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恋の予報は雨模様、時々アイスココア

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『…宋平。最近、何か変わったことはありましたか?』

 定期健診を終えた俺の背中にぶつけられる疑問に俺は思わず肩を跳ねさせた。

 ここは辰見先生の勤務する病院。半年に一回ほどある定期健診では主にバランサーの数値を測ったりする。

『君の数値、かなり上がってますね…』

『そうなの?』

 パソコンを凝視する辰見先生を振り返ると、過去のデータと比較しているようで唸り声が上がる。いそいそと先生の座る椅子の背もたれを掴んで後ろから覗き込んで見た。

『今までは横ばいだった数値が、今年から上がってます。君は元々高かったんですけど…まぁ元になる数値がどれだけ改ざんされずに出されたかはわかりませんが、確実に君は平均以上です。

 さて。なんとなく心当たりがあるようだから、聞かせてもらおうか』

 バレてる…。

 観念して以前聞いた、変な脳内語りを先生に話す。夢だったんじゃないかと思うが最初のバランサーとしての授かりも夢かと思って話したら現実だった。

『…アップデート』

『そう。でも、神様がアップデートなんて単語使うかな。やっぱり夢じゃない?』

『いえ。恐らく君にとって身近な言葉に変換して伝えたのでしょう。君のバランサーとしての切り替え方法も、子どもに馴染みやすいゲームコントローラーに似たデザインにされている。

 他の報告ではただのボタンだとか、紐を引くとか…無意識というのもありますが君のほど精巧なデザインの切り替え装置は報告にない。より、君にイメージさせやすいようにしたんでしょうね』

 頭の中でコントローラーをにぎにぎしてから、次々と性別を変えてみせると先生に軽く怒られる。

『そのアップデートについてですが、恐らく君の肉体に変化があるのでしょう。怪我の治りが早くなったり力を使うと眠くなったり、寝てしまうのは回復力を高めるためですね』

 心当たりしかない。

 あれだけ怪我に見舞われたにも関わらず俺の身体はもうすっかり回復してしまい、傷跡もかなり薄くなってしまった。

 蒼士に殴られた頬も痣が消えている。

『怪我の回復が早過ぎるのも周囲に不審がられる可能性があるので今一度、注意するように。今は若いから特に何も言われないでしょうが…、しかし第二の進化とは』

『前例ないんですか?』

『あるには、あるんですが…昔の文献なので信憑性しんぴょうせいが薄いんです。神がわざわざ与えたのだから、必要な措置だったと思うしかありません』

 必要だから強化された? それってつまり、俺が怪我ばっかりするからか…なんでだろ。わからん。

 身支度を整えて病院を出ると午後二時を回ったところ。今はテスト期間なので早めに帰宅できるから、そのままバイトもしている。

 いつもは双子の兄に見てもらう勉強も、今回は蒼士兄さん一人に見てもらった。

『お疲れ様でーす』

 アジトに入るとすぐに何人かの兄貴たちに気付かれ、気さくに話しかけられる。この間の倉庫襲撃から更に色んな人に話しかけられることや撫で回される機会が増えた気がする。

『お前は弐条会の立派な一員、兄貴分を守って敵の中に残るなんざ男の中の男!』

『良い気概きがいだぜ! 惚れ直しちまうなぁ!』

 若者からオッサンまであらゆる人に褒められて満更でもない。今日はその時の報告に来たので犬飼さんに状況など詳しく伝えた。なんたって俺自身はあの後はすぐに寝てしまい、起きてからは辰見先生にバレてしまったようで周囲に有無を言わせず手を引かれて帰ったから。

『目線とかすぐに覚さんに向いたから、狙いはそっちなんだなぁって…でも素人集団だったんじゃないかな。なんか動きが全体的に雑だったような』

 会議室のような場所に二人で入ると椅子に座ってテーブルの向こう側にいる犬飼さんがパソコンに必要事項を入力していく。そんな彼は少し草臥れた様子で目の下には隈があった。

『鋭いねぇ、宋平くん。連中は金で雇われたただの荒くれ者でね。つまりバイトってこと。仕向けた親玉がいるはずだから絶賛捜索中でさ…』

『頑張ってますね。覚さんが狙われた上にお抱えの整備士が裏切ったなんて、随分と物騒な話ですし』

『そーなんだよー頑張ってるよぉお兄さん。わかってくれるのは可愛い弟分だけだよ本当にさぁ』

 口がよく回るのに手も同じくらい動くから、凄い。

 それからも雑談を交えながら話して報告書として纏めてくれた。テスト期間だし今日はこれで終わりだと言われる。心遣いに甘えることにして帰ろうとしたら、外に出た途端に暑さと湿気に襲われて何かと思えば雨が降っていた。

 夕立ゆうだちか…。

『傘忘れちゃったんだよなぁ』

 暫くしたら止むかもしれないと、ロビーに戻って外の様子を眺めつつ鞄から教科書を出して明日のテストの予習をしておく。

 雨の音に耳を澄ましつつ、静かなロビーで勉強をしていたらポーン、というエレベーターの音がした。邪魔にならないよう隅のソファにいるから誰かが気付くこともないだろうとそのまま教科書を見る。

 …あれ? 足音がしない?

 ロビーに来た人は何処に行ってしまったんだろうと顔を上げると割とすぐ目の前にボスがいた。全く想像してなかった相手で、教科書を鞄に押し込んですぐに立ち上がってから頭を下げる。

『お疲れ様ですッ!!』

 紺色の落ち着いたスーツ姿から出掛けるのかと思ったが、他に誰も来ていない。頭を下げたままでいたら再び足音がしたのでそっと頭を上げた。

『…行くぞ』

 無表情のボスだが、その手には一本の黒いシックな傘があった。外に出たボスが振り返るのでやっと状況が飲み込める。

 え? 送ってくれるってこと…?

 走ってボスの元まで行くと無言のまま二人並んで駅まで向かう。雨足はそこまで酷くないが、この暑さではうんざりするような天気と言えるのに何故ボスが隣にいるのか未だにわからない。

 それなのに、未だ好きな気持ちを引き摺る俺はもう暴発寸前だ。歩く速度はこれで良いのか。一体何処を見て歩けば良いか、という何か気の利く話の話題は落ちていないのか。

 何かっ…! 何か話さないと!!

『あ、あのっ…。その…えと、本日はっお日柄も良く…!』

『…雨降ってンだろ』

 あ。

 うあぁあああー!! やらかしたっ、もうダメだお終いだ!!

『いやでもほらっ、恵みの…雨? みたいな…、すみません…黙ってます…』

『まァ。こんな風に穏やかにお前と散歩がてら歩けるなら、雨もたまには良いモンだな』

 穏やかに笑う顔が、あんまりにもカッコ良くてまた言葉を失う。俺の歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれるところも、俺が濡れないようにかなり傘を傾けて歩く気遣いも、優しい言葉選びも…全部、全部大好き。

『もうすぐ夏休みなんです…』

『そォかい。…赤点取ンなよ?』

『な、なんとか大丈夫そうなので…頑張りますっ』

 無駄とわかっていながら、この時間をまた胸に刻んでいくんだ。他の誰かと生きていく貴方と、未来のわからない俺。

 どうか。どうか、少しだけ…少しだけ許してほしい。せめてこの雨が降る間は、この恋が生きることを許して。

『ほら、持ってけ』

『え?! ダメですよ! そんなことしたらボスはどうやって帰ったら…』

 駅に着くとボスに傘を押し付けられる。夕立が本格的な長雨になってしまい、止む気配がない。渡されたそれを返そうとしたところ…見慣れた高級車が停まる。

 あれ? もしかしてこの車…。

『迎え呼んだから、構わねェ』

『…あの。それなら最初から車で送ってもらえば、良かったんじゃ』

 どう考えても徒労とろうだよな?! え、だってこれから出掛ける様子もないよね? どーなってんだ!

『車で送ったらすぐ着くだろォが』

 プチパニックを起こす俺とは逆に、ボスは冷静な態度でとんでもないことを言い出す。

『…少し話したかっただけだ。気にすンな』

 ふい、と顔を逸らしてから折り畳んだ傘を俺に持たせるボス。背中を向けて歩き出した彼の肩は随分と派手に濡れていた。

 あれではスーツをクリーニングに出さなければならない、損失だ。それなのに…それを厭わずに俺を送ろうと思ってくれたんだ。

『っ待って!』

 貴方は何度、俺を惚れさせたら気が済むんだ。

 振り返ったボスが立ち止まる。傘を両手で持ったまま、俺は走り出してボスとの差を埋める。

『…俺も、もう少し…ボスとお話したいです。まだ一緒にいたらダメですか…』

 殆ど口から滑り落ちるように出た言葉。断られるだろうと思って俯いていたら、ボスが車の窓を数回叩くので窓が開く。

『時間潰してろ。終わったら連絡する』

『御意。ごゆっくり』

 刃斬がすぐにそう応えると車は誰も乗せないまま駅から離れて走り去ってしまう。ボスを見上げると目が合い、優しく笑った後に近くの喫茶店を指差す。

『この俺を退屈にさせたらどうなるか、わかるな?』

『…っはい!』

 客の少ない喫茶店でボックス席に通されると、ボスは珈琲を注文して俺はアイスココアを頼んだ。スーツに珈琲がこれ以上になく似合うボスに大興奮しながら以前の倉庫襲撃戦のことを語る。

 弐条会の皆の強さを熱く語る俺に、ボスは終始笑みを浮かべながら相槌を入れて聞いてくれた。褒美だとケーキを注文してくれたボスに俺は喜んでそれを頬張り、お礼を言った。

 喫茶店を出た後は、ちゃんと笑顔で挨拶が出来る。

『ご馳走様でした、凄く美味しかったです! それでは失礼します! あ。ボスはまだお仕事あるんですか?

 お仕事頑張って下さいね、ボス!』

 目を細めたボスが俺の頬に手を当てて、僅かに首を傾げながら目を閉じる。

『…やっぱ、じかに聞くのが一番だな』

 謎の台詞を残したボスはその後、改札を抜けるまで見送ってくれて俺は何度も振り返っては手を振った。腕を組んだまま目だけで早く行け、と言ってるのがわかり…それを思い出すだけで俺の胸はキュンキュンして死にそうだった。

 キュン死にだ…。


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