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第2章
第23話・夜明け
しおりを挟む――鼻をつく焦げた匂いが部屋に充満し、天井付近には黒煙が溜まっている。
隣の部屋が燃え、この大広間もいつ火の手が迫って来るかわからない。
そんな状況下にも関わらず、僕は全てを投げ出し床に座り精魂尽きていた。銃弾はまだ残っている。いっそこのまま……そんな考えさえ浮かんでくる。
シロコロは僕をかばい逝ってしまった。ミラーレスも山田のばぁさんが殺めた。廊下には亡者が沸いていて、元の世界へも戻れそうにない。
詰み……
……そんな言葉が頭をよぎる。
「もう疲れたな……2人共後は好きにしたらいい……」
ポツリとそんな言葉が口から出た。その瞬間、襟首を掴まれ、僕を睨みつけながらミミが大きく手を上げた。
パチィィン!!
「千家様!!状況を考えなさい!シロコロさんはあなたの為に……!!」
「ミミ!よせ!春河さんもそれはわかってる!」
「だって!!こんな情けない姿っ!!うぅっ……」
「ミミッ!おい!立ち上がるな!」
「ケホケホ……」
煙が充満する部屋で酸欠状態になったのだろうか。ミミはふらふらしながら、廊下の方へと歩いていく。
「おい!ミミ!」
「こんな所にいるくらいなら、廊下の亡者共を……」
ミミはバリケードにしていた椅子をどかし始め、廊下への扉に手をかける。廊下ではきっと亡者が待ち構えているだろう。それでもこの大広間で煙にまかれるよりはと考え、扉を開けようともがく。
「春河さんもしっかりしてくれ!このままだと3人共死んでしまう!」
おハナが僕に必死に声をかけてくるが全然頭に入ってこない。座り込む僕の左耳からはリビングの家具が倒れ燃える音、右耳からは廊下の亡者達の唸る声が聞こえる。
「もう……いいんだ。あがいても逃げる場所なんて無いんだ……」
「ちっ!」
おハナは舌打ちすると、ミミの元へと駆け寄る。
「ミミ、どけ!俺が先に行く!ミミは伏せていろ!」
「おハナ……ケホケホ……」
「開けるぞ!せぇの……」
おハナはバリケードの椅子や家具をどかし、扉を一気に開いた――
ガチャ……
「え……!?」
そこからは一瞬の出来事だった。
おハナが廊下への扉を開けると大広間の煙が一気に廊下へと流れ出す!それを待っていたかのように、酸素を求めリビングから廊下まで天井を炎が駆けていく。まさにバックドラフト現象だ。
シュン……
ズドォォォォォォォォォォォン!!
激しい音と炎が、立ち上がっていたおハナもろとも廊下へと放出される!
「ぐっ!?」
「おハナッ!!」
ミミが慌てて座ったまま手を伸ばすが、おハナの手には届かず暗闇へと消えていった。
状況が読み込めず、ミミは放心状態だ。
「おハナ……え……あぁ……」
ミミはゆっくり立ち上がり、おハナが吹き飛ばされた廊下へと向かう。酸素を得た炎はますます勢いを増し、大広間の半分が炎に包まれ熱気で呼吸が苦しくなる。
「ゴホゴホ……」
僕も煙を吸い頭が痛い。ふと、目の前を見ると爆風で飛んだと思われる姿鏡が散乱していた。ほとんど割れてしまっている。鏡に映る惨めな顔の自分を見て、情けなく思えた。
「こんな最後になるなんて……ごめん。咲……」
最後に無意識に出た言葉が「咲」だった。自分でもなぜそんな事を言ったのかはわからない。ただ、ずっと謝りたかったのかもしれない。
『――自分を責めないで?春河くんは頑張ったょ?』
「え?」
足元に吹き飛ばされた数枚の姿鏡の中の1枚に誰かいる。それは見覚えのある顔だった。
『もう……会えないと思ってた。だって私は一度あなたを……』
「……おまえ!いまさらどの面下げてそんな事を!!」
『許して下さい……とは言えない。でもわかったの。あなたの事が好きなのょ……!』
「なっ!?……い、いまさらそんな事を……」
『私は死……願い……て……かえ……』
だんだん鏡の中の彼女は歪み、消えていく。
それは幻覚だったのかもしれない。ただ僕は朦朧とする意識の中で怒りや苦しみを思い出す一方、なぜか彼女の言葉に安心感を思い出した。
「くそっ!何だって言うんだ!ちきしょう!!」
周りを見ると、ふらふらになったミミが廊下へ行くのが見えた。扉の周囲は爆風で吹き飛んでいる。想像するに、辺りの亡者も一緒に吹き飛んだのだろう。しかしおハナは帰って来ない。
僕は重い腰を上げ立ち上がる。そして廊下を出たミミの手を掴まえた。
「おハナ……おハナ……」
虚ろな目でおハナを探すミミはもう周りの状況が見えていなかった。
数メートル先に動かないおハナの姿があり、そこに亡者が群がっていたのだ。
亡者がおハナの腕をかじっているのが見えた。僕が助けに向かった所で亡者の餌食になるだけだろう。もう助からない……直感でそう思った。
「くそ……おハナはもう駄目か……!ミミっ!しっかりしろ!」
「おハナ……今行くから……待って……」
「ミミっ……!!」
パチィィン!!
今度は僕がミミを引っ叩く。
「ミミっ!いいか!おハナはもう助からな……いや、もう死んでる!ここから逃げるぞ!」
「おハナが……死んだ……?うそ……あっ……あぁぁぁ!!」
急にミミの体から力が抜け、涙を流し始めた。意識を取り戻し目の前の無惨な光景が見えたのだろう。
まだ死んではいないかもしれない。ただそれを確かめる手段が僕にはなかった。
ミミは腰を抜かし動けそうにない。床にくずれ落ち泣き叫んでいる。いつしか亡者もそれに気付き、こちらへと向かって来る仕草を見せた。
「まずい……ゴホゴホ……」
煙はますます勢いを増し、呼吸がしずらくなり目も染みる。僕はミミの襟首を掴み、引きずり、そのまま大広間へと連れ帰る。
「……さっきの鏡は……どこだ……」
数メートル先に先程の姿鏡が転がっているはずだった。たった数メートル先……だが、煙がひどく元の位置がわからない。
「くそ!どこだ!」
かがみ込んで辺りを見渡すが数センチ先も見えなくなっていた。もし間違えて踏んでしまえばそれこそ終わってしまう。
「何か……何かないか!」
大広間の入口にはとうとう亡者の影が見える。絶対絶命の状況だ。
「くそっ!!」
――その時、違和感を感じた。
リビングの方から聞こえていた家具が燃える音の中に違う音が混ざっている。
――ピピピピピピ……
「これは……!!?」
僕はミミを慌てて抱きかかえ床に伏せた。それは数秒の判断で運命が変わっていたかもしれない行動だった。なぜ床に伏せたかはわからない。直感がそうさせたのだ。
――数秒後……
ズドォォォォォォォォォォォン!!
2度目の爆発音が響き、爆風が頭上を通り過ぎるのがわかる。あの音はプロパンガスのガス漏れ警報だったのだ。
辺りの煙が一瞬廊下へと全部吹き出し、室内が見渡せた。電気はすでに消えている。炎の明かりを頼りに姿鏡を探す。
爆風で割れてないかと心配したが、その姿鏡は壁まで飛ばされてはいたものの1枚だけ割れずに残っていた。他の数枚の姿鏡がまるで守る様に割れ、逃げろ!と言っている様だった。
「ミミ、行くぞ」
「……はい……」
うなだれたミミを抱きかかえ、そのまま僕は姿鏡へと入って行った……。
………
……
…
どのくらい経っただろう。姿鏡に入ると、見たことのあるお花畑だった。足元は幻覚で見えないだけでまた死体と骨なのかもしれない。嫌な地面の感覚が伝わって来る。
辺りはいつの間にか明るくなり始めていた。朝5時を迎えたのだろうか。亡者の姿は見えない。
「千家……様……」
「春河でいいよ。ミミ」
「……春河さん。どうして私を助けたのですか」
「……ミミは僕の事をかたきだと思い、殺そうとしていた。だけど……」
「だけど?」
「僕が大広間で寝ている間にそれは出来たはずだ」
「……」
「わざわざシロコロが来るのを待つ必要はない」
「……」
「愛梨なんだろ?愛梨の姿が見えなくなってから、ミミはおかしくなった……」
「愛梨さんは……麻里さんを逃がした事でお母様にひどく怒られ、最後には鏡に閉じ込められました。私は……それを止める事が出来なかった」
「愛梨は僕達だけじゃなく、ミラーレスやミミの事までも恨んで……」
「お母様達の遺体はおハナが寝室に運んでいました。知らないふりをしましたが、あれは愛梨さんの命令だと思いました。愛梨さんはおハナの部屋で目が覚め、気が付いていたのだと思います。そしてお母様の遺体に手をかけた……お母様が亡者になったのはそのせいだと思います」
「まさかミラーレスの脳を……うっ……!」
「はい……そして彼女は亡者を喰らう第2のミラーレスとなった……春河さんが愛梨さんを殺めたと聞き、どこかほっとしてました」
「あぁ……あれは偶然だったんだが……」
「偶然でもです。そのまま彼女を生かしておいたら城内の亡者は彼女の手足となり、春河さん達は生贄にされ……私もまた操られたかもしれません……」
「……」
30分程、お花畑を歩きながらミミと話を続けていた。足の感覚がおぼつかない。背中の痛みもまた出始めている。
「ミミ、少し休憩していいか……」
「あっ、はい……」
僕は手頃な岩を見つけて腰を降ろした。
「春河さん大丈夫ですか?顔色が悪い様ですが……」
「あぁ……大丈夫だ。もう少しで帰れるんだ……ミミも来るんだろ?」
「……私はそちらへは行けません」
「どうして?」
「愛梨さんに操られたとしても、あなたを殺そうとしたからです」
「でもそれは愛梨が……」
「それでも……です」
「……わかった」
「はい……」
僕はそれ以上は言わなかった。悲しげなミミの顔を見ると、どことなく咲の面影を思い出す。
しばらく休憩した後、僕達はまた歩き出した。アリスちゃん達が待つであろうミラーワールドを目指して。壁には犬走りがある。犬走りに沿ってまっすぐ進むだけだ。迷子になる事はない。
途中、何度か休憩をしながらようやく出口の姿鏡が見えてくる。
「あっ!あれは!着いた……!ミミ、着い……?」
「お逃げ……くだ……さ……」
後ろを振り向くと、ミミが僕にもたれかかる様に倒れ込んできた。何が起きたのかわからない。
ただ見覚えのある光景が脳裏に浮かぶ。
ミミの腹部に包丁が刺さり、返り血を浴びた化け物がそこには立っていた。
「みぃつけた……ひゃひゃひゃ……!!」
「アイリィィィ!!」
僕は銃を取り出し、愛梨に向かい発砲する!何の躊躇もなかった。愛梨はもう……人ではない。
パァン!!カチカチカチ……
銃声が響く。が、銃弾は1発しか残っていなかった。その銃弾は愛梨の頬をかすめ、不敵な笑みを浮かべる愛梨が一歩ずつ近付いて来る。
「ハズレた……」
「ぐひゅひゅ……しねしねしね……ひゃひゃひゃ……」
「くそ!」
ミミは腹部から血を流し、気を失っている。このまま置いて逃げるわけにはいかない。
愛梨は火傷で皮膚がただれ、目はくぼみ、それでも血まみれの姿で襲ってくるその姿は、亡者そのものだった。
一か八か、ミミに刺さっている包丁を抜いて愛梨に刺すか?
それだとミミは出血が止まらず死ぬだろうか?
そもそも愛梨はそれで死ぬのだろうか?
いや……もうこんな状況で先の事を考える余裕はない。
「ミミ……ごめん」
僕は覚悟を決めミミの腹部の包丁に手をかける……
……それはほぼ同時だった。背後から何だか懐かしい声が聞こえる。
「楽しそうじゃのぉ。わしとも遊んでくれぬかの」
「ねぇさま!駄目ですわ!こんな腐った死体と遊ぶなんて!」
「アリス様、ご命令を」
「うむ――」
「ア、アリスちゃん……!!」
「間に合った様じゃの。クロコロ、猿渡……やっておしまいなさい!」
「はっ!ねぇさま!」
「御意!」
一気に全身の力が抜けた。
「きさまらァァァ!邪魔をするナァァァ!!」
愛梨の最期の言葉はその後、すぐに断末魔へと変わった。
猿渡の一蹴で吹き飛ばされ、クロコロが持つ黒刀で首をあっと言う間にはねられる。
あっけない幕切れをただただ僕は眺めていた。
「ご苦労じゃったの、春河。今は休むが良い。猿渡よ、この者を――」
「はっ!アリス様!」
「この者達を連れ帰り、休ませてやって――うむ、もういないのじゃな。なるほど……」
「ねぇさま!素敵ですわ!」
僕が気を失った後、アリスちゃん達がそんな事を言ってたとか、言ってなかったとか。
これでようやく僕の長い1日が終わったのだった……。
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