最果ての地を知る人よ

空見 大

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一章:1000年後の世界

故郷

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「転移完了ですの!」

白に塗りつぶされていた視界が徐々に色を思い出し始めていると、横にいたエヴィニスの娘が元気な声でそう口にした。
あたりを見てみれば視界いっぱいに広がるのは草原、周囲に何もない場所へと転移したのは転移先がそういった場所でないと転移先の物体と物理的に合体してしまう可能性があるからだ。
転移魔法の不便なところではあるが、魔王のいた地域から自分の場所までの距離を理解しているヘクターとしては必要な手順の一つにすぎない。
ここから村までは歩いていく必要があり、ヘクターはさっそくいろいろと用意をしながらエヴィニスの娘に話しかける。

「無事に転移できてよかったよ。そういえば君のことはなんて呼べばいいのかな」
「私の事は気軽にエヴィと呼んでいただいて構いませんの。お母様の前ではぜひ娘とお呼びになさってくださると嬉しいですわ」

スカートの端を掴みながら上品に一礼するエヴィの姿を見て思い起こされるのは、一番最初にみたエヴィニスの姿である。
なんとなくそんな姿に懐かしさを感じていたヘクターだったが、ふと視界の端で不機嫌そうなエスペルがいる事に気がついた。

「誰かの娘ポジションは悪いけれど先に僕がとったものだよ」
「あら、これだから魔族は嫌ですの。権利の主張だけならばサルでもできますのよ? 先に手を出した方が勝ちに決まっていますの」
「な!? なんだと~っ!」
「怒りましたの! ヘクターこの子怒りましてよ!?」
「意味もなく煽るからそうなるんだよ。しっかりと反省しな」
「そんな! 殺生ですわ!」

海王の娘だ魔王の娘だといっても所詮はまたまだ幼い子供。
ヘクターからしてみれば喧嘩に武器が出てきていない以上は仲裁をする必要性も感じられず、むしろ仲良くなるためには喧嘩もある程度は必要であると考えていた。
喧嘩している二人も放っておけばそのうち仲良くなるだろうとヘクターが考えながらゆっくりと山を目印にして自分の故郷へと足を向けていると、ふといつのまにか喧嘩を終えたのかエヴィから声がかかる。

「それでこの先にヘクターの住んでいた町が?」
「この街道沿いに進めばね。街って程の規模じゃないよ。実際は村くらいの大きさだった、業者も月に一回来るかどうかってくらいだったしね」

基本的に人の国には大きな街がいくつかあり、その下に村があるという風に出来ているがヘクターの住んでいた村は街までは行かずともそれなりに人口の多い村であった。
単純に街と呼ばれなかった理由は立地的によその人間がやってくるには少々しんどいところがあり、行商人が少なかったので商業が活発化していなかったからだ。
思い出しながら喋るヘクターの言葉に対してエヴィはどうやら興味深々のようであり、さらにヘクターへと追求する。

「人間の街には興味がありますの」
「着いたら案内するよ。さすがに知り合いは誰もいないだろうけど、人間の街ならそんなに変化もないだろうし」

もはや村が残っていない可能性も十二分に考えられるが、それでもヘクターが村がある前提で喋るのは希望的観測を捨てたくないからだろう。

「それは魅力的な提案ですわ。街道沿いに進めばつくとおっしゃっていましたけど、何か目印でもありますの?」
「向こうに見える山が目印だよ、あの山のふもとにあるんだ俺の村は」
「なるほどね。歩くのは大変だけどエヴィは大丈夫かい? どうしてもっていうのならおぶってやってもいいんだよ?」
「あら、それには及びませんことよ。私こう見えてもそれなりに動けますもの」
「ふふん、その余裕がいつまでも続けばいいね──」

胸を張りながらエヴィニ対して自慢げな態度を取るエスペルを他所に、ヘクターは歩くペースを上げていく。
そうして歩き始めてどれくらいがたっただろうか。
既に日は完全に沈みきっており月明かりが道を照らしているような状況であり、洞窟でヘクターが使っていた光源もあるので周囲の見渡しは良好であるがそれだけの時間歩いていれば疲労も積もる。
森のように歩きにくいところを歩いているわけでもなく、また走っているわけでもないので息が上がったり汗が出たりという事はなかったが、ほぼ変わらない景色の中で周囲を警戒しながら歩き続ける事で精神が徐々に蝕まられ始めていた。
しかも今となっては足も長時間の使用に耐えられなくなってきたのか徐々に悲鳴を上げ始めており、エスペルはエヴィを煽った手前休もうなどと提案することもできず無心で足を動かし続けていた。

「大丈夫かエスペル?」
「だ、大丈夫だよこのくらい。僕を誰だと思ってるんだ」
「無理はしない方がよろしくってよ。この薄い魔素の中で魔力を原動力として生きる陸上の生き物が疲弊しやすくなっているのは仕方のないことですの。そこの男がおかしいんですのよ」
「世界最高峰の山脈とかだと魔素って薄いからそれ対策で空王から教えてもらった技を使ってるんだ。
向こうについたら教える予定だけど誰でも練習すればできるようになるはずだから」

エヴィが披露していないのはその生物的特徴ももちろんあるが、一番大きいのは記憶を引き継いでいるエスペルとは違いエヴィは元が同じなので魔力の扱い方から何から全て熟知している状態なのだ。
もし大元の身体能力のみで渡り歩こうとしたならば、とっくの昔にエヴィは限界を迎えていただろう。
賞賛するべきはエヴィに弱いところを見せたくないと頑張ったエスペルだろう、彼女は素の身体能力と気合いだけで今のいままで歩いたのだから。

「どうせ人の国の朽ちかけの書物に乗っているようなニッチな魔力運用方法ですの。信頼すると痛い目にあいますのよ」
「ひどい言い草だな、クラーケン退治を一緒にした仲じゃないか」
「その報酬として海の男すべてが欲するお母様の体をほっぽり出して、使い道もない宝珠をもっていったこと忘れていませんからね」
「あれはあれでちゃんとした使い道があったんだよ?」
「僕がわからない昔の話で盛り上がらないでくれないかい!?」
「ごめんごめん、懐かしかったからさ」

馬鹿正直に正義が自分にあると本気で思い込んでいた頃のことを思い返し懐かしさからエヴィではなくエヴィニスに話しかけていたヘクターだったが、エスパルの言葉によって現実へと引き戻されて意識を取り戻す。
そうして取り戻した意識でふとヘクターは妙な違和感を覚えた。
正確な村の位置を記憶していた訳ではなかったが、距離的に考えてもそろそろ村の姿が見えてきてもいいはず。


「……そろそろついてもいいころなんじゃないか?」
「山のふもとということでしたけれど……森しか広がっていませんのね」
「そんな――いや、これが1000年の重みという事か」

だというのにどれだけヘクターが目線を動かしてもその先にあるのは森ばかりであり、人が暮らしていれば必然的に出るだろう光や火というものはどこにもみあたらない。
だとすればもはやここに村はないのだろう。
昔あったものだからいまもあると考えるのは愚かなことだ。
覚悟していたからこそなんとか受け止めることができる事実だが、それでもヘクターの心には大きな爪痕が残される。

「村が消えるのに1000年という年代は長すぎたのかもしれませんね」
「……でも何か一つくらいは残っているかもしれない。魔王城だって残っていたんだから」
「あれが残っていたとしたら神聖な力で守られていることが大きいはずですの。そんな建物が村にあれば残っているかもしれませんが」

石によって作られている建造物だとしても人の手入れが入っていない状態で雨風に晒されていれば、そのうち壊れてしまうものだ。
1000年という長い年月を越えようとすればもはやそこになんらかの力が関与しなければならないというのはしかたのない事であり、その仕方のないことというのが神聖な力というものの存在である。
神聖な建物と呼ばれて一番最初にヘクターが頭の中に浮かべたのはただ一つ、自分が勇者として選ばれたあの場所以外に他はない。

「神聖な建物なら一つだけあったはず! 確かこっちの方に……」

森の中へと足を踏み入れたヘクターは自分の記憶をたどりながらどんどんと森の奥へと進んでいく。
思い出に縋り付くようにして足を向けたヘクターがなんとか見つけたのは、崩れかけた小さな境界である。
聖なる魔力によって保護されていたにも関わらずところどころボロボロになっているその場所は、それでも確かにヘクターが子供の頃遊びにきていた場所そのままである。

「これは教会ですの?」
「よかった! あったんだ!」

まるで子供のような無邪気な笑みを浮かべながらヘクターは喜んだ。
その姿からは勇者の威厳は感じられず、年齢相応の幼さすら感じられる。
きっとこの場所に来た事でようやく勇者としてのヘクターの仕事は一つの区切りをつけることができたのだろう。

「これが俺が住んでいた村。カラルだよ」

まるで自分の宝物を紹介するように大きく手を広げながらヘクターはすたびれた教会を紹介する。
始まりの村カラル、勇者を生み出した村でありながら自然へと還ったその街に勇者はようやく帰ってくることができのだった。
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