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青年期:法国
悪魔
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そうしてレネスが時間を稼いでいるころ、聖都の門は悪魔によって打ち破られていた。
聖都をぐるりと囲む城壁の内最も強度の高い正門をその圧倒的に強化された膂力で蹴り飛ばしたフェルにより、生徒の内部をもとは正門であったものが跳ねながら飛んでいく。
エルピスが転移で住民を逃がしていなければ一体何人死んでいるのかも分からないほどの蛮行、だがそんなフェルの蛮行も立案者であるエモ二の想定の範囲内である。
「この私が人間の思い通りに使われているというのはあまり納得がいきませんが、たまにはこういうのも悪くはありませんね」
「フェルは悪魔だもんね。僕としてはあまり文化遺産を壊すのは良くないと思うけど」
「そういう割には楽しそうだね灰猫」
「知らないの? よくない事をやるのって楽しんだよ」
にっこりと笑みを浮かべる灰猫に対してフェルも同じように獰猛な笑みを浮かべる。
エルピスの指示のもとに動くのであればこの両名は基本的におとなしくしていることが多い。
それはエルピス本人があまり無意味に破壊活動をすることを嫌がることもあるが、彼が表に出てくると一番キツイ役回りを彼が請け負う事が多いので灰猫やフェルに回ってくる仕事のほとんどが補佐的な仕事でしかないからである。
しかし今回に限ってはそのどちらも当てはまらないのだ。
アウローラを救うためにエルピスはどのようなことでもするという覚悟を持っているし、そんなエルピスが前に出てこれない以上はフェル達もそれ相応にきつい仕事をさせてもらえる。
「それは確かにそうだね」
より一層笑みを深くしたフェルが腕を軽く振るうと正門付近の建物が見えない巨人の手によって遥か彼方に吹き飛ばされる。
体の奥底から湧き上がってくるのは抑えきれないほどの破壊衝動。
それに伴ってゆっくりとフェルの体は始祖種として、この世界の悪魔すべてを制する者としての変化をし始めた。
学園でかつてエルピス相手に見せた姿とはまた違うその姿気が付けばフェルの体を覆うようにして黒い靄の様な物が漂い始め、それは服となり翼となり頭の上に光輪を作り出す。
まるで堕天使の様なその姿は法国の者達が見れば神を冒涜してると怒り心頭になることは間違いなし。
「改めて確認しよう。我々のやるべきことはただ一つ、畏怖を与えること。敵の引きはがしを行ってくれているレネスさんに感謝しながらも我々はこのままゆっくりとゲリシンがいるだろうところを目指さないとね」
「戦力的には問題ないけど二人だと見た目的に圧がないね」
「なら僕の方から戦力を出そう」
「影の軍勢か、さすがだね」
「僕だって始祖種だからね。固有の能力くらいはあるんだよ」
フェルの能力によって作られた影の軍勢は、戦闘能力もある程度担保されているので聖人相手にも時間稼ぎくらいにはなるだろう。
軍勢を背中に背負いながら、そうしてフェルと灰猫は法国の街並みを歩いていく。
レネスは一度この国と事を構えた上に人間の文化形成に対して思うところがあるのか都市の景観を損ねることに対して慎重になっているようだが、フェルと灰猫に関して言えばそんな気を遣うようなことはない。
「さあ第一王子、貴方の大好きな聖都が蹂躙されていますよ。構わないのですか?」
拡声魔法を使って聖都に響くのはフェルの心底嬉しそうな声である。
出てくればその時点でこの戦争を終わらせることができる、そうでなくともこの国の事を思うのであれば、この街の事を思うのであれば早く出てきた方がいいだろう。
街を人質にとって相手がどのような反応をするのか確認したかったフェルはそんな自分の問いかけに対して言葉が返ってこないのを確認した後に、一切の手加減なしに破壊活動を開始する。
こうして人々の祈りの聖地である聖都は戦火に飲まれていくのであった。
さて場面は変わりフェル達が信仰している場所から反対側、瓦礫の山を前にしてレネスは少々焦っていた。
レネスがいま相手にしているのはおそらくは聖人、それもまがい物ではなく純粋に生まれきっての聖人であることは殆ど確定といっていい。
桜仙種として自分の見る目に自信を持っているレネスはなればこそ焦りを隠せずにいたのだ。
レネスはこの作戦が始まるにあたって事前にエルピスからお願いをされていた。
それはなるべく被害を出さずに聖都での決戦を終わらせてほしいというものである。
フェルと灰猫の両名についてレネスはあまり詳しく知ることはない。
フェルについては一応何度か会話したこともあるし旅を共にしたこともあるので悪魔らしい悪魔であるということくらいならば口にできるだろう。
だが灰猫に関して言えばレネスは殆ど何も情報がないといっても過言ではない。
だからこそレネスはエルピスから聞かされているあの二人をエモ二の指示の元動かすべきではないという考えに対して無条件に賛成した。
レネスとしてはエルピスが鶴の一声で自分の指揮のもとに行動させればいいのではないかとも考えるが、セラとニルは何も口にしない以上は自分が考えつかないナニカを期待してエモ二に指揮を指せている可能性もあるからとのことだ。
エルピス達の最終目標はゲリシンに捕縛されてしまっている神の解放と、それによって瀕死状態のアウローラを助けることにある。
最短手段を取るのであればハイトのクーデターに乗っかる形がもっともはやいのだろうからその案自体に乗っかるのは仕方のないこととして、安全装置としての役目を自分がこなすことができないのでレネスに任せたい。
何とも難しいことを要求するエルピスだが、状況を考えればそれもまた仕方のない事なのかもしれない。
「随分と余裕があるのですな」
そうして思考するレネスの前で忌々しそうにしながらボロボロの服と血だらけになった髪を振り乱しているのは先ほどレネスが思考時間を稼ぐために吹き飛ばした聖人セクネスである。
彼が聖人として活動していたのは実に300年は前の事になるだろうか。
槍の達人として大陸中に名前を馳せた彼はかつてレネスと戦ったこともある人物である。
レネスと戦いながら生きながらえている時点で相当に強いことは確かだが、いま目の前に居るセクネスという人物は当時の事を思い返しても異例の成長を遂げている。
黒い髪は加齢からか白髪が混じり始め、顔には年相応のしわが寄り始めているがその目の鋭さや間合いに入った瞬間の威圧感などは若かりし頃とは比べ物にならないほどだ。
桜仙種としての全力を発揮すれば勝負はすぐに終えることができるだろう。
あの力に対して真正面から戦える生命体が居るとすれば同じ桜仙種が神くらいの物。
だがあの力は残念なことにおいそれと連発して使用できるものでもなければ、周りからの援護が期待できないのに敵地のど真ん中で使うようなものでもない。
「時間稼ぎに付き合わされているんだ、余裕なんかはないよ」
「悟られないつもりで……本気で殺すつもりでこちらは槍を振るわせてもらっておったが、さすがに見抜くかバケモノよ」
「他人をバケモノ呼ばわりとは随分な物言いだな。神を冒涜したせいで知性までも奪われたか?」
「知性をなくせば人が神を超えられるのなら、儂は知性などいらんよ」
レネスが相手と言葉を交わそうとするのはこの長い年月を戦いで消費してきたことによって作られた癖の様な物だといっていい。
彼女は純粋に相手がどのような感情と感覚でもって自分と戦おうとするのか知りたがり、だからこそ言葉を投げかけるのだがだからと言って毎度しっかりと言葉が返ってくるは限らない。
自分が戦っている理由に心酔している者は聞かずとも答えてくれるし、自分なりに理由を付けた人間も聞けば答えてくれることが殆どだ。
殺し合いの中であって会話をするのは不思議なことではあるが大体の戦士に共通している性質だといってもいい。
そしてレネスの経験上こうして戦闘理由を聞いたときに適当な答えでこちらからの言葉を無視するのはよほど寡黙な人間かもしくは自分のしていることに自分自身が納得のいっていない人間である。
(言わずもがな、この男は後者。だとしたらこうして戦う理由は別にあるんだろうな)
「神を越えようとする愚かな人間に敬意を表して、私も全力で相手しよう。アーコルディー・レネス・ティア・アーベストだ」
「老獪のセクネスじゃ」
雑談は終わり、名を名乗ったことで始まったのは先程までのようなお遊びではなかった。
一切の油断なく、一切の手加減をしない仙桜種は相手の刹那の隙すら見逃さない。
それを分かっているからこそセクネスは刹那すら気を抜くことを許されず、高度に織り交ぜられる数多のフェイントをもはや見抜くこともできないので勘で処理していた。
どれか一つでもフェイントと本物を間違えれば死ぬような状況にありながら、セクネスの速度は加速度的に上がっていく。
老人であってしかし未だ彼には限界が見えず、上昇し続ける反応速度と槍に込められた思いは増すばかり。
クリムの片隅に神人という単語すら霞ませるほどの彼の槍の技術は極まっていた──
「だが残念だよ。武器も肉体も技術も、我々仙桜種には未だ及ばずだ」
──が、それでも仙桜種には届かない。
脅威ではあった、並の仙桜種ならばもしかすれば敗れたかもしれない。
だが何度でも口にしよう、レネスは仙桜種の最高傑作でありこの世界に並ぶものは指で数えられる程度の強者であると。
弾かれることを前提としてレネスの回避できる領域を狭めようと槍を前に出したのはいいが、彼我の武器の差を考えればそれは悪戯に槍の寿命を浪費しているに過ぎない。
ちょうど鉾の部分が切り落とされた殺りではもはや殺傷能力など期待できるはずもなく、ただの棒で仙桜種を撲殺する事が不可能であることを理解しているセクネスは悪態をつきながらそれを捨てる。
「生まれというのはなんとも非情なもんじゃ。同じ戦士でも、こうにも違うものか」
「むしろ人の短い寿命でそこまで磨き上げたことに我々仙桜種は敬意を表する。たとえあなたが私より弱くとも、その名前を忘れることは永劫ないと約束しよう」
「そりゃあいいのう。さて、徒手はあまり得意じゃないのじゃが、付き合ってくれるかの?」
武器を手に持たず構えた人間に対して剣を振るう趣味はない。
レネスが言葉を返さずに武器をしまうと、それだけでセクネスはにっこりと笑みを浮かべる。
「わしがいうのもなんじゃが、人がええのう。わしが騙し討ちする気じゃったらどうしたのじゃ……いや、それでも気にならんほどの差があるということか」
「戦士を辱めることなかれ、それが仙桜種の教えなのだ。たとえ貴方が騙し討ちをしてきたとしても、戦士としての信念のもと貴方がそうしたのなら何も言わない」
「そうか……儂の最後がお主であったのは幸福じゃったよ。若には使えと言われたが、こんなものやはりいらんじゃろうて」
そう言ってセクネスが投げ捨てたのは錠薬。
かつてエルピスが対峙した共和国の暗部達が使っていた己の身体能力の限界値を更に上昇させる代わりに、人を破壊衝動だけを持つ獣へと変える代物である。
仙桜種と対峙し、それを打ち倒すためにはこの薬を飲まなければいけないとセクネスは頭で理解していた。
だが胸の内に秘める武人としての想いがいままでの修練を薬になど汚されたくないと叫び、そさてその叫びはレネスからの武人を尊重するという行為によってセクネスを完全に目覚めさせる。
薬を踏みつけ粉々にし、そしてようやくセクネスはレネスの前に武人として立った。
「最後に一つ。もし万に一つワシが死んで、そうして若も殺さねばならぬ状況になったのならその時は楽に殺してやってくれ」
「分かった、そうしよう」
「ならば悔いはない。こいっ!」
セクネスの言葉に呼応してレネスは心臓に向けて一切の躊躇なしに手刀を差し向ける。
鎧をどれだけ着込んでいようとも関係ないだろうその手を前に、セクネスは両の手を添わせながらその方向を変更させて致命傷を回避した。
だが両の手を使って攻撃を防いだセクネスに対し、レネスはいまだ片手が開いている。
「──ッッ!!」
鉄塊よりも硬度なレネスの握り拳をセクネスは己の肘で止める。
ビシビシと亀裂が入る音がして痛みで顔を顰めるが、相手に二撃目を放たれる前にセクネスは自分から攻撃を仕掛けに出た。
右足による前蹴り、自分の槍を思い出しながら放ったそれはレネスの腹部を深く貫く。
貫通するつもりで放ったそれは、だが残念なことに腹筋によって防がれてしまった。
腹から血は出ているが、セクネスの足も指はあらぬ方向へと曲がり骨ももはやあってないようなものである。
「ふははっ! あはははっ! ははははははっっつ! 楽しいじゃないかレネス!」
「楽しいな! 楽しいぞニンゲンッ!!」
手数を多くし続けるセクネスとは対照的に、一撃を与えるたびに致命傷を負わせるレネス。
脳から尋常ではなく溢れ続けるドーパミンとアドレナリンによってもはや通常の思考というものはなくなり、彼等の間には殴り合うことの楽しさしかなかった。
どこの世界に仙桜種と足を止めて殴り合える聖人がいるだろうか。
彼は、セクネスはその長い長い戦士としての鍛錬と、最後に薬すらも拒んで己を通そうとしたその意志の力、そして神から預かったその力で持って奇跡を起こしたのだ。
「──最後に一撃入れさせてもらうぞ」
全身の骨という骨を折られ、もはや立っていることすら何故できているのか甚だ疑問ですらある彼は、レネスによって利き腕を弾き飛ばされると覚悟を極めてそう口にする。
一歩前へと飛び出したセクネスは無謀にもそのまま突進するように見せかけて、最初に捨てた棒だけになった槍を持って渾身の突きをレネスに放つ。
寸前でそれを防御したレネスだったが、防御した腕はミシリと嫌な音を立てた。
反撃するべくその折れた腕で殴りかかろうとしたレネスだったが、拳が彼に当たる寸前でその手をぴたりと止める。
既に生き絶えた人間の遺体を辱めるような行為は、たとえ仙桜種でなくとも戦士であれば忌避することだ。
己の才能にかまけることなく努力を重ね、その結果自分に手傷を負わせた男に敬意を表してレネスは足跡の墓を作ってそこに埋める。
彼にとってこの場所がどのような意味を持つかまでは知らないが、自分の愛した国の首都で敵を撃つために全身全霊をかけたのだ。
この扱いに文句を言われることはないだろう。
そうしてレネスは数分でその作業を終えるとフェル達の方へと早足で向かう。
遠目から見えるのは燃え盛る火の手、若干暴走気味になっているのは想定内だ。
そうして場面は再び切り替わりフェル達の側。
彼等は彼らで中々面倒な問題に直面していた。
「僕の方はこれで終わりかな?」
そう口にした灰猫がいままで相手にしていたのはレネスの攻撃をたまたま逃げ切れた傀儡兵。
一人一人の戦闘力は確かに灰猫並の実力であったが、搦手を得意とし、様々な魔法により臨機応変に戦える魔法剣士としての立ち位置を徐々に確立し始めている灰猫からしてみれば彼等はよい練習台だったと言っていい。
魔法の余波によって周囲の家屋が燃え盛ってはいるが、幸い法国の建築には石材や燃えにくい木材などが使われているので無理に燃え広がらせようとしない限りは広がることはないだろう。
灰猫の方はこれである程度終わり、だが問題はフェルの方である。
フェルがいま相手をしているのは複数の成人を組み合わせて作られたゴーレムのようなもの、キメラといった方が近いだろうが直立二足歩行している上に見た目が石っぽいので今回はゴーレムとする。
それを相手にしてフェルが時間を食っている理由はただ単純にその馬鹿げた膂力が原因だった。
殴り飛ばされれば聖都の外壁に大穴を開け、地面に叩きつけられれば大きなクレーターをその場に作る。
聖都の景観を守ることは彼らにとって大きな意味を持つと考えていたのだが、どうやらそうではないらしいということを知れたのはゴーレムにフェルが2回目殴られた時だ。
「だいじょーぶ?!」
「死にはしないけど面倒ではあるね。作戦の要であるハイトさんがいまどこにいるかだけど」
「エルピスに聞けばわかるでしょ。おーい!」
今回全軍の通信状況を指揮しているエルピスの方へと灰猫が手をブンブンと振るうと、自分の魔力に無理やり向こう側から接続されるような変な感覚を味合わされる。
普通ならばこちら側と向こう側で共通の魔力帯を作り上げそこを使用して会話をするのだが、エルピスは自分が作った帯域に合うようにこちら側の魔力を無理やり変質させる事ができるのだ。
「呼んだ?」
「こっち側はちょっと詰まってるけど大体予定通りだよ。他のところはどうなってる?」
「裏は師匠が片したよ。他のところは特に問題なし、ニルが敵が逃げてこないからちょっと暇してるくらいかな。ハイトさんからの連絡はないけどあと一分以内に定時連絡が来るはず……っと、来たからちょっと待ってて」
いつも前線を張っているエルピスがこうして後方勤務と言うのもなかなか面白い話ではあるが、そうやって作られた情報網は現実問題実に役立っている。
エルピスからの言葉通り1分ほど待つと再び魔力が無理矢理つなげられるような感覚が灰猫を襲う。
「──地下で接触できたみたいだ。俺はエラと一緒にあっちに合流してくるよ、ゴーレムはよろしく」
「だってさフェル」
「ならまぁ地上で本気を出して処理しても問題なさそうですね」
両手を握りしめて大きなハンマーを作り出したゴーレムがそれをフェルに向けるが、フェルは一切避けることなく体でそれを受けると魔力によって作られた防壁の下で準備を始める。
ドラゴニュートでもなければ龍人でもないフェルでは発動までに若干時間がかかるのがネックだが、発動さえして仕舞えばこちらのものだ。
彼が放つのは龍神の権能である伊吹、それはこの世にあるありとあらゆるものを破壊する性質を保有している。
「権能発動──龍神の息吹」
一度放たれたそれはどうあがいても防ぐことは不可能である。
硬度などどれだけあろうとも関係なく、平等に命を奪われたゴーレムはチリとなって消えていく。
分かっていたことではあるが何ともあっけないものである。
こちらに向かってくるレネスの気配を感じてどうやらもう敵はいなさそうだと判断したフェルは、借りていた権能をエルピスに返却してこの戦いが終わるのを待つのだった。
聖都をぐるりと囲む城壁の内最も強度の高い正門をその圧倒的に強化された膂力で蹴り飛ばしたフェルにより、生徒の内部をもとは正門であったものが跳ねながら飛んでいく。
エルピスが転移で住民を逃がしていなければ一体何人死んでいるのかも分からないほどの蛮行、だがそんなフェルの蛮行も立案者であるエモ二の想定の範囲内である。
「この私が人間の思い通りに使われているというのはあまり納得がいきませんが、たまにはこういうのも悪くはありませんね」
「フェルは悪魔だもんね。僕としてはあまり文化遺産を壊すのは良くないと思うけど」
「そういう割には楽しそうだね灰猫」
「知らないの? よくない事をやるのって楽しんだよ」
にっこりと笑みを浮かべる灰猫に対してフェルも同じように獰猛な笑みを浮かべる。
エルピスの指示のもとに動くのであればこの両名は基本的におとなしくしていることが多い。
それはエルピス本人があまり無意味に破壊活動をすることを嫌がることもあるが、彼が表に出てくると一番キツイ役回りを彼が請け負う事が多いので灰猫やフェルに回ってくる仕事のほとんどが補佐的な仕事でしかないからである。
しかし今回に限ってはそのどちらも当てはまらないのだ。
アウローラを救うためにエルピスはどのようなことでもするという覚悟を持っているし、そんなエルピスが前に出てこれない以上はフェル達もそれ相応にきつい仕事をさせてもらえる。
「それは確かにそうだね」
より一層笑みを深くしたフェルが腕を軽く振るうと正門付近の建物が見えない巨人の手によって遥か彼方に吹き飛ばされる。
体の奥底から湧き上がってくるのは抑えきれないほどの破壊衝動。
それに伴ってゆっくりとフェルの体は始祖種として、この世界の悪魔すべてを制する者としての変化をし始めた。
学園でかつてエルピス相手に見せた姿とはまた違うその姿気が付けばフェルの体を覆うようにして黒い靄の様な物が漂い始め、それは服となり翼となり頭の上に光輪を作り出す。
まるで堕天使の様なその姿は法国の者達が見れば神を冒涜してると怒り心頭になることは間違いなし。
「改めて確認しよう。我々のやるべきことはただ一つ、畏怖を与えること。敵の引きはがしを行ってくれているレネスさんに感謝しながらも我々はこのままゆっくりとゲリシンがいるだろうところを目指さないとね」
「戦力的には問題ないけど二人だと見た目的に圧がないね」
「なら僕の方から戦力を出そう」
「影の軍勢か、さすがだね」
「僕だって始祖種だからね。固有の能力くらいはあるんだよ」
フェルの能力によって作られた影の軍勢は、戦闘能力もある程度担保されているので聖人相手にも時間稼ぎくらいにはなるだろう。
軍勢を背中に背負いながら、そうしてフェルと灰猫は法国の街並みを歩いていく。
レネスは一度この国と事を構えた上に人間の文化形成に対して思うところがあるのか都市の景観を損ねることに対して慎重になっているようだが、フェルと灰猫に関して言えばそんな気を遣うようなことはない。
「さあ第一王子、貴方の大好きな聖都が蹂躙されていますよ。構わないのですか?」
拡声魔法を使って聖都に響くのはフェルの心底嬉しそうな声である。
出てくればその時点でこの戦争を終わらせることができる、そうでなくともこの国の事を思うのであれば、この街の事を思うのであれば早く出てきた方がいいだろう。
街を人質にとって相手がどのような反応をするのか確認したかったフェルはそんな自分の問いかけに対して言葉が返ってこないのを確認した後に、一切の手加減なしに破壊活動を開始する。
こうして人々の祈りの聖地である聖都は戦火に飲まれていくのであった。
さて場面は変わりフェル達が信仰している場所から反対側、瓦礫の山を前にしてレネスは少々焦っていた。
レネスがいま相手にしているのはおそらくは聖人、それもまがい物ではなく純粋に生まれきっての聖人であることは殆ど確定といっていい。
桜仙種として自分の見る目に自信を持っているレネスはなればこそ焦りを隠せずにいたのだ。
レネスはこの作戦が始まるにあたって事前にエルピスからお願いをされていた。
それはなるべく被害を出さずに聖都での決戦を終わらせてほしいというものである。
フェルと灰猫の両名についてレネスはあまり詳しく知ることはない。
フェルについては一応何度か会話したこともあるし旅を共にしたこともあるので悪魔らしい悪魔であるということくらいならば口にできるだろう。
だが灰猫に関して言えばレネスは殆ど何も情報がないといっても過言ではない。
だからこそレネスはエルピスから聞かされているあの二人をエモ二の指示の元動かすべきではないという考えに対して無条件に賛成した。
レネスとしてはエルピスが鶴の一声で自分の指揮のもとに行動させればいいのではないかとも考えるが、セラとニルは何も口にしない以上は自分が考えつかないナニカを期待してエモ二に指揮を指せている可能性もあるからとのことだ。
エルピス達の最終目標はゲリシンに捕縛されてしまっている神の解放と、それによって瀕死状態のアウローラを助けることにある。
最短手段を取るのであればハイトのクーデターに乗っかる形がもっともはやいのだろうからその案自体に乗っかるのは仕方のないこととして、安全装置としての役目を自分がこなすことができないのでレネスに任せたい。
何とも難しいことを要求するエルピスだが、状況を考えればそれもまた仕方のない事なのかもしれない。
「随分と余裕があるのですな」
そうして思考するレネスの前で忌々しそうにしながらボロボロの服と血だらけになった髪を振り乱しているのは先ほどレネスが思考時間を稼ぐために吹き飛ばした聖人セクネスである。
彼が聖人として活動していたのは実に300年は前の事になるだろうか。
槍の達人として大陸中に名前を馳せた彼はかつてレネスと戦ったこともある人物である。
レネスと戦いながら生きながらえている時点で相当に強いことは確かだが、いま目の前に居るセクネスという人物は当時の事を思い返しても異例の成長を遂げている。
黒い髪は加齢からか白髪が混じり始め、顔には年相応のしわが寄り始めているがその目の鋭さや間合いに入った瞬間の威圧感などは若かりし頃とは比べ物にならないほどだ。
桜仙種としての全力を発揮すれば勝負はすぐに終えることができるだろう。
あの力に対して真正面から戦える生命体が居るとすれば同じ桜仙種が神くらいの物。
だがあの力は残念なことにおいそれと連発して使用できるものでもなければ、周りからの援護が期待できないのに敵地のど真ん中で使うようなものでもない。
「時間稼ぎに付き合わされているんだ、余裕なんかはないよ」
「悟られないつもりで……本気で殺すつもりでこちらは槍を振るわせてもらっておったが、さすがに見抜くかバケモノよ」
「他人をバケモノ呼ばわりとは随分な物言いだな。神を冒涜したせいで知性までも奪われたか?」
「知性をなくせば人が神を超えられるのなら、儂は知性などいらんよ」
レネスが相手と言葉を交わそうとするのはこの長い年月を戦いで消費してきたことによって作られた癖の様な物だといっていい。
彼女は純粋に相手がどのような感情と感覚でもって自分と戦おうとするのか知りたがり、だからこそ言葉を投げかけるのだがだからと言って毎度しっかりと言葉が返ってくるは限らない。
自分が戦っている理由に心酔している者は聞かずとも答えてくれるし、自分なりに理由を付けた人間も聞けば答えてくれることが殆どだ。
殺し合いの中であって会話をするのは不思議なことではあるが大体の戦士に共通している性質だといってもいい。
そしてレネスの経験上こうして戦闘理由を聞いたときに適当な答えでこちらからの言葉を無視するのはよほど寡黙な人間かもしくは自分のしていることに自分自身が納得のいっていない人間である。
(言わずもがな、この男は後者。だとしたらこうして戦う理由は別にあるんだろうな)
「神を越えようとする愚かな人間に敬意を表して、私も全力で相手しよう。アーコルディー・レネス・ティア・アーベストだ」
「老獪のセクネスじゃ」
雑談は終わり、名を名乗ったことで始まったのは先程までのようなお遊びではなかった。
一切の油断なく、一切の手加減をしない仙桜種は相手の刹那の隙すら見逃さない。
それを分かっているからこそセクネスは刹那すら気を抜くことを許されず、高度に織り交ぜられる数多のフェイントをもはや見抜くこともできないので勘で処理していた。
どれか一つでもフェイントと本物を間違えれば死ぬような状況にありながら、セクネスの速度は加速度的に上がっていく。
老人であってしかし未だ彼には限界が見えず、上昇し続ける反応速度と槍に込められた思いは増すばかり。
クリムの片隅に神人という単語すら霞ませるほどの彼の槍の技術は極まっていた──
「だが残念だよ。武器も肉体も技術も、我々仙桜種には未だ及ばずだ」
──が、それでも仙桜種には届かない。
脅威ではあった、並の仙桜種ならばもしかすれば敗れたかもしれない。
だが何度でも口にしよう、レネスは仙桜種の最高傑作でありこの世界に並ぶものは指で数えられる程度の強者であると。
弾かれることを前提としてレネスの回避できる領域を狭めようと槍を前に出したのはいいが、彼我の武器の差を考えればそれは悪戯に槍の寿命を浪費しているに過ぎない。
ちょうど鉾の部分が切り落とされた殺りではもはや殺傷能力など期待できるはずもなく、ただの棒で仙桜種を撲殺する事が不可能であることを理解しているセクネスは悪態をつきながらそれを捨てる。
「生まれというのはなんとも非情なもんじゃ。同じ戦士でも、こうにも違うものか」
「むしろ人の短い寿命でそこまで磨き上げたことに我々仙桜種は敬意を表する。たとえあなたが私より弱くとも、その名前を忘れることは永劫ないと約束しよう」
「そりゃあいいのう。さて、徒手はあまり得意じゃないのじゃが、付き合ってくれるかの?」
武器を手に持たず構えた人間に対して剣を振るう趣味はない。
レネスが言葉を返さずに武器をしまうと、それだけでセクネスはにっこりと笑みを浮かべる。
「わしがいうのもなんじゃが、人がええのう。わしが騙し討ちする気じゃったらどうしたのじゃ……いや、それでも気にならんほどの差があるということか」
「戦士を辱めることなかれ、それが仙桜種の教えなのだ。たとえ貴方が騙し討ちをしてきたとしても、戦士としての信念のもと貴方がそうしたのなら何も言わない」
「そうか……儂の最後がお主であったのは幸福じゃったよ。若には使えと言われたが、こんなものやはりいらんじゃろうて」
そう言ってセクネスが投げ捨てたのは錠薬。
かつてエルピスが対峙した共和国の暗部達が使っていた己の身体能力の限界値を更に上昇させる代わりに、人を破壊衝動だけを持つ獣へと変える代物である。
仙桜種と対峙し、それを打ち倒すためにはこの薬を飲まなければいけないとセクネスは頭で理解していた。
だが胸の内に秘める武人としての想いがいままでの修練を薬になど汚されたくないと叫び、そさてその叫びはレネスからの武人を尊重するという行為によってセクネスを完全に目覚めさせる。
薬を踏みつけ粉々にし、そしてようやくセクネスはレネスの前に武人として立った。
「最後に一つ。もし万に一つワシが死んで、そうして若も殺さねばならぬ状況になったのならその時は楽に殺してやってくれ」
「分かった、そうしよう」
「ならば悔いはない。こいっ!」
セクネスの言葉に呼応してレネスは心臓に向けて一切の躊躇なしに手刀を差し向ける。
鎧をどれだけ着込んでいようとも関係ないだろうその手を前に、セクネスは両の手を添わせながらその方向を変更させて致命傷を回避した。
だが両の手を使って攻撃を防いだセクネスに対し、レネスはいまだ片手が開いている。
「──ッッ!!」
鉄塊よりも硬度なレネスの握り拳をセクネスは己の肘で止める。
ビシビシと亀裂が入る音がして痛みで顔を顰めるが、相手に二撃目を放たれる前にセクネスは自分から攻撃を仕掛けに出た。
右足による前蹴り、自分の槍を思い出しながら放ったそれはレネスの腹部を深く貫く。
貫通するつもりで放ったそれは、だが残念なことに腹筋によって防がれてしまった。
腹から血は出ているが、セクネスの足も指はあらぬ方向へと曲がり骨ももはやあってないようなものである。
「ふははっ! あはははっ! ははははははっっつ! 楽しいじゃないかレネス!」
「楽しいな! 楽しいぞニンゲンッ!!」
手数を多くし続けるセクネスとは対照的に、一撃を与えるたびに致命傷を負わせるレネス。
脳から尋常ではなく溢れ続けるドーパミンとアドレナリンによってもはや通常の思考というものはなくなり、彼等の間には殴り合うことの楽しさしかなかった。
どこの世界に仙桜種と足を止めて殴り合える聖人がいるだろうか。
彼は、セクネスはその長い長い戦士としての鍛錬と、最後に薬すらも拒んで己を通そうとしたその意志の力、そして神から預かったその力で持って奇跡を起こしたのだ。
「──最後に一撃入れさせてもらうぞ」
全身の骨という骨を折られ、もはや立っていることすら何故できているのか甚だ疑問ですらある彼は、レネスによって利き腕を弾き飛ばされると覚悟を極めてそう口にする。
一歩前へと飛び出したセクネスは無謀にもそのまま突進するように見せかけて、最初に捨てた棒だけになった槍を持って渾身の突きをレネスに放つ。
寸前でそれを防御したレネスだったが、防御した腕はミシリと嫌な音を立てた。
反撃するべくその折れた腕で殴りかかろうとしたレネスだったが、拳が彼に当たる寸前でその手をぴたりと止める。
既に生き絶えた人間の遺体を辱めるような行為は、たとえ仙桜種でなくとも戦士であれば忌避することだ。
己の才能にかまけることなく努力を重ね、その結果自分に手傷を負わせた男に敬意を表してレネスは足跡の墓を作ってそこに埋める。
彼にとってこの場所がどのような意味を持つかまでは知らないが、自分の愛した国の首都で敵を撃つために全身全霊をかけたのだ。
この扱いに文句を言われることはないだろう。
そうしてレネスは数分でその作業を終えるとフェル達の方へと早足で向かう。
遠目から見えるのは燃え盛る火の手、若干暴走気味になっているのは想定内だ。
そうして場面は再び切り替わりフェル達の側。
彼等は彼らで中々面倒な問題に直面していた。
「僕の方はこれで終わりかな?」
そう口にした灰猫がいままで相手にしていたのはレネスの攻撃をたまたま逃げ切れた傀儡兵。
一人一人の戦闘力は確かに灰猫並の実力であったが、搦手を得意とし、様々な魔法により臨機応変に戦える魔法剣士としての立ち位置を徐々に確立し始めている灰猫からしてみれば彼等はよい練習台だったと言っていい。
魔法の余波によって周囲の家屋が燃え盛ってはいるが、幸い法国の建築には石材や燃えにくい木材などが使われているので無理に燃え広がらせようとしない限りは広がることはないだろう。
灰猫の方はこれである程度終わり、だが問題はフェルの方である。
フェルがいま相手をしているのは複数の成人を組み合わせて作られたゴーレムのようなもの、キメラといった方が近いだろうが直立二足歩行している上に見た目が石っぽいので今回はゴーレムとする。
それを相手にしてフェルが時間を食っている理由はただ単純にその馬鹿げた膂力が原因だった。
殴り飛ばされれば聖都の外壁に大穴を開け、地面に叩きつけられれば大きなクレーターをその場に作る。
聖都の景観を守ることは彼らにとって大きな意味を持つと考えていたのだが、どうやらそうではないらしいということを知れたのはゴーレムにフェルが2回目殴られた時だ。
「だいじょーぶ?!」
「死にはしないけど面倒ではあるね。作戦の要であるハイトさんがいまどこにいるかだけど」
「エルピスに聞けばわかるでしょ。おーい!」
今回全軍の通信状況を指揮しているエルピスの方へと灰猫が手をブンブンと振るうと、自分の魔力に無理やり向こう側から接続されるような変な感覚を味合わされる。
普通ならばこちら側と向こう側で共通の魔力帯を作り上げそこを使用して会話をするのだが、エルピスは自分が作った帯域に合うようにこちら側の魔力を無理やり変質させる事ができるのだ。
「呼んだ?」
「こっち側はちょっと詰まってるけど大体予定通りだよ。他のところはどうなってる?」
「裏は師匠が片したよ。他のところは特に問題なし、ニルが敵が逃げてこないからちょっと暇してるくらいかな。ハイトさんからの連絡はないけどあと一分以内に定時連絡が来るはず……っと、来たからちょっと待ってて」
いつも前線を張っているエルピスがこうして後方勤務と言うのもなかなか面白い話ではあるが、そうやって作られた情報網は現実問題実に役立っている。
エルピスからの言葉通り1分ほど待つと再び魔力が無理矢理つなげられるような感覚が灰猫を襲う。
「──地下で接触できたみたいだ。俺はエラと一緒にあっちに合流してくるよ、ゴーレムはよろしく」
「だってさフェル」
「ならまぁ地上で本気を出して処理しても問題なさそうですね」
両手を握りしめて大きなハンマーを作り出したゴーレムがそれをフェルに向けるが、フェルは一切避けることなく体でそれを受けると魔力によって作られた防壁の下で準備を始める。
ドラゴニュートでもなければ龍人でもないフェルでは発動までに若干時間がかかるのがネックだが、発動さえして仕舞えばこちらのものだ。
彼が放つのは龍神の権能である伊吹、それはこの世にあるありとあらゆるものを破壊する性質を保有している。
「権能発動──龍神の息吹」
一度放たれたそれはどうあがいても防ぐことは不可能である。
硬度などどれだけあろうとも関係なく、平等に命を奪われたゴーレムはチリとなって消えていく。
分かっていたことではあるが何ともあっけないものである。
こちらに向かってくるレネスの気配を感じてどうやらもう敵はいなさそうだと判断したフェルは、借りていた権能をエルピスに返却してこの戦いが終わるのを待つのだった。
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