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青年期:帝国編
一年ぶり
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「あと何日寝たらお正月かな?」
各国の王達も自らの国に帰り、帝国には冬が訪れていた。
エルピスが作り出した期間のうち早い事で既に一年が経過してしまっているが、人類は未だに混乱に陥ることもなくなんとか戦争に向けてゆるやかに準備を進めている。
鍛治神に作ってもらった炬燵の中でゴロゴロとしているエルピスがそんな事を口にすると、籠の中に入った蜜柑を半分以上食べて満足しているニルが頬を膨らませながらそれに答えた。
「さぁ? 僕は忘れちゃったよ。少なくとも今年は愛しのサンタさんも来てくれそうにはなかったね」
「サンタは急用があったんだよ」
「ははっ。それはサンタから?」
「そんなもんかな。それでだけど……」
本物のサンタクロースは子供にしかプレゼントをくれないし、エルピスはセラ達に渡せないので今年はプレゼント作りを行っていない。
寝転んだ体勢からだるそうにして起き上がると、ぽりぽりと頭を掻きながらエルピスは深くため息をつく。
「どうかしたかい?」
「改めて自分の才能のなさに悲観してる」
「何を言うかと思えば、らしくないね? どうしたんだい?」
「見てみなよ、そこにある書類の山。行方をくらました貴族や冒険者の個人情報が載ってる」
「どれどれー? あ、この人会ったことある」
エルピスが刺した先に山のように積まれているのは、貴族の顔写真付きの捜索依頼である。
先程から何か作業はしているなと思っていたニルだが、その作業内容がこれであるならエルピスの溜息も理解できないものではなかった。
「今の人類に不満があるのかそれとも俺に不満があるのか、どちらにしろ戦争からの退席者は少なくない」
「世界の危機にのんびりしたもんだね、鍛治神達からはなんて?」
「向こうは向こうで大忙しらしい。ルミナの彼氏探しはもうほとんど終わったらしいけど、土精霊達の間でも噂レベルで危機の到来が吹聴されてるっぽいし」
エルピスとて全員が全員戦争に参加してくれるなどとは微塵も思っていなかったが、だとしてもこれだけ離脱者が出ればやる気も削がれるというものである。
人間だけでなく巻き込まれる可能性の高い亜人種には混乱が巻き起こっており、標的とされている人類を先に潰しておけば自分達に被害が来ないのでは? そう考える亜人種も少なくない。
最高位冒険者に対しての依頼はここ数ヶ月増加の一途を辿っており、それがまた戦争への離脱者の増加を促しているのだから悪循環が発生している。
「どこもそんなんなのかな。 それで姉さん達のところにはこれから?」
「そ。昼からの約束だからもう行かないと、ニルはどうする?」
「僕は放浪してる問題児の相手しないとね」
アウローラ達との約束の日から多少前後してしまっているが、お互いの予定を合わせる為だったのでいたしかたがない。
エルピスとしてはニルにも付いてきて欲しかったのだが、レネスを探しにいくとなるとエルピス以外にはニルくらいにしか見つけられそうにもないので諦める。
本当はレネスも即座に仙桜種の里に戻り自らの感情を取り戻したい頃だろうが、いま帝国からニルが長期間離れてしまうと任せている仕事をこなせなくなってしまうのでレネスには申し訳ないがエルピスの指示で待ってもらっているのが現状である。
そんな中で感情が完全に戻らないことに落ち着かないのか、こうして数十周期でレネスはときおり家出するのだ。
「はいはい。ーーーそれじゃあ行ってくるね」
「行ってらっしゃい、直ぐに戻ってくるんだよエルピス」
「もちろん」
飲み込まれてしまった炬燵から這い出すようにして出てきたエルピスは、ニルと軽く抱擁を交わすとそのまま転移魔法を起動する。
目標はもちろん学園、苦い思い出を思い出しながらエルピスは転移を開始するのだった。
/
「ほいっ、転移完了っとーーおぉ!!」
地に足がついてようやく魔法解除となる筈の転移魔法、だがエルピスの視界は島の遥か上空で、はためく服と落下時特有の背筋を駆け抜けていく感覚が転移の失敗を告げてくれる。
なんとか地面ギリギリで翼を展開し事なきを得たが、告知もなしでこんなことをするなんてあんまりだ。
実際の所は各方面に転移魔法禁止の御触れも出ているし、そもそも学園内は転移魔法禁止であると教師の方から説明を受けていたはずなのだが今のエルピスはとっくの昔にそんなことを忘れていた。
「魔法防御術式に探知系の術式、契約系召喚陣を使用しての天候操作に転移者阻害用の魔素乱し、随分とそれっぽい」
襲撃を受けてからこの一年間で、学園は都市防衛機能を圧倒的に進化させていた。
先程エルピスの転移魔法を弾いた魔法などがいい例だ。
こうした魔法は大国の首都に多く見られるが、人口密度が高くない場合個人一人当たりの魔力消費量が大きいので使用されないことが多い。
だがこの転移阻害魔法は海からの魔力を巧く流用し、少ない魔力で大きな働きを見せる魔法陣を作り出している。
じっくりと魔法陣を眺めていたエルピスの〈神域〉にふと一人の人物が現れ、エルピスは意識をそちらの方へと移す。
「エルピスさん! お疲れ様です」
「お疲れ様です。お変わりないようで何よりです」
「あの時エルピスさんがかけてくれた障壁が無ければ危なかったですが、なんとか生きています。アウローラさんから案内を任されているのでついてきてください」
現れたのは学園祭でエルピスの父、イロアスの役をしていた演劇部の部員である。
名前を覚えるのが苦手なエルピスだが、なんとかして顔だけは思い出すことができたので間違いがないはずだ。
言われるがままについていくと上空からはチラリとしか見えなかった校舎が目に止まり、かつての記憶とは少し違ったその造形に興味が湧いてくる。
「宿舎、学生寮は全壊。その他学習に必要な施設の役七割をロストした学園の復旧は驚くほどの速度で進められ、現在では以前よりも施設が多いほどです」
「これは?」
「それは常時展開型術式の魔素汲み上げ用の外部ラインです、直接触れると魔力を吸われるのでお気をつけください」
「なるほど……面白いな」
魔法陣の構築はエルピスの専門外であり、もちろん誰よりも理論上は巧く構築できるはずだがエルピスは自分が作り出した魔法陣がなぜそうなっているのか理解できないことが多い。
だがこの魔法陣はエルピスがギリギリ理解できるほどの内容で、かつ発想の転換から生まれた方法で魔力を巧く運用している。
実に人類らしいいい魔法陣だ。
その後も案内されるがままに彼の背中を追いかけていると、いつぞやと同じ応接室に案内される。
「ではここでお待ちください。それとここからは世間話程度の内容なのですがよろしいですか?」
「構いませんよ、待っている間暇なので」
「ありがとうございます。王国にあるアルヘオ家別邸から既に半数以上の生徒が学園に復帰しており、現在も勉学に励んでいますが未だ立ち直れていない者も少なくはなかったんですが、それをアウローラさんが解決してくれたんです」
目の前で友達が肉の塊に変わったのだから、半数も戻れているのが良い方なのだろう。
人の死が身近にあるこの世界でもあそこまでの惨殺は珍しい。
「魔法関連の整備や周辺海域との取引、各部活動の連携を高めたり学習内容の変更まで、この学園の実質的な学長はもはやアウローラさんであるといっても過言では無いですね」
「ーー買い被りすぎよ」
聴き慣れた、だがこの一年間聞いていなかった声が聞こえてエルピスは振り返る。
扉を開けて室内に入ってきたのはアウローラ、すっかり成人して大人になった彼女はたった一年だというのに別人のように綺麗に見えた。
よく見てみればイヤリングを両耳につけており、化粧もしっかりとされている。
初めて見る彼女の大人らしい姿に唾を飲み込みながらも、エルピスは自然体を装って言葉をかけた。
「久しぶりアウローラ。綺麗になったね」
「久しぶりエルピス。貴方は変わらないわね、まぁ半人半龍だし仕方ないのかもしれないけれど」
「アウローラさんが来たなら私はここで。お邪魔してもあれですしね」
退席していく生徒の後ろ姿を目で追いかけ、更には神域で彼がこの付近から完全に離れたことを確認してエルピスは少しだけ緊張していた体をほぐす。
「ーー行ったわよエルピス…って、どうしたの? 甘えん坊ね」
解けた緊張を預けるようにしてエルピスはアウローラにもたれかかった。
アウローラと会うために緊張していた、という訳ではもちろんなく、この一年間常に気を張り詰めていたのでそれの影響である。
そんなエルピスを優しく受け止め膝枕をすると、アウローラは優しくエルピスの頬を撫でた。
「……疲れた。もう嫌だ、頑張りたくない」
「大変だったらしいわね、こっちにまで話が流れてきてたわよ。随分多くの国を敵に回してるみたいじゃない?」
「正義はこちらにあっても、理屈は向こうにある。分かって居るんだけど……ね。ごめん、立ち回りが下手な男で」
「良いわよ。人の顔色伺って大切な事を成さない男の方が私は嫌だわ」
エルピスが弱音を口にできるのはアウローラだけである。
ニルとセラは創生神よりも良い男であり続ける為に、エラには小さい頃から共にいた事によって作られたプライドから、レネスの前でもエルピスはきっと肩肘張って生きていくことだろう。
だがアウローラはかつてエルピスに自分達も頼って良いと、そう言ってくれた。
だからエルピスはアウローラに弱い所を見せることができるし、アウローラはそれを分かっているからこそエルピスのことを受け入れる。
少しすると落ち着いてきたのかエルピスは体を起こす。
「ありがとう。落ち着いた、そう言ってもらえると心強いよ。セラは?」
「セラなら多分研究棟に居たから時間かかってるだけね。エラは今の時間帯だと授業中かしら? 灰猫とフェルもそうね」
「じゃあもうちょっとくらいはこうしてられるか」
「本当に甘えてくるわね今日は」
再び膝に頭をつけたエルピスを見て、アウローラは意外そうな顔をする。
アウローラが知っている彼はどうやってもここまでは甘えられなかった、この一年間で彼も変化しているということだろう。
「どうだった? 私の居ない一年は」
「足りてないものを実感させられたよ。力じゃどうにもならない物もあるのを分かってたつもりなんだけど。アウローラは?」
「私は私の役目を知れた年だったかしら。エルピスの寂しそうな顔想像してたら直ぐだったわよ」
不安そうな顔をして言葉を溢すエルピスとは対照的に、アウローラは満面の笑みを浮かべて余裕綽々と言った風である。
元から大貴族の一人娘としてこの世に生を受けて、今やその大家族の家の当主を務める今のアウローラには確かな実績に裏打ちされた自信があった。
戦闘中のエルピスがアウローラよりも自信を持って動けるのと同じ、こうして喋っている分にはエルピスよりもアウローラの方が経験値は高い。
「…なんかセラに似てきた?」
「それは追われる方の女になったって認識して良いのかしら?」
「これ以上追いかけてたらいつまで経っても追いつけそうにないけどね」
「あらそう? でも私はそんなところも好きよ、エルピス」
共に旅をしていた期間は長かったし、恋人になってから一緒にいた期間ももちろん長かったがこの言葉を口にするのは何度目だろうか。
茹で蛸のようになってしまったエルピスの顔を見ながらふとアウローラはそんな事を考えるが、これから先でも言う機会はいくらでもあるのだから良いだろう。
(ああほんっと、まだまだ好きね)
元々こうしてエルピスが来ると聞いていた時からこの言葉をアウローラは投げかけるつもりであった。
それはいま自分が本当にエルピスの事を好きでいられているか確認する為である。
結果は言うまでもなく、そんなたった一つの言葉なのに耳まで熱を帯びているのが感じられた。
「俺も好きだよ。扉の裏で空気読んで待っててくれてる、可愛い天使も含めてね」
「ーー折角部屋に入らなかったと言うのに。失礼しますアウローラ、ごめんなさいね」
「良いわよセラ、どうせそろそろ来ると思ってたし。それに自由な時間も貰っちゃったしね」
「本当よ全く、気を抜いたら直ぐに抜け駆けするんだから」
好きと言う言葉を独占したかった気持ちはあるが、抜け駆けした手前あまり口を酸っぱくして文句を言うこともできない。
入ってきたセラはそのままエルピス達が座っている椅子の対面に座ると、どこから出したのか紅茶を机の上に置く。
「お疲れみたいねエルピス」
「確かにアウローラに癒してもらったけどまだ疲れてるかも」
「まったく、贅沢ね?」
セラもこの一年間で大きく変化した一人であろう。
海神と鍛治神のところで修練を重ねたセラは当初の予定である戦神の称号こそ手に入らなかったが、年齢にして19から20の間といった所だろうか。
16歳の頃のセラが絶世の美少女であったのならば、こちらは心臓の鼓動すら止めてしまうほどの美女である。
白いまつ毛の間に見える紅い瞳が写すのはエルピスの顔のみ、ニルも大概だがこの姉妹は両方ことエルピスに関して言えば大差ない。
「仕方ないじゃん、久々だしさ」
「連絡はほとんど毎日取ってたじゃないの」
「え!? 私には何も言ってなかったじゃないのセラ!」
「私だって抜け駆けするのよアウローラ」
悪いわね、そう言って紅茶を口に含むセラに言い返す言葉はあまり思いつかない。
結局のところ自分がどれだけ頑張るかだ、他人の行動を責め立てたところでこの関係が崩れるだけ。
それにそう言って微笑を浮かべるセラの姿は、女のアウローラですら息を呑むほど美しい。
「ニルから話はほとんど聞いて居るわ。状況の整理もね、とりあえず資料はまとめて置いたわ。後はニルが隙間を埋めてくれるはず」
「外交に関しては私の専売特許ね。エラと対応案いくつか作っておいたから確認しておいて」
「国語辞典より分厚いんだけど」
「それ呼んだだけで外交のプロになれるかも? って代物よ? かくいう私は別に外交のプロってわけじゃないけれど」
外交に正攻法というものは存在しない。
状況や相手の考え方、価値観、自分の持つ手札に相手がどれだけの価値をつけるか。
慣れが全ての世界だが、考え方を書き記して伝えることくらいならばなんとか出来ないことでもなく、エラと試行錯誤しながら完成させた代物である。
エルピスはそれをパラパラと捲ると、丁寧にそっと閉じた。
「ありがとう。とりあえず概要は覚えたし、分からなかった所はもう一人の子に聞こうかな? どうやらこっち来てるみたいだしね」
あの一瞬で全てを記憶できる記憶力は半人半龍の物なのか天性の物なのか。
エルピスが立ち上がり扉の方に向かって歩みを進めると、扉を壊さんばかりの勢いで一人の人物が入ってくる。
「ーーエル!」
「久しぶりエラーーおっとと」
蹴破るようにして扉を吹き飛ばし現れたのはエラ。
ショートだった髪は肩に付くくらいに伸ばされており、エルピスに抱きついた事によって部屋全体に森の匂いがふんわりと漂う。
エルピスの身体に自らの匂いを付けるようにして頬を押し付けるエラを前に、エルピスはというとどうして良いのかとタジタジである。
「エラにはこの街の魔法級収用呪術で随分とお世話になったわ」
「エル、私すごく頑張ったの」
「さすがエラ、凄いね。後は灰猫とフェルか、あの二人はちゃんとしたアレがあるし…ごめんエラ。ちょっとあの二人のところに行ってくる」
「分かりました。後で時間ちゃんと作ってくださいね?」
「勿論だよ」
自分が来て直ぐに部屋を出ていくエルピスに不満は勿論あるものの、エラもあの二人に課せられた条件は知っているので強く引き止めるようなことはしない。
灰猫は学園順位10位以内、フェルの方はエルピスに対して傷をつける事。
どちらも生半可でこなせるようなことではなく、だからこそその行く末は気になることでもある。
どんな結果になっているか楽しみに思いながらエルピスは学園を歩くのだった。
各国の王達も自らの国に帰り、帝国には冬が訪れていた。
エルピスが作り出した期間のうち早い事で既に一年が経過してしまっているが、人類は未だに混乱に陥ることもなくなんとか戦争に向けてゆるやかに準備を進めている。
鍛治神に作ってもらった炬燵の中でゴロゴロとしているエルピスがそんな事を口にすると、籠の中に入った蜜柑を半分以上食べて満足しているニルが頬を膨らませながらそれに答えた。
「さぁ? 僕は忘れちゃったよ。少なくとも今年は愛しのサンタさんも来てくれそうにはなかったね」
「サンタは急用があったんだよ」
「ははっ。それはサンタから?」
「そんなもんかな。それでだけど……」
本物のサンタクロースは子供にしかプレゼントをくれないし、エルピスはセラ達に渡せないので今年はプレゼント作りを行っていない。
寝転んだ体勢からだるそうにして起き上がると、ぽりぽりと頭を掻きながらエルピスは深くため息をつく。
「どうかしたかい?」
「改めて自分の才能のなさに悲観してる」
「何を言うかと思えば、らしくないね? どうしたんだい?」
「見てみなよ、そこにある書類の山。行方をくらました貴族や冒険者の個人情報が載ってる」
「どれどれー? あ、この人会ったことある」
エルピスが刺した先に山のように積まれているのは、貴族の顔写真付きの捜索依頼である。
先程から何か作業はしているなと思っていたニルだが、その作業内容がこれであるならエルピスの溜息も理解できないものではなかった。
「今の人類に不満があるのかそれとも俺に不満があるのか、どちらにしろ戦争からの退席者は少なくない」
「世界の危機にのんびりしたもんだね、鍛治神達からはなんて?」
「向こうは向こうで大忙しらしい。ルミナの彼氏探しはもうほとんど終わったらしいけど、土精霊達の間でも噂レベルで危機の到来が吹聴されてるっぽいし」
エルピスとて全員が全員戦争に参加してくれるなどとは微塵も思っていなかったが、だとしてもこれだけ離脱者が出ればやる気も削がれるというものである。
人間だけでなく巻き込まれる可能性の高い亜人種には混乱が巻き起こっており、標的とされている人類を先に潰しておけば自分達に被害が来ないのでは? そう考える亜人種も少なくない。
最高位冒険者に対しての依頼はここ数ヶ月増加の一途を辿っており、それがまた戦争への離脱者の増加を促しているのだから悪循環が発生している。
「どこもそんなんなのかな。 それで姉さん達のところにはこれから?」
「そ。昼からの約束だからもう行かないと、ニルはどうする?」
「僕は放浪してる問題児の相手しないとね」
アウローラ達との約束の日から多少前後してしまっているが、お互いの予定を合わせる為だったのでいたしかたがない。
エルピスとしてはニルにも付いてきて欲しかったのだが、レネスを探しにいくとなるとエルピス以外にはニルくらいにしか見つけられそうにもないので諦める。
本当はレネスも即座に仙桜種の里に戻り自らの感情を取り戻したい頃だろうが、いま帝国からニルが長期間離れてしまうと任せている仕事をこなせなくなってしまうのでレネスには申し訳ないがエルピスの指示で待ってもらっているのが現状である。
そんな中で感情が完全に戻らないことに落ち着かないのか、こうして数十周期でレネスはときおり家出するのだ。
「はいはい。ーーーそれじゃあ行ってくるね」
「行ってらっしゃい、直ぐに戻ってくるんだよエルピス」
「もちろん」
飲み込まれてしまった炬燵から這い出すようにして出てきたエルピスは、ニルと軽く抱擁を交わすとそのまま転移魔法を起動する。
目標はもちろん学園、苦い思い出を思い出しながらエルピスは転移を開始するのだった。
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「ほいっ、転移完了っとーーおぉ!!」
地に足がついてようやく魔法解除となる筈の転移魔法、だがエルピスの視界は島の遥か上空で、はためく服と落下時特有の背筋を駆け抜けていく感覚が転移の失敗を告げてくれる。
なんとか地面ギリギリで翼を展開し事なきを得たが、告知もなしでこんなことをするなんてあんまりだ。
実際の所は各方面に転移魔法禁止の御触れも出ているし、そもそも学園内は転移魔法禁止であると教師の方から説明を受けていたはずなのだが今のエルピスはとっくの昔にそんなことを忘れていた。
「魔法防御術式に探知系の術式、契約系召喚陣を使用しての天候操作に転移者阻害用の魔素乱し、随分とそれっぽい」
襲撃を受けてからこの一年間で、学園は都市防衛機能を圧倒的に進化させていた。
先程エルピスの転移魔法を弾いた魔法などがいい例だ。
こうした魔法は大国の首都に多く見られるが、人口密度が高くない場合個人一人当たりの魔力消費量が大きいので使用されないことが多い。
だがこの転移阻害魔法は海からの魔力を巧く流用し、少ない魔力で大きな働きを見せる魔法陣を作り出している。
じっくりと魔法陣を眺めていたエルピスの〈神域〉にふと一人の人物が現れ、エルピスは意識をそちらの方へと移す。
「エルピスさん! お疲れ様です」
「お疲れ様です。お変わりないようで何よりです」
「あの時エルピスさんがかけてくれた障壁が無ければ危なかったですが、なんとか生きています。アウローラさんから案内を任されているのでついてきてください」
現れたのは学園祭でエルピスの父、イロアスの役をしていた演劇部の部員である。
名前を覚えるのが苦手なエルピスだが、なんとかして顔だけは思い出すことができたので間違いがないはずだ。
言われるがままについていくと上空からはチラリとしか見えなかった校舎が目に止まり、かつての記憶とは少し違ったその造形に興味が湧いてくる。
「宿舎、学生寮は全壊。その他学習に必要な施設の役七割をロストした学園の復旧は驚くほどの速度で進められ、現在では以前よりも施設が多いほどです」
「これは?」
「それは常時展開型術式の魔素汲み上げ用の外部ラインです、直接触れると魔力を吸われるのでお気をつけください」
「なるほど……面白いな」
魔法陣の構築はエルピスの専門外であり、もちろん誰よりも理論上は巧く構築できるはずだがエルピスは自分が作り出した魔法陣がなぜそうなっているのか理解できないことが多い。
だがこの魔法陣はエルピスがギリギリ理解できるほどの内容で、かつ発想の転換から生まれた方法で魔力を巧く運用している。
実に人類らしいいい魔法陣だ。
その後も案内されるがままに彼の背中を追いかけていると、いつぞやと同じ応接室に案内される。
「ではここでお待ちください。それとここからは世間話程度の内容なのですがよろしいですか?」
「構いませんよ、待っている間暇なので」
「ありがとうございます。王国にあるアルヘオ家別邸から既に半数以上の生徒が学園に復帰しており、現在も勉学に励んでいますが未だ立ち直れていない者も少なくはなかったんですが、それをアウローラさんが解決してくれたんです」
目の前で友達が肉の塊に変わったのだから、半数も戻れているのが良い方なのだろう。
人の死が身近にあるこの世界でもあそこまでの惨殺は珍しい。
「魔法関連の整備や周辺海域との取引、各部活動の連携を高めたり学習内容の変更まで、この学園の実質的な学長はもはやアウローラさんであるといっても過言では無いですね」
「ーー買い被りすぎよ」
聴き慣れた、だがこの一年間聞いていなかった声が聞こえてエルピスは振り返る。
扉を開けて室内に入ってきたのはアウローラ、すっかり成人して大人になった彼女はたった一年だというのに別人のように綺麗に見えた。
よく見てみればイヤリングを両耳につけており、化粧もしっかりとされている。
初めて見る彼女の大人らしい姿に唾を飲み込みながらも、エルピスは自然体を装って言葉をかけた。
「久しぶりアウローラ。綺麗になったね」
「久しぶりエルピス。貴方は変わらないわね、まぁ半人半龍だし仕方ないのかもしれないけれど」
「アウローラさんが来たなら私はここで。お邪魔してもあれですしね」
退席していく生徒の後ろ姿を目で追いかけ、更には神域で彼がこの付近から完全に離れたことを確認してエルピスは少しだけ緊張していた体をほぐす。
「ーー行ったわよエルピス…って、どうしたの? 甘えん坊ね」
解けた緊張を預けるようにしてエルピスはアウローラにもたれかかった。
アウローラと会うために緊張していた、という訳ではもちろんなく、この一年間常に気を張り詰めていたのでそれの影響である。
そんなエルピスを優しく受け止め膝枕をすると、アウローラは優しくエルピスの頬を撫でた。
「……疲れた。もう嫌だ、頑張りたくない」
「大変だったらしいわね、こっちにまで話が流れてきてたわよ。随分多くの国を敵に回してるみたいじゃない?」
「正義はこちらにあっても、理屈は向こうにある。分かって居るんだけど……ね。ごめん、立ち回りが下手な男で」
「良いわよ。人の顔色伺って大切な事を成さない男の方が私は嫌だわ」
エルピスが弱音を口にできるのはアウローラだけである。
ニルとセラは創生神よりも良い男であり続ける為に、エラには小さい頃から共にいた事によって作られたプライドから、レネスの前でもエルピスはきっと肩肘張って生きていくことだろう。
だがアウローラはかつてエルピスに自分達も頼って良いと、そう言ってくれた。
だからエルピスはアウローラに弱い所を見せることができるし、アウローラはそれを分かっているからこそエルピスのことを受け入れる。
少しすると落ち着いてきたのかエルピスは体を起こす。
「ありがとう。落ち着いた、そう言ってもらえると心強いよ。セラは?」
「セラなら多分研究棟に居たから時間かかってるだけね。エラは今の時間帯だと授業中かしら? 灰猫とフェルもそうね」
「じゃあもうちょっとくらいはこうしてられるか」
「本当に甘えてくるわね今日は」
再び膝に頭をつけたエルピスを見て、アウローラは意外そうな顔をする。
アウローラが知っている彼はどうやってもここまでは甘えられなかった、この一年間で彼も変化しているということだろう。
「どうだった? 私の居ない一年は」
「足りてないものを実感させられたよ。力じゃどうにもならない物もあるのを分かってたつもりなんだけど。アウローラは?」
「私は私の役目を知れた年だったかしら。エルピスの寂しそうな顔想像してたら直ぐだったわよ」
不安そうな顔をして言葉を溢すエルピスとは対照的に、アウローラは満面の笑みを浮かべて余裕綽々と言った風である。
元から大貴族の一人娘としてこの世に生を受けて、今やその大家族の家の当主を務める今のアウローラには確かな実績に裏打ちされた自信があった。
戦闘中のエルピスがアウローラよりも自信を持って動けるのと同じ、こうして喋っている分にはエルピスよりもアウローラの方が経験値は高い。
「…なんかセラに似てきた?」
「それは追われる方の女になったって認識して良いのかしら?」
「これ以上追いかけてたらいつまで経っても追いつけそうにないけどね」
「あらそう? でも私はそんなところも好きよ、エルピス」
共に旅をしていた期間は長かったし、恋人になってから一緒にいた期間ももちろん長かったがこの言葉を口にするのは何度目だろうか。
茹で蛸のようになってしまったエルピスの顔を見ながらふとアウローラはそんな事を考えるが、これから先でも言う機会はいくらでもあるのだから良いだろう。
(ああほんっと、まだまだ好きね)
元々こうしてエルピスが来ると聞いていた時からこの言葉をアウローラは投げかけるつもりであった。
それはいま自分が本当にエルピスの事を好きでいられているか確認する為である。
結果は言うまでもなく、そんなたった一つの言葉なのに耳まで熱を帯びているのが感じられた。
「俺も好きだよ。扉の裏で空気読んで待っててくれてる、可愛い天使も含めてね」
「ーー折角部屋に入らなかったと言うのに。失礼しますアウローラ、ごめんなさいね」
「良いわよセラ、どうせそろそろ来ると思ってたし。それに自由な時間も貰っちゃったしね」
「本当よ全く、気を抜いたら直ぐに抜け駆けするんだから」
好きと言う言葉を独占したかった気持ちはあるが、抜け駆けした手前あまり口を酸っぱくして文句を言うこともできない。
入ってきたセラはそのままエルピス達が座っている椅子の対面に座ると、どこから出したのか紅茶を机の上に置く。
「お疲れみたいねエルピス」
「確かにアウローラに癒してもらったけどまだ疲れてるかも」
「まったく、贅沢ね?」
セラもこの一年間で大きく変化した一人であろう。
海神と鍛治神のところで修練を重ねたセラは当初の予定である戦神の称号こそ手に入らなかったが、年齢にして19から20の間といった所だろうか。
16歳の頃のセラが絶世の美少女であったのならば、こちらは心臓の鼓動すら止めてしまうほどの美女である。
白いまつ毛の間に見える紅い瞳が写すのはエルピスの顔のみ、ニルも大概だがこの姉妹は両方ことエルピスに関して言えば大差ない。
「仕方ないじゃん、久々だしさ」
「連絡はほとんど毎日取ってたじゃないの」
「え!? 私には何も言ってなかったじゃないのセラ!」
「私だって抜け駆けするのよアウローラ」
悪いわね、そう言って紅茶を口に含むセラに言い返す言葉はあまり思いつかない。
結局のところ自分がどれだけ頑張るかだ、他人の行動を責め立てたところでこの関係が崩れるだけ。
それにそう言って微笑を浮かべるセラの姿は、女のアウローラですら息を呑むほど美しい。
「ニルから話はほとんど聞いて居るわ。状況の整理もね、とりあえず資料はまとめて置いたわ。後はニルが隙間を埋めてくれるはず」
「外交に関しては私の専売特許ね。エラと対応案いくつか作っておいたから確認しておいて」
「国語辞典より分厚いんだけど」
「それ呼んだだけで外交のプロになれるかも? って代物よ? かくいう私は別に外交のプロってわけじゃないけれど」
外交に正攻法というものは存在しない。
状況や相手の考え方、価値観、自分の持つ手札に相手がどれだけの価値をつけるか。
慣れが全ての世界だが、考え方を書き記して伝えることくらいならばなんとか出来ないことでもなく、エラと試行錯誤しながら完成させた代物である。
エルピスはそれをパラパラと捲ると、丁寧にそっと閉じた。
「ありがとう。とりあえず概要は覚えたし、分からなかった所はもう一人の子に聞こうかな? どうやらこっち来てるみたいだしね」
あの一瞬で全てを記憶できる記憶力は半人半龍の物なのか天性の物なのか。
エルピスが立ち上がり扉の方に向かって歩みを進めると、扉を壊さんばかりの勢いで一人の人物が入ってくる。
「ーーエル!」
「久しぶりエラーーおっとと」
蹴破るようにして扉を吹き飛ばし現れたのはエラ。
ショートだった髪は肩に付くくらいに伸ばされており、エルピスに抱きついた事によって部屋全体に森の匂いがふんわりと漂う。
エルピスの身体に自らの匂いを付けるようにして頬を押し付けるエラを前に、エルピスはというとどうして良いのかとタジタジである。
「エラにはこの街の魔法級収用呪術で随分とお世話になったわ」
「エル、私すごく頑張ったの」
「さすがエラ、凄いね。後は灰猫とフェルか、あの二人はちゃんとしたアレがあるし…ごめんエラ。ちょっとあの二人のところに行ってくる」
「分かりました。後で時間ちゃんと作ってくださいね?」
「勿論だよ」
自分が来て直ぐに部屋を出ていくエルピスに不満は勿論あるものの、エラもあの二人に課せられた条件は知っているので強く引き止めるようなことはしない。
灰猫は学園順位10位以内、フェルの方はエルピスに対して傷をつける事。
どちらも生半可でこなせるようなことではなく、だからこそその行く末は気になることでもある。
どんな結果になっているか楽しみに思いながらエルピスは学園を歩くのだった。
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