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第一章
第7話・猿渡キヨ
しおりを挟む――1939年(昭和14年)9月17日日曜日。
『――ソビエト連邦が東からポーランドに侵攻を開始した、これを受け――』
ラジオから流れるニュースに耳を傾け、朝食を取る。朝食は基本和食だ。食パンが今では懐かしく感じる。いずれ食卓に並ぶ様になるのだろうが、それはまだ少し先の事だ。
妖狐の2人は弓子に言われてからは狐の姿になり、餌をもらっている。弓子流の節約らしい。メリーが隠れておにぎりを食べている事は知っていたが黙っておこう。
「春文様、準備が出来ました」
「あぁ、ありがとう。行こうか」
両腕の義手の手術も無事に終わり、日常生活が出来るようになった。何でも飲み薬には、猿渡黒子が調合した飛躍的に回復が進む秘薬が含まれていたのだと言う。
両腕を使えないまま、弓子に飲ませてもらっていたので、拒否権も無かったが……幸い、両腕共に動かせるようになった。
メリーとハリーはと言うと、自分でエネルギー源を確保出来る様になったからか、時々僕の体内で眠る事はあるがほとんどは外に出ている。狐の姿でいる事で、もしかしたらエネルギーの消費を抑えれているのかもしれない。弓子の節約術がこんな所に影響してくるとは夢にも思わなかった。
僕は弓子と狐2匹を連れ、小学校へと向かう。今日はお別れ会が行われるそうだ。喪服を着て、緑子先生の用意した車に乗り込む。
「緑子先生、車もですが運転免許お持ちだったんですね」
「あら、春文さん。免許は持ってないわよ」
「は……?」
「この一帯は領主様の土地なのよ。私有地では免許は必要ないわ。それに車も領主様からお借りしているのよ」
「そうなんですか……」
「えぇ。だから隣町までは行けないけど、臨海小学校の手間の敷地内までなら大丈夫よ。それに境界線もあってないような田舎ですしね。ふふ」
「大丈夫かな……?緑子先生、それで結局亡くなられたのは校長先生と用務員さんと男性教師の3人だったんですよね?」
「そうね……弓子さんに聞いたと思うけど……」
「はい……僕が眠ってる間に葬儀は済んだと聞きました……」
「春文様、そんな顔しないで下さい。春文様は一郎さんを助けようとして下さったのですから!次郎もそう言っていましたし」
「あぁ、弓子……ありがとう」
僕は腕をさすりながら答える。小学校までの道は整備されているわけもなく、田畑の脇道が多い。車の乗り心地は最悪だった。車は何度もバウントし、お尻が痛くなる。「帰りは歩きで帰ろうか」そう思えるくらいの振動だった。
5分ほどお尻の痛みを我慢していると臨海小学校が見えてくる。近くの空き地に車を止めた所でようやくほっとした。
「着きました。ここからは歩きで行きましょう」
「はい」
緑子先生に言われ皆、車を降り小学校へと向かう。小学校にはすでに関係者が数十人集まっている。
中庭の人だかりの中央には石碑が建てられていた。
『臨海小学校ノ子供達ノ為、命ヲ落シタ勇気アル者、ココニ眠ル――』
「校長先生、用務員さん……そして早乙女一郎さん」
石碑には3人の名前が刻まれている。この石碑は未来にも残っていた物だ。未来では古くなり、解読は出来なかったが戦争で亡くなった人を祀った石碑だと伝わっている。しかし実際は鬼に殺された人の名前だった。
石碑の前でひときわ声を出して泣く女性が目に入る。
「弓子、あの方は……?」
「……次郎さんの兄、一郎さんの奥方様ですわ」
「そうか……」
一郎の奥さんの後ろで次郎も涙を流している。
――早乙女次郎。西奈弓子の実家、西奈よろず店のお手伝いさんだ。兄、早乙女一郎はこの小学校の教師だった。メリーとハリーが緑子先生の元へ連れて行ったのも一郎だったそうだ。
僕が眠っている間に葬儀も終わり、この中庭も元通りになっていた。小学校の廊下の壁には板が打ち付けられ穴も塞がれている。それを見ていると当時の鬼の姿が思い出され、両腕が痛む……僕がクセで腕をさすっていると弓子が背中をさすってくれた。
「春文様……実は……」
「ん?どうしたんだ?」
『――観自在菩薩行深般若波羅蜜多時……照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空――』
弓子の話を聞こうとすると、慰霊祭が始まり話は後回しになった。寺の住職さんがお経を上げ、30分程各々慰霊碑に手を合わせたり、泣いたり、それぞれの時間を過ごす……。
慰霊祭も無事に終わり、僕と弓子は白子の屋敷へと向かう。緑子先生は車を返す為に別行動とした。次郎とも少し話をしたが、今はそっとしておいた方が良さそうだ。
「喪服で歩くのは目立つな」
「そんな事ないですよ春文様。白子さんの屋敷までですし」
「そうかな。ところで弓子、さっき何を言おうとしたんだ?」
「実は……」
「……え?嘘だろ……」
「本当です。緑子先生には口止めされてましたが……」
「この腕が……」
あの日、緑子先生の元へ連れて行かれた僕は気を失っていた。原因は2人の妖狐の使うエネルギーに体が追いつかなかったのだろう。
そしてもう一人運ばれたのが早乙女一郎だった。しかし彼は診療所に着いた時にはもう手遅れだった。そこで緑子先生が弓子を手伝わせ行った手術が……。
「一郎さんの腕の移植……」
「はい……」
僕の両腕は一郎さんの両腕だった。
「いくら一郎さんが手遅れだったと言え、それは一郎さんの奥さんにも次郎さんにもきちんと説明してからじゃないと駄目なんじゃないのか……?」
「術後、一郎さんの遺体はすぐに火葬したのです。先程の中庭で……先に亡くなられていたお2人と一緒に。ですので腕が無いとかそういう事はわからない事だと思います……」
「緑子先生がそうすると言ったのか?」
「いいえ……全部私がお願いしました」
「弓子!?君が!」
「はい……どうしても春文様のお役に立ちたく。勝手な事を致しました。申し訳ありません」
確かにこの時代、移植手術となると保管や輸送を考えると不可能に近い。目の前に腕が有り、すぐに使えるとしたら……そんな偶然滅多にないだろう。
「血液検査もきちんとしましたし、接合部分の拒否反応もありませんでした。時間が経てば馴染むと思います」
「……」
僕は少し弓子を怖いと思ってしまった。医者の立場からすればそうなのかもしれない。千載一遇のチャンスなのだろう。しかし、知っている顔……しかも今、目の前で亡くなった人の体を割くという行為が、僕には理解出来なかった。
臓器移植は僕がいた世界でもあった話ではある。ドナーを募り、一致する人がいれば移植をする。それでも移植が成功する確約等はない。愛する人の為だから出来たのか、それとも別に……。
「坊ちゃん!」
白子が屋敷から手を振っているのが見えた。僕も手を振り返す。当たり前の動作だが、これも緑子先生と弓子のおかげなのだ。感謝しないといけない。
「坊ちゃん!あれ、少し痩せられました?」
「白子、ただいま。色々ありすぎてな……」
「まぁ!てっきり弓子さんと毎晩毎晩お楽しみかと思ってました!」
「もう!白子さん!」
「あはは!すいません!でもお2人共お元気そうで何よりです!さぁさ、入って下さい!」
白子に促され、久しぶりに屋敷の門をくぐる。今夜はゆっくりして、明日からは仕事を探すつもりだ。いつまでも猿渡家、西奈家におんぶに抱っこと言う訳にはいかないだろう。
この時はそう思っていたのだが、僕の運命はゆっくりする間を与えてくれないみたいだ。
「ただいま、婆さん元気……ん?」
玄関を入ると居間の方から怒鳴り声が聞こえてくる。
「白子、何かあったのか?」
「さぁ……?何でしょう。屋敷には有栖様、黒子姉さんと婆しかいないはずですが……」
靴を脱ぎ捨て、僕は白子と慌てて居間へと向かう。弓子は狐姿の妖狐の足を拭いてくれていた。
「貴様っ!!ぬけぬけと何を言っておるか!!恩を仇で返しおって!!」
「当主様!申し訳御座いません!全て私が悪かったのです!この命で、どうかどうかお許し下さい!」
「黒子よ!落ち着くのじゃ!そやつを切った所で何も変わらぬ!落ち着くのじゃ!」
「ねぇさま!離して下さい!この者は私の――!!」
居間では日本刀を抜き、婆さんに襲いかかろうとする黒子を有栖が止めていた。
「白子!黒子を止めるのじゃ!」
「は、はい!有栖様!」
白子は婆さんの前に立ち、黒子が持つ日本刀の柄に手をかける。
「黒子姉さん!落ち着いて下さい!なぜ婆に刀を向けるのですか!」
「白子!邪魔をするな!この者は婆ではない!母を殺した悪魔じゃ!!」
「え……黒子姉さん……何を言って……?」
「そこにおる春文の母親!霧川小夜が母を殺し、しかも婆に成りすましていたのじゃ!こやつだけは許さん!」
「え……霧川小夜って……僕の母親の?」
一瞬、皆が僕の方を向く。僕は婆さんの方を向いた。いつもの婆さん……ではない。70代であっただろう婆さんの頭からはカツラらしき物が外れ、曲がった腰も伸びている……。母親と思われる人物は僕の方を向いた。
「春文や……立派になって……うぅ……」
その時だった。皆の注目が僕に集まった隙に、黒子は有栖の手を抜け婆さんの背後から日本刀を突き立てる。
ザクッ――
「カハッ……!?」
振り向いた白子の体が鮮血に染まった。
「婆っ!!婆!!黒子姉さん何て事を!!」
僕は何も出来ず、膝から崩れる。
「婆さんが……母さん?」
思い当る節もある。僕が初めてこの屋敷に来た時に婆さんは涙を浮かべていた。びっくりしすぎて涙を浮かべていた訳ではなかったのだ。時々、婆さんに見られて視線を感じる事もあった。
目の前で起きている現実を受け入れ難く、人が死んでいく姿をまた見ることになるとは思わなかった。
――自分の産みの親であろう霧川小夜の死を。
………
……
…
どのくらい経っただろう。辺りはすっかり暗くなっている。
泣きじゃくる白子と呆然とそれを見つめる僕。そして床に伏せ冷たくなっている婆さん。
重苦しい空気の中、有栖が口を開く。
「――霧川小夜はあの日、神に助けを乞うた。産まれたばかりの幼子のお主を助けて欲しいと願った。そして妖狐の加護を受けたお主は全身が燃え、この時代から消えた。その炎で火災が起き霧川の屋敷は燃え一族はほとんどが息絶えたのじゃ」
誰に言うでもなく、居間を歩きながら独り言を言うように有栖は続ける。
「ほとんどが……じゃ。火災の中で霧川小夜は閉じ込められていた蔵から逃げ出した。また自分の子供に会えると信じての。逃げ込んだ先は柳川緑子の診療所。お産の時から世話になっていたそうじゃ……」
時々、婆さんの方を向き目をつむる有栖。
「……霧川小夜は柳川緑子に頼み、見た目を整形した。そして助手としてこの屋敷に来た。黒子と白子の母親を殺す為に……」
「なぜですか!有栖様!なぜ霧川小夜は母さんを!」
白子が思い出した様に声を上げた。
「妬み……じゃよ。同じ父親であるはずなのに、産まれた子供の境遇の違いに嫉妬したのじゃ。そして柳川緑子の目を盗み、毒を盛った。その後、霧川小夜は柳川緑子の前から姿を消しておる。そして次に現れた時には使用人の婆さんの姿に変装し、本当の婆さんを殺した。それは父親である当主の側に居たかったからであろう……」
「それは有栖の憶測なのだろう?そんな話を信じろと?」
「お主らが帰って来る前に、霧川小夜が全部白状したのじゃよ。憶測ではない、事実じゃ」
「……有栖様……では、本当の婆はどこに……?」
絞り出す様に白子が尋ねる。
「ここじゃよ。この床下に埋めたと話しておったわい」
そう言うと有栖は婆さん……いや、霧川小夜を見つめた。それは悲しげな、いたたまれない目をしていた。
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