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幼少期編:王国
神の力の使いかた
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エルピスが尋問を終えて30分。
転移魔法に込められた魔力量を元にして、おおよその敵が飛んだ位置をエキドナが作ってくれた地図を参考に割り出すことに成功していた。
フィトゥス達をはじめとして王国内にいるアルへオ家のメイドや執事たちに頼みこみ、彼らにお願いしてアウローラの捜索をしてもらっているエルピスは龍の森の奥深くにやってきていた。
彼がここにやってきた理由は二つ。
一つ目は龍の森に居る龍達にも捜索を手伝ってもらうためだ。
こちらに関しては既にお願いは終わっており、里に存在する龍達が率先して人では捜索しづらいような環境の場所を探しに行ってくれている。
二つ目はこれまで封印してきた、神の力を開放するためである。
「ここを見るのは二度目ね」
ふと隣にいたセラがそんな事を口にする。
いまエルピス達が居るのは龍の森の奥深く。龍達が住まう里の更に奥の方にあるかつてエルピスが神の力の実験のために使用していた場所だ。
この世界に来たばかりの彼女がこの場所に来たことはないはず。
一体いつこの場所を見に来たというのだろうか、そんなエルピスの疑問に答えたのはまさかの影の中に居る龍である。
「やはりあの時の天使の気配はお前だったか。少し以前とは変わったか?」
「いまからしようと思ってたのに、ネタバレはやめて欲しいのだけど。エキドナちゃん」
「名前で呼ぶな。せめてちゃんを付けるな」
「エキドナって名前だったんだ……」
自分の影に長い間住まわせていたにも関わらず名前すら憶えていなかったことにエルピス自身自分に対してどうかと思う。
ただまぁ今回に限って言えば名前どうこうの話は一旦横に置いておくべきだろう。
セラが知らない間にエキドナとかかわりを持っていた事よりも、今回はこの場所に来た理由をさっさとこなす必要がある。
「まぁとりあえず、今回ここに来たのは他でもない。セラに神様の称号の解放を手伝ってもらおうと思ってね」
神の称号を開放するにあたっていくつかの条件がある。
一つ目は肉体の強度。
これに関しては半人半龍としてそれなりの年齢を重ねているいまであれば、肉体の強度に関しては問題が無いだろうとエルピス自身は判断していた。
二つ目は神の称号に耐えられるだけの精神性がいまのエルピスにあるのかどうかというところ。
強すぎる力を持つと人は自滅する。
正直いまの力だって上手く扱いきれていないのに、これ以上の力を欲していいのだろうか。
考えれば考えるほど正直神の力なんてものは自分にとって過剰な物だと思えるが、いまはそんな事を言っている場合ではないのだ。
「正直いま神の力を開放することに怖さはあるけど、アウローラを救うためには力が必要だから」
いまの実力でも自分の身を守ることは出来る。
人の国で上から数えて4位以内の実力として世界中で知られている国の特殊部隊を相手にして、かすり傷一つ負わずに襲い掛かってきた面々を全員一刀のもとに切り捨て殺したのだ。
個人として少なくとも人類が生きる範囲内においては最上位の実力があると言ってもいいだろう。
だがそれだけの力が有っても、他者を守るにはまだまだ足りていない。
だから貪欲にエルピスは力を求める。
「私は神の力を開放することには個人的には反対よ。リスクが高すぎる」
だがこれまた以外にセラがエルピスの行動を制止した。
彼女の事ならなんとなく上手くやってくれるだろうとそう思って居たエルピスは、一瞬思考がフリーズする。
「……どうして?」
「力も精神力も、神の力を開放して操るだけなら現時点で問題はないでしょうね。ただエルピス君、君は神になることがどういう事なのかをまるで理解していない」
「そうだな。神たるものの責務、その力の意味。我々龍が龍神をどのように扱うか、知っておいてもらわないと龍としても困るな」
言いたいことは理解できる。
神としてこの世界で活動していく以上は、そこにエルピス個人の責任だけではなく司る物に対しても責任が発生することは仕方のないことだ。
必要経費だと割り切っているエルピスだったが、割り切られている側からすれば自分たちの事を管理する神様がそれではまるで話にならない。
神として常に自分たちの幸福を考え導いてくれというような軟弱物は龍に存在しないのは確かだが、だからと言って勝手に龍神を名乗り好き勝手されては実際に龍神の称号をもっていようが龍からの反発は避けきれないだろう。
「彼女を助ける為であれば、龍神の称号を開放していなくともほぼ間違いなく問題はないわ。無理にリスクを負うくらいなら、無難に行動した方がいいと思うけれど」
「ほぼ、じゃダメなんだよ。たとえ1%でも失敗する確率があるなら、それを0にする必要がある」
「分かりませんね、どうしてそこまでするのかしら? 今後神の称号を開放することで、今回の一件とは比べ物にならない程の面倒ごとに巻き込まれるのは間違いない。それでなくとも法国の神に目を付けられているのに、人類生存圏より外の神により早く目を付けられることになってもいいと思うのはなぜ? 彼女の事が好きだから?」
アウローラが連れ去られてから、自分でもどうしてだろうと考えた。
共和国の兵士達の言葉に対して口にした失態を恐れているからだという言葉はきっと間違いではない。
いまでも失敗は怖い。たとえ両親が許してくれたとしても、他の誰もがエルピスの失敗を許すとは限らない。
むしろ許す方がおかしい、そういったミスもあるだろう。
今回のだってエルピスの視点から言わせてみればそちら側のミスだ。
ミスを挽回するためにいまこうしていろいろ手をこまねいているのだと考えれば、自分の行動に対して納得がいくというもの。
だが完全に利害だけで行動しているのであれば、なおの事神の称号を開放するリスクとアウローラを助けて今回のミスを帳消しにするリスクは釣り合って居ない。
どうしてなのだろうか。
なぜ自分はここまで彼女のために動くのだろうか。
分からない、自分の事なのにエルピスはどうしても上手く言葉に出来なかった。
「お人好しで、優しいのだろうよ。龍の血が混じっているから宝物に手を出され遠慮なく人を殺めたが、生まれ持っての性質がよほどお人好しなのだろう。若干好意も混じってるのは否定しきれんだろうがな」
「冷静に分析するのやめてくれない? 客観的に言われると恥ずいから」
「私としては面白くないけれど、まぁそうよね。貴方はそういう人でした」
そう言ってほほ笑むセラはどこか嬉しそうだ。
きっと彼女は創生神の事を思い出しているのだろう。
創生神に対して彼女がよほど思い入れが強かった事はいまさら言うまでもない程の物で、彼女がそんな表情をするたびに若干疎外感を感じる。
「神として生きて行く覚悟があるなら、私の力を受け取りなさいエルピス君」
「セラの力を?」
「残念ながら今回の戦い、私は参加できないわ。向こうの世界からこっちにくる時に力の大半を置いてきてしまったし、ちょっとだけ持って来れた力も私がこの世界で使うには過ぎた物だから」
この世界で未だ一度も戦っているところを見たことがないので、おそらくはそうなのだろうと思っていた。
セラがエルピスの覚悟を確認し、ゆっくりと近づくとエルピスの額に手を添える。
「痛いわよ、気を張りなさい」
冷たくひんやりとした手の感触にエルピスが反射的に目を閉じると、一瞬のうちに焼けているのではないかと思えるほどの高温がセラの手を通じて頭から野中を蹂躙する。
内側から焼かれているような感覚に声も出せず絶叫するエルピスだが、セラが動かないようにとエルピスの肩に手を乗せるとそれだけで逃げることも許されない。
「──痛っっ!!! ギブギブギブ!!!」
言ってやめるくらいなら、無理やり拘束なんてしていない。
伝達される熱は頭から首、胴と進んでいきついには全身を燃やすほどの激痛がエルピスを襲う。
「称号の解放に貴方の身体が耐えられるように、一から作り直しているところよ。向こうから持ってきた力で無理やり弄るから痛いけど、彼女を助けるためなんだから我慢しなさい」
激痛に堪える中でふとセラのそんな言葉が聞こえる。
泣き言の一つも言いたくなるが、そう言われてしまうと我慢する他ない。
歯を食いしばりただ助けるということ決意を持って耐える。
そうして大体5分くらい経っただろうか。
あまりの痛みに声も出せないほど疲弊するが、なんとかエルピスは激痛を耐え切った。
セラが手を離すと仰向けに倒れ込んでしまい、天井がやたらと高く見える。
「……敵と戦う前に死にそう」
「よく耐えたわね。正直気絶すると思ってたけど」
「出来るならとっとと意識飛ばしたかったよ本当に」
実際痛みで何度も意識が飛びかけたが、意識が飛びたそばから痛みで意識が覚醒してしまい気絶しきることができなかっただけだ。
二度とこんな痛い思いはしたくないなと思いつつ体を起こすと、不思議な感覚が全身を包む。
確認するように手足を軽く動かしてみるといつもより確実に自分の思うように手足を動かせるようになり、視界もいつもよりより鮮明で、周囲のすべてが見える。
「龍神の力を扱うには時間がかかるでしょうけど、〈神域〉くらいならもう使えるはずよ。事前にいろいろ準備もしていたしね」
「神殿から返ってきたときから、なんかおかしいとは思ってたんだよね。まぁ別にいいけどさ」
勝手に技能をいじられたことに軽く抗議をしつつ〈神域〉を使ってみると、気配察知とは比べ物にならないほどの範囲の情報が頭の中を駆け巡っていく。
洪水の様な量の情報は激痛を味わう前であればそのあまりの量に処理が追い付かず頭を痛めていただろうが、いまはそんな情報量も難なく処理しきるとエルピスの脳内にまとめられた情報が上がってくる。
アウローラの場所がわかれば儲けもの、そう思いながら取得した情報を探してみるが残念ながら彼女の情報はない。
しかしあらかたの範囲は捜索することが出来たので、これでかなり索敵する範囲を絞ることが出来た。
神の力が十分に行使されたことがよほどうれしいのか、エキドナは翼をバサバサと動かしながら一目見て分かる程嬉しそうだ。
「龍神の力はさすがだな。それでこそ我ら龍の神だ」
「すごい嬉しそうだねエキドナ」
「嬉しいさ。龍神の再臨は数千年ぶりの我ら龍族の悲願だ。それがようやく叶ったのだからな」
その種族を司る神がいるというのはこの世界では珍しいことだ。
神に至るだけの才覚を持つものが珍しいということもあるが、そもそも才能があっても、開花させるまで生き抜くのが難しい世界だからというのもあるだろう。
半分浮かれ調子のエキドナはいつになく上機嫌である。
「龍神として、情けない戦闘にならないように気をつけるよ。敵の位置も大体分かったし、みんなを呼んでアウローラを取り返しに行こうか」
「もう分かったのか?」
自信満々なエルピスに対しエキドナはどうしてそう言い切れるのかと疑問を浮かべている。
確かに神域だけでは情報が少ないと感じられるかもしれないが、エルピスがある程度予想を固められたのは王国の立地が関係していた。
王国の国境線に面する国は共和国と君主性の国家の二つ。
それ以外は龍の森や山脈など自然を挟んだ国が多く、暗部の人間とはいえ人を攫った状態でもすぐに動けるのはこの国のどちらかだ。
君主制国家の方は共和国とその国家性質上相性が悪いので、共和国に直接向かうか気配を隠して王国祭の対処に追われている間に逃げ切るか相手が選ぶのはどちらか。
共和国への道は封鎖してある以上、おおよその位置は割り出すことができる。
神域の効果によって複数箇所あった調べるべき場所が潰れた以上、もうほとんど敵は見つけたも当然だ。
「国境線には王国兵が詰めてるし、ウチの人員が走り回っている以上王国内を逃げ回るのは現実的じゃない。〈神域〉の範囲は王都で使用された転移の痕跡を拾える。敵が逃げた場所はここだよ」
「──海か」
エキドナが作ってくれた地図を広げながらエルピスが指を刺したのは、王国の沿岸部に存在する群島。
エルピスの感が正しければ敵はここに居るだろう。
決戦の時は近い。
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ずっと続く砂浜。
視界の先には島がポツポツと見え、一人で突っ込んでしまいそうになるのを理性で抑え込みつつエルピスは人を待つ。
ーーー海はこの世界においてどこもかしこも危険地帯である。
この世界では陸に住む生物の大多数は、海に出る事そのものを許されていない。
それは海に住む亜人種達の影響によるものだ。
王国周辺の海には長い時を生き続け単体としては海の中でも強者に分類される海老種と、巧みな魔法と様々な効果を付与する歌声を操る深海種と呼ばれる亜人が住み着いている。
この二種族が王国周辺の海域を制圧しているため気安く海に出る事も出来ないのだ。
ただ亜人である以上交渉することは可能であり、海産資源は両種族と結んでいる契約のおかげで安定して供給できる。
現状海老種や深海種とは、王国もそこまで仲が悪いわけではなかった。
しかし取引先であるだけで海岸沿いに気軽に街を作れるほどの関係ではなく、完全に人の手のつけられていない海岸沿いから島を眺めつつエルピスはフィトゥス達が到着するのを待つ。
波風が久しぶりに頬に当たり、前世以来の感触にエルピスは目を細める。
優秀な彼らのことだ、あまり待つ必要はないだろう。
そう思っていたエルピスの思いが通じたのか、複数の砂を踏む音が聞こえる。
「ーーここでしたかエルピス様」
一番に声をかけてきたのはフィトゥスだ。
普段とはまた違った装いの彼は黒い大きなコートを着用しており、エルピスの目には対魔法用の術式が組み込まれているのが確認できる。
暗闇に紛れるフィトゥスの姿はさながら悪魔そのもので、事実そうなのだが普段とは違う雰囲気の彼にいつも以上の心強さを感じていた。
もちろんそれはフィトゥスだけではなくこの場にいる他の面子にも言えることだ。
「みんなのおかげで相手の場所を絞れたからアウローラを見つけられたよ。ありがとう」
先ほどから視界にとらえている島にアウローラの気配があることは既に神域で確認済み。
予測が誤りでなかったことに胸を撫で下ろしつつ調査で苦労をかけた面々に謝辞を述べる。
そんなエルピスの行動を見てフィトゥス達はどこか嬉しそうだ。
「大きくなられましたねエルピス様」
「子供扱いはやめてよ、もう大人だよ?」
「いえ、フィトゥスの言う通りですよエルピス様。ご立派です」
「ヘリアまでそんな事言って……」
隙を見せれば頭を撫でて褒めてきそうな面々に、流石に緊張感を保つため距離を取るエルピス。
亜人種だからかなのかやたらとアルヘオ家の従者達はエルピスを子供扱いするきらいがあり、何度か修正させようとして不可能であることを知ったエルピスはそれ以来なるべく子供っぽくないことを意識して振る舞っている。
そんな様が余計子供が背伸びしているように映ってしまっていることを残念なことに本人は自覚していない。
微笑ましい空気が一瞬流れるが、そんな空気を締めなすようにリリィが口を開く。
「エルピス様。イロアス様やクリム様もこちらに向かっているとの事ですのでもう少し待てば出られますよ。エラもそちらにいます」
「父さん達も来れるの?」
アルキゴスが今日護衛を頼んできた時にも言っていた通り、アルヘオ家は一応共和国でも貴族の位を貰っている。
その国の暗殺集団を壊滅させるのはまずいのではないだろうか。
だがそんなエルピスの疑問に対してヘリアは待っていましたとばかりに付け加える。
「今回の共和国の行動は国際法を無視した違法な行動です。アルヘオ家には各国から独自裁量権の他に戦争行動を止める義務と権利がありますから、それを応用すれば今回の一件には参加できます」
「まぁほっといてもクリム様は多分きますけどね。法律より感情を遵守されるお方なので」
人の国の法に一応は従うクリムだが、そもそも龍人として生きる彼女には人の法律は守っておこうという程度の認識しかない。
必要だと断じれば例えどれだけ罪深いことだろうと平然と行えるだろう。
アルヘオ家は人として動くイロアスと自分の正義を元にして動くクリムの良いバランスの元運用されていた。
法律は守るべき派閥のエルピスとしてはたまに母の行動が怖く感じる時もあるが。
「母さんを止めるほうが大変かもね。海に住んでる亜人達には今回のことってもう説明してあるの?」
「国王様が連絡済みとのことです。多少は目を瞑ってくれるでしょう」
「仕事早いね。今回侵入されたの、多分手を引いた奴がいると思うんだけどアルさん達の方で動いてるのかな」
「動いているようでしたよ。マギア様が主体に尋問を行っているとか」
事実確認を行いつつ、今回の王国側の対応がどのような流れになっているのかを確認するエルピス。
アウローラを助けるところまでは確定事項でいいとして、その後の敵の扱いをどうするか聞いてこないで出てきたのでその判断のためである。
聞いた話をまとめたところ、とりあえず敵に関しては降伏の意志があれば捕虜に。
意志がなければ……というところで、表立って共和国を批判するのではなく手勢の者達を壊滅させることで手打ちとするらしい。
放っておいても今回の一件が表に漏れれば正式に法国から共和国に非難が飛ぶのは間違いないので、エルピスとしても流石にその辺りが落とし所だろうと考えていた。
「──父さん達、来たみたいだね」
エルピスが遠くを見ながらそう呟くと、召使達は一斉に背筋を伸ばして自分たちの主人を迎え入れる準備をする。
数秒と待たずに小さな風が頬を撫でると、気がつけばイロアス達がエルピスの近くに立っていた。
いつもは近づかれたことすら分からないが、いまは確かにイロアスがどうやってここに来たのか、確実に全て認識できていた。
龍神の力によって強化されたエルピスの認識力は、どうやら確実に一歩先のステージに足を踏み入れ始めているらしい。
「待たせたなエルピス」
「いろいろ必要な事まとめてたからすぐだったよ。王都離れても大丈夫なの?」
「あんまり長い事離れると怪しまれるからな。アウローラちゃんのことも心配だし、早く助けよう」
「敵の親玉は私とイロアスが潰すから、エルピス達はアウローラちゃんをお願いね。それでいいでしょう?」
クリムがイロアスに視線を流すと、彼も頭を縦に振る。
この場において一番強いのは誰かを考えるなら、そのようにするのがいいのは言うまでもないだろう。
いつもならばその決定に口を挟むことはないだろうが、エルピスはそんな二人の言葉に待ってくれと口を挟む。
「母さん、悪いけど敵の親玉は俺に任せて欲しいんだ。アウローラが攫われたのは俺のせいだから、俺がせめてこの事件を解決したい」
「気持ちはわかるがな、流石に相手が相手だ。それにエルピス、お前人を殺せるのか?」
「……もう殺したよ、今日。アウローラを助ける時にね」
人を殺したことに罪悪感はない。
緑鬼種を殺した時と同じで感触は不快だが、そうしなければ周囲被害が及ぶのならエルピスは一才のためらいを持たないだろう。
「…………そうか。まぁその辺の話は後々するとしてだ、そもそも一人で勝てるのか?」
「ちょっとイロアス!」
「甘やかすなっていつもクリムも言ってるだろ。それに俺らのどっちかが付いて見てれば良いだけだろ」
「いやそれはちょっと嫌だから二人とも離れてて欲しいんだけど……」
何が悲しくて殺し合いに保護者同伴で赴かなければならないのか。
できれば自分は一人きりにしてもらいアウローラの方に二人とも行って欲しかったエルピスだったが、さすがにそんなわがままが通るほど今回の相手は弱くない。
なんの確証もなく二人が送り出してくれないことはエルピスだって理解している。
「勝てるよ。100回やれば100回勝てる。その為に準備してきたから」
龍神の力を解放してからというもの、エルピスは己の力が時間を追うごとに増しているのを自覚していた。
素肌は人の皮膚と見分けがつかないほど薄い鱗に覆われており、龍神の能力に呼応して溢れ出る魔力は止まる事を知らないようにエルピスの身体をさらに強靭なものに仕上げる。
背中に違和感を感じて力を入れてみれば、ずるりとエルピスの背を突き破るようにして白亜の翼が二つ現れる。
半人半龍でありながら人に近い性質を持っていたエルピスにはなかった翼が、龍神として覚醒したことにより生えてきたのだ。
「それが隠してた力か」
「……綺麗な翼ね、ダレンにも見せてあげたいくらいだわ。それに鱗も綺麗」
「この力についても、今後のことについてもこの一件が終わったらちゃんと喋るよ」
「そうか。まぁそれだけの力があれば問題ないだろ。ヘリア、悪いが頼んだぞ」
「もちろんです」
実力は認められたと言うことで良いのだろう。
両親の監視を逃れることはできても、さすがにメイドや執事達を付けられるのは仕方ない。
先陣を切るようにして翼を生やしたクリムが前に出ると、それに続く様にして全員が移動を開始し、エルピスも移動を開始する。
移動とは言ってもエルピスは翼は使わない。
使い慣れていないこともあるが、何よりこの程度の距離ならば飛ぶ必要がないからだ。
ただ一歩。敵がいる島に向けて足を踏み出す。
ーー瞬間、景色は当の本人であるエルピスですらギリギリ知覚出来る程度の速度で、瞬きより速く駆け抜けていく。
理不尽を嘲笑う程の理不尽、不条理を捻じ曲げるのでは無く、不条理に対する不条理になる者。
八つある島の内、最も手前の島にまるで隕石が落ちたのかと思わせる大穴を開けて、エルピスは移動を終える。
純粋で無垢であるが故に狂気を孕んだ笑みを浮かべて、エルピスは小さく呟く。
「次は絶対に失敗しないよ。絶対に」
英雄の子は笑う。
自らの友に手をかけんとする敵に。
その姿に英雄らしさは無く、そしてその周りに仲間はいない。
後に人類史上最強と歌われる英雄は、敢えて仲間と離れた位置に降り立った。
自らの獲物を、他人に取らせはしまいとでも言いたげに。
転移魔法に込められた魔力量を元にして、おおよその敵が飛んだ位置をエキドナが作ってくれた地図を参考に割り出すことに成功していた。
フィトゥス達をはじめとして王国内にいるアルへオ家のメイドや執事たちに頼みこみ、彼らにお願いしてアウローラの捜索をしてもらっているエルピスは龍の森の奥深くにやってきていた。
彼がここにやってきた理由は二つ。
一つ目は龍の森に居る龍達にも捜索を手伝ってもらうためだ。
こちらに関しては既にお願いは終わっており、里に存在する龍達が率先して人では捜索しづらいような環境の場所を探しに行ってくれている。
二つ目はこれまで封印してきた、神の力を開放するためである。
「ここを見るのは二度目ね」
ふと隣にいたセラがそんな事を口にする。
いまエルピス達が居るのは龍の森の奥深く。龍達が住まう里の更に奥の方にあるかつてエルピスが神の力の実験のために使用していた場所だ。
この世界に来たばかりの彼女がこの場所に来たことはないはず。
一体いつこの場所を見に来たというのだろうか、そんなエルピスの疑問に答えたのはまさかの影の中に居る龍である。
「やはりあの時の天使の気配はお前だったか。少し以前とは変わったか?」
「いまからしようと思ってたのに、ネタバレはやめて欲しいのだけど。エキドナちゃん」
「名前で呼ぶな。せめてちゃんを付けるな」
「エキドナって名前だったんだ……」
自分の影に長い間住まわせていたにも関わらず名前すら憶えていなかったことにエルピス自身自分に対してどうかと思う。
ただまぁ今回に限って言えば名前どうこうの話は一旦横に置いておくべきだろう。
セラが知らない間にエキドナとかかわりを持っていた事よりも、今回はこの場所に来た理由をさっさとこなす必要がある。
「まぁとりあえず、今回ここに来たのは他でもない。セラに神様の称号の解放を手伝ってもらおうと思ってね」
神の称号を開放するにあたっていくつかの条件がある。
一つ目は肉体の強度。
これに関しては半人半龍としてそれなりの年齢を重ねているいまであれば、肉体の強度に関しては問題が無いだろうとエルピス自身は判断していた。
二つ目は神の称号に耐えられるだけの精神性がいまのエルピスにあるのかどうかというところ。
強すぎる力を持つと人は自滅する。
正直いまの力だって上手く扱いきれていないのに、これ以上の力を欲していいのだろうか。
考えれば考えるほど正直神の力なんてものは自分にとって過剰な物だと思えるが、いまはそんな事を言っている場合ではないのだ。
「正直いま神の力を開放することに怖さはあるけど、アウローラを救うためには力が必要だから」
いまの実力でも自分の身を守ることは出来る。
人の国で上から数えて4位以内の実力として世界中で知られている国の特殊部隊を相手にして、かすり傷一つ負わずに襲い掛かってきた面々を全員一刀のもとに切り捨て殺したのだ。
個人として少なくとも人類が生きる範囲内においては最上位の実力があると言ってもいいだろう。
だがそれだけの力が有っても、他者を守るにはまだまだ足りていない。
だから貪欲にエルピスは力を求める。
「私は神の力を開放することには個人的には反対よ。リスクが高すぎる」
だがこれまた以外にセラがエルピスの行動を制止した。
彼女の事ならなんとなく上手くやってくれるだろうとそう思って居たエルピスは、一瞬思考がフリーズする。
「……どうして?」
「力も精神力も、神の力を開放して操るだけなら現時点で問題はないでしょうね。ただエルピス君、君は神になることがどういう事なのかをまるで理解していない」
「そうだな。神たるものの責務、その力の意味。我々龍が龍神をどのように扱うか、知っておいてもらわないと龍としても困るな」
言いたいことは理解できる。
神としてこの世界で活動していく以上は、そこにエルピス個人の責任だけではなく司る物に対しても責任が発生することは仕方のないことだ。
必要経費だと割り切っているエルピスだったが、割り切られている側からすれば自分たちの事を管理する神様がそれではまるで話にならない。
神として常に自分たちの幸福を考え導いてくれというような軟弱物は龍に存在しないのは確かだが、だからと言って勝手に龍神を名乗り好き勝手されては実際に龍神の称号をもっていようが龍からの反発は避けきれないだろう。
「彼女を助ける為であれば、龍神の称号を開放していなくともほぼ間違いなく問題はないわ。無理にリスクを負うくらいなら、無難に行動した方がいいと思うけれど」
「ほぼ、じゃダメなんだよ。たとえ1%でも失敗する確率があるなら、それを0にする必要がある」
「分かりませんね、どうしてそこまでするのかしら? 今後神の称号を開放することで、今回の一件とは比べ物にならない程の面倒ごとに巻き込まれるのは間違いない。それでなくとも法国の神に目を付けられているのに、人類生存圏より外の神により早く目を付けられることになってもいいと思うのはなぜ? 彼女の事が好きだから?」
アウローラが連れ去られてから、自分でもどうしてだろうと考えた。
共和国の兵士達の言葉に対して口にした失態を恐れているからだという言葉はきっと間違いではない。
いまでも失敗は怖い。たとえ両親が許してくれたとしても、他の誰もがエルピスの失敗を許すとは限らない。
むしろ許す方がおかしい、そういったミスもあるだろう。
今回のだってエルピスの視点から言わせてみればそちら側のミスだ。
ミスを挽回するためにいまこうしていろいろ手をこまねいているのだと考えれば、自分の行動に対して納得がいくというもの。
だが完全に利害だけで行動しているのであれば、なおの事神の称号を開放するリスクとアウローラを助けて今回のミスを帳消しにするリスクは釣り合って居ない。
どうしてなのだろうか。
なぜ自分はここまで彼女のために動くのだろうか。
分からない、自分の事なのにエルピスはどうしても上手く言葉に出来なかった。
「お人好しで、優しいのだろうよ。龍の血が混じっているから宝物に手を出され遠慮なく人を殺めたが、生まれ持っての性質がよほどお人好しなのだろう。若干好意も混じってるのは否定しきれんだろうがな」
「冷静に分析するのやめてくれない? 客観的に言われると恥ずいから」
「私としては面白くないけれど、まぁそうよね。貴方はそういう人でした」
そう言ってほほ笑むセラはどこか嬉しそうだ。
きっと彼女は創生神の事を思い出しているのだろう。
創生神に対して彼女がよほど思い入れが強かった事はいまさら言うまでもない程の物で、彼女がそんな表情をするたびに若干疎外感を感じる。
「神として生きて行く覚悟があるなら、私の力を受け取りなさいエルピス君」
「セラの力を?」
「残念ながら今回の戦い、私は参加できないわ。向こうの世界からこっちにくる時に力の大半を置いてきてしまったし、ちょっとだけ持って来れた力も私がこの世界で使うには過ぎた物だから」
この世界で未だ一度も戦っているところを見たことがないので、おそらくはそうなのだろうと思っていた。
セラがエルピスの覚悟を確認し、ゆっくりと近づくとエルピスの額に手を添える。
「痛いわよ、気を張りなさい」
冷たくひんやりとした手の感触にエルピスが反射的に目を閉じると、一瞬のうちに焼けているのではないかと思えるほどの高温がセラの手を通じて頭から野中を蹂躙する。
内側から焼かれているような感覚に声も出せず絶叫するエルピスだが、セラが動かないようにとエルピスの肩に手を乗せるとそれだけで逃げることも許されない。
「──痛っっ!!! ギブギブギブ!!!」
言ってやめるくらいなら、無理やり拘束なんてしていない。
伝達される熱は頭から首、胴と進んでいきついには全身を燃やすほどの激痛がエルピスを襲う。
「称号の解放に貴方の身体が耐えられるように、一から作り直しているところよ。向こうから持ってきた力で無理やり弄るから痛いけど、彼女を助けるためなんだから我慢しなさい」
激痛に堪える中でふとセラのそんな言葉が聞こえる。
泣き言の一つも言いたくなるが、そう言われてしまうと我慢する他ない。
歯を食いしばりただ助けるということ決意を持って耐える。
そうして大体5分くらい経っただろうか。
あまりの痛みに声も出せないほど疲弊するが、なんとかエルピスは激痛を耐え切った。
セラが手を離すと仰向けに倒れ込んでしまい、天井がやたらと高く見える。
「……敵と戦う前に死にそう」
「よく耐えたわね。正直気絶すると思ってたけど」
「出来るならとっとと意識飛ばしたかったよ本当に」
実際痛みで何度も意識が飛びかけたが、意識が飛びたそばから痛みで意識が覚醒してしまい気絶しきることができなかっただけだ。
二度とこんな痛い思いはしたくないなと思いつつ体を起こすと、不思議な感覚が全身を包む。
確認するように手足を軽く動かしてみるといつもより確実に自分の思うように手足を動かせるようになり、視界もいつもよりより鮮明で、周囲のすべてが見える。
「龍神の力を扱うには時間がかかるでしょうけど、〈神域〉くらいならもう使えるはずよ。事前にいろいろ準備もしていたしね」
「神殿から返ってきたときから、なんかおかしいとは思ってたんだよね。まぁ別にいいけどさ」
勝手に技能をいじられたことに軽く抗議をしつつ〈神域〉を使ってみると、気配察知とは比べ物にならないほどの範囲の情報が頭の中を駆け巡っていく。
洪水の様な量の情報は激痛を味わう前であればそのあまりの量に処理が追い付かず頭を痛めていただろうが、いまはそんな情報量も難なく処理しきるとエルピスの脳内にまとめられた情報が上がってくる。
アウローラの場所がわかれば儲けもの、そう思いながら取得した情報を探してみるが残念ながら彼女の情報はない。
しかしあらかたの範囲は捜索することが出来たので、これでかなり索敵する範囲を絞ることが出来た。
神の力が十分に行使されたことがよほどうれしいのか、エキドナは翼をバサバサと動かしながら一目見て分かる程嬉しそうだ。
「龍神の力はさすがだな。それでこそ我ら龍の神だ」
「すごい嬉しそうだねエキドナ」
「嬉しいさ。龍神の再臨は数千年ぶりの我ら龍族の悲願だ。それがようやく叶ったのだからな」
その種族を司る神がいるというのはこの世界では珍しいことだ。
神に至るだけの才覚を持つものが珍しいということもあるが、そもそも才能があっても、開花させるまで生き抜くのが難しい世界だからというのもあるだろう。
半分浮かれ調子のエキドナはいつになく上機嫌である。
「龍神として、情けない戦闘にならないように気をつけるよ。敵の位置も大体分かったし、みんなを呼んでアウローラを取り返しに行こうか」
「もう分かったのか?」
自信満々なエルピスに対しエキドナはどうしてそう言い切れるのかと疑問を浮かべている。
確かに神域だけでは情報が少ないと感じられるかもしれないが、エルピスがある程度予想を固められたのは王国の立地が関係していた。
王国の国境線に面する国は共和国と君主性の国家の二つ。
それ以外は龍の森や山脈など自然を挟んだ国が多く、暗部の人間とはいえ人を攫った状態でもすぐに動けるのはこの国のどちらかだ。
君主制国家の方は共和国とその国家性質上相性が悪いので、共和国に直接向かうか気配を隠して王国祭の対処に追われている間に逃げ切るか相手が選ぶのはどちらか。
共和国への道は封鎖してある以上、おおよその位置は割り出すことができる。
神域の効果によって複数箇所あった調べるべき場所が潰れた以上、もうほとんど敵は見つけたも当然だ。
「国境線には王国兵が詰めてるし、ウチの人員が走り回っている以上王国内を逃げ回るのは現実的じゃない。〈神域〉の範囲は王都で使用された転移の痕跡を拾える。敵が逃げた場所はここだよ」
「──海か」
エキドナが作ってくれた地図を広げながらエルピスが指を刺したのは、王国の沿岸部に存在する群島。
エルピスの感が正しければ敵はここに居るだろう。
決戦の時は近い。
/
ずっと続く砂浜。
視界の先には島がポツポツと見え、一人で突っ込んでしまいそうになるのを理性で抑え込みつつエルピスは人を待つ。
ーーー海はこの世界においてどこもかしこも危険地帯である。
この世界では陸に住む生物の大多数は、海に出る事そのものを許されていない。
それは海に住む亜人種達の影響によるものだ。
王国周辺の海には長い時を生き続け単体としては海の中でも強者に分類される海老種と、巧みな魔法と様々な効果を付与する歌声を操る深海種と呼ばれる亜人が住み着いている。
この二種族が王国周辺の海域を制圧しているため気安く海に出る事も出来ないのだ。
ただ亜人である以上交渉することは可能であり、海産資源は両種族と結んでいる契約のおかげで安定して供給できる。
現状海老種や深海種とは、王国もそこまで仲が悪いわけではなかった。
しかし取引先であるだけで海岸沿いに気軽に街を作れるほどの関係ではなく、完全に人の手のつけられていない海岸沿いから島を眺めつつエルピスはフィトゥス達が到着するのを待つ。
波風が久しぶりに頬に当たり、前世以来の感触にエルピスは目を細める。
優秀な彼らのことだ、あまり待つ必要はないだろう。
そう思っていたエルピスの思いが通じたのか、複数の砂を踏む音が聞こえる。
「ーーここでしたかエルピス様」
一番に声をかけてきたのはフィトゥスだ。
普段とはまた違った装いの彼は黒い大きなコートを着用しており、エルピスの目には対魔法用の術式が組み込まれているのが確認できる。
暗闇に紛れるフィトゥスの姿はさながら悪魔そのもので、事実そうなのだが普段とは違う雰囲気の彼にいつも以上の心強さを感じていた。
もちろんそれはフィトゥスだけではなくこの場にいる他の面子にも言えることだ。
「みんなのおかげで相手の場所を絞れたからアウローラを見つけられたよ。ありがとう」
先ほどから視界にとらえている島にアウローラの気配があることは既に神域で確認済み。
予測が誤りでなかったことに胸を撫で下ろしつつ調査で苦労をかけた面々に謝辞を述べる。
そんなエルピスの行動を見てフィトゥス達はどこか嬉しそうだ。
「大きくなられましたねエルピス様」
「子供扱いはやめてよ、もう大人だよ?」
「いえ、フィトゥスの言う通りですよエルピス様。ご立派です」
「ヘリアまでそんな事言って……」
隙を見せれば頭を撫でて褒めてきそうな面々に、流石に緊張感を保つため距離を取るエルピス。
亜人種だからかなのかやたらとアルヘオ家の従者達はエルピスを子供扱いするきらいがあり、何度か修正させようとして不可能であることを知ったエルピスはそれ以来なるべく子供っぽくないことを意識して振る舞っている。
そんな様が余計子供が背伸びしているように映ってしまっていることを残念なことに本人は自覚していない。
微笑ましい空気が一瞬流れるが、そんな空気を締めなすようにリリィが口を開く。
「エルピス様。イロアス様やクリム様もこちらに向かっているとの事ですのでもう少し待てば出られますよ。エラもそちらにいます」
「父さん達も来れるの?」
アルキゴスが今日護衛を頼んできた時にも言っていた通り、アルヘオ家は一応共和国でも貴族の位を貰っている。
その国の暗殺集団を壊滅させるのはまずいのではないだろうか。
だがそんなエルピスの疑問に対してヘリアは待っていましたとばかりに付け加える。
「今回の共和国の行動は国際法を無視した違法な行動です。アルヘオ家には各国から独自裁量権の他に戦争行動を止める義務と権利がありますから、それを応用すれば今回の一件には参加できます」
「まぁほっといてもクリム様は多分きますけどね。法律より感情を遵守されるお方なので」
人の国の法に一応は従うクリムだが、そもそも龍人として生きる彼女には人の法律は守っておこうという程度の認識しかない。
必要だと断じれば例えどれだけ罪深いことだろうと平然と行えるだろう。
アルヘオ家は人として動くイロアスと自分の正義を元にして動くクリムの良いバランスの元運用されていた。
法律は守るべき派閥のエルピスとしてはたまに母の行動が怖く感じる時もあるが。
「母さんを止めるほうが大変かもね。海に住んでる亜人達には今回のことってもう説明してあるの?」
「国王様が連絡済みとのことです。多少は目を瞑ってくれるでしょう」
「仕事早いね。今回侵入されたの、多分手を引いた奴がいると思うんだけどアルさん達の方で動いてるのかな」
「動いているようでしたよ。マギア様が主体に尋問を行っているとか」
事実確認を行いつつ、今回の王国側の対応がどのような流れになっているのかを確認するエルピス。
アウローラを助けるところまでは確定事項でいいとして、その後の敵の扱いをどうするか聞いてこないで出てきたのでその判断のためである。
聞いた話をまとめたところ、とりあえず敵に関しては降伏の意志があれば捕虜に。
意志がなければ……というところで、表立って共和国を批判するのではなく手勢の者達を壊滅させることで手打ちとするらしい。
放っておいても今回の一件が表に漏れれば正式に法国から共和国に非難が飛ぶのは間違いないので、エルピスとしても流石にその辺りが落とし所だろうと考えていた。
「──父さん達、来たみたいだね」
エルピスが遠くを見ながらそう呟くと、召使達は一斉に背筋を伸ばして自分たちの主人を迎え入れる準備をする。
数秒と待たずに小さな風が頬を撫でると、気がつけばイロアス達がエルピスの近くに立っていた。
いつもは近づかれたことすら分からないが、いまは確かにイロアスがどうやってここに来たのか、確実に全て認識できていた。
龍神の力によって強化されたエルピスの認識力は、どうやら確実に一歩先のステージに足を踏み入れ始めているらしい。
「待たせたなエルピス」
「いろいろ必要な事まとめてたからすぐだったよ。王都離れても大丈夫なの?」
「あんまり長い事離れると怪しまれるからな。アウローラちゃんのことも心配だし、早く助けよう」
「敵の親玉は私とイロアスが潰すから、エルピス達はアウローラちゃんをお願いね。それでいいでしょう?」
クリムがイロアスに視線を流すと、彼も頭を縦に振る。
この場において一番強いのは誰かを考えるなら、そのようにするのがいいのは言うまでもないだろう。
いつもならばその決定に口を挟むことはないだろうが、エルピスはそんな二人の言葉に待ってくれと口を挟む。
「母さん、悪いけど敵の親玉は俺に任せて欲しいんだ。アウローラが攫われたのは俺のせいだから、俺がせめてこの事件を解決したい」
「気持ちはわかるがな、流石に相手が相手だ。それにエルピス、お前人を殺せるのか?」
「……もう殺したよ、今日。アウローラを助ける時にね」
人を殺したことに罪悪感はない。
緑鬼種を殺した時と同じで感触は不快だが、そうしなければ周囲被害が及ぶのならエルピスは一才のためらいを持たないだろう。
「…………そうか。まぁその辺の話は後々するとしてだ、そもそも一人で勝てるのか?」
「ちょっとイロアス!」
「甘やかすなっていつもクリムも言ってるだろ。それに俺らのどっちかが付いて見てれば良いだけだろ」
「いやそれはちょっと嫌だから二人とも離れてて欲しいんだけど……」
何が悲しくて殺し合いに保護者同伴で赴かなければならないのか。
できれば自分は一人きりにしてもらいアウローラの方に二人とも行って欲しかったエルピスだったが、さすがにそんなわがままが通るほど今回の相手は弱くない。
なんの確証もなく二人が送り出してくれないことはエルピスだって理解している。
「勝てるよ。100回やれば100回勝てる。その為に準備してきたから」
龍神の力を解放してからというもの、エルピスは己の力が時間を追うごとに増しているのを自覚していた。
素肌は人の皮膚と見分けがつかないほど薄い鱗に覆われており、龍神の能力に呼応して溢れ出る魔力は止まる事を知らないようにエルピスの身体をさらに強靭なものに仕上げる。
背中に違和感を感じて力を入れてみれば、ずるりとエルピスの背を突き破るようにして白亜の翼が二つ現れる。
半人半龍でありながら人に近い性質を持っていたエルピスにはなかった翼が、龍神として覚醒したことにより生えてきたのだ。
「それが隠してた力か」
「……綺麗な翼ね、ダレンにも見せてあげたいくらいだわ。それに鱗も綺麗」
「この力についても、今後のことについてもこの一件が終わったらちゃんと喋るよ」
「そうか。まぁそれだけの力があれば問題ないだろ。ヘリア、悪いが頼んだぞ」
「もちろんです」
実力は認められたと言うことで良いのだろう。
両親の監視を逃れることはできても、さすがにメイドや執事達を付けられるのは仕方ない。
先陣を切るようにして翼を生やしたクリムが前に出ると、それに続く様にして全員が移動を開始し、エルピスも移動を開始する。
移動とは言ってもエルピスは翼は使わない。
使い慣れていないこともあるが、何よりこの程度の距離ならば飛ぶ必要がないからだ。
ただ一歩。敵がいる島に向けて足を踏み出す。
ーー瞬間、景色は当の本人であるエルピスですらギリギリ知覚出来る程度の速度で、瞬きより速く駆け抜けていく。
理不尽を嘲笑う程の理不尽、不条理を捻じ曲げるのでは無く、不条理に対する不条理になる者。
八つある島の内、最も手前の島にまるで隕石が落ちたのかと思わせる大穴を開けて、エルピスは移動を終える。
純粋で無垢であるが故に狂気を孕んだ笑みを浮かべて、エルピスは小さく呟く。
「次は絶対に失敗しないよ。絶対に」
英雄の子は笑う。
自らの友に手をかけんとする敵に。
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