私の彼岸花

ざこぴぃ。

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朱の彼岸花

朱の彼岸花

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 ――2011年9月23日。
 松江市まつえし車云生町くるいしまち廻輪寺かいりんじで住職さんが朝から一人忙しそうにしていた。

「今日の予定は午後から立花さんと……」

 ふと、窓から外を見ると墓参りに来たお婆さんが本堂の階段に座り休憩している。

「あれ?……立花さん、おはようございます」
「あぁ……住職さん、おはようごぜます」
「お彼岸のお墓参りですかいね?午後から来られるって聞いちょったけん、てっきり……」
「えぇ、昼からは娘がお参りに来るもんで……先にお墓掃除をしちょこうと思いましてね」
「それはそれは……終わったらお茶でも飲んで行ってください――」

 ――今日はお彼岸。

 立花のお婆さんは15年前にこの町で亡くなった娘を供養するため、引っ越して来た。
 娘さんはこの町の防波堤から海に飛び込んで亡くなったのだ。そして助けようとして飛び込んだこの町の白河さんも帰らぬ人となった。
 15年も前の悲しい悲しい出来事。
 警察の調べが終わり、助けに飛び込んだ白河さんのご遺体はうちの寺で供養することとなった。そして立花さんは別の病院で司法解剖をされたと聞いた。

「よっこらせ……すいませんねぇ、住職さん」
「いえいえ……ゆっくりしていってください……。しかし早いもんですね……もう15年ですか」
「へぇ……娘が亡くなった年にわしもこの町に来ましたけん……確か今年でちょうど15年ですけん」
「そげでしたね……」
「へぇ……白河さんが命がけで娘を救ってくれたおかげで、孫も元気に育っちょうけんね……」

 お茶をすすりながら、海を眺めるお婆さんの目には何が見えるのだろう。亡くなった娘の姿か、それとも元気な孫の姿か、はたまた……。

「お孫さんの茜ちゃんと美央ちゃんはお元気ですか?」
「へぇ、2人共元気で……」

 立花のお婆さんには子供が二人いる。長女の亜弥さん、そして次女の美紗さん。防波堤から飛び込み亡くなったのが次女の美紗さんだ。
 実は私は美沙さんと面識があり、亡くなる以前に何度か相談に乗った事があった。相談の内容は夫の暴力と、借金の……。

「さて……そろそろ帰りますけん。お茶をありがとうございますた。お昼から亜弥が来ると思いますが……よろしくお願いします」
「あっ……はい、お気をつけてお帰り下さいませ」

 亜弥さんの長女は産まれて10日の内に亡くなった。その後、間もなくして妹の美紗さんが海で亡くなったが、美紗さんのお腹には奇跡的に生きている双子の赤ちゃんがいた。
 名前は……秋音と茜。美紗さんの遺書にはそう書かれており、亜弥さんはその双子の赤ちゃんを亡くなった我が子の代わりの様に大事に大事に育てる事にした。
 しかし秋音の方は間もなく息を引き取った……。

 境内のお墓には美紗さんと子供のお墓が並んである。美紗さんのお墓の隣にある小さなお墓が秋音のお墓だ。

『チリーン――』

 風に吹かれ、1年中ぶら下げてある風鈴が音を立てた。

………
……


『ピンポーン……』
「はぁい、今、行きます」

 午後になりインターホンが鳴った。連絡をもらっていた亜弥さんがお墓参りに来たのだと思い、玄関へ向かう。

「はいはい、お待たせしま……」

 そこには亜弥さんではなく、30代くらいの女性が一人立っていた。どことなく見覚えのある雰囲気の女性だ。

「はいはい、お待たせしま……」
「あのぉ……こんにちは。覚えておられるかわかりませんが、黒山……いえ、白河春子です」
「白河春子……白河……!!えっ!春子ちゃん!!?」
「はい、ご無沙汰しています」
「いやぁ……大きいなって……!何年、いや何十年ぶりかいね!」
「15年……ですかね。住職さんは変わられませんね」
「はっはっは!そげかいね。わしも歳を取ったんだけどねぇ……さっ、上がって上がって。今、お茶入れて来るけんね」
「あっ、はい。失礼します」

 お茶を淹れながら春子ちゃんの様子を伺う。容姿が亡くなった母親の郁子さんにそっくりだ。年齢もあの時の郁子さんと同じくらいだろうか。

「お待たせ、春子ちゃん。お茶どうぞ」
「ありがとうございます」
「しかし、良く来てくれたね。15年ぶりって言ったか……そげか。もう15年も経つんか……」
「はい。境港の駅で偶然、おばちゃ……青井さんに会って……それでお寺さんに行くように言われて来ました……」
「そげだったか。……青井さんか。あぁそう言う事か。ちょっと待っちょってよ」
「はい」

 檀家だんかさんの青井さん。白河さんの家の近所で、うちのお寺の世話人さんでもある。
 ちょっとお喋り……いや、近所付き合いの良い方でちょっと涙もろい人だ。
 春子ちゃんがこの町を出てしばらくしてからの事。青井さんから相談があり「白河家の片付けを近所の皆でしないか」と言う話だった。私が春子ちゃんの親戚の方へ連絡をし相談した所、最初は家財道具の処分代で難航していたが、数ヶ月後には立ち会いを了承して下さり片付けを行えた。
 ほとんどの物は処分をし、貴重品と大切であろう物だけは段ボールに入れてお寺で大切に預かっていたのだ。

「春子ちゃん、開けてみて」
「はい」

 ガムテープに「白河家」と書かれた段ボールには、白河夫妻の位牌があり、そして一度は仏壇に飾られていた写真もあった。他にもアルバム、通帳、市役所からの手紙……箱の中はあの日から時間が止まったままの様だ。

「なぁ、春子ちゃんや。郁子さん……いや、君のお母さんは何で死んだと思う?」

 私は郁子さんの写真を見ながら春子ちゃんに問いかける。

「……わかりません。当時の記憶では借金苦か、父さんの看病疲れか。でも……ひとつ言えるのは私を捨てて……身投げをした……!」

 春子ちゃんはカバンからハンカチを取り出し、目頭に当てた。悔しい気持ちが勝っているのだろう。震える肩を見てそう思った。

「それは違う……勘違いしちょるよ、春子ちゃん」
「え?」
「あの日――」

 私は当時の様子を思い出しながら、あの日あった出来事を一から順を追って説明する。

「いいかい?春子ちゃん。私はね、春子ちゃんのお母さんはその人を助けようとして海に飛び込んだんだと……そんな気がしてならないんだ」
「え……?で、でも!誰もそんなこと教えてくれなかった!!皆が母さんは自殺したって――!!」
「近所の人はそう思うだろうね。実際、ここに帰ってきたのはお母さんだけ。後日、警察が来て事情を聞くまで私も知らなかったんだ」
「嘘よ……だって、そんな事言ってくれな……!?」
「四十九日の日……一度、話したよ。でもその時の春子ちゃんは聞く耳を持たなかった……。覚えてないかい?私に言った言葉を……」

 春子ちゃんを少しばかり困らせてしまった様だ。無言になりうつむいてしまった。
 私は段ボールに入っていた一冊の通帳を取り出す。名義人は白河春子……郁子さんが春子ちゃんの為にと貯めていた預金通帳だ。それを春子ちゃんに渡した。
 裏表紙には『春子がお嫁に行くまでに100万円貯める!』と書いてある。

「春子ちゃんや。自分の子供を置いて先に逝きたいなんて母親はおらんけん。これが証拠だよ。春子ちゃんのお母さんは死ぬ直前まで春子ちゃんのことを考えていたと思う。それにね、飛び込んだ周辺の海にその日の夕食の買い物が散乱していたそうなんだ……お母さんの気持ちがわかるかい?」
「そ……んな……こ……と……!!なんで……!なんで知らない人を助けて母さんが死なないといけなかったの!なんでっ!!」
「春子ちゃん、落ち着いて」
「なんでよ……!」

 急にわめき散らし、大声を出す春子ちゃんに少しばかり驚いた。しかしそれは18歳の春子ちゃんの記憶だったのかもしれない。
 すると突然、春子ちゃんは通帳を握りしめたまま裸足で玄関から飛び出した。

「春子ちゃっ!……ん……」

 声をかけ呼び止めようとしたが思いとどまった。今は一人にしてあげた方がいいのかもしれない……。
 それに春子ちゃんには美紗さんの子供が生きていたことは伏せておこう。

「もし、逆上して何かあっても困りますしね……」

………
……


『ピンポーン』

 それから間もなくして、亜弥さんと娘の茜が訪ねてきた。

「こんにちは。立花です。今日はお世話になります」
「あぁ!亜弥さんいらっしゃい!茜ちゃんも元気そうで良かった……。すぐ用意するけん、ちょっこうまっちょって」
「はい。あっ、お客さんがいらしてるのでは――」
「ん?あぁ、春子ちゃん……白河のお嬢ちゃんが靴を履かずに出て行って……まぁ大丈夫だけん、気にせんとって……。ちょっと用意して来ますけん、お待ちを」
「そうなんですか。わかりました。茜、お墓にあげる水を汲んでくれへん?そこ出た所にバケツあるやん?お母さん、住職さんをここで待ちおる」
「ええよ」

 私と亜弥さんは、茜に水汲みを任せ先にお墓へと向かう。亜弥さんと少しだけ会話をし、お線香をあげお経を唱え始める。

「摩訶般若波羅蜜多心経――観自在菩薩行深般若波羅蜜多時――」
「お、お母さんっ!!」

 水汲みに行っていた茜が小走りで追いかけて来た。そして亜弥さんに近付き何やら話しかけているが、私はそのままお経を続ける。

「今ねっ!誰もいないのに後ろでお母さんの声が――」
『チリーン――』

 ――そうか。もしかして美紗さんが来てるのか……?秋音とも会えるといいですね。今日はお彼岸、あの世とこの世が最も近くなる日……。

「――菩提僧莎訶般若心経」
『チリーン――』
「お母さん……ちょっと……気分が……悪……い……」
「茜!?どうしたの!?茜!」
「え?茜ちゃん!どうされました!?気を失ってるみたいですね、本堂へ連れて行きましょう!」

 その場に倒れこむ茜を亜弥さんと抱え本堂へと向かう。
 亜弥さんは慌てて119番をする。10分ほどで救急車は来るだろう。
 ……さてさて、茜はどんな夢を見に行ったのだろうか。
 美紗さん、秋音……茜を見守ってください。

「住職さん、10分ほどで救急車は来るそうです!私どうしたらいいか――」
「亜弥さん落ち着いて。気は失ってますが、息も脈もあります」
『チリーン――』

………
……


「……んん……ここは……?」
「おや?気が付いたかいね。亜弥さん、茜ちゃん気が付かれましたよ!熱中症かもしれんね、顔も少し赤い」
「良かった!今、救急車来るからね!もう心配で心配で……」
「……私、どうして」
「もしもし、お母さん?今、茜が気が付いてん、これからちょっと病院連れてこ思うて――うんうん、ほな美央をお願いね。うん、わかった。ありがとう――」

 亜弥さんが母親に電話をかけ、事情を説明していると茜は急に立ち上がりフラフラとお墓へと向かい歩き出す。茜ちゃんを追いかけるように亜弥さんも本堂を飛び出した!

「ちょ、ちょっと!茜!」
「亜弥さん!私は救急車を待っていますので!」
「は、はい!お願いします!茜!待ちなさ――」

 茜と亜弥さんは再度、お墓へと向かって行く。あの様子だと無事に2人と会えたのかもしれない。
 そんな事を思い、境内から海岸を見ていると遠くからサイレンの音が聞こえてきた。

「おぉい!亜弥さん!救急車が来たけん!茜ちゃんと一緒に――」

 もう救急車は必要ではなかったのかもしれない。だが念の為にと病院へと行く亜弥さんと茜を見送った。

「茜……。頑張るんだよ」

 2人を境内から見送った後、ふと目をやると赤い彼岸花に混ざる朱色の彼岸花が目に入った。薄い赤色……他の子とは少し違う綺麗な朱色。

「ほぅ……これは珍しい。朱色の彼岸花ですか。確か花言葉は深いおもいやり――」

 感傷に浸りながら、応接間に戻り後片付けをしているとインターホンが鳴り玄関から声が聞こえる。
 春子ちゃんかな、そろそろ靴を取りに来る頃だ。

「あのぉ……すいません!春子です!誰かおられますか!」
「はいはい。帰って来ると思って待っちょったよ。靴もそのままだしね」
「すいませんでした。取り乱して、恥ずかしい所を見せてしまって……」
「はっはっは!そんな事、気にする事ないけん。おや?その顔は何だかスッキリした顔だね?少しは落ち着いたかい?」
「はい。色々ありがとうございました。それと住職さんに少しお聞きしたい事があって。実はさっき――」

 春子ちゃんは防波堤で一人の女性に会ったそうだ。
 名前は秋音……それは亡くなった美沙さんの子供の名前。もしかしたら同じ境遇の春子ちゃんを励ましてくれたのかもしれない。
 秋音、ありがとう。でも春子ちゃんは知らない方が良いだろう。今は……。

「春子ちゃん、そんな話は私も知らんね。……だけど、もしかしたら不思議な体験をしたのかもしれんね」
「そ、そうですか……」
「春子ちゃん、ごめんね。これから出かけるけん。お彼岸だけと言わず、時々はお墓に顔を見せてあげて下さいね」
「は、はい!住職さん!ありがとうございました!」

 これで良かったんだ、これで。
 春子ちゃんの記憶の中では「夢のような出来事があった」……それだけでいい。母親を憎む気持ちは消え、心が洗われたのなら……それで十分。

 春子ちゃんは参道の前で深々と頭を下げてから帰って行った。今日は近くの宿で泊まり、明日大阪へ帰るそうだ。春子ちゃんの後ろ姿は背筋が伸び、来た時とは別人の様だった。

―朱の彼岸花【2】へ続く―
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