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第二章
第16話・霧川靖子
しおりを挟む――1945年(昭和20年)9月10日。
臨海小学校の裏山に数人の人影があった。小さな祠に供物を備え、手を合せる。
「――鬼子母神様、今一度私にお力をお貸し下さい」
「……」
女性はお祈りを済ませると、懐から赤い液体の入った袋を取り出し湯呑みに注ぐ。
「姉さん……それはもしかして……」
「えぇ、私の血よ。先生にお願いして抜いてもらったのよ」
「まじですかぃ……うわぁ……」
「お前らの血では汚れているかもしれないからな。鬼子母神様は女性の血でしか望みを聞いてはくれない……。ところで先生、霧川靖子は本当に蘇ったのですか?」
「えぇ、本当よ。あの日――」
霧川校長と娘の霧川靖子は小学校の中庭で鬼に殺された。そして翌日、早乙女一郎を含めた3人が火葬された。……はずだった。
「まさか千鶴さんの方から鬼が欲しいなんて申し出があるとは思いませんでしたよ……」
「ふふ、先生もご興味がおありだったのでしょう?」
「否定はしないわ。あの日、霧川靖子の遺体を引き取る様に頼まれた時はびっくりしたけど」
「えぇ……代わりの遺体を探させるのに苦労しましたわ。バラバラになった霧川靖子の遺体の代わりをね……」
「霧川靖子の遺体を繋いで鬼の血液を輸血させるなんて前代未聞だわ。私は貴重な研究結果が残せたけど……」
「先生は私に頼まれてしただけの事。何も気にしないで下さい」
「変わった人ですね……。報酬は口座にお願いします。霧川靖子……いえ、鬼は近々あなたの元へ現れる事でしょう」
「もちろんです。鬼の姿を確認次第、振込みますわ。柳川先生、ありがとうございました」
そう言うと女性と配下の者達は深々と頭を下げた。
「千鶴さん、私は近くの展望台で休んでから下山しますわ。一緒にいる所を誰かに見られたらお互いに仕事がしにくいですからね」
「えぇ、そうですわね。私共は反対の道から下山致します。ご機嫌よう……」
千鶴と配下達が山道を降りて行く姿を見てから、緑子も小学校の中庭へと続く道を戻る。途中分岐があり、開けた展望台へと着いた。
「ふぅ……疲れたわ……」
緑子は眼下に小学校を見下ろし、一息つく。
「しかし鬼は女性にしか憑依しない……か。これも鬼子母神様の力なのかしらね?まるで子供を産んでる様……」
ポケットからタバコを取り出し火を点ける。
「ふぅ……もし私の体に鬼の血を入れたらどうなる?妊娠してみないとわからないが鬼の子供が産まれる……?」
緑子はタバコを吸い終え、帰ろうとすると背後で人の気配がする。ゆっくりと振り返るとそこには……。
「鬼……!?いえ、あなたは靖子さん……?」
「ゼンゼィ゙……グルシィ゙……」
「……診てあげるわ。そこの岩に腰掛けて」
緑子はカバンから聴診器を取り出し鬼の心音を聴く。
「うっ……あなた遺体を漁ったの?ひどい死臭がするわ……」
「コレ……ダイジ……」
見ると、腰紐に腕が2本ぶら下がっている。
「まさか一郎の腕!春文さんを襲ったのはあなただったのね……」
「コレ……ダイジ……」
「靖子さん良く聞いて?肉体は壊死すると腐って虫がわくのよ。それに匂いが……」
「コレ!ダイジッ!」
「ん……困ったわね。そうだわ!」
緑子は靖子鬼を連れ、鬼子母神の祠へと戻る。鬼は黙って緑子の後を着いて行く。いつ襲われてもおかしくはない。しかし鬼の記憶の中にまだ一郎は存在していた。それは人間であった時の記憶。それは愛する者を手放したくない記憶……。それが鬼を苦しめる原因だった。
「ここで良いわ。靖子さん、ここに穴を掘って。一郎さんを埋葬してあげましょう」
「コレ……ダイジ……」
「わかってるわ。この祠はね?鬼子母神様と言って鬼の神様がお祀りしてあるのよ。ここで一郎さんを埋葬してあげればいつかまた会えるかもしれない」
「イチロウ……アエル?」
「えぇ、いつか必ず」
「……ワカッタ」
鬼は緑子の言う通り、長い手を使い深く深く穴を掘っていく。
「そのくらいでいいわ。靖子さん、腕を埋めてあげましょう」
「ウゥゥ……イチロウ……」
2人は神社の脇に穴を掘り一郎の腕を埋葬した。手を合せる緑子の姿を見て、鬼も手を合せる。
知能は幼子と変わらないのか、人間の仕草を真似する事は出来る様だ。横目で鬼の様子を見ながら緑子は微笑む。
(我ながら上手く出来てるじゃない?)と。
死んだ靖子の体を繋ぎ、鬼の血液を秘薬と共に流し込む。止まった心臓を繰り返しマッサージし、血液を循環させていく。そして靖子の体内にあった鬼の核が目覚めた。
緑子がもう駄目かと諦めかけた時……わずかだが靖子の指が動いた気がし、緑子は心臓マッサージを続ける。
そして鬼は……目覚めた。
「靖子さん、これでもう大丈夫よ」
「アイタイ……イチロウ……」
「えぇ、そうね。時々この神社にいらっしゃい。食べ物をお供えしている人もいるみたいだから」
「……」
鬼は緑子の方を向き、最後に一言言い残し山へと姿を消した。
日が傾き始め緑子も下山する。途中、春文に出会ったが鬼の事は伏せていた。
………
……
…
「はるにぃ!どこ行ってたの!」
「わ、悪い。ちょっと裏山の展望台に」
「もう!みんな夕食先に食べてるよ!」
「千草、すまん」
「もう!」
千草にせかされ教室へと入る。復興組の黒子達は先に夕食を食べ終わり、雑談をしていた。
緑子先生の姿もあった。先程の死臭はしない。香水の香りだろうか、少しだけ甘い香りがする。
夕食を食べ終わると、黒子と千草は屋敷へと戻り有栖に報告しに行くと言う。
「はるにぃは戻らないの?」
「あぁ、メリーとハリーがどうしても裏山で狩りをしたいって聞かないんだ」
「ご主人タマ。そういう約束。夜になったら自由奔放にしてくれる、とイッタ」
「自由奔放とは言ってない」
「あんさん、ちょっくら行って来るよって待っててや」
「はいはい、とその前に……」
僕は千草を見送ると校長室に入り、妖狐を腕から離す。2匹は狐の姿で裏山へと向かった。
動物の本能なのだろうか。時々腕から離れ、狩りをしに行っている。その間、両腕が無い僕は身を潜め人目につかない様にしていた。
校長室は普段は使われていない。念の為、ドアにはハリーに鍵をかけてもらっている。メリーは鍵を無くしそうだから、百歩譲ってハリーに頼むのだ。どっちもどっちだが……。
校長室のソファに横になっていると、窓から月が見える。辺りは暗くなり夜が訪れ、賑やかだった校庭も皆それぞれがテントに入り静かになっていた。
僕は特にする事もなく、月を眺めているとだんだんとまぶたが重くなってくる。いつもこうして妖狐の帰りを待っているのだ。1時間から長くて2時間もあれば妖狐達は戻って来る。そしていつもの様に眠りにつく。
ギシギシギシ――
カチャ――
僕はそれが何の目的かはわからなかった。口を塞がれ、少し息苦しい。殺される訳ではない。ただ両腕が無いため抵抗も出来ずただその行為を眺めている。
寝起きで頭もうまく回らない。月は雲に隠れ、部屋は暗がりに包まれる。
ギシギシギシ――
ギシギシ――
ソファがきしみ音を立てる。何かの薬を嗅がされたのだろう。頭にはモヤがかかり力が入らない。
と、廊下を歩く足音と声が聞こえる。
「――春文様……いえ、領主様はおられますか?」
「あぁ、領主様はこの時間は校長室でいつもおやすみになっておられます」
「そうですか。それでは教室で少し待ちますね」
「はい、ご案内します」
心地良い時間が過ぎていく。夢と現実の境目にいるかの様だ。途中で考えるのもやめた。ただわずかに月の明かりから見えるその姿を眺めている。
ギシギシギシ――
しばらくすると、僕の上に覆いかぶさっていた人が耳元でささやく。
「ごめんなさい――」
何かを言っているがそれに答えるわけでも無く眠さが勝ち、僕はまた眠りにつく。
………
……
…
「――主人タマ!ご主人タマ!起きロ!ヘンタイ!」
「あんさん、わいらがいない間に何しとんねん」
「んん……何だ?メリー?ハリー?もう朝か?」
「アホンダラ、何で裸で寝てるのかって聞いてルンダ!」
「裸?」
ソファに横になったまま、自分の体を見ると服を着ていない。どころか、パンツも履いてない。
「え?うわっ!何だこれ!?」
「あんさんもやっぱ男なんやな。わかるで、その気持ち。わいも狸のエリーちゃんと仲良うなった時はそりゃぁもう毎晩毎晩……」
「ハリー、チョットダマレ」
「……」
「……」
ハリーが怒られたのに僕まで沈黙してしまう。服を着ようにも妖狐が腕に戻らないと何も出来ない。
「ハァ、ご主人タマは腕が無イ。という事はニョバをたらし込むにしても不自然カ」
「僕は無実だ、眠っていたんだ」
「ほう……あんさん。証拠でもあるんやろなぁ……?」
ハリーが少し調子に乗って、あごに手を当て刑事の真似事を始める。
「この部屋は外から鍵がかけてあった……そうやな?あんさん」
「あ、あぁ……出かける時、ハリーが外から鍵をかけてくれたんだろ?僕は腕が無いからそのままソファで寝ていたんだ」
「鍵?せやな、この鍵でドアを……あれ?鍵……鍵?あれ?どこに仕舞ったんやろか……」
「無くしたのかよ……」
「ご主人タマ。あちきが帰って来た時は鍵は開いてまシタ。つまり、鍵を持っている人がハンニンニン」
「あっ……そうだな。言われてみれば鍵を持っているのは数人しかいないのか」
「あれ……鍵……どこに……あれ……?」
学校の鍵は共通の物が使われている。玄関、職員室、校長室、用具室。金庫だけは別にある。
学校を避難所として開設する際に作り直したのだ。そして鍵を所有し、学校への出入りが出来る者が僕を襲った犯人なのだ。そのメンバーは……。
「鍵を持っているのは全部で5人。僕、緑子先生、美穂さん、そして千草、黒子……」
「簡単ダナ。緑子センセしかいないヤンヤンボー」
「……廊下で弓子の声が聞こえた記憶はあるが、僕に覆いかぶさっていたのが誰なのか思い出せない。もし薬品を使われているのなら緑子先生が一番怪しいか。でも何の為に……?」
「ご主人サマ、わからないノカ?簡単なトリックなのダヨ」
「メリーはわかるのか?」
「チッチッチ、ノープロブレム」
「教えてくれ、何の為に緑子先生はそんな事を……」
「フッ……ご主人サマ、あちきの推理では――」
「ごくり……」
部屋に重苦しい空気が流れる。そしてメリーは犯人の動機を告げる。
「それは……恋ナノダョ!!」
「……は?」
「男女がひとつになりたがる理由、それは恋ナノダョ!」
「聞いた僕が馬鹿だったよ。さ、服を着るから腕に戻ってくれ」
「ソチンノブンザイデ、あちきの推理をないがしろにしやガッテ……」
「メリー、何か言ったか?」
「ナニも言ってナイ。ご主人サマ」
「そうか、ならいい」
「鍵……失くしてもうたわ……」
メリーが八つ当たりのごとく、鍵を探すハリーのお尻を蹴っ飛ばし、妖狐はいつも通り腕へと戻る。
緑子先生が犯人と思えるこの所業。僕はしばらく様子を見ることにした。
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