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第十一王子と、その守護者
バーリカリーナの精鋭
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今までの楽しそうな気配から一転、気怠そうに辺りを見渡す魔人は閉じ込められたにも関わらずバキバキと元気に首を動かしている。オレなんて訳もわからず閉じ込められてしまったものだから内心は動揺しきって仕方ない。
なんでオレまで魔人と一緒に閉じ込められてるんだよ、せめて別にしてくれよ!!
『いやー。どっかのガキんちょのお陰様で結構楽に魔人を封じられたじゃねーか』
『全く……貴殿たちはもう少し早く駆け付けてくれないものか。単身で魔人相手は身が保たないぞ』
『えぇー? でもぉ、死ななくて良かったじゃない! 予想以上に粘ってくれたからこっちも相当の魔力を当てられたもの、良い結界でしょ?』
結界の外にいる三人の男女。一人はよく知った団長殿だ、かなりダメージを負ったはずだが今は傷一つない体で他の二人に小言を吐いている。
ノルエフリンほどではないが、かなりの巨体の持ち主である赤髪の男と、真っ黒なのに透け透けな服を見に纏った黄色い髪の美女。恐らく女性の方が光魔導師であろう、真っ赤な髪をした男性は拳から炎を燃え上がらせながらこちらに歩いてくる。
『オイ……オルタンジー、中のタタラ様を早く出せ。あの方はハルジオン殿下の守護魔導師だ』
『はぁ? 無理よぉ、もう塞いじゃったんだもん。少しでも結界を緩めたら魔人が出て来ちゃうわよ。不意打ちだから上手く行ったけど、同じ手はもう二度と通じないんじゃない?』
呆然とこちらを見る団長殿と、目が合う。いやいや、そんな顔されてもこっちの方が困ってるんですけど……。
『仕方ないんじゃない? 尊い犠牲ってことで、ハルジオン殿下には後でごめんなさいしましょ?』
『っふざけるな!!』
そーだ、そーだ!! なんてこと言うんだ、あの光魔導師!!
犠牲ってあれか、オレ諸共亡き者にしようってあれかー!? やめてぇ、ちゃんと助けて!
『ここで結界諸共魔人を倒さなきゃ、ここにいる王族全員が危険に晒されるのよ? 他の王子や王女は知らないけど、私の主人コペリア様に手を出されるなんて嫌だもの。
たった一人が巻き添いになったところで、なんだって言うのかしら?』
オルタンジーの言うことに、間違いはない。団長殿も思わず押し黙ってしまい周りはどんどん騎士や魔導師に固められる。
……あ。これ助けてもらえないやつ。
しかしここで、思わぬ声が割り込む。離れた場所から騎士の制止の声も聞かずに走って来た人物。いつもは絶対に走ったりすることはないのに、彼は真っ直ぐと囚われたオレを見つめたまま叫ぶ。
『貴様らっ、それが僕の守護魔導師と知っての発言か!! その者はダンジョンで奮闘し……オルタンジー、貴様の主人たるコペリア姉様も救い出したのだぞ!
……余計な手を出しおって、此度もタタラに任せておれば良かったものを』
『ぁ、……殿下っ……』
さっきまではすぐ側にいたのに、今はこの光の壁のせいで近付くことすら許されない。来てくれて嬉しいのに、早く安全なところまで逃げてほしいという思いが交差する。
『……恐れながらハルジオン殿下。今、この状況であの子どもを救う方を選ぶと言うのは全員の死に直結するのですよー? 殿下も、勿論婚約者のクロポルドも、そして……ここで救ったとして、あの子どもも死ぬ運命なんです』
【女ァ】
その時、オレは
【大ッ、不正ェ解ー】
初めて、魔人という生き物の本物の魔力に触れた。
【これっだから人間は嫌いだぁ……価値を知らない、無知で傲慢で恥知らず。嫌いだぁ、本当に嫌になるっての。
そもそも。何故、貴様らはタタラが生きるか死ぬかの選択が出来るのだぁ? 違う違う、逆だ。
タタラ以外の全てを殺すんだよぉ】
魔人の背中から、メキメキと音を立てて何かが広がった。骨の翼。骨だけの翼は黒い魔力を纏い、一つはためかせただけで光魔導師の結界をガラスでも砕くように粉々に粉砕した。本来ならば光属性の魔法に魔物は弱いはずなのに、それがこのザマ。あまりのことにオルタンジーは固まり、団長殿はハルジオン殿下を抱えてすぐに離脱した。
魔人は、結界に囚われたのではない。
いつでも壊せたから、静観していただけ。
【この俺は、モノの価値を理解しているつもりなんだぁ。王族ぅ? 貴族ぅ? 魔導師ぃ? ダメだ、そんなのは全然無価値に等しいってもんよぉ。
貴様ら人間は選択する立場にいねぇ。全てを決めるのは……この俺だ】
口は笑っているのに、全く楽しそうじゃない。魔力に含まれる果てしない怒気がビリビリと伝わってくる。ただ浮いているだけ、魔人はただ羽を広げて浮いているだけなのにこちらは今にも逃げ出したいくらいだった。
自由を阻む光の壁がなくなったのに、オレはその場から一歩だって歩けず立ち尽くすことしか出来ない。元からボロボロの身だ、魔人の圧倒的な魔力を前になんとか踏ん張るだけで精一杯。
どうしてこうも……毎回毎回、命が危ぶまれるんだろうなぁ。
『タタラ様!!』
『ノルエフリン……? って、うわぁ!!』
いつの間にかすぐ近くに来ていたノルエフリン。疲労困憊でボーっとしていたせいか、全く気付けなかった。彼はオレの顔を覗き込むとすぐに表情を険しくして、オレの体を簡単に持ち上げてしまう。片手のみでガッシリとした胸に押さえ付けられると、すぐに鎧を纏う体で猛ダッシュを始めた。
『我が国でも光魔導師三本の指に入るオルタンジー様の結界が容易に砕かれたのは残念ですが、貴方を救えたのであれば私は構わない。随分と顔色が悪い……ここはバーリカリーナ国守護魔導師の精鋭たる皆様の力でなんとかしていただきましょう』
『……オレだって……、守護魔導師だし』
一緒に戦いたいのに、それは出来ない。オレが助太刀に向かったところで足手纏いにしかならないのはよくわかってる。
『……はい、タタラ様が加わることが出来たらどれだけ頼もしかったことか』
魔人との戦いは防戦を強いられるばかりだった。オルタンジーの防御が役に立たず、そもそも彼女の魔法こそが魔人に最もダメージを与えられるはずが傷一つ付けられない。もう一人の守護魔導師らしき男が炎魔法で攻撃するも、魔人の炎に食われるように吸収され団長殿の剣は折れてしまい水魔法で応戦するも魔人の炎は団長殿の水よりも遥かに格上の魔法だったのだ。重ねて魔人の青い炎は確実に後方にいる学生たちに迫っていた。消せない炎がジリジリと近付き、魔人に攻撃しながら炎にも対処しなければならない。
圧倒的不利、本日二度目である。
『ノルエフリン、戦わずにあの魔人を退ける方法はないのかなっ……!?』
『戦わずに……? 確かにこのままでは勝機はありませんが、あの魔人が撤退するなど……』
完全に地雷を踏んでしまった。先程は少しは穏やかだったのに、魔人は一方的な暴力を楽しんでいる。あれが本来の姿なのだろう、先程までが異常なほど理性的だったのだ。
『危ないっ!!』
学生たちの一角に、青い炎の魔の手が迫る。オレを抱えたままノルエフリンが剣で炎を止めるが、勢いに全く抗える気がしない。
『早く逃げて、ここにいたらっ』
『もう囲まれてるんです……炎で、一面焼き尽くされて……もうっ、逃げ場なんて』
消せない炎に囲まれて、目の前には決して倒せない敵がいる。何人も仲間は倒されて頼りの守護魔導師たちも魔人の相手で精一杯。
焦る中で、ふと腕を掴まれた。
『なぁ。
ガキんちょ、ちょいと力を貸してくれ』
真っ赤な髪をした、巨体の男。少し長い髪で表情がよく見えなかったけど暗い印象が一転して、かなり野性味溢れるワイルドな顔立ちが目に入った。二十代後半くらいのその男は、こんな状況でも何故か笑みを浮かべていた。
『俺ァ、第六王子タルタカロスの守護魔導師だ。名はシュラマ。好きに呼んでくれ。
お前の力を貸せ、あの魔人を追い払う』
『で、でもオレ……もう魔力がなくて』
こんなことならもっと魔力ケチって、怪我もしないように頑張れば良かった。まさかこんなことになるなんて思わなかった……って、これは言い訳だ。
しょんぼりと肩を落とすオレを、シュラマはニコニコ笑いながら頭を撫でて来た。
『いんやぁ? お前さんは魔力なんざ使わなくて良いんだ、この場に魔人が気に入るような人間がいて本当に助かったぜ。
ちょっと借りるぜ、ほらこっち来な』
強引にノルエフリンの腕の中から奪われ、鎧など着ていない薄着なシュラマの温かな腕に抱えられる。ガッチリとした引き締まった筋肉にギョッとしていると後ろでノルエフリンがかなりの抗議の声を上げていた。
この戦況の中でフリーダムすぎんだろ、ここォ……。
『もうすぐ学園に置いて来た月の宴も来るはずだ、あんまり大所帯になるのも問題だろうって置いて来たのが仇になっちまった』
『騎士団など、もうどれだけ増えたところで無意味です。魔人がその気になってしまえば我々に出来ることなどそうありはしません。
……ところで、タタラ様を乱暴に扱わないでいただきたい! 片手ではなく両手でお持ち下さい、って……あぁっ!! 何故そんな粗雑な持ち直し方をっ……』
悲鳴に近いノルエフリンの声に心底ウザったそうに溜息を吐くシュラマは、やがてオレを俵担ぎにした。すぐ目の前で巨体を丸めてこちらに涙目で手を伸ばすノルエフリンが……なんかちょっとだけ可愛かった。
『あの魔人と交渉出来るのはガキんちょ、お前だけだ。どうにかして奴を止めて丁重にお帰り願え』
『そんなこと言っても、あんなに一方的な力を持つ魔人が手ぶらで帰るなんて思えま、
……っちょっと放せ!!』
シュラマの腕を振り払うように退かして、巨体から落ちるように抜け出しては走り出す。文句を言うシュラマと、何も言わずに同じように走り出すノルエフリンに構わず一直線に。
短い草花を一歩一歩を踏み付けては痛む全身に構うことなく、ただ目に入った光景を思い出してはまた力を込めて走る、走る。
オレは、青い炎に包まれた団長殿とそのすぐ傍にいたハルジオン王子に向かって走っていた。
あぁ、何故。どうして、どうして……よりにもよって、こんな時にこんな体の時に!!
『ハルジオン殿下っ、どうか私から離れて下さい!! 貴方にまで炎が、』
『嫌だ!! クロポルドっ……お前は僕のものなんだ、お前だけは!!』
ハルジオン王子に迫った炎を、日輪の描かれたマントで払う。だが、そのマントに炎が引火してしまい忽ち炎が団長殿を呑み込もうと侵食する。そんな彼の姿に動揺するあまりハルジオン王子が慌ててそれを外そうと触れてしまったのだ。
そして、王子の黒い手袋に燃え移った青い炎を見た瞬間にオレの中の何かがプツリと外れたような音がした。まるで、糸が切れたように。
『っ……血糸、魔法!! 赫槍!!』
両手から溢れる糸を地面に潜らせ、瞬きの間に移動させ団長殿のマントを地面から現れた赫い糸の槍が肩の付け根辺りから切り落とし、急ぎ燃えていない部分を糸で括って離れたところへ放り投げる。青い炎に呑まれ始めるハルジオン王子の前で何もしないでただ突っ立っているだけの彼の横をすり抜けた。
泣きながら団長殿から離れようとするハルジオン王子の手を何の躊躇いもなく掴み、炎で燃える手袋を急いで外して地面に落とす。
彼が着ていたのが長袖で、助かった。
自分の靴を燃える糸で断ち切り、足の指から燃えていない糸を出す。王子はまだ服しか燃えていなかったので糸で素肌を傷付けないよう服だけを切り取った。皮肉なことに、さっき自分の体で同じようなことをしたから力加減は抜群だ。
ああ、よかった……どこにも、怪我がない……。
『っ、はぁ……。
……お怪我はありませんか? 殿下』
『……た、た……らっ……』
燃える手袋を握ったオレの両手は、すっかり青い炎に焼かれてしまっていた。手からはもう炎が燃え移った糸しか出せない。
『婚約者である団長殿をお守りしたいお気持ちは理解します。ですが、私がいる場合は私に命じて下さいな。
ふふっ……今日から私も、バーリカリーナ国の精鋭になれますでしょうか』
実は少し憧れているのだ!
『何、を……何をそんな……手が、そんな……お前の大切な、大切な両の手がっ』
仕方ないじゃないか。オレにはあんな難しい装備の手袋は片手じゃどうしたって外せなかった。アホみたいに痛い、感覚が消えていく。
熱いを通り越して、どこか寒いような気もする。
でも、それを言ったら、それを泣いたら、きっと彼も泣いちゃうから。
『平気ですっ、まだ指は半分残ってますから』
また無茶をしていると、笑ってくれ。
『団長殿。私はあの魔人と交渉をしてきます。どうかその間、ハルジオン殿下をよろしくお願いします』
『っ、心得た……すまない、本当に……』
両手から燃える炎だが、どうやら相当の魔力が込められているのだと触れてみて初めてわかる。あるだけの魔力を手に込めてめちゃくちゃ気合いを入れると少しだけ炎と自分の魔力がぶつかり合っていい感じに相殺されるのだ。両手だけ燃やした不気味なオレが歩くだけで、戦っていた人たちが皆でギョッとして道を開けてくれる。
目が合った魔人は、血走った瞳にすぐに理性を取り戻して、しっかりとオレの姿をその目に捉えてから翼を動かして近付いてきた。対峙してジッと自らの炎に焼かれる姿に何を思ったのか、不思議そうに首を曲げている。
『……今ふと思ったんですけど、この拳で殴り掛かったら、もしかしてダメージ受けてくれたりしますかね?』
【いやぁ……この俺の炎で自分に威力は返って来ない……かなぁ?】
なんだ。
残念だ、本当にただ痛いだけかよ。
【どーしてかねぇ】
魔人はオレの両手を持って、呟くように言う。
【お前。本当はこっち側に来た方が……良いと思うけどぉ】
ふっ、と息を吐くとそこにはもう手を蝕んでいた炎はなかった。
【嫌って言うんだろうなぁ。本当人間って愚か、お前だって所詮はさぁ……人間だもん】
酷い火傷が残る皮膚に、魔人が聞き取れない術式を述べるとみるみると火傷がひいて元の肌に戻っていく。驚いて魔人を見るも、続けて吐き出される言葉によって辺りの青い炎も全て鎮火した。
【やーめた。
珍しいもんも見たし、久しぶりに運動もしたしぃ? また人間と下らない約束事もしたから、仕方ないから散歩の続きすっかぁ。
精々もっと大きくなって必死に抗ってみせなぁ。どうせお前ら人間はいつか滅ぼされる、今この俺がどうこうしたところで未来は変わらねぇの。魔獣に魔人に、魔王。
たくさん足掻いて成体になれよぉ、サボってたら直々に殺しに来てやっからさ】
『……子どもの成長スピード、ナメないで下さい。次は必ず一泡吹かせて差し上げます。
良い子はお家に帰らなくてはならないので、今日はもうお終いです』
有無を言わせぬようニッコリと笑って見せれば、魔人は長い体を空中で反らしながらゲラゲラと大声で笑った。骨張った両手で顔を覆いながら、鱗に守られた足をバタバタと忙しなく動かして。
そして飛び立つ時には何も言わずに、しかし思い出したようにオレの方を振り返った魔人はどこか何かを懐かしむような……ほんの少し柔らかな表情をして羽を動かした。
チリン、と小さく鳴る鈴の音を聞きながら……負傷者はかなり出たものの、結局誰も殺さなかった魔人の背中を見えなくなるまで見守って……リーベダンジョン演習は終わりを迎えたのだった。
.
なんでオレまで魔人と一緒に閉じ込められてるんだよ、せめて別にしてくれよ!!
『いやー。どっかのガキんちょのお陰様で結構楽に魔人を封じられたじゃねーか』
『全く……貴殿たちはもう少し早く駆け付けてくれないものか。単身で魔人相手は身が保たないぞ』
『えぇー? でもぉ、死ななくて良かったじゃない! 予想以上に粘ってくれたからこっちも相当の魔力を当てられたもの、良い結界でしょ?』
結界の外にいる三人の男女。一人はよく知った団長殿だ、かなりダメージを負ったはずだが今は傷一つない体で他の二人に小言を吐いている。
ノルエフリンほどではないが、かなりの巨体の持ち主である赤髪の男と、真っ黒なのに透け透けな服を見に纏った黄色い髪の美女。恐らく女性の方が光魔導師であろう、真っ赤な髪をした男性は拳から炎を燃え上がらせながらこちらに歩いてくる。
『オイ……オルタンジー、中のタタラ様を早く出せ。あの方はハルジオン殿下の守護魔導師だ』
『はぁ? 無理よぉ、もう塞いじゃったんだもん。少しでも結界を緩めたら魔人が出て来ちゃうわよ。不意打ちだから上手く行ったけど、同じ手はもう二度と通じないんじゃない?』
呆然とこちらを見る団長殿と、目が合う。いやいや、そんな顔されてもこっちの方が困ってるんですけど……。
『仕方ないんじゃない? 尊い犠牲ってことで、ハルジオン殿下には後でごめんなさいしましょ?』
『っふざけるな!!』
そーだ、そーだ!! なんてこと言うんだ、あの光魔導師!!
犠牲ってあれか、オレ諸共亡き者にしようってあれかー!? やめてぇ、ちゃんと助けて!
『ここで結界諸共魔人を倒さなきゃ、ここにいる王族全員が危険に晒されるのよ? 他の王子や王女は知らないけど、私の主人コペリア様に手を出されるなんて嫌だもの。
たった一人が巻き添いになったところで、なんだって言うのかしら?』
オルタンジーの言うことに、間違いはない。団長殿も思わず押し黙ってしまい周りはどんどん騎士や魔導師に固められる。
……あ。これ助けてもらえないやつ。
しかしここで、思わぬ声が割り込む。離れた場所から騎士の制止の声も聞かずに走って来た人物。いつもは絶対に走ったりすることはないのに、彼は真っ直ぐと囚われたオレを見つめたまま叫ぶ。
『貴様らっ、それが僕の守護魔導師と知っての発言か!! その者はダンジョンで奮闘し……オルタンジー、貴様の主人たるコペリア姉様も救い出したのだぞ!
……余計な手を出しおって、此度もタタラに任せておれば良かったものを』
『ぁ、……殿下っ……』
さっきまではすぐ側にいたのに、今はこの光の壁のせいで近付くことすら許されない。来てくれて嬉しいのに、早く安全なところまで逃げてほしいという思いが交差する。
『……恐れながらハルジオン殿下。今、この状況であの子どもを救う方を選ぶと言うのは全員の死に直結するのですよー? 殿下も、勿論婚約者のクロポルドも、そして……ここで救ったとして、あの子どもも死ぬ運命なんです』
【女ァ】
その時、オレは
【大ッ、不正ェ解ー】
初めて、魔人という生き物の本物の魔力に触れた。
【これっだから人間は嫌いだぁ……価値を知らない、無知で傲慢で恥知らず。嫌いだぁ、本当に嫌になるっての。
そもそも。何故、貴様らはタタラが生きるか死ぬかの選択が出来るのだぁ? 違う違う、逆だ。
タタラ以外の全てを殺すんだよぉ】
魔人の背中から、メキメキと音を立てて何かが広がった。骨の翼。骨だけの翼は黒い魔力を纏い、一つはためかせただけで光魔導師の結界をガラスでも砕くように粉々に粉砕した。本来ならば光属性の魔法に魔物は弱いはずなのに、それがこのザマ。あまりのことにオルタンジーは固まり、団長殿はハルジオン殿下を抱えてすぐに離脱した。
魔人は、結界に囚われたのではない。
いつでも壊せたから、静観していただけ。
【この俺は、モノの価値を理解しているつもりなんだぁ。王族ぅ? 貴族ぅ? 魔導師ぃ? ダメだ、そんなのは全然無価値に等しいってもんよぉ。
貴様ら人間は選択する立場にいねぇ。全てを決めるのは……この俺だ】
口は笑っているのに、全く楽しそうじゃない。魔力に含まれる果てしない怒気がビリビリと伝わってくる。ただ浮いているだけ、魔人はただ羽を広げて浮いているだけなのにこちらは今にも逃げ出したいくらいだった。
自由を阻む光の壁がなくなったのに、オレはその場から一歩だって歩けず立ち尽くすことしか出来ない。元からボロボロの身だ、魔人の圧倒的な魔力を前になんとか踏ん張るだけで精一杯。
どうしてこうも……毎回毎回、命が危ぶまれるんだろうなぁ。
『タタラ様!!』
『ノルエフリン……? って、うわぁ!!』
いつの間にかすぐ近くに来ていたノルエフリン。疲労困憊でボーっとしていたせいか、全く気付けなかった。彼はオレの顔を覗き込むとすぐに表情を険しくして、オレの体を簡単に持ち上げてしまう。片手のみでガッシリとした胸に押さえ付けられると、すぐに鎧を纏う体で猛ダッシュを始めた。
『我が国でも光魔導師三本の指に入るオルタンジー様の結界が容易に砕かれたのは残念ですが、貴方を救えたのであれば私は構わない。随分と顔色が悪い……ここはバーリカリーナ国守護魔導師の精鋭たる皆様の力でなんとかしていただきましょう』
『……オレだって……、守護魔導師だし』
一緒に戦いたいのに、それは出来ない。オレが助太刀に向かったところで足手纏いにしかならないのはよくわかってる。
『……はい、タタラ様が加わることが出来たらどれだけ頼もしかったことか』
魔人との戦いは防戦を強いられるばかりだった。オルタンジーの防御が役に立たず、そもそも彼女の魔法こそが魔人に最もダメージを与えられるはずが傷一つ付けられない。もう一人の守護魔導師らしき男が炎魔法で攻撃するも、魔人の炎に食われるように吸収され団長殿の剣は折れてしまい水魔法で応戦するも魔人の炎は団長殿の水よりも遥かに格上の魔法だったのだ。重ねて魔人の青い炎は確実に後方にいる学生たちに迫っていた。消せない炎がジリジリと近付き、魔人に攻撃しながら炎にも対処しなければならない。
圧倒的不利、本日二度目である。
『ノルエフリン、戦わずにあの魔人を退ける方法はないのかなっ……!?』
『戦わずに……? 確かにこのままでは勝機はありませんが、あの魔人が撤退するなど……』
完全に地雷を踏んでしまった。先程は少しは穏やかだったのに、魔人は一方的な暴力を楽しんでいる。あれが本来の姿なのだろう、先程までが異常なほど理性的だったのだ。
『危ないっ!!』
学生たちの一角に、青い炎の魔の手が迫る。オレを抱えたままノルエフリンが剣で炎を止めるが、勢いに全く抗える気がしない。
『早く逃げて、ここにいたらっ』
『もう囲まれてるんです……炎で、一面焼き尽くされて……もうっ、逃げ場なんて』
消せない炎に囲まれて、目の前には決して倒せない敵がいる。何人も仲間は倒されて頼りの守護魔導師たちも魔人の相手で精一杯。
焦る中で、ふと腕を掴まれた。
『なぁ。
ガキんちょ、ちょいと力を貸してくれ』
真っ赤な髪をした、巨体の男。少し長い髪で表情がよく見えなかったけど暗い印象が一転して、かなり野性味溢れるワイルドな顔立ちが目に入った。二十代後半くらいのその男は、こんな状況でも何故か笑みを浮かべていた。
『俺ァ、第六王子タルタカロスの守護魔導師だ。名はシュラマ。好きに呼んでくれ。
お前の力を貸せ、あの魔人を追い払う』
『で、でもオレ……もう魔力がなくて』
こんなことならもっと魔力ケチって、怪我もしないように頑張れば良かった。まさかこんなことになるなんて思わなかった……って、これは言い訳だ。
しょんぼりと肩を落とすオレを、シュラマはニコニコ笑いながら頭を撫でて来た。
『いんやぁ? お前さんは魔力なんざ使わなくて良いんだ、この場に魔人が気に入るような人間がいて本当に助かったぜ。
ちょっと借りるぜ、ほらこっち来な』
強引にノルエフリンの腕の中から奪われ、鎧など着ていない薄着なシュラマの温かな腕に抱えられる。ガッチリとした引き締まった筋肉にギョッとしていると後ろでノルエフリンがかなりの抗議の声を上げていた。
この戦況の中でフリーダムすぎんだろ、ここォ……。
『もうすぐ学園に置いて来た月の宴も来るはずだ、あんまり大所帯になるのも問題だろうって置いて来たのが仇になっちまった』
『騎士団など、もうどれだけ増えたところで無意味です。魔人がその気になってしまえば我々に出来ることなどそうありはしません。
……ところで、タタラ様を乱暴に扱わないでいただきたい! 片手ではなく両手でお持ち下さい、って……あぁっ!! 何故そんな粗雑な持ち直し方をっ……』
悲鳴に近いノルエフリンの声に心底ウザったそうに溜息を吐くシュラマは、やがてオレを俵担ぎにした。すぐ目の前で巨体を丸めてこちらに涙目で手を伸ばすノルエフリンが……なんかちょっとだけ可愛かった。
『あの魔人と交渉出来るのはガキんちょ、お前だけだ。どうにかして奴を止めて丁重にお帰り願え』
『そんなこと言っても、あんなに一方的な力を持つ魔人が手ぶらで帰るなんて思えま、
……っちょっと放せ!!』
シュラマの腕を振り払うように退かして、巨体から落ちるように抜け出しては走り出す。文句を言うシュラマと、何も言わずに同じように走り出すノルエフリンに構わず一直線に。
短い草花を一歩一歩を踏み付けては痛む全身に構うことなく、ただ目に入った光景を思い出してはまた力を込めて走る、走る。
オレは、青い炎に包まれた団長殿とそのすぐ傍にいたハルジオン王子に向かって走っていた。
あぁ、何故。どうして、どうして……よりにもよって、こんな時にこんな体の時に!!
『ハルジオン殿下っ、どうか私から離れて下さい!! 貴方にまで炎が、』
『嫌だ!! クロポルドっ……お前は僕のものなんだ、お前だけは!!』
ハルジオン王子に迫った炎を、日輪の描かれたマントで払う。だが、そのマントに炎が引火してしまい忽ち炎が団長殿を呑み込もうと侵食する。そんな彼の姿に動揺するあまりハルジオン王子が慌ててそれを外そうと触れてしまったのだ。
そして、王子の黒い手袋に燃え移った青い炎を見た瞬間にオレの中の何かがプツリと外れたような音がした。まるで、糸が切れたように。
『っ……血糸、魔法!! 赫槍!!』
両手から溢れる糸を地面に潜らせ、瞬きの間に移動させ団長殿のマントを地面から現れた赫い糸の槍が肩の付け根辺りから切り落とし、急ぎ燃えていない部分を糸で括って離れたところへ放り投げる。青い炎に呑まれ始めるハルジオン王子の前で何もしないでただ突っ立っているだけの彼の横をすり抜けた。
泣きながら団長殿から離れようとするハルジオン王子の手を何の躊躇いもなく掴み、炎で燃える手袋を急いで外して地面に落とす。
彼が着ていたのが長袖で、助かった。
自分の靴を燃える糸で断ち切り、足の指から燃えていない糸を出す。王子はまだ服しか燃えていなかったので糸で素肌を傷付けないよう服だけを切り取った。皮肉なことに、さっき自分の体で同じようなことをしたから力加減は抜群だ。
ああ、よかった……どこにも、怪我がない……。
『っ、はぁ……。
……お怪我はありませんか? 殿下』
『……た、た……らっ……』
燃える手袋を握ったオレの両手は、すっかり青い炎に焼かれてしまっていた。手からはもう炎が燃え移った糸しか出せない。
『婚約者である団長殿をお守りしたいお気持ちは理解します。ですが、私がいる場合は私に命じて下さいな。
ふふっ……今日から私も、バーリカリーナ国の精鋭になれますでしょうか』
実は少し憧れているのだ!
『何、を……何をそんな……手が、そんな……お前の大切な、大切な両の手がっ』
仕方ないじゃないか。オレにはあんな難しい装備の手袋は片手じゃどうしたって外せなかった。アホみたいに痛い、感覚が消えていく。
熱いを通り越して、どこか寒いような気もする。
でも、それを言ったら、それを泣いたら、きっと彼も泣いちゃうから。
『平気ですっ、まだ指は半分残ってますから』
また無茶をしていると、笑ってくれ。
『団長殿。私はあの魔人と交渉をしてきます。どうかその間、ハルジオン殿下をよろしくお願いします』
『っ、心得た……すまない、本当に……』
両手から燃える炎だが、どうやら相当の魔力が込められているのだと触れてみて初めてわかる。あるだけの魔力を手に込めてめちゃくちゃ気合いを入れると少しだけ炎と自分の魔力がぶつかり合っていい感じに相殺されるのだ。両手だけ燃やした不気味なオレが歩くだけで、戦っていた人たちが皆でギョッとして道を開けてくれる。
目が合った魔人は、血走った瞳にすぐに理性を取り戻して、しっかりとオレの姿をその目に捉えてから翼を動かして近付いてきた。対峙してジッと自らの炎に焼かれる姿に何を思ったのか、不思議そうに首を曲げている。
『……今ふと思ったんですけど、この拳で殴り掛かったら、もしかしてダメージ受けてくれたりしますかね?』
【いやぁ……この俺の炎で自分に威力は返って来ない……かなぁ?】
なんだ。
残念だ、本当にただ痛いだけかよ。
【どーしてかねぇ】
魔人はオレの両手を持って、呟くように言う。
【お前。本当はこっち側に来た方が……良いと思うけどぉ】
ふっ、と息を吐くとそこにはもう手を蝕んでいた炎はなかった。
【嫌って言うんだろうなぁ。本当人間って愚か、お前だって所詮はさぁ……人間だもん】
酷い火傷が残る皮膚に、魔人が聞き取れない術式を述べるとみるみると火傷がひいて元の肌に戻っていく。驚いて魔人を見るも、続けて吐き出される言葉によって辺りの青い炎も全て鎮火した。
【やーめた。
珍しいもんも見たし、久しぶりに運動もしたしぃ? また人間と下らない約束事もしたから、仕方ないから散歩の続きすっかぁ。
精々もっと大きくなって必死に抗ってみせなぁ。どうせお前ら人間はいつか滅ぼされる、今この俺がどうこうしたところで未来は変わらねぇの。魔獣に魔人に、魔王。
たくさん足掻いて成体になれよぉ、サボってたら直々に殺しに来てやっからさ】
『……子どもの成長スピード、ナメないで下さい。次は必ず一泡吹かせて差し上げます。
良い子はお家に帰らなくてはならないので、今日はもうお終いです』
有無を言わせぬようニッコリと笑って見せれば、魔人は長い体を空中で反らしながらゲラゲラと大声で笑った。骨張った両手で顔を覆いながら、鱗に守られた足をバタバタと忙しなく動かして。
そして飛び立つ時には何も言わずに、しかし思い出したようにオレの方を振り返った魔人はどこか何かを懐かしむような……ほんの少し柔らかな表情をして羽を動かした。
チリン、と小さく鳴る鈴の音を聞きながら……負傷者はかなり出たものの、結局誰も殺さなかった魔人の背中を見えなくなるまで見守って……リーベダンジョン演習は終わりを迎えたのだった。
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