32 / 36
第32話
しおりを挟む
俺は階段をおりて寮の敷地から出ると、すぐに姉さんの後ろ姿を見つけた。
「姉さ――」
「夏樹くんっ!」
姉さんを呼び止める俺の声は、別の声によって消された。
振り返ると萩村が俺に駆け寄って来ていた。
「この前寮に遊びに来てもいいって言ったから来ちゃった! ご飯まだでしょう? いろいろ作って来たから一緒に食べようよ」
屈託ない笑顔で萩村はおかずが入った袋を持ち上げる。
俺は横目で姉さんの姿を追う。姉さんは道を曲がって見えなくなった。
萩村を追い返すことも出来ずに俺は部屋にいれた。お茶を沸かすため、薬缶に火をかける。
「肉じゃがと春雨サラダと唐揚げでしょ、あと茄子の揚げ浸しに炊き込みご飯を作って来たんだ」
袋から料理を次々と取り出してテーブルに並べる萩村をよそに、俺は姉さんのことをずっと考えたいた。
「へへへ、作りすぎちゃったかな」
「うん」
姉さんは、今、柊さんと一緒にいる……。
「夏樹くん、苦手なものとかなかった?」
「うん」
胸がきゅっと掴まれたように痛くなる。
「ちゃんと味見したから美味しいはずだよ」
「うん」
だめだ、萩村の話に集中できない。
「……もしかして、私に来てほしくなかった?」
「うん」
その時、ピーッと薬缶が沸いた音がして我に返った俺は顔をあげた。
袋を握り締めながら、唇をぎゅっと真一文字に結んでいる萩村がいた。
「萩む……」
萩村に声を掛ける。しかし。
「夏樹くんの馬鹿っ!」
萩村は持っていた袋を俺に投げつけると部屋を出ていく。
尚もお湯が沸いたことを知らせる薬缶の火を止めると、床に落ちた袋を俺は拾った。
柊さんに呼び出されて、私は喫茶店に入った。柊さんは既に来ていて、コーヒーを飲んでいた。
「周防さん」
私に気付くと、柊さんはコーヒーカップをソーサーの上に置いた。
「柊さん、目の下にクマができてますよ。大丈夫ですか、疲れているんじゃないですか」
私は席につく。
「俺は君に酷いことをしたというのに、君は俺に優しい言葉を投げ掛けてくれるんだな」
「……確かに柊さんが私にしたことは許せないです。すごく怖かった。でも、柊さんは優しくて良い人だということを私は知っていますから」
「俺は結局、良い人止まりということか」
「ごめんなさい」
「謝らなくていい。俺の恋は叶わないってわかっていたから。それでも、自分の気持ちを君に伝えたくて仕方なかったんだ」
柊さんは目を伏せる。切なげな顔に「柊さん」と私は名前を呼ぶ。
「俺のことは気にしなくていい」私の顔を真っ直ぐに見る。「初めて君に会った時、俺は君のことを助けたいと思った。でも、助けられていたのは俺の方だったのかもしれないな」
当時、弁護士になったばかりの俺に、周防さんから連絡が来た。
「丁度今、桜が満開で綺麗ですよ。少しの時間でいいですから一緒に見ませんか?」
息抜きがてら俺は周防さんの誘いに乗ることにした。
「ほら、綺麗でしょう?」
満開の桜並木が続く道を、周防さんは俺より少し前を歩いていた。
満開の桜を見て、春が来たということを俺は知る。ずっと仕事に忙殺されていて、移ろいゆく季節のことなんて、少しばかりも目にくれなかった。
「毎日お仕事大変ですか?」
「そうだな。大変と言えば大変だ」
いつもなら弱音なんて吐かないが、この日、口に出してしまったのはきっと桜に魅入られていたからだ。
「大変な柊さんに、こんなことを言うのはあれですが、柊さんが弁護士になってくれて嬉しいです。困っている人は皆救われますから」
「そうだろうか」
「そうですよ。だって、柊さんに一番助けられている私が言うんですよ」
宙に舞う花びらを周防さんは掴むと、くるりとこちらを振り返った。髪の毛がふわりと舞う。
「私、柊さんに出会えて良かったです」
そう言いながら桜の木の下で満面に笑う君はとても美しかった。
「君にはあの笑顔でずっと笑っていて欲しい……だから」
柊さんはそこで口を閉じると軽く溜息をついた。
「……俺の言いたいことはそれだけだ。さぁ、夏樹くんのところに行くんだ」
「でも……」
「周防さんは今、俺じゃなくて夏樹くんのそばにいたいんだろう?」
私はそっと席を立つと、柊さんに頭を下げる。そして、喫茶店を後にした。
喫茶店を出て行く周防さんを見送る。
周防さんの姿が見えなくなると、ふぅ、と深く息を吐いて天井を仰いだ。
「フラれてしまったか……」
まさか好きな人が義理の弟のことを愛すとは思ってもみなかった。
君にはあの笑顔でずっと笑っていて欲しい……だから――。
「だから……君は夏樹くんと幸せになるんだ」
口にすることによって、自分の気持ちはもう、彼女に届くことはないと実感する。
夏樹くんは俺のことを妬んでいたようだけれど、俺だって夏樹くんのことを妬んでた。
本当はずっと、苗字じゃなくて名前で呼びたかった。だから夏樹くんが周防さんのことを名前で呼んでいて、すごく羨ましかった。
あの時、春の訪れを君が教えてくれた。君が俺の前に春を連れてきてくれた。暖かな笑顔をする君に相応しい名前だと思った。
「――春妃」
今だけ。今だけだから。今だけは、俺に名前を呼ばせて。
「姉さ――」
「夏樹くんっ!」
姉さんを呼び止める俺の声は、別の声によって消された。
振り返ると萩村が俺に駆け寄って来ていた。
「この前寮に遊びに来てもいいって言ったから来ちゃった! ご飯まだでしょう? いろいろ作って来たから一緒に食べようよ」
屈託ない笑顔で萩村はおかずが入った袋を持ち上げる。
俺は横目で姉さんの姿を追う。姉さんは道を曲がって見えなくなった。
萩村を追い返すことも出来ずに俺は部屋にいれた。お茶を沸かすため、薬缶に火をかける。
「肉じゃがと春雨サラダと唐揚げでしょ、あと茄子の揚げ浸しに炊き込みご飯を作って来たんだ」
袋から料理を次々と取り出してテーブルに並べる萩村をよそに、俺は姉さんのことをずっと考えたいた。
「へへへ、作りすぎちゃったかな」
「うん」
姉さんは、今、柊さんと一緒にいる……。
「夏樹くん、苦手なものとかなかった?」
「うん」
胸がきゅっと掴まれたように痛くなる。
「ちゃんと味見したから美味しいはずだよ」
「うん」
だめだ、萩村の話に集中できない。
「……もしかして、私に来てほしくなかった?」
「うん」
その時、ピーッと薬缶が沸いた音がして我に返った俺は顔をあげた。
袋を握り締めながら、唇をぎゅっと真一文字に結んでいる萩村がいた。
「萩む……」
萩村に声を掛ける。しかし。
「夏樹くんの馬鹿っ!」
萩村は持っていた袋を俺に投げつけると部屋を出ていく。
尚もお湯が沸いたことを知らせる薬缶の火を止めると、床に落ちた袋を俺は拾った。
柊さんに呼び出されて、私は喫茶店に入った。柊さんは既に来ていて、コーヒーを飲んでいた。
「周防さん」
私に気付くと、柊さんはコーヒーカップをソーサーの上に置いた。
「柊さん、目の下にクマができてますよ。大丈夫ですか、疲れているんじゃないですか」
私は席につく。
「俺は君に酷いことをしたというのに、君は俺に優しい言葉を投げ掛けてくれるんだな」
「……確かに柊さんが私にしたことは許せないです。すごく怖かった。でも、柊さんは優しくて良い人だということを私は知っていますから」
「俺は結局、良い人止まりということか」
「ごめんなさい」
「謝らなくていい。俺の恋は叶わないってわかっていたから。それでも、自分の気持ちを君に伝えたくて仕方なかったんだ」
柊さんは目を伏せる。切なげな顔に「柊さん」と私は名前を呼ぶ。
「俺のことは気にしなくていい」私の顔を真っ直ぐに見る。「初めて君に会った時、俺は君のことを助けたいと思った。でも、助けられていたのは俺の方だったのかもしれないな」
当時、弁護士になったばかりの俺に、周防さんから連絡が来た。
「丁度今、桜が満開で綺麗ですよ。少しの時間でいいですから一緒に見ませんか?」
息抜きがてら俺は周防さんの誘いに乗ることにした。
「ほら、綺麗でしょう?」
満開の桜並木が続く道を、周防さんは俺より少し前を歩いていた。
満開の桜を見て、春が来たということを俺は知る。ずっと仕事に忙殺されていて、移ろいゆく季節のことなんて、少しばかりも目にくれなかった。
「毎日お仕事大変ですか?」
「そうだな。大変と言えば大変だ」
いつもなら弱音なんて吐かないが、この日、口に出してしまったのはきっと桜に魅入られていたからだ。
「大変な柊さんに、こんなことを言うのはあれですが、柊さんが弁護士になってくれて嬉しいです。困っている人は皆救われますから」
「そうだろうか」
「そうですよ。だって、柊さんに一番助けられている私が言うんですよ」
宙に舞う花びらを周防さんは掴むと、くるりとこちらを振り返った。髪の毛がふわりと舞う。
「私、柊さんに出会えて良かったです」
そう言いながら桜の木の下で満面に笑う君はとても美しかった。
「君にはあの笑顔でずっと笑っていて欲しい……だから」
柊さんはそこで口を閉じると軽く溜息をついた。
「……俺の言いたいことはそれだけだ。さぁ、夏樹くんのところに行くんだ」
「でも……」
「周防さんは今、俺じゃなくて夏樹くんのそばにいたいんだろう?」
私はそっと席を立つと、柊さんに頭を下げる。そして、喫茶店を後にした。
喫茶店を出て行く周防さんを見送る。
周防さんの姿が見えなくなると、ふぅ、と深く息を吐いて天井を仰いだ。
「フラれてしまったか……」
まさか好きな人が義理の弟のことを愛すとは思ってもみなかった。
君にはあの笑顔でずっと笑っていて欲しい……だから――。
「だから……君は夏樹くんと幸せになるんだ」
口にすることによって、自分の気持ちはもう、彼女に届くことはないと実感する。
夏樹くんは俺のことを妬んでいたようだけれど、俺だって夏樹くんのことを妬んでた。
本当はずっと、苗字じゃなくて名前で呼びたかった。だから夏樹くんが周防さんのことを名前で呼んでいて、すごく羨ましかった。
あの時、春の訪れを君が教えてくれた。君が俺の前に春を連れてきてくれた。暖かな笑顔をする君に相応しい名前だと思った。
「――春妃」
今だけ。今だけだから。今だけは、俺に名前を呼ばせて。
0
お気に入りに追加
39
あなたにおすすめの小説
偽物のご令嬢は本物の御曹司に懐かれています
玖羽 望月
恋愛
役員秘書で根っからの委員長『千春』は、20年来の親友で社長令嬢『夏帆』に突然お見合いの替え玉を頼まれる。
しかも……「色々あって、簡単に断れないんだよね。とりあえず1回でさよならは無しで」なんて言われて渋々行ったお見合い。
そこに「氷の貴公子」と噂される無口なイケメン『倉木』が現れた。
「また会えますよね? 次はいつ会えますか? 会ってくれますよね?」
ちょっと待って! 突然子犬みたいにならないで!
……って、子犬は狼にもなるんですか⁈
安 千春(やす ちはる) 27歳
役員秘書をしている根っからの学級委員タイプ。恋愛経験がないわけではありません! ただちょっと最近ご無沙汰なだけ。
こんな軽いノリのラブコメです。Rシーンには*マークがついています。
初出はエブリスタ(2022.9.11〜10.22)
ベリーズカフェにも転載しています。
番外編『酸いも甘いも』2023.2.11開始。
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
小野寺社長のお気に入り
茜色
恋愛
朝岡渚(あさおかなぎさ)、28歳。小さなイベント企画会社に転職して以来、社長のアシスタント兼お守り役として振り回される毎日。34歳の社長・小野寺貢(おのでらみつぐ)は、ルックスは良いが生活態度はいい加減、デリカシーに欠ける困った男。
悪天候の夜、残業で家に帰れなくなった渚は小野寺と応接室で仮眠をとることに。思いがけず緊張する渚に、「おまえ、あんまり男を知らないだろう」と小野寺が突然迫ってきて・・・。
☆全19話です。「オフィスラブ」と謳っていますが、あまりオフィスっぽくありません。
☆「ムーンライトノベルズ」様にも掲載しています。
10 sweet wedding
国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。
翠も甘いも噛み分けて
小田恒子
恋愛
友人の結婚式で、偶然再会した同級生は、スイーツ男子。
十年の時を経て、なんと有名パティシエに。
学生の頃、彼の作るスイーツを毎日のように貰って食べていた翠は、ひょんなことから再び幸成のスイーツを口にすることに。
伊藤翠(いとうみどり、通称スイ)28歳
高橋幸成(たかはしゆきなり)28歳
当時ぽっちゃり女子とガリガリ男子のデコボココンビの再会ラブストーリー
初出 ベリーズカフェ 2022/03/26
アルファポリス連載開始日 2022/05/31
*大人描写はベリーズの投稿分に加筆しております。
タイトル後ろに*をつけた回は閲覧時周囲背後にお気をつけてください。
表紙はかんたん表紙メーカーを使用、画像はぱくたそ様のフリー素材をお借りしております。
作品の無断転載はご遠慮ください。
【完結】溺愛予告~御曹司の告白躱します~
蓮美ちま
恋愛
モテる彼氏はいらない。
嫉妬に身を焦がす恋愛はこりごり。
だから、仲の良い同期のままでいたい。
そう思っているのに。
今までと違う甘い視線で見つめられて、
“女”扱いしてるって私に気付かせようとしてる気がする。
全部ぜんぶ、勘違いだったらいいのに。
「勘違いじゃないから」
告白したい御曹司と
告白されたくない小ボケ女子
ラブバトル開始
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる