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青年期:帝国編
思い出すということ
しおりを挟む「そんでどうしたら部屋がこんなに荒れるのよ」
男だけの話し合いも終わりダラダラとした空気が流れる部屋の中に入ってきたのは、呆れ顔のアウローラである。
いつもエルピスの部屋は整理整頓とは程遠い環境であると知っていたが、それにしたって来て初日の今日にここまで部屋が荒れているとは思ってもいなかった。
足元や机の上だけでなくベットの上まで荒れているのだ、執事が二人もいてもどうにかならないのかと思うがこちらを見つめる表情を見る限りどうやらエルピスと同種であるとアウローラは判断する。
「そこに転がってるトランプは大富豪したやつで、木はジェンガでしょ? 囲碁と将棋とチェスと自作のテーブルゲームがいくつか。白紙の紙は人狼やった時のあまりだね」
「事細かに説明してもらわなくてもいいのよ別に」
「まぁまぁ怒んないでよ、すぐ片付くし」
この状況からどうやってすぐに片付けるというのだろうか。
そう思っていたアウローラの目の前で、乱雑におかれたエルピスのおもちゃはふわりと宙を浮くと整理整頓された状態で必要なものは机に、必要でないものはどこかの空間へと消えていく。
よれよれだったベットのシーツもいつのまにか綺麗に元通りになっており、一度の瞬きで汚部屋は綺麗な部屋へと変わっていた。
「魔法だから当然なんだけどなんかファンタジー感凄いわね」
「そりゃあもう。それで何のようだった?」
「ご飯できたから呼んでこいって。エルピスだけなんか呼び出されてたわよ? 気配辿って来いってさ」
気配を辿って来いとわざわざ口にしたということは、気配を辿らなければわからないような場所にいるということに違いない。
それはつまり面倒ごとが始まるということが確定したということでもあり、そんなことに嫌気がさしてくるものの行かなければいけないことに覚悟を決めてエルピスは体を起こしてやる気を出す。
「うっわぁ、絶対面倒ごとじゃん。分かった、ありがとう」
「じゃあ俺達は先に行ってるぜエルピス様」
「うーい」
誰もついてきてほしいと口にせず、エルピスは桜仙種の村の中をだらだらと歩いていく。
ついてきてくれと口にすれば誰かがついてきてはくれたのだろうが、桜仙種がわざわざエルピスだけを名指しで呼び出してきたのだから誰かを他に連れていくという考えはエルピスの中にはなかった。
村の奥の奥、エイルの気配を辿りながら軽い足取りで進んでいくと小さな小屋が建てられていた。
その外見は家という機能を最低限の状態で保つための形のような、簡単に言ってしまえばこれ以上ないくらいに簡素な家である。
その中に入ってみれば見たことのある桜仙種が三人、そして見たことのない桜仙種が一人だけ微笑を浮かべながら椅子に腰を掛けていた。
「よく来たな創生神」
「お疲れ様です。御用の程は?」
「用があるのは俺じゃない。そいつだ」
おそらくそうであるだろうという事は分かっていたが、エイルがそういって視線を送ったのは椅子に腰を掛ける桜仙種の姿である。
黒い髪に赤色の目、綺麗な長い髪は肩の方にまで伸びておりおそらくはエイルと同じ創生神によって作られたであろうその顔は、人が感じる美意識の中でも最上位の物であった。
16か17歳くらいに見えるその外見はセラやニルに近いだけの雰囲気もまとっている。
「そう言うことですか。分かりました失礼します」
「よくぞ来ていただきました」
「こんにちは。師匠顔死んでますよ?」
「自責の発露だ、放置しておいてくれればその内変わる」
知っている桜仙種のうちの一人、師匠であるレネスの顔は今まで見てきたどれよりもひどいものである。
ニルの話であればこれからくる感情はよいものだけであったはずなのだが、そのすべてが良いものだとは言い切ってはいなかったので仕方がないだろう。
「なるほど……大変ですね?」
「今回は娘の症状についてエルピス様に聞きたいことがあってお呼びしました」
「聞きたいこと? 僕はこっちの関係あんまり分かりませんよ? 大体こう言うの管理してるのはニルなので」
「ニル様からは話は既に。しかしエルピス様からの意見を聞きたいのです」
ニルから助言をすでに要求したのであれば、エルピスに話を聞きに来る要因はそれなりに絞ることができる。
「そうですか――言っておきますが私は創生神ではありません。創生神の答えを期待するのであればそこら辺を飛び回っている影を探した方が早いですよ?」
「そう卑屈にならずとも本当にエルピス様の答えで良いのですよ。ですがその前にいい加減紹介させてもらいましょう」
「ご紹介に預かりました、始祖型一号機エモシオン・レイン・アーベストです」
自己紹介をしたエモシオンが立ち上がり軽く礼をすると、エルピスも反射的に頭を下げる。
「エイルさんのお姉さん、と言うことで良いんですか?」
「まぁそんなもんだ、仙桜種の最初期型。心の管理者でもある」
「創生の神の写身よ。貴方は武器に感情が必要だと思うか?」
「武器に感情ですか……いりませんね」
「えぇ!?」
「師匠うるさいです」
どうせ聞かれるだろうと思っていた質問がエモシオンの口から発されたことで、エルピスは事前に考えていた通りの返答を返す。
それを聞いて驚いたのはエルピスがそれを否定すると考えていたレネスである。
驚きという感情を上手く表に出せているレネスの表情に面白さを感じながらも、エルピスは驚くこともないと言いたげに手でレネスを制止してエモシオンの次の言葉を待つ。
「なるほどね、何故いらないと思うんだ?」
「武器が喋り始めたら気を遣いますからね、敵を殺すための道具が言葉を喋り始めたら気を遣って敵も切れませんよ」
エルピスの返答は何とも簡素な物であった。
もし敵を殺すために必要な剣が言葉を有していたとして、それに人格があったのならばそれはきっと邪魔でしかない。
温度を感じないから、感情を持たないからこそ武器は道具足りえるのであって、だとすればそうでない武器はもはや道具ですらないだろう。
「ただ、一つ私と貴方方には認識の違いがあります。まず仙桜種は種族であって武器ではありません、よって使い捨てもしませんし感情を持つことも推奨します」
だからこそエルピスは桜仙種が感情を持つことを肯定する。
道具ではなく文化を形成し個ではなく群として種族としてこの世界を全力で生きていく彼らに対して対等であろうとするのならば、きっとそうするのが正解なのだろうという思いからだ。
「それは確かにそうだな、定められた役目さえこなせば俺達は自由な筈だし」
「エイル、君はなぜそんな考えを持てているのかわたしには分からないよ」
「一番目を真面目に作って二番目には余裕を持たせるとかあいつならやりそうですけどね」
「勘弁して欲しいね」
もし自分ならそうするだろう、そう思いながら答えたエルピスに対してエモシオンの反応は何とも辛そうだ。
エイルが感情を制御されていながらも自力でそれを乗り越えられたのは、創生神がそう作ったからかもしくはそれをエイル自身が望んでいたからだろう。
自由を夢見たエイルと創生神の思いを必死になって自己の中で解釈した結果が感情を制御するというものであったはずだし、それが思案の末の結果であったのならばそれもまた間違った決断とはいいがたい。
だが長い年月の中でエルピスという異物が現れたことで、エモシオンは自らの考えが本当に正しいものなのかどうかという事を疑問に感じたはずである。
だからこそ、その答えをエルピスに託したわけでその言葉の重みはエルピスが想定しているよりもはるかに重いものなのだろう。
「まぁそんなわけで仙桜種には感情が必要であると思いますよ。ただ喋っていて感情が元からあるようにも感じますけどね」
「感情が自分にはないと思い込む術式を仙桜種自体にかけているだけだからね、他者から見れば感情の発露とも取れる行動はあっても不思議ではないよ」
感情を消してしまったのではなくないと思い込んでいる。
確かニルもそんな事を口にしていただろうか。
自分がそうなったことがないのでどんな感覚なのか好奇心がわいてくるが、今までそれで苦しんでいた相手の目の前で再現する気にはさすがになれなかった。
「さて、それじゃあ行くか」
「どこにですか?」
「昼行っただろ?」
昼に言った場所といえば一番最初に思い浮かぶのはあの神木の姿である。
ここからそう遠い距離でもなく、エルピスは桜仙種たちに先導されるがままに再びあの木の元へとやってきた。
何度見てもこの景色にはなれることもなく、ため息をついてしまいそうになるほどの美しさに心奪われてしまう。
だが先ほどまでと違ってエルピスの視線が追いかけているのは舞い落ちる魔力の塊ではなく、それに隠れて上へと吸い上げられていく半透明な魔力の存在であった。
この世界中を探してもおそらくはこの場所にしかないだろうと思えるほどの、魔神であるエルピスをして見事と思わせるには十分な魔法陣が木の根を用いて巧妙に隠されて描かれている。
「ーーまぁそういうわけでエイルにここを紹介してもらったのはこの時のためだ」
「これ浮いてるの全部感情を抑制する制御術式から漏れ出た魔力ですか。術式で木を作るなんてさすが無限の寿命を持つと言われる仙桜種ですね」
「お褒めに預かり光栄だ、さてエルピス君こいつを崩してやってくれ」
この場に来た時点でそういう事だろうという憶測は立てていたが、どうやらその予想は見事に的中したようである。
この木を倒すのはそう難しい話ではない、魔神の力を持つエルピスからしてみればどれだけ難解な防護が施されていたところで、それが魔法由来の物であったのならば有って無いようなものだからだ。
これほど見事なものを壊すと言うのはなんだか勿体無い気がするが、所有者達が壊したいと望むのであればそうしてあげるのが優しさだろう。
壊すために木に触れられるほどに近寄ると、最後の確認をエルピス行う。
「自分でやらなくて良いんですか?」
「残念ながら無理だ、こいつは初めて私が産まれた土地に残っていた力を流用して無茶苦茶した後に作った、今の私の力ではどうともならん」
「実際のところこの木の処理が誰も出来ないから感情を抑制する術式が放置されてきた側面もある」
「なんですかそれ…じゃあ行きますよ?」
「ああ。構わずやってくれ」
(桜仙種が手を出せない術式? 最上位種族の彼らが手を出せないようなことがあるのか?)
本人たちがそういっているのだろうから本当なのだろうが……そう思っていたエルピスの思考は木に触れた瞬間に掻き消えた。
この世界で比較するものを挙げることができるとするならばエルピスが使用したことのある天災魔法くらいの物で、攻撃魔法であるあれを精神に干渉するものとして作り出したのであれば、この術式の難解さにも納得がいくというものである。
並みの魔法使いであれば触れただけで発狂、桜仙種クラスでも現状維持が精一杯だと思えるほどにこの木に込められた魔力は途中でどうにかなるような魔力量ではなかった。
だがこの木に今触れているのは当代の魔神である。
この世界中の何者でも行えないような作業であったとて、魔神の力であればそれを行えるだけの力は備わっているのだ。
無限のような処理に焼ききれそうになる脳をそれで構わないとばかりに酷使していくと、徐々に根の方からゆっくりと木はほどけるようにして消えてなくなっていく。
それは桜仙種たちを縛り付けていた呪いが消えていく瞬間でもあり、そして隠されていた感情が桜仙種達に取り戻される瞬間でもあった。
「ははっ、これが感情か。生まれ変わったような気持ちだ、前が見えないのが鬱陶しいが」
そう口にするエモシオンの瞳は涙に覆われていた。
感動からくる涙なのか喪失感からくる涙なのか、どちらにしろこれで全ての桜仙種達は感情を取り戻したのだ。
長年悩みぬいた問題であっただろうそれがこんなにもあっけなく解決してしまうのは、エルピスの神の力が強大であるからに過ぎない。
「ああ懐かしいな。これが忘れてたものか」
「嫁のところに行ってやれ。多分お前が一番隠してた感情は愛情だ」
「エモシオンさん顔すごいことになってますよ」
「淑女の顔を覗くのは良い行為ではないぞ創生神よ。だがそうだな、酷いものだ」
涙にぬれた顔を拭うためにエルピスが取り出したタオルを手に取ると、エモシオンはそれで顔を隠してさらに大きな声で鳴き始める。
普通ならば他者が感情を手に入れるのを見るのは初めての事だろうが、エルピスとしてみればレネスの時を含めて今回が二回目である。
彼らがどれほどの感情を受け止めているのかまでは想像すらできないが、対応くらいならばもうお手の物である。
身動きが取れないほどの感情の濁流の中であって、レネスはふらふらと体を動かしながらエルピスの肩をつかむ。
「エルピス」
「どうしたの師匠? 師匠は少し前から感情が表に出てたからそんなに変わらない?」
大丈夫そうには見えないが、他の面々に比べればいくらかましのようにも見える。
そう思ってのエルピスの言葉であったがレネスはそれに対して何も口にすることはなく、驚くほどの力でエルピスの事を突き飛ばす。
「──!?」
10メートルくらいは吹き飛ばされただろうか。怪我すら追っていないもののエルピスは何をされたのか分かっていないように驚きの表情を浮かべていた。
「エルピス、すまない離れてくれ」
「師匠いったいどうしたの――ってこれは認識阻害? いったい誰が……」
反射的に取り出した刀を腰の位置でぶら下げながら辺りを警戒しているエルピスの隣に、この場には先ほどまでいなかったはずの人物がたっていた。
こちらのすべてを見透かす様な黒い目、ボーイッシュな短い黒髪から突き出た獣の耳はぴょこぴょこと動きながら付近の音を拾っているようで、腰のあたりから生えた尻尾は警戒しているのか固まったままである。
エルピスが最も命の危険を感じたことのある最強の敵であった彼女、神獣ニル・レクスがそこには立っていた。
だがそんな彼女が目線を向けるのはエルピスではなく、目の前で今にもこちらを殺さんばかりににらみつけているレネスである。
「エルピス、出来るだけここから離れて。他のみんなにはもう言ってあるから出来るだけね」
「ごめんニル、急なのは分かるけど状況説明が欲しい!」
「いいから! 今は僕を信じて」
「ーーっ、分かったよ。すいませんエモシオンさん、私はここで」
「あいわかった。こうなる事は私達も予想していた、事態が落ち着いたらまたゆっくりと語り合うとしよう」
ニルがこの場にいるという事はきっとエモシオンの言葉の通りこうなることを予想していたのだろう、そう考えたエルピスは信じてほしいと口にしたニルを一瞬見つめた後に即座にその場所を後にする。
戦闘を前にして自分が逃げるのはこれが初めての事だ。
彼女たちを守るために力を手に入れたというのに、その力を持った自分がその力を振るわずに逃げるということ自体がエルピスには自分自身の行動であるというのに到底理解不能な行動であった。
セラ達の気配を辿りながらも足を一歩ずつ踏みしめて進むたびに戻ろうという思いは強くなり、それと同時に絶対に戻ってはならないという思いも胸の内に溢れてくる。
ニルの最近の悪だくみは全てこの時のためであった、だとするならばエルピスが戻れば最悪な結末にたどり着く可能性を高くしてしまうだけである。
まるで脱兎の如く逃げ出してきたエルピスは、先日一日かけて移動した距離よりもはるかに長い移動距離を経てようやく他のメンバーの居場所までたどり着く。
「大丈夫だったエルピス!?」
「俺は大丈夫だよ。アウローラ達は?」
鑑定まで持ち出してアウローラ達に怪我がないか確認するエルピスだが、その声こそ冷静そのものであるが声はいつになく不安げであった。
「私達には何も問題はないわ。急に仙桜種の皆さんが苦しみ出して…エルは何か知ってる?」
「仙桜種が苦しみ始めたのは感情の発露が原因だと思うけど…レネスの様子がおかしくなってニルが来たと思ったら急に離れろって」
「本当に私の妹は伝えるべきことを伝えないから困ったものね」
全員の無事を確認し安堵したエルピスが胸をなでおろすと、かなり幼くなった姿のセラが姿を現した。
見た目的に14かそこらといったところだろうか。
ニルとセラの間で権能解放時の神の力を融通しているのはエルピスも知っているところではあるが、そうなってくるとニルもどうやら本気であの場に向かったらしいことがよくわかる。
見た目に変化があまり見られなかったのは変化の途中であったからだろう、とりあえずはエルピスには聞いておかなければいけないことが一つだけある。
「セラ何か知ってるの? ニルは大丈夫!?」
「無事よ。おそらくレネスは感情の制御が上手くいってないのよ、それで暴走するのを見越していたんじゃないかしら? あの子、狂った子の相手は得意だから私から力も相当持って行ったし大丈夫でしょう」
「そっか。だとしてなんで俺がいると不味かったんだ……?」
「そういう事か。エルピスには百万回説明してもどうせ分からないからいいわよ」
感情を完全に取り戻したことで初めて敗北した屈辱感と自分より強い人物に対する畏敬の念、あとほんの少し生まれ始めていた恋心が暴走した結果であろう。
理性を得始めた赤ん坊がその感情が何なのかを知る前に激情に駆られてすべてを破壊してしまうように、レネスの行動は大量の感情を一度に味わったが故である。
だとすれば他の桜仙種達が暴走しなかった理由は何なのか、一言で結論付けてしまうならとてつもない程にレネスは負けず嫌いであったという事だ。
「とりあえずそういう事でしたら仙桜種に残るメンバーとイロアス様のところへ行くメンバーを分けましょうか」
「そうね。トコヤミ、アケナ、私にフェルはこちらで良いと思うわ」
「ヘリア先輩、私も残ります!」
「だめよリリィ。アーテとフィトゥスだけじゃ身の回りの世話をする係が足りないでしょう?」
「先輩……」
「それじゃあ班分けはそんな感じで。夜ですがこの程度の距離ならすぐに追いついてくるでしょうしこのまま行軍しますか」
「夜はあんまり好きじゃないんだけど仕方ないか」
きっとヘリアたちが戻っているころにはレネス達の戦いも終わっていることだろう。
そうは思いながらも万が一のために強めの障壁を張り直しフェルへ権能行使権を半分ほど譲渡してから新たな街へと向かって走り出す。
いまのエルピスに出来ることは信じる事だけだ。
ならば祈ることをせず、ただ信じて待とう。
きっと彼女なら何とかしてくれるだろうという思いを抱きながらエルピスは大地を踏みしめるのだった。
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もはや文字ですら無かった
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