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4巻

4-2

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「現在、謁見の間も含めて城の講堂や大きな部屋は、女神派のエルフたちの軟禁場となっていて使えないのだ」
「ああ、なるほど。たしかにあの人数を閉じ込めておくには、牢屋とかでは足りないでしょうね」

 エルフの国にどれだけの牢屋があるのかは知らないが、あの広場に集まっていただけでも、女神派のエルフはかなりの数だった。
 それ以外にも王都に残っていた者も一人や二人ではない。
 元々女神派は反女神派より遙かに多く、その全員を牢屋に放り込めるわけがない。
 一応、女神派のエルフたちは、神魔が敗れ、女神の神託が果たされなかったことにより、現実を受け止められずにほうけたままで、特に反抗の意思は見えないという。
 それもあって一応の見張りと魔法封じの結界だけ張って、彼らの処遇が決まるまでは軟禁状態にしておくことになったらしい。

「実質的な被害者である君たちからすると甘いと思われるだろうが、現状ではこれが精一杯なのだよ。許してもらいたい」

 そう頭を下げるロステル王からは、他種族である俺に対する悪感情は感じない。
 今までさんざん他種族を見下すエルフたちを見てきたが、この態度だけでも彼を信じるには十分だった。

「無理を言うつもりはないです。この国の現状はだいたい察してますから」

 俺はロステル王が頭を上げるのを待って本題を切り出す。

「王に一つお願いがあります」
「願い? トーア殿の願いであればかなえたいが、王であっても出来ないこともあるとだけは理解してもらいたい」
「それで構いません」

 くまが出来ている目に真剣な色を浮かべ、話を聞く態勢を取るロステル王に向かって、俺は願いを告げた。

「王にはエルフとドワーフ、いえ、それだけでなく魔族や他の種族との確執を、ゆっくりでいいので解く場を作ってもらいたいんです」
「他種族と……か。たしかに我々エルフ族は、長きにわたって他種族との交流を最小限にとどめてきた」

 ロステル王は深く溜息ためいきをついてから言葉を続ける。

「それも女神の神託に従い、その言葉を信じ、我々こそが神に選ばれし種族だというおごりがあったからだ」

 女神の神託による選民思想の植え付け。
 それは洗脳と同じようなものだったのだろう。
 だがその神託は、俺たちが眼の前で女神の神託を打ち破ったことで、矛盾むじゅんが生じた。
 今、深く洗脳されていた女神派たちが茫然自失ぼうぜんじしつとなっているのはそれが原因だろう。
 まあ実際には、辺境砦との戦いで幾度も敗北を繰り返しており、エルフが最強というわけではないことは証明されていたわけだが……それは遠く離れた戦場でのこと。
 ああして眼の前で現実を突きつけられなければ、洗脳が解けるだけの衝撃を彼らは受けなかったのだろう。
 ごく一部、辺境砦での敗北で、身内の死という現実を身に受けた者たちは徐々に洗脳が解け、結果としてウィレンディという反女神派が生み出されることになったわけだが。

「私も友が戦地で命を落とすまで、その驕り高ぶったおろか者の一人であった……」

 ロステル王が反女神派に鞍替くらがえしたきっかけは、彼の親友の死だったようだ。
 エルフの語る戦地というのは、辺境砦での戦い以外には考えられない。
 もしかすると俺が倒したエルフの中に、その親友がいたかもしれない。
 だとしても、らなければられる戦いの結果である以上、俺が気に病む必要はないと砦の仲間たちは言うに違いないが。

「それで、俺の願いを受けてもらえますか?」
「……ああ。女神の呪縛から解き放たれたと同時にどころを失った我らは、どちらにしても外の世界に踏み出す必要があるだろう」

 強いひとみで俺の目を見返すロステル王の声からは、エルフを変えていこうとする決意を感じることが出来た。
 だが、今まで引きこもり続けていたエルフたちが簡単に他種族と交流出来るとは思えない。

「エルフと他種族が交流を始める方法について、俺から提案があります」

 だから、俺は一つの提案を口にした。

「かつてこの国が一度だけ、外の世界との交流を目指した『エルドワ自治区』……それをもう一度作りませんか?」

 もちろんこれは、何の考えもなしに放った言葉ではない。
 かつて、エルフ族がドワーフ族という相容あいいれない者たちと手を組み、共存という理想を目指したエルドワ自治区。
 その理想は、両種族にくすぶっていた変革を許容出来ない勢力が、復讐者ふくしゅうしゃであるルチマダを利用して内乱を起こさせた結果、ついえてしまった。
 ――だが、希望はまだ残っている。
 当時のエルフ族とドワーフ族が見た夢。
 その夢の結晶である、両種族の血を引く一人の少女が、亡くなった両親の理想を実現させようと今も頑張っていることを俺は知っている。

「エルドワ自治区……か。それは我らエルフ族にとって苦い記憶を呼び起こさせる名だ」

 ロステル王は、俺の言葉を聞いて顔をしかめる。
 もしかすると、自治区崩壊の裏では、女神を名乗る者やその信者が手を引いていた可能性もあるが、結果的に種族間戦争にまでなだれ込んでしまった。
 そんな悪夢のような過去を知っていれば、自然と表情がゆがんでしまうのも仕方がない。

「それはドワーフ族にとっても同じことだと思います」

 だが、その悪夢をいつまでも引きずっていては何も変わりはしない。
 エルフ族が数多あまた犠牲ぎせいを払ってまでもすがり付いてきた女神の神託も、通信装置であるアールヴァリムを師匠たちが破壊した今では受けることは出来ない。
 これから先、彼らエルフ族は女神の言葉ではなく、自分たちの判断で全てを決めていくことになっていく。
 そしてその決定権を持つのは、今目の前にいるロステル王だ。

「失礼な言い方になってしまうかもしれませんが、まず貴方あなたたちがやるべきことは、外の世界と真っ正面から向き合うことだと思うんです」
「……ああ、そうだな」
「ただ、今まで長い間、外の世界とのつながりを最小限にしてきたエルフ族には、外の世界との付き合い方について経験も知識も全く足りない」

 ロステル王は俺の言葉に無言で頷く。

「ですから、その経験を積むためにも、緩衝材かんしょうざいとなるエルドワ自治区を復活させることを俺は提案したいのです」
「緩衝材、か……たしかに今の我々が、外の世界との交流をいきなり再開させるのは危険かもしれない」
「幸いと言っては語弊ごへいがあるかもしれませんが、エルフ族の中には国を捨てて外の世界に出て行った人たちも沢山いると俺の師匠から聞いてますし、実際何人も見かけたことがあります」

 旅の途中で俺は、他種族と共に暮らすエルフ族の姿を何人も見てきた。
 その中には、外の世界で欲望のままに生きていたテオ……冒険者登録試験の際に俺を殺そうとしてきた者のような存在もいるが、彼ら彼女らは少なくとも森の外の世界を知っている。

「師匠というのはレントレット殿のことかな」

 ああ、さすがに面識はあるか。

「ええ。レントレット師匠とは――」
「トーア殿が目覚める前に、沢山助言をしてくれたのだが……出来ればこの国に残って国を建て直す手伝いをしてもらいたかったが、どうしてもやらねばならないことがあると言って砦に帰ってしまったよ」

 心底残念そうな表情を浮かべ、ロステル王は溜息をつく。
 彼にとって、実力者であり外の世界のことを知っているエルフ族の仲間が自らの近くにいてくれれば、どれほど心強かったことか。
 その気持ちはわからなくもない。

「あの人も忙しい人ですから。でもきっとその『やらなければならないこと』が終われば、助けに戻ってきてくれますよ」
「だといいのだがな」

 そんなロステル王の言葉に対して、俺は曖昧あいまいな笑みを浮かべるしか出来ない。
 なにせレントレットは、自由を愛するエルフである。
 俺が砦にいた頃も、突然ふらっといなくなっていつの間にか帰ってきているなんてことが幾度もあった。
 たいていはポーションの材料の採取に出かけていたらしいが、そんなのは商人にでも頼めばいくらでも手に入るのに。

「話がそれてしまいました」

 俺は脱線してしまった話を元に戻すため本題を口にする。

「実はロステル王にご紹介したい人物がいるのですが、この場に呼んでもよろしいでしょうか?」
「私がトーア殿の申し出を断るわけはないと知っているのだろう?」
「……そこまでうぬぼれてはいませんが」

 俺は苦笑を浮かべる。

「ではご紹介させていただきます。入ってきていいよ」

 後ろを振り返り、部屋の扉に向かって声をかける。
 実は事前に、こういう話の流れになるのを見越して声をかけておいたのだ。
 音もなく、ゆっくりと扉が開いていく。
 きしむ音すらさせない扉をくぐり抜けて俺の隣までやってきた少女は、片手を胸に当てて軽く会釈をすると、ロステル王に向かって自分の名と何者であるかを告げた。

「ロステル様、お初にお目にかかります。私の名はラチェッキ……ラチェッキ=エルドワと申します」


「エルドワだと?」

 それまで王としての威厳を取りつくろったような表情で、入ってきたチェキが何者なのかを見定めていたロステル王が、彼女の名を聞いて目を見開いた。

「はい。かつての地に存在したエルドワ自治区。そこを治めていたエルフの王とドワーフの王妃おうひ、その娘でございます」
「馬鹿なっ! エルドワ自治区の王と王妃、そしてその娘は暗殺者の手によって殺されたのではなかったのか!?」
「いいえ。あの日、私だけは母の手によって命を拾うことが出来たのです」

 チェキは強い視線をロステル王に向ける。
 その瞳に、一片のうそも感じられなかったのだろう。
 ロステル王はドサリとソファーに倒れるように腰かけると、右手を頭に当てて綺麗な金髪をわずかにかき乱す。

「し、しかしお前がラチェッキ姫だとすれば、年齢が合わないではないか」

 エルドワ自治区が滅び、エルフとドワーフの戦争が始まって終結してから既に数十年もの歳月が流れている。
 いくらチェキが長寿族であり、長期間若い姿を保つエルフの血を引いているといっても若すぎると彼は言いたいのだろう。
 それはコールドスリープ装置によって生きながらえることが出来たからなのだが……

「そのことについては私から説明させてもらいます」

 コールドスリープ装置についての知識をチェキは持っていない。
 なので俺は、チェキの代わりに彼女がどうやって生き残り、なぜ若いままなのかを、エルドワ自治区崩壊の原因となった事件から俺の知る限り全てを、ロステル王に語って聞かせたのだった。



「お世話になったね」

 ロステル王との会談からしばらく。
 眠り続けていたせいで鈍っていた体も回復した俺は、当初の目的を果たすために、辺境砦に向かうことを仲間たちに告げた。
 そこでチェキから言われたのが、そんな一言だった。

「何だよ、改まって」
「トーアのおかげでエルドワ自治区を……父さんたちが見た夢をもう一度目指すことが出来るんだから、感謝してもしきれないんだよ」
「別に俺のおかげでもなんでもないさ。むしろ、チェキが頑張って自分の力で手に入れたことだろ?」

 俺はチェキとロステル王を引き合わせて、エルフの国の復興を目指すための最善手だと思う方法を王に進言しただけだ。
 あの後の話し合いで、結果として王はエルドワ自治区を復活させることを明言した。
 それはチェキが王だけでなく、エルフの国を建て直すために立ち上がった人々の心を動かしたからだ。将来的にエルフの国のためになると判断した人々も、復活に力を貸してくれることになったのである。

「色々落ち着いたら会いに行くから」

 ヴォルガ帝国の帝都から送られてきた荷物を確認し終えたニッカが、戻ってくるなりチェキに抱きついた。
 その後ろで、同じように荷物の準備を終えたグラッサが、腰に手を当て苦笑いを浮かべている。
 ラステルに突然さらわれた彼女たちは、荷物の全てを帝都に置きっぱなしにしていた。それをファウラがここへ送ってくれたのである。

「別に今生こんじょうの別れってわけでもないんだからさ。ニッカは大袈裟おおげさなんだよね」
「あはは、そうだね」

 突然抱きつかれて照れくさいのか、僅かにほおを染めたチェキが笑う。
 そうだ。
 実際のところ、ニッカたちの能力を知って利用しようとする輩がどこにいるかわからない状況では、すぐには無理だろう。
 だけど辺境砦で昔の仲間たちや師匠たちの力を借りて手を打てば、そう遠くないうちにチェキに会いに戻ることは出来るはずだ。

「本当は俺もチェキたちを手伝いたかったんだが、エルフの国が落ち着くまでは、俺はいない方がよさそうなんでな」

 女神の神託が打ち砕かれ、前王を含め、自称女神の信者一派は壊滅した。
 自分たちが操られていたのだと、徐々に真実に目覚めていくはずだ。
 だが、今もなお女神の神託という夢の中から完全に目覚めることが出来ていない人々からすると、俺は自分たちの夢と希望を壊した怨敵おんてきである。
 しかも俺たち三人は、今までエルフたちと散々戦い続けていた人間族である。
 ニッカたちは直接関係ないが、仕掛けられた戦いの結果だとしても、俺自身は幾人ものエルフをこの手であやめてきた。
 つまり女神派のエルフたちだけでなく、ロステル王を含めた改革派のエルフたちの中にも俺のことを恨んでいる者もいる。
 この数日間で、俺はそれを身をもって体感していた。
 具体的に大きな被害があったわけではないが、やはりそういった空気はひしひしと感じるし、言葉を投げかけられることもある。

「そんなことは……ないとも言い切れないんだよね。ごめん」
「チェキが謝ることじゃない。俺が今まで何人ものエルフたちをこの手にかけてきたことは、事実なんだからな」

 そのことを俺は後悔なんてしていない。
 元の世界と違い、この世界では命のやりとりを躊躇ちゅうちょしていては生きていけないからだ。
 辺境砦での十年間で、俺はそのことを嫌と言うほどわからされてきた。

「……それじゃあ、俺たちはそろそろ行くよ。夜までには国境の砦にたどり着かないと危ないんでね」
「あはは。トーアを倒せるような盗賊も魔物もいないでしょ」
「いや、徹夜てつやで見張りとかしたくないからな。夜はゆっくり眠りたい派なんだよ俺は」
「誰だってそうだよ。でも……」

 チェキは何か俺に言いかけて口を開くが、すぐに閉ざしてしまう。

「それじゃあまた」

 そして次に紡ぎ出された言葉はそんなありきたりなものだった。
 俺は追及することはせず、頷くだけ。

「ああ、またな」
「きっと会いに行くからね」
「ばいばいチェキ。これからもずっと友達だから」

 俺たちは三者三様にチェキと別れの挨拶を交わす。
 そして最後に俺は、この日のために準備していたものを彼女に差し出した。

「これは?」
「俺のお手製の魔道具さ」

 小さな楕円だえんけいの宝石が赤く光る指輪。
 その宝石の中をよく見れば、細かく魔導回路が刻まれていることがわかるだろう。
 俺は指輪を興味深そうに眺めるチェキに、その魔道具が何であるかを説明する。

「その指輪に魔力を流し込んで発動しろと念じると、一度だけ俺に連絡を取ることが出来るんだ。だからもしお前がどうしても俺の力を借りたいと思ったときに使ってくれ。必ず俺がお前の元に駆けつけて助けてやる。約束だ」

 誰かと『約束』を交わすなんて久しぶりな気がする。
 だが、俺は交わした約束を破ることはない。
 俺がそういう性格であることを、チェキは知っているのだろう。

「うん。わかったよ」

 その華奢きゃしゃな指に指輪をめながら、満面の笑みで頷いたのだった。



「案内してもらってすまないな」

 エルフの国の首都であるランドリエールを出発した俺たちは、レアルスに道案内をしてもらいながら幻惑の森を進んでいた。
 反女神派の組織であるウィレンディの幹部であった彼女も、今はロステル王の部下の一人となり、日々忙しく走り回っている。

「なに、トーアには返しきれないほどの借りがあるからな。部下になど任せてはおけん」
幻惑潰しイリュージョンキャンセラーが壊れてなければ自力で森を出たんだけどな」

 あらゆる幻惑を解除する魔道具の幻惑潰しイリュージョンキャンセラーは、第二の魔王との戦いの最中に粉々に壊れてしまった。更に、元の部品も全て回収出来たわけではない。
 なので、もしここに高度な魔道具の技術者がいたとしても、修理は不可能だろう。
 それに、そもそもドワーフですら再現出来なかった魔導回路を、そう簡単に復元出来るとは思えない。
 一応残骸ざんがいはウィレンディのエルフたちが出来る限り回収してくれたが、ドワーフ王国に持っていったとしてもどうしようもないのはわかりきっている。
 すると、レアルスはどこか安堵あんどしたように言う。

「正直なことを言えば、私はあの魔道具がこの世から消えてくれてホッとしているが」
「だろうな。幻惑潰しイリュージョンキャンセラーがあったらこの森の幻惑が意味を成さなくなってしまうから」
「……女神にだまされていたとはいえ、我々は敵を作りすぎた」

 表立ってエルフが戦いを仕掛けていたのは、俺たち人間族だけだ。
 だが、それ以外の種族に対しても、主に女神派の連中を中心にではあるが、敵対的な態度をとり続けていた。
 俺が知らないだけで、その陰では実際に害を被っていた人たちも多いに違いない。

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