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第四章 蠢く闇を打ち砕け
第54話 豪運の男ここに見参
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ジールの上着が破れ、肌が露わになった。
俺はそこに二つのかすかな膨らみがあるのを見て取った。
「まさか……」
視界がぼやけているが、見間違いではない。
俺がこまっしゃくれた小僧だと思っていたジールは……。
「なにすんだよ、はなせ!」
やっと我を取り戻したジールが、猿の手の中で暴れる。
「否……。穢《けが》れなき少女よ。汝には生け贄になってもらわねばならぬ……」
バウバロスはどうみても死にかけで、さきほどまでの力はないようだった。だが、小柄なジールが暴れたぐらいではびくともしない。
「おい! やめろ、やめろよ! おいらなんか食っても旨くねえぞ!」
「喰いはせぬ……。我が求めるのは、汝の血と命のみ……! んかぁっ……!」
バウバロスが、顎が外れんばかりに口を開いた。そしてゆっくりとジールの胸元に顔を近づけていく。
ジールを助けなければ……!
俺は足に渾身の力を立ち上がろうとした。しかし身体から力が抜け、その場に膝をついてしまう。
「誰か、ジールを……!」
そのとき、俺は目の端で何かが動くのを見た。
あの細身のシルエットは……!
「リリア!」
リリアだった。
足下はふらついているが、右手にはしっかりと剣を握りしめている。額から流れた血が、髪の毛にべったり貼り付いていた。しかし、その瞳から光は失われていなかった。
満身創痍のリリアは数歩歩いて弾みをつけると、バウバロスに向かって全速力で走り出した。
リリアの足音に気付いたバウバロスが後ろを振り返った。よし、やつの注意がジールから逸れた。頼むぞ、リリア。俺もすぐ行く……!
「あああああああああッ!」
リリアの口から、これまでに聞いたことのない熱い叫びが迸る。
間に合え、間に合ってくれ!
「〈我ガ神ヨ、御身ノ忠実ナル僕、翼アル蛇ノ力ヲ貸シタマエ。我、ソノ力モテ、御身ニ仇ナス敵ヲ討タン〉……!」
しかし、俺の願いを打ち砕くように、バウバロスの猿の面が不気味な祈りを唱えはじめる……!
「避けろ、リリア! 精神攻撃だ!」
やっと声が出た。
しかし、俺が言い切るよりも早く、バウバロスの背中から紫紺の光が立ち上り、リリアへと伸びた。
紫の光は蛇のようにリリアの身体に絡みついていく!
「あ、あああ……あ……!」
闇の蛇に絡みつかれながらもリリアは前に進もうとした。
しかし、リリアの口から迸っていた叫びは徐々にか細くなり、やがてその身体は糸の切れた操り人形のように、その場に倒れ伏した。
「蛇は〈竜の娘〉の精神を喰らった……。これで半日は目を覚まさぬ……」
バウバロスは弱々しいくも勝ち誇ったような口調で言った。
「リリアさん!」
光のカーテンに包まれた兵士たちが悲鳴をあげた。
俺は自分の足を殴りつけて気合いを入れ、立ち上がった。そして倒れたリリアに向けて、ふらつき足で走り出す。
足がうまく動かない。自分の身体がまるでチェーンの外れた自転車のように感じられた。
バウバロスは、よたよたと浮き足立ったように走ろうとする俺を見て、侮蔑の表情を浮かべた。
「愚かなり……。愚かなり、アルザードの眷属よ……。その場でおとなしくしておれ。さすれば、儀式の後に苦しまずに殺してやろう……」
「ふざ……けん、なよ、てめえ……!」
「その後、〈竜の娘〉とマルセリスの神官は理性がすり切れるまで犯してやる……! 狂気という救いにすがりつくまで、な……」
「お、あ、ああああ!」
声を振り絞って叫んだ。
しかし、バウバロスは俺の叫びを無視して、再びジールのほうに向き直った。そして口を大きく開け、胸にかぶりつこうとする。
間に合わない、このままでは……!
自分の心が絶望に覆われていくのを感じた。
そのときだった。
「……!」
俺の視界の中で、砂のような細かい粒子がきらめいた。
それに、なにか音がする。音の出どころは上のほう……。硬いものを殴りつけるような音だった。
「グオッ!」
直後、バウバロスが鈍い悲鳴をあげた。
よく見えなかったが、天井から降ってきたなにかが、やつの背中に命中したのだ。
「なんだっ!」
俺が慌てて視線を天井に目を向けると、バウバロスの頭上に一カ所、ぽっかりと穴が空いていた。いま落ちてきたのは、外れた天井のブロックか!
穴の向こうで、何かが動くのが見えた。生き物だ。おそらくは人間。
それは、とても大きな人影に見えた。
「うおおおおおおおおおおおおおお!」
そいつは天井の穴から身を躍らせると、雄叫びを上げながらバウバロスに向けて落下していく……!
「ぐおっ!」
バウバロスはくぐもった声をあげる。落下してきた人影が、やつの背中に着地したのだ。
「お前は……!」
突如現れた救援。その姿を見て、俺は思わず声を失った。
あれは、あの風貌、体躯。見間違えようがない……!
「わ、悪ぃな、センセ……。ちっとばかし来るのが遅くなっちまった……」
そいつは硬い巌のような顔に、不敵な笑みを浮かべてみせた。
鎧は脱げ、裸の上半身には大小あまたの傷が刻まれていたが、隆々たる筋肉はいささかも衰えた様子がなかった。
「ザック!」
「イリーナは無事か? い、いま……こいつをぶっつぶしてやっから、待ってろよ……!」
死んだと思われていた男が、俺たちの窮地に駆けつけたのだ。
俺はそこに二つのかすかな膨らみがあるのを見て取った。
「まさか……」
視界がぼやけているが、見間違いではない。
俺がこまっしゃくれた小僧だと思っていたジールは……。
「なにすんだよ、はなせ!」
やっと我を取り戻したジールが、猿の手の中で暴れる。
「否……。穢《けが》れなき少女よ。汝には生け贄になってもらわねばならぬ……」
バウバロスはどうみても死にかけで、さきほどまでの力はないようだった。だが、小柄なジールが暴れたぐらいではびくともしない。
「おい! やめろ、やめろよ! おいらなんか食っても旨くねえぞ!」
「喰いはせぬ……。我が求めるのは、汝の血と命のみ……! んかぁっ……!」
バウバロスが、顎が外れんばかりに口を開いた。そしてゆっくりとジールの胸元に顔を近づけていく。
ジールを助けなければ……!
俺は足に渾身の力を立ち上がろうとした。しかし身体から力が抜け、その場に膝をついてしまう。
「誰か、ジールを……!」
そのとき、俺は目の端で何かが動くのを見た。
あの細身のシルエットは……!
「リリア!」
リリアだった。
足下はふらついているが、右手にはしっかりと剣を握りしめている。額から流れた血が、髪の毛にべったり貼り付いていた。しかし、その瞳から光は失われていなかった。
満身創痍のリリアは数歩歩いて弾みをつけると、バウバロスに向かって全速力で走り出した。
リリアの足音に気付いたバウバロスが後ろを振り返った。よし、やつの注意がジールから逸れた。頼むぞ、リリア。俺もすぐ行く……!
「あああああああああッ!」
リリアの口から、これまでに聞いたことのない熱い叫びが迸る。
間に合え、間に合ってくれ!
「〈我ガ神ヨ、御身ノ忠実ナル僕、翼アル蛇ノ力ヲ貸シタマエ。我、ソノ力モテ、御身ニ仇ナス敵ヲ討タン〉……!」
しかし、俺の願いを打ち砕くように、バウバロスの猿の面が不気味な祈りを唱えはじめる……!
「避けろ、リリア! 精神攻撃だ!」
やっと声が出た。
しかし、俺が言い切るよりも早く、バウバロスの背中から紫紺の光が立ち上り、リリアへと伸びた。
紫の光は蛇のようにリリアの身体に絡みついていく!
「あ、あああ……あ……!」
闇の蛇に絡みつかれながらもリリアは前に進もうとした。
しかし、リリアの口から迸っていた叫びは徐々にか細くなり、やがてその身体は糸の切れた操り人形のように、その場に倒れ伏した。
「蛇は〈竜の娘〉の精神を喰らった……。これで半日は目を覚まさぬ……」
バウバロスは弱々しいくも勝ち誇ったような口調で言った。
「リリアさん!」
光のカーテンに包まれた兵士たちが悲鳴をあげた。
俺は自分の足を殴りつけて気合いを入れ、立ち上がった。そして倒れたリリアに向けて、ふらつき足で走り出す。
足がうまく動かない。自分の身体がまるでチェーンの外れた自転車のように感じられた。
バウバロスは、よたよたと浮き足立ったように走ろうとする俺を見て、侮蔑の表情を浮かべた。
「愚かなり……。愚かなり、アルザードの眷属よ……。その場でおとなしくしておれ。さすれば、儀式の後に苦しまずに殺してやろう……」
「ふざ……けん、なよ、てめえ……!」
「その後、〈竜の娘〉とマルセリスの神官は理性がすり切れるまで犯してやる……! 狂気という救いにすがりつくまで、な……」
「お、あ、ああああ!」
声を振り絞って叫んだ。
しかし、バウバロスは俺の叫びを無視して、再びジールのほうに向き直った。そして口を大きく開け、胸にかぶりつこうとする。
間に合わない、このままでは……!
自分の心が絶望に覆われていくのを感じた。
そのときだった。
「……!」
俺の視界の中で、砂のような細かい粒子がきらめいた。
それに、なにか音がする。音の出どころは上のほう……。硬いものを殴りつけるような音だった。
「グオッ!」
直後、バウバロスが鈍い悲鳴をあげた。
よく見えなかったが、天井から降ってきたなにかが、やつの背中に命中したのだ。
「なんだっ!」
俺が慌てて視線を天井に目を向けると、バウバロスの頭上に一カ所、ぽっかりと穴が空いていた。いま落ちてきたのは、外れた天井のブロックか!
穴の向こうで、何かが動くのが見えた。生き物だ。おそらくは人間。
それは、とても大きな人影に見えた。
「うおおおおおおおおおおおおおお!」
そいつは天井の穴から身を躍らせると、雄叫びを上げながらバウバロスに向けて落下していく……!
「ぐおっ!」
バウバロスはくぐもった声をあげる。落下してきた人影が、やつの背中に着地したのだ。
「お前は……!」
突如現れた救援。その姿を見て、俺は思わず声を失った。
あれは、あの風貌、体躯。見間違えようがない……!
「わ、悪ぃな、センセ……。ちっとばかし来るのが遅くなっちまった……」
そいつは硬い巌のような顔に、不敵な笑みを浮かべてみせた。
鎧は脱げ、裸の上半身には大小あまたの傷が刻まれていたが、隆々たる筋肉はいささかも衰えた様子がなかった。
「ザック!」
「イリーナは無事か? い、いま……こいつをぶっつぶしてやっから、待ってろよ……!」
死んだと思われていた男が、俺たちの窮地に駆けつけたのだ。
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