100年の恋

雑魚ぴぃ

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第二章

第20話・柳川夢子

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 ――1946年(昭和21年)8月20日(火曜日)

 弓子がいなくなって2日が経った。原因はわかっている。南町を治める地主の子、南方美穂が僕の子供を産んでいたのだ。
 もちろん僕の承諾は得ていない。夫の次郎を戦争で亡くし、幸せな親友の弓子への腹いせもあったのかもしれない。
 黒子の提案で『2人共嫁に』などと言われたが、この日本では一夫多妻制は認められていない為、籍を入れる事は出来ない。そして3日前の言い合いの後、翌朝には弓子の姿は無かった。
 その日、美穂もすでに実家に帰っていたため弓子が出て行った事もおそらく知らないだろう。

「千家さん!郵便です!」
「はぁい!置いといて下さい!」

 僕は黒子の作ってくれた台車に乗り、玄関まで移動する。
 差出人の名前は無い。しかし宛名の文字には見覚えがあった。

「弓子……」

 郵便物の中身は予想通り離婚届が入っていた。

「春文よ、どうするのじゃ?」
「有栖……」
「身動きが取れなかったとは言え、あの状況で弓子の親友と過ちを犯してしまったのじゃ。その責任はあろうて……。じゃが、弓子も西奈の家業を捨て千家の為に働いてくれたのも事実。その働きぶりは実に見事だったとも言える」
「わかってるよ……。僕の為、家の為に尽くしてくれた弓子か。はたまた僕の子供を育てている美穂か……」
「ねぇさま、弓子の居場所がわかりましたわ。どうも緑子先生の元へ身を寄せているとか――」
「うむ、黒子ご苦労じゃった。しかし緑子の所か……ちと、匂うの……」
「匂う?緑子先生は有栖の仲間じゃないのか?」
「仲間?あやつはそうは思っておるまい。わしと黒子の力を利用しておるだけじゃ、おそらくヤツの狙いは……」
「狙い?」
「鬼の生成……ですわね、ねぇさま。猿渡の者が地下で妙な実験室を確認しておりますれば」
「やれやれ。緑子と言い、白子と言い、どうしてまっとうな仕事が出来ぬのかのぉ……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!どういう事だ?鬼の生成?実験室?」
「春文よ、妙だと思わぬか。お主はこの世界に来てすでに何度も鬼に襲われておる。それでも生かされ、また鬼と戦う。これを誰かが仕組んだものだとは思わぬか?」
「そ、それは薄々感じてたけど……そういう星の元に産まれたのだと」
「たわけ、そんな不運な星があってたまるか。何者かが鬼を操り、お主を殺そうとしておる。そして少なからず緑子はお主を利用し戦わせようとしておる」
「ねぇさま、それは千家……ひいては猿渡家に仇なす者と思われます。いっそ緑子を始末してしまう事もご検討を」
「いや、黒子よ。緑子はいずれ自滅の道を歩むじゃろう。ほおっておいてもいずれ……な」
「御意」
「でも困ったな。緑子先生にはこの腕を診てもらわないとならないのに。他に妖狐の事を知る医者はいないのか?」
「うむ、そうじゃな。先日呼び寄せたあいつならわかるかもしれぬな」
「ねぇさま。冴えておられますわ。早速呼んで来ましょう」
「黒子、頼んだぞよ」
「はっ!」
「え?あいつって?」
「そのうちな……ふふ」

 有栖は不敵な笑みを浮かべ、黒子と出かけて行った。僕は残された離婚届けを持ち、車椅子へと乗りこむ。覚悟を決めないとな、そんな気持ちになった。

………
……


 足が無い僕にとっては、隣町の緑子先生の医院まで行くのは一苦労だ。東町の大通りを抜けると田んぼが広がり、あぜ道に変わる。以前より幾分整備はされているが車椅子で走るには少々不便だ。
 しばらく進むと小学校が見えてくる。

「少し休憩していこう……ふぅ」

 その時、ガコンッ!という音が鳴り、車椅子の体制が崩れる。道に空いた穴に車輪がはまった様だった。

「あっ……しまった。動か……ないっ!」

 車輪は押しても引いても動かない。車椅子を穴から押し出そうと、車椅子から降りようとした時――

「大丈夫ですか!後ろ押しますね!」
「え!あっ!ありがとうございます!」
「せぇのっ!」

ガコン――

 勢いの良い掛け声と共に車椅子は穴から抜け出した。

「ありがとうございます!助かりました!」
「いえいえ、ちょうど通りかかったものですから!お力になれたのでしたら幸いです!それじゃ!お気をつけて――」
「はい!あっ!お名前……を……!?」

 僕は夢を見ているのだろうか。目の前をかけていく少女を目で追いながら言葉を失った。
 それは名前を聞くまでもない、何度も何度も見慣れていた顔。その顔を見なくなってどのくらい経っただろうか。またこうして同じ笑顔を見ることになろうとは思いも寄らなかった。

「名前?柳川夢子と申します!さようなら!」
「白……子……!?」
「?」

 彼女は不思議そうな顔をしながらも走って行ってしまった。

「柳川……?緑子先生の医院の方角だ」

 僕は休憩するのも忘れ、彼女の走り去った方向へと向かう。亡くなったはずの白子にそっくりだった。未来にいた白子は夢子と名乗っていた。
 緑子先生に子供がいたと言う話も聞かないし、見たこともない。頭の整理がつかないまま僕は車椅子をこいだ。

「こんにちは!緑子先生はいますか!こんにち――」
「はぁい!今行きます!」

 緑子先生にさっきの夢子の話を聞きたい、その一心で柳川医院の扉をノックする。

カチャ――

「緑子先生!さっき――!?」
「すいません!先生は今、往診に――!?」
「弓子!?」
「春文様!?」

 お互いがドアの取手を握ったまま固まる。完全に忘れていた。弓子を探しに緑子先生の所まで来たのだった。

「春文様……お帰り下さい。私はもうあの家には帰りません」
「待ってくれ!弓子!僕は――!」

 弓子は僕の手をドアから外し、ドアを閉めた。

「弓子!聞いてくれ!僕が悪かった!」
「帰って下さい!美穂ちゃんが待ってるのでしょ!お子さんもおられるのですから!」
「違う!」
「何が違うんですか!」

 ドアの扉を1枚挟んだだけなのに、弓子との距離を遠く感じる。

「弓子……僕は君を愛している」
「……嘘よ。何年も経つのに私に子供が出来ないから美穂ちゃんを――」
「違う!あの日は目が覚めなくて、おまけに腕も無い状態で!信じてくれ!」
「……」

 しばらくしてドアが開き、数日ぶりに弓子の顔を見た。目は赤くなり、泣き明かした様子が伺える。

「弓子、ごめん……美穂さんの子供の養育費は払っていくつもりだ。けれど一緒に住むことも結婚する事もない。僕には弓子が必要なんだ」
「春文様……」

 僕は弓子が送ってきた離婚届を取り出し、その場で破いた。

「戻っては来てくれないか。あの日は動揺してちゃんと言えなかったが、僕は弓子を愛している……」
「……はい」

最後には泣きながら弓子はうなづいた。

………
……


 弓子が落ち着くと、院内でお茶を煎れてくれた。緑子先生の往診が忙しいと聞いて手伝いに来ていたそうだ。

「それじゃあと2、3日で帰れそうなのか」
「はい、大丈夫だと思います」
「そうか、それを聞いて安心したよ。あっ、それとここに白子に似た人が来たと思うんだけど見なかったか?」
「いえ……白子さんに似た方?」
「あぁ、ここに来る前に車椅子が穴にはまった所を助けてくれたんだ。お礼をきちんとしておこうと思って」
「そうだったんですね。でもそんな方は見た事が……あっ!そう言えば医院の裏に別棟がありますわ」
「それは僕達が以前入院してた建物ではなくて?」
「はい。でもそこはもう古くて人が住めるような感じではないのですが……」
「緑子先生は何時くらいに帰って来るんだ?」
「えぇと……15時くらいには……」
「まだ3時間くらいあるのか。ちょっと見ても良いかな?」
「はい、たぶん。でも人がいるような雰囲気では無いと思いますよ」

 僕と弓子は医院の裏口から別棟へと向かう。手入れはされてなく草も木も生え放題、車椅子も誰かに押してもらわないと動けなくなりそうだ。

「春文様、気を付けて下さいね」
「あぁ……」

 別棟の建物は廃墟の様になっていて、昼間でも室内は暗くじめじめしている。床はきしみ、底が抜けそうだった。
 しかし黒子が『地下室』があると言っていた。間違いなくここにあるはずだ。部屋を調べていると、クローゼットの扉が真新しい事に気付く。

「もしかしてここか……?」
「こんな所に誰かが出入りしているのですか?」
「そうみたいだな。明かりが少しだけ漏れてる」
「春文様、先生が戻るまで待ちませんか?」
「……どうしようか」

 僕は少しだけ考えたが、先程の夢子の笑顔が頭をよぎりクローゼットの扉に手をかける。

「少しだけ覗いてみて危なそうなら逃げるよ。弓子は周りを見ていて」
「わかりました。春文様、気を付けて下さい」
「あぁ……」

キィィィィ――

 床の扉を開けるとこの建物には似つかない鉄の箱が姿を現す。

「これはエレベーターか……?」
「エレベーター?話は聞いた事がありますが、これが?」
「あぁ、そうみたいだ」

 壁面のボタンには『1』『地1』『地2』の表記があった。

「ここが地上1階だとしたら『地1』は地下1階か。弓子、ここで見張っててくれ。下に降りてみる」
「わかりました。気を付けて下さい」

 僕はエレベーターの戸を開け、中に乗り込むと扉を閉める。この時代はまだ扉の開閉は手動だ。
 そして『地1』のボタンを押すと、ブウゥゥンと言う機械音が聞こえエレベーターが動き出す。

チーン――

 エレベーターが地下1階に着き、扉を開ける。
 外は夏の暑さにも関わらず、地下室の温度は20度くらいだろうか。暑くもなく寒くもなく不思議な感覚を覚える。

「もしかしてエアコンがついている……?」

 廊下の突き当りに扉があり、室内の天井の側面にエアコンが見えた。
 部屋の鍵は……開いている。鍵を締め忘れたのだろう。室内からは機械音以外、人の声は聞こえない。

「し、失礼します……」

カチャ――

 10畳ほどある室内には、中央に手術台と見られる台があり器具や薬品が整理されて置かれている。
 しかし鼻が曲がるようなきつい匂いが脳を貫く。

「血の匂い……?」

 僕は車椅子の向きを変え、エレベーターへと戻りそのまま地下2階へと降りていく。

チーン――

 地下2階はまっすぐ廊下があり、正面と両脇に部屋があった。全部で5部屋。両脇の4部屋は金属製の扉の上に小窓があるが車椅子の高さからは見えない。
 正面の扉まで近付くと、隙間から中が見えそうだった。僕はそっと覗き込む。

「なっ!?なんだこれ……」

 そこにはカプセルの様な容器に入った人とも鬼とも言えぬ生物がいた。
 そして先程見た夢子もまたカプセルの中で眠っていた。

「何だ……これは……?」
「見たな――」
「え?あなたは――!!」

ゴンッ!!

後頭部に強い衝撃が走り、目眩がする!

「ッ!?」
「君も実験台になってもらいましょうか……」

 だんだんと目の前が暗くなる。車椅子から転げ落ちた僕はそのまま気を失った。
 
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