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第一章 黒瑪瑙の陰陽師
8/16 22:15
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シリウス君と春明君。
彼らと別れ、現地の土地見衆から医療検査を受けてから3時間が経った。
舞殿のある東京から70キロほど離れた海沿いの街。
ボロボロになってしまった服を着替え、西村さんの車に乗せて貰い、やっと現地に辿り着く。
「用が済んだら早く帰れよ」
「はい、本当に今日は、お疲れ様でした……」
ジトっとした、呆れた視線を浴びながら、私は深く頭を下げる。
道中みっちりと説教を受けた私は、今が一番疲れているみたいだ。
西村さんの車が去って行くのを見送ると、そのまま慣れ親しんだレンガ造りの道を歩き続ける。
「大先生、起きてる?」
髪の中に隠れている牡丹大先生を呼びかけるも、返事は返ってこない。
舞殿で意地を張ってはいたけど、久々にあれだけ糸を使った分、相当疲れている様子だ。
それに対して、奥の林から聞こえる蝉の声がすごい。
ミンミンミン、と。
彼らはどこでも日夜問わず鳴くものだから、生命の必死さは人間よりも遙かに上だ。
疲れて休む牡丹大先生をそのままにして。
私は一人、夏を象徴とする自然の音に耳を傾けながら目的の場所に到着する。
連なる街灯の先に見えた、ぽつんと浮かぶ古い邸。
あれを初めて見て、会社と言える人はまずないだろう。
縦は二階建て、横に広い。焦げ茶色の屋根が目立つ、レトロちっくな洋館。
大戦中も災禍にもこの建物は堪え忍び、当時は災禍対策の駐屯地となっていた場所らしい。
それを前社長が土地を買い取り、そのまま会社として使っているけれど。
まあ、そんなことはどうでもいい。
それより、私は気にしているのは、一階の従業員事務所の電気が点いていることだ。
上を見上げれば、すっかり外は真っ暗。
誰もいないと踏んでいたものだから、どうしたものかと心配になってしまう。
正門はもう時間外で閉鎖されているはず、夜勤用の裏口の方へ回る。
霊術装置が備え付けられ、暗証カードに反応し鍵が外れる仕組み。
自分のカードは、非番の時はいつも財布の中に入れている。
ズボンのポケットに入れた財布を取り出し、カードを取り出す。
夜勤時の、いつも通りの工程。
その最中、視界を横にふとずらしてしまう。
視界に映り込んだ、派手な赤い物体。
建物の外観をそぐわないよう、会社の裏手には駐車場がある。
一番手前の駐車スペース、そこには馬鹿みたいに真っ赤な車が止まっていた。
「……ふん」
見えてしまったスポーツカーに、私はきっと仏頂面になっているのだろう。
そのまま裏口を開けてすぐ、靴を館内履きに履き替え、細い玄関口を通り抜ける。
進んだ先は、中央エントランス。
木材造りの螺旋階段や、天上から吊される洋風の照明がモダンな造りを引き立たせる。
一部の社員に人気らしいけど、この時間帯ではその趣も別の趣旨へと変わってしまうだろう。
キイキイ、と歩くとたまに鳴る長い木の床。
暗く不気味なエントランスを通り、螺旋階段を過ぎ去る。
木造造りのガラス扉からも、照明の明りが漏れ出していた。
もう、誰がいるかは知っている。
ドアノブを回し、私は迷いなく中へと進む。
元々は応接室として使われていた広い空間。
けれど今は、西洋の造りとはかけ離れた社員たちの席が部署ごとに並んでいる。
そして、奥のソファー席に、やっぱり奴はいた。
「よっ」
歳は私とあまり変わらない。
土のような濃い茶髪のくせっ毛に、右目は黒い眼帯に覆い被されたその男。
名前は、智徳若葉。
この株式会社Onyxの代表取締役社長だ。
「なんで、いるの?」
軽い口調で呼びかける若葉に、私はぐったりと肩を落としてしまう。
奴は机にいくつかシュークリームを並べ、どれを食べようか吟味していたらしい。
何故こんな、夜遅くに。
「いやいや、コンビニじゃあもの足りないと思ってなぁ……出先が遠いと、ついつい地元の味が恋しくなる」
そう言いながら、若葉が一つのシュークリームを手に取る。
いつも好んで食べる、シャトレのしらすミルク味だ。
私はなんとなく、奴に問いかけた。
「……珈琲、飲む?」
「え、いいの? ラッキー」
二つ返事で頷き、シュークリームの袋を切ろうとした奴の手がピタリと止まる。
どうやら、珈琲が沸くまで待っているらしい。
私は広い社員室の脇にある給湯室まで移動すると、珈琲を淹れるに必要なドリッパーを引き出す。
最近使っていなかったからか、棚の奥の方にあって結構取り出しづらい。
ほかにも、カップとコーヒー粉、それと抽出に必要なペーパー。
いくつか必要なものを取り出しながら、ヤカンに水を入れお湯を沸かしていく。
だいたい2、3分。
私はヤカンが沸騰する頃合いを見て、火を止める。
そのまま、コーヒー粉をお湯に溶かすためではなく、カップや器具を温めるためだ。
「おー、やっぱり、手間が掛かっていいね」
私が手を動かしている後ろでは、退屈になったのか若葉が顔を覗かせている。
自分は何もせず、高みの見物。
なんとまぁ、太々しい。
「今日は新京都に行ったんでしょう。良い舞師は見つかったの?」
私は気持ちを切り替えようと、ドリッパーの準備をしながら話題を振る。
たしか、今日は雅楽寮の本拠地、新京都で専属になってくれる舞師を探しに行くと言っていた。
結界整備社に一人、舞師が付けばこちらの業務にも連携が取れやすいし、舞師側もスポンサーを獲得するので、互いに利点は取れる。
けれど、話が上手くいくかは、また別問題のようだ。
「いや、全然。実力が高い分、プライドが凄い奴らばっかりだ。大規模の奉納祭ならまだしも、規模が小さいものは鼻で笑いやがる」
「……そう」
「それに、警護体制もちゃんと万全じゃねぇと、嫌だってさ。まあ、うちは専属の護衛役いないから、それは仕方がねえけど」
結界の修復時に整備師の側近で護衛役が付くこともある。
けれど、うちの会社でそういうことは滅多にない。
今回のような陰陽衆が主催する斉天祭や、土地見衆が厳重区域する大結界の修復時。
そういう時に、検非違使が派遣されることもあるけど、毎回がそんな大規模工事なわけではない。
規模は関係なく、修復中の結界が緩みやすい時に妖魔はやってくる。
ほかの結界整備会社で護衛役を雇っているところもあると聞くけど、そういったツテが我が社にはまだ無いらしい。
「舞師様が来た時に、私が護衛やってもいいけど」
実際、鬼門の整備がいらない時は、私がほかの四門を巡って妖魔を追い払うのは何回もある。
鬼門の整備は信野さんにお願いして、護衛に配属させればなんとかなるんじゃないか。
そう思いながら、私はドリッパーの中にペーパーを敷き、コーヒー粉の入ったビンを開く。
「甘いもの食べてるから、苦めの方がいいよね?」
私はコーヒー粉の量を確かめようと後ろを振り返る。
そして、私の問いがいかに安直なものだったのか、奴の表情を見て察した。
「バカ言え、お前はうちの整備師だぞ。大結界から追い払う以外で戦うなんざ、オレが許さねぇからな」
いつもヘラヘラしている分、こういうことには凄く真面目だ。
鋭く、そして誠実に。
若葉が向ける左目の視線に、私は軽く言った発言をひどく悔やむ。
「……うん、変なこと言った」
「あと、コーヒーは苦めの方がいい」
「はいはい」
大きめのティスプーンを取り出し、適量に。
ドリッパーの準備を整え、急須に入れたお湯をコーヒー粉を入れたペーパーの上に注ぎ込む。
湯気から沸き立つ、香ばしくも深みのある香り。
ゆっくりとお湯がコーヒー粉を浸透し、給湯室に香りを充満させていく。
「……いつも思うけど、お前コーヒー苦手なんだよな? そんなに淹れ方上手いのに、なんで?」
珈琲の香りに誘われたのか、後ろの奴は唐突なことを言っている。
勿体ねぇ、と呟く若葉に私はため息を漏らす。
「昔はよく淹れてたし……今も、夜勤の時に淹れてくれってリクエストがあるから、多少は」
けれど、今だにこの味の良さは分からない。
最初はこの香り自体も苦手だったわけで、改善しようと注ぎ方やコーヒー粉の量を工夫していった結果がこれだ。
アロマと同じものだと考えれば、この香りも多少は我慢できる。
けれど、嗅ぎすぎれば頭が痛くなるし、この黒くて苦い汁を飲み干す行為は、何をしても出来そうにない。
『の』の字に何回か。
急須から注ぐ、お湯の立ち込める湯気を浴びながら、私はいつもこの飲み物の摩訶不思議さに感服していた。
「もうすぐ出来るから、あっち行ってて」
そこに立たれては、通り道の邪魔になるだけだ。
けれど、若葉は何も言わずただ後ろからじっと珈琲を抽出する私の姿を見ている。
戻る気配のない奴は、とりあえず置いておいて。
その間に温めたカップに珈琲を注ぎ、急須のお湯がまだ余っていたので自分用に白湯を作る。
二人分の飲み物を用意し、あとはお盆に乗せて運ぶだけ。
持ち上げようとしたその時、
「お。じゃあ、持っていくな」
さりげなく、コイツは後ろから入り、飲み物がお盆を持って給湯室を去っていく。
仮にも社長、そんな立ち回りさせたくなかったけれど。
「……あ」
今、気がついた。
多分若葉は、私の右腕を気にしている。
だから、珈琲を入れる間ずっと後ろから見ていて、熱い飲み物を落とさないように運びを率先してるんだ。
そういう変な気遣いをする奴が、私はどうも苦手だ。
「舞殿のこと、どこまで知っているの?」
だから、唐突に問いかけてしまう。
きっと西村さんたちから話は聞いているはず、そんな分かり切ったことを改めて聞くなんて私も焦っているみたいだ。
給湯室から出て見れば、若葉はソファー席に戻っていた。
そこは、奴自身が各地に出張に行った先に持ち帰った特産品が棚にズラリと置かれている。
やけに大きな狸の置物や、10体以上のこけし、訳の分からない壺など。
いつ見ても奇妙な一角で、収集癖の貪欲さが見受けられるが、数人が集まり話すにはちょうどいいスペースでもある。
若葉は広いテーブルに、珈琲と白湯、そしてご丁寧にいくつかの種類のシュークリームを並べて私を待っていた。
「立ち話もなんだ、とりあえず座わりたまえ」
わざとらしく手を広げ、誘導させようとする。
誇張した奴の態度が感に触るが、なんとかそれを無視して、私は白湯が置いてあるところへ座った。
そして、対面の珈琲がある場所に奴は座り、腕を組みながらやけに真剣な眼差しを向けている。
「さあ、オレが珈琲を貰ってばかりじゃ気が済まない。大サービスだ、どれか好きなの選べ」
目の前に出された、種類豊富なシュークリームの数々。
昼間に同じものを食べたので、あまり気分じゃないのが正直なところだった。
「……いいよ。自分の煎餅、持ってくるから」
「お黙りっ! そんな煎餅とか、いつも食ってるあの酸っぱい駄菓子とかさ……そういう、渋いものばかりじゃなくて、たまには甘いもの食えっ」
「お前の糖分摂取に、私を巻き込まないで欲しいな」
奴はシュークリームを食べさせようと躍起になり、私は拒否をするも、選べと脅迫してくる。
なんという、パワハラ。
けど、気に入ってる駄菓子は切らしてるし、煎餅も誰かにあげる時に丁度いいと思って買ってきたもの。
ここで封を切るのもなんだか悔しいので、私は若葉の糖分摂取に付き合うことにした。
「……じゃあ、これ頂戴」
渋々、私はシュークリームを選び、それに伴い奴の表情が明るくなる。
選んだものは、しらすミルク味。
あの時、あの子たちが美味しそうに食べていたものだから、自然と頭に過ってくる。
「やっぱり塩っぱい系か」
「うるさいなぁ、なんでもいいでしょ」
何故か納得したような表情をするのか、いまいち奴の思考回路が分からない。
でも、まあ考えるだけ無駄な話。
私はコイツではないのだから、分からないのは当たり前だ。
「いただきます」
私はシュークリームの封を切り、中身を取り出し一口かぶりつく。
口に広がるクリームの甘さと、釜揚げしらすの塩気。
二つの味がちょうどいい塩梅で風味が出ているが、やっぱりこの溢れるクリームの量には慣れない。
生地から滴り落ちて、手に付いてしまう。
近くにはティッシュが見当たらず。
だから、仕方がなく。
私は少し行儀が悪いと思いながら、指に付いたクリームをこっそり舐めとった。
「……お前」
若葉もまた、同じしらすミルクシュークリームを手に取りクリームと格闘している。
しかし、視線は何故か私の方を向いていた。
「なにさ」
「頭巾どうした、いつも腕に巻いてるだろ」
頭巾とは、結界整備師が作業時に頭に巻く防護布。
霊術が施され、巻いている間はヘルメットと同じ役割を持つ。
その上、布という軽量素材だから、妖魔が出やすい結界整備の作業には重宝されている。
私はなんとなく、腕に巻いている習慣があったから目立つことも多いだろう。
若葉もそれに気がつき、不思議に思うのも無理はなかった。
「今、貸してる」
「貸したぁ!?」
「うるさっ」
簡潔にまとめた私の言葉に、若葉はものすごい勢いで驚いている。
至近距離で大声を出されたものだから、たまったものじゃない。
「誰に?」
「向こうで会った検非違使の子にだよ。私を庇ってすごい怪我をしたから、包帯代わりに」
「おいおいおい……まじか……」
私の言葉に呆れたのか、若葉は口元に手を添え、視線を下に向けている。
これがただの頭巾であれぱ、若葉もここまで悩むことはなかっただろう。
けれど、私がいつも腕に巻いているあの緑の刺繍の頭巾だけは勝手が違う。
それは、大事な防護布だから、気に入っている仕事道具だから、という安直な理由ではない。
「包帯代わりって……お前にとってアレは……」
若葉は私のやった行動に、ひどく衝撃を受けていた。
たしかに、私にとってあの緑の刺繍の黒の頭巾は、防護布以上の役割がある。
本来あるべき、私の……。
けれど、あの時。
シリウス君が気を失い。
咄嗟に、アレを包帯の代わりにして。
やっぱり思い返してみても、私はその行動に対して微塵も後悔はなかった。
「嫌だったから、巻き込まれた子を見過ごすのは」
いつもの頭巾は、また回収方法を考えればいい。
それに、違うモノでも仕事自体は普通に出来る。
ここに来た目的は、貸し出したいつもの頭巾の代わりに予備を取りに来たからだ。
それが何故か、若葉がいたものだから面倒なことになっている。
早く話を済ませてしまいたい。
けれど、舞殿のことを、コイツにはちゃんと聞く権利があり、私もそれを伝える義務があるのも確かだ。
奴は香り漂うコーヒーカップを手に持ち、少し珈琲を口に含む。
ソファーに深く背もたれ、上を仰ぎ見る様子から、奴なりに落ち着こうとしている様子は見て分かった。
「やっぱり……買ったものより、お前の珈琲の方が美味いや」
「それは、どうも」
「……何回使った?」
早速、痛いところをついてくる。
カチャンと、カップを置く音がうるさく聞こえるくらいだ。
私はしばらく何も言えず、ただ思い返すことに徹しまう。
たしか。
移動中、春明君が舞面を落とした時に。
紫微垣副端末に、一時的に偽装の演算を送って。
シリウス君を舞殿に移動させて。
春明君が金箍棒を投げた時に。
アレを蹴った時、近くにあったテムイを起動させて。
霊威の衝撃に巻き込まれないように、二人を大階段まで移動させて。
「……うん。6回、かな」
私が指を折りながら数え素直に伝えると、若葉はどんよりとした表情を浮かべていた。
「思った以上に、回数が多い……」
「大丈夫、バレてない」
「そうじゃねぇよ……」
ハァと、また若葉は深くため息を漏らし、しらすミルクのシュークリームを一気に食べていく。
私はまだシュークリームを一口しか囓っていないのに、奴の食べるペースが異様に早かった。
若葉はシュークリームの袋を捨てに行くのと同時に、一緒にティッシュ箱を取ってくる。
手に着いたクリームを拭き取りながら、そのまま問いかけた。
「頭は、痛くねぇの?」
私はゆっくりと首を横に振り、それだけに留めておく。
久々に使って、頭に割れそうになった。
使いすぎて、意識が軽く飛んだ。
など、口が裂けても言いたくはない。
「……西村さんからは、現地では帳が発生したって聞いたけどよ。帝魔とドンパチやって仕方なくだとしても、使いすぎだ」
西村さんの情報は、やっぱり帳を制圧した、というところまで。
恐らく、検非違使側も土地見衆もアレが出てきたことについて報告はされていない様子だ。
「いいえ、帝魔相手には使ってない」
だからこそ、若葉にはちゃんと知って欲しい。
シリウス君と、春明君。
彼ら二人を巻き込んでしまった、今回の惨事を。
「紫微垣の人工妖魔が出てきた」
人工妖魔、いいや本当は人工精霊と言うべきか。
斉天が残した、果ての奇跡から生まれし異端遺物。
その身は紫微の源流を宿し、外敵には容赦なく霊威の熱線を放つ。
天災、と呼んでも差し支えない巨大で獰猛な蛾。
世間には存在を秘匿され、神秘の一端を担っていた。
「陰陽衆が仕組んだ、ってことかよ」
けれど、若葉はそれを識っている。
紫微垣についても、天蟲のことも。
そして、斉天の存在も。
私は、コイツになら隠すこと無く話せられた。
「陰陽師は見なかったけど、調査では来ていたみたい」
「つまり、なんだ。斉天祭を大戦みたいに仕立て上げようとしていたのか、色々躍起になって」
事の顛末を、所々の情報から若葉は導き出していく。
相変わらず、話の早い。
考えの速さに、私も舌を巻いてしまう。
「だからお前は、そんなに必死になったわけだ。右腕取れかけてまで」
納得したような、だけどほんの少し怒ったような。
そんな微妙な表情を浮かべながら、若葉は肩をすくめている。
多分、私はそれに苛ついてしまったのだろう。
「若葉、それは違うよ」
名前を呼ばれ、奴は大きく目を開く。
琥珀色の隻眼が、天上の灯りに照らされながら揺れていた。
最後に的外れな指摘をされ、私は反論する。
「私は会社に被害が無ければ、陰陽衆が何しようが興味ないよ」
そう、私が動いたきっかけは大結界があったから。
大結界の数値が正常だと、証拠を残したいからに過ぎなかった。
だから、あとは全部ついで。
テムイを壊して、その後に舞殿がどうなろうとも。
正義感とはほど遠い場所にいる私にとって、そんなの些細なことのはず。
……そのはず、なのに。
「……斉天と、真剣に向き合っている子たちだったんだ」
きっと今、とても変なことを言っている。
自覚はあるのに、一言自然と漏れ出てしまった言葉を止められるはずもない。
仮初めの右腕を、左手で握りしめて。
そんな情けない私を笑えばいいのに、若葉は真面目に耳を傾けていた。
「いい奴ら、だったんだな」
「あの子たちの邪魔をさせたくなかった、それだけだよ」
高みを目指す望みが世界に影響を与え、結果、地獄と成り果てても構わない。
いつもの所業、人の日常は散々見慣れている。
そこに、あの二人を巻き込みたくない。
あの子たちの志を、陰陽衆に潰させたくない。
これは、私の勝手な我が儘。人の為になるなどあり得はしない。
けれどそれが、私を奮い立たせた唯一の原動力になっていた。
もう、これ以上考えると顔が熱くなりそうだ。
私は残していたシュークリームをまた食べ始め、普通に振る舞おうとするがなかなか上手くいかない。
わずかに震えた指先から、またクリームをこぼしそうになってしまう。
今度は近くにティッシュ箱があって良かった。
ティシッュで指先を拭き、用意した白湯で喉を潤していく。
すっかりエアコンの冷気で冷めてしまったけれど、緊張で喉を潤すにはそれで事が足りた。
「なぁ」
若葉は私がシュークリームを食べ終えたタイミングで声を掛ける。
それまでずっと私の食事光景を眺めていた、全く失礼な奴。
「なに?」
「お前はそいつらと、また会いたいか?」
また痛いところを突いてくる。
けれど、私に厳しく、容赦なく意見を述べる、唯一の友人。
恥ずかしながら、私の中では無くてはならない存在というのは確かだ。
「……うん」
「そうか」
「それから、考える」
「……そうか」
結局、私があの子たちの夢とどう向き合っていくのか分からないまま。
星の無い夜みたいに真っ暗で、まだ何も結論は見出せない。
けれど若葉は、私に答えを急かす素振りを見せなかった。
ただ、ゆっくりと頷き、くっせっ毛のすごい前髪が静かに揺れている。
「ご馳走さん。良い土産話を聞かせて貰った」
珈琲を飲み干し、ありがとうと礼を付け加える。
そして、奴が付けた『さく』というあだ名でも、結界整備師としての『桜下』でもない。
陰陽師としての、本当の名前。
右目を眼帯で覆った男は、大戦で記憶を失った私に向けて、その名で呼んだ。
「斉天大聖、蘆屋咲夜」
今日は私の、命日と呼ばれる日。
立ち上がった若葉は私に近づき、頭にそっと手を置いた。
彼らと別れ、現地の土地見衆から医療検査を受けてから3時間が経った。
舞殿のある東京から70キロほど離れた海沿いの街。
ボロボロになってしまった服を着替え、西村さんの車に乗せて貰い、やっと現地に辿り着く。
「用が済んだら早く帰れよ」
「はい、本当に今日は、お疲れ様でした……」
ジトっとした、呆れた視線を浴びながら、私は深く頭を下げる。
道中みっちりと説教を受けた私は、今が一番疲れているみたいだ。
西村さんの車が去って行くのを見送ると、そのまま慣れ親しんだレンガ造りの道を歩き続ける。
「大先生、起きてる?」
髪の中に隠れている牡丹大先生を呼びかけるも、返事は返ってこない。
舞殿で意地を張ってはいたけど、久々にあれだけ糸を使った分、相当疲れている様子だ。
それに対して、奥の林から聞こえる蝉の声がすごい。
ミンミンミン、と。
彼らはどこでも日夜問わず鳴くものだから、生命の必死さは人間よりも遙かに上だ。
疲れて休む牡丹大先生をそのままにして。
私は一人、夏を象徴とする自然の音に耳を傾けながら目的の場所に到着する。
連なる街灯の先に見えた、ぽつんと浮かぶ古い邸。
あれを初めて見て、会社と言える人はまずないだろう。
縦は二階建て、横に広い。焦げ茶色の屋根が目立つ、レトロちっくな洋館。
大戦中も災禍にもこの建物は堪え忍び、当時は災禍対策の駐屯地となっていた場所らしい。
それを前社長が土地を買い取り、そのまま会社として使っているけれど。
まあ、そんなことはどうでもいい。
それより、私は気にしているのは、一階の従業員事務所の電気が点いていることだ。
上を見上げれば、すっかり外は真っ暗。
誰もいないと踏んでいたものだから、どうしたものかと心配になってしまう。
正門はもう時間外で閉鎖されているはず、夜勤用の裏口の方へ回る。
霊術装置が備え付けられ、暗証カードに反応し鍵が外れる仕組み。
自分のカードは、非番の時はいつも財布の中に入れている。
ズボンのポケットに入れた財布を取り出し、カードを取り出す。
夜勤時の、いつも通りの工程。
その最中、視界を横にふとずらしてしまう。
視界に映り込んだ、派手な赤い物体。
建物の外観をそぐわないよう、会社の裏手には駐車場がある。
一番手前の駐車スペース、そこには馬鹿みたいに真っ赤な車が止まっていた。
「……ふん」
見えてしまったスポーツカーに、私はきっと仏頂面になっているのだろう。
そのまま裏口を開けてすぐ、靴を館内履きに履き替え、細い玄関口を通り抜ける。
進んだ先は、中央エントランス。
木材造りの螺旋階段や、天上から吊される洋風の照明がモダンな造りを引き立たせる。
一部の社員に人気らしいけど、この時間帯ではその趣も別の趣旨へと変わってしまうだろう。
キイキイ、と歩くとたまに鳴る長い木の床。
暗く不気味なエントランスを通り、螺旋階段を過ぎ去る。
木造造りのガラス扉からも、照明の明りが漏れ出していた。
もう、誰がいるかは知っている。
ドアノブを回し、私は迷いなく中へと進む。
元々は応接室として使われていた広い空間。
けれど今は、西洋の造りとはかけ離れた社員たちの席が部署ごとに並んでいる。
そして、奥のソファー席に、やっぱり奴はいた。
「よっ」
歳は私とあまり変わらない。
土のような濃い茶髪のくせっ毛に、右目は黒い眼帯に覆い被されたその男。
名前は、智徳若葉。
この株式会社Onyxの代表取締役社長だ。
「なんで、いるの?」
軽い口調で呼びかける若葉に、私はぐったりと肩を落としてしまう。
奴は机にいくつかシュークリームを並べ、どれを食べようか吟味していたらしい。
何故こんな、夜遅くに。
「いやいや、コンビニじゃあもの足りないと思ってなぁ……出先が遠いと、ついつい地元の味が恋しくなる」
そう言いながら、若葉が一つのシュークリームを手に取る。
いつも好んで食べる、シャトレのしらすミルク味だ。
私はなんとなく、奴に問いかけた。
「……珈琲、飲む?」
「え、いいの? ラッキー」
二つ返事で頷き、シュークリームの袋を切ろうとした奴の手がピタリと止まる。
どうやら、珈琲が沸くまで待っているらしい。
私は広い社員室の脇にある給湯室まで移動すると、珈琲を淹れるに必要なドリッパーを引き出す。
最近使っていなかったからか、棚の奥の方にあって結構取り出しづらい。
ほかにも、カップとコーヒー粉、それと抽出に必要なペーパー。
いくつか必要なものを取り出しながら、ヤカンに水を入れお湯を沸かしていく。
だいたい2、3分。
私はヤカンが沸騰する頃合いを見て、火を止める。
そのまま、コーヒー粉をお湯に溶かすためではなく、カップや器具を温めるためだ。
「おー、やっぱり、手間が掛かっていいね」
私が手を動かしている後ろでは、退屈になったのか若葉が顔を覗かせている。
自分は何もせず、高みの見物。
なんとまぁ、太々しい。
「今日は新京都に行ったんでしょう。良い舞師は見つかったの?」
私は気持ちを切り替えようと、ドリッパーの準備をしながら話題を振る。
たしか、今日は雅楽寮の本拠地、新京都で専属になってくれる舞師を探しに行くと言っていた。
結界整備社に一人、舞師が付けばこちらの業務にも連携が取れやすいし、舞師側もスポンサーを獲得するので、互いに利点は取れる。
けれど、話が上手くいくかは、また別問題のようだ。
「いや、全然。実力が高い分、プライドが凄い奴らばっかりだ。大規模の奉納祭ならまだしも、規模が小さいものは鼻で笑いやがる」
「……そう」
「それに、警護体制もちゃんと万全じゃねぇと、嫌だってさ。まあ、うちは専属の護衛役いないから、それは仕方がねえけど」
結界の修復時に整備師の側近で護衛役が付くこともある。
けれど、うちの会社でそういうことは滅多にない。
今回のような陰陽衆が主催する斉天祭や、土地見衆が厳重区域する大結界の修復時。
そういう時に、検非違使が派遣されることもあるけど、毎回がそんな大規模工事なわけではない。
規模は関係なく、修復中の結界が緩みやすい時に妖魔はやってくる。
ほかの結界整備会社で護衛役を雇っているところもあると聞くけど、そういったツテが我が社にはまだ無いらしい。
「舞師様が来た時に、私が護衛やってもいいけど」
実際、鬼門の整備がいらない時は、私がほかの四門を巡って妖魔を追い払うのは何回もある。
鬼門の整備は信野さんにお願いして、護衛に配属させればなんとかなるんじゃないか。
そう思いながら、私はドリッパーの中にペーパーを敷き、コーヒー粉の入ったビンを開く。
「甘いもの食べてるから、苦めの方がいいよね?」
私はコーヒー粉の量を確かめようと後ろを振り返る。
そして、私の問いがいかに安直なものだったのか、奴の表情を見て察した。
「バカ言え、お前はうちの整備師だぞ。大結界から追い払う以外で戦うなんざ、オレが許さねぇからな」
いつもヘラヘラしている分、こういうことには凄く真面目だ。
鋭く、そして誠実に。
若葉が向ける左目の視線に、私は軽く言った発言をひどく悔やむ。
「……うん、変なこと言った」
「あと、コーヒーは苦めの方がいい」
「はいはい」
大きめのティスプーンを取り出し、適量に。
ドリッパーの準備を整え、急須に入れたお湯をコーヒー粉を入れたペーパーの上に注ぎ込む。
湯気から沸き立つ、香ばしくも深みのある香り。
ゆっくりとお湯がコーヒー粉を浸透し、給湯室に香りを充満させていく。
「……いつも思うけど、お前コーヒー苦手なんだよな? そんなに淹れ方上手いのに、なんで?」
珈琲の香りに誘われたのか、後ろの奴は唐突なことを言っている。
勿体ねぇ、と呟く若葉に私はため息を漏らす。
「昔はよく淹れてたし……今も、夜勤の時に淹れてくれってリクエストがあるから、多少は」
けれど、今だにこの味の良さは分からない。
最初はこの香り自体も苦手だったわけで、改善しようと注ぎ方やコーヒー粉の量を工夫していった結果がこれだ。
アロマと同じものだと考えれば、この香りも多少は我慢できる。
けれど、嗅ぎすぎれば頭が痛くなるし、この黒くて苦い汁を飲み干す行為は、何をしても出来そうにない。
『の』の字に何回か。
急須から注ぐ、お湯の立ち込める湯気を浴びながら、私はいつもこの飲み物の摩訶不思議さに感服していた。
「もうすぐ出来るから、あっち行ってて」
そこに立たれては、通り道の邪魔になるだけだ。
けれど、若葉は何も言わずただ後ろからじっと珈琲を抽出する私の姿を見ている。
戻る気配のない奴は、とりあえず置いておいて。
その間に温めたカップに珈琲を注ぎ、急須のお湯がまだ余っていたので自分用に白湯を作る。
二人分の飲み物を用意し、あとはお盆に乗せて運ぶだけ。
持ち上げようとしたその時、
「お。じゃあ、持っていくな」
さりげなく、コイツは後ろから入り、飲み物がお盆を持って給湯室を去っていく。
仮にも社長、そんな立ち回りさせたくなかったけれど。
「……あ」
今、気がついた。
多分若葉は、私の右腕を気にしている。
だから、珈琲を入れる間ずっと後ろから見ていて、熱い飲み物を落とさないように運びを率先してるんだ。
そういう変な気遣いをする奴が、私はどうも苦手だ。
「舞殿のこと、どこまで知っているの?」
だから、唐突に問いかけてしまう。
きっと西村さんたちから話は聞いているはず、そんな分かり切ったことを改めて聞くなんて私も焦っているみたいだ。
給湯室から出て見れば、若葉はソファー席に戻っていた。
そこは、奴自身が各地に出張に行った先に持ち帰った特産品が棚にズラリと置かれている。
やけに大きな狸の置物や、10体以上のこけし、訳の分からない壺など。
いつ見ても奇妙な一角で、収集癖の貪欲さが見受けられるが、数人が集まり話すにはちょうどいいスペースでもある。
若葉は広いテーブルに、珈琲と白湯、そしてご丁寧にいくつかの種類のシュークリームを並べて私を待っていた。
「立ち話もなんだ、とりあえず座わりたまえ」
わざとらしく手を広げ、誘導させようとする。
誇張した奴の態度が感に触るが、なんとかそれを無視して、私は白湯が置いてあるところへ座った。
そして、対面の珈琲がある場所に奴は座り、腕を組みながらやけに真剣な眼差しを向けている。
「さあ、オレが珈琲を貰ってばかりじゃ気が済まない。大サービスだ、どれか好きなの選べ」
目の前に出された、種類豊富なシュークリームの数々。
昼間に同じものを食べたので、あまり気分じゃないのが正直なところだった。
「……いいよ。自分の煎餅、持ってくるから」
「お黙りっ! そんな煎餅とか、いつも食ってるあの酸っぱい駄菓子とかさ……そういう、渋いものばかりじゃなくて、たまには甘いもの食えっ」
「お前の糖分摂取に、私を巻き込まないで欲しいな」
奴はシュークリームを食べさせようと躍起になり、私は拒否をするも、選べと脅迫してくる。
なんという、パワハラ。
けど、気に入ってる駄菓子は切らしてるし、煎餅も誰かにあげる時に丁度いいと思って買ってきたもの。
ここで封を切るのもなんだか悔しいので、私は若葉の糖分摂取に付き合うことにした。
「……じゃあ、これ頂戴」
渋々、私はシュークリームを選び、それに伴い奴の表情が明るくなる。
選んだものは、しらすミルク味。
あの時、あの子たちが美味しそうに食べていたものだから、自然と頭に過ってくる。
「やっぱり塩っぱい系か」
「うるさいなぁ、なんでもいいでしょ」
何故か納得したような表情をするのか、いまいち奴の思考回路が分からない。
でも、まあ考えるだけ無駄な話。
私はコイツではないのだから、分からないのは当たり前だ。
「いただきます」
私はシュークリームの封を切り、中身を取り出し一口かぶりつく。
口に広がるクリームの甘さと、釜揚げしらすの塩気。
二つの味がちょうどいい塩梅で風味が出ているが、やっぱりこの溢れるクリームの量には慣れない。
生地から滴り落ちて、手に付いてしまう。
近くにはティッシュが見当たらず。
だから、仕方がなく。
私は少し行儀が悪いと思いながら、指に付いたクリームをこっそり舐めとった。
「……お前」
若葉もまた、同じしらすミルクシュークリームを手に取りクリームと格闘している。
しかし、視線は何故か私の方を向いていた。
「なにさ」
「頭巾どうした、いつも腕に巻いてるだろ」
頭巾とは、結界整備師が作業時に頭に巻く防護布。
霊術が施され、巻いている間はヘルメットと同じ役割を持つ。
その上、布という軽量素材だから、妖魔が出やすい結界整備の作業には重宝されている。
私はなんとなく、腕に巻いている習慣があったから目立つことも多いだろう。
若葉もそれに気がつき、不思議に思うのも無理はなかった。
「今、貸してる」
「貸したぁ!?」
「うるさっ」
簡潔にまとめた私の言葉に、若葉はものすごい勢いで驚いている。
至近距離で大声を出されたものだから、たまったものじゃない。
「誰に?」
「向こうで会った検非違使の子にだよ。私を庇ってすごい怪我をしたから、包帯代わりに」
「おいおいおい……まじか……」
私の言葉に呆れたのか、若葉は口元に手を添え、視線を下に向けている。
これがただの頭巾であれぱ、若葉もここまで悩むことはなかっただろう。
けれど、私がいつも腕に巻いているあの緑の刺繍の頭巾だけは勝手が違う。
それは、大事な防護布だから、気に入っている仕事道具だから、という安直な理由ではない。
「包帯代わりって……お前にとってアレは……」
若葉は私のやった行動に、ひどく衝撃を受けていた。
たしかに、私にとってあの緑の刺繍の黒の頭巾は、防護布以上の役割がある。
本来あるべき、私の……。
けれど、あの時。
シリウス君が気を失い。
咄嗟に、アレを包帯の代わりにして。
やっぱり思い返してみても、私はその行動に対して微塵も後悔はなかった。
「嫌だったから、巻き込まれた子を見過ごすのは」
いつもの頭巾は、また回収方法を考えればいい。
それに、違うモノでも仕事自体は普通に出来る。
ここに来た目的は、貸し出したいつもの頭巾の代わりに予備を取りに来たからだ。
それが何故か、若葉がいたものだから面倒なことになっている。
早く話を済ませてしまいたい。
けれど、舞殿のことを、コイツにはちゃんと聞く権利があり、私もそれを伝える義務があるのも確かだ。
奴は香り漂うコーヒーカップを手に持ち、少し珈琲を口に含む。
ソファーに深く背もたれ、上を仰ぎ見る様子から、奴なりに落ち着こうとしている様子は見て分かった。
「やっぱり……買ったものより、お前の珈琲の方が美味いや」
「それは、どうも」
「……何回使った?」
早速、痛いところをついてくる。
カチャンと、カップを置く音がうるさく聞こえるくらいだ。
私はしばらく何も言えず、ただ思い返すことに徹しまう。
たしか。
移動中、春明君が舞面を落とした時に。
紫微垣副端末に、一時的に偽装の演算を送って。
シリウス君を舞殿に移動させて。
春明君が金箍棒を投げた時に。
アレを蹴った時、近くにあったテムイを起動させて。
霊威の衝撃に巻き込まれないように、二人を大階段まで移動させて。
「……うん。6回、かな」
私が指を折りながら数え素直に伝えると、若葉はどんよりとした表情を浮かべていた。
「思った以上に、回数が多い……」
「大丈夫、バレてない」
「そうじゃねぇよ……」
ハァと、また若葉は深くため息を漏らし、しらすミルクのシュークリームを一気に食べていく。
私はまだシュークリームを一口しか囓っていないのに、奴の食べるペースが異様に早かった。
若葉はシュークリームの袋を捨てに行くのと同時に、一緒にティッシュ箱を取ってくる。
手に着いたクリームを拭き取りながら、そのまま問いかけた。
「頭は、痛くねぇの?」
私はゆっくりと首を横に振り、それだけに留めておく。
久々に使って、頭に割れそうになった。
使いすぎて、意識が軽く飛んだ。
など、口が裂けても言いたくはない。
「……西村さんからは、現地では帳が発生したって聞いたけどよ。帝魔とドンパチやって仕方なくだとしても、使いすぎだ」
西村さんの情報は、やっぱり帳を制圧した、というところまで。
恐らく、検非違使側も土地見衆もアレが出てきたことについて報告はされていない様子だ。
「いいえ、帝魔相手には使ってない」
だからこそ、若葉にはちゃんと知って欲しい。
シリウス君と、春明君。
彼ら二人を巻き込んでしまった、今回の惨事を。
「紫微垣の人工妖魔が出てきた」
人工妖魔、いいや本当は人工精霊と言うべきか。
斉天が残した、果ての奇跡から生まれし異端遺物。
その身は紫微の源流を宿し、外敵には容赦なく霊威の熱線を放つ。
天災、と呼んでも差し支えない巨大で獰猛な蛾。
世間には存在を秘匿され、神秘の一端を担っていた。
「陰陽衆が仕組んだ、ってことかよ」
けれど、若葉はそれを識っている。
紫微垣についても、天蟲のことも。
そして、斉天の存在も。
私は、コイツになら隠すこと無く話せられた。
「陰陽師は見なかったけど、調査では来ていたみたい」
「つまり、なんだ。斉天祭を大戦みたいに仕立て上げようとしていたのか、色々躍起になって」
事の顛末を、所々の情報から若葉は導き出していく。
相変わらず、話の早い。
考えの速さに、私も舌を巻いてしまう。
「だからお前は、そんなに必死になったわけだ。右腕取れかけてまで」
納得したような、だけどほんの少し怒ったような。
そんな微妙な表情を浮かべながら、若葉は肩をすくめている。
多分、私はそれに苛ついてしまったのだろう。
「若葉、それは違うよ」
名前を呼ばれ、奴は大きく目を開く。
琥珀色の隻眼が、天上の灯りに照らされながら揺れていた。
最後に的外れな指摘をされ、私は反論する。
「私は会社に被害が無ければ、陰陽衆が何しようが興味ないよ」
そう、私が動いたきっかけは大結界があったから。
大結界の数値が正常だと、証拠を残したいからに過ぎなかった。
だから、あとは全部ついで。
テムイを壊して、その後に舞殿がどうなろうとも。
正義感とはほど遠い場所にいる私にとって、そんなの些細なことのはず。
……そのはず、なのに。
「……斉天と、真剣に向き合っている子たちだったんだ」
きっと今、とても変なことを言っている。
自覚はあるのに、一言自然と漏れ出てしまった言葉を止められるはずもない。
仮初めの右腕を、左手で握りしめて。
そんな情けない私を笑えばいいのに、若葉は真面目に耳を傾けていた。
「いい奴ら、だったんだな」
「あの子たちの邪魔をさせたくなかった、それだけだよ」
高みを目指す望みが世界に影響を与え、結果、地獄と成り果てても構わない。
いつもの所業、人の日常は散々見慣れている。
そこに、あの二人を巻き込みたくない。
あの子たちの志を、陰陽衆に潰させたくない。
これは、私の勝手な我が儘。人の為になるなどあり得はしない。
けれどそれが、私を奮い立たせた唯一の原動力になっていた。
もう、これ以上考えると顔が熱くなりそうだ。
私は残していたシュークリームをまた食べ始め、普通に振る舞おうとするがなかなか上手くいかない。
わずかに震えた指先から、またクリームをこぼしそうになってしまう。
今度は近くにティッシュ箱があって良かった。
ティシッュで指先を拭き、用意した白湯で喉を潤していく。
すっかりエアコンの冷気で冷めてしまったけれど、緊張で喉を潤すにはそれで事が足りた。
「なぁ」
若葉は私がシュークリームを食べ終えたタイミングで声を掛ける。
それまでずっと私の食事光景を眺めていた、全く失礼な奴。
「なに?」
「お前はそいつらと、また会いたいか?」
また痛いところを突いてくる。
けれど、私に厳しく、容赦なく意見を述べる、唯一の友人。
恥ずかしながら、私の中では無くてはならない存在というのは確かだ。
「……うん」
「そうか」
「それから、考える」
「……そうか」
結局、私があの子たちの夢とどう向き合っていくのか分からないまま。
星の無い夜みたいに真っ暗で、まだ何も結論は見出せない。
けれど若葉は、私に答えを急かす素振りを見せなかった。
ただ、ゆっくりと頷き、くっせっ毛のすごい前髪が静かに揺れている。
「ご馳走さん。良い土産話を聞かせて貰った」
珈琲を飲み干し、ありがとうと礼を付け加える。
そして、奴が付けた『さく』というあだ名でも、結界整備師としての『桜下』でもない。
陰陽師としての、本当の名前。
右目を眼帯で覆った男は、大戦で記憶を失った私に向けて、その名で呼んだ。
「斉天大聖、蘆屋咲夜」
今日は私の、命日と呼ばれる日。
立ち上がった若葉は私に近づき、頭にそっと手を置いた。
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