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朱の彼岸花
朱の彼岸花【2】
しおりを挟む――2011年9月23日。
慌ただしく過ぎたお彼岸の夜。私は電話の前に正座し、ダイヤルを回す。
「あぁ……もしもし立花さんですか?」
「もすもす?あだん、住職さんかいね。今日は何から何までお世話になってまぁ……」
「あぁ、立花のお婆さ……いえ、お義母さん。茜ちゃんの具合はどげですか?」
「……えぇ、松江のおっけな病院で診てもらったみたいだけん。小さい頃の傷があってな、ちょっこう検査とかせんといけんみたいだわ」
「そうでしたか。私に何かお手伝い出来る事があれば……」
「あげかね?そげしたら、いつものをちょっと多めにしてくれぇと助かるけん」
「わかりました、お義母さん。はい……はい、ではまた後日……」
電話を切った後、しばらく窓を開け縁側から夜の海を眺める。目まぐるしい一日だった。でも何とか乗り切った。
「はぁ……疲れた……」
縁側に腰を下ろしお茶を一口飲むと、ちょうど夜風が吹き込みほてった体の熱を奪っていく。
「あぁ、涼しい……おや?にゃん太おかえり」
「にゃぁ」
一匹の猫がどこからともなく現れ、足も拭かず私の膝の上に飛び乗ってくる。
この子の名前はにゃん太。虎柄模様のその猫はいつの間にかお寺に住み着く様になっていた。
私はにゃん太の背中を撫でながら思い出す。15年前、防波堤で身投げした美沙さんの事を……。
「そう言えばにゃん太がうちに来る様になったのもその頃……か?」
「にゃぁ……?ぐるぐる……」
喉を鳴らし膝の上で気持ち良さそうに眠るにゃん太。人の気も知らずにいい気なものだ。ただこの数年、にゃん太が私の癒しになっている事は間違いないだろう。
……美沙さんが防波堤で身投げをする一年程前だろうか。青井さんがお寺に来た際に奇妙な事を言ったのが事の始まりだった。
――1995年8月。
「副住職さん、聞いたかいな?2日程前に大阪から来た女の人!何かこう気味が悪い言うか、今にも死にそうな顔しちょって……そげな事、宿の人が言っちょったに」
「大阪から来た女性?はて。わしは何も聞いちょらんけど……。けど青井さんあんまり人の事を詮索をするもんじゃないよ」
「そげん事わかっちょうけん。心配して言っちょるだけだけん」
「はぁ……」
あの頃の私はまだ父親の跡継ぎとして修行中の身だった。10年後には父親が他界し、自分が住職の席に座るとはまだ思ってもいなかった。
その日の夕方、親父の手伝いで法事に行った帰り道、防波堤に人影が見えた。嫌な予感がし親父には先に帰ってもらい、防波堤へと向かう。無駄足ならそれでいいと思いながら……。
「あの……こんにちは」
「はい?」
「あぁ、突然すみません。遠くから姿が見えて、こんな所にいたら危ないですよ」
「……海にでも飛び込む様に見えましたか?ふふ……それも良いかもしれませんね……」
「ちょ、ちょっと冗談はやめて下さい。私は泳げないので助けれませんよ!」
「あはは!飛び込みませんよ!すいません、笑ってごめんなさい」
「い、いえ……」
夕日のせいだろうか。笑顔が似合うその彼女に惹かれていくのがわかった。
彼女は防波堤にある街灯のコンクリートにもたれ、空を見上げる。
「少し……お話でもしませんか」
「え?」
私は彼女になぜかそんな一言を発した。たぶん彼女が青井さんの言っていた大阪から来た謎の女性だ。青井さんが言う様に思い詰めているのであれば、助けてあげる事は出来ないだろうか。
関わってはいけないと思う反面、彼女の横顔に吸い込まれ、どんどん惹かれていく自分を止める事が出来なかった。
「私は寺井早慶……。いや、本名は寺井吾郎。地元の寺の副住職してます。27歳です。好きな食べ物はカレー……」
「ぷっ!あはは!何かお見合いみたいですね」
「あっ、いや自己紹介をと思って……」
「ふふ。私は立花美沙……22歳です」
「美沙さん……どうしてこの町に来られたのですか」
「……ふぅ。一番重たい質問ね……」
そう彼女がそう言った時、潮風が彼女の髪をなびかせる。それは一瞬の出来事だった。彼女の首元に青アザが見えたのだ。
「それは……!?」
「……逃げて来たんです。旦那の所から」
さっきとは打って変わって、凛とした表情になる彼女。よく見ると、足や腕の所々にアザが見える。そして旦那の所と言われ、少しだけ躊躇する。本来ならこれ以上は踏み込まない方が良いのかもしれない。自分でも青井さんにそう言ったはずだ。
「何が……あったんですか?」
「……」
「私で良かったら話を聞きますよ」
「実は……」
彼女は時折涙を浮かべながら、その過酷な環境を打ち明けた。日常的な暴力、酒、ギャンブル……それは間違いなくDVだった。暴力による支配から彼女は逃げて来た、この町に……。
「明日になったら松江に行こうと思ってます。この町はあの人と出会った場所だったから……少し立ち寄ってみたんです」
「そげ……そうですか。松江にはお知り合いが?」
「はい。大学時代の同級生が住んでいて、しばらくやっかいになろうと思ってます」
「わかりました。あの……これ、私の携帯の番号です。何かあったら電話下さい」
「まぁ!珍しい!携帯電話をお持ちなんですね」
「はい。出かける事も多いのに親父……住職は機械が苦手とか言って……それで私が持っているです」
「ありがとうございます。思い出のこの町で、寺井さんに会えて嫌な思い出にならずに良かった……」
「え?」
「うぅん。何でもないです。今日はありがとうございました。話したら少しスッキリしました」
「いえ、私は何も……」
そんな出会いがあり、想いをはせる日が数日続いた。しかし再会はそれから一週間後だった。泣きながら電話をかけて来た彼女の元へと車を走らせる。
あの時の行動が正しかったかどうかは今だにわからない。ただ、美沙さんを守ってあげたいという強い意志だったのだろう。
――その日、私は美沙さんと一夜を共に過ごした。
………
……
…
「にゃ?」
「あっ……もうこんな時間か……」
にゃん太の鳴き声で我に返り、窓を閉める。
秋音と茜はきっと……私の子供。あの日から駄目だとわかっていながらも、お互いが幾度も体を求めた。
秋音と茜が産まれた時期を考えるとつじつまも合う。
そしてその事を知るのは立花のお婆さん……義理のお母さんだけ。美沙さんから生前聞いていたそうだ。
美沙さんとはそれ以来会っていない。一年後に警察から美沙さんの名前を聞いた時は動揺した。そしてその夜は、本堂で一人号泣した事を今でもはっきり覚えている。
美沙さんが亡くなってから、立花さんはこの町に引っ越して来た。娘を供養するためにと……。
しかしそれは私を監視するという意味もあったのかもしれない。
美沙さんと私の関係。秋音と茜の事……それは立花さんに口止め料という形で、毎月いくらか包む事で誰も知らないまま時は流れていく。
「……そうだ、思い出した。朱色の彼岸花は深いおもいやりともうひとつ意味があったんだ。確か……」
「にゃぁ……?」
『あなたのために何でもします』
❀✾❀✾❀✾❀
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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