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一章

公用語

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 森での土木工事を終え、二日間の間休息を取っていた翔はその後また再び岩の町へと戻っていた。
 隣にはラグエリッタの姿は見えるもののマリスの姿がないが、その理由は森の守護者として森から出られなかったからだ。

 王都から何日前に勇者が出たかは定かではないが、メティスの見立てではそろそろ来てもおかしくないだろうとの事だった。
 翔としても諸事情あってこの街に寄りたい用事があったので、メティスからの情報収集をしてこいという提案は都合の良いものだ。

「それにしても人使いが荒いよな龍王様は」

「おいそこ、聞こえておるぞ。この偉大な我の眷属となったのだから、もっと敬って言葉を発するが良い」

 周りに聞かれない程度に小さな声でぼやいたら翔の言葉に返答したのは、他の誰でもない龍王メティスである。
 もちろんメティス自体がこの街に来たわけではなく、魔法的な力を使って翔の体の一部を乗っ取っているのだ。

 自分の手の内側に口と目が生えていることに奇妙な違和感を感じつつ、これもまた未知の体験かと納得しながらも翔は不自然に見られぬように歩きながら言葉を返す。

「視覚の共有がしたいからって頼み込んできたから引き受けただけですよ、仕事終わったら強制的に剥がしますからね。
 こんな違法な取引普段なら絶対引き受けませんから」

「ま、まぁまぁそういうでない。もし今回の事が上手く済んだら我の知識を授けてやるから。だからいいだろう?」

 こんな奇妙な状況に翔が陥った理由は、龍との間に魔法的なつながりを作ったからだ。
 自分より立場が上の人間と交渉するときに必要な技能はただ一つ、相手に引け目を感じさせることである。
 今回に限っては街に入れないメティスが自分の目や耳で聞かなければ判断がつかないとごね、その結果翔が利き腕を使えなくなるというハンデを背負っているのである程度のお願いならば聞いてもらえるだろうと言う算段があった。

 自分の利益のためであればそれくらいの事はする、メティスの知恵はもう神を頼らないと決めた翔には大きなパーツである。
 ちなみにラグエリッタと契約を結んでいないのは、遥か昔にメティスと土精霊が揉めた結果龍と土精霊は体質的に適合しなくなったらしい。
 街中を歩きながら無事交渉を終えた翔に対して、ラグエリッタが気になる単語を口にした。

「つまり契約っすね?」

「おい土精霊よ、こいつにいらん知識を植え付けるでない」

 ラグエリッタの声に反応して、明らかにメティスはうわずったような声に変わる。
 だがそんなメティスを逃すことなくラグエリッタは追求の手を緩めない。

「龍王とも呼ばれる立場になって人間相手にこっすい真似するの良くないと思うっすよ」

「うっ……痛いところを突きおるの。なら最初の報酬として契約について教えてやる」

 翔としては口約束程度で構わなかったのだが、なにやら知らない能力について話しているようなのであえて口は挟まない。
 ラグエリッタによって逃げ道を防がれ、これ以上は何を言っても無駄だろうと考えたメティスは素直に契約についての説明を始めた。

「契約とは魔法を用いて行われる絶対遵守される誓いじゃ。基本的に一般人が使うような代物ではないが、種族をまたいだ約束事などでは大体行われるな。
 メリットとしては破った時の罰則が大きいので、契約自体への安心度が高い所か。
 デメリットは契約を一度結ぶと最初に指定した条件をクリアしない限り永久に契約が生き続けることだな。
 期間無制限だから我のような長命種だと契約自体を忘れて罰則を受けてしまう事も珍しくない」

 契約とはこの世界で唯一の絶対遵守される規則である。
 契約相手には制限がなく、契約者間によって条件の提示と合意なされた瞬間に契約はその効力を発揮するようになるのだ。
 極端な話を言えば龍王であるメティスと最低限の知恵を持つ羽虫でも契約は成立する。

 契約は難しいものになればなるほど破った際の罰則もまた厳しくなり、最悪の結末はその命で持って契約不履行に対しての代償を支払う必要もあるのだ。
 故に契約というのはそう軽々しく結ぶものでもなく、メティスが翔にその話をしたくなかったのは契約の危険性について十分理解しているからでもあった。

「あと契約内容を口頭で伝える際に嘘をつく者もいるな。
 契約時の書面に記された内容は偽れないが、喋っている内容はどれだけでも偽れる。
 異世界から来た勇者たちに課せられる契約はそういった類のものだと聞くぞ」

「なら交渉の余地はあるかも知れないですね」

 この世界に召喚された異世界人達が、自分勝手に動かないのはなぜだろうと考えていた翔だったが、契約で縛っているのであれば話の説明はできている。
 勇者に課せられた契約内容とその報酬、それ次第によっては森を襲わないように誘導することはできるのではないだろうか。

 そんなこと考えながらふと視線をずらすと、未知の反対側から歩いてくる男の姿が目に入る。

「──あの人」

「ああ、アレが当代の王国の勇者アメノ・ハルトだ。私も見るのは初めてだがな」

 気配を悟られないようになるべく自然に、道を歩きながら世間話でもするように翔達は認識の共通を行った。
 勇者達は道ゆく人間のほとんどから視線を送られており、いまさら翔の目線が増えたところで気にしていないようだ。

 黒い髪に黒い目、やけに装飾の多い全身鎧フルプレートを着用し、お月の人間だろう兵士達を周りに侍らせる姿は中々堂に入っている。
 だが道いく人間が最も注意を向けたのは、勇者の持つその武器だ。
 腰からぶら下げられる長剣、鞘のないその武器は頭が脅威だと認識し目を離させない特性を持つ。

 状況次第ではアレと戦うことになる、そう考えるだけでもゾッとして生唾を飲み込む翔の方にごつりとした手が乗せられた。

「おっ! 兄ちゃん、また出稼ぎに来たのか?」

 翔に声をかけてきたのは採掘場にいた土精霊の一人。
 昼間から酒を飲んでいたのか少々アルコールの匂いがする彼は、翔の肩に腕を回すと楽しそうに歌まで歌い出していた。

「こんにちは。残念ですけど今日はご飯食べにきただけです、おかげさまでお金もかなり溜まりましたし」

「なんだ残念だな。まぁまたいつでもこいよ」

 背中をバンバンと叩きながら大きな笑い声をあげる土精霊を前にして、翔は油断なく勇者の動向を見守っていた。
 この街では飲んだくれた土精霊が他人に絡むというのは珍しい話ではなく、一仕事を終えて酒を楽しんでいる土精霊に付き合うのは暗黙の了解となっている。

 だから街の人間は翔達を見ても何も気にしている素振りはないが、外から来た人間である勇者がこうして土精霊と共にいる翔を前にしてどのような反応を見せるのかが気になっていた。
 視界の端で勇者を捉え続けていた翔の視界から、ふと勇者の姿が忽然と消える。

「亜人よ、人を襲うというのであれば俺の剣が貴様を殺すぞ」

 翔の肩に手を回す土精霊の首筋に、先程勇者の腰に有ったはずの剣が添えられていた。
 見方によれば確かにからんでいたように見えなくもない。
 だがだからといって部外者である勇者が治安維持隊を無視してでしゃばるような場面でもなく、はっきりいって勇者の行為はやりすぎである。

「……誰か知らないがこの人とは顔見知りなんだ、剣を向けるのはやめて貰えるかな? 
 それに会話を聞いていたのなら敵意がないことは分かったでしょ?」

「亜人の言葉なぞ分からんよ、だがまぁ知り合いだというのならば迷惑をかけた」

 迷惑をかけたとは口にするが、それは土精霊に向かって謝るのではなく翔に向かっての謝罪でしかない。
 危険である事を承知しながらも翔は勇者に向かって毅然とした態度で言葉を返す。

「謝るべきは俺じゃないだろ。剣を向けた相手に謝罪する事もできないのか?」

「君の言いたいことは最もだが、宗教の関係で頭を下げるわけにはいかないし、それに──」

「それに?」

「残念だけれど先程も言った通り僕は彼の言葉が分からないし、分かったところでそれを口にする気もないよ」

 当たり前のように認識していた土精霊達の言葉は、どうやら普通に認識できるというものではないらしい。
 だがそれだとしても相手が不快に感じていたのならば、謝るべきである。
 正義感から一歩前へと出る翔だったが、そんな翔を止めたのは剣先を向けられていた土精霊だ。

「まぁまぁ、俺は気にしてないから坊主も気にすんな。このくらい慣れたもんだ。悪かったって言っておいてやってくれねえか?」

「……悪かったと、そういっている」

「謝罪を受け入れるよ、それじゃあ悪いけれど先を急いでるから何か言いたければまた見かけたときにしてくれ」

 明らかに不服そうな翔が意訳した言葉に対して、勇者は眉ひとつ動かすことなく立ち去っていく。
 この世界で相手に対して初めて憤りを覚えたのは、相手がこの世界の出身ではなく別の世界の出身だからだろう。

「いやな奴っす」

「すまんな兄ちゃん。俺の為に体張ってくれたってのによ」

 ラグエリッタが嫌な人間だと思っているということは、同じ土精霊である彼もまた少なからず不快に向けられているはずである。
 だというのに翔と相手の仲が悪くなる事を考慮に入れて、自分から身をひかせてしまったことが翔の心に申し訳なさを産んでいた。

「いえいえ気にしないでくださいよ、本当ならあいつに謝らせたかったんです。人の俺を雇ってくれた優しい人なのに」

「所詮人ってのはああいう奴らさ。むしろ俺たちの言葉を話せるあんたの方が異端なくらいだ。俺は気晴らしに酒でも飲んでくるとするよ」

 そう言いながら立ち去っていく土精霊の背中にかける言葉が見当たらず、翔はもはや勇者も土精霊もいない場所でポツリと言葉を落とした。

「俺はてっきり言葉が通じているし、治安維持隊の人達と土精霊の人達が普通にしゃべってるから公用語で話しているとばかり」

「人は公用語を少し前、人の暦で300年くらい前に捨てたよ。
 彼らは心の底から本気で人類こそが頂点に立つべき存在であると思い込んでいるらしい。
 本当に哀れで愚かな生き物だよ」

 メティスの口からこぼされた言葉になった感情は、純度100%の哀れみだ。
 長い年月を生きてきたからこそ感じるものがあるのだろう。
 世界中の人間に通じる言葉を捨てて、己こそが最上の存在であると信じ込み言葉を捨てた人類。

 そんな人類が呼び出した異世界人だというのだから、先ほどの男の姿にも納得がいく。

「でもカケルさんは公用語しゃべれるから好きっすよ。親方もそれを気に入って仕事を引き受けてたっすから」

「ああ、あれはそういう事だったの」

 初めて自分がトールキンの鍛冶屋に赴いた際に、挨拶のできる承認だと言われた事を翔は思い出す。
 いくら土精霊を下に見ているとしても、取引相手に挨拶もしないということがあるのだろうか。
 そう考えていた翔だったが、実際のところは公用語を喋れたというところに重きが置かれていたのだ。

「あの勇者をいまから尾行するというのも手段の一つだが、そう上手く話が行くとも思えん。
 情報収集もあの勇者たちがすでにこの街にいる以上、やっていればそのうち彼らの耳にも入ってしまうだろう」

「お手上げ状態ってことっすか」

「いや、そうでもない。私は叡智の二つ名を持つ龍だぞ? 奥の手というものは隠し持っているのさ。さあ我の案内通りに進むがよい」

 情報収集という点に関して言えばもう撤退してもいいのかもしれない。
 元よりこの辺りに勇者が来ているかの確認をしたかっただけであり、勇者がいる事を両の目で確認できた以上は無理をして探す意味もないのだ。
 ただメティスにはもう一つ、この街に来たのだからやっておきたいことがあった。
 何か考えがあるのであれば、叡智の二つ名を持つメティスのいう事を聞いておいた方がいいのは明白。
 翔はメティスの出してくる指示を聞きながら、自分のやっておきたい用事についても算段を立てるのだった。
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