クラス転移で神様に?

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幼少期編

命の価値

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 夏の暑さもどこへやら。
 季節は冬、肌を突き刺すような寒さは人ならばかなり堪えるのだろうが、そんな中でエルピスは森の中を歩いていた。

 半人半龍ドラゴニュートであるエルピスは基本的に外の影響を受けにくい。
 受けにくいというのは睡眠時に周囲の温度が低いと強制的に睡眠時間が多くなるという特性があるからなのだが、魔法を使用して室内の温度を変えればどうにかなる程度だからだ。
 やはり季節感を味わうには実際に外に出て見て感じるのが一番だといえる。

「ねぇお母さん、そろそろ何しにいくのかくらい教えてくれてもいいんじゃない?」

 前を歩くクリムに向けてエルピスはほんの少し退屈そうにしながらそんな声をかける。
 いまエルピス達がいる森は、家の周りに広がっている龍の森ではない。
 馬車で二、三時間ほどかけて移動した何の変哲もない森、それがいまエルピス達がいる場所である。

 せめてこれが龍の森であれば、龍と出会えるかもという楽しみがあったところだが、普通の森では残念なことに何もない。
 冬の森はまさに死の森であり、草木はその葉を落とし動物達は冬眠して春の訪れを待っている。

 たまに聞こえる音は雪の重みに木が耐えられなくなり折れる音だけ、そんな森の中を歩き続けるのは不気味さもあった。
 龍人である母がいる限りエルピスに被害が及ぶことはないだろうし、最悪は空を飛べば遭難という最悪の状況を回避できるだろう。
 だが万が一がないとも言い切れない。
 森の怖さをエルピスは実体験としては知らないが、伝え聞く話では森は恐ろしいところであるという話だ。

 知識として怖いところと知っていても肌感覚でそう感じられないのだから、緊張感を持ってこの場に立てと言われても難しい話だった。

「そうね、そろそろ一人で帰れないところまで来たし教えてあげる」

 一人で帰れない、わざわざそう言われてしまうとエルピスの不安は更にます。
 まるで逃げられる事を恐れているような母の言葉はエルピスを身構えさせるには十分だった。

「この先に冬にしか咲かない薬草があるのよ、今日はそれの採取を依頼されていたの。私の仕事に前からついてきたそうにしていたでしょ?」

「お母さんのお仕事!? それってすごく危ないんじゃ……」

「比較的危険度が低いものを選んだつもりではあるけれど、それでも絶対に安全とは言えないから……できるだけ私の側から離れないようにしなさい」

「分かった!」

 冒険者組合の基準として最高位に位置する母に与えられた任務、その難易度は想像を絶するものなのだろうと想像したエルピスは怯えたような表情を見せる。

 龍の森の方が危険度で言えばよほど高いのだが、普段と違う状況というのがエルピスに死を直視させていたのだ。
 クリムの言葉に対して元気よく返事をしたエルピスがノータイムでクリムの服の袖を掴むと、クリムは嬉しそうな笑みを見せる。

「あらエルピス、もしかして怖いの?」

「怖いっ!」

「あらまぁ」

 これがクリムではなくイロアスやフィトゥスなどであれば、エルピスも己のプライドを持って勇気を振り絞っただろうが、クリム相手に見せるプライドなどエルピスには持ち合わせがない。
 自信満々に恐怖を口にしてしまうのはどうかと思うが、クリムはそんなエルピスの姿にここに来て良かったと改めて考えていた。
 クリムが今日この日にわざわざここに来た理由はもちろんある。
 それはエルピスに命の大切さを教えるため、そして命を奪うことの重みと責任を教えるためである。

 エルピスには戦闘行動を十分に取れるように修行をさせていたが、それでもフィトゥスやリリィなどと戦って得られるのは所詮命がかかっていない戦闘に対する強さだ。
 相手もこちらの命を狙い、こちらも相手の命を狙うような戦闘は思う通りにはいかない。

(エルピスの半分は龍とは言え半分は人。恐怖に打ち勝てるといいのだけれど)

 切り付けられて熱を帯びた箇所は自らの命の危機を明確に知らせ、相手の肌を切り付けたことによって手に残る嫌な感触は慣れていないものには精神に強い負荷をかける。
 普段からエルピスには野鳥や魚などの調理をさせているとフィトゥスから聞いているが、人に近い生物であればあるほど剣先は鈍ってしまうものである。

「まぁそれは別として、この写真はイロアスに見せてあげないと」

「写真? って何その道具! ちょっとやめてよ!」

「暴れないのエルピス、かっこよく映らないわよ? このカメラは遺跡から手に入れたものだから──」

 怯えるエルピスの事をカメラで撮ったクリムだったが、ふとその目を細めて周囲を見回す。
 そんなクリムの行動に違和感を感じたエルピスが辺りを見回すと、なにやら先ほどまでとは違う異様な気配が辺りを包み込んでいた。
 そうして遅れて〈気配察知〉をしようとしたエルピスは自分達が数十匹の緑鬼種ゴブリンに囲まれている事を知る。

 一般的に緑鬼種達は冬の森には出没しない。
 食料も少ない上に寒さを凌げない外よりも、食糧を溜め込み洞窟の中などで冬を越そうとするのが一般的だ。
 だというのに一つの群れほどの緑鬼種が外に出てきているのは、近場の村で雇われていた冒険者が考えなしに近くの魔物を追い立て、その魔物が緑鬼種達の巣へ住み着いてしまったことが起因する。

 正直な話クリムにくるような難易度の依頼ではないのだが、今回はエルピスの強さに合わせた依頼なのでこの程度が妥当だろう。
 クリムを前にして戦闘意欲を失うどころか増した緑鬼種達は、ここで勝てなければ死ぬという覚悟を持ってこちらに挑んでくる。
 クリムが求めていたのはそんな相手であり、エルピスは殺意のみをもってこちらを見つめる無数の目にどうしようかと頭を悩ませていた。

「エルピス、魔法を使っていいのは三回まで。拘束ではなく確実に殺しなさい、貴方が逃した緑鬼種一匹につき一人の人間が死ぬと思いなさい」

「大丈夫だよ母さん、緑鬼種相手くらいなら僕だって勝てる」

 勝てる勝てないの話ではない、殺せるか殺せないかだ。
 声は震え日沢笑いつもならば震えることのない切っ先も今ばかりはカタカタと音を鳴らし、そんな姿がゴブリンたちから見てみれば力のないもののそれであったため、必勝を確信したゴブリンたちはその姿を現す。

 やせこけた体に粗末な布の服、身長は低く体には筋肉と言うものがついているようには見えない。
 スラム街にいる子供と言ってしまってはなんだが、少なくともすべての生物の中で最も人間の子供に近いのはゴブリンである。
 強さを完全に押し履かれているわけでは無いのだろうだが立場的にクリムの方が上であると判断してゴブリンたちが先にエルピスの方を殺すことに決めた。

「ギャキャギャ!」

 下びた笑い声と共に前に詰め出した緑鬼種の一匹は、エルピスに対して石のかけらのようなものを振りかざす。
 武器などという高度な文明の利器を緑鬼種達は手にしておらず、原始的なそれを前にしてエルピスの障壁は砕けるはずがなかった。

 だがエルピスは障壁だけでも十分に受けられる攻撃をステップしてまで避けると、たったそれだけの行動で肩で息をするほどに疲労感を覚える。
 そうすることでついにエルピスは理解した。
 今この場で行われているのは訓練や練習などではない、これこそがこれこそが殺し合いなのだ。
 エルピスの危険に対して即座に行動をするだろうクリムは、エルピスを助けたる為に動くような素振りはない。
 だが自分に向かって突撃してきた緑鬼種の一匹を目にも留まらぬ早さでその頭部を粉砕する事で殺害し、緑鬼種達の攻撃対象から早々に離脱していた。

 それはつまり戦闘に参加しないと言う意思表示の表れであり、エルピスはそれを見て今日の己が何をしなければいけないかを理解する。

「――――くそッ!!!!」

 胸の内にある激情を声として外になげだしながら、エルピスは慣れ親しんだ己の武器を緑鬼種に向かって振るう。
 ──いやな感触と共に緑鬼種の体が消し飛ぶ。
 吹き飛んだのではなく、その場で血の煙に変わった緑鬼種はつい先ほどまでそこに居たことすら不確かに思えるほどである。
 当たり前だ。生物としての格が違う上に武器を用いて魔力による強化までしているエルピスの一撃は緑鬼種がどうにか出来るものではない。
高速道路を走るトラックを生身で受け止めることが出来るだろうか? 飛んでくる弾丸を見てから躱せるだろうか?
それよりも遥かに大きい実力の差、だがあまりに大きすぎる実力差が故にエルピスも緑鬼種もお互いの実力を誤認する。

エルピスから見れば緑鬼種は自分の渾身の一撃を途轍もない速度でよけたように見えた。
刃が当たる直前に目を閉じてしまった事が原因だが、少なくとも目の前に緑鬼種の死体が無いからだ。
対して緑鬼種達はエルピスの一撃を誰も目にすることが出来なかったので目の前で仲間が一人突如として消えたと認識し、緑鬼種達の脳はそれをとして処理してしまう。
 とはいえ一対一の戦闘が不利であることを理解した緑鬼種達はエルピスの周囲を取り囲むと、ジリジリと誰が攻撃を仕掛けるのかギリギリまで悟らせないように距離を詰めてくる。

「お、お母さん!」

「自分一人の力でなんとかしなさい」

「そんなっ!?」

 それはなんとも悲痛な叫びの声であった。
 胸が張り裂けそうになりながら、エルピスの成長のためにそんなエルピスの叫び声をクリムはあえて無視をする。

 (ごめんなさいエルピス。恐怖を克服できなければ、貴方は人の世界で暮らしていけないの。これもすべては貴方の為なのよ)

 そうして母からの助けがないことを改めて理解し、途端にエルピスの顔は絶望へと変貌した。
 戦闘力でいえばエルピスは緑鬼種の集団など数千単位で相手にできるだけのものがある。
 十数匹の緑鬼種などいかようにも処理できるはずなのだが、相手の刃が届くことを恐れているいまでは勝てるものも勝てないだろう。

 それから数度、普段ならば絶対にしないほど大ぶりな攻撃をエルピスがしかけた辺りで、クリムは隠し持っていたアイテムを使用する。
 アイテムの名前は〈勇気の翼サロス・フリューゲル〉、魔法道具マジック・アイテムに分類されるこれは恐怖を和らげる効果を持つ。
 今回の目的は相手を殺したと言う実感と経験であり、なにもエルピスを恐怖に貶めるためのものではない。
 道具によってエルピスに現れる効果はまさに劇的なものであった。

「やらなきゃ死ぬんだ!」

 声を大きく張り上げたエルピスは、目の前にいた緑鬼種に飛びかかりその剣を振るう。
 よく磨かれた鉄の剣はエルピスの半人半龍ドラゴニュートとしての膂力も相まって止まることなく緑鬼種を両断し、その血を地面に撒き散らす。

 臓物が溢れ出たことで辺り一体に嫌な臭いが充満するが、緑鬼種達は戦意が衰えるどころかさらにその戦意を増していく。

(やればできるじゃない、さすが私達の子供ね)

 スキップでもしそうなほどに上機嫌になったクリムはそろそろ自分も戦闘に参加するべきかと考えるが、一歩前へでたところでエルピスの異変に気がついた。
 震えていたのだ、カタカタと戦闘前よりも更に大きく。
 弱肉強食を教えられ力の使い方を指導されていたエルピスではなく、他者の命を奪ってはいけないと教育を受けて育ってきた晴人の心が緑鬼種の命を奪ったことに思考が奪われていた。

「エルピス!」

 そして戦闘中にそうなったものはほぼ例外なく死亡する。
 一瞬さえ気を抜いてはいけない場所で気を抜いてしまったのだ、結果として死が訪れるのは当然だとも言えるだろう。
 飛び出した緑鬼種達を蹴散らす為にクリムが足に力を入れると、雪がその力に耐えきれずクリムの足を滑らせる。

(このままじゃ間に合わないッ!)

 体制を整える時間が無駄だと判断したクリムは、更に足に力を込めて空気の壁を蹴り飛ばしてありえない加速を実現した。
 エルピスに襲い掛かった緑鬼種達は悉くが肉片へと変わり、様子を見ていた緑鬼種達は何が起きたのか分かっていなかったようだが、クリムからの一睨みでその場から逃亡する。
 クリムは自分の腕の中でなんとか無傷で守りきれたエルピスを見て、震える声で安否を確認する。

「──ごめんなさい、大丈夫?」

 怪我をしていたらどうしよう。
 心に傷を負っていたらどうしよう、そんな心配から放たれたクリムの言葉にエルピスは興奮とも驚きとも取れるような顔で言葉を返す。

「母さんは強いんだね。ごめん僕、母さんの足を引っ張ってしまって」

「いいのよ、謝らないで私があなたを騙してここに連れてきたの。本当は貴方に戦闘の怖さを知って欲しかっただけなの、こんな危ないことになるなら辞めればよかったわ」

「泣かないでよ母さん」

 涙を流してしまうのではないかと思えるほどに震える声で謝罪の言葉を口にしたクリムを前にして、エルピスは母の真意を理解する。
 そして先程までの自分の状況を思い出し、母が何を自分に教えたいかを改めて認識した。
 この先この世界で生きるエルピスはきっと人を殺す事があるだろう、その時にかかる心の負担を少しでも軽くしようとしてくれていたのだろうと。
 だからこそエルピスは視界の先でこちらに向かって弓を構える緑鬼種を目にし、己のやるべきことを理解する。

 手のひらに魔力を集め、エルピスは初めて己の意思で持って家族を害そうとする魔法を放つ。

「中級魔法〈直雷ライトニング〉」

 エルピスの手によって生成された魔法は一度空へと上がり、上空から目的の緑鬼種だけを正確に雷となって貫いた。
 ほんの一瞬の轟音と共に込められた魔力量が多かったため、威力を増したことにより溶けてしまっている緑鬼種を見ても先程のような衝撃はエルピスにはない。
 家族を守る為に敵を殺す、精神的な主柱を手に入れたいまのエルピスにはもはや仕方のない行為である。

「……エルピス」

「大丈夫だよ母さん、敵は殺さないとこっちが危なくなる。ようやく分かったよ、守る物のために僕は一才躊躇しないよ」

「……今日は一旦帰りましょう? イロアスも帰ってくる頃だし」

「うん!」

 必要が必要であると理解したエルピスを前に、クリムはなんとも言えない顔で家への道を進み始めた。
 目的は無事達成、いやもはややり過ぎてしまったのかもしれないが。
 敵を排除しようとするその考えを悪とするか、それとも肯定するべきなのか。

 母親として自分がどうあるべきなのかと考えると、ドラゴンとしての自分の血がそれでこそ我が子だと囁く。
 人と龍の間にある可愛い我が子をどうするべきなのか。
 どちらにせよクリムはなんとも言えないわだかまりを胸に抱えたまま家へと帰るのだった。
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