いつかコントローラーを投げ出して

せんぷう

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懐く猿

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 少し寒い風が吹く朝、四時から起きてお弁当作りをしていた俺は白のシャツにお気に入りのカーディガンを羽織ってから元気に家を出た。朝早い休日の電車は人が少なくて快適。バース関連の事件、事故もなく…いや。あっても良いように余裕を持って来たから問題なくアジトに到着した。

 しかし、約束は九時なのにまだ八時前。流石に早く着き過ぎた。

『うーん…、こんなに早く来たことないしなぁ。そもそもこの時間って誰かいるのか?』

 アジトの前でウロウロしつつ、やっぱりもう少し何処かで暇を潰そうかと思っているとアジトの自動ドアが開く音がする。

『そーへー』

『あれっ? アニキ…!』

 何故か裸足に半裸のまま腹をポリポリと掻きながら出て来た男、猿石。ピョンピョン跳ねた髪にまだ眠たそうな目。それでもサングラスだけはちゃんとある。

『窓から…、見えた。ふぁあ…眠っ』

『おはよう。わざわざ来てくれたんだ?』

 走り寄ると改めて、バキバキに割れた腹筋と古傷の数々が肉体を占めている姿にヤクザであることを痛感させられる。振り返れば立派な代紋もあるだろう。

『んー…。ソーヘー、仕事…? こんな早くから?』

『いやもう八時だぞ。九時にって言われてたんだけど、ちょっと早く着いちゃって』

『そ。まだ空いてねー部屋あるし、オレの部屋で待ってたら』

 聞けばこの巨大なビルには何人かの構成員が生活しているそうで、ボスや刃斬もここに住んでいるらしい。ランドリールームや無人販売所、ジムや大浴場もあるらしいから至れり尽くせりだ。

 猿石の後に続いて歩いていればビルはまだ静けさに包まれていてエレベーターもすぐに来る。かなりの高層に止まるエレベーターに驚くも、猿石は迷うことなく出てしまった。

 …いやちょっと待て。コイツさっき俺が、見えたって…ここからじゃ豆サイズだろ?!

『ソーヘー?』

『は、ぃいいっ?!』

 呼ばれて変な返事をしてしまったのも無理はない。猿石が開けようとしている扉は、ベコベコに変形していて見るも無惨な姿だ。

 …刃斬の兄貴、怒っただろうなぁ。

『お邪魔します…』

『ソーヘーは邪魔じゃねーだろ?』

 開けてもらった扉の向こうは、驚くほどに何もない部屋だった。広い部屋にはテーブルすらなくてダンボールが三個だけ隅にあるような部屋。寝室らしき部屋も扉が開いていたから見てしまったが、布団が一式置いてあるだけ。後は、コンセントから伸びた充電器くらい。

 …な、なんもねぇ…! 今日越してきたのかってくらい、本当になんもない!!

『どした?』

『ほんとに、此処に住んでんの…?』

『おん。オレ煙草吸ってくるから好きにしてろ』

 玄関に置いてあった煙草とライターを掴むと部屋を出てしまった猿石。何処かに喫煙所があるのか。

『…そういやこの部屋、灰皿ないな?』

 取り敢えず靴を脱いで上がらせてもらうと背負っていたリュックを下ろしてフローリングに座る。カーペットすらないから体育座りだ。

 簡易的なキッチンがあるけど、使われた形跡は一切ないしシンクには飲み終えたペットボトルの空があるだけ。パッと見た感じ、皿も箸もない感じ。

『猿石…朝ごはん食べたかな』

 お弁当を作るのを張り切り過ぎて結構な量になった。勿論、兄たちには朝ごはんとして用意したがそれでも余ったから今日のお弁当として自分のも持って来た。

 他人の作ったご飯、食べれるかな、アイツ。

『…コレ。食っていーの? ボスんじゃねーのか』

『うん。ボスへのお弁当はこっち。いっぱい作っちゃったから俺の昼にしようと思ったんだけど…アニキ、朝ごはんまだなら食べない?』

 帰って来た猿石はフローリングにお弁当を広げる俺を見て暫く玄関で目を丸くしていた。そんな彼の手を引いてテーブルはないのかと問い正すも、やはりないらしいので仕方なくお弁当を包んでいた風呂敷の上に弁当とおにぎりを並べた。

 食べる、と小さく呟いた猿石は胡座をかいておにぎりを頬張る。

『ソーヘー。唐揚げ出てきた…』

『そう、唐揚げおにぎり! …美味しくな、…わぁ』

 唐揚げおにぎりは邪道だったかと危惧きぐをしたがむしゃむしゃと食べ進める猿石の姿から杞憂だったかと苦笑いしてお茶を用意する。

 結局、持って来たお昼の分のお弁当は猿石が全て平らげてしまった。

『もっと食いたい』

『ちょ、これはボスのだからダメだぞ? なんだ。そんなに気に入ってくれたんならまた作ってくる』

『…今食いたい』

 わ、我儘ちゃんめ…!

 しかし幸いにもこの場には簡易キッチンがある。器具が何もないから料理は難しいが、売店でパックご飯でもあれば…おにぎりくらいなら作れるかもしれない。

『ソーヘー。腹減った』

『わかったわかった! じゃあ、売店でおにぎりの材料買いに行きましょう。ご飯となんか具材があればすぐに作れるから』

 ね? と言い聞かせるようにすれば、猿石はみるみると笑顔を作って満足そうに笑う。すぐに玄関に出た彼にサンダルを履かせて一緒に出掛ける。

 …しかし、そこそこデカいおにぎり二つにタッパーに入れたおかず全部食べて腹が減ったって…どんだけ食えるんだ。

『おお。電子レンジもあるし最高の環境ですね。あ、具材になりそうなのも結構ある…梅におかかに…ちりめんもあるな。アニキ、嫌いなものは?』

『臭い葉っぱ』

『…匂いの強い葉っぱ、でしょ。じゃあ大葉とかは入れないようにしましょうね』

 カゴに必要なものを入れる俺の後ろを隙間を空けずについてくるデカい雛に思わず絵面を想像して笑う。身長差も体格差も相当だろうに歩幅を合わせて一緒になって着いてきている。

 やべぇ。なんか可愛い…。

 最後にお会計をしようと財布を出したら後ろから伸びてきた手がタッチパネルを操作して、カゴごと持って行ってしまう。

『名前入れれば天引きされる。カゴもそのまま持って行って後で返せば良い』

『凄い! ハイテク!』

 カラカラ、とカゴに追加された煙草。猿石は煙草とおにぎりの入ったカゴを暫く見つめた後でなんでもなかったように再び歩き出す。思い出したように振り返った彼は不貞腐れたような顔をして俺を睨む。

『ソーヘー早く。待つの疲れた』

『はいはい…!』

 奇跡的に売店の隅に売られていたボウルにラップ。ボウルを綺麗に洗ってからチンしてきたご飯を入れ、カリカリ梅に更にゴマを入れて混ぜたもの。焼き鮭もおにぎりに入るサイズに切り、ご飯に詰めて握る。混ぜワカメご飯の素があったからそれを入れて塩気をアップ。

 おにぎりなら売ってたのに、このアニキときたら、それでは嫌だと申す。

『アニキー! 出来たよー?』

 二度寝をキメる問題児に声を掛けると、ノソノソと寝室から出て来る巨体。ドシンとフローリングに座った寝坊助の前に握りたてのおにぎりを四つ用意してペットボトルのお茶を開けてコップに注ぐ。

 コップは売ってた使い捨てのだけど。

『ただのおにぎりなのに、そんなに気に入ってくれたんですか? あ。食べるの早いと詰まりますよ』

『唐揚げのが美味かった。これも、熱くて美味い』

 ペロリと完食した猿石はやっと満腹になったようでもうおかわりの催促はない。良かったとホッと一息して時計を見れば、なんと約束の時間まで後五分ほどではないか。

『わ!? た、大変だアニキ…もうすぐ九時になっちゃう! おべっお弁当届けないと!』

『何処持ってくの?』

 何も言われてないと首を横に振ればスマホを指差される。自分のをリュックから出して見れば十分くらい前に地下駐車場に連れて行ってもらえ、と指示が出ていた。位置情報からもうアジトにいるとわかっていたようで、目の前の者に案内してもらえと言うことらしい。

『地下駐車場まで、だって…。アニキ一緒に来てくれる?』

『ん。すぐ行くから玄関いろ』

 リュックを抱えて待っていると服を着替えた猿石がサングラス片手に現れる。すぐにエレベーターに乗り込んで地下を目指すと、薄暗い駐車場に出た。迷わず進む猿石に着いて行くと何人かが群がる車を発見。そこにいた刃斬は近付く俺たちに気付くと手を振ってこちらに来いと誘導する。

『ご苦労さん。朝から猿の面倒見てくれてありがとな、宋平』

『お疲れ様です、刃斬の兄貴!』

 キッチリとスーツを着こなす刃斬は受け取った弁当を車に乗せてから再び向き合う。

『これからボスがいらっしゃる。挨拶してけ』

『はーい。…今日は刃斬の兄貴も一緒に?』

『ああ。ボスと同行するから、お前はこの前の報告書作りな。何人かに声掛けといたから書き方は聞いとけ』

 猿石に聞けとは言わない辺り…デスクワークは専門外なんだなと妙に納得する。当の本人はまた一人ウロウロと歩き出してしまったようで姿が見えない。

 何処行ったんだろう…。

 薄暗い地下を見渡していたら、不意に周囲がやけに静かだと気づくと皆がキッチリと姿勢を正して頭を下げて待機している。ボスがすぐに来るのだと理解して下がろうとしたところ、刃斬に止められて仕方なく一緒に並んでしまった。

 エレベーターから出て来た男は息が止まるようなスーツを美しく着こなした我らが弐条会のボス。黒のスーツに目と同じ赤黒いネクタイをしながら出て来たボスに刃斬が近付く。

 あまりにもヤクザな構図に思わず目眩がするも、呼ばれれば悲しいかな…俺は元気よく返事をして駆け寄るしかない。

 軽く言葉を交わし、気を付けていってらっしゃいと言ってから頭を下げると暫くしてから骨張った大きな手が髪をかき混ぜた。


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