いつかコントローラーを投げ出して

せんぷう

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許嫁

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『ホカホカだ…』

『ソーヘーと同じ匂いする! 超嬉しい!!』

 湯上がりにフルーツ牛乳を飲み、ドライヤーで髪を乾かすと猿石のシャツを貸してもらった。ブカブカで軽く肩が出るが夏だし問題ない。

 すっかり上機嫌になった猿石が離してくれないので抱っこされたままだ。

『お客さんまだいるのかな?』

『もう良くね? なんでこっちが気ぃ遣わなきゃなんねーんだよ…』

 いやでも、もうすぐ昼だしお昼ご飯とか一緒に摂ってるかもしれない。今日は皆でご飯は難しそうだと判断すると二人で溜まり部屋に行って出前にしようかと話し合う。

『何食う?』

『洋食食べてみたいですね。あ、お肉系の料理とか食べてみたいなぁ』

『肉? 珍しいな。ソーヘーは麺系好きなのに』

 うふふ、と俺が気持ち悪い笑みを浮かべるのに猿石は嬉しそうにそれを眺めてからエレベーターのボタンを押す。

 エレベーターが到着したかと思ったら、一番左のエレベーターが鳴ったらしい。

 …え、一番左…?

 到着したエレベーターから出て来たのはボスと刃斬で出て来た瞬間、俺たちを目にして動揺が伝わる。すぐに周囲も騒がしくなり入口付近で何人もの人が並んで整列をした。

 あ、あれ? もしかしてこれって…。

『お前ら何してっ…?! か、隠れてろって言ったでしょ?!』

 最後にエレベーターから出て来た犬飼が顔面蒼白のまま俺たちを見る。

 やっべ。お客様いま来たのか…!!

『別に良いだろ。つか来たぞ。俺ら隅っこにいるからどうにかしろよ』

 一番冷静なのは猿石だった。俺を抱っこしたままマスクをさせて部屋の隅に立って待機する。俺も取り敢えずは静かにしていた方が良いかと思い、猿石の肩に掴まって微動だにしないことにした。

 俺は置物。俺は置物。

『ったく…。絶対ぇ暴れんなよクソ猿!』

『はぁ? 知るかクソが』

 お、お口悪い…。

 お客様の対応間近にも関わらずとんでもない顔をする刃斬。思わず横から猿石の頬を挟んで止めなさい、と無言の抗議。

 眼力だけで人を殺せそうな刃斬に睨まれた猿石は舌打ちをしてから俺を抱き直す。

 自動ドアが開いて入って来た一団。初老の男性を先頭に、そのすぐ後ろを同い年くらいの少年と、その隣には母親らしき女性が。その三人の後ろにも何人か屈強な男たちがいたが入って来たのは三人だ。

 …もしかして、この三人は家族なのか?

『弐条様。わざわざお出迎え頂き、誠に感謝申し上げます。先日の一件は大変見事なご活躍と聞きました』

『そっちも息災で何よりだ。わざわざ呼び付けたんだ、遠慮せず入ってくれ』

 深々と頭を下げる一行。中でも、少年はキラキラとした瞳をボスに向けていて母親らしき人に嗜められるほどだった。

 深緑の瞳は大きくクリクリとしていて、黒髪は少し毛先を遊ばせ柔らかい印象を持たせる。桜色の唇は今にも何か言葉を発しそうだが、すぐに縫い付けるように閉じてしまう。

 ボスの案内でアジトに入り、進もうとした瞬間。俺を抱える猿石が無言のまま大きく足を振り上げ、

 刹那

 履いていたサンダルを勢いよく飛ばした。

『きゃっ?!』

麗子れいこっ!』

 サンダルは進もうとしていた女性の前を物凄いスピードで横切り、麗子と呼ばれた女性は悲鳴を上げて立ち尽くしてしまう。

『っこの馬鹿猿!! 客人に何を…!』

 刃斬が怒声を上げると一気にこちらに視線が向く。思わずしっかりと猿石にしがみ付くと、少年と目が合った。

『…俺は別に何の命令も受けちゃいねぇから良いけどよ』

 サングラスを少しだけずらした猿石は、黄金の瞳で一行を睨み付ける。

『客人ってカテゴリーで来てるなら懐にあるモンは置いて行けや。出来ねぇってんなら、ボスよぉ。

 俺とソーヘーも側に置くのがフェアってモンだぜ』

 その場にいる全員が麗子を見ると、彼女はビクリと肩を揺らしてから観念したように息を吐く。だけど、懐から何かを出す気はないらしい。男…月見山が声を掛けるも彼女は頑なだった。

 …え。なに、これどういうこと?!

『武装は解除しねーとよ。どーすんだ、ボス。早く決めてくんね、俺らこれから昼飯行くんだけど』

 マイペースかよお前!!

 え。てか、武器?! あの人武器持ってんの?

『…はぁ。わかった、お前らも来い。

 俺の武器はお前たちだからなァ…』

 あ。はい、武器其の二です。

 ご指名を受けたなら仕方ない。隅っこから歩き出した猿石と抱っこされた俺もエレベーターに乗り込む。とんでもなく微妙な空気の密室に閉じ込められ、無言のまま運ばれる。

 そんな地獄みたいな中で唯一普通だったのがこの空気を作り上げた奴だった。

『ごめんな、ソーヘー。服ゆるゆるのまんま。湯冷めするかもしれねぇから俺がずっと持っててやる!』

 まぁ確かにエアコンで若干寒いから助かる。

 コクン、と頷くと猿石が嬉しそうに抱きしめる。サングラスが外れそうになっていたので掛け直してあげた。

 それからボスのフロアに到着すると腰を据える前に月見山は深々と頭を下げた。その隣で麗子もバツが悪そうに頭を下げる。

『構わねェ。ま、手ぶらで来るにはちィと度胸が足らねェか。無理もねェ。俺自身、これ以上にねェ戦力だと自負してるからな』

 ボスの椅子の後ろには刃斬と犬飼。少し離れた場所に俺と猿石が立つ。それぞれが配置についたようで月見山一行もソファに座る。

『顔を知らねェのはあの二人だけか』

『…いえ、あちらの金髪の方の噂は聞いています』

 チラリと猿石を見るも我関せずといった具合に退屈そうな顔をしている。

『そらそうか。手の掛かる奴だが、ウチで一二を争う程の実力者…猿石だ。まァなんかあればなんとかせずにコイツからは逃げてくんな』

 …いや逃げられないでしょ、多分。猿石の足は絶対に速い。

『…ンで。そいつの抱えてる子どもは…』

 あ! 呼ばれた呼ばれた、ちゃんと胸張って待ってないとな。

『ウチの秘蔵っ子だ。最近入った新入りだが、あの一件の功労者でな』

『あの場に彼が…? 羽魅うみよりも幼いように見えますが…』

 …面識がないってことは、あの会合にもいなかったのだろうか。

 熱い視線が飛んで来るがすぐに猿石がムッとしてから俺を隠すように角度を付けて自らの身体を使い、見えないようにする。

『身内の紹介も済んだ。本題に入らせてもらう』

 そして俺は、ここから衝撃の展開を見聞きすることとなる。

『…あの夜。お前が俺を助けたオメガってのは、嘘偽りない真実で間違いないな?』

 あの夜…?

『はっはい!! 間違いありません!』

 上擦った高い声。緊張で潤んだ瞳に、緊張からか胸元で握られた手。側から見たら愛らしいと形容できる姿だ。

『あの日、体調を崩した父に代わって私が参加することになりましたが丁度道が…事故による渋滞に巻き込まれて到着が遅れました。

 急いで向かう途中、偶然あの場に通り掛かって車を出て倒れる貴方を見つけたんです!』

 一体なんの話をしてるのだろうか。内容的にこちらの少年がボスを助けてくれたということだろう。

『私のようなオメガが触れるのも勿体ないような方だと気付いてはいましたが、それでも…それでも怪我をする貴方を放っておけなくてっ』

 おお…、なんて謙虚な人なんだ。そんな、オメガだとか関係ない。人助けに性別なんて、関係ない。

『この胸に抱き、僅かな時間を共にしました』

『私が! 私が!』

 …あれ。

 襲撃の、夜…? それってあの日のことか?

 それからのことは、あまりよく覚えていないのだ。名前を羽魅と名乗った少年は同い年ではなく今年で十八歳らしい。月見山と麗子は必死に話す息子を応援するように支え、ボスは彼の話に真剣に耳を傾けた。

 俺は一人、混乱したまま。

『…そォかい。なら、礼が先だな。

 お前のお陰で命拾いした。見ず知らずの俺をよく助けようなんざ思ったモンだ。感謝するぜ』

『そんな、弐条さん…! 息子が勝手にしたことです!』

『で、だ。受けた恩義は返すが礼儀。俺に願うことがあるなら、言いな』

 おいおいおい、どうなってるんだ…?!

 あの夜、俺は羽魅の姿なんて一切見掛けていない。唯一ボスから離れたのは刃斬を呼ぶ一瞬の間。あの僅かな時間に誰かが来た気配はなかったはず。

 わからん…、全くわからん。

『では、その…僭越せんえつながら申し上げます。

 弐条さん。もしも貴方がこの子を気に入って頂けたら、是非に許嫁いいなずけにしてやって下さい。この子が十八になったら正式に婚約者に』

 ピクリ、と猿石の肩に置いていた手が動く。

 許嫁…。その言葉を耳にした瞬間、頭を鈍器で殴られたような錯覚を覚える。

 …ボス、が…結婚する…?

『良いだろう』

 大好きな人の声から、初めて耳を塞ぎたくなる。

『正式に書面に写す。少し待て』

『ほ、本当ですか…?! 羽魅っ!!』

 月見山は身を乗り出して真偽を問い、すぐに息子の肩を抱いて喜色を表す。息子の方も願ったり叶ったりだったのか、口に手を当てて目を潤ませた。

 まるでこの世の春を体現するあちらと違い、俺の内心は冬どころか永久凍土だ。

 …なるほどな、理解した。

『…うそつき…』

 誰にも聞こえないような声量で、ポロッと口から出てしまった言葉は自分でも誰に向けたものかわからない。書類にサインする彼らからなるべく目を逸らそうと猿石の肩に顔を押し付ける。

 彼もまた、無言のまま親子を睨み付けていた。


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