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魔法のような化学

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兵舎へと戻り、頭から水をかぶって服を着替えると痛む体を無視しながらハーライトは体を横にする。
清潔なシーツに清潔なベッドが用意されている事に感謝しながら横になったハーライトだったが、目を開けていれば痛みに身体が悲鳴を上げて閉じれば妄想に心を傷つけられていく。
眠れなくなってからどれくらいが経ったのかすら覚えていないが、それでもハーライトは寝ようと努力をする。

(クソッ……何が騎士だ。自分がしなければならないことも満足にできないくせに、他人からの羨望が欲しいだなんて)

拳を握りしめてベッドへと叩きつけてもギシリと硬い感触が帰ってくるばかり。
力をこめて目を瞑るハーライトの鼻にふとキツイ薬品のような物の匂いが感じられてうっすらと目を開ける。

「やぁ、お目覚めかい?」
「ーーーー!!」

声にならない悲鳴が自分の内側から飛び出していくのをハーライトは感じていた。
月明かりが逆光になってよく分からないが、確実に言えることは寝ている自分の枕元に誰かが立っていると言う事実。
そしてその人間が何かをしたのか先程まで気怠さからバタバタとさせていた手足がピクリとも動かないと言うことである。

ギョロリとこちらを見つめる両の目は青く光り輝いており、ハーライトの頬を冷たく冷え切った汗がゆっくりと垂れていく。
声の主の指だろう、視界の外から出てきたそれはハーライトの汗を拭き取るとそのまま目の近くでピタリと止まった。
そのまま潰されるのではないか、そんな恐怖にハーライトが怯えていると声の主は話を続ける。

「まずは自己紹介と行こう、私の名前はウィズダム・アルディート=アルディ。
役職としては王国研究機関特別顧問研究官であり人造強化人間制作委員会実行実務長だ、分かりやすく言えば何か危ない事をしている危ない人間だと思ってくれればいい」

言われなくても人の寝込みに現れて目の横に鋭い爪を置くような人間を普通の人だと思えるほどハーライトは図太くない。
頷こうと仕草だけでも見せたハーライトに対して、どこか気にいるところがあったのか嬉しそうにふふっと笑うとウィズダムは顔の上から手を離す。

「な、なぜ私のところにそんな人が?」

滑舌はハーライトが思っているよりも悪いはずだ。
舌が上手く回っているような気もせず言葉にすらなってあるのか怪しいところだが、それでもウィズダムはハーライトの意図を察してくれたようである。

「私が君のところに来たのは理由が二つある。一つ目は君が居なくても困らない人間であること、二つ目は野心と復讐心を人並み以上に持っているからだ」

改めて居なくても困らない人間であると言われれば心に来るものがあるが、居なくて困らない人間という方が少ないだろう。
そう思えばまだほんの少しだけ心がマシになるという物だ。
後者に関して言えばハーライトに心当たりがないわけではなかった。
野心と言われると疑問は感じられるが、復讐心という点に関して言えば自分の胸の内にある黒い物こそがその正体だろう。

「先程私は君に自己紹介した通り人の体を改造することに関してある程度の知識と技術を持っている。
君が力を望むのであれば、君に力を与えることもやぶさかではない。ただしこの実験は健康的な生活を送ることはまず不可能だし、最悪の場合はなんの効果もなく毎日薬を飲まなければいけない可能性すらあるだろう。
それでもいいと言うのであればこの手をとりたまえよ」

常識的に考えれば断る事しかないような提案。
一生管を身体に通したような生活を送るか、いままで通りの生活を送るかと聞かれれば普通の人間は前者を選ぶだろう。
いくら軍の関係者であるとは言え方法も確立されていない実験など失敗を前提とするような物、失敗してそれから話が始まるような物である。

ただそんな事を分かりきった上でウィズダムがハーライトの元に来たのはそれでもハーライトが受けると言う予感があったからだ。
そしてその夜間の通りにハーライトはウィズダムの提案をまるで悪魔に囁かれでもしたかのように魅力的な提案だと感じていた。
まともに訓練して毎日努力を積み重ねていようとも、たった一度の敗北で動かない人間に休みながら剣を振っても30分が限界の人間にすら踏みにじられている現状を変えられる可能性は彼女の手をつかむしか手に入れる方法はない。

「本当に……本当にこの手を取れば俺は強くなれるのか?」
「君が実験に協力的であるかどうか、問題はそれ次第だが少なくとも現状が大きく変わるという事だけは保証しよう」
「強くなれるとは保証してくれないのか?」
「科学に絶対はない。どうしても強くなりたいなら協会に行って形だけの石像の元で毎日時間を無駄に浪費すればいい、そうすればいつかリスクなく強くなれるかもしれないぞ?」

リスクなく強くなろうとするなど子供だから許される夢の話。
強くなるには奇跡などというあいまいなものに頼ることは許されず、日々の努力の積み重ねと才能にほんの少しの外的要因によって人は強くなるのだ。
それを無理やり促進させようとするのだから、リスクを味わうのは仕方のないことである。
ウィズダムからしてみればそんな当たり前のことを改めて口にすることすら面倒なことではあるが、そうやって宣言されてようやくハ—ライトも決心がつくというものだ。

「分かった。俺の体を好きにしてくれ、それで強くなれるなら俺はそれでいい」
「これで契約成立だね。今はそこで眠るといい、明日指定の場所に来てくれ。それでは」

声が遠ざかっていくと同時にゆっくりと気配も感じられなくなる。
まるで夢のようだった少しの時間、さっきまでのことが夢だったかのように感じられるが、少なくとも先程までよりゆっくりと眠ることができるのだった。
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