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荒くれ者達のたまり場であり、この世界の失業者たちの最後の砦でもあり、そして英雄が生まれる職業。
300年前にはなかったこの世界の未知を探求することを要求される仕事であり、少年少女がいつか自分もすごい人物になりたいと願う場所。
そんな冒険者組合の扉を今日また新しく二人の人物が叩く。
「ここが冒険者組合ねぇ」
「傭兵達の集う場所……というにしては治安がそこまで悪くないな」
冒険者には見た目が奇抜なものが多い。
それは依頼者に自分の事を覚えてもらうためであり、同時に自分が他の人物とは違うと誇示するためである。
だがいま先ほど組合へとやってきた二人組は、見た目こそ地味な成りでありながらこの場にいる人間全員に何か違うと思わせるだけの物を持っていた。
それがなんであるのかを周りの面々が見定めようとする中、二人は視線の雨にさらされながらまるでそれが当然の事であるかのように受付まで足を進める。
「ようこそ冒険者組合へ! 本日はどのようなご用件ですか?」
受付嬢を前にしてヘクターはどうしようかと一瞬考える。
冒険者になる方法が分からない以上はそこから聞かなければいけないのだが、その後の展開がどうなるか予想が付かなかったからだ。
だがここで止まっていてもどうにもならないと判断したヘクターはなるべく自然体を装って言葉を続ける。
「仕事が欲しいんだ。何か討伐するような依頼はあるか?」
「依頼ですね。冒険者組合のカードはお持ちでしょうか?」
「持っていない」
(まずったか……?)
一瞬視線をエスペルに送ってみれば、彼女は問題ないと言いたげに続けることを促すようなジェスチャーをする。
ここまでくれば途中でやめる事の方が不自然だろう。
「でしたら住民票かこの街に入ってきたときの身分証明書などを提示ください」
「それもないな」
「……失礼ですが、どうやってこの街に?」
疑問は疑惑に変わり、そして机の下で何か手を動かし始めた受付嬢を前にしてヘクターは反射的に逃げようとするが、それをエスペルは手で止めるとつい少し前に使った時と同じようにヘクターの手を取って魔法を発動する。
「ふむ。不味いか、魅了。こちらの男はヘクター、私はエスペルだ。悪いが冒険者組合のカードとやらを作ってくれないか」
「はい……分かりました」
魔族の中でも一部の物しか使えない高位呪文。
人外の魅了はたとえ目や耳が聞こえない生物相手でも有効打になり、精神的な防御の術を持っていないものではたとえどれだけの精神力を持っていたとしてもいともたやすく傀儡になる。
本能に訴えかける魔法である以上防ぐことは困難であり、一瞬目が虚ろになったかと思うと受付嬢は何の不自然もなく作業を継続し始めた。
注意深く観察していればその動き方にどこかぎこちなさを感じることができるだろうが、魅了は本人に直接作用する魔法であるため例えばこの状況で他の人物が目の前の受付嬢に話しかけたとしても受付嬢は普段通りの行動をする。
合わせてヘクターが上から幻影魔法をかけて彼女の挙動の違和感や先程の問答で出来た微妙な空気感を消せば、この場にいる誰も気が付くことはできない。
「便利だなそれ」
「お前のこの幻影魔法もな。合わせ技が早すぎて驚きだ、本当にずっと一人で戦ってきたのか?」
「一人で戦ってきたからこそできる芸当ってことだよ」
「――お二人分のギルドカードはこちらになります。ルールはこちらの紙に、依頼はこちらをご用意させていただきました」
「どうも。それじゃあいつも通り仕事を頼むよ」
依頼書を手にしたエスペルとヘクターは、組合証を手渡しでももらうと足早に立ち去る。
追ってくる気配がなく、誰にも不審に思われて居なさそうだと判断したのち二人は渡された依頼書の内容を確認して居た。
「それでどんな依頼が?」
「緑鬼種退治らしい。これがこの世界では割とポピュラーな討伐依頼なのだろうな」
「あいつら無限に湧いてくるからなぁ……どうやらホーム登録している街から出る分には止められないようだし、素直に外に出てあいつら探すか」
「そうだな」
街中に緑鬼種がいるわけもなく、街の外に出るために二人は街の中と外を隔てる門へと向かって歩いていく。
ここに来た時はバレない様に門の上を通り抜けてきているので、こうして合法的に都市から出入りするというのは初めての経験だ。
都市の外へと向かう列に並び、いまかいまかと順番を待っていればすぐにその時は訪れる。
「ハイ次」
「冒険者二人。緑鬼種狩だ」
「見ない顔だな。最近登録したばっかりか?」
「つい先日な。金が無いからこうして頑張って仕事しに来たわけだ」
「ふむ……少々ここで待っていろ。おーい!」
何度となく訪れる危機はそれだけ不安定な状況にいる証だ。
互いに顔を見合わせて、二人はその脅威的な実力を忘れてしまったかの様に焦った表情を浮かべる。
「なんか不味ったか?」
「別に問題はないはずだ。最悪先ほどと同じようにすればいいだろう」
「それもそうか」
だが対抗策はある。
最悪を想定し、この街から外へと出ることを行動想定に入れながら二人がそうして待っていると、先ほどの兵士がどこかで見た様な顔をした人物を三人連れてきたではないか。
男が二人に女が一人、風貌からして冒険者の先輩といったところだろう。
「こちらの方は?」
「冒険者ランク銀の夜明けの剣のメンバーだ。ちょうどこの人物達も緑鬼種討伐に行くらしいからな、ついていくといい。話はつけておいた」
「イェラよ! 初心者がいきなり緑鬼種退治は危険なんだからね」
「これも神の思し召し、ファリスと申します」
「アーデンだ。アンタ達名前は?」
肩を組んで来かねないほどにフレンドリーな三人を前にして、ヘクターは状況を理解する。
戦場においてもよくあったことだが死者が最も増加する傾向にあるのは初戦だ。
どれだけ訓練をして居たとしても実地での殺し合いを経験したことがない新兵はよくやらかすので、ベテランがそばにつき暴走しない様に見張るのである。
なぜやるのか理解できる以上理由もなく断ることができないのはわかり切っているので、ヘクターは素直に彼等を受け入れることにした。
「ヘクターです」
「エスペルだ、よろしく」
「よろしくな! 同じ冒険者同士仲良く行こうぜ」
「ええまぁ……それでついてくるんですよね?」
「付いてくるんじゃなくて付いて行かせてもらうんだぞ。彼らは先輩冒険者、君らも学ぶことは多いだろう」
ここまで言われてしまっては仕方がない。
既に拒絶モードに入っているエスペルの代わりにヘクターは渋々と頷いた。
「分かりました。それなら学ばせてもらいます」
「いいってことよ」
「報酬の話は後々しましょう」
いやだろうがなんだろうが仕事は仕事。
さっさと行って帰ってくるつもりだったが、いまの人間がどの様な闘い方をするのかは気になるところである。
先行して歩く三人組と距離を空けて歩いていると、隣を歩いていたエスペルが前の三人にばれないように話しかけてきた。
「どうするんだヘクター」
「付いて行かないわけにもいかないでしょさすがに……あそこで無視してたら干されるよ?」
「人というのは面倒だな、二人なら今頃終わって帰れているぞ」
「それはそうだけどさぁ」
走っていって帰ってくるだけなら既に終わって居ただろう。
今日の夜には調査のために街を探索する予定だったので、大幅に計画が狂ったことにはなる。
だがヘクターとしては相手が100%善意で手伝ってくれていることがわかっているので、邪険にするということもできかねて居た。
そうして二人だけで喋っていれば当然コミュニケーションを取る様に勧めている冒険者は、完全に二人きりの空気を作られる前に割って入ってくる。
「二人はどこから来たの?」
「グランシア王国の辺境です、そこでずっと二人で鍛えながら生活していました」
「あそこからわざわざこっちに来てたってことはやっぱり目的は冒険者家業で一旗揚げる事か?」
「向こうの地域は騎士が強いから冒険者の仕事もろくにないっていうものね」
世間知らずであることを不審に思われない様にと、冒険者組合に向かう前にヘクターとエスペルは二人である程度設定を練って居た。
片田舎に住んで二人で研鑽を重ねて居たというのもその設定の一つであり、互いの関係性はそこまで緻密に詰めているわけではないがざっくりとした世界観は既に共有できている。
「まぁそんなところですね」
「そう言えばヘクターさんは剣を持っていますが、剣で戦うんですか?」
「これ折れないので使ってるんですけど、武器は大体なんでも使えますよ。ファリスさんは?」
「私はもっぱら祈祷です。うちだとイェラの狙撃銃が戦闘ではメインの武器ですね」
「これすごいでしょ、高かったんだから」
祈祷で戦う人物は神官と呼ばれ、服装こそヘクター達の時代とは違うが基本的には変わりないだろう。
ただイェラと呼ばれる女性が持っている狙撃銃という武器に関しては、ヘクターは何も知識を持ち合わせて居なかった。
木の筒の様に見えるそれからは何かの薬品の様な臭いが感じられるが、武器としてどうやって使われるかと聞かれると疑問が大きく残るところである。
「俺らのパーティーの仕事十回分くらいの値段したのはきつかったけど、実際やっぱり銃は強いな」
「アンタ値段の話どんだけすんのよ」
「それだけきつかったってこと。そういえばエスペルちゃんは武器を何も持っているように見えるけど大丈夫? 荷物持ち役でも気をつけないと襲われちゃうよ?」
「私は基本的に素手だ、あと戦闘もやる」
「エスペルちゃん戦うの!?」
銃について深く考えて居たヘクターを他所に会話は進んでいた様で、エスペルが戦っているという事実から三人はヘクターを白い眼で見るが本人はなんのことかわかって居ない様だ。
ヘクターとしては子供が戦うことになんら抵抗はないのだがここは平和な世の中、冒険者という危険な家業をして居ても子供に武器すら持たせずに戦闘をやらせるとなれば白い目で見られるのも仕方のないことである。
一方そんなことを気にして居ない様子のエスペルは、胸の前で腕を組んで自慢げに鼻を鳴らして居た。
「これでも中々やるんだぞ? ヘクターとだっていい勝負をしたことがある」
「剣使いといいモンクといいさすがあの国から来たって感じねぇ」
急降下していくヘクターの株とは対照的にしっかりとした子供だという評価をつけられる元魔王様。
そうして大体お互いに会話できる程度の仲になってから歩いて30分ほどだろうか。
街道から少し逸れて歩き続けた結果いつのまにか森に入ったヘクター達は、獣道を通りながらいくつかのポイントを点々としていると、ふと視界の端に何やら人影のようなものが映る。
「おい、緑鬼種がいたぞ」
視界の端に映ったのは今回の目標である緑鬼種。
身長は1メートルほど、十二体で群れを成して行動しており人の目ではその雌雄を判別することは難しい。
肉付きはよく一見人のように見えるがその緑がかった肌と赤い目が人ではないことを知らしめており、手に持っている武器は森で拾ったものか彼等が獲物から奪い取ったものだ。
知性は人に比べれば低いが待ち伏せや人質なども取ることがある十分に危険な相手である。
少なくとも新米の冒険者が二人で挑むような敵ではない。
「あれが緑鬼種?」
「もしかして敵が何かも分かってないのに依頼を受けたの? 最近の受付嬢適当になったって本当だったのね」
先ほどまでに比べてピリピリとしているのは、命をかける現場を前にして彼女が真面目になっている証だ。
草木に紛れるために身をかがめ、機会を伺いながら冒険者達は戦闘を前に己の持つ武器に力を込める。
「……イェラが打つと同時に出るぞ」
「ああ分かった」
何かが炸裂する音と共に緑鬼種の一体が地面に倒れ伏した。
それはイェラが撃った狙撃銃の一撃であり、緑鬼種が倒れるのを見て二人の冒険者がいつも通り緑鬼種を倒そうと足を伸ばした途端。
「――は?」
声が漏れたのは一体どちらだったろうか。
イェラに脳天を撃たれて絶命した緑鬼種が倒れるよりも早く、残りの全ての緑鬼種の頭部が地面へと投げ捨てられる。
何が起きたのかを理解することすら困難なまでの速度によって繰り出されたそれらの攻撃は、ヘクターとエスペル両名によって巻き起こされたものだ。
三人の冒険者達はそれを直接目で追えたわけではないが、だが確かにそうだと言えるのは血飛沫の中二人がまるで当然のことのように立っているからである。
「見た目の変化はびっくりしたけど、切った感じあんまり変わってないな」
「食性が豊かになったことで体のサイズが大きくなっただけのようだな。脅威とはいえん」
魔力を失ったとは言え魔族としての基本性能を持つエスペルの拳は、意図も容易く緑鬼種の体を引きちぎる。
見た目にに使わない程の強さに恐怖する三人を他所に、二人は見慣れた緑鬼種とは随分と変わったそれに興味を示していた。
二人の中のイメージとして緑鬼種はまるで棒のような手足をしており、鋭い爪や牙で攻撃するような特性を持って居た。
だが目の前にいた緑鬼種はといえば全くもって違うものであり、二人が緑鬼種だと認識できなかったのも仕方のないことなのかもしれない。
「いまどうやって──いや、そもそもなんだいまの?」
「剣士ならあれくらい見えただろ? 身体強化も使ってないし」
「おいヘクター、もしかしたらいまどきの剣士は戦い方が違うんじゃないか?」
「あぁ……確かにそうかもな、しくったか?」
戦い方を見ればその人物が辿ってきた軌跡というのも大まかにはわかる。
どうやら目で追えていない様なので詳細な戦闘は見られていなかっただろうが、速さではなく技で相手を倒すことが主流になっているのではとヘクターは考えた。
実際問題は二人の異質な強さに驚いているだけなのだが、本人達としてはこれでもまだ押さえている方である。
「お強いんですねお二人は」
「び、ビックリしたぜマジで。なぁ!?」
「え、ええそうね! こんな強い人達と一緒に戦えて光栄だわ!」
先ほどまでとは打って変わり反応の中に若干の怯えと期待感が入り混じっている三人組は、パチパチと手を叩きながらヘクター達を褒め称える。
二人ともそれに慣れているのかそんな三人組の行動を特に気にしている様子はなく、むしろ不審がられなくてラッキーだとでも良いたげだ。
「ちょっとだけ待っといてくださいね! 魔石の回収だけするんで!」
「手伝いますよ?」
「あ、いえいえ大丈夫です!」
魔石というものが何かよく分かっていないヘクター。
だがなんとなく空気が悪くなっているのを察して作業の手伝いを申し出るが、丁重にそれでいて力強く拒否されてしまったので深く追及することもできない。
ヘクターたちから十分な距離を取り相手に会話が聞かれない事を確認すると、三人組は突然湧いて出たチャンスについてお互いに話し合いを始め出す。
「おいおいどうすんだよ」
「声が大きい。静かにしなさいよ」
「そうは言ってもなぁ」
「同じ冒険者同士、ここで繋がりを作っておけばおこぼれに預かれるとの神からの思し召しです」
冒険者にとって最も大切なのは横のつながりだ。
彼らがそれを大切にするかは別として、少なくとも案内役として関係性を持てたのは他の冒険者に対して大きなアドバンテージを取れているといってもいい。
この地に来たばかりの強者とつながりを持てることに対して三人ともおこぼれにあずかろうという思想を共有した三人は、次にどうやってその利益を相手に不審がられれずに手に入れるかという部分にシフトしていた。
「アンタのところの神様いっつも思ってたけど適当すぎじゃない?」
「とりあえず、あの二人が化け物なのは確定した。そこでだ、アソコに行こうと思う」
「本気!? 流石にいくら強いとはいえあと10人くらいは欲しいわよ?」
「大丈夫だって、最悪ヤバくなれば逃げればいいだけだし」
「神は言ってます、儲け話を逃すなと」
リスクはあるがそれ以上にリターンは計り知れず、三人組は危険であることを承知の上で話を進めていく。
一方そのころそんな三人組に置いてけぼりにされているヘクターたちは、会話に割って入ることもできず暇そうに時間を潰していた。
「全部聞こえてるのだが、言わないほうがいいのだろうな」
「それが優しさってもんだよエスペル」
ヘクターたちにとっても先立つものは必要であり、頻繁に冒険に出なければいけないほどお金に切羽詰まっている状況というのは好ましくない。
こうしてちょうどよく利害が一致した結果、本来は緑鬼種の討伐依頼という依頼内容であったにも関わらず彼らはもっと危ない橋を渡り始める。
「お二人にいい儲け話があるのですが……」
目の前に吊られた利益を手に入れたいという欲を、顔に仮面を張り付けて何とか見て見ぬふりをする神官を前にエスエペルは初めて彼らの目の前で笑顔を見せる。
こうして日は徐々に沈んでいくのであった。
300年前にはなかったこの世界の未知を探求することを要求される仕事であり、少年少女がいつか自分もすごい人物になりたいと願う場所。
そんな冒険者組合の扉を今日また新しく二人の人物が叩く。
「ここが冒険者組合ねぇ」
「傭兵達の集う場所……というにしては治安がそこまで悪くないな」
冒険者には見た目が奇抜なものが多い。
それは依頼者に自分の事を覚えてもらうためであり、同時に自分が他の人物とは違うと誇示するためである。
だがいま先ほど組合へとやってきた二人組は、見た目こそ地味な成りでありながらこの場にいる人間全員に何か違うと思わせるだけの物を持っていた。
それがなんであるのかを周りの面々が見定めようとする中、二人は視線の雨にさらされながらまるでそれが当然の事であるかのように受付まで足を進める。
「ようこそ冒険者組合へ! 本日はどのようなご用件ですか?」
受付嬢を前にしてヘクターはどうしようかと一瞬考える。
冒険者になる方法が分からない以上はそこから聞かなければいけないのだが、その後の展開がどうなるか予想が付かなかったからだ。
だがここで止まっていてもどうにもならないと判断したヘクターはなるべく自然体を装って言葉を続ける。
「仕事が欲しいんだ。何か討伐するような依頼はあるか?」
「依頼ですね。冒険者組合のカードはお持ちでしょうか?」
「持っていない」
(まずったか……?)
一瞬視線をエスペルに送ってみれば、彼女は問題ないと言いたげに続けることを促すようなジェスチャーをする。
ここまでくれば途中でやめる事の方が不自然だろう。
「でしたら住民票かこの街に入ってきたときの身分証明書などを提示ください」
「それもないな」
「……失礼ですが、どうやってこの街に?」
疑問は疑惑に変わり、そして机の下で何か手を動かし始めた受付嬢を前にしてヘクターは反射的に逃げようとするが、それをエスペルは手で止めるとつい少し前に使った時と同じようにヘクターの手を取って魔法を発動する。
「ふむ。不味いか、魅了。こちらの男はヘクター、私はエスペルだ。悪いが冒険者組合のカードとやらを作ってくれないか」
「はい……分かりました」
魔族の中でも一部の物しか使えない高位呪文。
人外の魅了はたとえ目や耳が聞こえない生物相手でも有効打になり、精神的な防御の術を持っていないものではたとえどれだけの精神力を持っていたとしてもいともたやすく傀儡になる。
本能に訴えかける魔法である以上防ぐことは困難であり、一瞬目が虚ろになったかと思うと受付嬢は何の不自然もなく作業を継続し始めた。
注意深く観察していればその動き方にどこかぎこちなさを感じることができるだろうが、魅了は本人に直接作用する魔法であるため例えばこの状況で他の人物が目の前の受付嬢に話しかけたとしても受付嬢は普段通りの行動をする。
合わせてヘクターが上から幻影魔法をかけて彼女の挙動の違和感や先程の問答で出来た微妙な空気感を消せば、この場にいる誰も気が付くことはできない。
「便利だなそれ」
「お前のこの幻影魔法もな。合わせ技が早すぎて驚きだ、本当にずっと一人で戦ってきたのか?」
「一人で戦ってきたからこそできる芸当ってことだよ」
「――お二人分のギルドカードはこちらになります。ルールはこちらの紙に、依頼はこちらをご用意させていただきました」
「どうも。それじゃあいつも通り仕事を頼むよ」
依頼書を手にしたエスペルとヘクターは、組合証を手渡しでももらうと足早に立ち去る。
追ってくる気配がなく、誰にも不審に思われて居なさそうだと判断したのち二人は渡された依頼書の内容を確認して居た。
「それでどんな依頼が?」
「緑鬼種退治らしい。これがこの世界では割とポピュラーな討伐依頼なのだろうな」
「あいつら無限に湧いてくるからなぁ……どうやらホーム登録している街から出る分には止められないようだし、素直に外に出てあいつら探すか」
「そうだな」
街中に緑鬼種がいるわけもなく、街の外に出るために二人は街の中と外を隔てる門へと向かって歩いていく。
ここに来た時はバレない様に門の上を通り抜けてきているので、こうして合法的に都市から出入りするというのは初めての経験だ。
都市の外へと向かう列に並び、いまかいまかと順番を待っていればすぐにその時は訪れる。
「ハイ次」
「冒険者二人。緑鬼種狩だ」
「見ない顔だな。最近登録したばっかりか?」
「つい先日な。金が無いからこうして頑張って仕事しに来たわけだ」
「ふむ……少々ここで待っていろ。おーい!」
何度となく訪れる危機はそれだけ不安定な状況にいる証だ。
互いに顔を見合わせて、二人はその脅威的な実力を忘れてしまったかの様に焦った表情を浮かべる。
「なんか不味ったか?」
「別に問題はないはずだ。最悪先ほどと同じようにすればいいだろう」
「それもそうか」
だが対抗策はある。
最悪を想定し、この街から外へと出ることを行動想定に入れながら二人がそうして待っていると、先ほどの兵士がどこかで見た様な顔をした人物を三人連れてきたではないか。
男が二人に女が一人、風貌からして冒険者の先輩といったところだろう。
「こちらの方は?」
「冒険者ランク銀の夜明けの剣のメンバーだ。ちょうどこの人物達も緑鬼種討伐に行くらしいからな、ついていくといい。話はつけておいた」
「イェラよ! 初心者がいきなり緑鬼種退治は危険なんだからね」
「これも神の思し召し、ファリスと申します」
「アーデンだ。アンタ達名前は?」
肩を組んで来かねないほどにフレンドリーな三人を前にして、ヘクターは状況を理解する。
戦場においてもよくあったことだが死者が最も増加する傾向にあるのは初戦だ。
どれだけ訓練をして居たとしても実地での殺し合いを経験したことがない新兵はよくやらかすので、ベテランがそばにつき暴走しない様に見張るのである。
なぜやるのか理解できる以上理由もなく断ることができないのはわかり切っているので、ヘクターは素直に彼等を受け入れることにした。
「ヘクターです」
「エスペルだ、よろしく」
「よろしくな! 同じ冒険者同士仲良く行こうぜ」
「ええまぁ……それでついてくるんですよね?」
「付いてくるんじゃなくて付いて行かせてもらうんだぞ。彼らは先輩冒険者、君らも学ぶことは多いだろう」
ここまで言われてしまっては仕方がない。
既に拒絶モードに入っているエスペルの代わりにヘクターは渋々と頷いた。
「分かりました。それなら学ばせてもらいます」
「いいってことよ」
「報酬の話は後々しましょう」
いやだろうがなんだろうが仕事は仕事。
さっさと行って帰ってくるつもりだったが、いまの人間がどの様な闘い方をするのかは気になるところである。
先行して歩く三人組と距離を空けて歩いていると、隣を歩いていたエスペルが前の三人にばれないように話しかけてきた。
「どうするんだヘクター」
「付いて行かないわけにもいかないでしょさすがに……あそこで無視してたら干されるよ?」
「人というのは面倒だな、二人なら今頃終わって帰れているぞ」
「それはそうだけどさぁ」
走っていって帰ってくるだけなら既に終わって居ただろう。
今日の夜には調査のために街を探索する予定だったので、大幅に計画が狂ったことにはなる。
だがヘクターとしては相手が100%善意で手伝ってくれていることがわかっているので、邪険にするということもできかねて居た。
そうして二人だけで喋っていれば当然コミュニケーションを取る様に勧めている冒険者は、完全に二人きりの空気を作られる前に割って入ってくる。
「二人はどこから来たの?」
「グランシア王国の辺境です、そこでずっと二人で鍛えながら生活していました」
「あそこからわざわざこっちに来てたってことはやっぱり目的は冒険者家業で一旗揚げる事か?」
「向こうの地域は騎士が強いから冒険者の仕事もろくにないっていうものね」
世間知らずであることを不審に思われない様にと、冒険者組合に向かう前にヘクターとエスペルは二人である程度設定を練って居た。
片田舎に住んで二人で研鑽を重ねて居たというのもその設定の一つであり、互いの関係性はそこまで緻密に詰めているわけではないがざっくりとした世界観は既に共有できている。
「まぁそんなところですね」
「そう言えばヘクターさんは剣を持っていますが、剣で戦うんですか?」
「これ折れないので使ってるんですけど、武器は大体なんでも使えますよ。ファリスさんは?」
「私はもっぱら祈祷です。うちだとイェラの狙撃銃が戦闘ではメインの武器ですね」
「これすごいでしょ、高かったんだから」
祈祷で戦う人物は神官と呼ばれ、服装こそヘクター達の時代とは違うが基本的には変わりないだろう。
ただイェラと呼ばれる女性が持っている狙撃銃という武器に関しては、ヘクターは何も知識を持ち合わせて居なかった。
木の筒の様に見えるそれからは何かの薬品の様な臭いが感じられるが、武器としてどうやって使われるかと聞かれると疑問が大きく残るところである。
「俺らのパーティーの仕事十回分くらいの値段したのはきつかったけど、実際やっぱり銃は強いな」
「アンタ値段の話どんだけすんのよ」
「それだけきつかったってこと。そういえばエスペルちゃんは武器を何も持っているように見えるけど大丈夫? 荷物持ち役でも気をつけないと襲われちゃうよ?」
「私は基本的に素手だ、あと戦闘もやる」
「エスペルちゃん戦うの!?」
銃について深く考えて居たヘクターを他所に会話は進んでいた様で、エスペルが戦っているという事実から三人はヘクターを白い眼で見るが本人はなんのことかわかって居ない様だ。
ヘクターとしては子供が戦うことになんら抵抗はないのだがここは平和な世の中、冒険者という危険な家業をして居ても子供に武器すら持たせずに戦闘をやらせるとなれば白い目で見られるのも仕方のないことである。
一方そんなことを気にして居ない様子のエスペルは、胸の前で腕を組んで自慢げに鼻を鳴らして居た。
「これでも中々やるんだぞ? ヘクターとだっていい勝負をしたことがある」
「剣使いといいモンクといいさすがあの国から来たって感じねぇ」
急降下していくヘクターの株とは対照的にしっかりとした子供だという評価をつけられる元魔王様。
そうして大体お互いに会話できる程度の仲になってから歩いて30分ほどだろうか。
街道から少し逸れて歩き続けた結果いつのまにか森に入ったヘクター達は、獣道を通りながらいくつかのポイントを点々としていると、ふと視界の端に何やら人影のようなものが映る。
「おい、緑鬼種がいたぞ」
視界の端に映ったのは今回の目標である緑鬼種。
身長は1メートルほど、十二体で群れを成して行動しており人の目ではその雌雄を判別することは難しい。
肉付きはよく一見人のように見えるがその緑がかった肌と赤い目が人ではないことを知らしめており、手に持っている武器は森で拾ったものか彼等が獲物から奪い取ったものだ。
知性は人に比べれば低いが待ち伏せや人質なども取ることがある十分に危険な相手である。
少なくとも新米の冒険者が二人で挑むような敵ではない。
「あれが緑鬼種?」
「もしかして敵が何かも分かってないのに依頼を受けたの? 最近の受付嬢適当になったって本当だったのね」
先ほどまでに比べてピリピリとしているのは、命をかける現場を前にして彼女が真面目になっている証だ。
草木に紛れるために身をかがめ、機会を伺いながら冒険者達は戦闘を前に己の持つ武器に力を込める。
「……イェラが打つと同時に出るぞ」
「ああ分かった」
何かが炸裂する音と共に緑鬼種の一体が地面に倒れ伏した。
それはイェラが撃った狙撃銃の一撃であり、緑鬼種が倒れるのを見て二人の冒険者がいつも通り緑鬼種を倒そうと足を伸ばした途端。
「――は?」
声が漏れたのは一体どちらだったろうか。
イェラに脳天を撃たれて絶命した緑鬼種が倒れるよりも早く、残りの全ての緑鬼種の頭部が地面へと投げ捨てられる。
何が起きたのかを理解することすら困難なまでの速度によって繰り出されたそれらの攻撃は、ヘクターとエスペル両名によって巻き起こされたものだ。
三人の冒険者達はそれを直接目で追えたわけではないが、だが確かにそうだと言えるのは血飛沫の中二人がまるで当然のことのように立っているからである。
「見た目の変化はびっくりしたけど、切った感じあんまり変わってないな」
「食性が豊かになったことで体のサイズが大きくなっただけのようだな。脅威とはいえん」
魔力を失ったとは言え魔族としての基本性能を持つエスペルの拳は、意図も容易く緑鬼種の体を引きちぎる。
見た目にに使わない程の強さに恐怖する三人を他所に、二人は見慣れた緑鬼種とは随分と変わったそれに興味を示していた。
二人の中のイメージとして緑鬼種はまるで棒のような手足をしており、鋭い爪や牙で攻撃するような特性を持って居た。
だが目の前にいた緑鬼種はといえば全くもって違うものであり、二人が緑鬼種だと認識できなかったのも仕方のないことなのかもしれない。
「いまどうやって──いや、そもそもなんだいまの?」
「剣士ならあれくらい見えただろ? 身体強化も使ってないし」
「おいヘクター、もしかしたらいまどきの剣士は戦い方が違うんじゃないか?」
「あぁ……確かにそうかもな、しくったか?」
戦い方を見ればその人物が辿ってきた軌跡というのも大まかにはわかる。
どうやら目で追えていない様なので詳細な戦闘は見られていなかっただろうが、速さではなく技で相手を倒すことが主流になっているのではとヘクターは考えた。
実際問題は二人の異質な強さに驚いているだけなのだが、本人達としてはこれでもまだ押さえている方である。
「お強いんですねお二人は」
「び、ビックリしたぜマジで。なぁ!?」
「え、ええそうね! こんな強い人達と一緒に戦えて光栄だわ!」
先ほどまでとは打って変わり反応の中に若干の怯えと期待感が入り混じっている三人組は、パチパチと手を叩きながらヘクター達を褒め称える。
二人ともそれに慣れているのかそんな三人組の行動を特に気にしている様子はなく、むしろ不審がられなくてラッキーだとでも良いたげだ。
「ちょっとだけ待っといてくださいね! 魔石の回収だけするんで!」
「手伝いますよ?」
「あ、いえいえ大丈夫です!」
魔石というものが何かよく分かっていないヘクター。
だがなんとなく空気が悪くなっているのを察して作業の手伝いを申し出るが、丁重にそれでいて力強く拒否されてしまったので深く追及することもできない。
ヘクターたちから十分な距離を取り相手に会話が聞かれない事を確認すると、三人組は突然湧いて出たチャンスについてお互いに話し合いを始め出す。
「おいおいどうすんだよ」
「声が大きい。静かにしなさいよ」
「そうは言ってもなぁ」
「同じ冒険者同士、ここで繋がりを作っておけばおこぼれに預かれるとの神からの思し召しです」
冒険者にとって最も大切なのは横のつながりだ。
彼らがそれを大切にするかは別として、少なくとも案内役として関係性を持てたのは他の冒険者に対して大きなアドバンテージを取れているといってもいい。
この地に来たばかりの強者とつながりを持てることに対して三人ともおこぼれにあずかろうという思想を共有した三人は、次にどうやってその利益を相手に不審がられれずに手に入れるかという部分にシフトしていた。
「アンタのところの神様いっつも思ってたけど適当すぎじゃない?」
「とりあえず、あの二人が化け物なのは確定した。そこでだ、アソコに行こうと思う」
「本気!? 流石にいくら強いとはいえあと10人くらいは欲しいわよ?」
「大丈夫だって、最悪ヤバくなれば逃げればいいだけだし」
「神は言ってます、儲け話を逃すなと」
リスクはあるがそれ以上にリターンは計り知れず、三人組は危険であることを承知の上で話を進めていく。
一方そのころそんな三人組に置いてけぼりにされているヘクターたちは、会話に割って入ることもできず暇そうに時間を潰していた。
「全部聞こえてるのだが、言わないほうがいいのだろうな」
「それが優しさってもんだよエスペル」
ヘクターたちにとっても先立つものは必要であり、頻繁に冒険に出なければいけないほどお金に切羽詰まっている状況というのは好ましくない。
こうしてちょうどよく利害が一致した結果、本来は緑鬼種の討伐依頼という依頼内容であったにも関わらず彼らはもっと危ない橋を渡り始める。
「お二人にいい儲け話があるのですが……」
目の前に吊られた利益を手に入れたいという欲を、顔に仮面を張り付けて何とか見て見ぬふりをする神官を前にエスエペルは初めて彼らの目の前で笑顔を見せる。
こうして日は徐々に沈んでいくのであった。
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