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走り込み
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「うーん、何が足りないんだろうなぁ」
ディアーナと共に訓練を始めて早いことで二週間。
家の前で腰掛けたディアーナはふとそんなことを口にする。
何が足りない、というのはもちろんムートの修行についてだ。
今日まで様々な筋力トレーニングを行って来た上で、確かにある程度の効果は確認できていた。
だが親方が予想しているであろう一月にはどう頑張っても届かない、このペースでは半年くらいはかかるだろう。
「もう文句ない程度に筋肉もついている、呼吸法や形の練習などはしてないからまぁ伸び代はあるとはいえ、もうかなりいい線まで行く頃合いだと思っていたのだが」
かなりいい線まで、というのはもう殆ど切ることができてもおかしくないくらいだという意味である。
自分自身の成長速度が他人とは全く違ったものであることをディアーナは自覚しているので、その点でムートを攻めるということはまずあり得ないだろう。
ムートの成長の速度を加味した上での評価だったのだが、もしかするとどこかで引っかかってしまったのやもしれない。
そんな事を考えていたディアーナの元に全身汗だくのムートが息を切らしながらやってくる。
「──っハァ、ハァっ、死ぬ。走ってきました」
「街二週は走れるようになったね、さすがムート。努力家だよ」
この街は城壁の内側を堀で少しだけ埋めているので、壁際を走ればなんの障害もなしに一周綺麗に回ることができる。
それを二回、距離にしてみればかなりのもので測っていないから正確な値は言えないが、朝から晩まで休みなしで歩き通しても顔色ひとつ変わらないムートですら走れば目の前のような状況になる程度の距離はあった。
「すいません、褒めてもらってるところ悪いんですけど、はぁっ、はあっ、一回休憩していいですか?」
「どうぞ。お水もあるよ、飲む?」
「すいません貰います」
頭から水をかけタオルを渡して汗を拭きながらディアーナは水を手渡す。
これではどちらが補助士か分かったものではないが、こういうのもなんだかそれはそれで新鮮味があって面白い。
水を飲み終え家に背中を預けると、腰を落として瀕死の形相で肩で息をするムートに対しディアーナは非常な宣告を下す。
「それじゃあ素振りしよっか」
「え!? もうですか!?」
街を二周も走って来た相手に対して一切の優しさを見せることはなく、ディアーナは次のメニューを始める。
「速いに越した事はないよ、筋肉なんて虐めてなんぼだから。大丈夫、ちゃんと体つきはそのまま筋力量だけ増やすメニュー組んであるから体型に変化は出ないよ」
「それってそんなに重要な事じゃないのでどうでも良かったりするんですけどね……」
冒険者として生きてきた中で、やっておけばよかったということは積極的にムートにはやってもらっておくようにしている。
真冬の山での長距離行軍からやけに強い魔物と戦った時はディアーナも死を覚悟したものだ、正直あれと同じ事をもう一度したら死ぬ気さえする。
倒れているムートの手を掴み起こすと、ムートもなんとかして立ち上がった。
「まぁとりあえず一回振るってみ?」
「分かりました。石ころ相手に剣を振るのも慣れてきた感じありますね」
そこらから拾ってきた石を手にするとそれを左手で軽く宙に投げ、ムートはすぐさま抜刀した木刀でその石に剣を振り抜く。
乾いた音を立てて石はバラバラに砕けるが、破片は大きいし力任せな振り方は整ってきてはいるがまだまだ荒さも目立つ。
「──はぁッ!!」
「うーん、剣筋も悪くないし勢いもいいんだけどね。何が足りないんだろ?」
「僕にはとてもじゃないですがわかりませんね」
「まぁとりあえずそうだな、もう一回走り込んできてよ、それまでに練習メニュー考えておくからさ」
「──えっ!?」
走らせておけばとりあえず体力はつくだろう。
そうして驚きと絶望の表情をさせながら、ムートは街中を直走るのだった。
せめてディアーナの思考がいつもと同じ程度回っていれば休ませてもらえたのかもしれないが、彼女もまた一度考え始めると凝り性になってしまうのだろう。
/
そんな風にしてムートが街を走り始めて数分後、全力疾走ではなく流す程度で走っていたムートの元へ珍しく顔見知りがやってくる。
「あっ! ムート! 探してたんだよ?」
白銀の髪を肩まで伸ばし、伊達なのか度が入っているのか未だに分からない眼鏡をかけたその女性は走るムートに併走しながら声をかける。
しんどさに誰に話しかけられたか一瞬判別がつかず訝しげな顔をしていたムードだが、相手が誰かわかるとその足を止めて女性に対して笑顔を見せた。
「誰かと思ったら…久しぶり! この街に来てたなら家まで来てくれたらよかったのに」
「冒険者組合で依頼を受けてたらいつかばったり会うかなって思ってたんだけど、何日待ってもムート組合に来ないからさ」
「ごめんリベリー。最近はずっと家にいたからさ」
リベリーと呼ばれた女性はムートの仕事仲間、つまりはこの街には一人もいないとされている女性の補助士である。
女性の補助士はその役回り上、どうしてもなることが男性よりも難しい。
奉仕の精神を強要することによって性的な嫌がらせを受けたり、時には仕事終わりに文句をつけてきたりすることも多々あるだろう。
そんなこんなで女性の補助士は極めて珍しく、依頼できるのも一部の冒険者だけであったりと特別路線で売りに出しているのだ。
そんな彼女はムートが家にいたと口にしたことで驚いたような表情を見せる。
「怪我でもしたの…?」
なんのこともなくムートは社畜だと思われているので、あまりの勤勉さに数日間家でゴロゴロとしているだけで怪我を疑われてしまうのだ。
それだけいままでムートが休む事も忘れて仕事に励んでいたという証拠だが、なんだか口にして問いただされると微妙な気持ちである。
「ううん、修行してるんだ。新しく装備を作ってもらうためにね、魔鉱を切れるくらい強くならないといけないから」
「魔鉱を!? ムートは凄いね、前はまだまだこんなちっちゃかったのに」
リベリーがそう言って指標にするのはいまのムートの腰あたりの身長だ。
「リベリーだって僕とそんな変わらないでしょ?」
「私は貴方より二歳も年上なのよ? しっかりと敬いなさいな」
「リベリーで二歳年上? 嘘でしょ」
「あっ! 言ったな~! 怒っちゃうよ?」
まるで姉弟の様な関係を二人が築けているのは、ムートも彼女も冒険者組合ではほんの少しばかり浮いた存在であるという共通点があるからだろう。
お互い話が盛り上がったのはやはりそこだし、こうして喋っていてディアーナ以外に心地いいと感じる相手はリベリーだけである。
手をわきわきとさせながら怒ったフリをするリベリーを見て、そう言えばちょうどいいやとばかりにムートはとある提案をした。
「丁度よかった、捕まえられるなら捕まえてみてよ。捕まえれたら今日の夜ご飯作ってあげる」
「本当に!? 手加減しないわよ?」
「どうせ追いつけないからいいよー」
「ほんっと生意気になっちゃって」
補助士として仕事をしている以上リベリーにもそれ相応の体力はある。
二周走った後というハンデを抱えた上で、そこから走ったらどうなるのか。
遊びついでに自分の限界に挑戦したムートはのんとか辛勝したのだった。
「はあっ、はあっ、はあっ、ムート早くなったわね」
「リベリーもう息切らしてるの? 速いね~そんなんじゃ食べられちゃうよ?」
余裕を見せるがムートも内心倒れてしまいたいほどの疲労感に包まれている。
だが膝を折れないのは勝負に勝ったから余裕を見せたいというお子様な考えが故で、だからこそムートはバレない様に背中を家に預けて呼吸を整えていた。
「私は冒険者相手じゃなくて、商人専門の補助士だからこんなもんでいいのよ!」
「いつのまに商人専門に?」
「最近ここら辺治安悪くってね、やってられないのよ」
気が付かないうちにどうやら商人専門になっていたらしい彼女だが、たしかに冒険者組合への依頼で商人から補助士へと依頼が来ることはそう珍しくもないので悪い判断ではないだろう。
金持ちが多く移動も冒険者を雇っていることが多い商人は、補助士達からしてみれば良い取引先でもある。
どうやら楽しく日々を過ごしているらしいリベリーの姿に喜んでいると、ふとムートの後ろから誰かがやってくる気配がした。
「ムート、そちらの方は?」
「ディアーナさん、中まで声聞こえてましたか? この人はリベリー。僕の補助士仲間です」
「補助士のリベリーです。ええっと…もしかしてムートの彼女さんですか?」
金色の髪で目元が隠れており身体の線を消すような服を着ているので性別は分かりづらいが、声からしておそらくは少女だろう。
ディアーナに対してなんとも言えない表情を口元に浮かべながらそんなことを口にするリベリーを前にして、ディアーナは落ち着いて言葉を返す。
「冒険者のディアーナですよろしく。君にはそう見えるのかな?」
「ちょ、ディアーナさん悪ふざけは酷いですって! リベリーも若干信じたような顔しないでよ!」
焦り始めるムートだがディアーナとしてはその反応を見れただけで十分だ。
焦って弁明しようとするムートの姿が面白くて笑ってしまうディアーナだったが、意外な事にムートよりもリベリーが先に隠してはいるが冷たい声音でディアーナに言葉をかける。
「ならこの方は? ムートにお姉さんって居ないよね?」
「僕が専属契約を組んだ冒険者のディアーナさんです」
「よろしくネ」
ムートが煽ってきたり怒ってきたりする分にはディアーナも面白く返せる自信があるが、初対面の女の子を前にして更に煽るような神経はさすがにディアーナも持っていない。
それに専属契約というのはなるべく周囲に認知して貰えた方が何かとディアーナとしても楽だ。
ディアーナはわざわざ他の人から言葉をかけられる機会を減らせるし、ムートはディアーの専属としての名誉がついて回るのでお互いに利益がある。
しかしリベリーが驚いたのはディアーナと契約を結んだ事ではなく、結んだ事自体だったようだ。
「ムートついに専属契約したの!? あれだけ専属契約断ってたのに!?」
「それ密かに秘密にしてたんですよ…」
リベリーが驚いた理由はムートが専属依頼を断っていたのに、ディアーナと契約を結んだ事。
ムートはディアーナがその事を知らないと思っていたようだが、ディアーナはムートと会う前にムートについてあらかたの情報を調べ終えてからであっている。
なので当然その事も知っているのだ。
「知ってるよ? ムート私の初依頼の前日の依頼主にも専属契約匂わされてたもんね?」
「なっ──何故それを」
「何かあると不味いからって事前に調べられちゃってたからねぇ、ムートの事は実は会う前から知ってたよ」
「ディアーナさんの事信頼するのやめちゃいそうです」
ぷくりと頬を膨らませながら拗ねるムートは年相応の可愛らしい表情を見せる。
ここ最近の訓練で前よりも顔がしっかりとしてきたが、それでもまだまだ可愛いものだ。
英雄の家系の人間として生きてきたディアーナは基本的に家の人間以外を信用しないように教育されて生きており、ムートを事前に調べたのもその一環に過ぎないのだが彼にその事実を伝える必要はない。
「それは悲しいなぁ、せっかくとっておきの技を教えてあげようと思ったのに」
「……まぁ、僕もまだ秘密はありますからね、別に知られてまずい話でも無かったですし今回のは無かった事にしておきます」
ただそんな事を知ってからしらずか、ムートは驚くほど簡単にディアーナのことを許す。
実際のところ彼に取っては知られて恥ずかしいだけなので教えてもらえるのだったら気にしなくても良い、それくらいのものなのだろうがそんな反応もディアーナとしてみればありがたいものだ。
「相変わらず分かりやすいねムート」
「黙っててよリベリー!」
「んーなんだかなぁ」
ただそれでも男女の出汁に使われるのは納得がいかないようで、ディアーナは仲良く言葉を交わすムートとリベリーの間に割って入る。
「どうかしましたディアーナさん?」
「いや、別にね。それで秘密の能力だが、ムートには特別に仙道の指導を私からしてあげよう」
ディアーナの聞きなれない言葉に頭の上に疑問符を浮かべるムート。
それも無理はないだろう、この技は冒険者だって知らない人間も多くいる。
自信満々に話し始めようとしたディアーナだったが、そんなディアーナの言葉を遮る少女がここには一人。
「仙道ですか!?」
「リ、リベリーちゃん物知りだね。もしかして知っているの?」
「商人の方の補助士として生きていく上で、何度か耳にした事はあります。
古武術や実践系の格闘技で使われる肉体強化の法であるとか、扱い方が難しく様々な流派があるとも」
「そう。肉体強化を魔法の力を流用して行う事で、人間の体を魔物にも引けを取らないほどの強靭なものへと変貌させる秘術。
ちなみに一般公開されていないのにはしっかりと理由があって、限界を超えて使うとまともに動くことすらできなくなるからだよ」
知られていたのは意外だが、説明が楽になったからここはよしとしよう。
ディアーナが話に出した仙道の力はかつて英雄たちが無意識に使っていた力、ディアーナが武器を召喚する能力も仙道の一種と言える。
扱い方としてはかなり面倒な力に分類はされるが、それだけ扱う事に成功すれば強力な力を手に入れることができる技でもある。
ここ最近筋力強化に努めるようディアーナがムートに指示を出していたのは、仙道を使い始めるのに必要な土壌作りのためだ。
「仙道……そんな力が」
「赤銀以上の冒険者はほとんど持っているけれど、それ以下の冒険者はその名前すら聞いたことのないほどの秘匿中の秘匿。
リベリーちゃんがこの事を知っていた事自体驚きに値するよ」
「私は商人に付いているだけあって情報戦が得意なので、それを目的に雇ってくれる人もいるんですよ?」
冒険者の補助士と商人につく補助士が仕事名は同じでもやる事は全くちがうという知識くらいはあるものの、ここまで耳が広い人間というのも珍しいものだろう。
「ムートの周りには面白い補助士がたくさんいるね。まぁとりあえず仙道についての説明は今日の夜にでも、とりあえずお昼ご飯を食べようか」
「今日は俺が作るねディアーナさん。リベリーにご飯食べさせてあげないといけないし」
「久々に君の料理が食べられるのは嬉しいね」
ここ最近料理はディアーナが作っていたので、ムートの手料理を食べる機会は減っていた。
自分で作る料理もそれはそれで美味しさがあるのだが、やはり慣れている人間が作る料理というのはまたそれはそれで良いものだ。
「別に言ってくれればいつでも作ったのに……ってどうしたのリベリー」
「えっ? 二人って一緒に住んでるの?」
「うん、いろいろとする上で一緒に住んでた方が楽だったからさ、リベリーも今日は泊まっていくでしょ?」
ジロリと睨むような視線が自分の方に向かってくるのを感じて、ディアーナは面白そうにリベリーへと目線を返す。
それは勝ち誇るような顔、端正な顔から放たれる煽り顔は人の神経を逆撫でさせるには十分だ。
「まぁリベリーちゃん、ゆっくりしていきなよ」
勝ち誇った顔のままにディアーナは家へと向かって歩いていく。
背中に突き刺さるような視線を感じながらも、ディアーナの表情は楽しそうなものだった。
ディアーナと共に訓練を始めて早いことで二週間。
家の前で腰掛けたディアーナはふとそんなことを口にする。
何が足りない、というのはもちろんムートの修行についてだ。
今日まで様々な筋力トレーニングを行って来た上で、確かにある程度の効果は確認できていた。
だが親方が予想しているであろう一月にはどう頑張っても届かない、このペースでは半年くらいはかかるだろう。
「もう文句ない程度に筋肉もついている、呼吸法や形の練習などはしてないからまぁ伸び代はあるとはいえ、もうかなりいい線まで行く頃合いだと思っていたのだが」
かなりいい線まで、というのはもう殆ど切ることができてもおかしくないくらいだという意味である。
自分自身の成長速度が他人とは全く違ったものであることをディアーナは自覚しているので、その点でムートを攻めるということはまずあり得ないだろう。
ムートの成長の速度を加味した上での評価だったのだが、もしかするとどこかで引っかかってしまったのやもしれない。
そんな事を考えていたディアーナの元に全身汗だくのムートが息を切らしながらやってくる。
「──っハァ、ハァっ、死ぬ。走ってきました」
「街二週は走れるようになったね、さすがムート。努力家だよ」
この街は城壁の内側を堀で少しだけ埋めているので、壁際を走ればなんの障害もなしに一周綺麗に回ることができる。
それを二回、距離にしてみればかなりのもので測っていないから正確な値は言えないが、朝から晩まで休みなしで歩き通しても顔色ひとつ変わらないムートですら走れば目の前のような状況になる程度の距離はあった。
「すいません、褒めてもらってるところ悪いんですけど、はぁっ、はあっ、一回休憩していいですか?」
「どうぞ。お水もあるよ、飲む?」
「すいません貰います」
頭から水をかけタオルを渡して汗を拭きながらディアーナは水を手渡す。
これではどちらが補助士か分かったものではないが、こういうのもなんだかそれはそれで新鮮味があって面白い。
水を飲み終え家に背中を預けると、腰を落として瀕死の形相で肩で息をするムートに対しディアーナは非常な宣告を下す。
「それじゃあ素振りしよっか」
「え!? もうですか!?」
街を二周も走って来た相手に対して一切の優しさを見せることはなく、ディアーナは次のメニューを始める。
「速いに越した事はないよ、筋肉なんて虐めてなんぼだから。大丈夫、ちゃんと体つきはそのまま筋力量だけ増やすメニュー組んであるから体型に変化は出ないよ」
「それってそんなに重要な事じゃないのでどうでも良かったりするんですけどね……」
冒険者として生きてきた中で、やっておけばよかったということは積極的にムートにはやってもらっておくようにしている。
真冬の山での長距離行軍からやけに強い魔物と戦った時はディアーナも死を覚悟したものだ、正直あれと同じ事をもう一度したら死ぬ気さえする。
倒れているムートの手を掴み起こすと、ムートもなんとかして立ち上がった。
「まぁとりあえず一回振るってみ?」
「分かりました。石ころ相手に剣を振るのも慣れてきた感じありますね」
そこらから拾ってきた石を手にするとそれを左手で軽く宙に投げ、ムートはすぐさま抜刀した木刀でその石に剣を振り抜く。
乾いた音を立てて石はバラバラに砕けるが、破片は大きいし力任せな振り方は整ってきてはいるがまだまだ荒さも目立つ。
「──はぁッ!!」
「うーん、剣筋も悪くないし勢いもいいんだけどね。何が足りないんだろ?」
「僕にはとてもじゃないですがわかりませんね」
「まぁとりあえずそうだな、もう一回走り込んできてよ、それまでに練習メニュー考えておくからさ」
「──えっ!?」
走らせておけばとりあえず体力はつくだろう。
そうして驚きと絶望の表情をさせながら、ムートは街中を直走るのだった。
せめてディアーナの思考がいつもと同じ程度回っていれば休ませてもらえたのかもしれないが、彼女もまた一度考え始めると凝り性になってしまうのだろう。
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そんな風にしてムートが街を走り始めて数分後、全力疾走ではなく流す程度で走っていたムートの元へ珍しく顔見知りがやってくる。
「あっ! ムート! 探してたんだよ?」
白銀の髪を肩まで伸ばし、伊達なのか度が入っているのか未だに分からない眼鏡をかけたその女性は走るムートに併走しながら声をかける。
しんどさに誰に話しかけられたか一瞬判別がつかず訝しげな顔をしていたムードだが、相手が誰かわかるとその足を止めて女性に対して笑顔を見せた。
「誰かと思ったら…久しぶり! この街に来てたなら家まで来てくれたらよかったのに」
「冒険者組合で依頼を受けてたらいつかばったり会うかなって思ってたんだけど、何日待ってもムート組合に来ないからさ」
「ごめんリベリー。最近はずっと家にいたからさ」
リベリーと呼ばれた女性はムートの仕事仲間、つまりはこの街には一人もいないとされている女性の補助士である。
女性の補助士はその役回り上、どうしてもなることが男性よりも難しい。
奉仕の精神を強要することによって性的な嫌がらせを受けたり、時には仕事終わりに文句をつけてきたりすることも多々あるだろう。
そんなこんなで女性の補助士は極めて珍しく、依頼できるのも一部の冒険者だけであったりと特別路線で売りに出しているのだ。
そんな彼女はムートが家にいたと口にしたことで驚いたような表情を見せる。
「怪我でもしたの…?」
なんのこともなくムートは社畜だと思われているので、あまりの勤勉さに数日間家でゴロゴロとしているだけで怪我を疑われてしまうのだ。
それだけいままでムートが休む事も忘れて仕事に励んでいたという証拠だが、なんだか口にして問いただされると微妙な気持ちである。
「ううん、修行してるんだ。新しく装備を作ってもらうためにね、魔鉱を切れるくらい強くならないといけないから」
「魔鉱を!? ムートは凄いね、前はまだまだこんなちっちゃかったのに」
リベリーがそう言って指標にするのはいまのムートの腰あたりの身長だ。
「リベリーだって僕とそんな変わらないでしょ?」
「私は貴方より二歳も年上なのよ? しっかりと敬いなさいな」
「リベリーで二歳年上? 嘘でしょ」
「あっ! 言ったな~! 怒っちゃうよ?」
まるで姉弟の様な関係を二人が築けているのは、ムートも彼女も冒険者組合ではほんの少しばかり浮いた存在であるという共通点があるからだろう。
お互い話が盛り上がったのはやはりそこだし、こうして喋っていてディアーナ以外に心地いいと感じる相手はリベリーだけである。
手をわきわきとさせながら怒ったフリをするリベリーを見て、そう言えばちょうどいいやとばかりにムートはとある提案をした。
「丁度よかった、捕まえられるなら捕まえてみてよ。捕まえれたら今日の夜ご飯作ってあげる」
「本当に!? 手加減しないわよ?」
「どうせ追いつけないからいいよー」
「ほんっと生意気になっちゃって」
補助士として仕事をしている以上リベリーにもそれ相応の体力はある。
二周走った後というハンデを抱えた上で、そこから走ったらどうなるのか。
遊びついでに自分の限界に挑戦したムートはのんとか辛勝したのだった。
「はあっ、はあっ、はあっ、ムート早くなったわね」
「リベリーもう息切らしてるの? 速いね~そんなんじゃ食べられちゃうよ?」
余裕を見せるがムートも内心倒れてしまいたいほどの疲労感に包まれている。
だが膝を折れないのは勝負に勝ったから余裕を見せたいというお子様な考えが故で、だからこそムートはバレない様に背中を家に預けて呼吸を整えていた。
「私は冒険者相手じゃなくて、商人専門の補助士だからこんなもんでいいのよ!」
「いつのまに商人専門に?」
「最近ここら辺治安悪くってね、やってられないのよ」
気が付かないうちにどうやら商人専門になっていたらしい彼女だが、たしかに冒険者組合への依頼で商人から補助士へと依頼が来ることはそう珍しくもないので悪い判断ではないだろう。
金持ちが多く移動も冒険者を雇っていることが多い商人は、補助士達からしてみれば良い取引先でもある。
どうやら楽しく日々を過ごしているらしいリベリーの姿に喜んでいると、ふとムートの後ろから誰かがやってくる気配がした。
「ムート、そちらの方は?」
「ディアーナさん、中まで声聞こえてましたか? この人はリベリー。僕の補助士仲間です」
「補助士のリベリーです。ええっと…もしかしてムートの彼女さんですか?」
金色の髪で目元が隠れており身体の線を消すような服を着ているので性別は分かりづらいが、声からしておそらくは少女だろう。
ディアーナに対してなんとも言えない表情を口元に浮かべながらそんなことを口にするリベリーを前にして、ディアーナは落ち着いて言葉を返す。
「冒険者のディアーナですよろしく。君にはそう見えるのかな?」
「ちょ、ディアーナさん悪ふざけは酷いですって! リベリーも若干信じたような顔しないでよ!」
焦り始めるムートだがディアーナとしてはその反応を見れただけで十分だ。
焦って弁明しようとするムートの姿が面白くて笑ってしまうディアーナだったが、意外な事にムートよりもリベリーが先に隠してはいるが冷たい声音でディアーナに言葉をかける。
「ならこの方は? ムートにお姉さんって居ないよね?」
「僕が専属契約を組んだ冒険者のディアーナさんです」
「よろしくネ」
ムートが煽ってきたり怒ってきたりする分にはディアーナも面白く返せる自信があるが、初対面の女の子を前にして更に煽るような神経はさすがにディアーナも持っていない。
それに専属契約というのはなるべく周囲に認知して貰えた方が何かとディアーナとしても楽だ。
ディアーナはわざわざ他の人から言葉をかけられる機会を減らせるし、ムートはディアーの専属としての名誉がついて回るのでお互いに利益がある。
しかしリベリーが驚いたのはディアーナと契約を結んだ事ではなく、結んだ事自体だったようだ。
「ムートついに専属契約したの!? あれだけ専属契約断ってたのに!?」
「それ密かに秘密にしてたんですよ…」
リベリーが驚いた理由はムートが専属依頼を断っていたのに、ディアーナと契約を結んだ事。
ムートはディアーナがその事を知らないと思っていたようだが、ディアーナはムートと会う前にムートについてあらかたの情報を調べ終えてからであっている。
なので当然その事も知っているのだ。
「知ってるよ? ムート私の初依頼の前日の依頼主にも専属契約匂わされてたもんね?」
「なっ──何故それを」
「何かあると不味いからって事前に調べられちゃってたからねぇ、ムートの事は実は会う前から知ってたよ」
「ディアーナさんの事信頼するのやめちゃいそうです」
ぷくりと頬を膨らませながら拗ねるムートは年相応の可愛らしい表情を見せる。
ここ最近の訓練で前よりも顔がしっかりとしてきたが、それでもまだまだ可愛いものだ。
英雄の家系の人間として生きてきたディアーナは基本的に家の人間以外を信用しないように教育されて生きており、ムートを事前に調べたのもその一環に過ぎないのだが彼にその事実を伝える必要はない。
「それは悲しいなぁ、せっかくとっておきの技を教えてあげようと思ったのに」
「……まぁ、僕もまだ秘密はありますからね、別に知られてまずい話でも無かったですし今回のは無かった事にしておきます」
ただそんな事を知ってからしらずか、ムートは驚くほど簡単にディアーナのことを許す。
実際のところ彼に取っては知られて恥ずかしいだけなので教えてもらえるのだったら気にしなくても良い、それくらいのものなのだろうがそんな反応もディアーナとしてみればありがたいものだ。
「相変わらず分かりやすいねムート」
「黙っててよリベリー!」
「んーなんだかなぁ」
ただそれでも男女の出汁に使われるのは納得がいかないようで、ディアーナは仲良く言葉を交わすムートとリベリーの間に割って入る。
「どうかしましたディアーナさん?」
「いや、別にね。それで秘密の能力だが、ムートには特別に仙道の指導を私からしてあげよう」
ディアーナの聞きなれない言葉に頭の上に疑問符を浮かべるムート。
それも無理はないだろう、この技は冒険者だって知らない人間も多くいる。
自信満々に話し始めようとしたディアーナだったが、そんなディアーナの言葉を遮る少女がここには一人。
「仙道ですか!?」
「リ、リベリーちゃん物知りだね。もしかして知っているの?」
「商人の方の補助士として生きていく上で、何度か耳にした事はあります。
古武術や実践系の格闘技で使われる肉体強化の法であるとか、扱い方が難しく様々な流派があるとも」
「そう。肉体強化を魔法の力を流用して行う事で、人間の体を魔物にも引けを取らないほどの強靭なものへと変貌させる秘術。
ちなみに一般公開されていないのにはしっかりと理由があって、限界を超えて使うとまともに動くことすらできなくなるからだよ」
知られていたのは意外だが、説明が楽になったからここはよしとしよう。
ディアーナが話に出した仙道の力はかつて英雄たちが無意識に使っていた力、ディアーナが武器を召喚する能力も仙道の一種と言える。
扱い方としてはかなり面倒な力に分類はされるが、それだけ扱う事に成功すれば強力な力を手に入れることができる技でもある。
ここ最近筋力強化に努めるようディアーナがムートに指示を出していたのは、仙道を使い始めるのに必要な土壌作りのためだ。
「仙道……そんな力が」
「赤銀以上の冒険者はほとんど持っているけれど、それ以下の冒険者はその名前すら聞いたことのないほどの秘匿中の秘匿。
リベリーちゃんがこの事を知っていた事自体驚きに値するよ」
「私は商人に付いているだけあって情報戦が得意なので、それを目的に雇ってくれる人もいるんですよ?」
冒険者の補助士と商人につく補助士が仕事名は同じでもやる事は全くちがうという知識くらいはあるものの、ここまで耳が広い人間というのも珍しいものだろう。
「ムートの周りには面白い補助士がたくさんいるね。まぁとりあえず仙道についての説明は今日の夜にでも、とりあえずお昼ご飯を食べようか」
「今日は俺が作るねディアーナさん。リベリーにご飯食べさせてあげないといけないし」
「久々に君の料理が食べられるのは嬉しいね」
ここ最近料理はディアーナが作っていたので、ムートの手料理を食べる機会は減っていた。
自分で作る料理もそれはそれで美味しさがあるのだが、やはり慣れている人間が作る料理というのはまたそれはそれで良いものだ。
「別に言ってくれればいつでも作ったのに……ってどうしたのリベリー」
「えっ? 二人って一緒に住んでるの?」
「うん、いろいろとする上で一緒に住んでた方が楽だったからさ、リベリーも今日は泊まっていくでしょ?」
ジロリと睨むような視線が自分の方に向かってくるのを感じて、ディアーナは面白そうにリベリーへと目線を返す。
それは勝ち誇るような顔、端正な顔から放たれる煽り顔は人の神経を逆撫でさせるには十分だ。
「まぁリベリーちゃん、ゆっくりしていきなよ」
勝ち誇った顔のままにディアーナは家へと向かって歩いていく。
背中に突き刺さるような視線を感じながらも、ディアーナの表情は楽しそうなものだった。
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