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2巻
2-2
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「早いよっ」
一気に間合いを詰めてきたフォルドウルフにグラッサが怯えた声を上げる。
「俺たち二人だと全方向は守れないな。馬車の死角に壁を作る!」
俺の実力を商人に悟らせたくない以上、魔法の行使も最小限にしておきたい。
そのために、馬車の中から見える範囲以外に壁を作ることにした。
「土壁魔法」
力ある言葉と共に静かに馬車の周りの土が盛り上がり、そのまま包み込むように壁が生えていく。
ニッカにも、戦闘時には商人に外を見せないよう、事前に頼んである。
今頃は商人と共に、馬車の荷台で身を隠しているに違いない。
「よし、準備完了だ」
これでフォルドウルフは、俺とグラッサを倒さなければ容易に馬車に近づくことは出来ない。
「いくぞ! 危なくなったら俺が助けてやるから安心して戦え」
「うん! トーアがそう言うなら思い切ってやってみるよ」
グラッサは俺が戦う姿を何度か見ているからだろうか、素直に頷く。
その顔には若干の怯えが浮かんでいたが、それを上回る信頼を感じた。
俺はグラッサの体に、彼女が扱える程度の強化魔法をかけると、収納から剣と盾を取り出し身構える。
「始めるぞ!」
そんな俺の言葉に呼応するように、間合いを詰めていたフォルドウルフたちが飛びかかってきた。
「あたしだって戦えるんだからっ!」
グラッサが自分を奮い立たせるように叫び、俺の真正面から突っ込んできた一頭に向かっていく。
「馬鹿っ! 一人で突っ込むんじゃないっ!」
焦りからだろうか、グラッサが敵の群れに突っ込んでいくのを見て、俺は慌てて魔法を放つ。
「風壁魔法!」
グラッサの動きに反応した数頭のフォルドウルフの前に、風の壁が立ち塞がる。
数頭で一つの獲物を同時に攻撃するのが奴らの手段だが、俺の魔法に阻まれグラッサに向かうのは一頭だけに絞られた。
「うわああっ!」
グラッサは怯えを振り払うように、向かってくるフォルドウルフめがけて雄叫びを上げながらショートソードを振るう。
真っ正面からの、何の捻りもないその攻撃を避けようと四肢に力を込めたフォルドウルフだったが――
「土拘束魔法」
『ギャウンッ』
一瞬早く俺が放った魔法によって、前足が地面に縫い付けられ、その顔面をグラッサの刃が切り裂いた。
「やった!」
「油断するなっ、まだ相手は動いているぞ!」
攻撃が当たった手応えに喜ぶグラッサに、俺は声を上げ加速魔法を自らにかける。
「きゃあっ」
そして剣を投げ捨てながらグラッサに近付くと、彼女の襟首を掴み引いて、入れ替わるようにして前に出た。
「ぐうっ」
グラッサの悲鳴と同時に、俺が構えた盾に激しい衝撃が加わり、耳障りな音を立てる。
前足を拘束され顔面を切り裂かれたフォルドウルフが、器用に体を捻り、後ろ脚で攻撃をしかけてきたのである。
「いったん退くぞっ」
俺は戦いの直前にいくつかかけておいた身体強化系魔法のおかげで、強烈な一撃を受けても吹き飛ばされることはなかった。そのまま盾でフォルドウルフの脚を弾き返すと、グラッサを連れて後ろに一旦下がる。
「魔物の群れに一人で突っ込んでいくなんて、死にに行くようなもんだぞ」
左右から押し寄せるフォルドウルフたちを魔法で牽制しながら、俺はグラッサにそう注意する。
「ごめん」
「焦らなくていい。いつもの練習通り、一撃加えたらすぐに離れるんだ。いいな?」
俺が教えた戦い方は、以前彼女が同行していたパーティ、ウインドファングでの戦い方と同じで、彼女の素早さを生かしたヒットアンドアウェイである。
一撃で相手に与えるダメージが少ない彼女は、手数で勝負するしかない。
旅の途中に何度か繰り返した練習では、俺がタンク役になって魔物の攻撃を抑え、その間にグラッサが魔物の死角から攻撃をしかけていた。
「それじゃあまずは彼奴に止めを刺すぞ」
「うん。今度は失敗しないよ」
まずは一頭。
瀕死のフォルドウルフに、練習通りの戦い方で止めを刺した俺たちは、わざと緩めた風壁魔法の隙間から飛び込んで来る魔物を、一頭ずつ着実に仕留めていく。
「……なんか、数が増えてない?」
「どうやら仲間を呼んだみたいだな。だが俺がいる限り、何十頭仲間を呼ぼうが関係ないさ」
「その言葉、信じるからねっ! とりゃあっ!!」
「ああ、約束するっ」
三頭目のフォルドウルフに切りかかるグラッサの顔からは、戦いが始まる前の不安は消えていた。
そうして俺とグラッサの、フォルドウルフとの戦いが始まった。
といっても、いくら相手の数が多かろうと、俺の魔法の前にはものの数ではない。
最初こそ、グラッサに経験を積ませるために戦ってもらっていた。しかしグラッサの顔に疲労が見え始め、これ以上は危険だと判断したところで、俺は無詠唱魔法で闇夜に潜むフォルドウルフを狙い撃つ作戦に変更した。
暗視魔法――暗い場所でも視界が明瞭になる魔法のおかげで、俺にはフォルドウルフの姿がばっちり見えるのだ。
俺はフォルドウルフどもの頭部を、闇の中、無詠唱で風刃魔法を放って切断していく。
光を放たない風魔法は、こういうときに使うと便利だ。
一応グラッサにも、近付いてきた敵の相手はしてもらっていたのだが、彼女が倒したフォルドウルフの数が二桁に到達しようかという頃――
『ウォォォォォォォン』
戦場を揺らすほどの咆哮が響いたと同時に、俺たちを囲んでいたフォルドウルフの群れが四散し闇の中に走り去っていった。
「はぁ、はぁ……もしかして私たち勝った?」
「たぶん、ね」
息も絶え絶えのグラッサに俺はそう答える。
「でも、俺たちの油断を誘ってるだけかもしれないし、朝まで警戒は解かない方がいい」
実際、集団行動する魔物は一度引いたと見せかけて、獲物が油断したところを狙って再度襲いかかってくることも多い。
「そうなんだ……でもすぐ戻ってくるわけじゃないんだよね?」
俺の言葉にグラッサが不安そうに呟く。
「ああ。それなりに被害を与えたし、態勢を立て直すにしても時間はかかるだろうな」
周囲に転がる十体以上のフォルドウルフの死体を見ながら、俺は答える。
「よかった。あたしもうへとへと」
そう口にしてその場に座り込むグラッサの顔には、たしかに疲労の色が濃く浮かんでいた。
それもしかたがないことだろう。
なんせ彼女はまだ冒険者になったばかりだ。本格的な戦闘の経験も、エドラたちと共に戦ったゴブリン狩りくらいなのではなかろうか。
ゴブリンもフォルドウルフ同様、群れで襲いかかってくるタイプの魔物ではある。しかしフォルドウルフに比べれば素早さも低く、組織立った動きは出来ないためランクとしては数段落ちる。
実際ゴブリン狩りでは怪我一つしなかったらしいグラッサだが、フォルドウルフとの戦いを終えた今は体中に傷を作っていた。
「とりあえず返り血は拭いておいた方が良いぞ」
魔物の返り血には、人体に毒になる成分が含まれている場合がある。フォルドウルフにはその特性はなかったはずだが、念のために解毒魔法もかけておいた方がいいだろう。
「べとべとして気持ち悪いしね」
グラッサは両手を振って、手に付いた血を払いながら笑う。
既に戦いの前に見せていた怯えはそこにはない。
俺はそのことに安堵しつつ、収納からタオルを取り出す。そして水魔法で湿らせると、グラッサに向けて放り投げた。
「これを使ってくれ」
「ありがと。こういうときだけはトーアがいて良かったって思うわ」
グラッサはタオルを受け取って、顔や傷ついた肌を拭いていく。
「便利屋だって砦でもよく言われてたな」
彼女の軽口に苦笑いで俺は答えた。
「これ、洗って返した方がいいかな?」
「あとで魔法を使って洗うから気にするな。好きなだけ汚してくれていいぞ」
「じゃあ遠慮なく」
グラッサはそう答えると、既にかなり汚れていたタオルで防具を拭き始めた。
遠慮がないにもほどがある。
「グラッサ。大丈夫だった?」
そうこうしていると、戦闘が終わったことに気が付いたのだろうニッカが、馬車から下りて俺たちの元に駆けてきた。
「治すからじっとしてて」
「かすり傷だから大丈夫よ」
「ううん。細かくても傷は傷。もし痕が残ったら大変でしょ」
ニッカは断ろうとしたグラッサを説き伏せると、彼女の体に再生魔法をかけ始めた。
いつものようにゆっくりと回復していく傷口を見ながら、俺もグラッサに解毒魔法をかけておく。
「過保護だなぁ」
二人に傷を治してもらいながらグラッサが苦笑いする。
「冒険者なら、戦闘後の回復と防疫はきっちりやっておいた方がいいんだよ」
「そっか、そうだよね」
後々病気や怪我が悪化する可能性を考えれば、そのときになって対処するより先に予防しておく方が合理的である。
特に冒険者という職業は、街や村に住む人たちと違い、症状が出てすぐに医者に駆けつけられるとは限らない。ダンジョンの奥地まで潜ったあとで発症したなら、即命の危機に繋がる可能性も少なくないのだ。
そういう理由もあって、実は街に住む一般人より冒険者の方がむしろ衛生観念がしっかりしている。辺境へ飛ばされて冒険者と触れあうようになり、驚いたことの一つだったりする。
なんせ、とんでもない荒くれ者が集まるような辺境砦や、強力な魔物やダンジョンを求めて冒険者が集まる近隣の街の方が王都より掃除が行き届いているのだから、驚くなと言う方が無理がある。
本来であれば冒険者ギルドでそういった知識を学ぶわけだが、ニッカたちは騒動のせいでそのチュートリアル的な授業を受けることが出来なかったんだよな。
「まぁ、グラッサはまだ冒険者になったばかりの新人だから仕方ない。これから色々と覚えていけばいいさ」
「トーアも新人冒険者なのにね」
「俺はベテラン新人冒険者だからな」
「あははっ、新人なのにベテランって意味わかんない」
俺の軽口にグラッサが笑う。
そんな会話の間にも、彼女の傷はゆっくりと確実に治癒されていく。
「私も二人と一緒に戦いたかったな」
そんな俺たちの会話を聞いて、自分だけ戦闘に加われなかったニッカが頬を膨らます。
だが、別に俺は彼女を戦力外だと思って馬車に戻したわけではない。
彼女には商人を守りながらも俺たちの戦いをなるべく見せないようにするという、俺たちには出来ない重要な役割を任せただけである。
だがそんなことは彼女もわかっていて、その上でなお疎外感を隠せなかったのだろう。
「じゃあ、次があったら今度はニッカに戦ってもらおうか」
といっても、グラッサと違いニッカには前線で戦える力はない。
だがその代わり、ニッカには補助魔法を使いこなせる才能があった。
今まで回復師としての訓練しかしてこなかった彼女だが、再生魔法を使い続けるために幼い頃から鍛え上げられた精神力と魔力制御の技術は、熟練の域まで達している。
それに気が付いた俺は、ニッカにいくつかの魔法を教え、その特性を探ることにした。
その結果わかったのは、彼女には補助魔法の適性があるということだった。
一方、相手に直接害を与える攻撃魔法については彼女の性格故か上手く発動することが出来ず、最終的に俺は彼女を補助職として鍛えることに決めたのである。
「はい! 私、頑張ってトーアさんを補助しますね!」
そんな話をしているうちに、気が付けばグラッサの体から、傷が綺麗に消えていた。
「ありがと、ニッカ」
「これが私の役目だし、それに修行にもなるから気にしないで」
初めて彼女の再生魔法を見たとき、その治癒速度の遅さに驚いたものだが、今では特訓の成果もあって、軽い傷であれば初級回復魔法と同等……とは言えないまでも、かなりの速度で回復出来るようになっている。
「ニッカの魔力操作は、もう俺よりも上かもしれないな」
「まだまだ師匠に敵うわけないじゃないですか」
「ぐっ……俺のことを『師匠』って呼ぶのは禁止だって何度言ったら――」
ニッカの言葉に俺がそう言いかけると、グラッサが声を上げる。
「えー。だってトーアはあたしたちに特訓をつけてくれるし、さっきだって魔物との戦い方を教えてくれてたじゃない。だからあたしたちにとって、トーアは師匠でしょ?」
たしかに旅の間、彼女たちが最低限自分の身を守れるようにと、時間を見つけては冒険者として色々とレクチャーしてきた。
だがそれはあくまで初歩的なもので、師匠と呼ばれるほど過酷な特訓はさせていない。
「とにかくだ。辺境砦では俺のことを師匠って呼ぶんじゃないぞ」
「どうしてさ?」
「俺が弟子を取ったなんて思われたら、師匠たちに二人じゃなく俺が馬鹿にされるからだよ」
しかもそれが女の子だなんて、絶対にからかわれるに決まっている。戦い以外には極端に娯楽が少ないあの場所では、人の色恋沙汰は一番のネタなのだ。
……いや、別に俺が二人と色恋沙汰になっているってわけじゃないけども。
それでもあの場所にはそういう下世話な話が大好きな人もいるわけで。
「もしかして俺、選択肢を間違ったか」
俺は今頃になって二人を辺境砦に誘ったことを後悔し始めた。
といっても今更他に選択肢もない。
「とにかく、今後俺のことを師匠って呼んだら二度と特訓はしないからな!」
俺は二人に向かってそう告げると、馬車に被害がなかったかを確認している商人の元へ、報告のために向かったのだった。
◆第一章◆
日が昇ると同時に野営場所から出立して昼前に街へたどり着いた俺たちは、お世話になった商人と別れ、旅の疲れを癒やすべく宿を探した。
このロッホは王国北部の流通の要で、数多くの商人や旅人、冒険者たちが集まる街である。
そのおかげで宿屋も多く、選り好みさえしなければ比較的簡単に宿を見つけることが出来る。
グラースから貰った路銀のおかげで、資金にはまだ余裕があった。
ということで、俺は男女それぞれ部屋を分けて泊まろうと思ったのだが――
「そんな贅沢しちゃだめです」
と、ニッカに説教され、結局は一部屋だけ借りることになった。
二人の女の子とドキドキ同衾とか阿呆な言葉が一瞬浮かんでしまったのは致し方ない。
だが結局、そんな妄想より眠気が勝った俺は、部屋に入るなりニッカたちに「起こさないでくれ」と告げて、ベッドに一人ダイブしたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「あれがお宝で間違いないかァ?」
「ああ、間違いない。貰った絵とそっくりだしな」
「そっくり」
賑わうロッホの街の広場。
その広場に面した酒場に、そんな会話を交わす三人組がいた。
その三人は、真っ昼間からテーブルの上に大きなジョッキを並べ、豪快に酒を飲んでいる。
「しかし、本当にあんな胡散臭い話を信じていいのか?」
「そんなの俺たちが考えてもしかたねぇことだろォ」
「そうだ。しかたない」
このロッホの広場は、交易路の中心と言われるだけあって、プレアソールで随一といわれるほどの盛大な市場が毎日開かれている。
世界中から集まる多種多様の商品が並ぶ市場は、掘り出しものを求めてやってきた一般客だけでなく、商人同士が大きな取引をする商談の場としても機能していた。
「二度と手に入らねェお宝だァ。ぬかるんじゃねぇぞォ」
「当たり前だ、準備も万端だぜ」
「ちゃんと袋もある。これにすぐ詰め込む」
市場の喧噪のせいで、三人組の声はお互いにしか届いていない。
もしその声が周りにいる他の客に届いていたら、憲兵でも呼ばれていたかもしれない。
「おい。お宝が動いたぞ」
「やっとかァ。待ちくたびれたぜェ」
「待ったよ、待った」
狙っている『お宝』が市場からどこか別の場所へ移動するのを見て、男たちは一斉に席を立つ。
「おいィ。勘定はここに置いていくぜェ!」
三人のうちリーダーの男が、そんな喧噪の中でも聞こえるほどの大声で給仕に告げる。
「おい、馬鹿。声が大きいぞ」
「大きい」
慌てて残りの二人が、リーダーの後ろから苦情を並べ立てる。
「別に獲物にゃ聞こえやしねェよォ」
しかしリーダーの男はそんなことはお構いなく、どんっと机の上に幾枚かの硬貨を置くと「行くぞォ」と店を出ていった。
慌てて追いかける二人と共に、男は人混みなどものともせず『お宝』の後を追って駆けていく。
「おっと。これ以上近づくと気付かれちまう」
しばらく走ったところで男が足の動きを止め、その場に三人が並ぶ。
『お宝』に追いついたのだ。
「ここからは手はず通りにいくぞォ」
「了解だ」
「任せて」
男の合図で、残りの二人はそれぞれ別方向へ向かっていく。
「へへっ。おあつらえ向きに人通りが少ない方へ行ってくれる」
男の視線の先で、『お宝』が多数の人の行き交う通りから狭い路地へ入っていった。
その後をゆっくり、距離を詰めるように男は追う。
「アイツの下調べは完璧だなァ」
どんなに賑やかな街でも死角というものは存在する。
そしてそれは、人目がある賑やかな場所から、ほんの僅かだけズレたような場所にあるものだ。
男たちが狙う『お宝』がその死角へ入ったその瞬間――
「な、なんだよ君たちはっ!!」
「静かにしろォ」
「口を塞げ!」
「袋、かぶせる」
三人の男たちは、『お宝』を奪い去ったのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「んんっ、よく寝たぁ」
窓から差し込む光からすると、どうやらかなりの時間眠っていたようだ。すっかり夕日が落ちている。
「最近あまり眠れてなかったからなぁ」
王都にいる間は、いつバフェル公爵派の残党が逆恨みで復讐に来るかもしれないと常に気を張っていた。そして旅立った後も、追っ手や魔物の襲撃を気にして、熟睡出来た夜はなかったのだ。
「王都からずいぶん離れて気が緩んだかな」
俺はベッドから降りると部屋の中を見渡す。
寝る前、雑に放り投げた覚えのある俺の荷物は、ニッカたちのものと一緒に部屋の隅にきちんと並んで置かれていた。
だが、そのニッカたちの姿は部屋の中にはない。
「二人とも、どこ行ったんだ?」
彼女たちが眠っていたはずのもう一つのベッドに目を向ける。
もちろんそこに二人の姿はない。
「出歩くなって言っておいたから、外には行ってないはずだし」
俺は少し胸騒ぎを覚えつつ、二人を探すために部屋の扉へ向かおうとした。
「ん?」
だが、まるでそれを見計らっていたかのように鍵の音が耳に届き、同時に扉が開いてニッカが中へ入ってきた。
「あっ、トーアさん。目が覚めたんですね」
「おはようニッカ。どこに行ってたんだ?」
俺の問いかけに、ニッカは僅かに気まずそうな表情をしたあと、意を決したように口を開いた。
「ロビーで人を待ってたんです」
「もしかして、誰かとここで会う約束でも?」
この街で誰かと会うなんて話は二人から聞いてはいないが、俺に内緒でそんな約束を彼女たちはしていたというのだろうか。
「そうじゃなくて……実は」
ニッカは俺の表情から何かを感じ取ったのか、慌てて事の次第を説明してくれた。
俺が眠ったあと、二人ともしばらくの間は部屋で荷物の整理などをしていたらしい。
俺が起きたら一緒に食事でも行こうかと話をしていたそうなのだが、俺が目覚める気配が一向になく、もしかしたら夜まで目覚めないのではないかと思ったらしい。
「トーアさん、とっても疲れてたみたいだから。外に食べに行くのも大変だろうし、それならここで何か美味しい料理を作ってあげようってグラッサと話してたんですけど」
そこで問題になったのは、俺が選んだこの宿だ。
俺は警戒のために、宿泊客以外がなるべく出入りすることがない――つまり食堂や酒場が併設されていない宿を選んだ。
その代わりに自炊のための場所は一階にあるのだが、残念ながら俺たちは一度も食料品店に寄らずに宿まで来てしまったせいで食材の手持ちもない。
だが、俺から宿の外に出るなと言われていた二人は、買い物に出かけるわけには行かない。
どうしようかと一階のロビーで話し合っていると――
「何か困ったことでもあったのかい?」
ロビーにやってきた若い旅人に声をかけられたのだという。
その旅人はニッカたちと同じくらいの年の可愛らしい顔立ちの男の子で、チェキと名乗った。
彼は市場に出かけようとロビーに出てきたところで、年の近そうな二人が困っているのを見かけて思わず声をかけたらしい。
一気に間合いを詰めてきたフォルドウルフにグラッサが怯えた声を上げる。
「俺たち二人だと全方向は守れないな。馬車の死角に壁を作る!」
俺の実力を商人に悟らせたくない以上、魔法の行使も最小限にしておきたい。
そのために、馬車の中から見える範囲以外に壁を作ることにした。
「土壁魔法」
力ある言葉と共に静かに馬車の周りの土が盛り上がり、そのまま包み込むように壁が生えていく。
ニッカにも、戦闘時には商人に外を見せないよう、事前に頼んである。
今頃は商人と共に、馬車の荷台で身を隠しているに違いない。
「よし、準備完了だ」
これでフォルドウルフは、俺とグラッサを倒さなければ容易に馬車に近づくことは出来ない。
「いくぞ! 危なくなったら俺が助けてやるから安心して戦え」
「うん! トーアがそう言うなら思い切ってやってみるよ」
グラッサは俺が戦う姿を何度か見ているからだろうか、素直に頷く。
その顔には若干の怯えが浮かんでいたが、それを上回る信頼を感じた。
俺はグラッサの体に、彼女が扱える程度の強化魔法をかけると、収納から剣と盾を取り出し身構える。
「始めるぞ!」
そんな俺の言葉に呼応するように、間合いを詰めていたフォルドウルフたちが飛びかかってきた。
「あたしだって戦えるんだからっ!」
グラッサが自分を奮い立たせるように叫び、俺の真正面から突っ込んできた一頭に向かっていく。
「馬鹿っ! 一人で突っ込むんじゃないっ!」
焦りからだろうか、グラッサが敵の群れに突っ込んでいくのを見て、俺は慌てて魔法を放つ。
「風壁魔法!」
グラッサの動きに反応した数頭のフォルドウルフの前に、風の壁が立ち塞がる。
数頭で一つの獲物を同時に攻撃するのが奴らの手段だが、俺の魔法に阻まれグラッサに向かうのは一頭だけに絞られた。
「うわああっ!」
グラッサは怯えを振り払うように、向かってくるフォルドウルフめがけて雄叫びを上げながらショートソードを振るう。
真っ正面からの、何の捻りもないその攻撃を避けようと四肢に力を込めたフォルドウルフだったが――
「土拘束魔法」
『ギャウンッ』
一瞬早く俺が放った魔法によって、前足が地面に縫い付けられ、その顔面をグラッサの刃が切り裂いた。
「やった!」
「油断するなっ、まだ相手は動いているぞ!」
攻撃が当たった手応えに喜ぶグラッサに、俺は声を上げ加速魔法を自らにかける。
「きゃあっ」
そして剣を投げ捨てながらグラッサに近付くと、彼女の襟首を掴み引いて、入れ替わるようにして前に出た。
「ぐうっ」
グラッサの悲鳴と同時に、俺が構えた盾に激しい衝撃が加わり、耳障りな音を立てる。
前足を拘束され顔面を切り裂かれたフォルドウルフが、器用に体を捻り、後ろ脚で攻撃をしかけてきたのである。
「いったん退くぞっ」
俺は戦いの直前にいくつかかけておいた身体強化系魔法のおかげで、強烈な一撃を受けても吹き飛ばされることはなかった。そのまま盾でフォルドウルフの脚を弾き返すと、グラッサを連れて後ろに一旦下がる。
「魔物の群れに一人で突っ込んでいくなんて、死にに行くようなもんだぞ」
左右から押し寄せるフォルドウルフたちを魔法で牽制しながら、俺はグラッサにそう注意する。
「ごめん」
「焦らなくていい。いつもの練習通り、一撃加えたらすぐに離れるんだ。いいな?」
俺が教えた戦い方は、以前彼女が同行していたパーティ、ウインドファングでの戦い方と同じで、彼女の素早さを生かしたヒットアンドアウェイである。
一撃で相手に与えるダメージが少ない彼女は、手数で勝負するしかない。
旅の途中に何度か繰り返した練習では、俺がタンク役になって魔物の攻撃を抑え、その間にグラッサが魔物の死角から攻撃をしかけていた。
「それじゃあまずは彼奴に止めを刺すぞ」
「うん。今度は失敗しないよ」
まずは一頭。
瀕死のフォルドウルフに、練習通りの戦い方で止めを刺した俺たちは、わざと緩めた風壁魔法の隙間から飛び込んで来る魔物を、一頭ずつ着実に仕留めていく。
「……なんか、数が増えてない?」
「どうやら仲間を呼んだみたいだな。だが俺がいる限り、何十頭仲間を呼ぼうが関係ないさ」
「その言葉、信じるからねっ! とりゃあっ!!」
「ああ、約束するっ」
三頭目のフォルドウルフに切りかかるグラッサの顔からは、戦いが始まる前の不安は消えていた。
そうして俺とグラッサの、フォルドウルフとの戦いが始まった。
といっても、いくら相手の数が多かろうと、俺の魔法の前にはものの数ではない。
最初こそ、グラッサに経験を積ませるために戦ってもらっていた。しかしグラッサの顔に疲労が見え始め、これ以上は危険だと判断したところで、俺は無詠唱魔法で闇夜に潜むフォルドウルフを狙い撃つ作戦に変更した。
暗視魔法――暗い場所でも視界が明瞭になる魔法のおかげで、俺にはフォルドウルフの姿がばっちり見えるのだ。
俺はフォルドウルフどもの頭部を、闇の中、無詠唱で風刃魔法を放って切断していく。
光を放たない風魔法は、こういうときに使うと便利だ。
一応グラッサにも、近付いてきた敵の相手はしてもらっていたのだが、彼女が倒したフォルドウルフの数が二桁に到達しようかという頃――
『ウォォォォォォォン』
戦場を揺らすほどの咆哮が響いたと同時に、俺たちを囲んでいたフォルドウルフの群れが四散し闇の中に走り去っていった。
「はぁ、はぁ……もしかして私たち勝った?」
「たぶん、ね」
息も絶え絶えのグラッサに俺はそう答える。
「でも、俺たちの油断を誘ってるだけかもしれないし、朝まで警戒は解かない方がいい」
実際、集団行動する魔物は一度引いたと見せかけて、獲物が油断したところを狙って再度襲いかかってくることも多い。
「そうなんだ……でもすぐ戻ってくるわけじゃないんだよね?」
俺の言葉にグラッサが不安そうに呟く。
「ああ。それなりに被害を与えたし、態勢を立て直すにしても時間はかかるだろうな」
周囲に転がる十体以上のフォルドウルフの死体を見ながら、俺は答える。
「よかった。あたしもうへとへと」
そう口にしてその場に座り込むグラッサの顔には、たしかに疲労の色が濃く浮かんでいた。
それもしかたがないことだろう。
なんせ彼女はまだ冒険者になったばかりだ。本格的な戦闘の経験も、エドラたちと共に戦ったゴブリン狩りくらいなのではなかろうか。
ゴブリンもフォルドウルフ同様、群れで襲いかかってくるタイプの魔物ではある。しかしフォルドウルフに比べれば素早さも低く、組織立った動きは出来ないためランクとしては数段落ちる。
実際ゴブリン狩りでは怪我一つしなかったらしいグラッサだが、フォルドウルフとの戦いを終えた今は体中に傷を作っていた。
「とりあえず返り血は拭いておいた方が良いぞ」
魔物の返り血には、人体に毒になる成分が含まれている場合がある。フォルドウルフにはその特性はなかったはずだが、念のために解毒魔法もかけておいた方がいいだろう。
「べとべとして気持ち悪いしね」
グラッサは両手を振って、手に付いた血を払いながら笑う。
既に戦いの前に見せていた怯えはそこにはない。
俺はそのことに安堵しつつ、収納からタオルを取り出す。そして水魔法で湿らせると、グラッサに向けて放り投げた。
「これを使ってくれ」
「ありがと。こういうときだけはトーアがいて良かったって思うわ」
グラッサはタオルを受け取って、顔や傷ついた肌を拭いていく。
「便利屋だって砦でもよく言われてたな」
彼女の軽口に苦笑いで俺は答えた。
「これ、洗って返した方がいいかな?」
「あとで魔法を使って洗うから気にするな。好きなだけ汚してくれていいぞ」
「じゃあ遠慮なく」
グラッサはそう答えると、既にかなり汚れていたタオルで防具を拭き始めた。
遠慮がないにもほどがある。
「グラッサ。大丈夫だった?」
そうこうしていると、戦闘が終わったことに気が付いたのだろうニッカが、馬車から下りて俺たちの元に駆けてきた。
「治すからじっとしてて」
「かすり傷だから大丈夫よ」
「ううん。細かくても傷は傷。もし痕が残ったら大変でしょ」
ニッカは断ろうとしたグラッサを説き伏せると、彼女の体に再生魔法をかけ始めた。
いつものようにゆっくりと回復していく傷口を見ながら、俺もグラッサに解毒魔法をかけておく。
「過保護だなぁ」
二人に傷を治してもらいながらグラッサが苦笑いする。
「冒険者なら、戦闘後の回復と防疫はきっちりやっておいた方がいいんだよ」
「そっか、そうだよね」
後々病気や怪我が悪化する可能性を考えれば、そのときになって対処するより先に予防しておく方が合理的である。
特に冒険者という職業は、街や村に住む人たちと違い、症状が出てすぐに医者に駆けつけられるとは限らない。ダンジョンの奥地まで潜ったあとで発症したなら、即命の危機に繋がる可能性も少なくないのだ。
そういう理由もあって、実は街に住む一般人より冒険者の方がむしろ衛生観念がしっかりしている。辺境へ飛ばされて冒険者と触れあうようになり、驚いたことの一つだったりする。
なんせ、とんでもない荒くれ者が集まるような辺境砦や、強力な魔物やダンジョンを求めて冒険者が集まる近隣の街の方が王都より掃除が行き届いているのだから、驚くなと言う方が無理がある。
本来であれば冒険者ギルドでそういった知識を学ぶわけだが、ニッカたちは騒動のせいでそのチュートリアル的な授業を受けることが出来なかったんだよな。
「まぁ、グラッサはまだ冒険者になったばかりの新人だから仕方ない。これから色々と覚えていけばいいさ」
「トーアも新人冒険者なのにね」
「俺はベテラン新人冒険者だからな」
「あははっ、新人なのにベテランって意味わかんない」
俺の軽口にグラッサが笑う。
そんな会話の間にも、彼女の傷はゆっくりと確実に治癒されていく。
「私も二人と一緒に戦いたかったな」
そんな俺たちの会話を聞いて、自分だけ戦闘に加われなかったニッカが頬を膨らます。
だが、別に俺は彼女を戦力外だと思って馬車に戻したわけではない。
彼女には商人を守りながらも俺たちの戦いをなるべく見せないようにするという、俺たちには出来ない重要な役割を任せただけである。
だがそんなことは彼女もわかっていて、その上でなお疎外感を隠せなかったのだろう。
「じゃあ、次があったら今度はニッカに戦ってもらおうか」
といっても、グラッサと違いニッカには前線で戦える力はない。
だがその代わり、ニッカには補助魔法を使いこなせる才能があった。
今まで回復師としての訓練しかしてこなかった彼女だが、再生魔法を使い続けるために幼い頃から鍛え上げられた精神力と魔力制御の技術は、熟練の域まで達している。
それに気が付いた俺は、ニッカにいくつかの魔法を教え、その特性を探ることにした。
その結果わかったのは、彼女には補助魔法の適性があるということだった。
一方、相手に直接害を与える攻撃魔法については彼女の性格故か上手く発動することが出来ず、最終的に俺は彼女を補助職として鍛えることに決めたのである。
「はい! 私、頑張ってトーアさんを補助しますね!」
そんな話をしているうちに、気が付けばグラッサの体から、傷が綺麗に消えていた。
「ありがと、ニッカ」
「これが私の役目だし、それに修行にもなるから気にしないで」
初めて彼女の再生魔法を見たとき、その治癒速度の遅さに驚いたものだが、今では特訓の成果もあって、軽い傷であれば初級回復魔法と同等……とは言えないまでも、かなりの速度で回復出来るようになっている。
「ニッカの魔力操作は、もう俺よりも上かもしれないな」
「まだまだ師匠に敵うわけないじゃないですか」
「ぐっ……俺のことを『師匠』って呼ぶのは禁止だって何度言ったら――」
ニッカの言葉に俺がそう言いかけると、グラッサが声を上げる。
「えー。だってトーアはあたしたちに特訓をつけてくれるし、さっきだって魔物との戦い方を教えてくれてたじゃない。だからあたしたちにとって、トーアは師匠でしょ?」
たしかに旅の間、彼女たちが最低限自分の身を守れるようにと、時間を見つけては冒険者として色々とレクチャーしてきた。
だがそれはあくまで初歩的なもので、師匠と呼ばれるほど過酷な特訓はさせていない。
「とにかくだ。辺境砦では俺のことを師匠って呼ぶんじゃないぞ」
「どうしてさ?」
「俺が弟子を取ったなんて思われたら、師匠たちに二人じゃなく俺が馬鹿にされるからだよ」
しかもそれが女の子だなんて、絶対にからかわれるに決まっている。戦い以外には極端に娯楽が少ないあの場所では、人の色恋沙汰は一番のネタなのだ。
……いや、別に俺が二人と色恋沙汰になっているってわけじゃないけども。
それでもあの場所にはそういう下世話な話が大好きな人もいるわけで。
「もしかして俺、選択肢を間違ったか」
俺は今頃になって二人を辺境砦に誘ったことを後悔し始めた。
といっても今更他に選択肢もない。
「とにかく、今後俺のことを師匠って呼んだら二度と特訓はしないからな!」
俺は二人に向かってそう告げると、馬車に被害がなかったかを確認している商人の元へ、報告のために向かったのだった。
◆第一章◆
日が昇ると同時に野営場所から出立して昼前に街へたどり着いた俺たちは、お世話になった商人と別れ、旅の疲れを癒やすべく宿を探した。
このロッホは王国北部の流通の要で、数多くの商人や旅人、冒険者たちが集まる街である。
そのおかげで宿屋も多く、選り好みさえしなければ比較的簡単に宿を見つけることが出来る。
グラースから貰った路銀のおかげで、資金にはまだ余裕があった。
ということで、俺は男女それぞれ部屋を分けて泊まろうと思ったのだが――
「そんな贅沢しちゃだめです」
と、ニッカに説教され、結局は一部屋だけ借りることになった。
二人の女の子とドキドキ同衾とか阿呆な言葉が一瞬浮かんでしまったのは致し方ない。
だが結局、そんな妄想より眠気が勝った俺は、部屋に入るなりニッカたちに「起こさないでくれ」と告げて、ベッドに一人ダイブしたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「あれがお宝で間違いないかァ?」
「ああ、間違いない。貰った絵とそっくりだしな」
「そっくり」
賑わうロッホの街の広場。
その広場に面した酒場に、そんな会話を交わす三人組がいた。
その三人は、真っ昼間からテーブルの上に大きなジョッキを並べ、豪快に酒を飲んでいる。
「しかし、本当にあんな胡散臭い話を信じていいのか?」
「そんなの俺たちが考えてもしかたねぇことだろォ」
「そうだ。しかたない」
このロッホの広場は、交易路の中心と言われるだけあって、プレアソールで随一といわれるほどの盛大な市場が毎日開かれている。
世界中から集まる多種多様の商品が並ぶ市場は、掘り出しものを求めてやってきた一般客だけでなく、商人同士が大きな取引をする商談の場としても機能していた。
「二度と手に入らねェお宝だァ。ぬかるんじゃねぇぞォ」
「当たり前だ、準備も万端だぜ」
「ちゃんと袋もある。これにすぐ詰め込む」
市場の喧噪のせいで、三人組の声はお互いにしか届いていない。
もしその声が周りにいる他の客に届いていたら、憲兵でも呼ばれていたかもしれない。
「おい。お宝が動いたぞ」
「やっとかァ。待ちくたびれたぜェ」
「待ったよ、待った」
狙っている『お宝』が市場からどこか別の場所へ移動するのを見て、男たちは一斉に席を立つ。
「おいィ。勘定はここに置いていくぜェ!」
三人のうちリーダーの男が、そんな喧噪の中でも聞こえるほどの大声で給仕に告げる。
「おい、馬鹿。声が大きいぞ」
「大きい」
慌てて残りの二人が、リーダーの後ろから苦情を並べ立てる。
「別に獲物にゃ聞こえやしねェよォ」
しかしリーダーの男はそんなことはお構いなく、どんっと机の上に幾枚かの硬貨を置くと「行くぞォ」と店を出ていった。
慌てて追いかける二人と共に、男は人混みなどものともせず『お宝』の後を追って駆けていく。
「おっと。これ以上近づくと気付かれちまう」
しばらく走ったところで男が足の動きを止め、その場に三人が並ぶ。
『お宝』に追いついたのだ。
「ここからは手はず通りにいくぞォ」
「了解だ」
「任せて」
男の合図で、残りの二人はそれぞれ別方向へ向かっていく。
「へへっ。おあつらえ向きに人通りが少ない方へ行ってくれる」
男の視線の先で、『お宝』が多数の人の行き交う通りから狭い路地へ入っていった。
その後をゆっくり、距離を詰めるように男は追う。
「アイツの下調べは完璧だなァ」
どんなに賑やかな街でも死角というものは存在する。
そしてそれは、人目がある賑やかな場所から、ほんの僅かだけズレたような場所にあるものだ。
男たちが狙う『お宝』がその死角へ入ったその瞬間――
「な、なんだよ君たちはっ!!」
「静かにしろォ」
「口を塞げ!」
「袋、かぶせる」
三人の男たちは、『お宝』を奪い去ったのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「んんっ、よく寝たぁ」
窓から差し込む光からすると、どうやらかなりの時間眠っていたようだ。すっかり夕日が落ちている。
「最近あまり眠れてなかったからなぁ」
王都にいる間は、いつバフェル公爵派の残党が逆恨みで復讐に来るかもしれないと常に気を張っていた。そして旅立った後も、追っ手や魔物の襲撃を気にして、熟睡出来た夜はなかったのだ。
「王都からずいぶん離れて気が緩んだかな」
俺はベッドから降りると部屋の中を見渡す。
寝る前、雑に放り投げた覚えのある俺の荷物は、ニッカたちのものと一緒に部屋の隅にきちんと並んで置かれていた。
だが、そのニッカたちの姿は部屋の中にはない。
「二人とも、どこ行ったんだ?」
彼女たちが眠っていたはずのもう一つのベッドに目を向ける。
もちろんそこに二人の姿はない。
「出歩くなって言っておいたから、外には行ってないはずだし」
俺は少し胸騒ぎを覚えつつ、二人を探すために部屋の扉へ向かおうとした。
「ん?」
だが、まるでそれを見計らっていたかのように鍵の音が耳に届き、同時に扉が開いてニッカが中へ入ってきた。
「あっ、トーアさん。目が覚めたんですね」
「おはようニッカ。どこに行ってたんだ?」
俺の問いかけに、ニッカは僅かに気まずそうな表情をしたあと、意を決したように口を開いた。
「ロビーで人を待ってたんです」
「もしかして、誰かとここで会う約束でも?」
この街で誰かと会うなんて話は二人から聞いてはいないが、俺に内緒でそんな約束を彼女たちはしていたというのだろうか。
「そうじゃなくて……実は」
ニッカは俺の表情から何かを感じ取ったのか、慌てて事の次第を説明してくれた。
俺が眠ったあと、二人ともしばらくの間は部屋で荷物の整理などをしていたらしい。
俺が起きたら一緒に食事でも行こうかと話をしていたそうなのだが、俺が目覚める気配が一向になく、もしかしたら夜まで目覚めないのではないかと思ったらしい。
「トーアさん、とっても疲れてたみたいだから。外に食べに行くのも大変だろうし、それならここで何か美味しい料理を作ってあげようってグラッサと話してたんですけど」
そこで問題になったのは、俺が選んだこの宿だ。
俺は警戒のために、宿泊客以外がなるべく出入りすることがない――つまり食堂や酒場が併設されていない宿を選んだ。
その代わりに自炊のための場所は一階にあるのだが、残念ながら俺たちは一度も食料品店に寄らずに宿まで来てしまったせいで食材の手持ちもない。
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どうしようかと一階のロビーで話し合っていると――
「何か困ったことでもあったのかい?」
ロビーにやってきた若い旅人に声をかけられたのだという。
その旅人はニッカたちと同じくらいの年の可愛らしい顔立ちの男の子で、チェキと名乗った。
彼は市場に出かけようとロビーに出てきたところで、年の近そうな二人が困っているのを見かけて思わず声をかけたらしい。
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