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青年期:極東鬼神編(12月更新予定)
器足り得ぬ器でも
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鬼神とトコヤミ達の戦闘が始まっているころ、エルピスの方にも動きがあった。
敵を倒すことに対して、エルピスは一切の躊躇いがない。
それは躊躇うことが相手に対して失礼になるなどと言う戦士の思考では無く、ただ単純に自分を害するものを生かしておくことに躊躇する理由がないからだ。
数万数十万の命もどきを消し去りながら、エルピスは己のするべきことを考える。
この島に来た理由は鬼神がこちらの味方かどうかを見極めるため。
破壊神への対抗策として協力してくれるならばそれでよし、そうで無くとも敵対を避けられればと思っていたのだが鬼神は既に破壊神に協力することを確約してしまっていた。
敵ならば排除しなければならない。
もしかすれば説得すればこちら側に回ってくれるのかもしれないが、エルピスは口が上手い方ではないしこの世界の混沌と引き換えに何かを欲している相手に欲しがるものを与えられるほど力があるわけでもない。
神の力を使えば破壊と再生は出来るが、それだけを望むなら鬼神は自分の力だけでそれをするだろう。
彼が何を求めているのか、それが分からないからエルピスは戦うしかない。
「時間稼ぎ、上手く行ってる?」
死に続けている相手にエルピスはふとそう問いかける。
時間にして正確にどれくらいだと測っていないので分からないが、この空間内にエルピスをどれだけ押しとどめることができたら勝ちだというのだろうか。
最初の頃はこちら側に何かアクションを取ろうとしてきていた破壊神の信徒だったが、効率的な排除の仕方をエルピスが理解してからは第一声を発生するころには既にチリに変わっているのでコミュニケーションは取れない。
「聞いても無駄だよね。それにしてもなんで君たちみたいな対して強くもないのを用意したんだろうね。邪神の権能で見た感じ随分と罪深い人物ばっかり集めたみたいだけど何処からこんなに人を用意してきたのか」
始めはどこぞの国から罪なき人間を引っ張ってきているのではないか、そう考えたこともあっていろいろと探っては見たが、どうやらそもそも生きている人ではないらしいというのがエルピスの出した答えである。
というのも鑑定を用いて相手について調べていたところ既に死んでいる者が大半だったのだ。
この世界の人ではない者も多く、どうやら破壊神の手先を様々な世界から召喚してきているようである。
なぜそうするのか、なぜそうしたいのか。
相手の狙いが分からないからこそ、エルピスの中でストレスは徐々に蓄積していく。
自分が何かを見失っているから相手の思惑に気が付けないから、何か大きな失敗を犯してしまうのではないかと、それが気になって気が気ではない。
だからこそエルピスは己の力を全力で行使することを決める。
相手のやりたいことが分からないのであれば、せめていま自分に出来る事をするしかない。
「悪いけどいつまでもこんなところに捕まってるわけにもいかないんだ。無理やりこじ開けていくよ」
△▽△▽△▽△▽△▽
エルピスが再び破壊神の信徒との戦闘を始めているころ。
島にある深い森の中を一人の森妖種が歩いていた。
傍らには周囲を警戒し続けている女性の姿も見えるが、敵を警戒しているというよりは見つかることを恐れているようにも見える。
ふとそうして後ろを歩いていた女性が前に立っている森妖種の元に近寄ると、周りに声が聞こえないくらい小さな声で言葉をかけた。
「エルピスも無茶言うわよね。こんなただっぴろい森の中からトコヤミちゃんを探して来いなんて」
文句を口にするのはアウローラ。
エラ達のところに送り届けるついでとばかりにエルピスは彼女に対して一つ仕事を任せた。
それが彼女の口から語られているトコヤミを探してきてほしいというものであり、王国の領土と同じくらいの広さがあるこの島の中からトコヤミ一人を探しあてる事の難しさは砂浜に落としたコインを探し当てるようなものである。
同じ神としてある程度神の場所が分かるらしいエラをダウジングの棒代わりとして、こうして島の中でも特に隠れられそうなところを重点的に探しているわけではあるが、正直途方もない話だ。
「仕方ないでしょう。エルもいま破壊神の信徒と戦ってるんですから、私達も私達の仕事を頑張りましょう!」
「そうね。そういえばセラの姿見ないけど何処に行ったのかしら」
「セラなら不測の事態に備えて大陸で待機すると言ってましたよ。代わりを用意しておいたから後で送るって言ってましたが……」
セラが現状の戦力で足りると判断したのであれば、アウローラはそれを疑うことはない。
ましてや代わりの戦力を用意してくれるというのであればなおさらのことである。
だがセラと別れてからそれなりに時間が経過している物のどこにも応援に来るという人物の姿は見当たらない。
「見当たらないわね」
視界に広がるのはやたらと広い森であり、それ以外には何もない。
先程から常に周囲を警戒していたアウローラとしては、どうやってセラがこんな深い森の中にいる自分達に援軍を送るつもりだったのか疑問であった。
魔法の反応を出すと鬼神に逃げられてしまう可能性があるためこちら側からは特にアクションを起こすことはできないが、せめて相手側がこちらを追いかけてきたときに気が付けるような何かを用意するべきだろうか。
近場に落ちていた木の棒を手に取り地面に印を書こうとしてたアウローラに対して、エラが空を見上げながらふと言葉をこぼす。
「――この気配はあの人ですか」
そう言い終わるのと同時にアウローラの傍で土煙が舞う。
アウローラの持っている気配察知では何も感じられないほどの速度でやってきたそれは、技能の効果によるものだろう。
物理的にはありえない挙動を見せて土煙を上げているのにもかかわらず一切の物音を立てずにアウローラの傍に降り立っていた。
全身黒ずくめのその姿は彼の種族のアイデンティティであり、額から生える角と特徴的な目の色が彼のその姿は旅で随分と見慣れたものである。
「ようやく見つけましたよ。こんな森の中にいるなんてあの天使から聞いてなかったから探すの大変でした」
「誰かと思ったらフェルじゃない。こんなところまでご苦労様」
「魔界の仕事終わらせてようやく一息付けると思ったらこれですよ。ここ数千年で一番こき使われてる感じがしますね」
「セラ相手だとさすがにフェルでも強くは出れないか」
「あの人相手に上から行ける上から行ける人なんて存在しませんよ。もしいたとしたら命知らずな奴だけですね」
天使と悪魔という関係上、フェルはセラに弱い。
旅の間から一貫して常にそうだったが、改めてフェルがどれだけセラを恐れているのかがよくわかる。
「でもセラがフェルさんを連れて来るとなると、相手も相当に強いってことですね」
「僕が来たからには大船に乗ったつもりで居てください。とりあえずこちらに来る途中でこちらに来る人影を見つけたので合流しましょうか」
「合流?」
合流するというのだから誰かがこの森に来ているのだろう。
アウローラは頭の中でこの森に来ていそうな人物を想像してみるが、全員がそれぞれ仕事があるので動けるような人物はいないように思える。
フェルの後を追うようにして森の中を進んでいくと、10分ほどして森の中を堂々と歩いている人影が見えた。
「──誰かと思ったらエラ達か。森の中だと本当に森妖種の気配は分からないな」
ほんの少しだけ警戒する様な素振りを見せた後にそんな言葉を口にしたのはレネス。
傍にはアケナが先程までのアウローラと同じように周囲を警戒しており、何かを探しているのだろうというのが見て取れる。
「レネスじゃない! どうしてこんなところに?」
「アケナが母親からトコヤミの居場所を聞いたと言うのからな、その場所に向かっている最中なんだ」
トコヤミの居場所といえばエルピスからアウローラ達が任されていた仕事である。
行掛けに一応穂積に話は聞いていたのだが、知らないと突き通されてそんなものかと納得してしまったのはどうやら失敗だったらしい。
自分の娘だからこそ穂積もアケナにトコヤミの居場所を口にしたのだろうと考えれば、今までの自分たちの仕事も一概に無駄だと言い切ることはできないが。
「ということはこの森なのは当たってたんだ」
「私の勘も結構バカにならないでしょう?」
「これから森に関係することは全面的に信頼するわ」
妖精神の力を得てもエラは慢心することはなかったが、森に関係することは森妖種としての血が騒ぐのかアウローラが凄いと褒めるといつもよりエラは嬉しそうな表情をしている。
「戦力としてはこれで十分でしょう。過剰すぎるようにも思えますが」
「エルが居てくれたら安定性が増しますが来れませんからね」
「敵の目を引くにしても随分と派手にやってるわよね、ここでも魔力を感じるわ」
エルピスの魔力は意識しないと認識できないが、認識すれば常に彼がどこにいるのか分かる程の量がある。
彼が隠そうとしていればもちろん居場所は分からないが、いまは隠そうともしていない上に魔法だって一切の手加減なしに放ち続けているようだ。
国家級魔法を鼻で笑うような魔力の奔流が島の上部を覆っており、あまりに濃密な魔力に酔った鳥たちが時々地面に落ちてきているのが目に映る。
「敵からしてみればエルピスを殺すだけでこの戦いは勝ちだ。ただでさえ敵が寄り付くのに自分から目立つようなことをすれば当然ああなるだろう」
破壊神の信徒が全精力を上げてエルピスを殺しに行かないのはなぜなのか。
総力戦をするつもりがまだないからなのだろうが、それでもエルピスがあそこまで目立った行動をすれば相手も狙わずにはいられない。
エルピスが相手に止められていると同時に相手もエルピスに止められている今の状況はその他の行動によって結果が決まる。
万が一にもこちら側が失敗するわけにはいかないと全員改めて決意を固めながら、アケナに先導されるままに一行は先ほどまでとは比べ物にならないほどの速度で森の中を進んでいくのだった。
そうして一行が走り始めて数十分。
森の中に注意をしていなければまるで気が付かないほど巧妙に隠された地下への出入り口を発見する。
倒木によって蓋をされているそこには認識疎外の魔法など様々な魔法的手段と物理的手段を用いて隠ぺいされており、とてもではないが偶然見つけられるような隠され方はしていない。
木をどけて魔法陣を解除し、なるべく気が疲れないように慎重に行動しながら邪魔な物全てをどけると地下へと続く階段が現れる。
「──ここが、母さんの言っていた洞窟ですか」
「前に出ないよう気をつけるんだぞ。うっかり死なれたら困る」
階段を降りようとしたアケナを手で制止してレネスが一歩前に出る。
エルピスの勝利条件は味方の誰一人も死なない事、理想論であるとは理解しているがレネスはそんなエルピスの考えを尊重して少なくとも自分の手の届く範囲は誰も殺されないように細心の注意を払っているのだ。
そんな彼女の考えから出た言葉は、だが冒険者としてそれなりの地位にいるアケナとしては最初から自分が戦力として数えられていないというのは琴線に触れるのだろう。
頬を膨らませて見るからに機嫌を悪そうにしている。
「私だって戦えますよ」
「気持ちは分かるが……ほら来たぞ。私がやるから警戒を頼む」
勝てないわけではないだろう。
だがこの場所で無傷で戦おうと思うなら実力が足りない事も確かだ。
暗闇の向こう側からこちらを狙って襲い掛かってくる鬼人達を前にしてレネスは腰の刀に手をかけながら軽く踏み込んだ。
「―――――!!」
断末魔すら上げることもできずにそれだけでコマ切れになって敵であったものは完全に死ぬ。
何もさせてもらえず死んだ彼らはそれこそ高位の冒険者であるアケナと戦闘できる程度の実力を有していたが、神やそれに類するものを相手することを考えれば実力不足であることは否めない。
目の前で細切れにされた者達を思えば息が止まってしまうのも仕方がないことだろう。
「鬼神を守っている相手にしては柔らかいな」
「神の気配は感じられますから、鬼神自体は変わらずここにいると思うんですがね」
「鬼神と直接会ったことがないので分からないですが、やけに気配が薄くないですか? それに若干気配がぶれているような……」
「なにか有ったって考えるのが当然でしょうね」
神の力を持つ者はその性質で、神を知るものはその力のゆらぎで何かおかしいことが起きているという事だけは理解できる。
どのような状況であったとしても
ひりつくような感覚の中でただ一人だけいま何が起きているのかを直感で理解したものが居た。
「……トコヤミ!……トコヤミの気配がします!!」
同じ種族だから、血がつながっているからか。
原因として考えられるのはおそらく後者の方だろう。
先程の一連の戦闘で前に出ないようにしていたアケナだったが、気が付けばいつの間にか走り出してしまっていた。
「ちょ、ちょっと! アケナちゃん!!!」
「もし罠があるとしたらまずいな。エラ、前衛は私がするから後ろは任せた」
「任せてください!」
△▽△▽△▽△▽△▽
時刻は少しさかのぼりトコヤミと鬼神の側に戻る。
荒れ果てた洞窟の中には既に他の破壊神の信徒の姿はなく、既にこの場所からはいなくなっているようだ。
壁に五体を縫い付けられた鬼神と満身創痍ではありながらも確かに地面に立っているトコヤミ達、勝者がどちらであるかは口にするまでもないだろう。
「まさか、本当に俺が負けるとはな……」
「搦手ばかり使っていたから鈍ったな鬼神」
強い言葉を吐くモナルカだが、実際勝てたのは偶然だ。
10回戦いを挑めば勝てるのは3回といったところだろうか。
増援を見込めず事前に策を弄する事はできたと言え逃げられないこの場所で戦闘を始められたこと、エルピス陣営が位置を探ってきているので不用意に大きな一撃を放てないことで攻撃が制限されていたことなどが勝因だろう。
血だらけの全身を癒しながらモナルカは鬼神へと近付いていくトコヤミの事をじっと眺める。
これから彼女がどうする気なのか、自分の計画にとってトコヤミが必要なモナルカとしてはその一挙手一投足には目を光らせる必要があった。
「……どうして、お母さんに嫌なことをしたですか? ……お父さん」
父さんとそう呼ばれて鬼神の目が一瞬かつての輝きを取り戻したかのようにキラリと光が、すぐにいつも通りの何を考えているか分からない澱んだ物へと変わる。
神であっても親は親、子供に父と呼ばれれば思うところはあるのだろう。
だが親としての自分をすぐに忘れた鬼神は、磔になったままでもその尊大な態度を変える事なく見下すような声音でトコヤミの質問に答えを返す。
「……全ては鬼族がこの世界で健やかに生きるために、それだけだ。鬼神の力を継承したなら分かるだろう? 俺達神は世界を運営するシステムだ。力を与えられる代わりに神であることを強要される」
「だからって……だからってお母さんにあんなひどいことをしていい理由にはならないです!!」
母がどんな目にあっているのかトコヤミは姉から聞いていた。
自分も同じ女性として、母が受けた扱いがどのようなものか、どれだけの苦痛を伴うものかを理解している。
久しぶりにこの島で会った母の目にはかつてこの島から出た時に瞳に映っていたものと同じ消えない怒りの炎が映っていた。
母は決して父を許していないのだと、トコヤミは理解している。
そんな父から生まれたトコヤミを母は本気で愛してくれているという事も同時に。
ならばこれは自分と父、二人の問題だ。
母に直接謝ってくれなどというつもりはない、いまさら母の目の前に父を晒せば母はたとえ刺し違えてでも母を殺しに行くだろう。
謝罪の言葉をここで一言口にしてくれたなら、それで母は無理だろうが自分は父を許せるとそうトコヤミは考えていた。
敗北は確定し状況次第では命すら取られかねないこんな状況なら嘘でも謝罪の言葉を口にするだろうという考えに反して、鬼神はその表情をいつも通りほんの少しも変えることなくただ淡々と言葉をこぼす。
「理解してもらえるとは思って居ない。恨みがあるのなら俺を殺せ、そうすればこの島での破壊神とお前たちの戦いはお前たちの勝利で終わる。そこの裏切者がどうするかは知らんがな」
鬼神の視線が向かうのはいまだ回復に努めるモナルカだ。
睨みつけるわけでもなくただ視線を向けられた彼女はそんな目線を気にする素振りすらない。
「私は元から創生神の側にも破壊神の側にも属していない。私は帝国さえ生き残れればそれでいいからな」
「お前も俺と大して変わらないな」
「鬼神は私が受け継ぐです。お父さんはどこかに行ってください」
「それも悪くないか。お前がそれを選ぶなら、そうすればいい」
突き放すようなトコヤミの言葉を受けても鬼神は何も変わらない。
父の体に触れて二つに分かたれた鬼神の力を少しずつではあるが抜き取っていく。
これでいいのだ、こうすればみんなが幸せになれる。
自分たち家族の性で誰かに迷惑をかけることもなく、鬼族は外の世界と交流を持てるようになり、この島はようやく世界とつながれるのだ。
だからこれで間違っていない。
「――トコヤミッ!!!!」
自分の行いを正当化するために言い訳を重ねるトコヤミの耳に、いつも自分の事を呼ぶ人の声が聞こえてきた。
ここにいるはずのない人物なのに血のつながりが言葉の主が本物なのだと教えてくれる。
「おねぇ……ちゃん?」
「馬鹿! 油断するなっ!!」
人生最大の強敵を前にして一瞬たりとも気を抜くことはなかったトコヤミだったが、姉と出会えたというたった一つの綻びで完全に気を抜いてしまっていた。
勝ちが既に決まったと思ってしまった事もある。
なんにせよその隙を神は見逃さない。
「――――え?」
何が起きたのか理解できず、トコヤミは痛みを訴える自分の腹部を見る。
そこには鬼神の腕が突き刺さっており腹部を貫通した腕は背中側から外に出てきていた。
肉が抉れ血が噴き出し、あまりの痛みから声すら出せない。
「油断してくれて、本当に助かったよ。このままだったら危なかった」
「うわぁぁァァァァッ!!!!」
目の前で起きた惨状を脳が理解すると同時にアケナは叫びながら飛び出していた。
いつもの冷静な彼女であればとてもしないような無謀な行為であったが、激情に駆られた彼女には冷静さなど少したりとも残ってはいない。
母親から渡された鬼神を殺せるという短刀、それを一切の容赦なく鬼神へと突き立てる。
効いているのかいないのか、表情の変わらない鬼神ではその効果のほどは察することはできないが、先ほどまでの戦闘で動きが鈍くなったことはアケナが短刀を刺せたことからも確実だ。
鬼神から無理やりトコヤミを引きはがし距離を取ったアケナは、即座にその場で回復魔法を行使し始めた。
「トコヤミ! トコヤミ!!」
自らの服を割いて圧迫止血を行いながらアケナはトコヤミの名を呼び続ける。
鬼でも腹に風穴が開けば死は免れない。
彼女がいまいきているのは鬼神としての力を半分以上とはいえ持っているから、皮肉にもこの島が鬼神にもたらす不死という性質が彼女の命を繋ぎとめていた。
「一体何が――エラ! 時間停止できる!?」
「いまやるからちょっと待って!!」
状況を即座に把握し指示を出すアウローラだが、状況は悪化の一途をたどっている。
瀕死のようには見えるがそれでも油断のならない相手である鬼神、既に回復を終えてこちらの事をじっと見据えているモナルカ。
エラがトコヤミの回復にかかりきりになることを考えればフェルがモナルカと戦いレネスが鬼神と戦うことになるだろう。
想定していた鬼神に充てられる戦力は単純に3分の1、鬼神が疲弊していることを考えればまだマシだろうか。
アウローラが想定していた最悪よりはまだ幾分かマシな状況ではあるがそれでも渋い事には変わりない。
だが最悪はいつだって一番来てほしくないときにやって来るもの、異変に気が付いたのはそのそばにいたエラだった。
「全員さがって!!」
エラの言葉を受けて全員が反射的にその場所から離れる。
妖精神の力を操っているエラは少し先の未来を読み取る力を持っている。
そんな彼女が逃げろと口にしたのだから何かがあるのだろうと逃げた全員の判断が間違っていなかったことが次の瞬間に証明される。
トコヤミの体から噴き出した黒い力の奔流が狭い洞窟内を蹂躙し、直撃を食らえばアウローラですら瀕死になりかねないほどの暴力が吹き荒れる。
明らかに常軌を逸したそれ、だらりと立ち上がった彼女の顔には理性というものは宿っておらず、森妖種の国で暴走したいつかのエルピスと同じような雰囲気を漂わせていた。
敵を倒すことに対して、エルピスは一切の躊躇いがない。
それは躊躇うことが相手に対して失礼になるなどと言う戦士の思考では無く、ただ単純に自分を害するものを生かしておくことに躊躇する理由がないからだ。
数万数十万の命もどきを消し去りながら、エルピスは己のするべきことを考える。
この島に来た理由は鬼神がこちらの味方かどうかを見極めるため。
破壊神への対抗策として協力してくれるならばそれでよし、そうで無くとも敵対を避けられればと思っていたのだが鬼神は既に破壊神に協力することを確約してしまっていた。
敵ならば排除しなければならない。
もしかすれば説得すればこちら側に回ってくれるのかもしれないが、エルピスは口が上手い方ではないしこの世界の混沌と引き換えに何かを欲している相手に欲しがるものを与えられるほど力があるわけでもない。
神の力を使えば破壊と再生は出来るが、それだけを望むなら鬼神は自分の力だけでそれをするだろう。
彼が何を求めているのか、それが分からないからエルピスは戦うしかない。
「時間稼ぎ、上手く行ってる?」
死に続けている相手にエルピスはふとそう問いかける。
時間にして正確にどれくらいだと測っていないので分からないが、この空間内にエルピスをどれだけ押しとどめることができたら勝ちだというのだろうか。
最初の頃はこちら側に何かアクションを取ろうとしてきていた破壊神の信徒だったが、効率的な排除の仕方をエルピスが理解してからは第一声を発生するころには既にチリに変わっているのでコミュニケーションは取れない。
「聞いても無駄だよね。それにしてもなんで君たちみたいな対して強くもないのを用意したんだろうね。邪神の権能で見た感じ随分と罪深い人物ばっかり集めたみたいだけど何処からこんなに人を用意してきたのか」
始めはどこぞの国から罪なき人間を引っ張ってきているのではないか、そう考えたこともあっていろいろと探っては見たが、どうやらそもそも生きている人ではないらしいというのがエルピスの出した答えである。
というのも鑑定を用いて相手について調べていたところ既に死んでいる者が大半だったのだ。
この世界の人ではない者も多く、どうやら破壊神の手先を様々な世界から召喚してきているようである。
なぜそうするのか、なぜそうしたいのか。
相手の狙いが分からないからこそ、エルピスの中でストレスは徐々に蓄積していく。
自分が何かを見失っているから相手の思惑に気が付けないから、何か大きな失敗を犯してしまうのではないかと、それが気になって気が気ではない。
だからこそエルピスは己の力を全力で行使することを決める。
相手のやりたいことが分からないのであれば、せめていま自分に出来る事をするしかない。
「悪いけどいつまでもこんなところに捕まってるわけにもいかないんだ。無理やりこじ開けていくよ」
△▽△▽△▽△▽△▽
エルピスが再び破壊神の信徒との戦闘を始めているころ。
島にある深い森の中を一人の森妖種が歩いていた。
傍らには周囲を警戒し続けている女性の姿も見えるが、敵を警戒しているというよりは見つかることを恐れているようにも見える。
ふとそうして後ろを歩いていた女性が前に立っている森妖種の元に近寄ると、周りに声が聞こえないくらい小さな声で言葉をかけた。
「エルピスも無茶言うわよね。こんなただっぴろい森の中からトコヤミちゃんを探して来いなんて」
文句を口にするのはアウローラ。
エラ達のところに送り届けるついでとばかりにエルピスは彼女に対して一つ仕事を任せた。
それが彼女の口から語られているトコヤミを探してきてほしいというものであり、王国の領土と同じくらいの広さがあるこの島の中からトコヤミ一人を探しあてる事の難しさは砂浜に落としたコインを探し当てるようなものである。
同じ神としてある程度神の場所が分かるらしいエラをダウジングの棒代わりとして、こうして島の中でも特に隠れられそうなところを重点的に探しているわけではあるが、正直途方もない話だ。
「仕方ないでしょう。エルもいま破壊神の信徒と戦ってるんですから、私達も私達の仕事を頑張りましょう!」
「そうね。そういえばセラの姿見ないけど何処に行ったのかしら」
「セラなら不測の事態に備えて大陸で待機すると言ってましたよ。代わりを用意しておいたから後で送るって言ってましたが……」
セラが現状の戦力で足りると判断したのであれば、アウローラはそれを疑うことはない。
ましてや代わりの戦力を用意してくれるというのであればなおさらのことである。
だがセラと別れてからそれなりに時間が経過している物のどこにも応援に来るという人物の姿は見当たらない。
「見当たらないわね」
視界に広がるのはやたらと広い森であり、それ以外には何もない。
先程から常に周囲を警戒していたアウローラとしては、どうやってセラがこんな深い森の中にいる自分達に援軍を送るつもりだったのか疑問であった。
魔法の反応を出すと鬼神に逃げられてしまう可能性があるためこちら側からは特にアクションを起こすことはできないが、せめて相手側がこちらを追いかけてきたときに気が付けるような何かを用意するべきだろうか。
近場に落ちていた木の棒を手に取り地面に印を書こうとしてたアウローラに対して、エラが空を見上げながらふと言葉をこぼす。
「――この気配はあの人ですか」
そう言い終わるのと同時にアウローラの傍で土煙が舞う。
アウローラの持っている気配察知では何も感じられないほどの速度でやってきたそれは、技能の効果によるものだろう。
物理的にはありえない挙動を見せて土煙を上げているのにもかかわらず一切の物音を立てずにアウローラの傍に降り立っていた。
全身黒ずくめのその姿は彼の種族のアイデンティティであり、額から生える角と特徴的な目の色が彼のその姿は旅で随分と見慣れたものである。
「ようやく見つけましたよ。こんな森の中にいるなんてあの天使から聞いてなかったから探すの大変でした」
「誰かと思ったらフェルじゃない。こんなところまでご苦労様」
「魔界の仕事終わらせてようやく一息付けると思ったらこれですよ。ここ数千年で一番こき使われてる感じがしますね」
「セラ相手だとさすがにフェルでも強くは出れないか」
「あの人相手に上から行ける上から行ける人なんて存在しませんよ。もしいたとしたら命知らずな奴だけですね」
天使と悪魔という関係上、フェルはセラに弱い。
旅の間から一貫して常にそうだったが、改めてフェルがどれだけセラを恐れているのかがよくわかる。
「でもセラがフェルさんを連れて来るとなると、相手も相当に強いってことですね」
「僕が来たからには大船に乗ったつもりで居てください。とりあえずこちらに来る途中でこちらに来る人影を見つけたので合流しましょうか」
「合流?」
合流するというのだから誰かがこの森に来ているのだろう。
アウローラは頭の中でこの森に来ていそうな人物を想像してみるが、全員がそれぞれ仕事があるので動けるような人物はいないように思える。
フェルの後を追うようにして森の中を進んでいくと、10分ほどして森の中を堂々と歩いている人影が見えた。
「──誰かと思ったらエラ達か。森の中だと本当に森妖種の気配は分からないな」
ほんの少しだけ警戒する様な素振りを見せた後にそんな言葉を口にしたのはレネス。
傍にはアケナが先程までのアウローラと同じように周囲を警戒しており、何かを探しているのだろうというのが見て取れる。
「レネスじゃない! どうしてこんなところに?」
「アケナが母親からトコヤミの居場所を聞いたと言うのからな、その場所に向かっている最中なんだ」
トコヤミの居場所といえばエルピスからアウローラ達が任されていた仕事である。
行掛けに一応穂積に話は聞いていたのだが、知らないと突き通されてそんなものかと納得してしまったのはどうやら失敗だったらしい。
自分の娘だからこそ穂積もアケナにトコヤミの居場所を口にしたのだろうと考えれば、今までの自分たちの仕事も一概に無駄だと言い切ることはできないが。
「ということはこの森なのは当たってたんだ」
「私の勘も結構バカにならないでしょう?」
「これから森に関係することは全面的に信頼するわ」
妖精神の力を得てもエラは慢心することはなかったが、森に関係することは森妖種としての血が騒ぐのかアウローラが凄いと褒めるといつもよりエラは嬉しそうな表情をしている。
「戦力としてはこれで十分でしょう。過剰すぎるようにも思えますが」
「エルが居てくれたら安定性が増しますが来れませんからね」
「敵の目を引くにしても随分と派手にやってるわよね、ここでも魔力を感じるわ」
エルピスの魔力は意識しないと認識できないが、認識すれば常に彼がどこにいるのか分かる程の量がある。
彼が隠そうとしていればもちろん居場所は分からないが、いまは隠そうともしていない上に魔法だって一切の手加減なしに放ち続けているようだ。
国家級魔法を鼻で笑うような魔力の奔流が島の上部を覆っており、あまりに濃密な魔力に酔った鳥たちが時々地面に落ちてきているのが目に映る。
「敵からしてみればエルピスを殺すだけでこの戦いは勝ちだ。ただでさえ敵が寄り付くのに自分から目立つようなことをすれば当然ああなるだろう」
破壊神の信徒が全精力を上げてエルピスを殺しに行かないのはなぜなのか。
総力戦をするつもりがまだないからなのだろうが、それでもエルピスがあそこまで目立った行動をすれば相手も狙わずにはいられない。
エルピスが相手に止められていると同時に相手もエルピスに止められている今の状況はその他の行動によって結果が決まる。
万が一にもこちら側が失敗するわけにはいかないと全員改めて決意を固めながら、アケナに先導されるままに一行は先ほどまでとは比べ物にならないほどの速度で森の中を進んでいくのだった。
そうして一行が走り始めて数十分。
森の中に注意をしていなければまるで気が付かないほど巧妙に隠された地下への出入り口を発見する。
倒木によって蓋をされているそこには認識疎外の魔法など様々な魔法的手段と物理的手段を用いて隠ぺいされており、とてもではないが偶然見つけられるような隠され方はしていない。
木をどけて魔法陣を解除し、なるべく気が疲れないように慎重に行動しながら邪魔な物全てをどけると地下へと続く階段が現れる。
「──ここが、母さんの言っていた洞窟ですか」
「前に出ないよう気をつけるんだぞ。うっかり死なれたら困る」
階段を降りようとしたアケナを手で制止してレネスが一歩前に出る。
エルピスの勝利条件は味方の誰一人も死なない事、理想論であるとは理解しているがレネスはそんなエルピスの考えを尊重して少なくとも自分の手の届く範囲は誰も殺されないように細心の注意を払っているのだ。
そんな彼女の考えから出た言葉は、だが冒険者としてそれなりの地位にいるアケナとしては最初から自分が戦力として数えられていないというのは琴線に触れるのだろう。
頬を膨らませて見るからに機嫌を悪そうにしている。
「私だって戦えますよ」
「気持ちは分かるが……ほら来たぞ。私がやるから警戒を頼む」
勝てないわけではないだろう。
だがこの場所で無傷で戦おうと思うなら実力が足りない事も確かだ。
暗闇の向こう側からこちらを狙って襲い掛かってくる鬼人達を前にしてレネスは腰の刀に手をかけながら軽く踏み込んだ。
「―――――!!」
断末魔すら上げることもできずにそれだけでコマ切れになって敵であったものは完全に死ぬ。
何もさせてもらえず死んだ彼らはそれこそ高位の冒険者であるアケナと戦闘できる程度の実力を有していたが、神やそれに類するものを相手することを考えれば実力不足であることは否めない。
目の前で細切れにされた者達を思えば息が止まってしまうのも仕方がないことだろう。
「鬼神を守っている相手にしては柔らかいな」
「神の気配は感じられますから、鬼神自体は変わらずここにいると思うんですがね」
「鬼神と直接会ったことがないので分からないですが、やけに気配が薄くないですか? それに若干気配がぶれているような……」
「なにか有ったって考えるのが当然でしょうね」
神の力を持つ者はその性質で、神を知るものはその力のゆらぎで何かおかしいことが起きているという事だけは理解できる。
どのような状況であったとしても
ひりつくような感覚の中でただ一人だけいま何が起きているのかを直感で理解したものが居た。
「……トコヤミ!……トコヤミの気配がします!!」
同じ種族だから、血がつながっているからか。
原因として考えられるのはおそらく後者の方だろう。
先程の一連の戦闘で前に出ないようにしていたアケナだったが、気が付けばいつの間にか走り出してしまっていた。
「ちょ、ちょっと! アケナちゃん!!!」
「もし罠があるとしたらまずいな。エラ、前衛は私がするから後ろは任せた」
「任せてください!」
△▽△▽△▽△▽△▽
時刻は少しさかのぼりトコヤミと鬼神の側に戻る。
荒れ果てた洞窟の中には既に他の破壊神の信徒の姿はなく、既にこの場所からはいなくなっているようだ。
壁に五体を縫い付けられた鬼神と満身創痍ではありながらも確かに地面に立っているトコヤミ達、勝者がどちらであるかは口にするまでもないだろう。
「まさか、本当に俺が負けるとはな……」
「搦手ばかり使っていたから鈍ったな鬼神」
強い言葉を吐くモナルカだが、実際勝てたのは偶然だ。
10回戦いを挑めば勝てるのは3回といったところだろうか。
増援を見込めず事前に策を弄する事はできたと言え逃げられないこの場所で戦闘を始められたこと、エルピス陣営が位置を探ってきているので不用意に大きな一撃を放てないことで攻撃が制限されていたことなどが勝因だろう。
血だらけの全身を癒しながらモナルカは鬼神へと近付いていくトコヤミの事をじっと眺める。
これから彼女がどうする気なのか、自分の計画にとってトコヤミが必要なモナルカとしてはその一挙手一投足には目を光らせる必要があった。
「……どうして、お母さんに嫌なことをしたですか? ……お父さん」
父さんとそう呼ばれて鬼神の目が一瞬かつての輝きを取り戻したかのようにキラリと光が、すぐにいつも通りの何を考えているか分からない澱んだ物へと変わる。
神であっても親は親、子供に父と呼ばれれば思うところはあるのだろう。
だが親としての自分をすぐに忘れた鬼神は、磔になったままでもその尊大な態度を変える事なく見下すような声音でトコヤミの質問に答えを返す。
「……全ては鬼族がこの世界で健やかに生きるために、それだけだ。鬼神の力を継承したなら分かるだろう? 俺達神は世界を運営するシステムだ。力を与えられる代わりに神であることを強要される」
「だからって……だからってお母さんにあんなひどいことをしていい理由にはならないです!!」
母がどんな目にあっているのかトコヤミは姉から聞いていた。
自分も同じ女性として、母が受けた扱いがどのようなものか、どれだけの苦痛を伴うものかを理解している。
久しぶりにこの島で会った母の目にはかつてこの島から出た時に瞳に映っていたものと同じ消えない怒りの炎が映っていた。
母は決して父を許していないのだと、トコヤミは理解している。
そんな父から生まれたトコヤミを母は本気で愛してくれているという事も同時に。
ならばこれは自分と父、二人の問題だ。
母に直接謝ってくれなどというつもりはない、いまさら母の目の前に父を晒せば母はたとえ刺し違えてでも母を殺しに行くだろう。
謝罪の言葉をここで一言口にしてくれたなら、それで母は無理だろうが自分は父を許せるとそうトコヤミは考えていた。
敗北は確定し状況次第では命すら取られかねないこんな状況なら嘘でも謝罪の言葉を口にするだろうという考えに反して、鬼神はその表情をいつも通りほんの少しも変えることなくただ淡々と言葉をこぼす。
「理解してもらえるとは思って居ない。恨みがあるのなら俺を殺せ、そうすればこの島での破壊神とお前たちの戦いはお前たちの勝利で終わる。そこの裏切者がどうするかは知らんがな」
鬼神の視線が向かうのはいまだ回復に努めるモナルカだ。
睨みつけるわけでもなくただ視線を向けられた彼女はそんな目線を気にする素振りすらない。
「私は元から創生神の側にも破壊神の側にも属していない。私は帝国さえ生き残れればそれでいいからな」
「お前も俺と大して変わらないな」
「鬼神は私が受け継ぐです。お父さんはどこかに行ってください」
「それも悪くないか。お前がそれを選ぶなら、そうすればいい」
突き放すようなトコヤミの言葉を受けても鬼神は何も変わらない。
父の体に触れて二つに分かたれた鬼神の力を少しずつではあるが抜き取っていく。
これでいいのだ、こうすればみんなが幸せになれる。
自分たち家族の性で誰かに迷惑をかけることもなく、鬼族は外の世界と交流を持てるようになり、この島はようやく世界とつながれるのだ。
だからこれで間違っていない。
「――トコヤミッ!!!!」
自分の行いを正当化するために言い訳を重ねるトコヤミの耳に、いつも自分の事を呼ぶ人の声が聞こえてきた。
ここにいるはずのない人物なのに血のつながりが言葉の主が本物なのだと教えてくれる。
「おねぇ……ちゃん?」
「馬鹿! 油断するなっ!!」
人生最大の強敵を前にして一瞬たりとも気を抜くことはなかったトコヤミだったが、姉と出会えたというたった一つの綻びで完全に気を抜いてしまっていた。
勝ちが既に決まったと思ってしまった事もある。
なんにせよその隙を神は見逃さない。
「――――え?」
何が起きたのか理解できず、トコヤミは痛みを訴える自分の腹部を見る。
そこには鬼神の腕が突き刺さっており腹部を貫通した腕は背中側から外に出てきていた。
肉が抉れ血が噴き出し、あまりの痛みから声すら出せない。
「油断してくれて、本当に助かったよ。このままだったら危なかった」
「うわぁぁァァァァッ!!!!」
目の前で起きた惨状を脳が理解すると同時にアケナは叫びながら飛び出していた。
いつもの冷静な彼女であればとてもしないような無謀な行為であったが、激情に駆られた彼女には冷静さなど少したりとも残ってはいない。
母親から渡された鬼神を殺せるという短刀、それを一切の容赦なく鬼神へと突き立てる。
効いているのかいないのか、表情の変わらない鬼神ではその効果のほどは察することはできないが、先ほどまでの戦闘で動きが鈍くなったことはアケナが短刀を刺せたことからも確実だ。
鬼神から無理やりトコヤミを引きはがし距離を取ったアケナは、即座にその場で回復魔法を行使し始めた。
「トコヤミ! トコヤミ!!」
自らの服を割いて圧迫止血を行いながらアケナはトコヤミの名を呼び続ける。
鬼でも腹に風穴が開けば死は免れない。
彼女がいまいきているのは鬼神としての力を半分以上とはいえ持っているから、皮肉にもこの島が鬼神にもたらす不死という性質が彼女の命を繋ぎとめていた。
「一体何が――エラ! 時間停止できる!?」
「いまやるからちょっと待って!!」
状況を即座に把握し指示を出すアウローラだが、状況は悪化の一途をたどっている。
瀕死のようには見えるがそれでも油断のならない相手である鬼神、既に回復を終えてこちらの事をじっと見据えているモナルカ。
エラがトコヤミの回復にかかりきりになることを考えればフェルがモナルカと戦いレネスが鬼神と戦うことになるだろう。
想定していた鬼神に充てられる戦力は単純に3分の1、鬼神が疲弊していることを考えればまだマシだろうか。
アウローラが想定していた最悪よりはまだ幾分かマシな状況ではあるがそれでも渋い事には変わりない。
だが最悪はいつだって一番来てほしくないときにやって来るもの、異変に気が付いたのはそのそばにいたエラだった。
「全員さがって!!」
エラの言葉を受けて全員が反射的にその場所から離れる。
妖精神の力を操っているエラは少し先の未来を読み取る力を持っている。
そんな彼女が逃げろと口にしたのだから何かがあるのだろうと逃げた全員の判断が間違っていなかったことが次の瞬間に証明される。
トコヤミの体から噴き出した黒い力の奔流が狭い洞窟内を蹂躙し、直撃を食らえばアウローラですら瀕死になりかねないほどの暴力が吹き荒れる。
明らかに常軌を逸したそれ、だらりと立ち上がった彼女の顔には理性というものは宿っておらず、森妖種の国で暴走したいつかのエルピスと同じような雰囲気を漂わせていた。
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