最果ての地を知る人よ

空見 大

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一章:1000年後の世界

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「森を抜けたか」

森の中を走り始めてから三日、道中川で体を洗ったり動物に追いかけられたりといろいろありながらもなんとか勇者達は目的の場所へと辿り着いていた。
勇者達がいまいる場所は崖、眼下を見下ろせば剥き出しの山肌が見えており、高さにしておおよそ30メートルほどはありそうである。
そうしてその崖の下にはある程度の木々が生えている領域があり、その奥には大きな港町が見えた。
勇者が目的としていたのがそこであることはもはや一目瞭然であり、エスペルはようやく森での生活が一旦終わりそうだと胸を撫で下ろす。

「想定より少し時間をくってしまったけど、無事たどり着くことができたな」
「こんなところに波止場があることを知っていたのかい?」

エスペルの疑問も至極当然のものだろう。
勇者はこの世界──千年後の世界にやってきてまだ四日目、地形について詳しく知れるような時間というのはなかったはずである。
驚いた表情で問いかけたエスペルだったが、そんなエスペルに対して勇者は淡白に言葉を返す。

「それは知らなかったよ、というよりどうやってこの場所に街をつくってるんだろ。
崖になっているとはいえ崖から生き物が来ないとも限らないだろうに」

三日かけて向かった先を知らなかったと口にする勇者に驚きを隠せないエスペルだったが、確かに勇者の口にしている言葉も気にはなる。
森の直ぐそばに作られている街はまるで森からの生物を警戒していないようであり、崖から降りてくる生物は別にしてそもそも森の中から出てくる生き物に対しての対処法が欠けているように感じられた。
四つん這いになり万が一にでも落ちないように気をつけながらおそるおそる崖の下を覗き、どうやっても助かりそうにない事を確認したエスペルは勇者へと問いかける。

「とてもではないがこの高さから飛び降りることはできないと思うのだが」
「人間には難しくても魔物ならこれくらいの高さ何とかできるよ。飛行系の魔物なら高さはそもそも問題にならないし」
「ならば魔物が弱くなっていることと何か関係があるのかもしれないね

魔族でも流石に無理だという言葉がエスペルの喉の上の方まで上がってくるが、そんな魔族と戦い続けていた勇者の言葉なのだから信憑性というのは高い。
昔の魔族は凄い身体能力を持っていたんだなぁなどとエスペルは呑気に考えつつ、いまの自分ではせいぜい下の木に上手いこと引っかかって助かる事を祈るのが関の山だろうと思う。

「それで我々はどうやってここを降りるんだい?」
「まあ説明すると動けないかもしれないし、とりあえず背中につかまって」
「なんだか非常に嫌な予感がするのだが……これでいいか?」

捕まれといわれれば自分よりも外の世界について知っている勇者には素直についていくしかないのだが、会話の流れ的になんだか非常に嫌な予感がエスペルの脳裏をよぎっていく。
律儀に説明されると動けないと言われたからそれを考えないようにしていたエスペルだったが、勇者がどこからともなく取り出したロープを見てエスペルの頭の中では大きな警報が鳴り響いていた。

「ロープで縛るからいたかったら教えてね」
「ロープは大丈夫なのだが、なぜロープの端を大木に縛り付けるのだ? おい勇者よ、なぜ崖の方によっていく!?」

勇者の背中に縛り付けられていたエスペルは、先程四つん這いという無様な格好をしてまでおっかなびっくり近寄った崖の端に勇者が近寄っていくことに悲鳴をあげる。
ロープの長さから考えていまから何をするのかというのは明白なのだが、それを考えるとエスペルは自分の血の気が引いていくのを明確に感じられた。

「暴れてもどうにもならないよ。そんな緩い縛り方していないから」
「いやだ! たとえ安全だと保障されてもこれは嫌だ!」

勇者が口にする通りどれほど動いたところでロープは少したりとも緩む様子がなく、エスペルは己の数秒先の運命を予想する。
人生で初めて味わう絶望の感情は普段は気にならない事さえ気にさせ、舌が引っ込む事で喉に言いようのない閉塞感が現れた。
一歩、また一歩と勇者が崖へと近づいていくと魔王はそれに併せて全身を強く強く強張らせていく。

「そういえばエスペル、俺の名前はデウス=ヘクターって言うんだ。もし良かったら覚えてね」

空中に半歩ほど足を出しながらそんな事を口にした勇者は、とうとう崖からまるで歩き出すようにして落ちていく。
気になっていた勇者の名前という大事な情報よりも目先の危険にエスペルは瞳に大粒の涙をつけていた。

「ーーーーっ!!!」

声にならない絶叫が森の中に響き渡り、そして数秒とせずに身体にほんの少しの衝撃が訪れる。
それが崖下へと到着した時の衝撃であるという事をエスペルが理解できるのはヘクターが話しかけてからのことであった。

「どう、生きてる?」

ヘクターからの第一声に一瞬叱りつけるべきかとも考えたエスペルだったが、彼単身であればロープなど用意せずともそのまま崖からまるで森を歩くかのように飛び降りた事だろう。
自分のために用意してくれたことに対して文句を言えるほどエスペルも地に落ちたつもりはなく、少々不服に思うところがないではないが自分のためにしてくれたことに対してとりあえず感謝の言葉を述べようと決める。

「あ、ありがとう。死んでないかどうかすらわからないよ」
「喋れているってことは無事だよ」
「いますぐにでもおろしてくれ。地面の感覚を味わいたい」
「どうぞ」

勇者が腰にあった剣でロープを切ると先程までは絶対に動かないだろうと思えたロープがするりと落ちていき、エスペルの体は完全に自由になる。
勇者の身体からゆっくりとおりながら確かめるようにして何度か地面をバンバンと踏みつけたエスペルは、何かを満足したのかにっこりと笑みを浮かべるとヘクターの手をとって先程見えた街の方へと走り出した。

「あっ! ちょっとロープの回収とかいろいろやらないと!」
「構うものか! あんなところから飛び降りたと本気で思う人などどうせいないよ! それより早く海へ行こうヘクター!!」
「──分かったよ」

先程までの恐怖もまた生きているうちに感じられる楽しい感覚のうちの一つ、そう考えれば先程の体験もまた価値のあるもののように感じられる。
ヘクターの手を引きながら海へと向かって走り出したヘクターとエスペルは、近場に見えていた街の方へとは向かわずその近くにある森に面している場所へと向かっていた。
海へと寄っていくと徐々に木々もその数を減らし、気がつけば白い砂浜にヘクターとエスペルだけがいる。
エスペルは海に到着しても足を止めるようなことがなく、靴だけを脱いでそのまま海へと腰の深さほどまで入ってしまった。
もちろん服は濡れるそれに対して不思議な感覚だと興味を持ちながら、バシャバシャと自分の周りの水を跳ねさせてエスペルははしゃぎ回る。

「これが海か! なるほどなるほど」
「海に関する知識は?」
「もちろんあるよ。母様の記憶にあった海とはだいぶ様相が違うけどね」
「俺の記憶にある海もこうはなっていなかったよ」

勇者とエスペルが共通して記憶として保有している海、それは濁りもないほどに透き通っており塩辛い事を気にしなければ飲んでも気にならないほどの綺麗さであった。
だがエスペルがいま腰ほどまで入っている海はお世辞にも綺麗とは言えず、深い緑に近いその色は視覚的に見ても綺麗な状態とはお世辞にも言い難い。
どうやらこうして問題なく海の中に入れていることから毒ではないようだが、それにしたって千年の変化は驚くべきものだ。

「近海の海の主が知り合いだから多分話をつければこの海も通してもらえると思うんだけど……」
「そもそも近海の海の主って生きているのかい?」
「千年経ってるから多分死んでるけど主は代々引き継ぎ制らしいから」

千年の寿命を経て生きる生物というのはこの世界でも数少ない。
例えば魔王に分類されるような特別な王、彼らの寿命は相当に長く千年という時間も問題なく生きることができるだろう。
次に上位種族と呼ばれる者達の中でも元の種族が長生きである者、たとえば通常種でも300年ほどの年月を生きる土精霊ドワーフ森妖種エルフの上位種である上位土精霊ハイドワーフ上位森妖種ハイエルフなどであれば千年生きることもあるだろう。
だがそれ以外に千年という途方もない年月を生きる種族というのは存在せず、そのため近海の主は代替わり制度を採用しているのは現実的な話である。
とりあえず目標を近海の主にあうことに設定したヘクターは、先程崖の上から見た街の方へと視線を向ける。

「あの船出発するのか。ちょうどいいやあの船が出たら行くか」
「いや待てヘクター、あの船燃えてないかい?」
「襲撃? でも周りの反応的にあれが正常なのか?」

街から出港している船が大量の煙を吐き出しているのをみて火災なのではないかと心配する二人だったが、街の中の人間には驚いた様子などはなくそれがまるで当然かのように振る舞っているものばかりだ。
そんな周囲の反応に応えるようにして船はヘクターの知識にないほど素早く出港すると、風もあまり吹いていないというのにドンドンと進んでいく。
呆気にとられるヘクターとエスペルはそんな船が豆粒ほどまで小さくなってからようやく意識を現実へと引き戻す。

「なんだったんだあれは……。まぁいい、とりあえず近海の主のところに泳いでいこう。ここにおいていくと危ないから連れて行きたいんだけど……泳げないよね?」
「間違いなく溺れるぞ」

一応確認するかと投げかけたヘクターの言葉に対して、エスペルがぴょんと目の前の海に飛び込むとそのままぶくぶくと沈み始める。
一応水面から水が跳ねていたので泳ぐ方法、という者自体について知識はあるようだが魔王の記憶と同じ方法で泳いだところで元の身体能力に大きな乖離があるのでその通りに泳ぐというの土台無理な話だ。
足がつくので確実に溺れる事を実演したエスペルはその綺麗な髪の毛を水でベタベタに濡らしながら見事に実演して見せたわけである。

「じゃあ仕方がないからもう一回ロープを付けてもらおうかな」
「他に方法はないのかい?」
「ないね」

先程のことを考えれば正直ロープは嫌だ、だがロープをつけなければまたヘクターに迷惑をかけることになる。
一瞬戸惑ったエスペルだったが、他者に迷惑をかけることを考えれば迷いは少しの間の話だ。

「うう……わかった、乗せてくれ」

そうして再びヘクターの背中に縛り付けられたエスペルは、ヘクターの上で頭の中に湧き上がっていた疑問を口にする。

「な、なあ海の中は呼吸できないのだろう? 近海の主のところまで息が続くだろうか」
「大丈夫。俺についてる加護で同行者は水中で呼吸をしなくてもよくなるから」
「なかなか人を辞めているなヘクター」
「勇者だからね」

水中でも問題なく呼吸ができると口にしたヘクターの言葉通り、ヘクターが全身を海につけるとどうしてか無事に息ができる。
口の周りにある海水は呼吸の時だけまるでどこかへと消えてしまっているようであり、鼻から息を吸い込んでも水が入ってくることはなく、口から息を吐き出しても泡が出るようなことはない。
まさに魔法にも近い現象に周囲の景色を見る余裕もなく楽しんでいると、気がつけばいつの間にやら海水からヘクターの体が上がる。
付近は闇に包まれており魔族であるエスペルの目を持ってしても何も目に入ってこないほどの暗闇だ。
ふとヘクターが手を振るうと小さな光の球が無数に周囲に浮かび始め、辺り一体がゆっくりと照らされる。

「ここは……洞窟か?」
「海底洞窟だよ。この近郊の海の主が住んでいたはずの場所だ」

苔むし、湿気により少々ジトッとしているものの空気もあるようなので生物が生きていくことはできそうである。

「1000年前はどうしてこんなところに?」
「木のこん棒と革の鎧を渡されて食料もなしに手漕ぎボートに乗せられてたどり着いた先がここだったんだよ」
「よく生き残れたね?」

難破しているあたりどう考えても手漕ぎボートでどうにかなるような海ではなかったのだろうが、偶然にもヘクターはここへと辿り着いたという。
悪運が強いのかはたまた神にでも愛されているのだろうか。
勇者なのだから前者の方が話としては面白いが、実際ヘクターを見ている限りエスペルが受ける印象は後者のものだ。

「しぶとさだけは定評があるから。おろすよ」
「ああ、ありがとう」

そうして安全を確保してからヘクターに降ろされたエスペルがゆっくり遠くへと歩いていくと、十分ほどだろうか。
付近の景色が外と比べてあまり変わらないので時間の間隔が正確だとは言えないが、そうして向かった先に大きく開けた空間が現れる。
ゆっくりとヘクターの手元から離れていった光の球が部屋を照らすのと同時、洞窟の中で時折聞こえていた音が洞窟の中を風が通り抜けていく音だと思っていたエスペルはその考えを改めることとなった。

「ーー何者だ」

地の底から響くような声はヘクター達の目の前に現れた近海の主によるもの、先程まで聞こえていた風は彼が呼吸していた音だったのだろう。
まるで巨大な針千本のような近海の主はその体を大きく膨らませながらこちらを威嚇こそしているが、即座に戦闘になるというような事はなさそうだ。
勇者の強さを主が気がついているからか、はたまた別の理由があるのか定かではないが直ぐに先頭が起きるということはなさそうである。

「勇者デウス=ヘクター、昔ここの海の主に通行手形を貰っている」
「勇者デウスヘクターだと? 千年も前の勇者だ、戯言も体外に……いやまて、本物か?」
「これがその証だよ」

勇者が腰の袋から取り出したのは小さな貝殻、浜辺を探せば落ちていそうなものだがどうやら近海の主にとってそれは称号になり得るもののようで、それを見せた途端に主の顔つきが急激に変化する。
敵対心が感じられた先程までとは打って変わり、いまとなっては敬服するような表情をヘクターへと向けている。

「まさか……まさか本当に来るとはな。我ら海の王が愛した唯一の陸の者よ。終わりかけた海にようこそ、歓迎しよう」

気になる言葉を口にした近海の主は、ヘクターへと歓迎の言葉を述べている。
終わりかけた海の主を前にして、ヘクターは自分の目的を話し始めるのだった。
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