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幼少期編
昔の夢
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5年の月日は人から簡単に記憶を奪い取る。
覚えていようと思っていてもポロポロと剥がれ落ちていく記憶はどうやっても止められず、いまや気をつけていなければ同級生の顔すら忘れそうになる時があった。
「エルピス~。私今から外に行くから何かあったらおっきな声で呼ぶのよ?」
「うん。でもフィトゥスもいるし大丈夫だよ」
「信頼していただいて嬉しい限りですね。ちゃんとお守りしますよ、奥様もお気をつけて」
「最近自立し始めちゃって悲しいわ。まぁそう言うことだから、任せたわよ」
いまやエルピスと名前を呼ばれることにも違和感を覚えなくなってしまった。
それが良いことなのか悪いことなのか、エルピスには分からない。
ただ一つ言えることは昔の記憶を忘れてしまうのは、少し寂しいと言うことだけだ。
「さて、この後どうしますエルピス様」
「ちょっと…昼寝しようかな……今日あったかいし」
「そうですね。いい気温ですし今日はお昼寝しましょうか」
テキパキとフィトゥスが昼寝のための準備をしてくれているのを見ながら、エルピスは耐えられないほどの眠気に身体をふらふらと揺さぶっていた。
フィトゥスが寝床の準備を終えるとほぼ同時に倒れ込み、エルピスはスヤスヤと寝息を立て始めるのだった。
/
──身体が重たい。
身体中に錘をつけられ、五感全てを無理やり遮断されている様な気になる。
あまりの不快さに目を覚ましてみると、見慣れていた天井が目に入った。
シーリングライトには小さな豆電球が付いており、身体を起こすとどうやら時刻は夜のようだ。
窓の外からは車が行き交う音が聞こえ、エルピスはいま自分がどこにいるのかを理解する。
「……家?」
アルヘオ家ではない。
あそこはいつも人の気配が絶えず、暖かくて常に誰かと一緒にいられた。
だがこの部屋は人の気配もなく、冷たくて静かだ。
転移してくる前の実家、それがいまエルピスがいる場所だった。
なぜこんな所にいるのか。
なんのために苦しい思いをして全寮制の高校に入学したのか。
「──うっぷ」
気が付けば吐いていた。
近くにゴミ箱が置いてあったのが唯一の救いだ。
胃の奥の方から全てが逆流しびちゃびちゃとした水音が聞こえるのに、見てみれば吐き出したはずのものは何もない。
確実に夢だ。
夢のはずだ。
「……ねぇ」
コンコンとノックする音が聞こえ、続いて久々に聞く声が聞こえた。
すっかり忘れてしまっていた声なのに、一度聞けばどうしてこんなに簡単に思い出す事ができるのだろうか。
えずく身体を無理やり押さえつけ、エスペルはなんとか声を出す。
「──っ、なに?」
「すごい音したけど、なんかあったの?」
「ちょっと寝てたら気分悪くなっただけだよ。心配してくれるなんて珍しいな」
「別に。病院行ったら?」
それだけ言うと扉の向こうにあった気配はどこかへと行く。
せっかく夢なのだから、顔くらい見てあげたら良かっただろうか。
いなくなってから後悔しても遅いとは思いつつ、結局仲直りすることもできなかった妹のことを思う。
(そろそろか)
ちらりと時計を目にすれば嫌な時間が目に入る。
妹がここにいて、自分がこの部屋にいると言うことは、この夢はあの時の記憶を元にしているのだろう。
人生最悪の日、全てを諦めざるおえなかった日。
聞き慣れたエンジン音が家の前で止まるのを聞いて、エルピスはのそのそとした足取りで一階へと向かう。
廊下にいても分かるほど大きなテレビの音に辟易しながら、エルピスはいつもどおりの場所に座る。
廊下とリビングにあるテレビ、その間には食事用のテーブルが置かれておりエルピスが座るのはいつもそこだ。
テレビを見て寝転がる母はエルピスに声をかけることはない。
テレビの音でもかき消せないほど大きな足音が廊下の方から聞こえてくると、露骨に機嫌を悪そうにするくらいの変化だ。
「……ただいま」
帰ってきたのはいつも通り疲れた顔をした父。
エルピスのことを見つけると小さい声でそれだけ言って、冷蔵庫で食べ物を物色し始めた。
それから数分後、シャワーを浴び始めた父とさらにテレビの音量を大きくした母に挟まれながらエルピスは静かにしていた。
父がシャワーから上がり自室へと困り、母がテレビの音量を少し下げうたた寝し始めた頃、エルピスも自分の部屋に戻る。
家族がどういうものなのか、この時の自分は知らなかった。
仲良くして欲しいとそう願ってはいたけれど、小学生くらいの頃にはそんな夢も諦めた。
妹とはせめて仲良くしようとしたが、思春期特有の反抗期の様なもので随分と長い間喋れていなかった様に感じる。
(勇気を出せば、変えられたのかな)
ムリだとは思わない。
いまは違ったとしても、昔は愛し合ってきた夫婦なのだ。
もう一度よりを戻すことだってあっていいはずだ。
ベットに身体を寝かせて、エルピスは静かに目を閉じた。
△▽△△▽
「──様! エルピス様!」
体を揺さぶられることでエルピスの意識は徐々に覚醒していく。
ぼんやりと開いた目に映っていたのはフィトゥスだ。
顔を蒼白にしており何やらあわただしくしている。
視線を横に移せばヘリアにリリィ、イロアスにクリムまでいるではないか。
一体何事かと思いながらエルピスが起き上がると、悲鳴に近い声があがる。
「だ、大丈夫なのかエルピス!?」
「え? 何が?」
「何がっておまえ、それ……」
イロアスが指さしているのはエルピスの衣服だ。
一体何事かと視線を降ろしてみてみれば、まぁそれは見事に吐瀉物まみれである。
この体になってから病気にかかったことすらないので吐くというのは今生では初めての事だ。
思いがけない初体験を経たわけだが、なるほど寝ている子供がいきなり吐き始めたのであればお葬式の様なこの雰囲気も理解できる。
「うっわ、ナニコレ。ごめんフィトゥス、かからなかった?」
「私は大丈夫ですが……とりあえず医者に診てもらいましょう。いまメチル先輩が呼びに言ってくれていますから」
「いやな夢を見たから、そのせいだよ。そこまで大事にしなくても……」
夢の内容があまりにもストレスで吐いたなんて知られるのはちょっと恥ずかしい。
羞恥心から事を大事にしたくなかったエルピスだが、そんな彼に対してクリムは怒りの表情を見せる。
普段怒られることなどほとんどないので、その表情を見てエルピスはすくみ上るしかなかった。
「エルピス。怒るわよ」
「はい、ごめんなさい。お医者さんに診てもらいます」
「まぁ回復魔法はかけたし、毒を盛られたってわけでもなさそうだから大丈夫だとは思うけどな。一体何の夢見てたんだ?」
「なんの夢だったんだろ? あんまり覚えてないや」
「お前なぁ……」
夢は所詮夢で、今更どうにかしようとしたところであの家族はもう修復不可能だ。
絶対に超えてはならない一線を越えた家族は既にもう原型をとどめておらず、唯一心残りがあるとすれば向こうの世界に残してきてしまった妹の存在くらいだ。
せめてあの子だけでも幸せに暮らしてほしいとは思うが、それもいまとなっては難しい話である。
少なくとも今は心配してくれる家族がここに居るのだ、それ以上を求めるのは贅沢だろう。
おろおろとしている周囲に落ち着くように言いながら、エルピスはそんなことを思うのだった。
覚えていようと思っていてもポロポロと剥がれ落ちていく記憶はどうやっても止められず、いまや気をつけていなければ同級生の顔すら忘れそうになる時があった。
「エルピス~。私今から外に行くから何かあったらおっきな声で呼ぶのよ?」
「うん。でもフィトゥスもいるし大丈夫だよ」
「信頼していただいて嬉しい限りですね。ちゃんとお守りしますよ、奥様もお気をつけて」
「最近自立し始めちゃって悲しいわ。まぁそう言うことだから、任せたわよ」
いまやエルピスと名前を呼ばれることにも違和感を覚えなくなってしまった。
それが良いことなのか悪いことなのか、エルピスには分からない。
ただ一つ言えることは昔の記憶を忘れてしまうのは、少し寂しいと言うことだけだ。
「さて、この後どうしますエルピス様」
「ちょっと…昼寝しようかな……今日あったかいし」
「そうですね。いい気温ですし今日はお昼寝しましょうか」
テキパキとフィトゥスが昼寝のための準備をしてくれているのを見ながら、エルピスは耐えられないほどの眠気に身体をふらふらと揺さぶっていた。
フィトゥスが寝床の準備を終えるとほぼ同時に倒れ込み、エルピスはスヤスヤと寝息を立て始めるのだった。
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──身体が重たい。
身体中に錘をつけられ、五感全てを無理やり遮断されている様な気になる。
あまりの不快さに目を覚ましてみると、見慣れていた天井が目に入った。
シーリングライトには小さな豆電球が付いており、身体を起こすとどうやら時刻は夜のようだ。
窓の外からは車が行き交う音が聞こえ、エルピスはいま自分がどこにいるのかを理解する。
「……家?」
アルヘオ家ではない。
あそこはいつも人の気配が絶えず、暖かくて常に誰かと一緒にいられた。
だがこの部屋は人の気配もなく、冷たくて静かだ。
転移してくる前の実家、それがいまエルピスがいる場所だった。
なぜこんな所にいるのか。
なんのために苦しい思いをして全寮制の高校に入学したのか。
「──うっぷ」
気が付けば吐いていた。
近くにゴミ箱が置いてあったのが唯一の救いだ。
胃の奥の方から全てが逆流しびちゃびちゃとした水音が聞こえるのに、見てみれば吐き出したはずのものは何もない。
確実に夢だ。
夢のはずだ。
「……ねぇ」
コンコンとノックする音が聞こえ、続いて久々に聞く声が聞こえた。
すっかり忘れてしまっていた声なのに、一度聞けばどうしてこんなに簡単に思い出す事ができるのだろうか。
えずく身体を無理やり押さえつけ、エスペルはなんとか声を出す。
「──っ、なに?」
「すごい音したけど、なんかあったの?」
「ちょっと寝てたら気分悪くなっただけだよ。心配してくれるなんて珍しいな」
「別に。病院行ったら?」
それだけ言うと扉の向こうにあった気配はどこかへと行く。
せっかく夢なのだから、顔くらい見てあげたら良かっただろうか。
いなくなってから後悔しても遅いとは思いつつ、結局仲直りすることもできなかった妹のことを思う。
(そろそろか)
ちらりと時計を目にすれば嫌な時間が目に入る。
妹がここにいて、自分がこの部屋にいると言うことは、この夢はあの時の記憶を元にしているのだろう。
人生最悪の日、全てを諦めざるおえなかった日。
聞き慣れたエンジン音が家の前で止まるのを聞いて、エルピスはのそのそとした足取りで一階へと向かう。
廊下にいても分かるほど大きなテレビの音に辟易しながら、エルピスはいつもどおりの場所に座る。
廊下とリビングにあるテレビ、その間には食事用のテーブルが置かれておりエルピスが座るのはいつもそこだ。
テレビを見て寝転がる母はエルピスに声をかけることはない。
テレビの音でもかき消せないほど大きな足音が廊下の方から聞こえてくると、露骨に機嫌を悪そうにするくらいの変化だ。
「……ただいま」
帰ってきたのはいつも通り疲れた顔をした父。
エルピスのことを見つけると小さい声でそれだけ言って、冷蔵庫で食べ物を物色し始めた。
それから数分後、シャワーを浴び始めた父とさらにテレビの音量を大きくした母に挟まれながらエルピスは静かにしていた。
父がシャワーから上がり自室へと困り、母がテレビの音量を少し下げうたた寝し始めた頃、エルピスも自分の部屋に戻る。
家族がどういうものなのか、この時の自分は知らなかった。
仲良くして欲しいとそう願ってはいたけれど、小学生くらいの頃にはそんな夢も諦めた。
妹とはせめて仲良くしようとしたが、思春期特有の反抗期の様なもので随分と長い間喋れていなかった様に感じる。
(勇気を出せば、変えられたのかな)
ムリだとは思わない。
いまは違ったとしても、昔は愛し合ってきた夫婦なのだ。
もう一度よりを戻すことだってあっていいはずだ。
ベットに身体を寝かせて、エルピスは静かに目を閉じた。
△▽△△▽
「──様! エルピス様!」
体を揺さぶられることでエルピスの意識は徐々に覚醒していく。
ぼんやりと開いた目に映っていたのはフィトゥスだ。
顔を蒼白にしており何やらあわただしくしている。
視線を横に移せばヘリアにリリィ、イロアスにクリムまでいるではないか。
一体何事かと思いながらエルピスが起き上がると、悲鳴に近い声があがる。
「だ、大丈夫なのかエルピス!?」
「え? 何が?」
「何がっておまえ、それ……」
イロアスが指さしているのはエルピスの衣服だ。
一体何事かと視線を降ろしてみてみれば、まぁそれは見事に吐瀉物まみれである。
この体になってから病気にかかったことすらないので吐くというのは今生では初めての事だ。
思いがけない初体験を経たわけだが、なるほど寝ている子供がいきなり吐き始めたのであればお葬式の様なこの雰囲気も理解できる。
「うっわ、ナニコレ。ごめんフィトゥス、かからなかった?」
「私は大丈夫ですが……とりあえず医者に診てもらいましょう。いまメチル先輩が呼びに言ってくれていますから」
「いやな夢を見たから、そのせいだよ。そこまで大事にしなくても……」
夢の内容があまりにもストレスで吐いたなんて知られるのはちょっと恥ずかしい。
羞恥心から事を大事にしたくなかったエルピスだが、そんな彼に対してクリムは怒りの表情を見せる。
普段怒られることなどほとんどないので、その表情を見てエルピスはすくみ上るしかなかった。
「エルピス。怒るわよ」
「はい、ごめんなさい。お医者さんに診てもらいます」
「まぁ回復魔法はかけたし、毒を盛られたってわけでもなさそうだから大丈夫だとは思うけどな。一体何の夢見てたんだ?」
「なんの夢だったんだろ? あんまり覚えてないや」
「お前なぁ……」
夢は所詮夢で、今更どうにかしようとしたところであの家族はもう修復不可能だ。
絶対に超えてはならない一線を越えた家族は既にもう原型をとどめておらず、唯一心残りがあるとすれば向こうの世界に残してきてしまった妹の存在くらいだ。
せめてあの子だけでも幸せに暮らしてほしいとは思うが、それもいまとなっては難しい話である。
少なくとも今は心配してくれる家族がここに居るのだ、それ以上を求めるのは贅沢だろう。
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