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第十一王子と、その守護者

月の導き手

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 ずっと前から待っていたように、彼らはオレを迎え入れてくれた。それこそ古の彼方から約束されていた訪れだったように。急な来訪の知らせに少しも驚くことはなく、早く顔を見せてほしいとだけ言っていた。


『ああ……。お帰りなさいませ、我らが黒き子よ。本日は神殿にて検査を予定しています。どうかお寛ぎ下さいませ』


『おはようございます。……もうっ、実家のような雰囲気出さないでくれますか? 検査が終わればすぐに帰りますからね』


 勿論、と穏やかに笑う案内役の青年だが内心はわかったもんじゃない。信徒の制服である白と黒の服は少し着物に似ていて親近感を覚えてしまう。青年と共に神殿の階段を上がっていくと、降りて来る信徒たちがみんな目を輝かせてオレに手を振る。この姿は相変わらず彼らの信仰心を掻き立てるらしい。


 神殿には顔パスで入れる。


 本当は信徒でない者は手続きやら身分証やら見せなければならないらしい。神殿は神聖な場所。それを汚すようなことは許されない、ここには重要な歴史物や書物も沢山あるようだから。そんな場所にオレが堂々と入れるのは、やはりこの姿のせいだ。


『着きましたよ。では、こちらで処置を。今回は近くに信徒はいません、こちらで暫くお過ごしいただけるだけで良いです。

 時間になったらお迎えに参りますので』


『はーい。お世話になります』


 月が彫られた石扉の向こうには、天窓から落ちる日輪の光はなく……真っ暗な部屋に僅かな月の光が降り注ぐのみ。一歩踏み出せば以前よりも深い水が張られていて、サンダルのまま進んで行く。


『……月の光から少し強い魔力が降り掛かります。常人であれば耐えられない魔力ですが、タタラ様には効かないでしょう。体の異常があれば全てここで整えることが出来るかと。

 では。失礼致します』


 閉じた扉を見送り、膝まで浸かる水を荒立てながら進む。少し冷たい程度の水は抵抗があまりなく心地良いほど温いわけではない。薄暗い室内は周りがよく見えないが、不思議な魔力に包まれている。


 この雰囲気は、多分夜によく似ているんだ。


『月が……オレの魔力を上昇させてるのかな? 月ってそんなに人間の魔力と相性良いんだー』


 へー、知らなかったなぁ。


『月っていえば、この世界っては同じ言葉だ。太陽は日輪なのに何で月は月なんだろう』


 そもそも、この世界はどこなんだろう。元の世界の裏側とか? どこかで分岐した異世界? 全く知らない別の惑星?


 この神秘的な空間で何もしないでいるから、こんなどうしようもないことばかり考えてしまうんだろう。転生した時点で帰れる見込みなどないに等しい。完全にこの世界の人間になったんだから。


 それに……、帰れると言われても素直に帰ると言えるだろうか。


『帰る……場所、か』


 頭の……いや胸の痛い話だ。


 そっと昨日痛んだ胸を掴む。昨日の王子はずっと機嫌が良くて朝もすぐに支度を済ませて団長殿と共に出掛けてしまった。いつもは騒がしい朝の支度も。共にする朝食も。窓から差し込む日輪を浴びながら読書する彼も。


 今日は、全部なかった。


 それを日常だと思っていた自分が恐ろしい。きっと自分は、そんな日常を壊されてしまったのが嫌なんだ。この痛みはそういうこと。


 そうに、違いない。


『っ……、』


 ボタボタと、何かが波紋を生む。水の中に体を沈めて痛む胸を押し込んだ。浄化してくれ。癒してくれ。こんなに痛いんだから、取ってくれ。


 いけないとわかっている。想像すらしてはいけない。


 何故……あの時、の手を取って同じ道を歩かなかったのか。ダメなのに。それだけは、ダメなのに。


『ぁ……?』


 何もしていないのに、水の中で糸が増殖する。キラキラと月の光に照らされて泳ぐ糸を眺めていれば糸はやがてオレを包み込んでいく。


 水の中で、何か恐ろしいものを見た。


『あ、ぁ……!?』


 足に、薄らと鱗が浮かび


『ぁあああっ、ご、ぼっ……』


 爪が、黒く染まり


『っ……』


 肌が、染まっていく。


 嫌!! 嫌だ、誰か……誰か助けてくれっ……王子、王子っ……!!


 伸ばした手は届きやしない。失いかけた意識。真っ黒な闇に佇む青い炎が、不機嫌そうに揺らめく。怒るように弾ける炎が何もかもを焼き尽くそうとしたその時。


『タタラ様!!』


 水の中から引き上げられ、誰かの腕の中に閉じ込められた。最初は膝までしかなかったはずの水が、いつの間にか増量している。彼の腰くらいまである水の中を進んでいるのだからオレだったら普通に溺れていても不思議ないくらいの量だ。


 咳き込むオレの背を摩りながら、しかしもう片方でしっかりと抱きしめられながら出口へと辿り着いた。彼から信徒の誰かに手渡され、信徒たちがこっちが不憫に思うほどの泣きっ面でオレをタオルで包んでいく。


『なんてことっ……ああ、痛ましいっ神からの遣いがこんなことに』


『早く部屋を用意しなさい! 冷えた体を温めて差し上げなくては!!』


 再び彼……月の宴騎士団団長トワイシー・ペンタ・ロロクロウムに抱き上げられた。なんと、オレを救ってくれたのはトワイシー殿だったのだ。


『部屋に案内して下さい、至急ハルジオン殿下にも連絡を。大切な守護者がこんなことになるなど』


『ま、待って!! 待ってくれ!』


 悲鳴に近い声に、誰もが動きを止めた。トワイシー殿の胸ポケットを掴んで必死に首を振る。


『殿下には連絡しなくていいからっ……お願い、やめてくれ今日は、今日だけはっ!!』


 楽しそうに昨日、今日の服を選んでいた彼の後ろ姿が思い出される。幸せそうに団長殿の腕を取って出掛けて行った彼の横顔が脳裏に刻み込まれている。


 あの人の幸せを奪うなんて、絶対……嫌だ。


『……失礼ですが。承服し兼ねますね』


『な、なんでっ』  


 なんでそんな酷いこと言うんだ!


 しかしトワイシー殿の顔は、真剣そのものだった。止めろと強く服を握りしめるオレをより強く抱きしめた彼は、そのまま宥めるように背中を摩る。


『ご自分が今も泣いている自覚がありますか?

 ……怖かったですね、すぐに助けに入れなくて申し訳ありません。震えています……どれだけ自分が強くても、子どもであることを忘れたりしないでください。泣く時は……声を上げて、お泣きなさい』


 その時、初めて自分が泣いていることに気が付いた。思い出せば最初にどうにかなってしまった時も、涙が落ちたんだ。


 気が付けば後は、崩壊は容易いものだった。


『ぅうっ……』


『ふふっ、今だけは……見たもの全て、見なかったことに致しますよ?』


『ふ、うぅ、うわぁんっ』


 ヒンヒンと、幼い子どものように泣いた。トワイシー殿の大切な隊服を握りしめて情けなく泣き叫んだのだ。彼だって悪いのだ、親しくもないオレに胸を貸すようなお人好し。


『トワイシー殿ぉおっ、ひっく、ひっぐぅ……オレの体が変でぇ、ぅえっ!! つ、爪が黒くて、足が硬いのでぇっ』


『体の変化? ご覧なさい、どこも変ではありませんとも。普通の人間の体ですよ。怖い思いをしたのですね、もう大丈夫……月の宴騎士団団長の威信にかけて誓います。タタラ様、もう安心ですよ』


 泣きながら足を、爪やら体を見回す。それらはどれも以前と変わらぬ人間のもの。変わってしまった部分なんてない。


 ホッと息をついて、また泣いた。


 泣き疲れて朦朧とする意識の中、トワイシー殿に抱かれたまま信徒たちに指示を出す彼の言葉を聞いていた。声まで心地良くて、眠くなる。


『至急、部屋の内情を調べるように。原因究明に全力を尽くしましょう』


『ロロクロウム騎士団長。ハルジオン殿下への報告は如何しましょう? 黒き子が望まれたように黙っていろと言うのであれば、我ら口を閉ざします』


 暫くの沈黙が過ぎ、トワイシー殿が口を開く。


『王宮には連絡を。しかし、ハルジオン殿下のご予定が終わるまでは耳に入れないように言伝をします。流石に守護魔導師が倒れ、隠蔽したと明るみにされれば神殿と王宮が対立してしまうでしょうから。

 タタラ様はこのまま神殿でお預かりしましょう……今夜は月が近い。今の彼を外に出すのは、よくないでしょうから』


『御意。トワイシー殿もお召し替えを、冷えてしまいますぞ』


 信徒がオレを代わりに抱えようとするのを、トワイシー殿が断った。その頃にはむにゃむにゃと夢の中へと誘われ、なんだか良い匂いのする抱き枕を抱えた幸せな夢を見た気がする。


『……眠られた。少し経ってからにしよう。今起こしてしまうのは可哀想ですから』


『幼い方の扱いが慣れているのですね。我々では正しく対処出来たかわかりません。感謝します、月の導き手よ』





 起きた時、そこは全く見知らぬ部屋だった。


 広々としているが調度品は少なく、良くてシンプル。悪くて質素。そんな感想を抱いた部屋。真っ白なシーツから抜け出したものの、違和感を感じて振り返れば窓に板が貼り付けられていた。


 台風でも来るのか?


 そんな予定あったかな、なんて思った瞬間に気が付いた。台風、災害、地震、水害……水。そう、水。


『……ぁ。


 あぁあああ、った……おわ、た……』


 タタラさん。大号泣の末に、月の宴騎士団団長の腕の中でご就寝……


 完。


『終わりだぁ、終わりじゃー』


 床をフラフラと移動してベッドに倒れ込む。どれだけベッドに頭を叩き付けようと、ベッドでバタバタして埃を舞わせても仕方ない。


 そうだ、仕方ない。オレは子ども! そうだ、それでいこう!!


『出来るか、畜生~っ!! 恥だー。人生の恥だよ殆ど知り合い……ひーん』


 一通り暴れ終わると、もうこの件については考えることは後にした。それもまぁ大切だが今はこの部屋と時間だ。


 部屋を見渡して壁にある時計を見てから、また思考が停止した。


『……く、じ??』


 九時。確か、オレがこの神殿に着いたのが八時半頃。あれが始まったのが、多分九時前くらい。


 つまり。


『夜の九時ィ!?』


 前世でも休みの日に夕方まで寝ていたら、こんな気持ちだった。折角の休みが睡眠に消えてなくなったのだ、絶望は計り知れない。きっと誰もが見る絶望の一つなのだ。


 しかし、問題はそこではない。


『か、帰らなきゃ!!』


 たった一枚の真っ白なワンピースを揺らしながら、部屋のドアノブへと手を掛けた。開いた向こうはどこも暗くて部屋にあったマンプーを掴んで、暗闇を歩き出した。急ぎ過ぎて靴すら忘れてしまい、裸足のまま神殿を歩き回る。時たま灯りはあるが人に会わない。どこが出口かも分からず彷徨い、歩き続けた。


 そして完全に迷った。


『あわわ……流石、規律に厳しい神殿……良い子は九時には寝てるってか?!』


 疲れて壁に触れた時、凹凸に気付いて手を引っ込める。いつの間にか壁には妙な壁画のようなものが描かれていて、ずっとそれが続く。それを見ながら歩いていると、どんどん気分が悪くなる。


 絵は、戦っているものばかりだったから。


『……これ、魔物との戦いじゃなくて人間同士のばかりだ』


 魔物の王と人間による戦いなら理解できる。しかし、絵はどういうわけか人と人とが戦っているのだ。


 場面は変わり、人々が笑顔で幸せそうに生活しているところ。どうやら和解出来たらしい。穏やかに暮らしている場面から、次に魔物たちが現れたのだ。人間同士の戦いと違い……魔物との戦いは、魔物が圧倒的に優勢。人々が追い込まれて、泣いている場面で壁画は終わった。


 なんてモヤモヤする終わり方よ……。


『あ。扉!』


 古い木製の扉を見つけた。そこから溢れる光に嬉々として飛び付き、扉をノックする。


『はい。どうぞ』


 低く、穏やかで掠れた声。緊張して少しだけ扉を開けてから覗くように頭を入れた。マンプーではなく蝋燭の火で分厚い本を読んでいた老齢の男性が顔を上げて、目が合う。


『ぁ、えっと……初めまして』


 迷子です、とまでは言えずモソモソしていれば白髪をしっかり整えた黒い服を身に纏ったお爺ちゃんがガタリと机を揺らして立ち上がる。


『おお……。この歳で、まさかこの神秘を我が目に焼き付けられる日が来るなどと。神秘がわざわざ自ら訪れて下さるなんて、何という幸福。


 お入りなさい、我が国の宝。近くでこの老人にお姿を見せて下さい』





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