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第一章 黒瑪瑙の陰陽師

《三》

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 同時刻。

 北側の門ではテントに貼られ、だいぶ寝不足気味の中年男性の四人が画面の映像を眺めながら、机に冊子を広げる。

 冊子の表紙は、斉天祭 ビックサマーフェスタ。

 広げられたページには時間と演目名が並列され、斉天祭の舞殿で公演されるプログラムが記載されている。
 映像はその舞殿の様子が映し出され、芸能著名人の雑談会が行われていた。

「こういうのってさぁ、興味があるやつが見たらすごい価値観なのかもしれないけれどよ、俺はそうじゃないからハッキリ言わせて貰うわ」

 目の下は隈、顎には無精髭。
 表情から疲れが隠しきれない男が、机にうつぶせになり感情を露わにする。

「めっちゃつまんねえ……!」

 眠気と退屈さに苛立ちを抑えきれず、信野しなのは周囲の三人に不満をまき散らす。

「信野ぉ、それはここにいる全員思っていることだ。余計なこというんじゃない。皆各々、この時間を戦っているんだ」

 対面には熊のような大男、西村にしむらも鏡で自身の髪型を気にしながら、眠気をやり過ごす。
 頭に一本、直立した生え際が束ねた葉のように揺れていた。

「だから君は、いつまで経っても独身なんだ」
「それ関係ないよな、えぇ? 既婚者、勝ち組、パイナップル。余裕万々歳か?」
「今の一言、余計だよな? 顎髭ヤロウ」

 西村と信野、それぞれの苛立ちはさらに上がっていく。
 両者一触即発になる中で、それ以上にこの状況を嘆いている人物がいた。

「あんたらはいいだろ。この時間をやり過ごす、それだけなんだから」

 信野と西村の喧嘩を仲裁したわけではない。
 ふくよかな体型の男は眠気と退屈を超えてもはや絶に染まっている。
 その状況に、二人は言葉を飲む。

「ま、まあ……またチケット取って会いにいけばいいだろう? なあ……?」
「画面にこれから映るんだからいいじゃないか」

 二人のフォローは絶望を消火するどころか、油を注ぐ行為にしかならない。
 プツンと、男の堪忍袋が切れた。

「一緒じゃなぁーい! 画面とナマじゃ全然違うに決まっているだろう! チケットもどれだけ倍率高いかお前ら知らないだろ! なんで俺は仕事こっちで、ほかの皆は舞殿あっち、俺だって生でメルメル見たかったのにぃ!」

 感情の大噴火をみせながら、その男、占田しめだは喚き、机に顔を埋める。

「メルメルぅ……メルメルぅぅぅ!」

 人気アイドルがこの斉天祭の舞殿でライブを開催する。
 熱狂的ファンである占田は大いに歓喜し、同時に仕事でこの場から離れられない現実に絶望していた。

 その様子を信野と西村は呆れてため息をつく。
 占田の隣にいるもう一人の男性は今まで淡々と操作していた電子端末の画面を暗くする。
 耳に取り付けていたイヤフォンを外しながら占田を睨め付けた。

「占田氏うるさい。真のオタクは後方彼氏面。推しが輝いているならたとえ場外でも毅然と構えるのが鉄則でしょうが」
鳥前とりまえ、お前だって辛いはずだろ。なんでそんなに平気でいられるんだ……」

 鳥前は自分の携帯電子端末の画面を再び点け、ゲーム画面を占田に見せつける。

「それは、俺の推しはだいたい、画面の中だからだっ……!」
「と、鳥前……、お前そんなこと言って悲しくないのかっ……!」

 ゲーム画面には今はやりの育成ゲームのホーム画面が映り、煌びやかな衣装を着た女性キャラクターが画面越しに手を振っている。
 オタク同士の奇妙な友情に信野は鳥肌が立ち、西村はすぐさま舞殿が映る画面に視線をずらす。

 四人は緑のかぎ爪マークが特徴のジャケットを羽織る。
 昨晩の業務の疲れから、全員が多種多様に情緒が不安定になっているのは明白だった。
 人通り少ない北門の隅にテントを設営し彼らが集まる。

 そこへ、赴く姿が一つ。

 黒のスラックスに白のワイシャツ。
 右腕には緑の模様がついた黒いバンダナを巻きつけ、季節はずれのナイロン製のジャケットを片手に持つ。
 青年は、かぎ爪マークのテントを見つけると、迷いなく歩き出した。

「やっと、見つけました。随分離れたところに設営したんですね」

 涼やかな声が聞こえ、四人が同時に振り返る。
 そこには、外の暑さで額から汗を滲ませた桜下が、テントの入り口に立っていた。

「さく! お前、休みだったんじゃないのか? あ、これ使え」
「ありがとうございます。外が暑過ぎてジャケットの空調も効かないですし。必要以上に出ない方がいいですよ」

 テント内は炎天下の外とはまるで別世界。
 涼しい風を送る空調にありがたみを感じながら、桜下は信野から手渡された使い切りの汗ふきシートを一枚受け取る。
 空いている椅子に持っていたジャケットをかける中、信野がふと声を上げる。

「それ何だ?」
「これ、差し入れです」

 桜下の手には柄のついた紙袋があった。
 袋を開くと箱があり、さらに開けばかわいいビニール袋で包装されたシュークリームがたくさんある。

「さく氏、それシャトレのシュークリーム?」
 鳥前は紙袋のロゴに気がつき、問いかける。
「はい。会社の近くの……ほら社長がたまに食べているあれ。やっぱりここ人気店ですか?」
「うん、安価で手頃で旨くて最高。でも珍しいじゃん、さく氏が甘い物って」
「別にあまり食べないだけで、甘い物嫌いじゃ無いですよ」

 有名洋菓子店のシュークリーム。
 言葉につられ、嘆いていた占田も鳥前と一緒にシュークリームの箱の周りを取り囲む。

「あんちゃん、いいもん持っているねぇ。それ、おいちゃんたちにも分けてくれねえかい?」
「シューを出しな、シューを」
「はいどうぞ。色んな種類を買ってきましたから、そんな不良みたいにならないで下さい」

 桜下が占田と鳥前にシュークリームを選ばせるように箱を開いて見せる。開いた箱からは保冷剤の霊気が溢れ出る。

「うわ、本当にめっちゃあるじゃん。てか、しらすミルク味もあるし。あっちで買って、ここまで持ってくるのによく保冷剤保ったな」
「道中時間が掛かりますし、多めに保冷剤を入れて貰いました」

 地域限定のしらすミルク味。

 桜下が務める会社の周辺店にしか販売されていない限定品だ。
 海の塩加減と牛乳の甘さが程よく合わさる味と定評がある。

 占田はしらすミルクと、カスタード。鳥前はカスタードと抹茶を選び椅子に座る。

「さく、ありがとう」

 しらすミルクとチョコを選びながら、信野は礼を伝え、すでに食べている二人の近くへ移動する。

 さく、とは桜下のあだ名。

 職場でそう呼ばれることもあり、桜下自身も内心気に入っていた。

「ありがとー、さくさく」
「さんきゅー、さく氏」

 占田と鳥前もそれぞれ感謝を伝え、シュークリームを慎重に食べる。
 一般で発売されている商品の、およそ二倍は大きいシュークリーム。
 黙々と食べる様子からそれだけ彼らが疲弊していたのだと、桜下は感じ取る。

「そうとう、だったみたいですね」
「ああ……、皆荒れに荒れてたよ……」

 自分が一番まともだった素振りを見せながら、西村はさりげなくシュークリームを確保する。
 彼には一つ疑問があった。

「差し入れは嬉しいけれど、桜下君、今日休みじゃなかった?」

 この場にいる五人は、昨晩遅くまで行っていたとある業務の影響で疲労が溜っていた。
 その中で最も激務だった桜下には、急遽社長から休暇を命じられる。
 そのはずだが、とシュークリームをかじる三人も首をかしげると、桜下は苦い笑みを浮かべる。

「いや……朝はぐっすり休んでいました。けれど、お昼前くらいになると、やっぱりこっちの状況が気になって。昨日の突貫工事を思うと、むしろこっちで皆さんといた方がゆっくり出来ます」

 桜下は多く残っていたいちご味のシュークリームを取り、思い切りかぶりつく。

「わっ」

 当然、そのように食べればどうなるか。
 ほかの三人は充分理解している。

「これすごくクリーム入ってる」
「なんで買ってきた本人が一番驚くの?」

 驚く桜下に、信野が淡々と指摘する。
 シュークリームの袋の底には濃厚なピンクのクリームが溜ってしまった。

「あー……、勿体ないことしたなぁ。さく氏って大胆な時あるよね」

 慌てる桜下に鳥前はクスリと笑いを込み上げる。
 なんとか、と桜下はビニールの底に溜まるクリームを生地に付けて食べていく。
 すると、口の中でいちごの濃厚な甘みが広がっていった。

「ん、おいし」

 頬の横に生地のカスを付けながら、シュークリームを平らげる。
 そして、視線が信野の方向に向かう。

「あれから大結界に異常はありませんか?」
「そうだな。口元に付いてる汚れ取ってから聞こうな」

 桜下は目を丸くさせ、信野から渡されたテッシュを受け取る。
 口周りをゴシゴシと、こすり落としたところで、信野は言葉を続けた。

「今のところ検非違使から変な連絡は受けてないな。正常に起動していて安心していたところだ」

 桜下たちのいる日本の関東中部に位置する舞殿には、毎年斉天祭の時期に大結界と呼ばれる技術が施される。

 舞殿を中心に直径約1.5キロメートル、東西南北に中継点、門を置き、燃料となる霊力を循環させる霊術装置。

 12年前と比べれば災禍被害が減少したが、完全に消滅したわけではない。

 妖魔を中心に展開される災禍領域、帳。

 怨霊が蔓延る、汚染土地。

 大戦が終結してもなお、危険を及ぼし最悪死に至る場所が存在する。

 結界とは人間の領域と災禍領域に境を入れ、人は身を守る霊術。
 日本各地には大結界が設置され、災禍の危機から身を守り続けている。

「寺と神社でやっている四門式しもんしきでやって正解だ。北、東、西、南……四門も正常に稼働しているし。これが二柱式にばしらしきだったら、こんなのんびりシュークリームなんて食べていられない」

 鳥前はシュークリームを食べながら、もう一台、電子端末を取り出す。
 10インチほどの薄い画面には先ほどの美少女ではなく、北、東、南、西の大結界を構成する門の霊力が数値として表示されていた。

「ったく、人が集まる場所には土地が反応して良くないモノが湧いちまう。これだけ人が集まれば一つや二つ、保険をかけたくはなる」

 人の多い場所は自然現象として霊力が上がり、放置をすれば災禍事象を引き起こす起因となりかねない。

 大結界とは、いわば災禍の抑制。
 または、事前の警鐘の役割も持つ。

 西村はテント外の人の多さに圧巻されながら、改めて大結界の偉大さに頷く。

 大結界を生業とする者、結界整備師。
 彼らは昨晩遅くまで業務にあたり、万が一の不備に備え、北門の角で待機していた。

「2週間、まあ頑張ったけど。最後の最後で突貫工事って、あんなバタバタなのも久しぶりだよね」
「それでもちゃんと機能していれば問題ないだろ。まあ……」

 激務の日々を思い返す占田の横で、西村はとある場所に視線を移す。
 そこには白い門の形をした霊術装置を使って出入りをしている入場者たちの姿があった。

「あれが無ければ、徹夜で工事をしなくて済んだだろうな」

 1週間前、陰陽寮が急遽テムイの設置を始め、それにより大結界のエネルギーバランスに乱れが生じてしまった。

「地層内のエネルギー、土地と大結界を繋げる配線、霊力の出力、要石……! この計算式が崩れれば人に影響が出ると分かっていながら、奴ら急にぶち壊していくからな……!」
「テムイが土地の霊力を吸って計算狂う上に、転位を使って来場者が増える。せっかくゴールしたのに、一から計算し直さなきゃいけないとか……言葉を疑うってマジであるんだね」

 一度は陰陽寮のトップ陰陽衆にテムイ撤廃の要請をかけたもの断られ、大結界の再調整を余儀なくされた。
 当時の壮絶な論議を思い出し、信野と鳥前はふつふつと怒りを思い出す。

「ほんっと、陰陽寮のやつら。安全面よりもてめえらの利害面を優先させるとか、思い出しただけでもむかつくわ」
「携帯とかさ、ネットワーク面で便利になったのはいいけど、それはそれだ。ぶっちゃけ、あれ『陰陽寮すげーんだぞ』って自分でアピールしたいだけだよね」

 腹立たしさを醸し出しながらテムイを睨み付ける信野と鳥前。
 一方で、桜下は机の上に置いてあったパンフレットを見て占田に声をかける。

「あれ、占田さん。舞殿に都柄メル出ますよ。よかったじゃないですか」
「グワァ! 傷口をえぐるな! そして都柄メルちゃん、と呼べ、新参者!」
「あの、大丈夫ですか?」

 2人組みの温度差を見ながら、西村は苦笑いを浮かべ安堵する。

「なんとかなったな、桜下君」
「頑張った甲斐、ありました」

 涼しげに笑う青年にどこか清楚さが漂う。
 西村は桜下の若さに、ほんの少しだけ目を眩ませた。
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