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3巻
3-3
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「――これぐらいの深さがあればいいか?」
俺は今、魔王城の正門から離れた人目の少ない路地で、土魔法を使い地面に穴を開けて、その底から上に向かってそう尋ねた。
「うむ。十分じゃな」
俺の声に答えたのは、ニッカでもグラッサでもない幼い少女魔族だった。
彼女の名はファウラ。
街灯の下で姿を消した例の少女である。
彼女は件の魔王専属の侍女で、魔王に買い物を頼まれ街に出かけていたところだったという。
そして数日かかってその品物をやっと手に入れたというのに、城に帰る道を人波に塞がれて途方に暮れていたということらしい。
そのことを聞き出すまでには、まず完全に気配まで消した彼女がいるであろう場所に声をかけ、自分たちの身元を証明するためにあれやこれや頑張ったのだが、その話はあまり詳しく語りたくはない。
ただ、何もない場所に向かって話しかけている俺たちの姿はかなりアレな集まりに見えたのだろう。
周りにいた人たちがあからさまに俺たちから遠ざかっていったのは、かなり心に来た。
ともあれ、その甲斐あってファウラは姿を現し、こうして魔王城へ侵入する手引きをしてくれることになったのだ。
「あとは魔王城の庭まで横穴を掘れば中に侵入出来るはずじゃ」
「本当に警報とかには引っかからないんだろうな?」
「安心せい。我の隠密にかかれば魔王城の警戒網なぞ無意味じゃ」
彼女が俺たちから身を隠していたスキルの名は隠密という。
そのスキルは強力で、最大限に力を使えば、彼女を中心に三メートルほどの範囲内にいる者の音や姿、更に気配や匂いまでもを、外部からは認知出来なくすることが出来るらしい。
俺がもし同じようなことをするなら、複数の魔法を同時に発動して制御する必要がある。
もちろん魔力消費も半端なく多くなる上に、常に複数の魔法を制御し続けるのは至難の業だ。
だが、どう見ても十歳程度のこの少女は、それと同等以上の力を簡単に行使することが出来る。
たぶん彼女が魔王専属の侍女に選ばれた理由もそこにあるのだろう。
「じゃあ、一人ずつ足下に気を付けて入ってきてくれ」
数メートルの深さがある穴の中にグラッサとニッカ、そしてファウラの順番で降りてくるのを、俺は穴の底で迎える。
そして全員が降りてきたのを確認してから、土魔法で開けた穴の入り口を元通りになるように塞いだ。
これであの路地の地面が掘られたことに気付かれることはないだろう。
「光魔法」
外の光が遮断され、真っ暗になった空間に俺の声が響く。
「これで灯りの心配は要らないぞ」
光に照らされた空間は、四人が入っても窮屈ではない広さの小部屋にしておいた。
「す、凄いのじゃ」
ファウラは思わずといった様子で感嘆の声を上げる。
「でしょ。トーアって凄い魔法使いなんだから」
「いや、俺は別に魔法使いってわけじゃないけどな」
俺の職業を一言で表すなら万能職だろうか?
といってもこの世界にそんな職業は存在しないらしいのだが。
「それにしても、こうやって魔王城に入れるのもファウラのおかげだよ」
俺は部屋の側面に片手を当て、土魔法で魔王城の方向へ横穴を開けながらそう言った。
「路地に人が来たときも、すぐ側にいるあたしたちに一切気が付かずに通り過ぎていったもんね」
実は路地裏で穴を掘っている最中に、幾人かがそんな俺たちの横を通り過ぎていった。
だがファウラのスキルによって隠蔽された俺たちには、誰一人気付くことがなかったのである。
「あれなら魔王城の中にこっそり入っても、衛兵にバレる心配はないだろうな」
「さすが、魔王様専属侍女様だよね」
「そうじゃろ、そうじゃろ」
今も隠密を発動させたままのファウラが自慢げに胸を張る。
「チェキも突然後ろから私たちが来たらびっくりするかな」
「変ないたずらはしないでしょね、グラッサ」
「わかってるよ」
のんきな二人の会話を背に、俺はトンネルを掘り進める。
そして十メートルほど掘ってから、今度は斜め上に向かって道を作るように穴を広げていく。
「この辺りでいいか?」
地上まで十センチくらいまで掘り進んだところで、俺はファウラに最終確認を取る。
「うむ。問題なかろう」
ファウラによれば、この真上はちょうど魔王城の庭の端にあたるらしい。
俺はその庭に出るための穴を開けようと、頭上に手のひらを向けた。
そんな俺の耳に、グラッサの不安そうな声が届く。
「でも魔王が死んでないって本当なのかな?」
「もちろんじゃ。魔王……様はただ単に眠っておられるだけじゃと言ったじゃろ」
ファウラと俺たちが協力して魔王城に忍び込むことになった一番の理由。
それは、魔王の死は誤報で、その原因の一端は彼女にあると聞いたからである。
それを聞いたのは、ファウラの正体を明かされた後のことだ。
どうしてこんな騒ぎになっているのかわからないと言う彼女に、俺たちは事の次第を話して聞かせた。
ファウラは魔王の崩御の情報を知らなかったらしく驚いていたが、しかし魔王は死んでなどいないと、その理由を俺たちに教えてくれたのである。
「魔王様はごく稀にお眠りになる。そして眠りに入った魔王様は、よほどのことでもない限り、反応を示さなくなられるのじゃ。それを城の馬鹿どもが勘違いしたのじゃろう」
馬鹿どもというのは、いわゆる四天王みたいな立場の魔族らしい。
「それじゃあ魔王様が目を覚ませば、この騒ぎは収まるってことですよね?」
「そうじゃ。じゃが魔王様を目覚めさせるのは我の仕事でな……我以外では、魔王様を目覚めさせることが出来ぬのじゃ」
ファウラが言うには、魔王を目覚めさせるには彼女だけが知る方法を使わなければならないらしい。
どんな方法かは魔王との契約で絶対に誰にも教えられないらしいが、その方法を使わない場合は自然と魔王が目覚めるのを待つ必要があるという。
しかし待つにしても、ファウラですら魔王がどれほどの時間眠るのかはわからず、場合によっては幾日も眠る可能性もあるのだとか。
「もう何日か経ってるし、騒ぎが広がっていったらとんでもないことになるかもな」
ただの噂話だけで王城前があれほどの状況になっているというのに、それが長く続けば最悪このヴォルガ帝国が揺らぎかねないほどの騒ぎになるかもしれない。
「なんだかよくわかんないけど、魔王城の中に入れれば、あとはファウラちゃんが魔王様を目覚めさせて万事解決、ってことでいいんだよね」
「そうじゃ。まぁその後で馬鹿どもを落ち着かせないといけないことを考えると頭が痛いが……なんとかなるじゃろ」
「じゃあ善は急げだ」
俺はそう言うと、頭上に向かって土魔法を使って、出口となる穴を作った。
それから念のために穴の周囲をファウラのスキルで隠蔽してもらってから、俺だけ先に外へ出る。
計算通り、魔王城の庭らしい場所だった。
しかも都合のいいことに、上手い具合に庭木のおかげでこの場所を直視出来るような兵士もいない。
俺は穴から一人ずつ引っ張り上げ、最後に土魔法で開けた穴を元通り埋める。
穴の形に芝生が禿げてしまったが、こればかりはどうしようもない。
「助かったのじゃ」
「こちらこそ助かったよ」
俺に続けて、ニッカが笑顔で手を振ってファウラに応える。
「それじゃ、また会いましょう」
「うむ。それでは我は急ぎ城に戻って、魔王様を目覚めさせてくる。しばらくは騒がしくなるかもしれんが、落ち着いたら我から会いに行くのじゃ」
ファウラはそれだけ言い残すと、一目散に魔王城へ向かって駆けていった。
「行っちゃったね」
「どうせ俺たちも城に行くんだからすぐに会えるさ。それよりもだ……」
俺は正門がある方向に目を向ける。
「やっぱりチェキは俺たちを待っててくれてたみたいだな」
「あ」
「本当だ」
俺たちの視線の先。
正門から少し離れた場所に駐まっている馬車の前に、心配そうな表情で正門を見つめているチェキの姿があった。
正門前の騒ぎのせいで、俺たちが城にたどり着けないことを心配しているのだろう。
「チェキをこれ以上待たせちゃ申し訳ないな」
俺はニッカとグラッサに目配せすると、急ぎ足でチェキの元に向かうのだった。
「いきなり後ろから現れるんだもん。ボクびっくりしたよ」
「ごめんごめん。でもさ、正面からじゃ城に入れなかったから仕方なかったんだよ」
魔王城のエントランスホールを進み、いくつかの角を曲がった所に、帝国が俺たちのために用意してくれた部屋はあった。
入室した俺たちはさっそく、宿屋とは比べものにならないほど広い室内を巡ってみる。
部屋はいくつかの小部屋に区分けされており、豪華な調度品の置かれた応接室、広くて綺麗なトイレや、魔道具によっていつでもお湯を張ることが出来る大きめの風呂までもあった。
更に寝室も三つあり、その一つには天蓋付きのベッドが備え付けられていた。
部屋の家具が王国よりも全て一回り大きく、天井も高く作られているのは、魔族には大柄な者が多いからだろうか。
チェキが案内の魔族から聞いた話によれば、王城内にはここと同じような部屋がいくつもあり、更に豪華な部屋も存在するのだという。
俺からすれば、この部屋でも十分豪華に思えるのだが、上には上があるということだろう。
一通り見て回った俺たちは、応接室に落ち着いて一息入れる。
部屋にあったティーセットで四人分のお茶を入れ、それぞれが一口飲んだところで、俺はチェキと別れてからのことを彼女に話すことにした。
街がとても賑やかで、お祭りでもあるのかと思ったこと。宿屋が全然見つからなくて困ったこと。そしてファウラという魔族の少女と出会い、魔王城の前で中に入れず困っていた彼女と再会したこと。それから魔王城へ入るために彼女の力を借りたことまでを、時々ニッカたちに補足を入れてもらいながら、ざっと説明する。
ただしファウラのスキルについては彼女の同意を得ていないので話すことはしなかったが。
「初めてこの町に来た人は、人の多さにびっくりするよね」
「そうそう。めちゃびっくりしてさ。屋台からは美味しそうな匂いがどこからもしてくるし、お腹が鳴って仕方なかったよ」
「私、人酔いしてしまいそうでした」
チェキ、グラッサ、ニッカはそう楽しそうに話している。
チェキがエルドワ自治区から両親の力で逃がされて以降、王国で俺らと出会うまで何があったか、まだ詳しくは聞いていない。だが彼女は自治区の近くで目覚めてからしばらくは、この帝都で暮らしていたそうだ。
彼女の能力――人の心を見抜く力は、彼女にとって害をなす者かどうかを判断するのに非常に便利で、そのおかげで生活には困らなかったらしい。
「それでチェキ。ドワーフ使節団の方はどうだったんだ?」
女子たちの会話が途切れた瞬間を見計らって、俺はチェキにそう尋ねる。
魔王城への俺たちの立ち入りと宿泊が許可されたことは聞いていたが、だが魔王が眠りに入っているのだから、使節団は魔王と会談が出来ていないだろう。
「それがね。ボクたちがドワーフ王国の使節団だって言ったらさ、いきなり魔王の間とかいう所に連れてかれちゃって」
どうやら魔王の間とは、魔王自身の部屋らしい。
しかも魔王自身は魔王城が出来て以来、ほとんどそこを出ることがなく、執務も謁見も全てそこで行うことになっているという。
俺が「魔王って、もしかして引きこもりなのか?」などと考えている間にもチェキの話は続く。
魔王の間に入ってチェキたちが見たのは、最奥の玉座に座ったまま微動だにしない魔王の姿だった。
そこで彼女たちは魔王の側近の一人から、魔王の現状について説明を受けた。
「そういえば、皆は魔王様がどんな人物か知ってる?」
「噂程度でしか知らないな」
「あたしも知らなーい」
「知りません」
バラバラで個人主義、個種族主義だった魔族を纏め上げて、豊かで多様性溢れる国を作った人物という話は知っている。
だけど実際に会ったという人の話は聞いたことがないのだ。
なんせプレアソール王国とヴォルガ帝国が交易を始めて以来、魔王が公の場に出てくることは一度もなかったと記憶している。
表立った交渉なども、魔王は全て配下に任せて、最終的な判断や指示だけをしていたとか。
「ボクも目覚めてからしばらくはこの国で暮らしてたけど、一度も見たことがなかったんだ。だから不謹慎だけど初めて魔王様の姿を見ることが出来るって思って、ちょっとワクワクしてたんだけど……」
チェキはそこまで楽しそうに話していた声のトーンを突然落とす。
それからテーブルの上に身を乗り出して、俺たち全員を手招きした。
どうやら俺たちだけに聞こえるように内緒話をしたいらしい。
一応、この部屋の中に盗聴や盗撮の魔法や魔道具がないことは確認済みではある。
だが、それでも何かしらの手法で話を聞かれていないとは言い切れない。
俺はチェキに顔を寄せると小さな声で提案を口にする。
「話が漏れないように魔法でもかけたほうがいいか?」
「お願いできるかな?」
「お安い御用だ。沈黙魔法」
囁き程度の声でそう会話した後、俺は応接室の中だけを包み込むように調整して魔法を放つ。
それと同時に、僅かに聞こえていた周囲の音が完全に消えた。
「ありがとう、トーア」
「それでここまでしないと話せないことってなんなんだ?」
俺は姿勢と声の大きさを元通りに戻すと、彼女の言葉を待つ。
僅かに緊張した空気を感じてか、ニッカとグラッサも黙ったまま数秒。
チェキは何かを決意したように俺の目をまっすぐ見つめて――
「実はボクの力は読心術なんかじゃないんだ」
と、予想もしてなかった言葉を口にした。
「どういうことだ?」
チェキは読心術で相手の心を読むことで、魔族が他の種族に化けていることを暴いていたはずだ。
そのせいで人の心を盗み見ると毛嫌いされ、悪魔の子とまで呼ばれたのではなかったのか。
「ボクの本当の力は鑑定」
「鑑定……それって」
「名前からわかると思うけど、ボクが知りたいと思ったものや人の情報が、ある程度わかる力なんだよ」
鑑定スキルといえば、異世界ものでは一、二を争うほどのチートスキルだ。
それを彼女は持っているということか。
「つまりチェキがエルドワ自治区やドワーフ王国に紛れ込んだ魔族を見つけられたのも……」
「うん。別にボクは心を読んだわけじゃなくて、鑑定でその人の種族名を見ただけなんだ」
チェキは決して人の心を覗いていたわけではないが、ある意味それ以上に恐ろしい力を持っていたようだ。
「それで、ボクは魔王様のことを鑑定したんだ」
「大胆だな」
「本当は亡くなった人のことを調べるなんて不謹慎だと思ったけど」
チェキは僅かに後ろめたそうに目線を足下に落とす。
「どうしても魔王様が亡くなってるとは思えなくて」
ファウラは、魔王は眠っているだけだと言っていた。
それが本当なのかどうか、チェキのスキルならわかるということだろう。
別にファウラの言葉を疑っているわけじゃないが、気にならないと言えば嘘になる。
「てっきりチェキが聞かれたくないのはスキルのことかと思ってたけど」
「うん。聞かれたくなかったのは魔王様のことなんだ」
チェキはそう言って顔を上げる。
「力のことはいつか話そうと思ってたんだ。本当はもう少し色々落ち着いてからのつもりだったけどね」
チェキはそこで言葉をいったん区切り、大きく深呼吸する。
「落ち着いて聞いてほしいんだけど――鑑定で魔王様を調べたら、魔王様は生き物じゃないってわかったんだよ」
そして彼女の口から出た言葉に、俺たちは更に混乱することになった。
「は?」
「生き物じゃないってどういうこと?」
「魔族じゃないって意味ですか?」
予想外の内容に、俺たちは矢継ぎ早に質問を投げかける。
「ううん。ボクの鑑定でわかる内容は生物と無生物では全然違うんだ。たとえば生物なら種族とか種別、年齢とか大雑把な魔力の強さとか、食べても安全かどうかとか色々わかるんだけど……」
無生物の場合は、一般的にそのものが何と呼ばれているかという名称と状態、そしてそのものはどういった用途に使うものかなどがわかるのだという。
そして件の魔王の鑑定結果は後者だったと、チェキは青ざめた表情で語った。
「つまり魔王ってのは元々生き物じゃないってことなのか。だからみんな死んだと思い込んでしまったと」
「たぶん……そうだと思う。でも今までは生きて動いてたのは間違いないんだ」
そんな俺たちの会話にグラッサが割り込む。
「もしかして、死んじゃって『生き物』から『無生物』になったからじゃないの?」
たしかにそうだ。
こう言っては色々と問題はあるかもしれないが、生き物の死体はすでに生き物ではないので、その意味では無生物とも考えられる。
だとすれば、既に死んでしまった魔王を鑑定した結果が生物ではないと出てもおかしくはないのではなかろうか。
だとすると、ファウラが言っていた『眠っているだけ』という話と矛盾してしまうわけだが。
「ううん。ボクはいままで何度も鑑定を使ってきたし、死体を鑑定した経験も何度かあるんだ」
そのときはきちんと生き物として鑑定の結果が頭に流れ込んできたのだという。
しかし魔王の死体は完全に生き物ではない『無生物』としての情報しか入ってこなかったそうだ。
「それじゃあ、魔王の鑑定結果を教えてくれるか?」
魔王という存在。
その正体を知るためにはチェキが『視た』情報を知る必要がある。
「それが、ボクには意味のわからない知らない文字が次々流れ込んできてね。上手く説明出来ないんだ……こんなの初めてなんだよ」
「知らない文字?」
「うん。たぶんボクが知らないだけでどこかの種族の文字だと思うんだけど、ボクには読めなかったんだ……たしかこんな感じだったかな」
チェキはそのときの記憶を思い出しながら、テーブルの脇に置いてあったレターセットの紙を一枚破り、そこにペンで文字らしきものを書き出した。
「一番簡単なものしか覚えられなくて……」
短い線と曲線で綴られていく文字を、俺はじっと見つめる。
「これって、まさか」
その瞬間。
俺の頭の奥で突然小さな痛みが生まれ、思わずうめき声を上げて頭を押さえる。
「トーアさん!?」
「どうしたんだよトーア!」
そんな俺に心配そうに声をかけてくるニッカとグラッサ。
「大丈夫だ」
片手で近寄ろうとする二人を制した後、俺はチェキに今思い出したことを確かめるために、収納から紙とペンを取り出してそこに文字を書き殴った。
「チェキ。君が視た文字列は正しくはこうじゃなかったかい?」
書いた紙を上下ひっくり返して、チェキから見て正しい方向に置き直しながら俺はそう尋ねた。
紙の上には『MPPRD』という英文字が並んでいた。
実はこの世界にも、英文字はある。
Aランク、Bランクなどランク付けがあることからそれは転生してすぐに気が付いた。
だがこの世界の英文字は、前世のモノとは字体が違っていた。
たとえば『A』の場合、前世であれば山型に横線一本で『A』だが、今世の世界ではどちらかと言えば筆記体の『a』に似た文字になっている。
前世の世界でも、国や人種が違っても、不思議と類似する言語や文字は沢山あった。
だから俺も、この世界でも似たような流れで似たような文字が作られた歴史があるのだろうと納得していたのだが……
「えっと……うん。たしかにこれにそっくりだったと思う。でも、なぜトーアがこの文字を知ってるの?」
「待ってくれ。今は俺自身混乱してて、何をどう話したら良いのかわからないんだ。だからそれについては後で確信出来たら話すよ」
不思議そうに俺の書いた文字を見つめるチェキに返事しつつ、俺は椅子から立ち上がる。
そして出口に向けて足を向けた。
「どこに行くのさ」
グラッサの声が背中にかかる。
「魔王の所だよ。急いで確かめなきゃいけないことが出来たんだ」
「確かめるって、何を?」
「俺が思い出したことが真実なのかどうかをだよ」
はやる心のままに早口で答え、扉に手をかけ開く。
そして部屋の外にいる警備なのか俺たちの監視なのかわからない兵士に話しかける。
「魔王様に謁見したいんだが、どうすればいい?」
「ま、魔王様にか?」
「ああ。なるべく急ぎでお願いしたいんだが」
唐突な申し出に驚いた表情の兵士だったが、そんな彼から返ってきた言葉は期待外れなものだった。
「魔王様は現在、病気療養中で誰とも会うことは出来ないと聞いている」
「でもそれは――いや、無理を言ってごめん」
どうやら魔王は病気療養中だと、一般の兵士には伝えられているらしい。
しかし魔王城の外には魔王逝去の情報が漏れていたわけだし、この兵士も実は知っているのかもしれない。
まあ、立場的にそれを口には出来ない、もしくは口止めされているんだろうけど。
俺はいったん部屋に戻ると、まだ沈黙魔法の効果が切れていないのを確認する。
「やっぱりダメだった」
「今の状況で魔王に会わせろって言ったって無理に決まってるじゃん」
「グラッサの言う通りだ。少し焦りすぎてた。でも――」
「どうしても会いに行かなきゃいけない事情があるんですね」
そう言うニッカに俺は無言で頷き返すと、チェキに向かって頭を下げる。
「お願いだチェキ。魔王のいた場所まで案内してくれないか?」
俺は今、魔王城の正門から離れた人目の少ない路地で、土魔法を使い地面に穴を開けて、その底から上に向かってそう尋ねた。
「うむ。十分じゃな」
俺の声に答えたのは、ニッカでもグラッサでもない幼い少女魔族だった。
彼女の名はファウラ。
街灯の下で姿を消した例の少女である。
彼女は件の魔王専属の侍女で、魔王に買い物を頼まれ街に出かけていたところだったという。
そして数日かかってその品物をやっと手に入れたというのに、城に帰る道を人波に塞がれて途方に暮れていたということらしい。
そのことを聞き出すまでには、まず完全に気配まで消した彼女がいるであろう場所に声をかけ、自分たちの身元を証明するためにあれやこれや頑張ったのだが、その話はあまり詳しく語りたくはない。
ただ、何もない場所に向かって話しかけている俺たちの姿はかなりアレな集まりに見えたのだろう。
周りにいた人たちがあからさまに俺たちから遠ざかっていったのは、かなり心に来た。
ともあれ、その甲斐あってファウラは姿を現し、こうして魔王城へ侵入する手引きをしてくれることになったのだ。
「あとは魔王城の庭まで横穴を掘れば中に侵入出来るはずじゃ」
「本当に警報とかには引っかからないんだろうな?」
「安心せい。我の隠密にかかれば魔王城の警戒網なぞ無意味じゃ」
彼女が俺たちから身を隠していたスキルの名は隠密という。
そのスキルは強力で、最大限に力を使えば、彼女を中心に三メートルほどの範囲内にいる者の音や姿、更に気配や匂いまでもを、外部からは認知出来なくすることが出来るらしい。
俺がもし同じようなことをするなら、複数の魔法を同時に発動して制御する必要がある。
もちろん魔力消費も半端なく多くなる上に、常に複数の魔法を制御し続けるのは至難の業だ。
だが、どう見ても十歳程度のこの少女は、それと同等以上の力を簡単に行使することが出来る。
たぶん彼女が魔王専属の侍女に選ばれた理由もそこにあるのだろう。
「じゃあ、一人ずつ足下に気を付けて入ってきてくれ」
数メートルの深さがある穴の中にグラッサとニッカ、そしてファウラの順番で降りてくるのを、俺は穴の底で迎える。
そして全員が降りてきたのを確認してから、土魔法で開けた穴の入り口を元通りになるように塞いだ。
これであの路地の地面が掘られたことに気付かれることはないだろう。
「光魔法」
外の光が遮断され、真っ暗になった空間に俺の声が響く。
「これで灯りの心配は要らないぞ」
光に照らされた空間は、四人が入っても窮屈ではない広さの小部屋にしておいた。
「す、凄いのじゃ」
ファウラは思わずといった様子で感嘆の声を上げる。
「でしょ。トーアって凄い魔法使いなんだから」
「いや、俺は別に魔法使いってわけじゃないけどな」
俺の職業を一言で表すなら万能職だろうか?
といってもこの世界にそんな職業は存在しないらしいのだが。
「それにしても、こうやって魔王城に入れるのもファウラのおかげだよ」
俺は部屋の側面に片手を当て、土魔法で魔王城の方向へ横穴を開けながらそう言った。
「路地に人が来たときも、すぐ側にいるあたしたちに一切気が付かずに通り過ぎていったもんね」
実は路地裏で穴を掘っている最中に、幾人かがそんな俺たちの横を通り過ぎていった。
だがファウラのスキルによって隠蔽された俺たちには、誰一人気付くことがなかったのである。
「あれなら魔王城の中にこっそり入っても、衛兵にバレる心配はないだろうな」
「さすが、魔王様専属侍女様だよね」
「そうじゃろ、そうじゃろ」
今も隠密を発動させたままのファウラが自慢げに胸を張る。
「チェキも突然後ろから私たちが来たらびっくりするかな」
「変ないたずらはしないでしょね、グラッサ」
「わかってるよ」
のんきな二人の会話を背に、俺はトンネルを掘り進める。
そして十メートルほど掘ってから、今度は斜め上に向かって道を作るように穴を広げていく。
「この辺りでいいか?」
地上まで十センチくらいまで掘り進んだところで、俺はファウラに最終確認を取る。
「うむ。問題なかろう」
ファウラによれば、この真上はちょうど魔王城の庭の端にあたるらしい。
俺はその庭に出るための穴を開けようと、頭上に手のひらを向けた。
そんな俺の耳に、グラッサの不安そうな声が届く。
「でも魔王が死んでないって本当なのかな?」
「もちろんじゃ。魔王……様はただ単に眠っておられるだけじゃと言ったじゃろ」
ファウラと俺たちが協力して魔王城に忍び込むことになった一番の理由。
それは、魔王の死は誤報で、その原因の一端は彼女にあると聞いたからである。
それを聞いたのは、ファウラの正体を明かされた後のことだ。
どうしてこんな騒ぎになっているのかわからないと言う彼女に、俺たちは事の次第を話して聞かせた。
ファウラは魔王の崩御の情報を知らなかったらしく驚いていたが、しかし魔王は死んでなどいないと、その理由を俺たちに教えてくれたのである。
「魔王様はごく稀にお眠りになる。そして眠りに入った魔王様は、よほどのことでもない限り、反応を示さなくなられるのじゃ。それを城の馬鹿どもが勘違いしたのじゃろう」
馬鹿どもというのは、いわゆる四天王みたいな立場の魔族らしい。
「それじゃあ魔王様が目を覚ませば、この騒ぎは収まるってことですよね?」
「そうじゃ。じゃが魔王様を目覚めさせるのは我の仕事でな……我以外では、魔王様を目覚めさせることが出来ぬのじゃ」
ファウラが言うには、魔王を目覚めさせるには彼女だけが知る方法を使わなければならないらしい。
どんな方法かは魔王との契約で絶対に誰にも教えられないらしいが、その方法を使わない場合は自然と魔王が目覚めるのを待つ必要があるという。
しかし待つにしても、ファウラですら魔王がどれほどの時間眠るのかはわからず、場合によっては幾日も眠る可能性もあるのだとか。
「もう何日か経ってるし、騒ぎが広がっていったらとんでもないことになるかもな」
ただの噂話だけで王城前があれほどの状況になっているというのに、それが長く続けば最悪このヴォルガ帝国が揺らぎかねないほどの騒ぎになるかもしれない。
「なんだかよくわかんないけど、魔王城の中に入れれば、あとはファウラちゃんが魔王様を目覚めさせて万事解決、ってことでいいんだよね」
「そうじゃ。まぁその後で馬鹿どもを落ち着かせないといけないことを考えると頭が痛いが……なんとかなるじゃろ」
「じゃあ善は急げだ」
俺はそう言うと、頭上に向かって土魔法を使って、出口となる穴を作った。
それから念のために穴の周囲をファウラのスキルで隠蔽してもらってから、俺だけ先に外へ出る。
計算通り、魔王城の庭らしい場所だった。
しかも都合のいいことに、上手い具合に庭木のおかげでこの場所を直視出来るような兵士もいない。
俺は穴から一人ずつ引っ張り上げ、最後に土魔法で開けた穴を元通り埋める。
穴の形に芝生が禿げてしまったが、こればかりはどうしようもない。
「助かったのじゃ」
「こちらこそ助かったよ」
俺に続けて、ニッカが笑顔で手を振ってファウラに応える。
「それじゃ、また会いましょう」
「うむ。それでは我は急ぎ城に戻って、魔王様を目覚めさせてくる。しばらくは騒がしくなるかもしれんが、落ち着いたら我から会いに行くのじゃ」
ファウラはそれだけ言い残すと、一目散に魔王城へ向かって駆けていった。
「行っちゃったね」
「どうせ俺たちも城に行くんだからすぐに会えるさ。それよりもだ……」
俺は正門がある方向に目を向ける。
「やっぱりチェキは俺たちを待っててくれてたみたいだな」
「あ」
「本当だ」
俺たちの視線の先。
正門から少し離れた場所に駐まっている馬車の前に、心配そうな表情で正門を見つめているチェキの姿があった。
正門前の騒ぎのせいで、俺たちが城にたどり着けないことを心配しているのだろう。
「チェキをこれ以上待たせちゃ申し訳ないな」
俺はニッカとグラッサに目配せすると、急ぎ足でチェキの元に向かうのだった。
「いきなり後ろから現れるんだもん。ボクびっくりしたよ」
「ごめんごめん。でもさ、正面からじゃ城に入れなかったから仕方なかったんだよ」
魔王城のエントランスホールを進み、いくつかの角を曲がった所に、帝国が俺たちのために用意してくれた部屋はあった。
入室した俺たちはさっそく、宿屋とは比べものにならないほど広い室内を巡ってみる。
部屋はいくつかの小部屋に区分けされており、豪華な調度品の置かれた応接室、広くて綺麗なトイレや、魔道具によっていつでもお湯を張ることが出来る大きめの風呂までもあった。
更に寝室も三つあり、その一つには天蓋付きのベッドが備え付けられていた。
部屋の家具が王国よりも全て一回り大きく、天井も高く作られているのは、魔族には大柄な者が多いからだろうか。
チェキが案内の魔族から聞いた話によれば、王城内にはここと同じような部屋がいくつもあり、更に豪華な部屋も存在するのだという。
俺からすれば、この部屋でも十分豪華に思えるのだが、上には上があるということだろう。
一通り見て回った俺たちは、応接室に落ち着いて一息入れる。
部屋にあったティーセットで四人分のお茶を入れ、それぞれが一口飲んだところで、俺はチェキと別れてからのことを彼女に話すことにした。
街がとても賑やかで、お祭りでもあるのかと思ったこと。宿屋が全然見つからなくて困ったこと。そしてファウラという魔族の少女と出会い、魔王城の前で中に入れず困っていた彼女と再会したこと。それから魔王城へ入るために彼女の力を借りたことまでを、時々ニッカたちに補足を入れてもらいながら、ざっと説明する。
ただしファウラのスキルについては彼女の同意を得ていないので話すことはしなかったが。
「初めてこの町に来た人は、人の多さにびっくりするよね」
「そうそう。めちゃびっくりしてさ。屋台からは美味しそうな匂いがどこからもしてくるし、お腹が鳴って仕方なかったよ」
「私、人酔いしてしまいそうでした」
チェキ、グラッサ、ニッカはそう楽しそうに話している。
チェキがエルドワ自治区から両親の力で逃がされて以降、王国で俺らと出会うまで何があったか、まだ詳しくは聞いていない。だが彼女は自治区の近くで目覚めてからしばらくは、この帝都で暮らしていたそうだ。
彼女の能力――人の心を見抜く力は、彼女にとって害をなす者かどうかを判断するのに非常に便利で、そのおかげで生活には困らなかったらしい。
「それでチェキ。ドワーフ使節団の方はどうだったんだ?」
女子たちの会話が途切れた瞬間を見計らって、俺はチェキにそう尋ねる。
魔王城への俺たちの立ち入りと宿泊が許可されたことは聞いていたが、だが魔王が眠りに入っているのだから、使節団は魔王と会談が出来ていないだろう。
「それがね。ボクたちがドワーフ王国の使節団だって言ったらさ、いきなり魔王の間とかいう所に連れてかれちゃって」
どうやら魔王の間とは、魔王自身の部屋らしい。
しかも魔王自身は魔王城が出来て以来、ほとんどそこを出ることがなく、執務も謁見も全てそこで行うことになっているという。
俺が「魔王って、もしかして引きこもりなのか?」などと考えている間にもチェキの話は続く。
魔王の間に入ってチェキたちが見たのは、最奥の玉座に座ったまま微動だにしない魔王の姿だった。
そこで彼女たちは魔王の側近の一人から、魔王の現状について説明を受けた。
「そういえば、皆は魔王様がどんな人物か知ってる?」
「噂程度でしか知らないな」
「あたしも知らなーい」
「知りません」
バラバラで個人主義、個種族主義だった魔族を纏め上げて、豊かで多様性溢れる国を作った人物という話は知っている。
だけど実際に会ったという人の話は聞いたことがないのだ。
なんせプレアソール王国とヴォルガ帝国が交易を始めて以来、魔王が公の場に出てくることは一度もなかったと記憶している。
表立った交渉なども、魔王は全て配下に任せて、最終的な判断や指示だけをしていたとか。
「ボクも目覚めてからしばらくはこの国で暮らしてたけど、一度も見たことがなかったんだ。だから不謹慎だけど初めて魔王様の姿を見ることが出来るって思って、ちょっとワクワクしてたんだけど……」
チェキはそこまで楽しそうに話していた声のトーンを突然落とす。
それからテーブルの上に身を乗り出して、俺たち全員を手招きした。
どうやら俺たちだけに聞こえるように内緒話をしたいらしい。
一応、この部屋の中に盗聴や盗撮の魔法や魔道具がないことは確認済みではある。
だが、それでも何かしらの手法で話を聞かれていないとは言い切れない。
俺はチェキに顔を寄せると小さな声で提案を口にする。
「話が漏れないように魔法でもかけたほうがいいか?」
「お願いできるかな?」
「お安い御用だ。沈黙魔法」
囁き程度の声でそう会話した後、俺は応接室の中だけを包み込むように調整して魔法を放つ。
それと同時に、僅かに聞こえていた周囲の音が完全に消えた。
「ありがとう、トーア」
「それでここまでしないと話せないことってなんなんだ?」
俺は姿勢と声の大きさを元通りに戻すと、彼女の言葉を待つ。
僅かに緊張した空気を感じてか、ニッカとグラッサも黙ったまま数秒。
チェキは何かを決意したように俺の目をまっすぐ見つめて――
「実はボクの力は読心術なんかじゃないんだ」
と、予想もしてなかった言葉を口にした。
「どういうことだ?」
チェキは読心術で相手の心を読むことで、魔族が他の種族に化けていることを暴いていたはずだ。
そのせいで人の心を盗み見ると毛嫌いされ、悪魔の子とまで呼ばれたのではなかったのか。
「ボクの本当の力は鑑定」
「鑑定……それって」
「名前からわかると思うけど、ボクが知りたいと思ったものや人の情報が、ある程度わかる力なんだよ」
鑑定スキルといえば、異世界ものでは一、二を争うほどのチートスキルだ。
それを彼女は持っているということか。
「つまりチェキがエルドワ自治区やドワーフ王国に紛れ込んだ魔族を見つけられたのも……」
「うん。別にボクは心を読んだわけじゃなくて、鑑定でその人の種族名を見ただけなんだ」
チェキは決して人の心を覗いていたわけではないが、ある意味それ以上に恐ろしい力を持っていたようだ。
「それで、ボクは魔王様のことを鑑定したんだ」
「大胆だな」
「本当は亡くなった人のことを調べるなんて不謹慎だと思ったけど」
チェキは僅かに後ろめたそうに目線を足下に落とす。
「どうしても魔王様が亡くなってるとは思えなくて」
ファウラは、魔王は眠っているだけだと言っていた。
それが本当なのかどうか、チェキのスキルならわかるということだろう。
別にファウラの言葉を疑っているわけじゃないが、気にならないと言えば嘘になる。
「てっきりチェキが聞かれたくないのはスキルのことかと思ってたけど」
「うん。聞かれたくなかったのは魔王様のことなんだ」
チェキはそう言って顔を上げる。
「力のことはいつか話そうと思ってたんだ。本当はもう少し色々落ち着いてからのつもりだったけどね」
チェキはそこで言葉をいったん区切り、大きく深呼吸する。
「落ち着いて聞いてほしいんだけど――鑑定で魔王様を調べたら、魔王様は生き物じゃないってわかったんだよ」
そして彼女の口から出た言葉に、俺たちは更に混乱することになった。
「は?」
「生き物じゃないってどういうこと?」
「魔族じゃないって意味ですか?」
予想外の内容に、俺たちは矢継ぎ早に質問を投げかける。
「ううん。ボクの鑑定でわかる内容は生物と無生物では全然違うんだ。たとえば生物なら種族とか種別、年齢とか大雑把な魔力の強さとか、食べても安全かどうかとか色々わかるんだけど……」
無生物の場合は、一般的にそのものが何と呼ばれているかという名称と状態、そしてそのものはどういった用途に使うものかなどがわかるのだという。
そして件の魔王の鑑定結果は後者だったと、チェキは青ざめた表情で語った。
「つまり魔王ってのは元々生き物じゃないってことなのか。だからみんな死んだと思い込んでしまったと」
「たぶん……そうだと思う。でも今までは生きて動いてたのは間違いないんだ」
そんな俺たちの会話にグラッサが割り込む。
「もしかして、死んじゃって『生き物』から『無生物』になったからじゃないの?」
たしかにそうだ。
こう言っては色々と問題はあるかもしれないが、生き物の死体はすでに生き物ではないので、その意味では無生物とも考えられる。
だとすれば、既に死んでしまった魔王を鑑定した結果が生物ではないと出てもおかしくはないのではなかろうか。
だとすると、ファウラが言っていた『眠っているだけ』という話と矛盾してしまうわけだが。
「ううん。ボクはいままで何度も鑑定を使ってきたし、死体を鑑定した経験も何度かあるんだ」
そのときはきちんと生き物として鑑定の結果が頭に流れ込んできたのだという。
しかし魔王の死体は完全に生き物ではない『無生物』としての情報しか入ってこなかったそうだ。
「それじゃあ、魔王の鑑定結果を教えてくれるか?」
魔王という存在。
その正体を知るためにはチェキが『視た』情報を知る必要がある。
「それが、ボクには意味のわからない知らない文字が次々流れ込んできてね。上手く説明出来ないんだ……こんなの初めてなんだよ」
「知らない文字?」
「うん。たぶんボクが知らないだけでどこかの種族の文字だと思うんだけど、ボクには読めなかったんだ……たしかこんな感じだったかな」
チェキはそのときの記憶を思い出しながら、テーブルの脇に置いてあったレターセットの紙を一枚破り、そこにペンで文字らしきものを書き出した。
「一番簡単なものしか覚えられなくて……」
短い線と曲線で綴られていく文字を、俺はじっと見つめる。
「これって、まさか」
その瞬間。
俺の頭の奥で突然小さな痛みが生まれ、思わずうめき声を上げて頭を押さえる。
「トーアさん!?」
「どうしたんだよトーア!」
そんな俺に心配そうに声をかけてくるニッカとグラッサ。
「大丈夫だ」
片手で近寄ろうとする二人を制した後、俺はチェキに今思い出したことを確かめるために、収納から紙とペンを取り出してそこに文字を書き殴った。
「チェキ。君が視た文字列は正しくはこうじゃなかったかい?」
書いた紙を上下ひっくり返して、チェキから見て正しい方向に置き直しながら俺はそう尋ねた。
紙の上には『MPPRD』という英文字が並んでいた。
実はこの世界にも、英文字はある。
Aランク、Bランクなどランク付けがあることからそれは転生してすぐに気が付いた。
だがこの世界の英文字は、前世のモノとは字体が違っていた。
たとえば『A』の場合、前世であれば山型に横線一本で『A』だが、今世の世界ではどちらかと言えば筆記体の『a』に似た文字になっている。
前世の世界でも、国や人種が違っても、不思議と類似する言語や文字は沢山あった。
だから俺も、この世界でも似たような流れで似たような文字が作られた歴史があるのだろうと納得していたのだが……
「えっと……うん。たしかにこれにそっくりだったと思う。でも、なぜトーアがこの文字を知ってるの?」
「待ってくれ。今は俺自身混乱してて、何をどう話したら良いのかわからないんだ。だからそれについては後で確信出来たら話すよ」
不思議そうに俺の書いた文字を見つめるチェキに返事しつつ、俺は椅子から立ち上がる。
そして出口に向けて足を向けた。
「どこに行くのさ」
グラッサの声が背中にかかる。
「魔王の所だよ。急いで確かめなきゃいけないことが出来たんだ」
「確かめるって、何を?」
「俺が思い出したことが真実なのかどうかをだよ」
はやる心のままに早口で答え、扉に手をかけ開く。
そして部屋の外にいる警備なのか俺たちの監視なのかわからない兵士に話しかける。
「魔王様に謁見したいんだが、どうすればいい?」
「ま、魔王様にか?」
「ああ。なるべく急ぎでお願いしたいんだが」
唐突な申し出に驚いた表情の兵士だったが、そんな彼から返ってきた言葉は期待外れなものだった。
「魔王様は現在、病気療養中で誰とも会うことは出来ないと聞いている」
「でもそれは――いや、無理を言ってごめん」
どうやら魔王は病気療養中だと、一般の兵士には伝えられているらしい。
しかし魔王城の外には魔王逝去の情報が漏れていたわけだし、この兵士も実は知っているのかもしれない。
まあ、立場的にそれを口には出来ない、もしくは口止めされているんだろうけど。
俺はいったん部屋に戻ると、まだ沈黙魔法の効果が切れていないのを確認する。
「やっぱりダメだった」
「今の状況で魔王に会わせろって言ったって無理に決まってるじゃん」
「グラッサの言う通りだ。少し焦りすぎてた。でも――」
「どうしても会いに行かなきゃいけない事情があるんですね」
そう言うニッカに俺は無言で頷き返すと、チェキに向かって頭を下げる。
「お願いだチェキ。魔王のいた場所まで案内してくれないか?」
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