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一章:1000年後の世界
森の中で
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どのからか聞こえる翼の音はおそらくこの森に住んでいる生き物のものだろう。
バサバサと聞こえる翼の音はこの森の中にある日常の中の一つなのだろうが、そんな日常の中に二人の人影が現れる。
人影は片割れこそ森を歩き慣れているようだがもう片方はおっかなびっくりと森の中を歩いているようであり、そんな彼等すらも日常の一環として森は受け入れていた。
「ここが森か!」
エスペルの視界に映る森というのは、非常に新鮮なものである。
記憶としては理解していたエスペルだが、こうして五感で森を感じながら歩くのと記憶の中で歩くので歩くのとはまた違った良さがあるものだ。
膝下まで伸びている草木や頭の上でガサガサと音を立てている木の葉、そこからこぼれ落ちてくる日の光はポカポカと体を温めてくれる。
「森についての知識は持ってる?」
「木々によって形成される街のような場所だよね。知識としてはしっかりとあるよ」
「とりあえず森で生きていくのに必要な事は二つだけ、食べる事と寝ること。この二つが出来るようになれば生きていけるようになるよ」
まるでそれが簡単なことであるかのようにそう口にした勇者だが、それは規格外の勇者であるからこそ簡単に言える話である。
食糧の確保は言わずもがなであるが、寝床の確保などとてもではないがエスペルにはできそうにはない。
危険でない場所を見極める能力が足りていないということももちろんあるが、寝ている間に他の生物に襲われる可能性を排除できない以上は常に起きている必要がある。
だが起きていれば寝床を確保した意味がなく、そんな矛盾を孕んだ行為をしなければ生きていけないのがこの森という場所の危険性を表しているだろう。
森の危険度を改めて認識し、ごくりと生唾を飲み込みながらもふとエスペルはよくない考えが頭をよぎった。
生きていく術を教えるのが彼の勇者としての最後の仕事なのであれば、ある程度の情報を教えたらどこかで勝手にポックリいく可能性もないとは言い切れない。
「えっと……もしかしてその二つを教え終えた瞬間に死んだりは」
「しないよ! さすがにね。誰かに必要とされて生きていられるうちは、俺が勇者であれるうちは。
それにこの森を抜けるのも一つの目的だし」
「森を抜ける?」
「そう。俺が生きてた時代のこの森は超危険地帯で迂回することになったけど、この森を通ることができたら俺が目指してる場所まで結構な時短になるから」
どこを目指しているのか聞こうと一瞬考えたてエスペルは、だが勇者が調子良く話してくれている事を嬉しく感じてあえて口を閉じる。
勇者の言葉にコクリと頷いたエスペルが走っていく勇者の後を追いかけながら一時間くらい経っただろうか。
自分の身体能力は人と比べれば圧倒的に優位に立っているだろうと考えていたエスペルは、膝から崩れ落ちると地面に大量の汗を垂れ流しながら初めて肺が押し潰されるような感覚を味わっていた。
「は、早い過ぎやしないかい」
「爪先からじゃなくて踵から付けるんだ。滑りそうなところだけ爪先から入って行くと疲労も少なくて済むよ。このペースなら三日ほどで──」
「危ないっ!」
森の中での楽な走り方について講義を受けていたエスペルは、勇者の後ろ側から大柄な熊のような生物が近寄ってきているのを目にした。
咄嗟にバテバテの身体ではありながら無理やり力を振り絞り勇者への攻撃を庇おうとしたエスペルだったが、片手で勇者はエスペルを止めながら腰から取り出した剣で襲い掛かってきた熊を軽く撃退する。
切られてはいないので怪我はしていないようだが、剣の面で頭を叩かれた熊は情けない声を上げながら再び森の中へと消えていくのだった、
「ありがとう。だけど森の生き物に関しては気にしなくていいよ、予想通りかなり弱くなっているしね」
庇おうとしたエスペルに対して嬉しそうな顔をしながらも、勇者は自分を庇う必要がないと説明する。
確かに先程のようにエスペルの相手をしながらあいてに怪我をさせないように追い返すこともできるのであれば、よほど余裕があるのだろう。
勇者の言葉に納得したてスペルだったが、それと同時に一つ不思議なことに気がつく。
「弱くなっている?」
「空気中に存在する魔素の量が少ない。魔王が死んだからか別の原因かは定かじゃないが」
「魔素? 魔素とはなんだい?」
母親の記憶を覗いてみたエスペルだったが魔素というものに関しての記述はどこにも見当たらず、エスペルはおそらく勇者が話しているのは人間が独自に制定したなんらかの力についての話なのだろうという予想を立てる。
「魔族風に言うなら〈気〉だったかな。空気中に存在する成分の一つで、人や亜人なんかが摂取すると爆発的な力を手に入れることができる。
それがないという事は食事すらまともに取っていないような状況だし、弱いのも仕方がない事だ」
『気』といい単語が出てきたことで、エスペルもようやく勇者がなんの話をしているのかを正確に理解する。
魔族が気と呼んでいたそれは生物の中に存在する力の一つであり、勇者が口にしたようにこの世界の空気中に最も多く存在している者だ。
魔族は他の種族とは違い自分の中で気を生み出すことが可能なのだが、その他の生物はこの機能が進化しておらず平均的な強さに差が生まれている。
「空気中にあるというのなら、勇者はどうなのだ?」
「俺が使ってる力は別の力なんだ。それに魔素による身体強化は魔法を用いたものもあるけど、一番大きな要因は母体から出た時の母体の魔力量次第だよ」
「母体から出てきたときの母体の魔力量………つまり私は強いということかい?」
「強くなれる可能性があると言う方が正確な表現だね」
この世界で最恐の一角であった魔王の力を引き継いでいるのであれば、確かにエスペルは強くなれる可能性を有しているのだろう。
(そういえば勇者の母上は強かったのだろうか)
ふと気になったエスペルであったが、勇者にそれを聞く気にもなれずエスペルは話をいったん流す。
「ひとまずそういったところの詳しい話も目的地にたどりついてからにしよう。今はひとまず先に進む事に専念したい」
勇者の言葉にうなずくエスペルは、勇者から教えてもらった足運びをしながらゆっくりと森の中を進んでいくのだった。
そうして森に入ってからどれくらいの時間がたったのだろうか、日が沈み始め木々が赤く染まり始めると勇者は開けた場所を探してそこに足を止めた。
どうやら野営をここでするようであり、荷物を下ろしながら勇者は大量の汗と共に方で呼吸をするエスペルに声をかける。
「よくついてこれたね、料理の準備するからそこでゆっくりしていてよ」
「ま……任せた」
倒れ伏していたエスペルを置いてふらりと森の中に勇者が入っていくと、それから少しして勇者が向かっていった方の森が何やらざわざわとし始める。
圧倒的な捕食者が急に表れたことで逃げ惑う森の生き物が出したその音は次第に小さくなっていくと、手に鳥を三和程手にした勇者が森の中から現れた。
どうやって殺したのか分からないが傷がついていないように見えるその鳥を持って、勇者は笑顔でエスペルの方へと戻ってくる。
「初めて口にする料理が森で作った即席の料理っていうのは正直な話あんまり良くないんだけど、君が食べやすいように改良するからゆっくり味わってね」
腰にある剣を一瞬振るうと鳥は食べやすい大きさに変わり、それを近くにあった木から削りだした棒に突き刺すと湯者はゆっくりと焼き始める。
香辛料などは森で少し調達してきたのか鳥に味付けをしながらじっくりと焼いている勇者の横でエスペルはよだれを抑えるのに必死なようだった。
「いただきますでいいのかな」
「どうぞ、熱いからゆっくり食べてね」
ゆっくりと口内を動物性の油が満たしていき、美味しいという感情がエスペルの体を支配していく。
口の中で感じる暑さは命の尊さそのものであり、生きるという事を全身で感じているエスペルはこぼれるように言葉をこぼす。
「……旨っ!」
自然と表情が笑顔になっていくのはそれほどの幸福感を得られたからに他ならない。
勇者が起きてくるまでの食生活といえば酷い有様であったことを思い返しながら、エスペルはそんな料理を作ってくれた勇者へと満点の笑顔を見せた。
「これは良いね、美味しいよ。何という料理なんだい?」
「料理と呼べるほど高尚な物じゃないよ。食感のある植物の種と森に飛んでいた鳥の肉、それと薬草をいくつか入れて焼いただけ」
「卑下することはないよ、この料理は素晴らしい。美味しいよ」
心のこもった料理を味わいながらもエスペルの食べる勢いが止まることはない。
嬉しそうに食べるエスペルを見て、勇者は改めてこんな場所で作った料理がエスペルの人生初めての料理になってしまった事を悔いる。
食事は勇者にとっても心休まる数少ない時間の一つ、もし人の国に行くことがあれば美味しい料理を出そうと笑顔のエスペルをみて決意していた。
「本当は調味料なんかも欲しかったし、調理器具ももう少しマシなものがあればよかったんだけどね」
「それは仕方ないよ。美味しいものを食べさせてもらっただけ嬉しい」
他者の言葉に対して要求を出すどころか、ありがとうと感謝の言葉を述べられるエスペルを前にして勇者は言葉を詰まらせる。
勇者に向けられた人の感情というのは基本的に期待感と失望、この二つに限られていた。
成功すれば勇者だから当たり前、失敗すれば失望され蔑まれる。
そんな勇者に対して魔族の王である魔王の娘が覚えている限り勇者になってから出会った他人の中で最も優しいのはなんとも笑える話だ。
「これが魔王の娘か……やっぱ俺は間違ってたのかな」
「何か言ったかい?」
「いや何も。明日は早いからなるべくすぐに寝るように」
火を囲み始めてから1時間と少し、既に陽は完全に落ちてしまっている。
明日の朝陽が上がってきたら移動を開始する事を考えれば、いまから寝始めても良いくらいのものだ。
睡眠を進めた勇者が適当に作った寝床の上で横になるとすぐに寝息を立て始めたエスペルを横に見ながら勇者は腰にある剣を抜き取る。
「さてと、この子は寝たかな」
それをそのまま地面に突き刺すと、勇者は薄く目を開けながら木に背を預けた。
彼にとっては睡眠とはこのような状態を指すものであり、勇者と呼ばれるようになってから彼は一度たりとも横にやって眠ったことがない。
生きるために必要だからそうしていた彼からしてみるともはやこうして周りを警戒していなければ、たとえこの森にいる生物が自分を襲わないほどに戦力差があると知っていても恐ろしいのである。
「よく考えてみればまだ名前も教えてないのか──いやそもそもの話彼女の母親を殺したの俺なんだ、向こうの距離感に合わせて話し続けてあげるべきだろ」
空に輝く星々と、その星に照らされてなんとも言えない美しさを見せるエスペルの横顔を見ながら勇者は自分がするべきことを改めて認識する。
自分の命を目の前のこの少女のために使い切る。
そうして死ねばあの場で死のうとしていた今朝の自分よりもほんの少しはマシに人生を終えることができるだろう。
夜風が体を撫でていくのを感じながら、ふと勇者はそんなエスペルの横顔を見ながら言葉を呟いた。
「1人きりじゃない森の夜がこんなにも心強いとは思わなかったよ」
誰に聞かせるためでもないそれ。
きっとそれは勇者自身がずっと求めていたものだったはずだ。
仲間と共に魔王へと立ち向かい、そして帰ってきたら英雄として国の人達に迎え入れられる。
勇者として彼が望んでいたのはそんなありきたりな物語の結末であったが、世界はいままでどうやらそれほど彼に優しく接して来なかったらしい。
久しぶりの幸福に身を浸らせながら勇者は辺りの境界に努めるのだった。
バサバサと聞こえる翼の音はこの森の中にある日常の中の一つなのだろうが、そんな日常の中に二人の人影が現れる。
人影は片割れこそ森を歩き慣れているようだがもう片方はおっかなびっくりと森の中を歩いているようであり、そんな彼等すらも日常の一環として森は受け入れていた。
「ここが森か!」
エスペルの視界に映る森というのは、非常に新鮮なものである。
記憶としては理解していたエスペルだが、こうして五感で森を感じながら歩くのと記憶の中で歩くので歩くのとはまた違った良さがあるものだ。
膝下まで伸びている草木や頭の上でガサガサと音を立てている木の葉、そこからこぼれ落ちてくる日の光はポカポカと体を温めてくれる。
「森についての知識は持ってる?」
「木々によって形成される街のような場所だよね。知識としてはしっかりとあるよ」
「とりあえず森で生きていくのに必要な事は二つだけ、食べる事と寝ること。この二つが出来るようになれば生きていけるようになるよ」
まるでそれが簡単なことであるかのようにそう口にした勇者だが、それは規格外の勇者であるからこそ簡単に言える話である。
食糧の確保は言わずもがなであるが、寝床の確保などとてもではないがエスペルにはできそうにはない。
危険でない場所を見極める能力が足りていないということももちろんあるが、寝ている間に他の生物に襲われる可能性を排除できない以上は常に起きている必要がある。
だが起きていれば寝床を確保した意味がなく、そんな矛盾を孕んだ行為をしなければ生きていけないのがこの森という場所の危険性を表しているだろう。
森の危険度を改めて認識し、ごくりと生唾を飲み込みながらもふとエスペルはよくない考えが頭をよぎった。
生きていく術を教えるのが彼の勇者としての最後の仕事なのであれば、ある程度の情報を教えたらどこかで勝手にポックリいく可能性もないとは言い切れない。
「えっと……もしかしてその二つを教え終えた瞬間に死んだりは」
「しないよ! さすがにね。誰かに必要とされて生きていられるうちは、俺が勇者であれるうちは。
それにこの森を抜けるのも一つの目的だし」
「森を抜ける?」
「そう。俺が生きてた時代のこの森は超危険地帯で迂回することになったけど、この森を通ることができたら俺が目指してる場所まで結構な時短になるから」
どこを目指しているのか聞こうと一瞬考えたてエスペルは、だが勇者が調子良く話してくれている事を嬉しく感じてあえて口を閉じる。
勇者の言葉にコクリと頷いたエスペルが走っていく勇者の後を追いかけながら一時間くらい経っただろうか。
自分の身体能力は人と比べれば圧倒的に優位に立っているだろうと考えていたエスペルは、膝から崩れ落ちると地面に大量の汗を垂れ流しながら初めて肺が押し潰されるような感覚を味わっていた。
「は、早い過ぎやしないかい」
「爪先からじゃなくて踵から付けるんだ。滑りそうなところだけ爪先から入って行くと疲労も少なくて済むよ。このペースなら三日ほどで──」
「危ないっ!」
森の中での楽な走り方について講義を受けていたエスペルは、勇者の後ろ側から大柄な熊のような生物が近寄ってきているのを目にした。
咄嗟にバテバテの身体ではありながら無理やり力を振り絞り勇者への攻撃を庇おうとしたエスペルだったが、片手で勇者はエスペルを止めながら腰から取り出した剣で襲い掛かってきた熊を軽く撃退する。
切られてはいないので怪我はしていないようだが、剣の面で頭を叩かれた熊は情けない声を上げながら再び森の中へと消えていくのだった、
「ありがとう。だけど森の生き物に関しては気にしなくていいよ、予想通りかなり弱くなっているしね」
庇おうとしたエスペルに対して嬉しそうな顔をしながらも、勇者は自分を庇う必要がないと説明する。
確かに先程のようにエスペルの相手をしながらあいてに怪我をさせないように追い返すこともできるのであれば、よほど余裕があるのだろう。
勇者の言葉に納得したてスペルだったが、それと同時に一つ不思議なことに気がつく。
「弱くなっている?」
「空気中に存在する魔素の量が少ない。魔王が死んだからか別の原因かは定かじゃないが」
「魔素? 魔素とはなんだい?」
母親の記憶を覗いてみたエスペルだったが魔素というものに関しての記述はどこにも見当たらず、エスペルはおそらく勇者が話しているのは人間が独自に制定したなんらかの力についての話なのだろうという予想を立てる。
「魔族風に言うなら〈気〉だったかな。空気中に存在する成分の一つで、人や亜人なんかが摂取すると爆発的な力を手に入れることができる。
それがないという事は食事すらまともに取っていないような状況だし、弱いのも仕方がない事だ」
『気』といい単語が出てきたことで、エスペルもようやく勇者がなんの話をしているのかを正確に理解する。
魔族が気と呼んでいたそれは生物の中に存在する力の一つであり、勇者が口にしたようにこの世界の空気中に最も多く存在している者だ。
魔族は他の種族とは違い自分の中で気を生み出すことが可能なのだが、その他の生物はこの機能が進化しておらず平均的な強さに差が生まれている。
「空気中にあるというのなら、勇者はどうなのだ?」
「俺が使ってる力は別の力なんだ。それに魔素による身体強化は魔法を用いたものもあるけど、一番大きな要因は母体から出た時の母体の魔力量次第だよ」
「母体から出てきたときの母体の魔力量………つまり私は強いということかい?」
「強くなれる可能性があると言う方が正確な表現だね」
この世界で最恐の一角であった魔王の力を引き継いでいるのであれば、確かにエスペルは強くなれる可能性を有しているのだろう。
(そういえば勇者の母上は強かったのだろうか)
ふと気になったエスペルであったが、勇者にそれを聞く気にもなれずエスペルは話をいったん流す。
「ひとまずそういったところの詳しい話も目的地にたどりついてからにしよう。今はひとまず先に進む事に専念したい」
勇者の言葉にうなずくエスペルは、勇者から教えてもらった足運びをしながらゆっくりと森の中を進んでいくのだった。
そうして森に入ってからどれくらいの時間がたったのだろうか、日が沈み始め木々が赤く染まり始めると勇者は開けた場所を探してそこに足を止めた。
どうやら野営をここでするようであり、荷物を下ろしながら勇者は大量の汗と共に方で呼吸をするエスペルに声をかける。
「よくついてこれたね、料理の準備するからそこでゆっくりしていてよ」
「ま……任せた」
倒れ伏していたエスペルを置いてふらりと森の中に勇者が入っていくと、それから少しして勇者が向かっていった方の森が何やらざわざわとし始める。
圧倒的な捕食者が急に表れたことで逃げ惑う森の生き物が出したその音は次第に小さくなっていくと、手に鳥を三和程手にした勇者が森の中から現れた。
どうやって殺したのか分からないが傷がついていないように見えるその鳥を持って、勇者は笑顔でエスペルの方へと戻ってくる。
「初めて口にする料理が森で作った即席の料理っていうのは正直な話あんまり良くないんだけど、君が食べやすいように改良するからゆっくり味わってね」
腰にある剣を一瞬振るうと鳥は食べやすい大きさに変わり、それを近くにあった木から削りだした棒に突き刺すと湯者はゆっくりと焼き始める。
香辛料などは森で少し調達してきたのか鳥に味付けをしながらじっくりと焼いている勇者の横でエスペルはよだれを抑えるのに必死なようだった。
「いただきますでいいのかな」
「どうぞ、熱いからゆっくり食べてね」
ゆっくりと口内を動物性の油が満たしていき、美味しいという感情がエスペルの体を支配していく。
口の中で感じる暑さは命の尊さそのものであり、生きるという事を全身で感じているエスペルはこぼれるように言葉をこぼす。
「……旨っ!」
自然と表情が笑顔になっていくのはそれほどの幸福感を得られたからに他ならない。
勇者が起きてくるまでの食生活といえば酷い有様であったことを思い返しながら、エスペルはそんな料理を作ってくれた勇者へと満点の笑顔を見せた。
「これは良いね、美味しいよ。何という料理なんだい?」
「料理と呼べるほど高尚な物じゃないよ。食感のある植物の種と森に飛んでいた鳥の肉、それと薬草をいくつか入れて焼いただけ」
「卑下することはないよ、この料理は素晴らしい。美味しいよ」
心のこもった料理を味わいながらもエスペルの食べる勢いが止まることはない。
嬉しそうに食べるエスペルを見て、勇者は改めてこんな場所で作った料理がエスペルの人生初めての料理になってしまった事を悔いる。
食事は勇者にとっても心休まる数少ない時間の一つ、もし人の国に行くことがあれば美味しい料理を出そうと笑顔のエスペルをみて決意していた。
「本当は調味料なんかも欲しかったし、調理器具ももう少しマシなものがあればよかったんだけどね」
「それは仕方ないよ。美味しいものを食べさせてもらっただけ嬉しい」
他者の言葉に対して要求を出すどころか、ありがとうと感謝の言葉を述べられるエスペルを前にして勇者は言葉を詰まらせる。
勇者に向けられた人の感情というのは基本的に期待感と失望、この二つに限られていた。
成功すれば勇者だから当たり前、失敗すれば失望され蔑まれる。
そんな勇者に対して魔族の王である魔王の娘が覚えている限り勇者になってから出会った他人の中で最も優しいのはなんとも笑える話だ。
「これが魔王の娘か……やっぱ俺は間違ってたのかな」
「何か言ったかい?」
「いや何も。明日は早いからなるべくすぐに寝るように」
火を囲み始めてから1時間と少し、既に陽は完全に落ちてしまっている。
明日の朝陽が上がってきたら移動を開始する事を考えれば、いまから寝始めても良いくらいのものだ。
睡眠を進めた勇者が適当に作った寝床の上で横になるとすぐに寝息を立て始めたエスペルを横に見ながら勇者は腰にある剣を抜き取る。
「さてと、この子は寝たかな」
それをそのまま地面に突き刺すと、勇者は薄く目を開けながら木に背を預けた。
彼にとっては睡眠とはこのような状態を指すものであり、勇者と呼ばれるようになってから彼は一度たりとも横にやって眠ったことがない。
生きるために必要だからそうしていた彼からしてみるともはやこうして周りを警戒していなければ、たとえこの森にいる生物が自分を襲わないほどに戦力差があると知っていても恐ろしいのである。
「よく考えてみればまだ名前も教えてないのか──いやそもそもの話彼女の母親を殺したの俺なんだ、向こうの距離感に合わせて話し続けてあげるべきだろ」
空に輝く星々と、その星に照らされてなんとも言えない美しさを見せるエスペルの横顔を見ながら勇者は自分がするべきことを改めて認識する。
自分の命を目の前のこの少女のために使い切る。
そうして死ねばあの場で死のうとしていた今朝の自分よりもほんの少しはマシに人生を終えることができるだろう。
夜風が体を撫でていくのを感じながら、ふと勇者はそんなエスペルの横顔を見ながら言葉を呟いた。
「1人きりじゃない森の夜がこんなにも心強いとは思わなかったよ」
誰に聞かせるためでもないそれ。
きっとそれは勇者自身がずっと求めていたものだったはずだ。
仲間と共に魔王へと立ち向かい、そして帰ってきたら英雄として国の人達に迎え入れられる。
勇者として彼が望んでいたのはそんなありきたりな物語の結末であったが、世界はいままでどうやらそれほど彼に優しく接して来なかったらしい。
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