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第一章
第1話・千家春文
しおりを挟む「……ここは?」
目が覚めると、木造の教室らしき場所だった。体を起こすと、背中から木のきしむ音が聞こえる。
「いっつ……」
頭がフラフラし、手にしびれがある。朦朧とする思考で寝る前の事を思い出す。
「確か……8月8日から9日に変わる瞬間を時計で見て……それから……」
僕は体を起こし、机に手をかけ立ち上がる。うす暗くて見えにくいが時計は午前5時過ぎだ。窓の外はうっすら明るくなっている。外からはセミの声が聞こえ始めた。
「なんで教室にいるんだ?……家に帰らないと」
おぼつかない足で、教室から廊下に出てから気付いた。
「あれ……ここどこだ?高校じゃない?」
ギシ……ギシ……
古い校舎だ。木造の平屋建だろうか。中庭に映る校舎の影に2階部分がない。
僕は壁伝いに歩き、昇降口へと向かう。
「あれ、靴がない……参ったな」
仕方なくそのまま地面に降りる。地面はひんやりとし目が覚めた。昇降口の床は土が固めてあるだけ、下駄箱も木製……。
「何かおかしいな……」
昇降口を出ると朝日が顔を照らす。そして学校の表札を見てまた頭を悩ませる。
【臨海小学校】
「臨海小学校……?どこかで聞いた事が……」
頭の整理が追いつかない。先程まで暗くて見えなかったが校庭の先には田畑が広がっている。いつも見ていたコンクリート造りの町並みや、駅が見えない。
外に出ると、セミやカエルが一斉に鳴き始める。
クシャ……。
何気に突っ込んだズボンのポケットに紙らしき物が入っていた。そこには地図が簡単に書かれている。
「高校から北に行って……東の角。駅の裏か?ここに何が……いや、それよりもこの今の場所がどこかもわからない」
しばらく地図を見ていたが他に情報もなく、この小学校から北に向かう事にした。地面はあぜ道で舗装等はない。直接触れる地面は冷たく、時々足の裏に当たる小石が痛い。
「ズボンが泥だらけだな……」
――10分程歩いただろうか。幾分周囲は明るくなり辺りが見渡せる。学校の周囲は田畑が多かったが駅と思われる方に向かうにつれ、家が建ち並んでいる。
「これは夢じゃない……?」
木造の建物に土壁、蔵、長屋、道路と思われる場所は主に砂利……教科書で見た事がある、まるで昭和初期の様な風景だ。
路地を曲がると大きな屋敷が見えてくる。地図に星マークが書いてある場所だ。見間違いかとも思い、何度か地図を見返すがどうやらここが目的地らしい。
そもそも臨海小学校=夢希望高校の位置が合っていればの話だ。
しかし表札を見て、それは確信に変わった。
「嘘だろ……?」
………
……
…
「朝早くからすいませんっ!」
「はぁい……」
玄関の奥から声がし、ゆっくりと老婆が廊下を歩いてくる。
「あのすいません、こちらへお伺いするように……その……この手紙を渡されまして」
「ふむ……どれどれ……」
地図と一緒に入っていた手紙を老婆へと渡す。
老婆は目を見開き、僕の腕と足を交互に見ながら手紙を開いた。やはりここでも気味悪がられるのか。
「も、もしや……春文……様ではありませぬか?」
老婆はなぜか声が上ずり、目に涙を浮かべている。
「は、はい……え?僕を知っていらっしゃるのですか」
「あ、いえ……すみませぬ。お嬢様からお話を伺っておりましたので、びっくりしてしまいました。とりあえず湯船で体を流し服を着替えて下さいませ。その……」
「あぁ、トレーナーですか。すいません、靴が無くて……」
足元を見ると、寝間着で使っていたトレーナーが泥だらけになっている。
老婆に案内され、離れのお風呂場へと向かう。屋敷は広く庭には大きな池がある。
浴槽は木製でシャワーは見当たらない。桶でお湯を汲み、頭からかぶる。汚れを落とし湯船に浸かると頭がようやくスッキリと目覚めた。
「はぁ……極楽極楽……。いや、そうじゃない。これはどういう事なんだ……?」
昨日は学校説明会が終わり、夕方には家に着いたはずだ。それから晩御飯を食べ、お風呂に入り、ネットゲームをして……そのままウトウトと眠ってしまっていた。そして気が付くと学校……寝ている間に何があったんだ?
お風呂から上がると籠に服が用意してあったが、それは着物だった。着慣れぬ服に悪戦苦闘していると、脱衣所の向こうから女性の声がする。
「坊ちゃん、お手伝い致しましょうか?」
「……?え?夢子?」
「――夢子?いえ、わたくしは……」
ガラガラ……。
戸を開けると、夢子がお辞儀をしている。
「やっぱり夢子じゃないか!良かった!表札に『猿渡』とあったから夢子の家じゃないかと!」
「坊ちゃん、私は猿渡白子と申します。どうぞよろしくお願い致します。ささ、向こうを向いて下さい。帯を絞めますので――」
「白子さん?夢子そっくりだが……違うのか?すいません……何が何やらわからなくて……」
「いえ、私も婆も急な事でお迎えの用意も出来ず、すいませんでした。さ、出来ました。座敷に朝食を用意させますのでそちらでお待ち下さい」
「あぁ、ありがとう」
僕は座敷に案内され、中庭を見渡していると焼き魚の良い匂いが漂ってくる。
「はぁ……いい匂いだ。お腹空いたな」
テーブルには新聞が置いてある。何気に手に取り、目を疑った。
『1939年8月9日月曜日』
「は?え?1939年?え?」
何度か見直したが西暦は1939年だった。指折り数える。
「えぇと……令和、平成があって……その前が昭和……あっ、書いてある。昭和14年……!?」
新聞は漢字と平仮名表記ではあるが、所々意味がわからずペラペラと捲る。
「……読めん。同じ国の文法とは思えないな」
「坊ちゃん、お待たせしました。朝食が出来ました」
「白子さん、ありがとうございます」
「坊ちゃん、白子とお呼び下さいませ」
「し、白子……ありがとう」
「はいっ!坊ちゃん!たくさん召し上がれ!」
「はい、頂きます」
白ご飯に焼き魚……サンマだろうか。匂いだけで食欲が湧いてくる。あとは味噌汁に漬物。毎朝パンを食べてた生活とは違い、どこぞの旅館に来た気分だ。
「これは……!う……うまいっ……!」
「それは良かった!今、お茶を煎れますね」
「日本人で良かったと思える……本当にうまいなぁ……」
「大袈裟ですよ、坊ちゃん。ふふふ」
お腹が空いていたのだろう。僕はご飯を一気に食べ終える。
「坊ちゃん、お部屋にご案内します。少しお休み下さい」
「何から何までありがとう。白子、それはそうと今は昭和……」
「さっ、難しい話は後で聞きますので今は休んで下さいませ」
「う……うん。そうだな、少し休憩させてもらうよ」
起きてから色々状況が変わり、確かに思考がついていってない。少し休めば落ち着くだろう。
6畳程の和室へ案内され、用意された布団で横になる。
「ゆっくり休んで下さいね」
「あぁ、ありがとう」
白子が襖を閉めると、廊下を遠ざかっていく足音が聞こえる。
障子には朝日が写り、少し部屋は明るいがまぶたは自然と閉じてきた。
――これは夢だろうか……それとも現実なのだろうか……。そんな事を思いながら、安心からか深い眠りに落ちていった。
………
……
…
話し声が聞こえる。ハッキリとは聞こえないが、何人かが僕を囲んでいる気配がする。頭の中がぐるぐると回り、とても起きられる状態ではない。
「……先生、これで良いのですね?」
「はい、これで手術は終わりです――」
「白子、後は任せたのですわ」
「はい、黒子姉さん――」
うっすらと会話が聞こえたが、また深い眠りへと落ちていった。
…
……
………
「……おはようございます、坊ちゃん。坊ちゃん。良かった。お目覚めですね……」
「……うぅ。眩しい……」
「障子開けますね。今日も良い天気ですよ。ゆっくり起き上がって下さいね」
そう言うと白子が襖を開け、朝の涼しい風が部屋へと入ってくる。同時にセミの鳴き声も聞こえ夏を感じる。
布団から体を起こそうとすると、白子が背中に手を当て起き上がるのを手伝ってくれた。
時計は9時過ぎを指していた。
「ありがとう……何だか……長く眠っていたような……」
「そうですわね。坊ちゃん、先生がお待ちなので、起きたらご案内致しますね。こちらに着替えを置いておきます」
「先生?」
「はい。今回、坊ちゃんの両手両足を手術して下さった先生です」
「手術?え?」
見ると、両手両足に包帯が巻いてあり御札の様な物が貼ってある。
「なっ!何だこれは!?」
「坊ちゃんの両手両足には呪詛がかかっていました。手術をして取り除く他に方法が無く、先生にお願いしたのです」
「呪詛……?」
「はい、詳しくは先生からお話があると思います」
そう言うと、白子は着替えを手伝ってくれた。そして先生が待つ居間へと向かう。
廊下を歩いていると以前より足が軽く、力が入る気がした。
「先生お連れしました」
「お待ちしてました。さぁ、傷の具合を見せて下さいませ」
「は、はい……」
居間には布団が敷かれている。そして白衣を着て、緑色の髪をした女性が待っていた。
先生は包帯を解き、腕と足を丁寧に診ていく。
「うん……もう大丈夫そうね。これなら今日からお風呂にも入れそうだわ」
「良かったですね、坊ちゃん。もう10日もお風呂入っていませんでしたので――」
「10日っ!?」
横になったまま、大声を出してしまった。
「待て待て!今朝、お風呂に入って……朝ご飯を食べて、少し眠ったが……」
「それは10日前ですね。婆が朝食に睡眠薬を入れましたので‥…その後は麻酔で眠って頂いてました」
「春文殿、そのくらいこの呪詛は強力な物でして、周囲に危険が及ぶ前に処置させて頂きました。ご理解をお願いします」
「先生まで……。はぁ……わかりました。色々ありすぎて理解しがたい事もありますが」
「ふふ、感謝致します。それでは白子さん、私はこれで」
「緑子先生ありがとうございます」
僕と白子が先生を見送ると、婆さんの案内でまたお風呂に入る。
「たぶんこの後、朝食を食べて……何だか夢を見ている様だ……」
10日前と同じく、白子が着替えの手伝いをしてくれて座敷で朝食を待つ。
『1939年8月19日土曜日』
置かれている新聞が、本当に10日間が過ぎた事を示していた。
「坊ちゃん、お食事の準備が出来ました」
「白子、今度は睡眠薬は入ってないだろうな?」
「ふふ、さぁ……どうでしょう?」
「冗談はやめてくれ」
冗談を言う彼女は舌をペロッと出した。
………
……
…
朝食を食べ終わり、婆さんの煎れてくれたお茶を飲みながら一連の説明を求めた。
「あれは16年程前でしょうか……」
婆さんが口を開いた。
「ここより南の関東地方で大きなそれは大きな地震がありましてな……」
夏の陽射しが強くなり始めセミ達も一層大声を上げる中、良く通る声で婆の話が始まった――。
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