うんうん、と頷いていたら何故か心底残念そうな顔をしたボスが思いっきり目の前で溜め息を吐いた。
なに人の顔見て盛大な溜め息してるんだ! どーせアンタと違ってこっちは冴えない顔だよ、悪いか!
ふんだ。と花束で顔をガードしてそっぽを向いてやる。そんなに言うほど綺麗なんだから、一生目に焼き付けなよ。
『宋平』
…もう。さっきからその、やたら甘くて低い声で人の名前を呼ぶの止めてほしい…。
『ぇ?』
それでも呼ばれたら顔を向けてしまうのが性だ。だけど、それからすぐに顎に手を添えられて軽く上を向くようにされた瞬間、
ふに、と…唇に何かが重なった。
ただ、重なっただけ。唇と、唇が…。至近距離にいるボスの顔が綺麗で呼吸すら忘れてしまう。
え。
唇と、くちびるが…重なる?
『っ?!』
キスしてる…? ボスと?
な、なんで?! 夢かっ。俺もガスにやられてたのか?!
それだけではない。絶賛ウロウロ、ブルブル震えていた両手はボスによってギュウっと恋人繋ぎみたいにされて花束は膝に落ちてしまう。
思わず引いてしまいそうになった上体が、繋がれた手によって完全に逃げられなくされる。
『宋平』
唇が離れて名前を呼ばれても、もう顔を上げることなんて出来ない。自分がどんな顔をしているかわからなくて怖い。それなのに、意地悪なボスは俺を抱き上げて無理矢理その顔を拝む。
『~っ、見ないで!! 見ないで下さい!!』
紫色の花畑でボスの笑い声が響く。あまりにも笑うものだから両手でボスの目を隠すも、ちっとも効果がない。
『可哀想になァ。俺のとこに来たばっかりに奪われてばっかでよォ』
『ファーストキスか?! ファーストキスのことを言ってるんですか!!』
奪った自覚があるんですね法廷で会いましょう!!
兄ちゃんたちでさえ小さい頃から可愛い可愛い言いながらもキスはしませんでしたよ!!
『そもそもっ! 許嫁がいながら何てことするんですか?! 最低ですよ、このファーストキス泥棒!』
『許嫁の段階でギャーギャー言われる筋合いはねェな。なに。最低だ?
はっ。誰に言ってやがる。奴との契約書に許嫁の期間に他の人間にキスをしない、なんて一切記載してねェよ。ヤクザに最低なんざ、犬に散歩ってえのと同レベルの言葉だなァ』
揚げ足取りッ!!
なんだこの言い訳のプロみたいな台詞!
『…おい。ンなことより、こっちはまだ一度も問い掛けに答えてもらってねェんだがなァ?』
『こたえ?!』
『一緒に帰るってのにも、謝罪に対する返答も、弁当の件も全部有耶無耶にしやがって』
隠していたボスの目から手を少しだけ退かすと穴が開きそうなくらい真っ直ぐこちらを見るものだから再び隠す。再び名前を呼ばれるも黙っていたら急に俺を抱いている腕の力を緩めるものだから焦ってボスの首にしがみ付く。
『答えねェならもう一回してやろォか?』
何を? なんて、すっとぼける訳にはいかない。ズイ、と一瞬で距離を詰めるボスに俺は悲鳴を上げてなんとか逃れようと更に首にしがみ付いて顔を背ける。
『…もうしちゃダメです。っ心臓、壊れちゃう…』
さっきからずっと、胸が痛い。喜びが限界を突破して…でも。もっと欲しいという貪欲な自分が浅ましく思えて仕方ない。
これ以上っ、俺の心臓をうるさくさせないでくれ!
『ならどォしろって? 俺は一体全体、何をしたらお前にまた受け入れられるのかねェ』
受け身でいるくせに完全に面白がっているのが、声でわかる。
ボスの肩に頬を乗せながら…ずっと話せなかったことを語る。
『…なら。俺からも貴方への問い掛けを』
そっと肩に顔を埋める俺にボスの揶揄う声は消え去り、静かな風の音と僅かな波の音だけが残る。
『お弁当…渡せなくて、ごめんなさい。俺も…その、食事会が羨ましくて。俺だってまだ数回しか一緒に食べてないのに。もっといっぱい、皆も一緒にご飯食べたかったのにって…。
あの日だって。食事会じゃなくてお弁当で…、俺だって渡したかった。
…肉料理…、いっぱい研究して作れるように頑張ってたのに』
本で研究したり、スマホで新しいレシピを見たり、実際に頼んだり…次に備えて頑張って用意してたのに。
『かなしかった』
そうだ。あの日、感じたのは…どこか落胆した気持ちと努力の行き場。もしも。これからの料理やお弁当の役割を、彼に取られたらという焦りと、嫉妬。
『…だから生意気にも、言い返してしまいました…俺の方こそ、すみません』
だから刃斬の分しか用意しなかった。おかずだけでも渡すことは出来た。でも、それはしなかった。
『それでも俺を連れて帰るんですか』
こんな、仕事に支障をきたすような奴を手元に置くなんてどうかしてるよ。後どのくらい借金があるかはわからないが、こんなに振り回される人間ならいっそ捨て置くのが適切じゃないのか。
『…だからお前、出て来なかったのか…?』
返答はしなかった。だけどこの場合、無言がつまり肯定ということになる。花束を抱きしめながらボスの身体から離れようとしたのに、それを許さないとばかりに強く…強く、抱きしめられた。
『っお前なァ…』
答えを聞くのが怖くてビクリと震えた身体を、ボスが丁寧に触れてから何度も優しくさすってくれた。乾いた身体に触れる体温が温かい。此処は土地柄か偶に肌寒いくらいの風が吹くから。
『どォ考えても俺のせいじゃねェか…。あー…ったく、お前はそういう、堅気のくせにどうにも義理堅ェ性格しやがって。
ああ、よしよし。俺が悪かったから…泣くンじゃねェ。そんな可愛いこと言う奴を一人置いてく訳ねェだろ、…ん? な。迎えに来たから、俺と一緒に帰って弁当作ってくれ。
寂しい思いさせて悪かった』
カチリ、と何かが胸の中でピッタリとハマったような気がして思わず再び首に手を伸ばして今度はしっかりと抱き付いた。
『寂しかった…、ん。寂しかったです…』
『…わかった。教えてくれてありがとな、宋平』
ワーワー泣く俺をずっと抱きしめながらずっと岩の上に座ってあやすボス。気付けば周りは僅かに赤みが差してきたと気付いたら、上空から何かが降りて来て空中にて停止する。
【おー!! 見つけた見つけた、全員聞け~
儂らのボスと可愛い弟分がイチャコラしながら生きてるヨー】
…はい?
.
129
お気に入りに追加
262
あなたにおすすめの小説
すべてを奪われた英雄は、
さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。
隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。
それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。
すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。
【完結】ここで会ったが、十年目。
N2O
BL
帝国の第二皇子×不思議な力を持つ一族の長の息子(治癒術特化)
我が道を突き進む攻めに、ぶん回される受けのはなし。
(追記5/14 : お互いぶん回してますね。)
Special thanks
illustration by おのつく 様
X(旧Twitter) @__oc_t
※ご都合主義です。あしからず。
※素人作品です。ゆっくりと、温かな目でご覧ください。
※◎は視点が変わります。
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
【完結】僕の大事な魔王様
綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
BL
母竜と眠っていた幼いドラゴンは、なぜか人間が住む都市へ召喚された。意味が分からず本能のままに隠れたが発見され、引きずり出されて兵士に殺されそうになる。
「お母さん、お父さん、助けて! 魔王様!!」
魔族の守護者であった魔王様がいない世界で、神様に縋る人間のように叫ぶ。必死の嘆願は幼ドラゴンの魔力を得て、遠くまで響いた。そう、隣接する別の世界から魔王を召喚するほどに……。
俺様魔王×いたいけな幼ドラゴン――成長するまで見守ると決めた魔王は、徐々に真剣な想いを抱くようになる。彼の想いは幼過ぎる竜に届くのか。ハッピーエンド確定
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/11……完結
2023/09/28……カクヨム、週間恋愛 57位
2023/09/23……エブリスタ、トレンドBL 5位
2023/09/23……小説家になろう、日間ファンタジー 39位
2023/09/21……連載開始

【完結】テルの異世界転換紀?!転がり落ちたら世界が変わっていた。
カヨワイさつき
BL
小学生の頃両親が蒸発、その後親戚中をたらいまわしにされ住むところも失った田辺輝(たなべ てる)は毎日切り詰めた生活をしていた。複数のバイトしていたある日、コスプレ?した男と出会った。
異世界ファンタジー、そしてちょっぴりすれ違いの恋愛。
ドワーフ族に助けられ家族として過ごす"テル"。本当の両親は……。
そして、コスプレと思っていた男性は……。
【完結】嘘はBLの始まり
紫紺
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。
突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった!
衝撃のBLドラマと現実が同時進行!
俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡
※番外編を追加しました!(1/3)
4話追加しますのでよろしくお願いします。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
男装の麗人と呼ばれる俺は正真正銘の男なのだが~双子の姉のせいでややこしい事態になっている~
さいはて旅行社
BL
双子の姉が失踪した。
そのせいで、弟である俺が騎士学校を休学して、姉の通っている貴族学校に姉として通うことになってしまった。
姉は男子の制服を着ていたため、服装に違和感はない。
だが、姉は男装の麗人として女子生徒に恐ろしいほど大人気だった。
その女子生徒たちは今、何も知らずに俺を囲んでいる。
女性に囲まれて嬉しい、わけもなく、彼女たちの理想の王子様像を演技しなければならない上に、男性が女子寮の部屋に一歩入っただけでも騒ぎになる貴族学校。
もしこの事実がバレたら退学ぐらいで済むわけがない。。。
周辺国家の情勢がキナ臭くなっていくなかで、俺は双子の姉が戻って来るまで、協力してくれる仲間たちに笑われながらでも、無事にバレずに女子生徒たちの理想の王子様像を演じ切れるのか?
侯爵家の命令でそんなことまでやらないといけない自分を救ってくれるヒロインでもヒーローでも現れるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる